3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『夜間旅行者』

ユン・ゴウン著、カン・バンファ訳
 旅行会社で被災地を巡るダークツアーのプランニングをしているヨナ。収益の低いツアーの出張査定を兼ね、ベトナム沖の島ムイを訪れる。ツアーの中でガイドとはぐれパスポートを紛失してしまったヨナは、滞在していたムイのホテルに戻る羽目になる。しかしホテルスタッフらも加担しているある一味に引き入れられてしまう。彼らはダークツアーの目玉として新たな災害を捏造しようとしていた。
 被災地や歴史上の惨劇の舞台を巡るダークツーリズムという言葉は近年聞かれるようになったが、学習型観光として歴史を学ぶ、社会の在り方について等有意義な面はあるが、その土地の被害・死者を商売のネタにしていることにならないか、被災地を食い物にすることにならないか、観光客にとっては結局高みの見物で災害をコンテンツとして消費しているにすぎないのではないかという躊躇も同時に感じる。本作中でヨナの勤務している旅行会社、そしてムイの人々が行っているのは正に災害のコンテンツ化だ。そこではなによりいかに資本を集められるかが問われる。そのためには捏造も厭わないわけだが、捏造の規模がどんどん広がりヨナだけではなく誰もが引き返せず、1人では流れを止められなくなっていく。この捏造の広がり方そのものが災害的。ダークツーリーズムを作ろうとする過程の方がダークという皮肉な展開なのだ。
 そもそも、遡ってヨナが出張査定に出る経緯は。ハラスメント被害が重なってのものだ。彼女の労働環境や上司との関係、その出口のなさの方が災害捏造より圧倒的に身近な怖さがある。この時点で既にダークツーリズムの対象になるのでは?というものだ。日々ダークなものの中で生きている人がわざわざダークツーリズムを企画するという所が更に皮肉なのだが、ヨナが置かれている環境は(残念ながら)珍しいものではない。訳者あとがきによるとエコ・スリラーと評された作品だそうだが、同時に資本主義ホラーでもある。

夜間旅行者 (HAYAKAWA POCKET MYSTERY BOOKS No. 1)
ユン・ゴウン
早川書房
2023-10-04


アウステルリッツ(字幕版)
ジャン=リュック・ジュリアン
2022-09-24






『山・原野・牧場 ある牧場の生活』

坂本直行著
 昭和初期、北海道の日高山脈を望む十勝平野で開拓民として生活した著者が、開拓民たちの生活や牛や馬、豚等家畜、また野生動物や植物の観察、そして山と原野の風景と四季を綴った随筆集。画家である著者による作品も収録。
 著者は長らく十勝平野で生活し、後に画家として知られた人物。北海道のお土産として定番である立花亭の包装紙の絵を描いた人だ。著者の名前は知らなくとも立花亭の小花柄の包装紙はすぐに思い浮かぶという人も多いのでは。著者は大学で農学を学び東京で就職したものの、大の山好きの著者に東京の暮らしは肌に合わず、知人に誘われて開拓民として北海道に戻ったのだそうだ。実家が農家だったわけでもなく、厳しい自然環境の中で慣れない酪農と農業に従事する生活は非常に苦労したのではないかと思う。本著の中にも開拓民の生活の苦しさは垣間見える。が、それ以上に十勝の原野で生きる喜びがあふれている。経済的にも肉体的にも相当苦しかったはずなのにあまりそういう感じがしないし、おそらく苦労以上に得るものがあったのではと思える。山や原野に向けられる著者のまなざしがキラキラしているのだ。家畜たちとの生活も活気似あふれており愉快なのだが、家畜に対する愛情はありつつも動物の生き死にに対してかなりドライ(現代だったら倫理的に問題になるんじゃないかという部分もある)な所が興味深かった。開拓民にとっての家畜の存在、野生動物の存在というのがどういうものなのかがちょっとわかる。
 所で、馬市での馬喰たちが馬の取引をするエピソードで、彼らは決して手を見せずに袖の中とかで指を握り合ってやりとりをするという描写があるのだが、以前見たモンゴルが舞台の映画の中で同じような仕草があった。大陸由来の仕草なのだろうか。

