3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『友情よここで終われ』

ネレ・ノイハウス著、酒寄進一訳
 著名な名物編集者・ハイケが失踪した。自宅には血痕があり二階には彼女の老父が鎖で繋がれていた。有能で鋭い感性を持つが大変な毒舌家だった彼女を恨む人物は複数いた。作品の剽窃を暴露されたベストセラー作家、彼女を解雇した出版社社長や元同僚。しかし決定的な証拠はない。刑事オリヴァーとピアはハイケと容疑者たちの繋がりを探り続ける。
 オリヴァー&ピアシリーズもついに10作目。本作ではピアの元夫である法医学者のヘニングがなんとプロのミステリ作家として実績を作っており、彼の著作の内容と題名にはシリーズ読者にはなるほどそうきたかというもの。こういうネタを投入できるようにもなった節目の作品とも言えるのでは。シリーズ内、特に近作では不安定寄りだったオリヴァーのプライべートが今回更に不安定になってもう気の毒なのだが、よりによって何でいつもこういうカードばかりひくのか。好んで不安要素を背負いこんでしまう脇の甘さ(自分に対する見積もりが高すぎるんじゃないかという気がしますね…)がオリヴァーの良さでもありイラつかされる所でもある。ピアとヘニングの関係、またオリヴァーとコージマの関係など、年数を経て双方が変化していくからこそのものもあり、大人の人間模様としても読ませる。
 一方、事件の肝もこの大人の人間模様にはあるのだが、大人として個人がちゃんとブラッシュアップされないままの関係が周囲を蝕んでいったように思える。題名の通り、それはもう友情ではなくなっているのだ。友情の残骸、ないしは幻想のようなものにずっと振り回されてしまう人たちの滑稽さと悲哀、苦しさが苦みを残す。またドイツの出版業界事情が垣間見える所も面白い。これもまたちょっと苦いのだが。






母の日に死んだ (創元推理文庫 M ノ 4-9)
ネレ・ノイハウス
東京創元社
2021-10-29





『昨夜(ゆうべ)のカレー、明日(あした)のパン』

木皿泉著
 夫の一樹が亡くなった後、「ギフ」と同居し続けているテツコ。恋人の岩井さんからプロポーズされるものの2人はいまひとつかみ合わない。CAのタカラは笑えない病気になって仕事を辞め半ば引きこもっていた。一樹の従弟である虎尾は、一樹が使っていた古い自動車に拘ってる。誰かがいなくなった後も生き続けていく人たちの連作短編集。
 最初に収録されている「ムムム」でテツコは岩井さんからプロポーズされる。ただ、プロポーズ(結婚、ではなくプロポーズ、なのだ)に関する岩井さんの考え方がテツコにはしっくりこない。このしっくりこなさ、岩井さんの考え方や振る舞いに対する違和感は私も共感できるもの。ではこの2人は別れてしまうのかなと思っていたら、そういうわけでもない。100%の理解ではないが、お互いに歩み寄っていく。それは、100%分かり合いたいという願望を断念するということでもある。少しずつ諦めて進んでいくわけだが、それは悪いことではない。本作に登場する人たちは、誰かとの関係だけではなく、自分自身の肩書や世間的な評価、過去の思い出や傷、諸々の欲望執着等、少しずつ諦めていく。その姿は少し寂しく、しかし少し自由になって清々しい。諦めに自己嫌悪を持つ必要はないのだ。

昨夜のカレー、明日のパン (河出文庫)
木皿泉
河出書房新社
2016-01-22


『YURIKO TAIJUN HANA 武田百合子『富士日記』の4426日』

水本アキラ著
 日記文学の傑作とも言える武田百合子『富士日記』。この『富士日記』を、百合子が日記を書くスピードとできるだけ寄り添うような読み方をできないかと、4426日分を最初から丁寧に読み解いていこうという試み。
 3巻目で完結となる本著、『富士日記』を読んでいる読者には察しが付くだろうが、1,2巻とは若干雰囲気が異なってくる。花が成長して山荘行に同行しなくなり、特に泰淳との関係には緊張感が増していく様を著者は読み取る。1巻、2巻でも他媒体からの引用や当時の世相の参照が丹念に調べてあり正に追体験という感じだったのが、3巻では朝日新聞に掲載されたという花と泰淳の往復書簡が紹介されている。典型的な親子の対立、世代のギャップが感じられそんなに個性あふれるというものではないのだが、普遍的故にひりひり感や子供の苛立ちがよくわかる。著者も言及しているように、泰淳の方はいわゆる昭和の親父的なフォーマットに落とし込んだ返信をしているように読めたのだが、これは読者向けのスタイルとしてはありなのかもしれないが子供に対しては不誠実に思えるのではないか。花にとって泰淳は一緒にいると緊張する父親だったようだし、猶更だ。また愛犬との別れも痛切だし、何より泰淳の健康状態が悪くなり、日記の頻度自体が終盤は減ってくるという面もある。日記は、起きた出来事を全部書くというわけではない。書かれていない部分に何があったのか、どういう状況で書けなかったのかという奥深さがある。著者はその余白の部分を丹念に追っていく。『富士日記』の場合は何があったか・この先何が起きるのか読者はわかっているわけで、そこが切ない。

