3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『息子と狩猟に』

服部文祥著
 倉内は週末だけハンターとして狩猟をしている。ある日、小学生の息子を連れて鹿を追っていたところ
、死体を抱えた詐欺集団リーダーの加藤と遭遇してしまう。表題作の他、世界最難関のゆく山での登山家たちの極限状態を描く「K2」の2編を収録した作品集。
 一方で倉内が鹿や熊を追って撃ち取る狩猟の様子、もう一方で加藤が「オレオレ詐欺」その他の特殊詐欺でターゲットから金銭をむしりとっていく様子、2つの「狩り」が同時進行していき、ある一点で交錯する。よりによって最悪のタイミングで出会ってしまう。そこからまた「狩り」が始まるのだが、どちらがどちらを狩るのかスリリングだ。倉内が身を置く狩猟の場は生き物対生き物という、ある意味対等かつプリミティブな世界(人間社会の倫理と生き物としての在り方の間でゆらぐ倉内は少々危ういが)なのだが、そこに加藤が属する欲と金の世界、弱者を食い物にする世界が混入してくる。動物の弱肉強食と、人間間の弱肉強食は全然意味合いが違うという対比がある。狩猟も特殊詐欺も手順の描写が非常に具体的で新鮮だった。「K2」も雪山登山の寒さと危険がひしひしと伝わってくる。どちらの作品も、人間社会の倫理と生物としての本能とのせめぎあいがスリリングで、極限状態の犯罪小説としても読める。

息子と狩猟に (新潮文庫)
服部 文祥
新潮社
2020-04-25


はっとりさんちの狩猟な毎日
服部文祥
河出書房新社
2019-05-21


『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』

栗原康著
 女性を縛る結婚制度や社会道徳に反旗を翻し、平塚らいてうと共に文筆家として青鞜社で活躍、パートナーの大杉栄と共に国家に惨殺されたアナキスト・伊藤野枝。彼女の28年の生涯を追う評伝。
 岩波現代文庫版で読んだが滅茶滅茶面白い!ハードカバーで出版された当時に何で読まなかったんだ!と歯噛みするくらい面白い。野枝の人生自体はもちろん、それを綴る著者の文体に妙なグルーヴ感があってぐいぐい読ませる。ノリと勢いが良すぎて抵抗があるという読者もいるかもしれないが、野枝の人生の勢いの良さとマッチしていたと思う。
 野枝の当時としては異例な先進性、あくまで「個」であろうとする姿はギラギラとまぶしい。自分がやりたいことしかやらない、欲しいものは何としても欲しい、貧乏なんてへっちゃら、生きていれば何とかなるという振り切った生き方は彼女の死から100年近くたった今でも突き抜けすぎたものに思えるかもしれないが、いっそ清々しい。なんにせよ人生が面白すぎる人だ。本書内で引用されている彼女の文章も抜群のパンチライン。「あなたは一国の為政者でも私よりは弱い」なんてかっこよすぎるだろう。一方で、ジェンダー(という概念は当時なかったが)に縛られない個の尊重と自由を唱えつつも、大杉の為に家事に励み「良き妻」として振舞ってしまう矛盾への自省、そういう振る舞いを無意識に女性の身に沁みつかせる社会の構造への指摘は全く古びていない。面白いのは、野枝の場合思想が先にあるのではなく、こうしたいという欲望が先にあり、そこに思想がついてくるように見える所だ。だからやっていることにはいろいろ矛盾も出てくるのだが、本人たぶん気にしていない。やりたいことをやる。いやなら逃げる。世間とか知るか。それでいいのだ。


伊藤野枝の手紙
伊藤 野枝
土曜社
2019-05-08




『娘について』

キム・ヘジン著、古川綾子訳
 老人介護施設で働く「私」の元に、住む場所をなくした30代の娘がしばらく住まわせてくれと転がり込んでくる。更に娘は1人ではなく、同性のパートナーを連れてきた。娘の将来を案じる「私」は猛反発する。
 LGBT、老い、介護、老後の経済問題等、様々な問題が折り重なっており、読んでいて気分が重くなる。特に、全ての問題の背後にお金の問題が透けて見えるところが個人的には非常に辛かった。「私」は決して裕福ではなく、夫が死んだ後は介護職で食いつ居ないでいた。自宅は持ち家で上階を人に貸してはいるが、水漏れを修理できるような余力はない。「私」は娘を大学にやるために教育にお金を惜しまなかったのにその見返りが何もない、娘は無職だし子供を残せるとも思えないと嘆くが、もし「私」に十分な経済力があって、老後に娘を頼らなくてもなんとかなりそうだったら、娘に対する失望も怒りもここまで強烈ではなかったのでは。なぜ娘は普通の幸せを拒むのか、普通に生きられないのかと「私」は考えるが、そもそも普通って何だよ!娘にとっては今のやり方が普通ではないんだろうか。2人の考え方のギャップが大きすぎる。世代間ギャップが日本よりも更に激しいように思った。急激に社会が変化したことの影響なのか。
 娘は大学教員の同僚が不当に解雇されたことに対して抗議運動をしている。「私」は自分の得にならないし世の中から白眼視されるだけなのに何でそんなことをするのか、普通に生きることはできないのかとなじる。しかし「私」もやがて、自分の得にはならないことをして世の中に反旗を翻すのだ。「私」と娘がやっていることは同じタイプのことで、そこには2人の不和を乗り越える希望がほのかに感じられる。とは言え「私」はその同質さに気付かないままなのだが。


