エイモア・トールズ著、宇佐川晶子訳
18歳のエメットは更生施設を出所し、ネブラスカの自宅に戻った。死んだ父親の借金の為に自宅は差し押さえられ、弟ビリーと共に故郷を離れ、かつて家を出ていった母がいるというカリフォルニアを目指すことを決める。しかし同じ施設から脱走したダチェスとウーリーがやってくる。愛車のスチュードベイカーと隠していた現金を2人に奪われたエメットは、取り戻す為ビリーを連れてニューヨークへ向かう。
3人の少年の青春ロードノベルと言えるのだろうが、実は彼らの間には深い友情があるわけではない。友情はあるにはあるが、その土台にあるのは更生施設で一緒に過ごした時間だけだ。お互いにどういう素性でどういう経緯で入所したのかは、実はよくわかっていない。彼らの旅路がどうにも危ういのはそこにも一因がある。更にダチェスの突発的な行動、ウーリーの独特な行動理論がエメットの計画をどんどん崩してしまう。ダチェスは悪意はないのだが、自分の欲や思いつきの方が先行してしまう時があるのだ。彼の行動の独りよがりさは、ウーリーとは別の方向で危なっかしく痛ましさを感じた。導いてくれる人・彼自身の行動から彼を守ってくれる人がいないまま年齢を重ねてしまったということがわかるからだ。少なくともエメットには不完全ではあるが父親がいたし、ウーリーには祖父と姉がいた。そしてビリーにはエメットがいたし、”アバーナシー教授の本”があった。指針になる記憶、それはその人だけの物語と言えるのかもしれないが、それがないのは人の足元を危うくすることなのかもしれない。ビリーとユリシーズとアバーナシー教授との物語を巡るエピソードは、自分の人生を物語に重ねることの力を見た。