3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『歩道橋の魔術師』

呉明益著、天野健太郎訳
1979年の台湾、台北。西門町と台北駅の間には、幹線道路に沿って立ち並ぶショッピングモール「中華商場」があった。歩道橋には子供達に手品を見せて手品用具を売る「魔術師」がいた。「ぼく」は旧友と会い、魔術師の記憶を呼び覚ましていく。
中華商場を舞台とした連作集。どれも大人となった「ぼく」「わたし」が子供時代を回想するという構造で、そのどこかしらに魔術師が登場する。過ぎ去ってしまった時代の、今はもう存在しない場所(中華商場は取り壊されている)を舞台としておりノスタルジックさが漂うが、その思い出、あるいはその過去から繋がる現在にはしばしば身近な人の死が関わっており、どこか影がある。子供時代の傷や後悔は、大人になってもずっと尾を引き時にその人を蝕み続けるという側面も感じさせるのだ。良かれ悪しかれ、子供時代の体験はその人の人生に影響し続ける。しかし、本作では子供の頃のどうということない日常の中に、ふっと魔法がかかる瞬間がある。この魔法がかかる瞬間を日常とシームレスにつないでいく、文章の平熱感がいい。この人にとってはそういうことだから、これはこれで真実だと思わせる。

『ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か』

水島治郎著
大衆迎合主義とも呼ばれ、民主主義を蝕むとされがちなポピュリズム。しかしラテンアメリカでは一部のエリート層による支配から人民を解放する力になったという歴史がある。現在、ヨーロッパのポピュリズム政党は、リベラル、民主主義を前提とした上で既存政党の批判や移民の排斥を訴えており、一筋縄ではいかない。今、世界で猛威を振るうポピュリズムを、各国での状況を紹介、分析した1冊。
各国の状況がその歴史的な背景を踏まえて分かりやすく説明されており、入門書としても、事例集としてもなかなか面白かった。ポピュリズムというと何となく極右との繋がりがあって怖い、というイメージを持っていたのだが、確かに前身が極右政党であるケースは少なくないが、少なくとも現在はかなりマイルド、穏健な団体が増えているようだ。うまくいくと、危機感を感じた既存勢力が自己改革に励み国内情勢が好転、という影響もあるそうだ。その一方で移民排斥、イスラム圏の仮想敵化は概ね共通している。そして、先般のアメリカ大統領選でもそうだったが、既存の政党の政策ではカバーされていない、見捨てられていると感じている層をいかに獲得するかに注力している。国民の声をすくいあげていくのが民主主義国家ならば、ポピュリズムはやはり民主主義の一環ということになる。が、ポピュリズムが強すぎると「それ以外」の人は排斥されていくという、表裏一体ゆえの厄介さがある。一概に悪とは言えないが弊害も大きい。表層的な「悪者」を設定してそれに対するヘイトを原動力にしがちだという部分も悩ましい所だろう。良くも悪くも感情を煽る行為が原動力になりがちなところがある。

『映画と本の意外な関係!』

町山智浩著
映画の中には、様々な本や言葉が登場する。その出典や背景を知ることで、映画をより深く読み解くことができる。原作小説や引用された言葉、劇中で使われた曲の歌詞など様々な「言葉」を解説。
映画を見ているだけだと気づかない(字幕の都合で割愛されちゃったりもするし)引用が色々説明されていて、映画も本も好きな人には特に面白いのでは。著者はまえがきで「誰かの家を訪ねると、本棚が気になるんです」と書いているが、私もそう。映画の中に出てくる本棚や登場人物が読んでいる本は当然気になってまじまじと見てしまう。そういう人にはうってつけのコラムだ。人によっては言うまでもないよというようなメジャーな引用から、日本では未公開作品に関する話まで、幅広くとっつきやすい1冊だと思う。一つの映画や本から、他の作品、あるいは他のジャンルへと知識とイメージが連鎖していくことは、どんな分野にせよ鑑賞を続ける上での醍醐味だと思う。途中から映画のあらすじ説明の分量が妙に増えてくるのは、連載媒体の読者層に関係しているのか、時間がなかったのか・・・。なお第16章で著者が大炎上させてしまったある案件に言及、かつ詫びを入れているが、たまにまたやらかしそうになっているので気をつけて下さいね(笑)。

