寺地はるな著
刺繍が好きで高校入学早々、クラスの自己紹介で「手芸部に入るかも」と宣言した清澄。結婚を控えた姉の水青はかわいいものや華麗なものが苦手で、ウェディングドレスを着なければならないことに悩んでいる。清澄は姉のためにウェディングドレスを作ると宣言する。しかし母・さつ子は反対し、清澄が手芸好きなことにもいい顔をしない。
母親は清澄は弱弱しいと思っているが、入学早々自分の好きなものを、それがまとうイメージに押されず表明できるというのは相当強いのではないだろうか。清澄は男子が手芸が好きと言うとクラスでも浮くだろうということはもちろんわかっているし、これまでもそういう経験をしてきた。それでも“でもさびしさをごまかすために、自分の好きなことを好きでないふりをするのは、好きではないことを好きなふりをするのは、もっともっとさびしい”のだ。また清澄にしろ同級生のくるみにしろ、いわゆる好きなことを仕事にして生きていきたいというわけではない。好きなことは単に好きなことであり、生活の為の技とは別物だ。そこがさつ子にはわからない。
さつ子は子供たちに平穏に生きてほしいから悪目立ちしてほしくない、周囲から目を付けられないように、当たり障りなく平均的な人生を送ってほしい、それが幸福だと考えているのだが、彼女の思う幸せは清澄の幸せとは異なる。さつ子は「男性/女性だから」、「~ならこうあるべき」ないしは「これなら安全」という意識が強く、それは時に鈍感さにも見えるのだが、子供が心配だからこその言動ではある。ただ、幸せに王道はなく、清澄は彼女が思っているよりももっと先に行っているのだ。
清澄は元々好きなことをどんどん突き進めているのだが、家族たちもまた自分が何が好きで何をやりたかったのか、そして何が嫌で何に傷ついたのか自覚していく。それは生きることが少し自由になることではないか。また、離婚した清澄たちの父と、その面倒を見ている友人との関係、更に彼と清澄らとの関係のあり方も印象に残った。これもまた家族と言えるのでは。家族と名付けられるものの形は実は曖昧で、多様で不定形なものではと考えさせられる。