富士日記(下)-新版 (中公文庫)
武田 百合子
中央公論新社
2019-07-23


富士日記の人びと: 武田百合子を探して
校條 剛
河出書房新社
2023-05-23






『郵便配達は二度ベルを鳴らす』

ジェームズ・M・ケイン著、田口俊樹訳
 あちこちで警察のお世話になっているフランクは、ある日見かけた安食堂に入る。ギリシア人の店長に気に入られて店で働き始めたフランクだが、店長の妻・コーラと愛人関係に。やがて2人は店長を殺害する完全犯罪を目論む。一度目は失敗、二度目はうまくいったように思えたが。
 日本語では6回訳され何度も映画化されているというベストセラーだが、なぜか今まで読みそびれていた。題名だけがあまりに有名だと逆に手に取りにくくなってしまうのか。今回一番新しい訳で読んでみたが確かに面白い、というか惹きつけられる。乾いたユーモアと悲惨さとが一緒くたになっているのだ。ただ、何度も映画化されているというのは少々不思議な気もする。決して爽快な話でも心温まる話でもない、むしろ救いがない話だし登場人物たちも共感できるかといえばそうでもないだろう。彼らの犯罪計画だって、よくこれでうまくいくと思ったな!というずさんといえばずさんなものだ。
 ただ、フランクもコーラも善人というわけではないが全くの悪人というわけでもない。やっていることは許されないだろうが、なぜか憎めない。彼らの転落は人間だれしも持っている心の隙、ちょっとした空洞から生じたように思う。上手くやっているようで全然上手くやれていないというしょうもなさがやりきれなくなってくる、と同時に他人事とは思えない。訳者あとがきにもあるように、彼らの為に祈りたくなるのだ。ここが何度も映画化され、何度も新訳が出ている所以かもしれない。

郵便配達は二度ベルを鳴らす (新潮文庫)
ジェームズ・M. ケイン
新潮社
2014-08-28


 

『YURIKO TAIJUN HANA 武田百合子『富士日記』の4426日(1,2)』

水本アキラ著
 日記文学の傑作とも言える武田百合子『富士日記』。この『富士日記』を、百合子が日記を書くスピードとできるだけ寄り添うような読み方をできないかと、4426日分を最初から丁寧に読み解いていこうという試み。
 本著、いわゆる同人誌であり商業出版物ではない。個人のやる気で富士日記を1日ずつ読み解いていくという胆力がなんだかすごい。日記を書いた時の百合子の心情やその日その日の出来事と当時の時代背景、時事問題、カルチャーや日記に登場する人物が誰なのかなど、丹念に調べて解説してくれるし、あるジャンルから他のジャンルへと連想が及ぶ著者の知識量もすごい(こういう知識の連鎖、飛躍に憧れるのだがなかなか難しいよな…)。大変な力作だと思う。こうやってひとつひとつ紐解かれると、『富士日記』の凄みが更に感じられるのだ。さらっと書いたように見えるが、武田百合子の筆力というのはやはり相当だったんだとよくわかる。言葉が吟味され吟味されてのあの域。時に苛烈とも言える百合子の人となりや書くことへの葛藤があったろうことが見えてくる。
 なお本著はまだ『富士日記』完走には至っていない。シリーズ半ばだ。ぜひ完走してほしい。


