3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『魔女 エリカ&パトリック事件簿(上、下)』

カミラ・レックバリ著、富山クラーソン陽子訳
 4歳の少女ネーアが行方不明になった。知らせを受けた警官のパトリックは、30年前に4歳のステラ・ストランドが行方不明になった後、他殺死体で発見された事件を思い出す。ステラが暮らしていたのは、今現在ネーアと家族が暮らしている家だった。さらに、ステラ殺害の容疑者で当時未成年だった女優のマリーが撮影の為に町を訪れていた。当時、マリーと親友のヘレンが2人でステラを殺害したとみなされていたのだ。
 久しぶりにこのシリーズを読んだのだが、エリカの妹アンナの様子がだいぶ落ち着いてほっとした。また、トラブルメーカーのメルバリが珍しくまともなことを言っている…と思ったらまた余計なことを!それでも愛すべきところがシリーズ重ねるごとに出てきて、いいキャラクターだ。キャラクター問わず、大事なことをここぞというところで忘れてしまう、見落としてしまうというパターンが何度も出てくるのが構造としてはちょっと気になった。
 現代の事件と30年前の事件、そして17世紀の事件が交互に語られる。17世紀の事件は本作の題名に最も深く関わる内容だが、それだけに「彼女」の運命が見えて辛い。魔女を作り出すのは自分たちには理解し難い、異なる存在に対する周囲の恐怖と無理解で当人の意志ではない。30年前の事件や現代の事件の背後にも同じものが見え隠れする。偏狭さがある人たちを後戻りできない所まで追い込んでしまうのだ。今回は移民問題も絡んできて、今の日本と同じような不寛容の蔓延が不穏な影を落とす。シリーズの方向性にもかかわってくるのだろうか。

『マンソン・ファミリー 悪魔に捧げた私の22カ月』

 ダイアン・レイク、デボラ・ハーマン著、山北めぐみ訳
ヒッピー文化に染まった両親に連れられ、あちこちを転々としてきた14歳のダイアンは、チャールズという男と彼の仲間の女性達と知り合う。家庭に居場所がなかったダイアンはチャールズらが本当の“ファミリー”だと感じて彼らの仲間に加わる。しかし、ファミリーはカルト集団に変貌していき、やがて無差別殺人を犯すのだった。“マンソン・ファミリー”の一員だった著者に手記。
 マンソンファミリーといえばシャロン・テート殺人事件。とはいえ著者は殺人事件に直接的には関わっておらず、事件についての言及も多くはない。本作はあくまで著者の体験談で、14歳の少女だった著者にチャールズがどのようにつけこみ、自分のコントロール下においていくのかという過程がありありと記録されている。自分の体験を客観化し読み解いており、チャールズの人心掌握術の分析も的確なことから、ダイアンが本来聡明(作中、勉強は好きで成績もよかったし学校には通いたかったと何度か言及されている)なことが窺える。また、母親の手伝いをしている描写からは器用で要領もいい様子が見て取れる。そういう人がどうしてマンソン・ファミリーに魅力を感じ抜け出せなくなったのか。カルトやDVパートナーに付け込まれやすいのはどういう人なのか、取り込まれていくとその人の認知がどのように歪んでいくのかという典型的な事例だと思うし、それ故にとても怖い。
 ダイアンの場合は両親が保護者であることを引き受け切らず、十分に「子供」として保護されなかったことが大きな要因だろう。父親は家庭への責任を忌避し(このあたりの描写はかなり冷静に観察されており辛辣)、母親は子供への愛情はあるが父親の言いなり。2人は娘を一人前扱いするが、それは自分達にとって都合のいい一人前扱い、つまり子供へのケアを放棄して構わないということでしかない。そんな家庭の中にはダイアンが安心できる、必要とされる場所がないから外部に居場所を求め、最悪の選択をしてしまうのだ。チャールズの元に集まってきた人たちは多かれ少なかれそのような一面があったことも垣間見える。その行きつく先が無差別殺人というのはやりきれないよな・・・。

