3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『メグレとマジェスティック・ホテルの地階』

ジョルジュ・シムノン著、高野優訳
 パリの高級ホテルの地階で死体が発見された。被害者はアメリカから来た実業家の妻。第一発見者のドンジュというホテル従業員が疑われたが、ドンジュは犯行を否定。メグレは捜査の中で、被害者がカンヌのキャバレーで働いていた当時、ドンジュと関係があったことを知る。しかしメグレは真犯人は別にいると考えていた。
 シムノンの作品としては中期のものにあたるそうだが、初期作品から新訳出版された『メグレと若い女の死』『ジャン・フォリアン教会の首吊り男』とは大分雰囲気が異なる。初期の2作は陰影が濃くかなり渋い。一方で本作には活劇的な華やかさやユーモアが見える。メグレらとフランス語が全くわからないアメリカ人実業家とのともすると漫才みたいなやりとりや、メグレとメグレ夫人のお茶目なやりとり、また典型的な「現場を知らないお偉方」の的外れな言動(そして反骨精神旺盛なメグレのやんちゃぶり)など、少々戯画的なくらいだ。リアリズムから劇画調に方向転換した感じで、キャッチーさが増している。ちゃんと「関係者全員を集めて謎解き」という本格ミステリの定番シチュエーションまである。
 個人的には前2作の方が好みに合うのだが、これはこれで楽しい。何より、巻末解説で指摘されているように謎解きミステリとしては意外とフェアなのではないか。事件のタイムラインの提示の仕方など、これは重要な所だなとわかるように提示されている。ある設定が唐突に出てきたなという印象は受けたが、そこに至るまでにちゃんとパーツを提示しているので、何となく構図の予想がつくのだ。


メグレと若い女の死 [DVD]
ジェラール・ドパルデュー,ジャド・ラベスト,メラニー・ベルニエ
アルバトロス
2023-11-03


『名作ミステリで学ぶ英文読解』

越前敏弥著
 ミステリ小説ファンなら誰しも一度は読んだことがあるだろうエラリー・クイーン、コナン・ドイル、アガサ・クリスティの作品は、原文=英語ではどのように書かれていたのか。ミスリードを誘う表現や叙述トリック等、考え抜かれた構成の英文を解析し、英語の論理的な読み解き方を解説する。
 大学受験程度の英語の知識があればじゅうぶん読めると書いてあったけど、全然歯が立ちません…!私が英語からっきしなのが悪いのだがなかなかついていくのが大変だった。しかし英文がどのように構成されているのかというテキスト解説としてはとても面白い。私が英語が苦手だったのは文字列を記憶するのが苦手だからというのもあるのだが、一般的な中学高校レベルの英語教育では、意外と論理的な英文構造の説明ってされなかったから(今はそうでもないのかもしれないが)かもしれない。構造から入る学習法だったらもうちょっと苦手意識が薄れていたかな…。
 例文は(日本語訳を)既に読んだことある作品からの抜粋ばかりなので、親しみやすいし翻訳家はこういう所に着目・配慮するのかという発見もある。なお「ここからネタバレ」と明記があるのはミステリ小説ならではの配慮。なので、取り上げられている全作品日本語で読破してから読むことをお勧めする。


