3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『夜明けのすべて』

瀬尾まいこ著
 PMSで怒りや苛立ち等の感情が抑えられなくなる美紗は、それが原因で就職して間もない大手企業を退職することになった。活発で仕事熱心だった山添はパニック障害を発症し、仕事を辞めざるをなくなり恋人とも別れ、家族にもそれを言えずにいえる。2人は転職先の小さな企業で出会い、お互いが抱える困難を知るうち、少しずつ助け合うようになる。
 美紗のPMSも、山添のパニック障害も、一見してわかりにくい病気であり、周囲から理解されにくい。2人を近づけるのはこの理解されにくさだ。美紗はパニック障害に詳しいわけではないし、山添もPMSのことはよく知らない。しかしこの人は困っているんだなということはわかり、何をどう困っているのか、何か周囲が手助けすることはできるのかと考えるようになる。それぞれの弱い部分が呼応するというか、自分が困難さを持っているから相手の困難さにも考えが及ぶのだ。そして本作のいい所は、この2人の間に何か特別な絆や愛情があるわけではない、恋愛関係にも大親友にもおそらくならないという所にある。そもそも性格が合うわけでもないし共通の趣味があるわけでもない。単に同僚だというだけだ。そういう関係性であってもお互いを思いやり協力する、仲間になることができる。自分の全部で相手に尽くさなくても、部分的な関わりであっても人と人は信頼し合えるし助けあえるという、緩いが誠実な友愛の在り方に人間の善性が感じられる。著者の作品は基本的に善人ばかり出てくる(から物足りない、退屈である)という指摘はあるだろうが、あえてそのような人間の在り方に賭けたと言う方が正しいだろう。

夜明けのすべて
瀬尾まいこ
水鈴社
2020-10-22




『妖精・幽霊短編小説集 『ダブリナーズ』と異界の住人たち』

J.ジョイス、W.B.イェイツほかチョア、下楠昌哉編訳
 ジョイスの『ダブリナーズ』はアイルランドの首都ダブリンで生活する様々な人々を描いた短篇集。この『ダブリナーズ』の中から幽霊譚、怪異の気配のするものを選び、19世紀末から20世紀初めに書かれた妖精・幽霊譚と並べて編纂したアンソロジー。
 アイルランド、イングランドの妖精・幽霊話のアンソロジーならまあまあ普通にありそうだが、そこに『ダブリナーズ』を持ってくるという発想の自由さというか趣味色の強さが本作の味わい。これは平凡社ライブラリーならではの企画だろうし本レーベルのアンソロジーへの信頼度は更に上がった。『ダブリナーズ』実は未読なのだが、何しろ『ユリシーズ』のイメージしかないのでジョイスってこんなわかりやすい小説も書いていたのか!という驚きがあった。ジョイスへの補助線になりつつ、アイルランドの歴史や文化、そしてもちろん幽霊・妖精物語の一環として楽しんだ。歴史的な背景をある程度把握していないとその怪異の意味を捉えにくくなる、見落としてしまうというのは、やはり幽霊も妖精も人間の営みの中で生まれた(というより名付けられた)ものだということだろう。ただ、たまにそういった人間の文脈と全く関係ないように見える、異物感のある話が混じっているという所がまた面白い。『夜の叫び』などは編者が指摘している通りホラー小説としては底が抜けている類のものだし、そもそもアイルランドもイングランドも関係ないな!という珍作。そういう作品をあえて含むというのも本アンソロジーの味か。


ダブリナーズ (新潮文庫)
ジェイムズ ジョイス
新潮社
2009-03-02


『夜の潜水艦』

陳華成著、大久保洋子訳
 画家で詩人の陳透納は、子供の頃病的な妄想癖があった。想像の中で絵の中の世界を歩き回り、ベッドや勉強机は潜水艦になって海中を旅するのだ。しかし学校の成績は落ちる一方で両親は心配する(「夜の潜水艦」)。竹峰寺を訪れた僕は子供の頃の出来事や寺の人たちとの交流を思い出す。寺にはかつてヒオドシチョウの碑があったそうで、寺の慧航さんはずっとそれを探していたという(「竹峰寺」)。8編を収録した短篇集。
 いきなりボルヘスのエピソードから始まる表題作に引き込まれた。メインは陳透納が残した手記から成るという構成なのだが、妄想の世界にすぐに入ってしまう、そして妄想が具体的で精緻な様はわかる!と共感するところもありちょっと怖くなるところもある。自分の想像の世界が楽しすぎて生身の生活・人生はおろそかになってしまうという危うさの描写が上手い。彼はある時点で生身の人生に着地していくのだが、それと同時に手放してしまうものがあるという普遍的な切なさも描かれており、その切なさが彼の妄想力をあまり特異なものに感じさせないのではと思った。そしてその妄想が思わぬ形で現実と接続するという余韻が素晴らしい。妄想なくては生きられない者たちにとってのささやかな励ましのようだった。
 収録された作品は現代を舞台にしたもの、中国の伝統的文化を踏まえたもの、またロシアを舞台にしたものとバラエティに富んでいる。ただ、どの作品も子供の頃の記憶を辿るようなノスタルジーや、人の記憶があちこちに飛びがちなように語りがスライドしていく感じがある。あえてインパクトを残さないというか、淡く消えていくような余韻を意識して構成されているように思った。

