3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ラスト・ストーリーズ』

ウィリアム・トレヴァー著、栩木伸明訳
 センスはあるが手癖の悪い少年にレッスンするミス・ナイチンゲール(「ピアノ教師の生徒」)、かつて友人同士だったがある出来事により決別した2人の女性(「カフェ・ダライアで」)、記憶障害をもった絵画修復士と娼婦が出会う(「ジョットの天使たち」)。人の生の陰影を繊細に描く10篇を収録した著者最後の作品集。
 トレヴァーの作品、ことに短編は当たりはずれが少なく常に一定のクオリティを維持しているという印象があるが、この作品集も同様。どの作品も人生の日陰の部分に触れるような、ひやっとした手触りで油断できない。ちょっといい話になるのかと思いきや、放り出されるような心もとなさが漂う。本作に収録された作品にはしばしば、最初の章で「男/女」など漠然とした呼称で表されていた人物が、次の章では固有名詞を与えられ、さっきのあの人物はこの人のことだったのか、と腑に落ちるという構造が使われている。起きている事柄のあちら側とこちら側、複数の面が見えてきて全体像が浮かび上がってくるという、それゆえにそれぞれの側からの誤解やすれ違いも露わになる。この構造の完成度が特に高いのが「ミセス・クラスソープ」だろう。彼女がどういう人だったのか、周囲が思いをはせるのは彼女が消えてからなのだが。いなくなって初めてその人のことを考えるというと、「身元不明の娘」も同様だろう。こちらはもっと痛ましいシチュエーションだが、ろくに知らない相手に対して痛ましいと思うのはおこがましいのではという思いにもなる。
 個人的に好きな作品は「冬の牧歌」。ベタなラブロマンスが展開しそうなところ、どんどん温度が下がっていく。男女の心が離れていく様と同時に、ある場所でしか成立しない感情・関係の儚さとそれ故の忘れ難さが印象に残った。風景描写がとても美しく、確かにこの場所でならそういう気持ちになるか…という説得力がある。また「女たち」は少女と中年女性2人との、はっきりしているようなしていないような関係性のぼかし方でどこか不穏。女子学生たちのやり取り(あの本はつまらなかった、これは面白かったんなど)が生き生きしていているのも楽しい。

ラスト・ストーリーズ
トレヴァー,ウィリアム
国書刊行会
2020-08-09


アイルランド・ストーリーズ
ウィリアム・トレヴァー
国書刊行会
2010-08-27




『ライフ・アフター・ライフ』

ケイト・アトキンソン著、青木純子訳
 1910年2月10日、大雪の夜にアーシェラ・ベレスフォード・トッドは生まれた。しかし医者の到着が遅れ、そのまま急逝する。しかし同じ年月日、アーシェラは生まれ今回は無事危機を乗り切る。その後も海で溺れたたり、スペイン風邪にかかったり、空襲に遭ったりと様々な形・年齢でアーシェラは死ぬがまた生まれ、時にデジャブを感じながら再び人生を送る。
 作中では精神医の口から輪廻転生という言葉が出てくるが、アーシェラの生きなおしは、ある人生の微妙に違うバージョンが積み重ねられていくという感じ。ベースのアーシェラとその人生は同じで、毎回ちょっとづつ変更が加えられている。彼女の家族や周囲の人たちも基本的な構成は同じで、何度繰り返しても変わらない運命もある。アーシェラは生まれてすぐ死んだり、幼少時に死んだり、若い盛りに死んだりする。初期バージョンのアーシェラは自分の意志や個性を表に出さない、「古風」な女性として生きる。が、バージョンが進むにつれ、家族や世間の抑圧から離れ、自立した生き方を選びとるようになる。アーシェラ自身に転生している自覚はないが、前回できなかったことを今回やる、みたいな傾向はある。どんどん劇的な人生になっていくあたりは(第二次世界大戦が背景にあり、あの独裁者も登場するという事情から)小説の醍醐味でもあるが、ちょっとやりすぎかなという気もする。その人生にたどり着くまでのバージョンアップのように読めてしまうので。
 どのアーシェラが最後まで生き延びるのか、どのアーシェラが人生に成功、ゴールするのかという視点で読んでしまいそうになるが、どれか一つが成功ということではないだろう。彼女の人生はどれも並列して同等に価値ある、それぞれのバージョンの彼女だけの人生だ。繰り返す人生を描くことで、逆に人生が一度きりであることが浮かび上がってくる。