災厄の町〔新訳版〕
エラリイ クイーン
早川書房
2015-01-29


『カラー版 名画を見る眼Ⅱ 印象派からピカソまで』

高階秀爾著
 1つの絵画をその構造・構成やモチーフの意味、時代文化の背景や作家のプロフィール等から読み解いていく、西洋美術史入門の定番書。本巻では印象はから抽象絵画までの代表的な作品を取り上げる。1巻に引き続き1971年に発刊されたものを、図版をカラー化し参考図版を追加、更に最新の研究成果を注で加えた決定版。
 「名画」と主語は大きいが西洋絵画史のシリーズなので、本著で取り上げられているのももちろんヨーロッパ圏の作品だ。モネにはじまりカンディンスキーに終わるという19世紀末から20世紀初頭を駆け抜ける、絵画の概念が急速に変化・多様化していく美術史激動の時代と言える。しかしその舞台はほぼフランス、フランスに集中している。本著で取り上げられている作家のうち、フランスないしはパリにいた(関係した)ことがない人がいない(ムンクですら一時期パリに滞在している)。当時のパリがいかに文化の最先端だったのかが実によくわかる。著者による恣意的な選出の要素もあるのだろうが、とにかく芸術やるならパリにいかないと!みたいな空気があったんだろうなと。シャガールは実際そういう理由でパリに出てくるのだが、作品の題材はロシアの故郷の村であるというところがユニークさなのだということもあらためてわかった。
 日本でもよく知られている人気作家・作品がそろっており、1巻より更に馴染みが深いと言う読者が多いのでは。印象派が何を試みようとしていたのか(更にナビ派やフォーヴィズムが印象派を受けてどのような絵画表現解釈を生み出したのか)等、あらためて解説されると勉強になる。結構ふわっとした理解のままだったなと反省した。




『カラー版 名画を見る眼Ⅰ 油彩画誕生からマネまで』

高階秀爾著
 1つの絵画をその構造・構成やモチーフの意味、時代文化の背景や作家のプロフィール等から読み解いていく、西洋美術史入門の定番書。本巻ではルネサンスから19世紀までの代表的な作品を取り上げる。1969年に発刊されたものを、図版をカラー化し参考図版63点を新たに収録、更に最新の研究成果を注で加えた決定版。
 元本は大分昔に読んだ記憶があるが、カラー図版でリニューアルされたのは大正解。やはり色がちゃんとわかると理解度が格段に高まる。冒頭にカラーページをまとめるのではなく、それが扱われる各章に組み込まれているのもとてもよかった。元本は西洋美術史入門として大定番、サイズも価格も手に取りやすく内容的にも初心者向け。多くの人が手に取ることを考慮した意義のあるリニューアルだと思う。基本に立ち返って楽しく読めた。
 美術鑑賞の時、自由にその人なりの見方をすればいいという意見もあるしそれはそれで素敵だが、美術作品、こと古典作品では主題もモチーフも明確な意味を持っており、その意味は当時の鑑賞者にとっては共通認識だったろう。現代の人が作品を鑑賞するのとはだいぶ違う意味合いで鑑賞していたかもしれない。そういった背景を踏まえた鑑賞とはどういうものかを捉える手助けとなる一冊。




『メグレと若い女の死』

ジョルジュ・シムノン著、平岡敦訳
 パリのヴァンティミユ広場で若い女性の死体が発見された。メグレ警視は事件は単純なものではないと考え捜査を進める。女性の名前はルイーズと判明したが、なぜ殺されたのか、彼女が何をしていたのかは依然不明だった。メグレは彼女の痕跡を追い続ける。
 映画化に伴い新訳が出たので手に取った。シムノンの作品はクリスティやクイーンの流れで、古典ミステリの一環として子供の頃に読んだことがあるが、当時はやたらと地味で全く面白いと思わなかった。しかし今回改め読んでみたらすごく面白い。当時はわからなかった人間の機微がわかってきたことに加え、また新訳で文章自体が読みやすくなったというのも一因だろう。やはり長年読み継がれているものにはそれだけの理由があるんだなと納得した。
 警察が地道に捜査をする、本格ミステリというより警察小説としての側面が強い。メグレも部下らも実によく働くのだ。第二地区担当のロニョン警部の屈折した言動の描写も、年齢重ねてから読む方がその鬱屈、悲しさが実感できるのでは。そんなにひがまなくてもとも思うが、そう思ってしまうだけのこれまでの境遇があったんだろうということも実感としてわかるのだ。
 何より、被害者であるルイーズの人物像、人生が捜査が進むにつれ徐々に浮かび上がってくる様が素晴らしく、また痛切だった。メグレは、彼女がどのような生活を送り何を思っていたのか、残された手がかりをひとつずつなぞり、推測していく。その過程には見知らぬ他人であったルイーズに対するメグレの思いやりも感じられた。彼女の寄る辺なさは現代の若者の困難と通じるものもあるように思われ、そこが更に胸に刺さる。


