3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

本題名数字アルファベットその他

『The Miracle of Teddy Bear(上、下)』

Prapt著、福富渉訳
 テディベアのタオフーはある日突然人間になっていた。心の支えは持ち主であるナットの存在だが、見知らぬ男の出現にナットは警戒心をあらわにする。ナットの母であるマタナーがタオフーを気に入ったおかげで一緒に暮らし続けることはでき、家の中の「物」たちの協力のおかげで徐々にタオフーはナットの信頼を得ていく。しかしナットもマタナーも過去に受けた傷を抱え続けていた。
 ティディベアとその持ち主によるファンタジーラブコメBLという側面がある一方で、最後の最後まで謎をひっぱるかなりてんこ盛りなミステリでもある。タオフーがなぜ人間になったのかという大きな謎があるものの、その他にも謎が次々と提示され伏線も重層的、かつ犯罪も起きている。しっかりミステリなのだ。そもそも物語の語りにたまに一人称が混じるが誰視点なの?単に作家が下手なの?と思っていたら、なるほど!と。
 謎の背景にはかなわなかった愛、こじれてしまった愛、また恋愛に限らず家族愛であったり友愛であったり、様々な愛が横たわっている。愛は厄介なのだ。特にナットとその両親の愛を巡るエピソードは結構重く、愛が時に人の弱さ醜さを露呈させてしまうということを如実に示している。しかし人を救うのもまた愛であるということを強く打ち出した物語だ。タオフーが謎と相対していくのは一重にナットへの愛、彼の傷を癒したいからだろう。それはぬいぐるみとしての本分でもあり恋人としての本分でもあるが、同時に謎を解くことはタオフーの存在を危うくすることにもなっていく。人間となり欲望を知ったタオフーがどのような選択をするのかという点が、本作の肝ではないか。
 全体の構成や伏線の張り方のこなれ感に対して文章はぎこちない、達者とは言い難い印象だったが、これは作家が慣れないタイプの作品を書いたからなのか?それとも翻訳の影響なのか?日本語だとこのシチュエーションでこのワードはちょっと使わないなという点が散見されたので気になった。


The Miracle of Teddy Bear 上
Prapt
U-NEXT
2023-08-01


こんとあき (日本傑作絵本シリーズ)
林 明子
福音館書店
1989-06-30





『YURIKO TAIJUN HANA 武田百合子『富士日記』の4426日』

水本アキラ著
 日記文学の傑作とも言える武田百合子『富士日記』。この『富士日記』を、百合子が日記を書くスピードとできるだけ寄り添うような読み方をできないかと、4426日分を最初から丁寧に読み解いていこうという試み。
 3巻目で完結となる本著、『富士日記』を読んでいる読者には察しが付くだろうが、1,2巻とは若干雰囲気が異なってくる。花が成長して山荘行に同行しなくなり、特に泰淳との関係には緊張感が増していく様を著者は読み取る。1巻、2巻でも他媒体からの引用や当時の世相の参照が丹念に調べてあり正に追体験という感じだったのが、3巻では朝日新聞に掲載されたという花と泰淳の往復書簡が紹介されている。典型的な親子の対立、世代のギャップが感じられそんなに個性あふれるというものではないのだが、普遍的故にひりひり感や子供の苛立ちがよくわかる。著者も言及しているように、泰淳の方はいわゆる昭和の親父的なフォーマットに落とし込んだ返信をしているように読めたのだが、これは読者向けのスタイルとしてはありなのかもしれないが子供に対しては不誠実に思えるのではないか。花にとって泰淳は一緒にいると緊張する父親だったようだし、猶更だ。また愛犬との別れも痛切だし、何より泰淳の健康状態が悪くなり、日記の頻度自体が終盤は減ってくるという面もある。日記は、起きた出来事を全部書くというわけではない。書かれていない部分に何があったのか、どういう状況で書けなかったのかという奥深さがある。著者はその余白の部分を丹念に追っていく。『富士日記』の場合は何があったか・この先何が起きるのか読者はわかっているわけで、そこが切ない。