ライフ・アフター・ライフ (海外文学セレクション)
ケイト・アトキンソン
東京創元社
2020-05-29





恋はデジャ・ブ (字幕版)
Stephen Tobolowsky
2013-11-26


『楽園の世捨て人』

トーマス・リュダール著、木村由利子訳
 カナリア諸島のフエルテヴェントゥラ島。海辺に遺棄された車から、およそ三カ月の男の子の餓死死体が発見された。タクシー運転手兼ピアノ調律師のエアハートは、警察が事件をうやむやにしようとしていると知り、何かに掻き立てられるように事件の真相を調べ始める。
 舞台はカナリア諸島だが、優れた北欧ミステリに授与されるガラスの鍵賞受賞作。著者はデンマーク人で、主人公のエアハートはデンマークからスペインへの移住者なのだ。島ではどこか「よそ者」感ぬぐえないエアハートの立ち位置が、事件を探る探偵役としての視線に繋がっているように思った。しかしこの探偵役、あまりにも危なっかしい。1章に1回くらい、えっちょっと落ち着いて行動しては・・・とたしなめたくなるような突飛な行動に出る。その行動は絶対裏目に出るぞ!と読んでいて思うし実際負のスパイラルでエアハート自身にも収拾がつかなくなっているのだが、なぜそうしてしまうのか、という部分について具体的な説明はない。彼の推理や行動は、多分に「こうあってほしい」というフィルターがかかっているものだ。恋人たちには愛し合っていてほしい、母親は子供を愛しいつくしんでほしいと言うように。それは自己満足的なものでもあり、危なっかしい。彼は世捨て人のように生きているが、まだ悟りの境地には程遠く、失ったものを諦めきれず、未練たらたらなのだ。彼の未練に物語自体が引き回されているようだ。

『ラスト・ウェイ・アウト』

フェデリコ・アシャット著、村岡直子訳
 テッド・マッケイは脳腫瘍を苦に自殺を企てる。拳銃を頭にかまえた時、玄関の扉が激しく叩かれる。訪問者の男・リンチは、ある組織からテッドに依頼があると言う。その依頼内容とは、テッドと同じような自殺志願者を殺してほしいというものだった。
 テッドが奇妙な出来事にどんどん巻き込まれていく、と思ったらえっそっちのジャンル?!しかし更に読み進めるといややっぱりそっち?!という風に、どんどん変容していく小説で、先が気になり大変面白い。何を言ってもネタバレになりそうで困るなぁ。語りのレイヤーや伏線の置き方等複雑な部分もあり、何度もページを逆走して確認したりもしたのだが、その煩雑さも気にさせない、一種のノリの良さみたいなものがある。途中で登場してくるローラという女性の造形がなかなかよかった。野心家ではあるが、ちょっと専門バカみたいな所があり、駆け引きはするが悪女というわけではないという、紋切型ではない具体性がある。もっとも彼女に限らず、登場人物にしろその場の情景にしろ、描写は具体的でディティールが細かい。そんな中、テッドという人の個性はいまひとつ掴めないまま話が進む。しかしこれも作者の企みのうちだろう。最後まで気を抜けない。
 

『ラスト・ウィンター・マーダー』

バリー・ライガ著、満園真木訳
父親である殺人鬼ビリーを追い、連続殺人を阻止しようとするジャズは、トランクルームに閉じ込められ意識を失う。目覚めると、そばには2つの遺体。このままでは自分が容疑者になると考えたジャズは何とか脱出しようとする。一方ジャズのガールフレンド・コニーは、ビリーに捕えられていた。『さよなら、シアルキラー』『殺人者たちの王』に続く、3部作完結編。1作目、2作目以上にジャズは追い詰められており、彼が一線を越えてしまうのではないかとずっとハラハラさせられる。息苦しくスリリングなので、もう大変!そして終盤になるにつれ更に大変になる。ジャズは親のやったことも、いわゆる肉親の絆も否定していく。確かに親子は親子だが、それ以前に個人と個人であり、別の人間だ。それは、ジャズとコニーの関係にも言える。黒人であるコニーの父親は白人に対して不審感があり、ジャズとコニーの交際にもいい顔をしない。しかし、白人/黒人である以前にジャズはジャズで、コニーはコニーだ。あなたはあなただということ、人はそれぞれ個人であり、隷属したりくくられたりされなくていいんだということが、ジャズの葛藤を通して何度も語られているように思った。

『楽園のカンヴァス』

原田マハ著
2000年の日本。大原美術館の監視員、早川織絵は、突然ニューヨークのニューヨーク近代美術館との交渉役に抜擢される。彼女を指名したのはティム・ブラウン。1983年、ティムはスイスの富豪バイラーの屋敷に招かれる。織絵も新進気鋭の研究者として招かれていた。そこで見たのはアンリ・ルソーの大作「夢」と非常に似た作品だった。これはルソーの未発見作品なのか、それとも贋作なのか。バイラーは正しく真贋判定した者に作品を譲ると言い、手掛かりだという古書を読ませた。古書に記されたフィクションともノンフィクションともつかない物語が挿入されつつ、ティムが絵画の謎に迫っていく。キュレーターの仕事や美術館、日本における展覧会開催システムなど、実在の美術館や美術作品を交えたディティールが面白い。が、肝心の絵画の謎があんまり・・・。最後の方は後出しジャンケンみたいだった。ルソー作品の魅力の表現もどうも月並みでぱっとしない。ルソーについてそんなに詳しくない読者にはちょうどいいのかもしれないけど、多少美術を好む読者には物足りないのでは。そういえば著者の『キネマの神様』を読んだ時も、映画批評について同じようなことを思ったなぁ。
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