3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『ホープ・ネバー・ダイ』

アンドリュー・シェーファー著、加藤輝美訳
 ホワイトハウスを離れた元副大統領バイデンは地元のデラウェア州に戻り、家族と平穏で単調な生活を送っていた。ある日彼の前に、8年間苦楽を共にした元大統領オバマが現れる。バイデンが親しくしていた鉄道職員フィンが鉄道事故で亡くなったが、現場でバイデン家の地図が見つかったというのだ。フィンの死に疑問を持ったバイデンは、オバマを巻き込み独自に調査を始める。
 まさかバイデンに可愛みを感じる日が来るとは。本作、実在の政治家(本作が書かれたのは2018年のトランプ政権下)を主人公にしたミステリでありバディ小説なのだ。よく書いたな!バイデンに対してもオバマに対してもそこそこ失礼な描写もあるので、怒られないのか気になってしまった。ぎりぎり愛される造形になっているから大丈夫なのか。
 バディを組むのは当然オバマとバイデン。オバマがセレブと遊んでばかりで自分には全然声をかけてこないので、私なんて8年一緒にいたのに…とバイデンが嫉妬に駆られたりするという可愛らしさ。頭脳明晰でスマートなオバマと、考えるよりも先に動いちゃうバイデンの凸凹コンビが活躍するのだが、探偵としての腕はあまりよくないのはご愛敬。シークレットサービスもいい迷惑だな!そんなにミステリ濃度は高くないのだが、バイデンのいい意味での普通さ、まともさが後味の良さにつながっている。バイデンといえば演説が退屈、失言しがちというイメージがあるが、それもネタとして盛り込まれている。あとオバマはやはりキャラが立ってたんだなーと再確認した。もちろんあの有名なフレーズも出てくる。キャラが立っていればいいというものではないことはトランプが証明したわけだけど…。

ホープ・ネバー・ダイ (小学館文庫 シ 9-1)
アンドリュー ・シェーファー
小学館
2021-10-06



ホワイトハウス・ダウン [Blu-ray]
ジェイソン・クラーク
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2014-06-04




『ボーイフレンド演じます』

アレクシス・ホール著、金井真弓訳
 ロックスターを両親に持つルークは、常にパパラッチに追いかけられ、酔った醜態をゴシップ誌に掲載されることもしょっちゅうだった。彼の素行が影響して、勤務先の慈善団体は何人もパトロンを失っており、上司から最後通告を受ける。ルークは職を守る為に献金集めパーティーに連れていける「まともなボーイフレンド」を演じてくれる人を探すことに。友人の紹介で法廷弁護士のオリヴァーと会うが、彼は生真面目で几帳面な堅物で、育ちも性格もルークとは正反対だった。
 お互いに「理想的なパートナーがいますよ」というアピールの為のフェイクパートナーとして付き合うわけだが、ヘテロだろうがベイだろうが対外的に無難なパートナーがいないと諸々不便な社会って全く不便だな!スタッフの素行の悪さで献金をひっこめるというのは団体の活動内容をどうとらえていたんだ?ということになるし、上司が「まともなボーイフレンド」作れと指示するのもハラスメントなのでは…。また、英国上流階級をカリカチュアしたジョークの数々、英国ではいわゆる「よい家柄」いじりってどのくらい許容されているの?これは笑えるやつなの?と色々気になってしまった。多分コメディ部分なんだろうなという所があまり笑えないのだ。
 最初共通項や共有できる要素が全くないように見えた2人が、つんけんしつつも徐々に互いのいい所、面白みを見つけて惹かれあっていく様は、正に王道展開。ストーリーが進むにつれ、2人はある部分では似ているとわかってくる。自己肯定感の低さが違った形で表面化しているのだ。その自己肯定感の低さは親との関係が根っこにあるのだが、特にオリヴァーと両親との関係はかなり問題あり。親の「よかれ」が本人を置き去りにしているんだけど、親の思い込みが強すぎるんだよな…。だからこそ親の価値観とは全然違うルークがオリヴァーの支えになれるのだろうけど。
 楽しい作品だが、主人公であるルークがしゃべりすぎ・人の話聞かなすぎ・感情の上下激しすぎで個人的には好きになるのが難しいタイプ。彼の友達らの行動の賑やかさと「良かれと思って」感も強引すぎて、愛に溢れているのはわかるんだけど若干苦手なんだよね…。


 