『北東の大地、逃亡の西』

スコット・ウォルヴン著、七搦理美子訳
各地の伐採場を転々としてきた俺は、ヴァーモント州の伐採場で働くことになる。ある日、ヒスパニック系のボクサー、エル・レイが賭けボクシングを持ちかけてきた。彼と対戦するトムは腕っぷしは強いが酔っ払いで、地元では恐れられていた。代表作『エル・レイ』を含む短篇集。
先日アメリカ大統領選が終わり、ドナルド・トランプがまさかの次期大統領に選ばれたわけだが、本作の舞台は、トランプ支持層どころか、大統領選そのものに興味がない、誰が大統領になろうが自分達の生活が好転することはないと考える人たちの世界なのではとふと思った。手持ちの札はなく、自分の好むと好まざるとに関わらず、社会の片隅に追い込まれ人生が上手くいかない。社会に属している、という意識自体が希薄になっていくような気がした。自分ではどうすることも出来ない事柄から悲劇へと突き進む、というよりも悲劇へと足を踏み外してしまうような『虎』が印象に残った。登場する人たちは皆孤独、かつ「負け犬」と揶揄されるような人たちで、実際、『負け犬』という短編も収録されている。しかし負け犬にも誇りがある。本作の視線は、負け犬たちを強く擁護することはないが、貶めることもしない。彼らの中の思いやりやなけなしの勇気を救い上げるものだ。「(中略)負け犬を追うのはあんたの勝手だ。だが、そういう奴は信用しない。おれから見れば、あんたがやっていることは仕事じゃない」という言葉に著者の倫理観みたいなものが垣間見える。

『ホテル1222』

アンネ・ホルト著、枇谷玲子訳
雪嵐の中で列車が脱線する事故が起き、運転手が死亡。近くのホテルに乗客たちは避難した。幸いホテルの設備も備蓄も十分あり、救援を待てば全員助かるはずだった。しかし翌朝、乗客の1人が死体で発見される。乗客の1人である車椅子の元警察官ハンネは、ホテルの支配人に頼まれ事件を調査する。いわゆる雪の密室での殺人事件だが、密室内の人が多すぎる(160人以上)のであまり密室ものの醍醐味はないかも。また、あやしい集団が人目を避けて行動しているが、それっぽいフリはあるものの本筋にそれほど絡んでこないので拍子抜け。シリーズ作品だそうなので、前後の流れを知らないと盛り上がらないのかな。訳者あとがきによると、乗客の顔ぶれや言動はノルウェー社会の縮図を戯画化する意図があるそうだが、ノルウェーでは宗教の占めるウェイトって意外と大きいのかな。殺害になかなか懐かしい凶器が使用されていたり、舞台やディティールも戯画的な要素が大きいように思った。

『僕の名はアラム』

ウィリアム・サローヤン著、柴田元幸訳
アルメニア移民の家に生まれた9歳の少年アラムは、大勢の家族や親戚に囲まれて成長していく。皆貧しいがたくましく楽天的で、いとこが馬を「借りた」り、風変わりなおじさんたちが次々と問題を起こしたり。アラムの日常は冒険に満ちている。村上春樹と柴田元幸が、もう一度読みたい海外小説を選び復刊あるいは新訳する新潮文庫の企画シリーズ「村上柴田翻訳堂」の第一弾。カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』と同時発行で、どちらも子供時代の物語。しかし味わいは全く違う。『結婚式のメンバー』は辛辣でクールな所があるが、本作はユーモアにあふれ楽天的で、ちょっとファンタジーの世界に足を踏み入れているような所もある。昔話に登場するような無垢でちょっと足りないおじさんの姿が物悲しくも愛おしい「ざくろの木」や、これって神様が降りてきたんじゃないの?と喝采したくなる「オジブウェー族、機関車38号」が印象に残った。子供時代の喜びも失敗も悲しみも、生き生きときらめていている。何より、世界に対する姿勢が違う。『結婚式のメンバー』では自分と世界との間の絶望的な距離があったが、本作では世界がアラムに対して開かれている。何より、最後に記されているように、アラムは自分と世界を信じており、大丈夫だと思えるのだ。この、世界に対して大丈夫だと信じ肯定できるか否か、自分と世界の一体感を感じられるかどうかの違いってどこで生まれるんだろうなとちょっと思った。