新版 犬が星見た ロシア旅行 (中公文庫)
武田百合子
中央公論新社
2018-11-26



『夕べの雲』

庄野潤三著
 平地から引っ越し、丘の上に新しく家を買った大浦一家。丘の上は吹きっさらしなので、大浦は風よけの木を植えなければとあれこれ考える。駅から思いのほか遠かったり、ムカデが急に落ちてきたりするが、夫婦と子供3人の生活は新しい家に根付いていく。
 ごくごく普通の生活、身の回りのことがこと細かに積み重ねてられていく。風よけの植木を何にするのか迷ったり、前の家に残してきた桃と柿の木を惜しんだり、子供たちが宿題で四苦八苦したり病気になったりする。また庭木は少しずつ根付き、丘が切り開かれ団地の開発が始まったりする。大きなストーリー展開があるわけではなく、小さなエピソードの積み重ねだ。しかし小さなものの積み重ねで世界の豊かさ、ふくらみが広がっていくタイプの作品もある。家族の中でだけ通じる共通言語的なもの、お約束的リアクションやジョークみたいなものは往々にしてあると思うのだが(我が家にもある)、本作にはそういうものが多々出てくる。その感覚が懐かしく感じられた。ごく個人的な事象が普遍性をもってくるのだ。
 どうということのない日々だが、二度と同じ1日はないという日々の生活を積み重ねていくことの力強さ、幸せが満ちている。一方で、途中で挿入される大浦の戦時中の体験が影を落とす。淡々とむしろユーモラスに描かれるのだが、だからこそ諦念を感じさせるのだ。そういったことがあったうえでの家族との生活の明るさなのだが、この世代の人の多くがこういった記憶を持ちつつその後の生活を重ねてきたのだろうなとはっとした。

夕べの雲 (講談社文芸文庫)
庄野 潤三
講談社
1988-04-04


プールサイド小景・静物 (新潮文庫)
潤三, 庄野
新潮社
1965-03-01




『誘拐の日』

チョン・ヘヨン著、米津篤八訳
 日雇い仕事で日銭を稼いでいるヨンジュンは、娘の手術費用の為、元妻に焚きつけられ誘拐を決意した。しかし目的の少女ロヒが自宅の豪邸から飛び出してきた所を車ではねてしまう。ロヒは怪我はないものの記憶を失っており、ミョンジュンはとっさに父親だと名乗ってしまう。更にロヒの家から両親の死体が発見された。
 正にジェットコースターサスペンス。エンターテイメントとしての盛りの良さは、正に韓国のサスペンス映画のようだ。ヨンジュンの人はいいがドジばかりの冴えない中年男ぶり、ロヒの口が悪い天才少女ぶりなど、映像が目に浮かんでくる。お金目的の誘拐計画から始まり、殺人事件、更にその背後に見えてくるある陰謀など、次々と読者の気を引くイベントが到来し飽きさせない。ちょっと話を広げすぎな気はするのだが、捜査にあたっている警官コンビの働きぶりがなかなか地道なので、浮つきすぎていない。謎解きも、そこにこれがはまるのか!という気持ちよさがある。背後にある人間の欲望は決して気持ちのいいものではないのだが…。
 ミョンジュンの鈍さや段取りの悪さにはいちいちイライラさせられるし、主導権がロヒに渡っている様子はコミカルだ。ただ、ミョンジュンは自分がどういう目にあっても子供を守らなくてはならないという大人としての責任感と優しさがある。彼の愚直な人情が救いになっていると思う(イライラはしますが…)。

誘拐の日 (ハーパーBOOKS)
チョン ヘヨン
ハーパーコリンズ・ジャパン
2021-06-17


大誘拐 天藤真推理小説全集
天藤 真
東京創元社
2012-10-25



『指さす標識の事例(上、下)』

イーアン・ペアーズ著、池央耿・東江一紀・宮脇孝雄・日暮雅通訳
 1663年、チャールズ2世が復位を果たすがまだ内政が不安定な英国。ヴェネツィアからやってきた医者の卵マルコ・ダ・コーラは医師のリチャード・ローワーと知り合う。彼らは大怪我をした雑役婦アン・ブランディを診察する。アンの娘サラにはオックスフォード大学の教師ロバート・グローブを毒殺した疑いがかけられる。4人の人物の手記から成る4部構成の歴史ミステリ。
 これは当時の英国内政事情をある程度知らないと、結構厳しいものがある。巻末の人物解説、年表、訳者あとがきを先に読んでしまった方がよかったな…。登場人物が多い、かつ長いので、下巻に入ったころは上巻で書かれていたことを忘れてしまった。極力一気に読むことをお勧めする。本作の面白さは時代背景や世相・風俗の描写だけではなく、4人の人物がそれぞれ書いた手記(という体の文章)から構成されているという所にある。人間は自分が見たいように物事を見る、自分の価値観の外に出るのは難しいということが、ありありと描かれているのだ。あの人はこういうふうに言っていたけど、この人から見たら全然違うことになっているのか!という驚きが何度も味わえる。語り手個人の主観、その人が所属する文化圏の価値観、そしてその時代の価値観によって、起きた事象がフラットには見えてこないのだ。4人の手記を総合して、一体何が起きていたのか、どの人がどういう意図で動いていたのかが垣間見えてくる。
 それにしても、当時の女性、特に貧しい女性の人権のなさがすさまじくて引いた。時代設定上しょうがないのだが、読んでいて結構きつい。

