3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『リンカーン・ハイウェイ』

エイモア・トールズ著、宇佐川晶子訳
18歳のエメットは更生施設を出所し、ネブラスカの自宅に戻った。死んだ父親の借金の為に自宅は差し押さえられ、弟ビリーと共に故郷を離れ、かつて家を出ていった母がいるというカリフォルニアを目指すことを決める。しかし同じ施設から脱走したダチェスとウーリーがやってくる。愛車のスチュードベイカーと隠していた現金を2人に奪われたエメットは、取り戻す為ビリーを連れてニューヨークへ向かう。
 3人の少年の青春ロードノベルと言えるのだろうが、実は彼らの間には深い友情があるわけではない。友情はあるにはあるが、その土台にあるのは更生施設で一緒に過ごした時間だけだ。お互いにどういう素性でどういう経緯で入所したのかは、実はよくわかっていない。彼らの旅路がどうにも危ういのはそこにも一因がある。更にダチェスの突発的な行動、ウーリーの独特な行動理論がエメットの計画をどんどん崩してしまう。ダチェスは悪意はないのだが、自分の欲や思いつきの方が先行してしまう時があるのだ。彼の行動の独りよがりさは、ウーリーとは別の方向で危なっかしく痛ましさを感じた。導いてくれる人・彼自身の行動から彼を守ってくれる人がいないまま年齢を重ねてしまったということがわかるからだ。少なくともエメットには不完全ではあるが父親がいたし、ウーリーには祖父と姉がいた。そしてビリーにはエメットがいたし、”アバーナシー教授の本”があった。指針になる記憶、それはその人だけの物語と言えるのかもしれないが、それがないのは人の足元を危うくすることなのかもしれない。ビリーとユリシーズとアバーナシー教授との物語を巡るエピソードは、自分の人生を物語に重ねることの力を見た。

リンカーン・ハイウェイ
エイモア トールズ
早川書房
2023-09-05




『良妻の掟』

カーマ・ブラウン著、加藤洋子訳
 ニューヨークの出版社に勤めていたアリスは仕事をやめて夫ネイトと郊外の一軒家に引っ越してきた。ネイトは郊外での生活や古い家のリフォームにやる気満々だが、アリスは気が乗らない。ある日前の住人が残していった料理本と未投函の手紙を見つけ、その内容に惹きつけられてく。かつてこの家に暮らしていたネリーとリチャード夫婦。ネリーは庭仕事と料理が得意で、子供を待ち望む夫との関係も良好に見えたが。
 各章の冒頭に、昔の「良妻指南」マニュアル本からの抜粋が引用されているのだが、あの時代に生きていなくてよかった~と深く思うくらい地獄みが強い。妻は結婚した以上、自分の欲望は押し殺してよき妻・母として生きる他認められる道がない、夫の所有物なのだとでも言わんばかりの内容だ。ネリーが生きていたのはそういう時代で、彼女も「リチャードの妻」として生きようとする。夫婦がお互い尊重して愛し合っており、対等な話し合いができれば「妻」として生きるのも悪くないだろう。しかしリチャードの優しさには徐々にほころびが見えてくる。ネリーが追い詰められていく様は家庭内サスペンスと言ってもいい。
 一方、アリスの夫ネイトはさすがにそこまで無理解ではない。しかし彼には彼で一見理解があるようでいて身勝手、無頓着さがある。そこ話し合って~!と何度も突っ込みたくなってしまった。少なくともリフォームについてはもっと下調べしておいた方がいいよ!それほど安上がりではないよ!ただアリスはアリスで訳ありなので、それを話し合えなかった時点でこのカップルはあまり長続きしないのではという気も。
 アリスの事情を色々と盛り込みすぎで、ストーリー構成上さばききれず中途半端になっている所もあるのだが、ミステリ的要素もあり面白い。アリスが50年代カルチャーにのめりこんでいく姿はこれまたちょっとホラーっぽい。ネリーのある意志が彼女に乗り移っていくようにも見えるのだ。ただ、この部分も少々不消化でサスペンス方向に舵を切るのかどうかどっちつかず感はあった。

