3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『モヤ対談』

花田菜々子著
 家族、恋愛、仕事、社会や他者との関わり、そして自分自身のあり方。人生の中で直面する様々な問題を、名物書店員・ライターである著者と20名のゲストが語る対談集。
 20名のゲスト年齢も性別も職業も考え方も立ち位置もまちまちで、共通項は何か本を書いたことがあるということ程度(だから書店員である著者との関わりが生まれているわけだが)。著者と似たスタンスの人もいるし、考え方が結構違うんだなという人もいる。しかし20編の対談を全部読むと、不思議と統一感がある。色々違うところはあるが、自分と向き合い続ける姿勢、自分も他者も個として尊重する(しようと心がける)姿勢が共通しているのだ。
 それにしてもどの対談相手もパワーワードの連打でとても面白かった。近年読んだ対談集の中ではぶっちぎりで読者としてのテンション上がった気がする。特に絵本作家ヨシタケシンスケとの対談「大人だって完璧ではない」、窪美澄との対談「子持ちの恋愛」は、著者のパートナーが子供のいる人であるという背景とあいまってやたらと説得力、切実さがあった。この2編が本著の最初に配置されているからインパクト強かったということもあるのだろうが、完璧でない人間がどうやって「大人」をやるのか、子供の前でどう振舞えばいいのかという所で話題がリレーされるような面白さがあった。

モヤ対談
花田菜々子
小学館
2023-11-24


『木曜殺人クラブ 逸れた銃弾』

リチャード・オスマン著、羽根田詩津子訳
 「木曜殺人クラブ」の面々が新たに取り組んでいるのは、約10年前に女性キャスターのベサニー・ウェイツが車ごと崖から転落死したという事件。手がかりを求めてかつてベサニーと共演していた有名キャスターのマイク・ワグボーンと面会するが、マイクによるとベサニーは大きな特ダネを追っていたらしい。一方、エリザベスは夫と共に「バイキング」と名乗る人物に拉致され、前職時代の知人を殺すよう脅迫される。なお前作『木曜殺人クラブ 二度死んだ男』の内容と一部繋がっているので注意。
 老人ホームを舞台としたユーモラスで楽しいシリーズも3作目。登場人物たちが徐々に新たな自分の個性を発見していく過程は心が温まる。また若いドナやクリスはもちろんだが、年齢を重ねてもまだ変化が訪れるというところにはなんだかほっとする。ただ、変化していくということは「その日」が必ず訪れるということだ。エリザベスは夫スティーヴンの記憶が薄れていくことを非常に恐れているが、それは避けられないことでもある。今回クラブの助っ人的存在でスティーヴンのチェスの対戦相手でもあるボグダンが示す思いやりが非常に染みた。親しい間柄だからこそなお辛いものだと思うが。一方で、老いたからこそ得られた余裕みたいなものも感じる。「自分はあと数年で死ぬんだからわざわざ殺さなくてもいい(し敵を殺さなくてもいい)」というのはなかなかたどり着けない境地(というかシチュエーション)な気がするが。またかつての立場は横に置いておいて、同じ時代を生きた同士としての付き合いができるようになるというのも味わいがあった。
 楽しい作品だが、今回はちょっとコミカルすぎ、展開の都合が良すぎな部分もあったように思う。「バイキング」の振る舞いには、そんなんなら最初からアクション起こすなよ!と言いたくなる。彼にそうさせてしまうのがエリザベスたちのご老人パワー、年の功なのかもしれないが。

木曜殺人クラブ 逸れた銃弾 (ハヤカワ・ミステリ)
リチャード オスマン
早川書房
2023-07-04


木曜殺人クラブ 二度死んだ男 (ハヤカワ・ミステリ)
リチャード オスマン
早川書房
2022-11-02


 