富士日記(下)-新版 (中公文庫)
武田 百合子
中央公論新社
2019-07-23


富士日記の人びと: 武田百合子を探して
校條 剛
河出書房新社
2023-05-23






『P分署捜査班 寒波』

マウリツィオ・デ・ジョバンニ著、直良和美訳
 寒さも厳しくなってきたある朝、ナポリのP分署に殺人事件の通報が入る。アパートで同居していた兄妹が殺されたのだ。兄は化学者、妹はモデルで父親との関係は険悪だった。一方、中学校教師が生徒の家庭のことで署に相談に来た。1人の女生徒が親から虐待されているかもしれないというのだ。P分署の刑事たちは決め手となる手がかりが乏しいまま捜査に奔走する。
 シリーズ3作目が無事翻訳されてほっとした。単品でもちゃんと面白いが、周囲からは落ちこぼれ扱いされている型から外れた刑事たち、徐々に本来の能力を発揮しお互いへの信頼を築いていく過程は、やはりシリーズを追って読んでいく醍醐味だろう。組織にはまりきらないピースばかりを集めたら逆に力強い絵が出来てくるという所がいい。仕事に奮闘する一方で刑事たちのプライベートの悩みや葛藤が描かれていくのも本シリーズの持ち味。本作では随所に「家」をモチーフにした散文的なパートが配置されており、事件そのものもそれに関わる刑事たちの事情にも、「家」が関わってくる。家は安らぐ場所、帰るべき場所である一方で、檻や密室、忌避すべきものにもなり得る。また「家」の幻想を見続けてしまう人の危うさも垣間見えた。この人は果たして「家」の呪縛から逃げられるのだろうかと、シリーズの続きがとても気になる。

寒波 P分署捜査班 (創元推理文庫)
マウリツィオ・デ・ジョバンニ
東京創元社
2023-02-20


誘拐 P分署捜査班 (創元推理文庫)
マウリツィオ・デ・ジョバンニ
東京創元社
2021-05-10


『WIN』

ハーラン・コーベン著、田口俊樹訳
 容姿端麗、頭脳明晰、武術の達人で名家の出、そして大富豪であるウィンザー・ホーン・ロックウッド三世。自由気ままな生活をする傍ら、趣味で悪党成敗をしている。ある日、ロックウッド家から盗難されたフェルメールの作品が殺人現場で見つかる。更に迷宮入りしたテロ事件や一族にまつわる隠し事等、様々な謎が立て続けに彼を襲う。
 ハーラン・コーベンと言えば「マイロン・ボライター」シリーズだろう!と本シリーズが書店店頭から消えても思い続けているのだが、ここにきてまさかのスピンオフ作品。マイロンの親友、というかマイロン推し烈火勢同担拒否の男・ウィンの活躍をまたこの目で拝めるとは。生きているといいことあるもんだな!ウィンに全く湿っぽい所がなく独自のルール、正当性で突き進むので、ナイーブ寄りなマイロンシリーズよりも感触は軽め。何しろ色々お金と権力の力で解決できるので話が早い。自家用ヘリを主人公が使いこなす小説、意外とないでしょう。
 そんなウィンが最もてこずるのが血縁に関わる問題であるというのが、意外とコンサバ。しかし代々続く富豪の名家というのはこういうものかもしれないなー。ウィンに家族がいるということ、家族に対してある程度の愛着を示すということ自体が新鮮なのだが、なかなか血と伝統からは逃れられないのか。一般的な愛情や執着からは距離を置いている彼でも、親族に対しては譲歩してしまうという所に血族という仕組みの根深さを感じた。ウィンが丸くなったというよりも、そういう価値観が体に叩き込まれている感じ。

WIN (小学館文庫)
ハーラン・コーベン
小学館
2022-11-04


カムバック・ヒーロー (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ハーラン コーベン
早川書房
1998-10T




『medium 霊媒探偵 城塚翡翠』

相沢沙呼著
 推理作家の香月史郎は、霊媒・城塚翡翠と知り合う。城塚は死者を見ることができ、更に死者が死んだ現場で彼らを憑依させ死ぬ瞬間の記憶を体感することができると言う。彼女の心霊能力と香月の論理を駆使し、2人は様々な殺人事件の真相に迫る。
 連作集であり、個々の事件の間に大きな連続殺人事件が横たわるという構成。個々の事件はオカルト要素と論理的なミステリとの兼ね合いがなかなかうまく面白い。しかし城塚翡翠という若い女性の造形が、今時こんなあざといキャラ造形やります?大分感覚が古いのでは…と思っていたらそうきたか!シリーズ3作目まで出ているしドラマ化もされているので今更なのだが、これは予備知識ないまま読むとあっと言わされる面白さ。テンプレ化していたものをそういう風に使う段階になってきたんだなと実感した。相当力業のダイナミック伏線回収だが、けれんにてらいがなく見事。