夜の潜水艦
陳 春成
アストラハウス
2023-05-27


時のきざはし 現代中華SF傑作選
滕野
新紀元社
2020-06-26


『四つの署名』

コナン・ドイル著、駒月雅子訳
 退屈していた名探偵シャーロック・ホームズの元に、奇妙な依頼が舞い込む。相談者であるメアリー・モースタン嬢の元に、ここ毎年大きな真珠が送られてくるのだが、その送り主から呼び出されたというのだ。ホームズとワトスンはモースタン嬢に付き添い、送り主に指定された場所に同行する。
 説明無用の名探偵シャーロック・ホームズシリーズの長編(といってもそんなに長くないが)。子供の頃に読んで以来、久しぶりに読んだのだが、記憶の中の本作よりも面白い!子供の頃はなぜか暗くておどろおどろ話だという印象が強かったのだが、これは終盤の過去パートの印象だったのだろう。今読むと多少時代背景についての知識も得ているので、大英帝国側から見るとこういう感じなのかまた違った印象を受けた。何より、こんなに冒険小説的に動きのあるストーリーだったとは。謎解き要素よりも、ホームズたちが具体的に体をはって活躍するパートの方が華があって楽しい。よじ登ったり飛び上がったり、追跡劇やカーチェイス的なものまで盛り込まれており、結構動きが激しい。ストーリー展開のテンポもよくてぐいぐい読める。終盤の過去説明で逆にスピードが失われて停滞するように感じるくらいだ。
 ワトソンとメアリーのなれそめ話でもあるのだが、好ましい女性像の面白みのなさはやはり時代の限界か。なお、ホームズの可愛げ・稚気が発揮されているくだりが多く、こういうところも長年ファンを作り続けてきた(出版当時の読者がこういう部分に魅力を感じていたのかはわからないが)要因なのだろう。


『ヨーロッパ・イン・オータム』

デイヴ・ハッチソン著、内田昌之訳
 パンデミックの影響で、様々な派閥によるマイクロ国家が乱立しているヨーロッパ。ポーランドでシェフとして働いているルディは、マフィアから奇妙な依頼を受ける。国境を越え、聞いてきた数字を伝えるだけでいいというのだ。しかしそれは謎の組織“クオール・エ・ボウ”(森林を駆ける者)へのリクルート試験だった。
 「ジョン・ル・カレとクリストファー・プリーストが合作した作品」と評されたそうだが、確かにル・カレっぽくはあるかもしれない。「特派員(ストリンガー)」「ピアニスト」等の符丁はスパイ小説のパロディのようだし、実際作中でジョン・ル・カレの作品に出てきそうだと突っ込まれている。そしてSFぽさについては個人的にはプリーストよりもチャイナ・ミエヴェルの某作品を連想した。概ねルディ視点で物語は進むのだが、クオールの工作員となった後も、彼は自分が何の為に動いているのか、何に巻き込まれているのかわからないままだ。読者に対しても状況理解の為の手がかりはほぼ提示されないので、ルディと一緒に引き回される。その中で、彼が生きているのはどういう社会なのかが見えてくる。ヨーロッパはどんどん細分化されて小さな衝突が頻発し、EUはまだ存続しているものの、その存在意義は大分薄くなってきているようだ。本作が書かれたのは2014年なのだが、ブリグジットがまさかの実現、更にエリザベス女王の死に伴ってスコットランド、アイルランドの独立志向が高まるのではとささやかれる現在では、奇しくも未来を先取りしてしまったようにも読める。その一方で、様々な境界が増えていく世界の中で、それでも越境を志向しタフに生き抜く人たちの存在が、本作の黄昏感を薄めている。