ヤマケイ文庫 山・原野・牧場
坂本 直行
山と溪谷社
2021-09-18


ヤマケイ文庫 雪原の足あと
坂本 直行
山と渓谷社
2023-05-08


『山棲みの生き方 木の実食・焼畑・狩猟獣・レジリエンス【増補改訂版】』

岡惠介著
 岩手県・北上山地山村における、食文化や畑作、狩猟や災害対策。豊かだが時に厳しい森と共に行き通ける人々の生活を、フィールドワークで訪れた安家に魅せられ、20年にわたって土地の人々と共に暮らした著者による詳細な記録研究集。
 特に食文化の調査結果が非常に面白かった1冊。山間部というと土地がやせていてまとまった敷地も確保しにくく畑作には不向き、また東北の山では稲作も難しいので食文化は貧しいというイメージがあったのだが、本著でリサーチされている北上山地の食文化は意外と豊か。確かに寒さは厳しいし気候の不順や災害と背中合わせで、食料の確保は楽ではない。しかしそんな中でも、様々な穀物を量は少なくとも同時に栽培し、どんぐりを中心とした木の実食が発達しているとか、もちろん森に自生している植物も採取するとか、冬を乗り切るための保存食の数々とか、バリエーションがある。バリエーションが広いのは気候の不順や作物の疫病等、様々な不測の事態に対応する為のリスクマネジメントでもあるという側面がよくわかる。一つがダメになっても他が大丈夫なら何とかなるというわけだ。また、山間部の食文化の発展はアク抜き技術の発展と共にあるということも見えてくる。アク抜き、めちゃめちゃ面倒くさいな…!何とか食料を確保しようとする人間の根性と創意工夫が輝いている。
 こういったフィールドワークは、ともすると上から目線、外から来て調査だけして都合のいい所だけ持って帰るというような、その土地・文化圏の当事者ではない故の不遜に陥ることがあると思う。著者はそれに自覚的で、視線に自制がある。地域の暮らしに自ら入り、信頼を構築した上でのリサーチであることが感じられる点が誠実。


蛍雪時代 (2)
矢口高雄
eBookJapan Plus
2014-12-19


『病める母親とその子どもたち シック・マザーを乗り越える』

岡田尊司著
 子育て世代の心の病、うつや不安障害、パーソナリティ障害などは近年増加している。親の状態が不安定な中で育った子供たちは、発達や人格形成の上で困難を抱えやすいことがわかってきた。愛着問題の側面から、親と子が抱える困難はどういうものか、その連鎖を断ち切るために何が必要かを考察する。
 著者は前々より愛着障害を専門に研究しているが、愛着障害の原因は親と子、特に母親と子供の関係に生じやすい。その場合、母親自身が自身の親との関係、生育過程に問題を抱えていたケースが多い。問題を抱える母親を「シック・マザー」と呼び、様々な事例と共に「シック」を克服していく道を模索する。こういった場合、親世代から子世代に問題が連鎖しやすいが、問題が遺伝する、受け継がれるというよりも、人間は自分が育った環境・体験から逃れることができないということだろう。問題のある環境で育つと、いざ自分が子育てをする時も(他に体験がないから)自分が育ったような環境を再現しがちということだと思う。それを克服するには個人の努力だけでは無理で、周囲の介入やサポートが必要だろう。シック・マザーの背景には、個人の体験のみではなく、社会が母親に課す責任の重さや仕事量の多さがある。社会の仕組みや社会通念が変わっていかないと好転しない部分も大きいだろう。もう昔のような親戚・家族で支え合うような社会には戻らないだろう(親戚・地域で助け合うというのは相互監視的ムラ社会でもあるわけだし)。だとしたら行政がサポートの肩代わりをしないとならないが、そのあたりがなかなか進んでいないのでは。