『曲がった蝶番』

ジョン・ディクスン・カー著、三角和代訳
イギリスのある町に、1人の男が現れた。この町の名士で爵位と地所を継いだジョン・ファーンリー卿は偽物で、自分こそが正当な継承権を持つ本物だと彼は主張する。2人はタイタニック号に乗り合わせ、事故の際に入れ替わったというのだ。決定的な証拠が開示されようとした矢先、不可解な事件が起きる。名探偵・フェル博士初登場作品。
新訳で読んだが大分読みやすくなっていた。フェル博士の喋り方がちょっとカリカチュアされすぎな気もするのだが、全体的に「キャラ」感が強い会話文のように思う。カーは読みにくいという先入観があったのだが、あれは日本語の文の読みにくさで、原文はそうでもなかったのか・・・?
古いお屋敷に不可能殺人、そしてなぜか登場する自動筆記人形と、オカルト風味漂う作品。あくまで風味なのだが、それが事件とちゃんと関わっているという所は面白い。が、肝心の犯行方法の解説はなんだかはぐらかされた気が・・・。本格ミステリとしては途中で投げた感があって少々苦しいのでは。

曲がった蝶番【新訳版】 (創元推理文庫)
ジョン・ディクスン・カー
東京創元社
2012-12-21


曲った蝶番 (創元推理文庫 118)
ディクスン・カー
東京創元社
1966-04


『真夜中の太陽』

ジョー・ネスボ著、鈴木恵訳
 少数民族サーミ人が住む、ノルウェーの北部。極北のこの地を大金と銃を持った1人の男が訪れた。ウルフと名乗る男は素性を隠し身をひそめるが、教会の堂守をしているサーミ人の女性レアとその幼い息子と心を通わせていく。しかしレアには漁業に出たまま戻らない夫がおり、ウルフへの追手も迫っていた。
 著者の『この雪と血を』と地続きの作品で、共通の登場人物もいるし作品の雰囲気も似ている。とは言え独立した作品なので、続けて読む必要は特にないだろう。本作の主人公ウルフ(自称)は金の為に殺し屋になろうとするが、果たせずに北の地へ逃げる。人が逃げるのってやっぱり北方がしっくりくるのだろうか(自分が逃亡者だとしても北に逃げそうだな)。独自のコミュニティを形成しているサーミ人たちの暮らしぶりと、非常に厳しそうな自然環境の描写が相まって、世界の果て感が強い。現地に住んでいる人たちにそんなこと言ったら怒られるんだろうけど・・・。蚊の多さと強靭さの描写にはぞっとするのだが、それでも自然描写には魅力があった。
 ウルフはすごくタフなわけでも頭が切れるわけでもなく、銃の扱いにも不慣れという所が新鮮。殺し屋と言う柄ではないのだがやむにやまれず後戻りできない道を進んでしまった。レアにもまた、やむにやまれぬ事情がある。彼女を縛るのは男尊女卑の文化で、こんな聡明で強い女性がそんな目に遭うなんて!と憤懣やるかたない。そんな2人が非常にささやかな所から想いを通わせあう様子はいっそ微笑ましいくらいで、殺伐とした背景とのギャップがあるのだが、状況が寒々しいからこそささやかなものが美しく見える。
 なお、本作の時代設定はいつぐらいなのかな?ビートルズやストーンズの話題が出てくるところから60年代か70年代だと思っていたのだが、だとすると「まじで」という台詞はおかしいんじゃないかな(当時は「まじで」って言葉使わなかったんじゃない?)。

真夜中の太陽 (ハヤカワ・ミステリ)
ジョー ネスボ
早川書房
2018-08-07


その雪と血を (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョー・ネスボ
早川書房
2018-11-20