『ポストコロナのSF』

日本SF作家クラブ編
 新型コロナウイルスのパンデミックにより、人類社会は変容を強いられ続けている。この先、ワクチンの普及によりウイルスは収束していくのか。また変容した人類社会はどこへ向かうのか、種としての意識は変化するのか。19名のSF作家がコロナ渦中でポストコロナの世界を描く書下ろしアンソロジー。
 ポストコロナの世界を描くといっても、物理的な生活様式であったり、コミュニケーションにおける意識のあり方であったり、ウイルスという存在の特性であったり、対ウイルスのテクノロジーの発達を発端にしたものであったりと、切り口は様々だ。ただ、割と読者の想像の範疇内に収まった作品が多いように思う。SFの魅力は思わぬ遠い所まで読者を連れていく想像力にあると思うのだが、そこまでの飛躍は感じられない。これは作家の力量というよりも、パンデミックが現在進行形の現象、かつ日常化しており当事者性が高すぎるからという側面もあるのだろうかと思う。あまりにかっ飛ばしたアイデアは書きにくいのかなと。意外と地に足のついた作品が多いように思う。
 そんな中、発想自体はそれほど飛躍していないもののバカSFという方向に振り切った柴田勝家『オンライン福男』、天沢時生『ドストピア』は人類のへこたれなさを感じさせ楽しかった。タオリング、いいじゃないですか。


『ぼくにはこれしかなかった』

早坂大輔著
 岩手県盛岡市にある古書・新刊書店BOOK NERD。会社員として働いていた著者は、2017年にこの店を開いた。それまでの仕事とは全くの畑違いである書店を始めた理由、経営上の困難、そして働くとは何なのか。現在進行形で書店店主として働く著者のエッセイ。
 盛岡に旅行した時BOOK NERDに立ち寄ったのだが(本著内でも「いつの間にか本を作っていた」という章で触れられている、くどうれいん『わたしを空腹にしない方がいい』を買うため)、私個人の読書傾向とは品ぞろえが違うものの、店の方向性がはっきりとしていてユニークだし洒落ているなという印象だった。てっきり書店勤務ないしは出版系の仕事経験のある人が独立して始めた書店なのかと思っていたら、想像とは全然違う経緯で店を始めておりちょっと驚いた。本著序盤のばりばり働いていたサラリーマン時代の話、40代が近づき仕事への意欲が急になくなるくだり(これ鬱の初期症状では…と心配になる感じのスイッチの切れ方)、そして独立して起業(最初に書店以外で起業していたのも意外だった)とその顛末など、なかなか胃が痛くなりそうな話が続く。特に最初の起業の話と書店が軌道にのる前の話は、独立・起業を考えている人は読んでおいたほうがいいと思う。友達との起業はするな。
 なお著者は決して文章が流暢というわけではなく、個人的に好みの文章でもない。私の好みからすると装飾と情緒が過多で、ナルシズムが少々鼻につくし、「きみたち」への呼びかけも必要性がわからない。ただ、なぜこの仕事でないとだめだったのか、相当苦くてもなぜ続けている(続けざるを得ない)のかという切実さが刻まれており、そこは読ませる。巻末の「ぼくの50冊」もブックレビューとして良い。

ぼくにはこれしかなかった。
早坂大輔
木楽舎
2021-03-26




『ホテル・ネヴァーシンク』

アダム・オファロン・プライス著、青木純子訳
 ニューヨーク州、キャッツキル山地にある「ホテル・ネヴァーシンク」。ポーランド系ユダヤ人のシコルスキー一家が大邸宅を買い取って開業し、やがて屈指のリゾートホテルに成長した。しかし幼い子供が行方不明になる事件が起き、決して沈まないと思われたホテルにも凋落の兆しが見え始めた。
 ホテルの経営者一族、従業員、宿泊客ら等、ホテルに関係した様々な人たちの語りによってつながれていくゴシック・ミステリ。大型観光ホテルは日本でも一時期大盛況だったが、やがて下火になったし今ではそう人気もないだろう。アメリカでもそうだったのだろうか。移民のいちかばちかの賭けから始まり、商機をつかんでどんどん成長するがやがて衰退していくという、おもしろうてやがて哀しき、といった味わいが全編に満ちている。人の人生の奇妙さや真っ暗ではないが陰になっているような微妙な部分が立ち現れていく。
 とは言え、ホテル誕生時に既に呪いがかけられているようなエピソードもあるのだが…。更に行方不明事件の謎がずっと解けないまま残り、ホテルに影を落とす。行方不明事件のせいで、ホテルそのものに不吉な場としての呪いがかかってしまったようでもあり、その謎の引っ張り方が、本作をミステリではなく「ゴシック・ミステリ」にしている。ホテルという場の力、そして過去への引き戻しの力が強いのだ。
 語り手たちは子供の失踪事件やホテルそのものについて直接的に語るわけではない。彼らが語るのはあくまで自身の人生だ。しかしその背景にはホテルがあり、行方不明事件に関わる情報がちらちらと見え隠れする。ただ、それぞれ主観による語りなので、真相「らしきもの」という曖昧さが最後まで残る。そこもゴシック・ミステリぽい。