『やんごとなき読者』

アラン・ベネット著、市川恵里訳
 英国女王はある日、ウィンザー城の裏庭にやってきた移動図書館と本を借りに来ていた厨房の下働きの青年に出くわす。礼儀上、本を借りた女王は、徐々に読書の魅力に目覚めていく。
 実在の英国王室に基づいているというわけではないだろうが、エリザベス二世が主人公。実在のエリザベス二世が読書かどうかは存じ上げないが、本作の女王は元々あまり読書に興味がない。彼女の興味は行動することにあり、そもそも立場上、特定の趣味を持つことは望ましくない(えこひいきになるから)と考えていた。そんな女王が読書の世界にはまり込み、読書家としてのスキルをどんどん上げていく様は痛快だ。臣民との会見や閣僚たちとの会食の場で、今何を読んでいるのか、好きな作品は何かつい聞いてしまう読書家の性!そして世の人々はそれほど本を読まないということにがっかりするのだ。最初読んだ時は退屈でよくわからなかった作品が、後々再読するととても面白かったり、読書以外のことに興味がなくなって色々おろそかになったりするあたり、共感する人は多いのではないか。
 本を読むことの何が楽しいのか、面白いのかが的確に表現されており、読書名言とでも言いたくなるフレーズ満載。「読書の魅力とは、分け隔てをしない点にあるのではないか」というのは正にその通りでありだろう。本は平等なのだ。それを、はっきり国民と分け隔てられている女王という立場の人が感じるという所が二重の面白さになっている。女王という立場、一般と隔てられ常に見られる・演じる立場にあるというという状態はどんなものかということも描かれているのだ。

やんごとなき読者 (白水Uブックス)
アラン・ベネット
白水社
2021-08-28


ミス・シェパードをお手本に [DVD]
ロジャー・アラム
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2017-04-26


『山學ノオト』

青木真兵・青木海青子著
 奈良県東吉野村の山間にひっそりと佇む、人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」。人口1700人のこの村に移住してきた著者夫婦が運営を始めた、自宅を開放した形の図書館だ。2人が生活を綴った1年間の日記と書下ろしエッセイを収録した1冊。
 奈良の山の中で私設図書館を始めた人たちがいる、という話を以前聞いたことがあって気になってはいたのだが、自分が住んでいる土地からは大分遠方だし、そもそも一般的な「図書館」とは違うらしいし、どういう人たちが運営しているのかと気になっていた。本著はその運営者お二人の日記がベースなので、普段どういうことを考え、どういう本を読んでいる人たちなのか垣間見えてくる。といっても本の話はあまり出てこないのだが…。むしろ、著者たちがいわゆる「地方」でどのように立ち位置を確立するのか、個人と仕事との距離感、どう働いていくのかという、生きること・働くことへの考察が色濃く出ている。お金を稼ぐ為の働きは必要だが、機能的な働きになりすぎる必要はない、むしろ機能的・合理的ではない部分に個人は支えられるのではないかと思う。コストだけを考える生き方・働き方は個の世界を痩せさせていくのではないかと。著者が大型書店で嫌韓本とビジネス書が充実している様を見てうんざりするという件があるのだが、ヘイト本はもちろんビジネス書を読むのは読書じゃない気がする。ビジネス書はそれこそコスト考える為の本だろうし。