ヨーロッパ・イン・オータム (竹書房文庫)
デイヴ・ハッチンソン
竹書房
2022-06-30




『夜の獣、夢の少年(上下)』

ヤンシー・チュウ著、圷香織訳
 英国人の老医師の元で働いていた少年レンは医師の死後、彼の知人だったウィリアム医師に託される。ウィリアム医師の小間使いとして働き始めたレンだが、老医師とある約束をしていた。一方、母親の借金返済のためダンスホールで働くジーリンは、客の落とし物を拾う。それは指の標本だった。ジーリンは不思議な夢を見るようになる。
 1930年代、英国統治下のマレーシアを舞台としたファンタジー。中国の伝統と現地の言い伝え、それにヨーロッパの文化が絡むというエキゾチックな雰囲気を醸し出している。と同時に、英国人と現地人の関係が対等ではないこと、特に現地の女性が英国人から軽く見られている様子が背景にあるので、ロマンティック一辺倒というわけにはいかない。ウィリアムの悪癖も、植民地におり現地女性が相手だからやったという側面が少なからずあるだろう。
 人虎が若い女性を襲っているという噂や、持ち主の望みをかなえるという指、そしてレンとジーリンが夢の中で告げられる5種の徳を象徴する5人。レン、ジーリン、シンらの運命が少しずつ重なっていく。魔術的な謎に加え、古典的ともいえるジーリンのロマンスと、当時の女性、特に儒教文化圏の女性につきまとう人生の困難さが印象に残る。呪物の由来や決着のつけ方がいまひとつぼんやりとしているのだが、呪いや魔法はそもそもそういうものだという話か。ラストもちょっとすっきりしない、続編を作ろうと思えば作れそうなもの。

夜の獣、夢の少年 上 (創元推理文庫)
ヤンシィー・チュウ
東京創元社
2021-05-10


夜の獣、夢の少年 下 (創元推理文庫)
ヤンシィー・チュウ
東京創元社
2021-05-10


『ヨルガオ殺人事件 上、下』

アンソニー・ホロヴィッツ著、山田蘭訳
 クレタ島でパートナーとホテル経営に励む元編集者の”わたし”ことスーザンの元を英国から裕福な夫婦が訪ねてくる。彼らが経営する高級リゾートホテルで8年前に起きた殺人の真相を、ある小説の中で見つけたと彼らの娘が話し、その後失踪したというのだ。その本とはスーザンが編集担当だった「名探偵アッティカ・ピュント」シリーズの一冊だった。夫婦は本のことをよく知るスーザンなら、娘の身に何が起きたのかわかるのではと、捜査の依頼に来たのだった。
 『カササギ殺人事件』の続編となる本作も、作中作が単独のミステリ小説として楽しめる、かつその中に事件解決のヒントが隠されているという構造。前作よりも作中作は短めなのだが、長さへの言及もちゃんとスーザンの口からなされるという丁寧さ。本作、伏線の敷き方と回収の仕方がいちいち丁寧で、ここちょっと変だな、何かありそうだなという所は、本命の伏線であれ「赤い鰊」であれ、いずれ解が提示されるので安心だ。おぼろげに真犯人の見当がついたとしても、ではあの人のあの行動、あの現象は一体何だったのか?というところもいちいち説明される、痒いところに手が届く謎解き。
 ただ、謎解き部分の精度は高いのだが、すごく面白い、後々まで印象に残るかとそうでもないというのが微妙なところ。面白いのは確かなのだが、犯人を知りたいということ以上のフックに乏しい。自分がミステリ小説に求めるものが本作の資質とはちょっと違うのだろう。今回何が衝撃だったって、前作『カササギ殺人事件』の内容を全く思い出せなかった(今もまだ思い出せない)ことだ。この“わたし”って誰?と結構長々と悩んでしまった。読み終わるとするっと忘れてしまうタイプの面白さなんだろうな。