『桃を煮るひと』

くどうれいん著
 中華料理店の魅惑のチャーハン、祖母の漬ける真冬のたくあん、太く切ってあると許せない小ねぎ。料理も食べることも大好きな著者による、デビューエッセイ集『わたしを空腹にしない方がいい』から5年ぶりの食エッセイ集。
 とてもかわいらしい装丁なので手にとってみてほしい。デビュー当時に比べると文章も丸くなって(イキってたんだな…)中身もかわいらしい…所もあるが著者の食欲、食べることに対する情熱に気圧される。食への情熱といってもいわゆるグルメ、美食ということではない。食材が高ければ高いなり、安ければ安いなりに楽しく食べて、食べることで気持ちが華やいだり和らいだり勇気づけられるという、なんというか健康的で朗らかな食への愛と執着を感じる。食の描写が著者の生活に根差した手ごたえのあるものだということも一因だろう。特に会社勤めと執筆との兼業であまりに多忙だった時期のエピソードは苦さ痛さもちらりと感じられる。働くこと自体が好きでも超過しては人生を損ねてしまう。「大根の面取り」で出てくる勤め先の社長の言葉はまさに至言。
 ところでてっきり、著者は一人で外食するのが平気なタイプだと思っていたのだが(食べるのが好きな人って大体一人でも好きなものを食べに行くイメージがある)、実はできないのだそうだ。とても意外だったのだが、著者にとっての美味しく食べることは、食そのものだけではなくその周辺の情報も込みになっているのだなと納得。著者は食が好き、人が好きですごくエネルギッシュな人だと思う。私は一人で楽しく食べてしまいますが…。

桃を煮るひと
くどうれいん
ミシマ社
2023-06-14


プンスカジャム (福音館創作童話シリーズ)
くどう れいん
福音館書店
2021-09-03






『もし今夜ぼくが死んだら、』

アリソン・ゲイリン著、奥村章子訳
 高校生のウェイドは、SNSに自殺をほのめかす投稿を残して姿を消した。その5日前、盗難車によるひき逃げ事件で彼の同級生が命を落とした。不審な行動を見せ、何かを隠している様子のウェイドは容疑者として注目を集め、SNSでは誹謗中傷が渦巻き、彼の家族にも被害が及んでいく。一方、事件を調べる警官のメイズは、車両盗難に遭った被害者の証言を疑い始める。
 ウェイドの言動は確かに怪しいのだが、母親のジャクリーンは彼を信じ続けようとする。しかし自分の子供のことを親はどれだけ把握しているものなのだろうか。ジャクリーンはウェイドを信じようとするが、ティーンエイジャーとなった息子との距離は広がる一方で彼女の決意は時に揺らぐ。ウェイドは明らかに何かを隠しているのだがそれは何なのか、という部分がミステリの軸になっている。同時に、他の子供たちも大人たちも何かを隠している。それは保身の為であったり、誰かを守る為であったりする。ただ子供の場合、守る価値のないものを守ろうとしてしまう、また話した方がいいであろうことを黙ったままでいて事態が悪化することがあるというのが厄介だ。大人よりも自分たちのルールにある意味律儀。そこに乗っかる大人がいるという所がまた悪質なのだが…。これが事件の実態をより見えにくいものにしているのだ。
 SNSでのバッシングの過熱、その逆で被害者を持ち上げて祭り上げるブームの過熱が気味悪いのだが、もはやこういうのも日常の光景になってしまっているとつくづく思った。一度バッシングされ始めると何をやっても裏目に出そうなところが怖い。