紺碧海岸のメグレ (論創海外ミステリ)
ジョルジュ シムノン
論創社
2015-01-30


『medium 霊媒探偵 城塚翡翠』

相沢沙呼著
 推理作家の香月史郎は、霊媒・城塚翡翠と知り合う。城塚は死者を見ることができ、更に死者が死んだ現場で彼らを憑依させ死ぬ瞬間の記憶を体感することができると言う。彼女の心霊能力と香月の論理を駆使し、2人は様々な殺人事件の真相に迫る。
 連作集であり、個々の事件の間に大きな連続殺人事件が横たわるという構成。個々の事件はオカルト要素と論理的なミステリとの兼ね合いがなかなかうまく面白い。しかし城塚翡翠という若い女性の造形が、今時こんなあざといキャラ造形やります?大分感覚が古いのでは…と思っていたらそうきたか!シリーズ3作目まで出ているしドラマ化もされているので今更なのだが、これは予備知識ないまま読むとあっと言わされる面白さ。テンプレ化していたものをそういう風に使う段階になってきたんだなと実感した。相当力業のダイナミック伏線回収だが、けれんにてらいがなく見事。


invert 城塚翡翠倒叙集
相沢沙呼
講談社
2021-07-06




『メイドの秘密とホテルの死体』

ニタ・プローズ著、村山美雪訳
 高級ホテルのメイドとして働いているモーリーは、9か月前に祖母を亡くし、心細さと家賃の支払い遅延を抱えたまま生活していた。ある日、清掃に入った客室で、大富豪ブラックの死体を発見する。警察の捜査が始まるが、社会性に乏しく誤解されがちなモーリーの言動、そしてブラックの妻ジゼルと交流があったことで、疑いの目を向けられてしまう。
 既に映画化が決まっている作品だそうだが、確かに面白い。モーリーは清掃に関しては非常に有能で、プロとしての誇りも持っている。一方で他人の表情や「言外の意図」を読み取ることが不得手で、何でも額面通りに受け止める為、周囲とのコミュニケーションは往々にしてぎこちなくなる。彼女自身も自分が世間に馴染めていないという自覚があり、支えである祖母を失ってからは不安な日々を送っている。一般的にはこういう時にどういう反応をすることが妥当なのか、というガイドラインが彼女には必要なのだ。本作はモーリーの一人称で進むので、彼女が見ている風景と読者=世間が見ている風景のズレがわかる。他人の言葉を素直に受け取るモーリーの危なっかしさが際立ってくるのだ。読者には事件の真相やどいつが悪人なのかということは早々に検討がつくのだが、モーリーにはわからない。でもモーリーのように言葉の裏を探らない、裏を持たせない態度の方が誠実なのかもしれないとも思えてくる。
 一方で世間側のモーリーに対する見方も、多分に一面的で、困った人・鈍い人扱いされてしまう。彼女の有能さや面白さは、表面的に接する同僚や刑事にはわからない。この「見え方」が本作の一つのモチーフになっているように思った。ぱっと見の姿が本当の姿だというわけではないし、見ようとしないと見えないものがある。モーリーにもまた、見ないようにしていたもの・見せないようにしていたものがある。読者は自分たちもいつの間にか、モーリーはこういう人だろうと自分たちが枠にはめていたことに気付くのだ。






『目の眩んだ者たちの国家』

キム・エラン他著、矢島暁子訳
 2014年、4月10日、一隻の船が事故で沈没し、修学旅行中の高校生を中心に304人もの犠牲者が出た。このセウォル号沈没事件は韓国社会に大きな衝撃を与えた。現代韓国を代表する12人の小説家、詩人、評論家、学者らが事件について、それぞれの語り口で綴った文章集。
 セウォル号事件の何が衝撃で何が明らかになったのか、報道等で見聞きするのとはまた違った方向・深度で伝わってくる。そして事件の背後にあるものが、韓国だけではなく日本にも、そして世界中にはびこっているものだということが迫ってくる。事故は事故だが、それが起こるまでの過程、そして起こってからの過程は人災と言ってもいいだろう。事件と被害者に対しての企業や国の無関心が衝撃だったのだ。
 そういった状況を生み出したのは利潤と効率を追求する新自由主義、国家の新自由主義化であり、企業や政治の倫理の衰退であり、企業や政治の無責任である。特に国家の市場化や政治家がひたすら責任回避をする様、意味のある言葉を持っていない様は今の日本とあまりに似通っていて寒気がする。作中、何度も「公」「公的責任」に関する言及がある。国家は公のものであるのに、セウォル号事件の時、国家は公の為に動かなかった。その責任をとらせるには「わたし」のことは「わたしたち」のことにつながっている、どこかの「わたし」のことでもあるという共同体としての意識が必要なのだ。そこに希望があると言えるが、昨今の世の中を見ているとあまりにほのかな希望で絶望しそうになる。