良妻の掟 (集英社文芸単行本)
カーマ・ブラウン
集英社
2022-12-15


ゴーン・ガール 上 (小学館文庫)
ギリアン・フリン
小学館
2016-03-18




『理由のない場所』

イーユン・リー著、篠森ゆりこ訳
 16歳の息子ニコライが自殺した。母親である「私」はもう存在しない息子との対話を続ける。言葉遊びや反抗期の子供らしい皮肉を交えつつ、2人の対話は季節を越え続く。
 「私」とニコライの対話にはしばしば言葉遊びが交えられる。小説家である「私」は言葉に敏感であり、ニコライもまた「私」の使うちょっとした言い回しや単語に素早く反応し、往々にして攻撃する。母と子という立場の違いと合わせ、「私」は中国からの移民であり英語はネイティブではない、たいしてニコライはアメリカで生まれ育った英語ネイティブ。母親の英語の発音がおかしいと指摘することもある。親子という関係とは別に、ここには文化的なギャップがあるのだ。
 ニコライは時に手厳しく母親を非難し、反発する。2人の対話は続くが、この対話をしているニコライはもちろん、「私」の頭の中にあるニコライだ。こういうことを言ったらニコライはこう反応するであろう、こういう理屈を持ち出すだろう、という想像でしかないとも言える。しかし「私」の脳内であっても「私」とニコライの対話は平行線を辿り、愛情は合っても理解し合っているとは言えない。ニコライがなぜ自殺をしたのかも言及されることはない。「私」はもちろんなぜなのか考えに考えたのだろう。ただ、対話相手としてのニコライがそれを明かすことはなく、「私」にとってわからない部分を残した存在であり続ける。永遠に謎のままで、「私」はこの先もその謎を問い続けなくてはならないというのがとても辛い。終わりがないのだ。「私」はそこから逃げるつもりも終わらすつもりもないのだろうが、そこがまた辛い。

理由のない場所
リー,イーユン
河出書房新社
2020-05-19


黄金の少年、エメラルドの少女 (河出文庫)
イーユン リー
河出書房新社
2016-02-08


『リンドグレーンと少女サラ 秘密の往復書簡』

アストリッド・リンドグレーン、サラ・シュワルト著、石井登志子訳
 『長くつ下のピッピ』や『やかまし村のこどもたち』等、世界中で愛される作品を生み、20世紀を代表する児童文学作家であるリンドグレーン。彼女の元には多くのファンレターが寄せられるが、その内の1人、サラ・シュワルトとは文通が続いていた。サラが13歳の頃から成人するまで、80通を超える手紙をまとめた往復書簡集。
 リンドグレーンは基本的にファンとの手紙のやりとりはしない(きりがないものね)方針だったそうだが、サラとは他の読者には秘密という条件で文通が続いていた。当時のサラは家庭や学校で問題を多々抱えていた。支配的な父親とそれに全く反抗できない母親への怒りと苛立ちが痛々しい。リンドグレーンは彼女の文章力や聡明さに興味を持ったというだけではなく、放っておけなかったのかもしれない。最初は感情だだ漏れという感じだったサラの手紙がどんどん知的な(最初からかなり知的ではあるのだが)ものになり、深い思考を表現するようになる。彼女の成長のスピードが手に取るようにわかってとても面白い。そして、サラに対しあくまで対等に、危なっかしさを懸念しつつも絶対に否定はしないリンドグレーンの一貫した態度にも唸った。お説教めいたこと(流石に時代を感じる内容もある)を書く時には、サラの自尊心を傷つけないよう非常に気を付けた表現をしているし、自分は同意しかねるということにも、はっきりとダメ出しはしない。大人としての分別と対等な友達としての誠実さのバランスがとれている。2人は実際に会うことはなかったそうだが、こういう形の友情もあるのだ。