ホテル・ネヴァーシンク (ハヤカワ・ミステリ)
アダム オファロン プライス
早川書房
2020-12-03


ゴスフォード・パーク [DVD]
ヘレン・ミレン
ジェネオン・ユニバーサル
2012-05-09



『保健室のアン・ウニョン先生』

チョン・セラン著、斎藤真理子訳
 私立M高校に勤務する、養護教諭のアン・ウニョン。学校では怪奇現象や霊の仕業に思える不思議な出来事が次々と起こる。アン・ウニョンは幼いころから持っていた霊能力を駆使し、おもちゃの剣とBB弾の拳銃を手に、漢文教師ホン・インビョと共に怪現象に立ち向かう。
 アン・ウニョンのちょっと雑な性格がチャーミング。身だしなみもいまいち大雑把で、口紅の塗り方や爪の切り方が全然上達していないとかむだ毛の処理がいいかげんとか、親近感が湧きっぱなしだ。何より、ぶっきらぼうではあるが生徒たちの行く末を案じ、時にそっと手助けする。生徒=子供=守るべき存在と相対する職業であることが弁えられているのだ。ウニョンの霊能力は、金儲けに使うこともできるし、実際にそういう使い方をしている霊能力者に「金になることをやれよ」とバカにされたりもする。ウニョンの生き方は得にはならない。が、彼女は自分が正しいと思うやり方をやり続ける。それは、親切にするということだ。そして、その生き方を肯定するのがインビョ。“どうせいつか負けることになってるんです(中略)絶対に勝てないことも親切さの一部なんだから、いいんです。” 
 ウニョンだけでなく、歴史教師のパク・デフンも、生物教師のハン・アルムも、いわゆる正義感に燃えた人というわけでも聖人君子というわけでもないが、そういう部分があるように思った。得をしない生き方かもしれないが、それでもいいのだ、そしてそういう生き方をしている人は結構多いのかもしれないと思わせられる。
 なおウニョンの子供時代の友人とのエピソードの中で、ウニョンは『スレイヤーズ』(まさか韓国の小説に『スレイヤーズ』が出てくるとは…)のあるキャラクターが好きだったという話が出てくるのだが、このチョイス!ウニョンがどういう子供だったかすごくわかるし、なぜそのキャラクターが好きなのかと考えると、何か泣けてくるものがあった。










『忘却についての一般論』

ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ著、木下眞穂訳
 両親を相次いで亡くしたルドヴィカ。姉オデッテの夫オルランドが所有する、アンゴラの首都ルアンダにあるマンションに移り住んだルドヴィカ。ポルトガルからの解放闘争が激化する中、姉夫婦が行方不明になり、ルドヴィカは部屋の入り口をセメントで塗り固め、引きこもって暮らすようになる。
 ルドヴィカが残した文章を元に構成されたフィクション、という体の小説。ルドヴィカは文字通り引きこもり生活、それも徹底した引きこもり状態で自給自足の生活をしており、彼女の生活・心情に生じるささやかな変化が綴られる。食料も燃料も尽きてぎりぎりの状況なのにどこか長閑。一方、マンションの外の世界では、植民地からの脱却、それに続く内戦の中で人びとは疲弊し、体制側も反体制側もどちらにも与しない市民も、様々な人たちが死んだり行方不明になったりする。望む望まないに関わらず、忘れ去られてしまう・あるいは忘れられたいと望む人たちがいるのだ。ルドヴィカという1人の女性の人生と、アンゴラという国のある時代・ある局面とが呼応していく。ルドヴィカも誰にも知られず忘れられていこうとしていたが、そこを(物理的にも)打開する返す展開が鮮やか。少なくとも文章を残すということは、自分をどこかに刻んでおきたいということだろう。
 正直、アンゴラという国の歴史(とポルトガルとの関係)をあまり知らなかったので咀嚼しきれない部分もあるのだが、ある人にまつわる謎が他の人のエピソードで解明されるというような、ミステリ的な構成にもなっており、こことあそこが繋がるのか!というサプライズが多々ある。一見散漫としているが実は緻密な構成が上手い。

忘却についての一般論 (エクス・リブリス)
ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ
白水社
2020-08-28