指差す標識の事例 上 (創元推理文庫)
イーアン・ペアーズ
東京創元社
2020-08-31


指差す標識の事例 下 (創元推理文庫)
イーアン・ペアーズ
東京創元社
2020-08-31


『ゆえに、警官は見護る』

日明恩著
 港区芝浦のマンション前で、重ねられた自動車タイヤの中に立たされた焼死体が発見された。更に西新宿、幡ヶ谷でも同様の死体が発見され、猟奇的な手口は世間の注目を集める。警視庁刑事総務課刑事企画第一係の潮崎警視はお目付け役の宇佐美、田上と共に捜査に参加する。一方、新宿署の留置所勤務になった武本は、深夜の歌舞伎町で酔って喧嘩になり拘留された男・柏木のことがひっかかっていた。
 シリーズ4作目だが、もしかすると今までの潮崎・武本シリーズの中で一番刑事ドラマっぽいかもしれない。今回主に捜査を行う(といっても周囲の目を盗んでグレーすれすれのものだが)のは潮崎。本人の風変りなパーソナリティと派手な背景ばかりが注目されるが、実は地道な捜査に耐える堅実さや目配りの確かさ(これが育ちのいいということなんだろうなと・・・)が十二分に発揮されている。今回は正に潮崎ターンと言ってもいいだろう。また、彼のお目付け役、しかし意外と潮崎以上に暴走しそうな傾向も見せる宇佐美がとてもいいキャラクターだった。彼の独自の合理性や正直さは、警察という保守的な組織とは明らかに相性が悪い。有能なので排除はされないが煙たがられる、それを恐れないハートの強さと我の強さ。潮崎とは別の方向性で手ごわいのだが、妙な所で素直で可愛くなってしまう。まだ警察という組織に染まりきっていない正木の「普通」さが2人のアクを中和しており、とてもいいトリオだった。
 事件の背後にあるものが誰かの悪意や欲望というわけではない(そういったものがないわけではないが、大元は違う)、運不運としか言いようがないものだ。そういうものによって個人の人生が取り返しのつかないものになってしまうということがやりきれない。世界の理不尽さに対する犯人の慟哭に対し同情しつつも、警官として真っすぐ対峙する潮崎らの姿が眩しい。

 
ゆえに、警官は見護る
日明 恩
双葉社
2018-11-21




やがて、警官は微睡る (双葉文庫)

日明 恩
双葉社
2016-02-10

『憂鬱な10か月』

イアン・マキューアン著、村松潔訳
 “わたし”は逆さまになって母親のおなかのなかにいる。美しい母親と詩人の父親は別居中だ。そして母親は父親の弟と浮気をしており、2人で父親を殺そうとしているらしい。
 巻末の解説でも言及されているように、胎児版ハムレットという一風変わった作品。ストーリーの主軸はハムレットのパロディだが、他のシェイクスピア作品からの引用も多々ある。語り手の“わたし”は胎児で外の世界を自分の目で見ているわけではないが、母親と父親や義弟との会話や周囲の物音、体を通して伝わってくる母親の感情から、外の世界のことをある程度知ってはいるし、冷静に周囲を観察している。語りが全く子供っぽくなく、思慮深さと成熟を感じさせる、どうかすると両親や叔父よりも全然大人な考え方をしているところがおかしい。とは言え音や皮膚感覚のみで世界を感知するには限界があり、本人大真面目なのに時々妙な誤解の仕方をしているあたりはユーモラスだ。彼の周囲で起きている事柄はありふれた安いメロドラマでありサスペンスなのだが、胎児の目と、彼のしごく真面目でもったいぶった語り口を通すことで、新鮮かつ陰惨だが滑稽な味わいになっている。

憂鬱な10か月 (新潮クレスト・ブックス)
イアン マキューアン
新潮社
2018-05-31


ハムレット (岩波文庫)
シェイクスピア
岩波書店
2002-01-16


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