リンドグレーンと少女サラ――秘密の往復書簡
アストリッド・リンドグレーン
岩波書店
2015-03-19


リンドグレーンの戦争日記 1939-1945
アストリッド・リンドグレーン
岩波書店
2017-11-18




『隣接界』

クリストファー・プリースト著、古沢嘉通・幹遥子訳
 フリーカメラマンのティボー・タラントは、トルコのアナトリアで反政府主義者の襲撃により、看護師として派遣されていた妻・メラニーを失う。ロンドンに戻る為に海外救援局(OOR)に護送されるタラントだが、道中、政府機関の職員だという女性フローと交流する。やがて彼を不可解な事象が襲い始める。
 第一次大戦中に軍から秘密任務を依頼される手品師、第二次大戦中に女性飛行士に恋するイギリス空軍の整備兵、夢幻諸島で興業を試みる奇術師、そして同じく夢幻諸島で一人暮らす女性。様々な世界がタラントの旅路と並行して語られる。時代も場所もバラバラだが、戦争、飛行機、離れ離れになる男女等、登場するモチーフがどこかしら似通っている。そして似通ってはいるが完全には重ならずどこかずれている。それら平行世界が時に隣接し干渉するようなのだ。タラントの世界認識は海外生活をしていたギャップ、そして世界情勢の不安定さにより最初からあやふやなのだが、平行世界の気配により更にあやふやになっていく。それぞれの章に登場する人物やモチーフは、著者の過去作品でも使われたものでもある。これはプリーストユニバースとでも言えばいいのか。

隣接界 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
クリストファー プリースト
早川書房
2017-10-19


〈プラチナファンタジイ〉 奇術師 (ハヤカワ文庫 FT)
クリストファー・プリースト
早川書房
2004-02-10







『リラとわたし ナポリの物語Ⅰ』

エレナ・フェッランテ著、飯田亮介訳
 リラが姿を消したと、彼女の息子から電話が入った。長年の友人である私の元に彼女がいるのではと疑ったのだ。リラと私は6才の時に出会い、私は彼女の個性と才能を羨みつつも憧れ、以来ずっと友人同士だった。
 アメリカとイタリアでミリオンセラーになったそうだが、確かに面白く納得。いわゆる派手で展開の速いエンターテイメント小説ではないが、「私」とリラが成長し変化していく、2人の関係も変わっていく様にぐいぐい読まされた。大きな物語の流れというよりも、「私」の内的な変化と外的な変化の軋轢、小さな緊張感のようなものに惹かれる。「私」が自分を取り囲む物事の様々な様相に気付いていくが、リラはその触媒のような存在でもあり、一番近い他者とも言える。そしてその様相が何を意味するものだったのか、成長するにつれ気付き、解釈が変わっていく過程にはどこか痛みもある。子供時代の火花のような強烈なきらめきは消えてしまう。しかし成長する、大人になるということは、また別の世界が見えてくるということでもあるのだ。
 「私」はリラの頭の良さや文才に憧れ、何とか彼女に追いつこうとする。しかしリラは、「私」が並ぼうとするとすぐに別のレベルに移動してしまう。友人と言っても近くて遠い。どんどん美しくなるリラは、やがて「私」とは別の世界を生きるようになる。一つの感情では表しきれない、その距離感の描き方が巧みだった。