『予期せぬ瞬間 医療の不完全さは乗り越えられるか』

アトゥール・ガワンデ著、古屋美登里・小田嶋由美子訳、石黒達昌監修
 吐き気やめまい、身体の腫れや肥満。身近でありふれたように思える病でも、医療にはミスが付きまとう。医療ミスは根絶できるのか?患者が医療に求めるものとは何なのか?果たして良い医療とは?医者である著者が、研修医時代に著した医療エッセイのデビュー作。
 著者が研修医時代に体験したエピソードをまとめたものなので、著者の医師としてのスキルはまだ発展途上。未経験の処置に挑戦せざるをえなくて心臓バクバクでも患者の前では平気な顔をしていなくてはならない!というシチュエーションが頻繁に出てきて、すごくシリアスな状況なのにちょっと笑ってしまう。また文章は真面目だがどこかとぼけた感じがする。体験談ではあるが客観性が高く、その場のテンションや情緒に呑まれていない。これは著者の人柄なのだろうか、それとも職業柄なのだろうか(多分両方なんだろうけど)。
 著者が綴る事例の中には、患者の症状だけではなく、医者側の問題もある。不適切な処置を頻発するようになったにも関わらず、営業を止めることができない医者の話がとても面白かった。元々熱心で腕もいい医師がなぜ「悪い医者」になったのかという所は、医師に限ったことではないだろう。過労により客観性が失われていくというのが怖い。周囲がある程度強制介入しなければだめなんだろうな。
 医療技術の発達が目覚ましいとはいえ、診断の難しさや医療ミスは常に起こりうる。医師が人間である以上、ミスは避けられないのだ。では高度なAIや医療機器が人間に代わって全ての医療行為を行うようになればいいのかというと(実際、医師の診断よりAIがデータから診断した結果の方が打率が高いという統計は出ている)、そういうわけではなさそうだ。患者は(技術的に適切な処置がされるのは大前提として)何をもって良い医療だと見なすのかという問題がある。著者はそれを「思いやり」と表現するが、そのあいまいなものを体現できるのは、今の所人間だけだろう。

予期せぬ瞬間
アトゥール・ガワンデ
みすず書房
2017-09-09


死すべき定め――死にゆく人に何ができるか
アトゥール・ガワンデ
みすず書房
2016-06-25


『夜は短し歩けよ乙女』

 大学の後輩である「黒髪の乙女」(花澤香菜)に片思いしている「先輩」(星野源)は、「なるべく彼女の目に留まる」作戦、略して「ナカメ作戦」を敢行するが外堀ばかり埋まっても一向に彼女との関係は進展せずにいた。ある晩、披露宴の二次会から町に繰り出した乙女は珍事件に巻き込まれていく。原作は森見登美彦の同名小説。監督は湯浅政明。
 いやーこれは素晴らしいな!私が思うアニメーションの楽しさ、喜びに満ちている。背景(空間)もキャラクターもフォルムが伸び縮みし自由自在。こういう自由さがいいんだよ!原作では四季を通した連作集だったと思う(読んだのが大分前なので記憶が・・・)が、映画では一晩の出来事に圧縮されている。これは賛否が分かれるところだと思うが、私はとてもいいなと思った。空間やキャラクターのフォルムが自在に伸び縮みするアニメーションの方向性と、時間が伸び縮みするストーリーとが上手く合っているのだ。ふわーっと何かに夢中になっている人(乙女は冒険に夢中だし、先輩は恋で無我夢中だ)の中では、時間も空間もねじまがる。主観度がすごく高いと言えばいいのか。なお脚本は劇団ヨーロッパ企画の上田誠が手がけているが、力技ではあるが一点に向かってどんどん盛り上がっていく高揚感があった。
 原作の黒髪の乙女は、いわゆるモテそうな女子とはすこしずらしているようでいて、真向から「女」度の高い女子にひいてしまう男子にとっては、ちょいユニークかつ攻めすぎていなくてちょうどいい、まあこういうのがお好きなんでしょうねぇ!という一見あざとくない所があざといキャラクター造形だったように思う。映画では花澤が演じることで、かわいいが言動がよりフラットであざとさが軽減されているように思った。花澤の声質の効果もあるが、演技もあまり「かわいい」に寄せず、むしろ酒豪であったり性別関係ないニュートラルな気の良さ(実際乙女は老若男女に対して態度があまり変わらない)が感じられる演技になっていたと思う。
 また、先輩役の星野源は、キャラクターとしてはザ・星野源みたいな嵌まり方だし演技もこなれている。プロ声優ではない出演者としては、パンツ総番長役の秋山竜次も予想外にいい味わいだった。声優、俳優総じて、出演者のキャラクターへのはめ方が良かったように思う。
 ちなみに、私にとって本作は『ラ・ラ・ランド』よりも全然楽しいミュージカル映画だった。歌がすごく上手いというわけではないところが逆にいい。また、古本市で乙女がビギナーズラックにより掴んだ本は、私のお勧め本でもある(今は復刊され題名一部変わっている)。乙女お気に入りの絵本『ラ・タ・タム』も好きだったなぁと懐かしくなった。古本市パートは、実在の本の書影があちこちに出てくるので読書好きは見てみてほしい。原作者の名前ももちろん出てくる。