自由研究には向かない殺人 (創元推理文庫)
ホリー・ジャクソン
東京創元社
2021-08-24




『森の来訪者たち 北欧のコテージで見つけた生命の輝き』

ニーナ・バートン著、羽根由訳
 スウェーデンの森の中のコテージを入手した著者が、コテージに滞在する中で目にした動物、鳥、昆虫や植物、水生生物など、自然の中に生きるもの、そして自然環境そのものについて綴るエッセイ集。文学と科学が結びついたサイエンスエッセイとでもいうべき1冊。
 著者は詩人・エッセイストとのことだったので、ともすると自然への目線がロマン主義的になりがちなのでは?と若干気になっていたのだが、思い入れはあるが過剰なものではなく、冷静な観察眼に裏打ちされている。科学よみものとしてとても面白いのだ。その面白さはコテージの周囲という著者の身近な所から思索が始まるところにある。観察の対象は屋根裏に住み着いたリスであったり、床下のキツネやアナグマであったり、どこかから入り込むアリや家の隙間に巣を作るハチであったりする。生活の中で出くわしてしまった物を知ろうとし彼らを尊重すること、とは言え人間には人間の生活があるので何とか退散願いたい…という苦闘とが入り混じっており、そもそも他の生物と折り合いをつけて生きているんだよなと実感させられるのだ。都会生活だとこの感覚は忘れてしまうものだからなー。人間との関係でいうと、シジュウカラ等の野鳥が都会に進出してくると鳴き方や繁殖の為の成長速度も変わってくる、またそれに伴って小さい野鳥を捕獲する猛禽も都会に出てくるという話は日本でも聞いたことがある。キツネが餌の確保しやすい(ゴミあさりをするらしい)民家の近くに住まいを移してきたというのは意外だったが、日本でいったらタヌキみたいなものか。
 森の中というと静かなイメージがあるが、実際に暮らしてみると葉や枝がこすれる音や、鳥や虫の声が常に聞こえて意外と静かではない。この木々に囲まれている感じが伝わってきて、あー私も森の中に行きたい!とそわそわしてしまった。寒さや虫や謎の物音が煩わしかったりするんだけどね。








『木曜殺人クラブ 二度死んだ男』

リチャード・オスマン著、羽田詩津子訳
 老人ホーム「クーパーズ・チェイス」の入居者で結成された探偵グループ「木曜殺人クラブ」メンバーのエリザベスは、因縁のある英国諜報員から連絡を受けた。彼は2千万ポンド相当のダイヤモンドを盗んだ疑いを駆けられ、アメリカのマフィアから命を狙われており、老人ホームに身を潜めたいというのだ。木曜殺人クラブのメンバーたちはダイヤ盗難を巡る事件に巻き込まれていく。
 「木曜殺人クラブ」シリーズ2作目。個々のキャラクターがさらに立っておりとても楽しい。盗難だけではなく殺人も起きるしなかなかの大ごとなのだが、あくまで陽気だ。メンバーの息もあっており、前作よりもお互い遠慮がなくなっている感じがする。エリザベスとジョイスの掛け合いなどテンポがよく、今回は必ずしもエリザベスがツッコミというわけではないところも楽しい。色々と事情があって今回は前回ほどエリザベスが万能ではないのだが、元諜報員として言動には常に裏がある世界で生きてきた彼女が、人は額面通りに親切だったり好意を示したりもするのだと改めて気付く様が印象に残った。人間、年齢を重ねてもまだ気づきや変化が訪れるのだ。
 一方で、年齢を重ねる切なさ、シリアスさも描かれる。犯罪被害に遭ったイブラヒムが自信を喪失し引きこもる様や、夫の認知症の進行に立ちすくみそうになるエリザベスの恐れはひしひしと迫ってくる。誰しも時間からは逃れられないということも描かれているのだ。ただ、その抗えなさも含めて軽やかな作品。刑事のクリスとドナの人生にも新しいステージが到来しそうで次回作での展開も楽しみだ。