『まほろ駅前狂騒曲』

三浦しをん著
 まほろ市で便利屋を営む多田の元に、高校の同級生・行天が転がり込んで同居生活もはや3年目。地域密着型の便利屋として営業を続ける多田便利軒は、親族の見舞い代行やバスの運行チェック等も相変わらず引き受けている。ある日、行天の元妻が、2人の間に生まれた実の子を便利屋として預かってほしいと依頼に来る。
 シリーズ3作目にして完結編。同題名で映画化もされた(お勧めです)。今回は、行天がなぜ過去を一切口にしないのか、家族と疎遠なのか、子供を忌避するのか、その行動の根っこにある部分が明かされる。多田も行天も家族にまつわる傷を持つが、それぞれ形は違う。その傷を理解できる、共感できる等ということは言わない所が、2人の距離感のある種の折り目正しさを感じさせる(実際の言動はお互い失礼なことばっかりだけど・・・)。多田が行天に対して言えるのは、お前は大丈夫だ、お前を信じているんだということだ。本シリーズ、ユーモラスな中にも苦さ寂しさが滲むのは、過去の変えられなさが常にまとわりつくところにあるだろう。しかし同時に、過去は変えられないが傷は痕が残るとしても塞がる、人生やり直しは出来ないかもしれないが仕切り直しは出来る。行先がほのかに明るいのだ。はるという、問答無用で前を向いている幼い子供の存在にひっぱられてのことであるのはもちろん、これまでのシリーズで登場した人たちがそれなりに、あるいは何となく元気に生きている、その中に多田も行天もいるのだという時間の積み重ねによるところが大きいように思う。

まほろ駅前狂騒曲 (文春文庫)
三浦 しをん
文藝春秋
2017-09-05


まほろ駅前狂騒曲 DVD通常版
瑛太
ポニーキャニオン
2015-04-15

『幻の女』

ウイリアム・アイリッシュ著、稲葉明雄訳
 町をさまよっていたヘンダースンは、バーで奇妙な帽子を被った女と出会い、気晴らしに彼女をレストランと劇場に誘う。お互いに名前も聞かずに別れたが、帰宅したヘンダースンを待っていたのは妻の死体と警官、そして殺人容疑だった。ヘンダースンはアリバイとしてバーの女の存在を主張するが、バーテン始め、誰もその女を覚えていないと言うのだ。
 本作、出だしの文章のかっこよさ(もとい気障さ)で有名だが、大どんでん返し系ミステリとして面白かったんだな・・・。実は以前に読みかけたものの頓挫していたことを半分くらい読んでから思い出した。なぜ頓挫したかというと、おそらく証人探しの流れがご都合主義的で強引に思えたからだろう。ただ、終盤になるとそのご都合主義込でなるほど!というサプライズが待っている。正直強引なことは強引なのだが、力技で成立させてしまっている。誰も自分の言うことを信じてくれない、しかも他人からの証言が自分の記憶をいちいち否定していくという悪夢のような設定と、死刑のタイムリミットが迫る中での証人探しというスリリングさで読ませる。プロットの力技感と文章のスタイリッシュさのミスマッチに味があった。ところで、当時の女性にとって帽子ってそんなに重要なファッションアイテムだったんですかね・・・。他人と同じ帽子を被るなんて屈辱的!というテンションがいまいちわからない。

幻の女 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 9-1))
ウイリアム・アイリッシュ
早川書房
1976-04-30

幻の女 [DVD]
フランチョット・トーン
ジュネス企画
2010-05-25

『満潮(上、下)』

シッラ&ロルフ・ボリリンド著、久山葉子訳
警察大学の学生オリヴィアは、未解決事件を調べる課題として、刑事だった亡き父が担当していたノードコステル島の殺人事件を選ぶ。臨月の女性が砂浜に生き埋めにされ、満潮により溺死したのだ。オリヴィアは父の同僚だった男性を探すが彼は刑事を辞め失踪していた。一方、町ではホームレス襲撃事件が起きていた。
過去の殺人事件やホームレス襲撃事件、大企業の役員が抱える秘密など、様々な要素、様々な人々の過去と現在が絡み合っていく。要素が多いので真相のフェイクとなる部分も多く、えっそっち?と驚かされる。裏と表がくるくる入れ替わるパズルのような印象があった。ピースの組み合わせ直しが頻繁に行われ、話がどんどん広がっていくのだが、着地点がまた意外。個人的な怨恨が、一番突発的に発露されるものなのかも。オリヴィアの若さ故の正義感と無鉄砲さ、夢中になりやすや見込みの甘さ(現職警官たちとの見解の相違がな・・・)微笑ましくもあり、彼女の今後を応援したくなる。