invert 城塚翡翠倒叙集
相沢沙呼
講談社
2021-07-06




『November』

 先祖を追憶する「死者の日」を迎えようとしている、エストニアの小さな村。戻って来た死者たちは家族を訪ね、一緒に食事をとりサウナに入る。村人たちはクラットと呼ばれる使い魔を使い、労働力にしていた。母親を亡くし父親と2人暮らしの少女リーナ(レア・レスト)は、村の青年ハンス(ヨルゲン・リイイク)に想いを寄せていた。一方、ハンスはドイツ人男爵の娘に一目ぼれし、森の十字路で悪魔と契約を結ぶ。監督はライナー・サルネ。
 エストニア映画というのは多分初めて見るのだが、エストニアの土着のエッセンスって本作のような感じなのだろうか。モノクロの映像は非常に美しいが、描かれる世界は民話や神話のように混沌としている。死者、精霊、悪魔が人間たちの営みの中にごくごく自然に、地続きの存在として現れる。「死者の日」というとメキシコのイメージだが、エストニアにも類似の祭りがあるのか。死者と食事をするのはともかく、サウナに入る(しかもサウナの中ではなぜかニワトリの姿になる)というのは何なんだ…腐りそうな気がする…。
 一応キリスト教圏(教会があるし神父もいる)なのだが、悪魔との契約がごく普通のこととしてまかり通っている。魔術による生活のスキルと毎週教会に通う習慣が、村人の間では矛盾なく存在しているのだ。がらくたでできたボディに悪魔と契約して(正確にはだまして)手に入れた魂を憑依させた使い魔、クラットの造形がどれも不気味かつユーモラスで、どこか可愛らしくもあった。クラットは労働の為に作られるので、どのクラットも結構労働意欲旺盛なのがなんだかおかしい。ちょっとシュヴァンクマイエルの作品を思い起こさせるような造形だった。
 土着の魔術がうごめく世界の中で、リーナとハンスの片思いはひたすら報われない。2人とも一途なのだが、彼らの望みは悪魔も魔術もかなえることができないのだ。リーナが恋敵を殺そうとして土壇場で逆に助けてしまう姿には、民話ではなく今の感情の生々しさを見た。


蝶男:エストニア短編小説集
メヒス・ヘインサー
葉っぱの坑夫
2022-06-02





蛇の言葉を話した男
アンドルス・キヴィラフク
河出書房新社
2021-06-26


『AX アックス』

伊坂幸太郎著
 殺し屋の「兜」こと三宅の表の顔は文房具会社の営業で、妻と一人息子の克巳がいる。そして恐妻家っぷりは息子にも呆れられている。殺し屋を引退したいと考えている兜だが、仲介業者の「医師」からは、引退費用を稼ぐためだとずっと引き止められている。依頼を順調にこなしてく兜だが、徐々に風向きが怪しくなってくる。兜と家族が織りなす連作短編集。
 『グラスホッパー』『マリアビートル』と世界設定を同じくする殺し屋三部作。本作がもっともユーモア度が高い。兜の「恐妻家」ぶりが少々前時代的で、妻の機嫌を損ねないようにやたらと気を使うのに、家事・育児には関わってこなかったのかと突っ込みたくなる。ただ、兜の妻への低姿勢は、妻が怖いというよりも自分の言動の何が身近な人を傷つけるのかよくわからない、「家族」としての身振りがいまいちピンときていない故の「学習」の過程とマニュアル作り過程であるように思えた。
 連作短編集だが、途中で意外な展開を見せ、視点ががらっと変わる。ミステリ的な仕掛けでもあるのだが、同じグループの中にいてもそれぞれの視点から見た景色は全然違うという構造が、家族という形のあり方に重なっているように思った。親の心子知らず(逆もしかり)か。知らなかったということが最後の鮮やかさに繋がっている。
 なお、殺し屋三部作を通じて、超人的に強い殺し屋もいるがいわゆるヒーロー的にかっこいい存在としては描かれない。殺しを生業としている以上何らかのペナルティは生じるし往々にして早めに死ぬ、というあたりに著者の創作の上での倫理みたいなものがあるのでは。

