3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『ルクレツィアの肖像』

マギー・オファーレル著、小竹由美子訳
 16世紀イタリア、フィレンツェで栄華を極めたメディチ家の娘・ルクレツィアは、病死した姉の代わりにフェラーラ公アルフォンソ2世に嫁ぐことになった。歳の離れた夫は表面上は優しく振舞うが、ルクレツィアに求められているのは世継ぎを生むことだった。彼女は徐々に身の危険を感じるようになる。
 ルクレツィアは歴史上実在した人物だが、その生涯についてはアルフォンソ2世公に嫁いだこと、16歳で死亡し夫による他殺の噂があったという程度の僅かな記録しか残っていない。そのわずかな情報から、著者の手によって1人の女性の人生が立ち上がっていく。フィクションではあるのだがルクレツィアは本当にこのような女性だったのでは(詳しくわかっていない以上本作で描かれるような人物だった可能性もあるわけだ)と人物像の手ごたえ、生き生きとした姿が迫ってくる様が素晴らしかった。
 ルクレツィアは家族の中では重要視されていないが、優れた記憶力と観察眼、そして絵の才能を持つ。現代の視点で見たら魅力的で聡明な人物だ。しかし彼女の生きる世界では女性に対しそういった能力は求められない。健康で多産で夫に対して従順で「女らしく」あることが価値を持つ。その価値は女性本人にとっての価値というよりも、彼女を自身の財産・権力を増す為の「資産」として扱う男性にとっての価値なのだ。ルクレツィアはこういった扱いに馴染むことができない。彼女が抵抗し続け魂を削られていく様は痛ましいのだが、現代でも女性が個人として生きようとすると直面しがちな諸々の問題と重なって見えてくる。だからこそ、彼女が知恵を駆使して魂を守ろうとする姿、そしてラストの余韻が胸を打つ。

ルクレツィアの肖像 (新潮クレスト・ブックス)
マギー・オファーレル
新潮社
2023-06-29


ハムネット (新潮クレスト・ブックス)
マギー・オファーレル
新潮社
2021-11-30




『ルーティーンズ』

長嶋有著
 自転車の盗難に遭ったり、ロレックスの時計の日付変更の瞬間を見たくなったりと、ちょっとした出来事を交えつつ漫画家の「私」、作家の「俺」そして2歳の娘の生活は続く。新型コロナウイルスの感染拡大下であっても。『願いのコリブリ、ロレックス』と表題作の2編を収録。
 著者は似たような、しかし同一な瞬間は存在しないという微細な違いを積み重ねる生活の姿、ルーティンの積み重ねを、これまでの作品でも意識的に描いてきた。本作は題名がずばり『ルーティーンズ』なのだが、本作のルーティンには、ルーティンであってこれまでのルーティンとは決定的に違うというシチュエーションが描かれている。『願いのコリブリ、ロレックス』と『ルーティンズ』とは、新型コロナウイルス発生前か後かという違いがあるのだ。寝て起きて食事して働いて育児してという家族のルーティン自体は続いていく。が、彼らが投げ込まれた世界は未知のウイルス(作中時期はマスクが品薄で緊急事態宣言真っ只中の時期)と隣り合わせの世界だ。非常事態の中でも生活のルーティンは続いてしまうという、あの当時(と言えるほど過去にはなっていない、現在もその延長線上であるという実感が強い)の感覚が刻まれている。だからこそ日常が愛おしいという要素もあるにはあるが、ちょっと違う。どういう状況であれ日常は日常、生活は生活として成立してしまう、イレギュラーもルーティンに組み込まれていくということへの慄きの方が強く感じられた。あの時期の戸惑いとうっすらとした恐怖と不安が記録されている。あの時の気分を文学はどう扱うのかという課題に対する一つの答えではないか。子供を外で遊ばせる、もとい体力を消費させるのは不要不急だよ!という保護者の気持ち、近所の公園見ていても伝わってきたものだった。

ルーティーンズ
長嶋有
講談社
2021-11-09


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