『窓の向こうのガーシュウィン』

宮下奈都著
 周囲に馴染めず自分に何かできるという自信もないまま、19歳になった「私」は、ホームヘルパーとして横江先生の家に通うようになる。そこで出会った額装家の男性の、「幸せな風景を切り取る」という言葉にひかれて、ヘルパーの傍ら、額装を手伝うようになる。
 ガーシュウィンの「summertime」がモチーフのひとつとなっている。「私」がこの曲から想像するものは、この曲が意味する所とは大分違うのだが、大事なのは曲そのものというよりも、それに付随する「私」の記憶の方だ。額装が記憶を引き出したことで、「私」は自分の家族との関係、家族のこれまでを少し俯瞰することが出来たのだと思う。
 「私」は未熟児で生まれたにも関わらず保育器に入れられなかったせいで少し耳が悪く(と本人は思っている)、周囲の会話の内容が頭に入ってこなかったり、相手の意図の理解が遅くてずれた会話になってしまったりする。語彙も少なく、要領よく話すことが苦手だ。そういう人の一人称による語りなので、正直、読んでいてかなりまどろっこしい。「私」の世界の見方が変わっていく様を追体験することにはなるが、表現が幼すぎてフラストレーションがたまるところも。

『町へゆく道』

ナターリア・ギンツブルグ著、望月紀子訳
世間に交われず親の期待を裏切り続ける弟の婚約の顛末を描く『ヴァレンティーノ』、プライドが高く現状に満足しない母親が友人との事業を夢見る『射手座』、16歳の「私」の現状への焦りと、親戚の青年との思いのすれ違いを描く『町へゆく道』等、中篇3篇と短編3篇を収録。『夜の声』と同じく著者の初期作品集だが、本作収録の『不在』が17歳(1933年)の作品だというから恐れ入る。『不在』は関係に隙間風が吹きちぐはぐな夫婦を、夫の独白で描いているのだが、よくまあこんな倦んだ関係を書くよなと。他の作品ももれなくどんよりと重苦しい。舞台は郊外や田舎の町だが、この場所=家から出ていけない、新しい時代がきつつあることはわかっているのに、この場所にはこないというもどかしさみたいなものを感じた。男女関係がおおむね破綻していくのも共通している。対して親子・親戚関係は断ちたくても断てない。時代背景を感じさせる閉塞感がある。特に女性の人生における選択肢が結婚しかないところが辛い(結婚しない人もいることはいるが、変わり者扱い)。

『増山超能力師事務所』

誉田哲也著
超能力の存在が公式に認められ、一定の試験に合格した超能力者は「超能力師」としてその能力を仕事に使えるようになった日本。有能な超能力師・増山が所長を務める増山超能力事務所は、能力の種類も質もバラバラな所員を抱え、浮気調査、家出人探しや企業の面接等に奔走する。ヘタレな新入所員や、気は優しいが押しが弱い中堅、能力も性格もルックスもキレ味抜群なエース、どっしり構える事務員ら、個性はバラバラな所員それぞれが主人公を務める連作短篇集。超能力と言っても、その言葉のイメージと比べて、出来ることは結構限定されており不自由だという所が、地に足ついた設定。最終的には人対人でどうにかしなければならない話になる。そこで解決できないことは、多分超能力を使っても解決できない。新人の「明美」を巡って、ちょっとこの表現セクハラっぽいなと思った部分が、後の「明美」主人公回でリカバリーされる等、連作ならではの話が広がっていく面白さがある。終盤、急にシリアスになって次回へ続く!的な引きを持ってくるのは、ちょっとずるいが。超能力師事務所の営業形態は探偵事務所や興信所がモデルなのだろうが、序盤に出てくる契約書のくだりなど結構説得力あって、ちゃんと取材しているんだろうなという感じがする。こういう部分を書くか書かないかで、お話としての手応えって随分変わってくると思う。そのへんの目配りは職人的。

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