古川日出男著
室町時代、盲目の少年・友魚は琵琶法師となり、視力を奪った原因である平家の物語を収集していた。ある時出会った犬王と名乗る少年は異形に生まれながら天才的な能楽師だった。2人が奏でる楽曲は、犬王を世阿弥と人気を二分する存在に押し上げていく。
題名は犬王だが、本作の語りはこれは友魚の物語だと断言する。友魚が語る犬王の物語であり、犬王の物語の中では彼自身の、そして平家の物語が語られ、それをまた地の文が友魚の物語として語る。語りのレイヤーがくるくると入れ替わっていき、軽やかだ。友魚と父の亡霊とのやりとりなどユーモラス。ただ、語りが入れ替わっていくということは語る立場によって物語が変わっていく、信用できないということでもある。友魚と犬王が演じるのは平家にまつわる本筋が取りこぼした、もしくはあえて伏せた物語だが、それは世に流通する「平家物語」にとっては異聞、都合の悪いものだ。
犬王は実際に記録に残っている近江猿楽日吉座の大夫の名だそうだが、その名は世阿弥の影に隠れ後世には残らなかった。本著はその犬王をモデルとした作品であり、平家物語の異聞でもある。本著の舞台は室町時代なので平家が滅んでから100年以上経過しているわけだが、物語を通じて平家の記憶、そして平家やそれに連なる人々の残した怨念は依然として強く残っている。そしてその強さ故に猿楽の演目として人気を博し。将軍はその物語を所有したがる。「正当な」物語の所有が権力の正当さを裏付けるのだ。メインストリームの芸能は権力におもねる側面がある。それに直面した犬王と友魚の顛末には寂寥感も漂うが、それでもなお彼らの芸能が響くラストにはちょっとぐっとくる。