『リプリーをまねた少年』

パトリシア・ハイスミス著、柿沼瑛子訳
いくつかの殺人をおかしながらも、パリ郊外の屋敷で妻と悠々自適に暮らしているトム・リプリー。彼の前に家出少年のフランクが現れる。フランクは実はアメリカの億万長者の二男だったが、父親を殺したと告白するのだ。トムは戸惑いつつも、少年とベルリンに旅立つ。しかし旅先でフランクが誘拐されてしまう。
シリーズ1作目から比べると、いやーお金の余裕は心の余裕なんだなーとしみじみ感じる。『太陽がいっぱい』の頃のトムだったら、むしろ自分が誘拐犯になって身代金の要求してたよね!トム、お前丸くなったな!トムとフランクの間には疑似父子とも恋人ともつかないような情愛が通ってくるが、それをトムが悪用しないあたり、やはり大人と子供という一線は弁えている。ともするとフランクに振り回されているようにも見えるあたり、新鮮だ。父親殺しの罪悪感で押しつぶされそうなフランクを、トムは立ち直らせようと尽力する。過去は忘れろ、新しい人生を生きろと説得するのだ。しかし、彼の言葉はフランクに本当の意味では届かない。フランクは自分の魂、自分の過去への忠実さ、責任を捨てることは出来ないのだ。自分自身に対する誠実さがあるとも言える。また、フランクがそういう人柄でなければ、トムが強く惹かれることもなかっただろう。この関係、『贋作』のバーナードとの関係も彷彿とさせる。トムは自分にないものを持つ人に惹かれるが、それゆえに関係は長くは続けられない。哀切、かつどこか尻切れトンボ的なラストは、トムがフランクに対して手を繋ぎきれなかった後悔、そして所詮自分にはわからない存在だという諦めをにじませるものだった。

リプリーをまねた少年 (河出文庫)
パトリシア ハイスミス
河出書房新社
2017-05-08


テリー ホワイト
文藝春秋
1991-09

『緑衣の女』

アーナルデュル・インドリダソン著、柳沢由実子訳
 工事現場で人間の骨のかけらが発見された。事件か事故かはわからないが、最近埋めたものとは思えなかった。かつて現場近くにはサマーハウスがあり、戦争末期に駐在していたイギリス軍やアメリカ軍のキャンプもあったらしい。捜査官エーレンデュルは被害者はこの付近に住んでいたのではと仮定し、昔を知る人への聞き込みを続ける。ある住民から、現場近くで緑色の服を着た女を見かけたという証言が得られた。彼女は事件の関係者なのか。
 エーレンデュルたちの捜査に派手さはなく、地道な情報収集を重ねていく「仕事」っぽさがいい。また、捜査官それぞれの仕事外の顔も描かれ、決して模範的とはいえない所も人間味がある。エーレンデュル自身は娘との確執を抱え、立ちすくんでいる状態だ。彼は子供達が幼い頃に離婚し、交流は途絶えていた。自分がなぜ妻子を置いていったのか、自分は娘に対してどんな感情を抱いていたのか、彼が少しずつ自覚していく様が胸を打つ。また、エーレンデュルはアイスランドの失踪者についての本を何冊も読んでいるのだが、その理由がわかる部分は痛切。
 捜査と並列して、ある家庭の様子が描かれるが、これがかなりしんどかった。DVの恐ろしさとそれに対する怒りが深く感じられる。物理的な暴力はもちろんなのだが、相手の尊厳、自己肯定感を奪い、本当に何もできない人にしてしまうところが、より恐ろしい。

『猟犬』

ヨルン・リーエル・ホルスト著、猪股和夫訳
17年前に起きた若い女性の誘拐殺人事件で有罪の決め手となった証拠品は、ねつ造されていた疑いが生じた。当時捜査の指揮をとっていた刑事ヴィスティングは責任を取って停職処分に。ねつ造は事実なのか?だとしたら誰がやったのか?一方、ヴィスティングの娘で新聞記者のリーネは、男性が殺害された事件を追っていた。被害者の自宅を訪問した際に、リーネは覆面の男と鉢合わせしてしまう。ガラスの鍵賞、マルティン・ベック賞、ゴールデン・リボルバー賞の3冠を受賞したとの触れ込みだが、受賞も納得。一気読みしちゃう系の面白さ!中盤まではヴィスティングとリーネのパートが交互に配置されており、それぞれの事件の展開から目がはなせない。連続ドラマっぽい引きの強さがある。と言っても、そんなに華やかというわけではない。ヴィスティングはメディアに露出はするが目立ちたがり屋ではなく、私生活もそんなに派手ではない。何より有能な刑事ではあるが、見落としや間違いもあり得ることを自覚している。だからこそ証拠捏造を疑われ落ち込み、深く悩むのだ。この地に足の着いた感じが、事件や犯人像の派手さを緩和し落ち着いたものにしていると思う。
ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