木曜殺人クラブ 二度死んだ男 (ハヤカワ・ミステリ)
リチャード オスマン
早川書房
2022-11-02


木曜殺人クラブ (ハヤカワ・ミステリ)
リチャード オスマン
早川書房
2021-09-02


『もっと遠くへ行こう。』

イアン・リード著、坂本あおい訳
 人里離れた一軒家に暮らしているジュニアと妻のヘン。ある日、「アウターモア」なる組織からテランスという男が訪問してくる。ジュニアが宇宙への一時移住計画の候補に選ばれたというのだ。ただし宇宙へ行くのはジュニアだけでヘンは連れていけない。妻を置いていくなど考えられないジュニアだが、ヘンの態度はよそよそしい。やがてテランスはジュニアの移住の準備と称して彼の家に入り浸るようになる。
 『もう終わりにしよう。』が非常に奇妙な味わいでインパクトを残した著者の2作目。今回はぱっとみよくあるSFぽい立て付けなのだが、奇妙な味わい度合いは十二分に発揮されている。帯に掲載されている「非凡な自分でありたいという凡庸な願いが、替えの利かない地獄を生む」(斜線堂有紀)という一文は、個人的には少々的を外している(ネタバレ防止のためのあえてかもしれないが)ように思った。本作は自分ジュニアの主観、一人称で進むのだが、人間の認識の独りよがりさ、相手との認識のずれがだんだん表面化していく。ジュニアのヘンにたいする態度は、彼女はこうであろう、彼女によかれと思って、というものなのだが、ヘンが実際にどういう人物で何を望んでいるのかはわからない。相手をよく見ている、コミュニケーションが取れているというのは幻想でしかないのでは。自分がどうありたいかというよりも、他者との関係に対するこうであろう、こうであれという思い込みと実情とのずれが不安をあおるのだ。自分にとって相手は、また相手にとって自分は何者なのか、その関係性は不変なのか、その人と全く同じ条件の別人がいたらそれは「その人」として成立してしまうのでは等、関係性における不穏さが平易な語り口の中から浮かび上がってくる。


 

『木曜殺人クラブ』

リチャード・オスマン著、羽田詩津子訳
 現役を退いた高齢者用高級施設、クーパーズ・チェイスには、元警官の入居者が(違法に)持ち込んだ未解決事件ファイルの調査を趣味にする「木曜殺人クラブ」なる秘密のクラブがあった。あらゆることに精通する経歴不詳のエリザベス、元看護士のジョイス、元労働運動家のロン、元精神科医のイブラハムらが新たに取り組むのは、クーパーズ・チェイスの共同経営者の1人が撲殺された事件だった。
 登場人物たちが皆魅力的だ。相当すごいキャリアがありそうなエリザベスはもちろんだが、一軒ごく普通の人っぽいジョイスはその普通っぽさ故に相手を油断させて情報を聞き出す才能があるし、ロンは正に昔取った杵柄で今でも(時に的外れだが)演説にはカリスマがある。彼らに巻き込まれて協力することになる警官のドナとその上司クリスも、ともするとステレオタイプ的な「はねっかえり新人ととぼけた上司」になりそうなところ、それぞれ種類の違う聡明さや人柄の良さを見せ、魅力がある。特にクリスはそんなにぱっとする方ではないらしいが、振る舞いにハラスメント的なところがなくどことなくユーモアがある。基本的に他人に対する尊重がある人たちが活動する世界な所が、読んでいて楽だった。謎解き・犯人当てそのものというよりも(結構唐突に諸々な事実が明かされるし)、謎解き・犯人当てしている人たちの右往左往を楽しむ小説。そして楽しいがうっすらと影がある。クーパーズ・チェイスの入居者は当然のことながら高齢で、人生の残り時間は限られている。体力・記憶力の衰えにも直面していかなければならない。いずれここを去る・また去る人を見送る日が来る、その時自分はどう振舞うのだろうという恐れや諦念と共にあるのだ。これは壮年者が主体な物語では出ない味わいだろう。