『六つの航跡(上、下)』

ムア・ラファティ著、茂木健訳
2500人の冷凍睡眠者と人格データを乗せ、地球から遥か遠い星を目指す恒星移民船。目覚めているのは船を管理運行する乗組員6名のみだった。その途中でその6人全員が死亡。クローン再生手続きがされていた為に6人全員が新しい体でよみがえったものの、彼らは地球出発から25年分の記憶を消去されており、船のAIもハッキングされデータには損傷があった。クローン再生機も破壊され、今度死んだら復活はできない。果たして誰が何の為に殺人事件を起こしたのか?
クローン技術が発展し、人間個体の死の重要さがきわめて軽くなった世界が舞台。記憶等のパーソナルデータは常に蓄積され、死んでもクローン躯体にデータを乗せて復活するのが当然なのだ。ちゃんと「殺人」をするには、クローン再生できない環境にしないとならない。この世界設定が殺人事件の謎としっかり噛み合っており、SFとしても本格ミステリとしてもとても面白かった。この設定だからこういう解になる、という筋の通り方。
 登場人物6人それぞれに後ろ暗い秘密があるが、彼らの造形は善人でも悪人でもなく、表情豊か。人間関係、お金、信仰等、抗いがたい要因によってここまで来てしまったのだ。彼らに対して向けられるのは絶対的な力の理論(状況としては非常に悪意に満ちているのに、犯人にはおそらく悪意すらない)なのだが、それでも抗うことを最後までやめない。会話文の翻訳の軽快さが良かった。AIがどんどん「個人」としての特性を強めるのだが、これがラストでまたぐっとくる。

六つの航跡〈上〉 (創元SF文庫)
ムア・ラファティ
東京創元社
2018-10-11


六つの航跡〈下〉 (創元SF文庫)
ムア・ラファティ
東京創元社
2018-10-11





『胸騒ぎのシチリア』

 ロックスターのマリアン(ティルダ・スウィントン)は声帯手術後の保養の為、恋人のカメラマン・ポール(マティアス・スーナールツ)とシチリアのバンテッドリーア島で過ごしていた。そこへマリアンの元夫で音楽プロデューサーのハリー(レイフ・ファインズ)が、最近娘だとわかったというペン(ダコタ・ジョンソン)を連れてやってくる。ハリーはマリアンとの復縁を望んでいた。監督はルカ・グァダニーノ。
 シチリアの風景はものすごくきれい!観光映画としても効果抜群なのだが、ちょっと変てこな印象。出てくる映像はキラキラしたシチリア海と浜辺があって風情のあるコテージと田舎町があって、そこで美しい男女がいちゃついたり諍いを起こしたりして、というような、イタリア映画黄金時代を(私が勝手に)思い起こすようなものなのだが、ショットのつなぎ方にやたらと躍動感がある。本作、マリアンがロックスターということもあってロック、特にローリングストーンズの音楽が印象的な使われ方をしているのだが、映像のリズムがロックっぽいのだ。イタリア映画的なムーディーな音楽は殆ど出てこなかったように思う。
 登場人物はほぼ4人のみでマリアンとハリーはおそらく50歳前後、ポールはマリアンより若く、ペンはぐっと離れて20歳前後といったところだ。この配置からすると、若く美しい女性が年長の3人の関係を引っ掻き回すパターンが定番だろうし、実際ペンはポールに対して気を引こうとするし、半分くらいは成功しているように見える。
 が、やはり本作での人間関係のゆらぎはマリアンを中心としてハリー、ポールの3人の間で生じているように思う。マリアンとハリーは離婚したとは言えお互いの仕事に理解もあり、ウマは合うので再会すれば親密な空気は生じる。一方で、ハリーとポールの間にも親密さがあるところが面白い。そもそもポールをマリアンに紹介したのはハリーなので、この3人が共犯関係のようにも見えてくる。とはいえ、ハリーがマリアンとの復縁を望んでいる以上、マリアンと(ぱっと見)円満なポールとの間には嫉妬が生じる。親密さと嫉妬とがそれぞれを反対方向にひっぱり、なんとも面倒臭い感じになっているのだ。ペンは結局、榧の外だったように思う。彼女の若さと聡明さも、3人の因縁に対するアドバンテージにならないのだ。マリンは当初、ペンに対してすごく若いしハリーに付き合わされて(父親の元妻とその恋人の家に連れて行かれてもな・・・きまずいよねってことだろう)かわいそう、みたいな態度を見せていたのだが、案外それが実際の所だったのかもしれない。

『虫とけものと家族たち』

ジェラルド・ダレル著、池澤夏樹訳
個性派揃いのダレル一家は、日の光を求めてイギリスからギリシアのコルフ島へ引っ越した。動植物をこよなく愛する末っ子のジェリー少年は、イギリスでは見慣れない虫や動物たちに夢中になる。著者はイギリスのナチュラリストで作家。本著はベストセラーとして長年愛されているそうだ。すごくいい夏休み小説!厳密にはバカンスでコルフ島に来ているわけではないのだが、ちょっと非日常な時間と場所を家族と過ごすところが、夏休みっぽい。ジェリーの虫や動物、鳥に対する時に行きすぎた愛と情熱、そして観察力で、世界が生き生きと描かれる。彼と彼が集めてきた生き物たち、そして何より素っ頓狂な家族が巻き起こす事件も愉快なのだが、何よりジェリーが世界に注ぐまなざしの真摯さ、風景・情景のディティール描写の豊かさが大きな魅力だ。師匠的存在かつ親友であるセオドアの、ジェリーに対する接し方がよかった。ジェリーは子供だが、同じ「研究者」として、一貫して対等に接するのだ。なお、ジェリーの兄ラリーは、後の小説家ロレンス・ダレルなのだが、誇張されているだろうとは言えこんな困った人だったのかー!屁理屈我儘ばかりで周囲を振り回すわ、目立ちたがりだわでとんだトラブルメーカー。しかし他の兄弟も似たり寄ったりか・・・。
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