AX アックス (角川文庫)
伊坂 幸太郎
KADOKAWA
2020-02-21


クジラアタマの王様(新潮文庫)
伊坂幸太郎
新潮社
2022-06-27


『YURIKO TAIJUN HANA 武田百合子『富士日記』の4426日(1,2)』

水本アキラ著
 日記文学の傑作とも言える武田百合子『富士日記』。この『富士日記』を、百合子が日記を書くスピードとできるだけ寄り添うような読み方をできないかと、4426日分を最初から丁寧に読み解いていこうという試み。
 本著、いわゆる同人誌であり商業出版物ではない。個人のやる気で富士日記を1日ずつ読み解いていくという胆力がなんだかすごい。日記を書いた時の百合子の心情やその日その日の出来事と当時の時代背景、時事問題、カルチャーや日記に登場する人物が誰なのかなど、丹念に調べて解説してくれるし、あるジャンルから他のジャンルへと連想が及ぶ著者の知識量もすごい(こういう知識の連鎖、飛躍に憧れるのだがなかなか難しいよな…)。大変な力作だと思う。こうやってひとつひとつ紐解かれると、『富士日記』の凄みが更に感じられるのだ。さらっと書いたように見えるが、武田百合子の筆力というのはやはり相当だったんだとよくわかる。言葉が吟味され吟味されてのあの域。時に苛烈とも言える百合子の人となりや書くことへの葛藤があったろうことが見えてくる。
 なお本著はまだ『富士日記』完走には至っていない。シリーズ半ばだ。ぜひ完走してほしい。


新版 犬が星見た ロシア旅行 (中公文庫)
武田百合子
中央公論新社
2018-11-26



『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』

ブレイディみかこ著
 渡英後、英国で保育士として働いていた著者。20年ぶりで日本に長期滞在する間に、労働争議や保育の現場を見て回る。想像を超えるその現状と、英国との差異を記録・考察するルポルタージュ。
 英国の労働者は自分たちが労働者層であるという意識が強固にあり、どん詰まり状態でもやけくその底力で反乱を起こす傾向にある。また、本著1章で紹介されるように、労働者とやはり権利の為に戦う別の集団とが連帯することもある。一方日本だと、労働者が労働者に罵声を浴びせ連帯へとつながらない。著者はまずここにカルチャーショックを受ける。ただ、英国を上げて日本を下げるという角度で書かれているわけではない。この現場はこうなっている、という現場の観察と考察がまずあるのだ。批判はするが、何かと比較しての批判ではなく状況としておかしいという批判になっている。著者はもちろん日本で働いていたこともあるわけで、日本の組織・集団の特性も肌感覚としてわかっている。半分内部、半分外部の視線がある。日本と英国の保育行政の違いなど初めて知ることばかりで興味深かった。英国でも保育士の給与水準は低いそうだけど、保育士1人が担当してよいとされる児童数が全く違う。日本はNPO活動などが政治につながりにくい(そういう発想も余力もあまりない)というのも耳が痛い。政治にコミットする層と無関心な層がはっきり分かれてしまっている。
 それにしても、日本て基本的人権という概念が全く定着していないんだなとめまいがしてきた。自己責任てそういうことじゃないだろー!と叫びたくなる。もっと政治のせいにしていいし騒いだり暴動起こしたりしてもいいと思うんだけど。

THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本
ブレイディみかこ
太田出版
2016-09-23


『20世紀ジョージア(グルジア)短篇集』

児島康宏編訳
 20世紀初頭ロシア帝国に支配され、その後ソヴィエト連邦に組み込まれた、ソ連が崩壊する1991年までソ連の一部であったグルジア、現ジョージア。20世紀に活躍したジョージアの作家6人を選び、計12篇をジョージア語から直接翻訳した日本初の短編集。
 何しろ本邦初翻訳の作品ばかりなので、ジョージアの文学はこういう雰囲気なのかという新鮮さがあった。本作に収録された作家に顕著なのか、ジョージア文学が全般的にそういう傾向があるのかわからないが、民話的な素材、語りの印象が強い。土着の物語の匂いが濃厚なのだ。また、語りの視点がいわゆる「神の視点」的なものかと思って読んでいたらいきなり「私」が登場して主人公に絡み始めたりと、支店の高さの高低移動が急だったりする。更に物語の途中で主人公とは全然違う人の話が混入したりと、文学というより、口語での伝承を文字起ししたような語りの迂回、寄り道の仕方が面白い。その中で、ノダル・ドゥンバゼ『HELLADOS』はジョージア版「少年の日の思い出」的でまとまりがいい。ジョージアの地理的、民族的な背景が垣間見えつつも、普遍的な話になっている。
 一方で、ジョージアの人々の生活、息吹きをそのまま記したようなグラム・ルチェウリシヴィリ『アラヴェルディの祭』なども魅力がある。『アラヴェルディの祭』は映画化されているそうだが、小説自体が目の前で情景が繰り広げられるような映像的な描かれ方をしている。複数の宗教、民族が入り混じった文化圏であることがわかる所も面白い。

20世紀ジョージア(グルジア)短篇集
ゴデルジ・チョヘリ
未知谷
2021-08-25


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