木曜殺人クラブ (ハヤカワ・ミステリ)
リチャード オスマン
早川書房
2021-09-02


火曜クラブ (クリスティー文庫)
中村 妙子
早川書房
2012-08-01




『森の文学館 緑の記憶の物語』

和田博文編
 人間に豊かな恵みを与える一方で、得体のしれない何かが潜む異世界への入り口とも見なされる森。小説、随筆、ノンフィクション、インタビュー等様々な森に関わる文章を収録したアンソロジー。
 猫、月、星ときて今度は森だ!というちくま文庫オリジナルアンソロジー。今回は森ということで、ちょっと発展して山=登山関係の文章も収録されている。山と森とはちょっとニュアンス違ってくるような気もするが、延長線上ではあるか。最初に収録されているのが村田沙耶香「まっくら森の歌」なのだが、これは谷山浩子の楽曲「まっくら森の歌」に寄せたエッセイ。「みんなのうた」で放送された曲ということで知っている人も多いだろうし、私も大好きな曲なのでわかるわかる!と嬉しくなった。森の中で迷子になるような不安と同時に、このままもっと知らない所に入っていくのではという期待が漂う。一方で生活の一端としての森を描く作品では宮沢賢治「狼森と笊森、盗森」がやはりいい。森は恵を与えてくれる存在であるが、立ち入りすぎると戻ってこられなくなる。お互いの境目を弁えつつ共存していく知恵の話でもあるだろう。また大岡信が画家のマックス・エルンストについて書いた「森の魅惑 エルンスト」もエルンスト好きとしてはうれしい。
 非日常的な空間として切り開かれた森と言える、避暑地にまつわる随筆もいくつか収録されているが、これは夏休みシーズンにもぴったりなのでは。ただ、古い作品も多いので現代の感覚ではこれはアウトなのでは、という言葉の使い方も。こういうひっかかりは過去作品を読むうえでは避けられないが、その都度ちゃんと躓いておくというのが大事なんだろうな。


星の文学館 (ちくま文庫)
筑摩書房
2018-07-06


『もう死んでいる十二人の女たちと』

パク・ソルメ著、斎藤真理子訳
 5人の女性を強姦殺害したキム・サニは、交通事故で死んだあと、自分が殺した女性たち、そして類似した手口で殺された女性たち計12人のあらためて殺され続ける。”私”の幼なじみで今はホームレスになっているチョハンは、その現場を目撃する(表題作)。”私”は海外旅行中、在米韓国人のヘナが光州事件について発表する場に居合わせる(「じゃあ、何を歌うんだ」)。釜山の古里原発で起きた事故に関するドキュメンタリーを映画館で見た時のこと、そこで知り合った人のことを”私”は回想する(「冬のまなざし」)。記憶を辿るような、時に幻想的な作品集。
 「じゃあ、何を歌うんだ」は光州事件、「冬のまなざし」は古里原発の事故が背景にある。”私”はどちらの事件も現場に直接居合わせたわけではない。しかし自分が暮らす国で起きた事件である以上、全く無関係というわけでもない。自分がその場に居合わせてたわけではない、しかしすごく遠いわけでもない出来事に対する当事者性を引き受け得るのか、それを語り得るのかという問題に触れている。「じゃあ、何を歌うんだ」の”私”は光州の生まれで、他の国の人から見たら光州事件は、あなたの国(町)の問題と見なされる。しかし、同じ韓国人であるヘナの発表は、アイルランドの”血の日曜日”のように疑問の余地がないものに聞こえるが、”私”にとってもそうであるわけではないのだ。また「冬のまなざし」「私たちは毎日午後に」では、日本に住む者にとっての東日本大震災のような、自分がどこまで語っていいのかという躊躇、出来事への距離感を掴みあぐねる感じが描かれており、身近に感じられた。あの物事は自分にとって何なのか、その延長に自分がいるのかという距離感の問題に触れている作品が多いように思う。
 一方、カラオケボックスであまりに不条理な暴力が行われる「そのとき俺が何て言ったか」はひたすら苦く恐ろしい。この脈絡のない暴力から逃れる道はないのだろうかと。こういう不条理さが非日常ではなく、日常の細かい所に少しづつ紛れ込んでいるのだということに気付かされてしまう。表題作は不条理な暴力に対する多少のリベンジを描いているが、死んだあとではなぁ…。


モンスーン (エクス・リブリス)
ピョン・ヘヨン
白水社
2019-08-02


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