山學ノオト
海青子, 青木
エイチアンドエスカンパニー
2020-10-05


『山とあめ玉と絵具箱』

川原真由美著
 上高地、奥穂高、丹沢、高尾山。ご近所感のある山歩きから本格的な登山まで、遠くから見る山、自分で登る山の楽しさ、美しさを綴ったエッセイ集。デザイナー・画家である著者による挿画もふんだんに盛り込まれている美しい一冊。
 ぱっと明るく水彩画の淡さが映える装丁がとてもいい。題名にあるあめ玉と絵具箱は、著者が山登りをするときにいつも持っていくものだそうだ。あめ玉はいざという時に血糖値を上げるお守り、絵具箱は毎回持っていくものの実は使ったことがない。絵具を使う手間で時間をくうのが惜しくて、大抵ペン画で済ませてしまうそうだ。テントを担いだ泊りがけの登山もするが、雨が降ったら山小屋に泊まるし、朝から雨だったら山行きの予定自体キャンセルにしてしまい、逆にほっとしたりもする。ごりごりの登山ではなく、行くも行かないも自分の気分次第の気負わない登山(もちろん安全第一でマナーは守る)という所が身軽でいい。しっかりした装備の登山の前は逆に億劫になってしまうというエピソードには共感してしまった。私は登山はしないが、行けば楽しいけど行くまでが非常に億劫なイベントというのはあるよなぁと。電車に乗ってちょっとした山に登って一人でおにぎり食べるだけでも十分楽しい。自分なりの山歩きをすることの楽しさが溢れているエッセイだった。
 新型コロナウイルス流行下で山に行けず寂しく悔しい思いの中で読んで、山の気持ちよさを思い出し少し気分が晴れた。が、同時にもっと山に行きたくなってしまった。

山とあめ玉と絵具箱
川原 真由美
リトル・モア
2020-09-09


『約束』

ロバート・クレイス著、高橋恭美子訳
 ロス市警警察犬隊のスコット・ジェイムズ巡査と、相棒であるシェパードのマギーは、逃亡中の容疑者を捜索していた。住宅地内の一軒家の中で倒れている容疑者を発見するが、同時に大量の爆発物が屋内にあることがわかる。一方、私立探偵のエルヴィス・コールは、その一軒家にある人物を訪ねに来ていた。失踪したある女性の捜索の一環として訪問したのだが、殺人容疑をかけられてしまう。
 スコット&マギーの出会い編である『容疑者』のシリーズ続編だが、本作単品でも楽しめる。更に、コールは著者の別シリーズ(こちらの方が古く作品数も多い)コール&パイクシリーズの主役だそうだ。青年と犬の再生を描く警察小説だった前作と比べると、コールの活躍のせいかハードボイルドとしての側面が強い。コールは自分の流儀・職業倫理に忠実で、警察に容疑者扱いされても一貫して依頼者と捜索対象を守ろうとする。ただその忠実さ故、ちょっと自警団ぽい行動になってくるのは気になった。情報収集のやり方といい、人脈含め万能すぎない?スコットの振る舞いや対人態度はが等身大で時にドジだったり不器用だったりするのでギャップが際立つ。
 とは言え、意外な展開を見せて面白かった。警察犬・マギーの忠実さ、可愛らしさも魅力の一つだが、擬人化されすぎず、喜びも悲しみもあくまで「犬」として存在する(当然喋ったりしない)ところがとてもいい。また、ある女性をコールの仲間である傭兵が「知っている」ということの意味は胸を打つ。

約束 (創元推理文庫)
ロバート・クレイス
東京創元社
2017-05-11



『野生の樹木園』

マーリオ・リゴーニ・ステルン著、志村啓子訳
カラマツ、モミ、マツやクルミ、リンゴ等、身近な樹木について綴られる随筆集。一篇一篇が集まって、1冊の本が樹木園のようになっている。樹木の植物としての特質、その樹木が人間にどのように利用されてきたのか、神話や文学作品の中でどのように言及されてきたのか、そして著者自身の樹木との関わりの思い出。文章はくどくなく控えめなのだが、樹木に対する親密さが感じられる。自分にとって親しい存在を紹介するという、実体験に即した文章なのだ。私は植物にはそんなに詳しくはないが、樹木の傍にいると落ちつく感じはよくわかる。眺めているだけでも、なんとなくほっとするもんね。どこの国でもこの感覚は変わらないのだろうか。イタリアは日本と植栽がわりと似ている(ただ、馴染みのない樹木も登場するが)からかな。