目の眩んだ者たちの国家
キム・ヨンス
新泉社
2018-05-10


カステラ
パク ミンギュ
クレイン
2014-04-19




『名探偵の密室』

クリス・マクジョージ著、不二俶子訳
 かつて少年探偵として名をはせ、今はバラエティ番組の「名探偵」MCとしてタレント活動をしているモーガン・シェパードは、気付くとホテルのベッドに手錠で繋がれていた。その部屋には見知らぬ男女5人が閉じ込められていた。外に出る手段が見つからない中、バスルームで男性の死体が発見される。そして備え付けのTVに男が映し出され、3時間以内に殺人犯を見つけなければホテルを爆破すると告げる。
 密室、死体、そして探偵という直球の本格ミステリではあるのだが、「誰が」あるいは「誰なのか」という部分で何重かの仕掛けがされている。アルコールとドラッグに依存気味なシェパードの語りの信用できなさも含め、登場人物全員の話があやしく信用できない。殺人犯は誰なのか、彼らは何者なのか、犯人の狙いは何なのか。ばらばらに見えた要素が一つの目的に集約されていく。ケレンの強い、謎解きというよりもジェットコースタードラマ的なミステリ。明かされる仕掛けが大仰すぎてちょっと「本格」感が薄れてしまった。め、めんどくさいことやってるな犯人!終盤、ある人物の語り口調が急に不自然なものに変わるのだが、原文のニュアンスってどういう感じなのかな?不自然、人工的な口調になったということ?

名探偵の密室 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
マクジョージ,クリス
早川書房
2019-08-06




『メインテーマは殺人』

アンソニー・ホロヴィッツ著、山田蘭訳
 資産家の老婦人が、自身の葬儀の打ち合わせをした直後に自宅で殺害された。彼女は死を予感していたのか?“わたし”こと作家のホロヴィッツは、ドラマの脚本執筆に協力してもらったことがある元刑事ホーソーンから、自分がこの事件を捜査するから取材して本にしないかと話を持ち掛けられる。傲慢なホーソーンとはうまが合わないものの、事件の不可解さに惹かれて執筆を引き受けるが。
 『カササギ殺人事件』で小説家としても高評価された著者だが、元は(今も)脚本家。本作には、ホロヴィッツがワトソン役で登場するというと同時に、ホロヴィッツが手掛けたドラマの題名や出演俳優の名前も次々と出てくる。また、ドラマ・映画界の住民がワトソン役なので、映像作品の制作にまつわる小ネタがふんだんにあるのも楽しい。あのビッグネーム映画監督2名が実名で登場するのには笑ってしまった(作中でこの2人が取り組んでいる作品は日本では興行大コケでしたが…)。そしてミステリーとしては、クリスティへのオマージュ、パロディがベースにあった『カササギ~』よりもよりスタンダードな本格。著者(と同名の人物)が語り手で実在の人物の名前が出てくるという変化球はあっても、複線の敷き方や犯人特定の道筋は、まさに犯人当ての王道。1冊で完結しているというのも好感度高い。
 探偵役のホーソーンは人としては少々不愉快、謎が多くしかし捜査官としては有能という癖のあるキャラクター。やはり探偵は癖があるキャラなのが王道か。ワトソンがほどよく抜けているのも王道。

 
メインテーマは殺人 (創元推理文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
東京創元社
2019-09-28


シャーロック・ホームズ 絹の家 (角川文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
KADOKAWA/角川書店
2015-10-24


 
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