『報復』

ドン・ウィンズロウ著、青木創・国弘喜美代訳
元デルタフォースで、今は空港の保安捜査官として働くデイヴは、飛行機事故で妻子を亡くす。しかし、その事故はテロではないかと疑いを持ち独自に調べ始めた所、国の隠蔽工作と恐ろしい事実に直面する。デイヴは自力で傭兵部隊を雇い、テロリストに報復への報復を決意する。あまり繊細じゃない方のウィンズロウ作品。スピーディーかつ派手な展開で、このご時世そんなに簡単に情報統制できるの?とか、ちょっとデイヴが死ななすぎないか?という突っ込み所も含めハリウッドの大作映画のようだった。ただ、派手だがすっきりはしない。デイヴが戦う相手は、事件に関与した個々人はいるが総体としてはつかみきれないものであり、かつフォロワーが絶えないであろうものだからだ。デイヴがやったのは個人的な報復にはなったかもしれないが、なぜ彼に降りかかったのような悲劇が起きたのか、その解決にはならない。デイヴがやったことは、報復であると同時におそらく第二第三のテロリスト組織を生むくことであり、そして第二第三のデイヴが現れるだろう。そもそも殺人という点においてデイヴの行為とテロリストの行為はどう違うのか。きりのなさが見えてしまい、むしろ陰鬱な気分になる。なお、ミリタリー小説としては武器のディティールからご予算まで、情報量多くて面白いのではないだろうか。

『ポップスで精神医学 大衆音楽を“診る”ための18の断章』

山登敬之斎藤環松本俊彦井上祐紀井原裕・春日武彦
6人の精神医学者が、中森明菜や忌野清志郎、神聖かまってちゃんまで、ポップスをモチーフに精神疾患や臨床心理について語る。なかなか豪華、というか華のある執筆陣。もともとは臨床心理の専門誌に連載されていたものだそうだが、素人が読んでも問題なく理解できる内容だと思う。取り上げられている楽曲と典型的な症状との絡め型はもちろん勉強になるし、疾患の理解の手助けにもなりそう。ただ、それ以上に執筆陣の、取り上げた曲や音楽家に対する思い入れがどんどん加速していく感じが非常に面白かった。それぞれ、自分が好きな曲、あるいは音楽家を取り上げて執筆しているのだが、人間、好きなもの、思い入れの深いものについて語り始めるとついつい筆が滑るものなんだな~。特に「ステップUP↑」を取り上げた松本俊彦の岡村靖幸愛は泣けるレベル。また、井上祐紀が「Get Wild」を取り上げた章は、臨床云々は置き去りにされもはや単なる小室哲哉ヒストリーである(妙にとつとつとした文章が、井上と曲との距離感を感じさせるのも味わい深い)。筆者たちの個人的な思いがだだ漏れになっていく、不思議な連載だったんじゃないか。

『ぼくらの民主主義なんだぜ』

高橋源一郎著
朝日新聞の連載をまとめた新書。2011年から2015年まで約4年分の記録になるが、ここ数年間での社会の変化、それもかなり急速に不穏な状況に変化している様が垣間見えて、暗欝とした気持ちになった。震災後、社会の中での新しい繋がり方・共同体の在り方への動きが見え始めたと思ったら、あっという間にそれが霧散し、重苦しい空気が漂い始めてくる。脱原発にしろ、各国での民主化運動デモにしろ、ウォールストリートの占拠にしろ、あの時のあれは何だったんだ・・・みたいな空しい気分にもなる。おそらく著者も、多少なりともそういう気分はあるのだろう。ただ、そこでくだをまいたり韜晦したりせず、考え続ける。こういう連載が初めてだからからか、かなり手さぐりしつつ、その都度文章のスタンスも変えてみる等試行錯誤の後が垣間見えた(帯でぶちあげてる「傑作」というのは大分言いすぎだと思う・・・)。また、他の人の言葉を拾い続ける作業でもある。著者以外の人の著作や発言、映像作品からの引用などが意外に多い。特に、「複雑さに耐えなければならない」というある人の言葉には唸った。多様であることは、複雑であるということで、往々にして面倒くさい。ただ、その面倒くささと付き合っていくということ、複雑さに負けずに考え続けることが、民主主義のやりかたなのだと思う。


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