ガルヴェイアスの犬 (新潮クレスト・ブックス)
ペイショット,ジョゼ・ルイス
新潮社
2018-07-31


『ポルトガル短編小説傑作集 よみがえるルーススの声』

ルイ・ズィンク、黒澤直俊編
 アフリカを行進する兵士たち、自分の家を手に入れ舞い上がった男に降りかかる災難、病の中創作に向き合う詩人。ポルトガル現代文学を代表する12人の作家による短編集。
 ポルトガル文学にはあまり触れたことがなかったのだが、入門編として最適な短編集ではないかと思う。作風・傾向の異なる作家の作品をまとめて読むことができるのでお勧め。マリオ・デ・カルバーリョ『少尉の災難 遠いはるかな地で』の、終盤ちょっといい話なのかと思わせてからのひっくり返し方や、イネス・ペドローザ『美容師』の、あれ?この語り手はもしや、と少しずつ背景が見えてくる構造などストレートに面白い。またポルトガルの歴史・文化的背景が垣間見えるヴァルテル・ウーゴ・マイン『ヨーロッパの幸せ』、テレーザ・ヴェイガ『植民地のあとに残ったもの』はペドロ・コスタの映像作品を連想した。私にとってはポルトガルというと文学より映画なんだよな…。そういう側面から読むと、ジョルジュ・デ・セナ『バビロン川のほとりで』、やジョゼ・ルイス・ペイショット『川辺の寡婦』は時に辛辣な語り口や時間のスケール感とロマンチシズムが、マノエル・ド・オリヴェイラ監督の映画に似た雰囲気があった。


俺の歯の話
バレリア・ルイセリ
白水社
2019-12-27



『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ヒーローズ:ライジング』

 緑谷出久(山下大輝)ら雄英高校ヒーロー科1年A組の生徒たちは、南方の島・那歩島でヒーロー活動の実習をしていた。そんな中、「ナイン」(井上芳雄)と名乗る男が率いるヴィランたちが襲来し、島の施設を破壊していく。原作は堀越耕平の同名漫画、監督は長崎健司。
 多くの人間が何らかの特殊能力を持ち、特に強い能力を持つ人間はプロの「ヒーロー」として社会を守っているという世界が舞台。出久たちはプロのヒーローを養成するための学校に通う学生なのだ。原作もTVアニメシリーズも斜め読み程度なのだが、十分楽しめた。エンターテイメントとしての盛りがよくて、お正月にぴったりの華やかさと楽しさ。特にクライマックスのバトルシーンは特殊作画盛り盛りなのだが、効果音や台詞は一切つけずに絵と音楽のみで魅せたのは大正解だったと思う。
 ヒーローとは何なのかという問いが一つのテーマになっているシリーズなのだろうが、本作でもヒーローに憧れる幼い少年が登場する。彼の能力はいわゆる戦うヒーロー的なものではない。しかし出久は彼のヒーローになりたいという思いを肯定する。何の為に戦うのか、どのように戦うのかは人それぞれ、様々なヒーロー像があるのだと。A組の生徒たちの能力もヒーローとしてのスタイルもまちまち(出番の少ない人もどういう能力なのかちゃんと見せているところが良かった)で、誰かを守りたい、役に立ちたいという人もいるしとにかく強くなりたいという人もいる。そしてその動機はどれも(今のところ)否定されない。その延長線上に「戦う」ことはヒーローの条件なのか?という問いが発生しそうだけど原作では言及されてるのかな?
 ところで昨今「男のクソデカ感情」というパワーワードが散見されるようになったが、本作でもクソデカ感情としか言いようのない感情の発露が見受けられた。爆豪(岡本信彦)君、そんな子だったっけ?!私TVシリーズでは色々見落としてたの?!


『星戀』

野尻抱影・山口誓子著
天文民族学者・野尻抱影の随筆と、俳人・山口誓子の俳句を収録した一冊。テーマはもちろん星空。四季、12か月を通してその月々に沿った作品が配置されている。
星の和名収拾研究家である野尻の随筆は、端正なたたずまいだが素朴。昔から、色々な地方の生活と天体とが繋がっている様子がわかる。星の名前の付け方に、その地方の生活形態、産業が反映されているのだ。また、星を取り入れた俳句が結構多いことも新鮮。12か月分のストックができるくらいだから、誓子に限らず題材として魅力があるということなんだろうな。星空が季節により変化していくのを追うように、俳句の季節感が移り変わっていくのを楽しめる。美しい言葉がたくさんちりばめられており、季節が変わるごとにぱらっとめくって拾い読みをしたくなる。

星戀 (中公文庫)
野尻 抱影
中央公論新社
2017-07-21




星の文人 野尻抱影伝 (中公文庫)
石田 五郎
中央公論新社
2019-02-22


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