中年男性ボー(ホアキン・フェニックス)は、つい先ほどまで電話で会話していた母が突然死んだと魚知る。天井から落ちてきたシャンデリアに頭をつぶされたというのだ。母の葬儀の為に帰省しようとアパートを飛び出したものの、予期せぬトラブルが次々に起こり、帰省の旅はとんでもない方向に進んでいく。監督はアリ・アスター。
アリ・アスター作品の中では一番嫌いじゃない部類の作品だった。3時間近い尺は流石に長すぎると思うが、悪夢に限ってなかなか覚めない出口のなさとうっとおしさを追体験するようだった。題名の通り、ボーは様々なものを恐れている。怖がりで、心配性なのだ。彼の住まいの周囲もアパートの中もやたらと治安が悪そうで、路上で暴力沙汰は起きているし隙あらば不法侵入されるし連続殺人犯までやってくる。不安要素のインフレで最早ギャグ、どんなスラムだよ!と突っ込みたくなるのだが、これはボーの主観の世界なのだろう。多分他の人にとってはちょっと柄が悪いが割と普通の街並みなのではないか。恐怖や不安はあくまで個々の主観に根差すもので、他人には理解しがたい部分がある。そのギャップがボーをどんどん追い詰めていくのだ。ボーはどちらかというとぼんやりとしていて自分の主義主張をあまり表明できないタイプだということが、子供時代のエピソードを交えることで徐々に見えてくる。そして彼の不安と恐怖が何に根差すのかということも。
典型的な「母が怖い」案件の話ではあるのだが、ボー個人の母というより、母的なものの支配への恐怖というように思える。ボーの母親はかなり強権的な人のようなのだが、この人が特別変というわけではなく、母親が持ちがちなある傾向を誇張して描いている感じだ。だから普遍的な話になり得るのにすアウトプットの仕方が珍妙で、受け取る側(観客)にとっては普遍的な話ではないというねじれが生じているように思った(多分宗教的なものも絡んでいるのだと思うが)。ただボーの母親に対する恐れは彼から母親に対する一方的なものではなく、母親もまた彼をある意味恐れているという面がある。お互い様なのだ。お互いにもう愛せないと認め合ってしまえばこんなにこじれなかったかもしれないのに…という所はやはり普遍的な話に思えた。
ラストは個人的には拍子抜け。ボーは悪夢から覚めてしまった(から悪夢の世界にはもういない)ということにならないか。