3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『平家物語 犬王の巻』

古川日出男著
 室町時代、盲目の少年・友魚は琵琶法師となり、視力を奪った原因である平家の物語を収集していた。ある時出会った犬王と名乗る少年は異形に生まれながら天才的な能楽師だった。2人が奏でる楽曲は、犬王を世阿弥と人気を二分する存在に押し上げていく。
 題名は犬王だが、本作の語りはこれは友魚の物語だと断言する。友魚が語る犬王の物語であり、犬王の物語の中では彼自身の、そして平家の物語が語られ、それをまた地の文が友魚の物語として語る。語りのレイヤーがくるくると入れ替わっていき、軽やかだ。友魚と父の亡霊とのやりとりなどユーモラス。ただ、語りが入れ替わっていくということは語る立場によって物語が変わっていく、信用できないということでもある。友魚と犬王が演じるのは平家にまつわる本筋が取りこぼした、もしくはあえて伏せた物語だが、それは世に流通する「平家物語」にとっては異聞、都合の悪いものだ。
 犬王は実際に記録に残っている近江猿楽日吉座の大夫の名だそうだが、その名は世阿弥の影に隠れ後世には残らなかった。本著はその犬王をモデルとした作品であり、平家物語の異聞でもある。本著の舞台は室町時代なので平家が滅んでから100年以上経過しているわけだが、物語を通じて平家の記憶、そして平家やそれに連なる人々の残した怨念は依然として強く残っている。そしてその強さ故に猿楽の演目として人気を博し。将軍はその物語を所有したがる。「正当な」物語の所有が権力の正当さを裏付けるのだ。メインストリームの芸能は権力におもねる側面がある。それに直面した犬王と友魚の顛末には寂寥感も漂うが、それでもなお彼らの芸能が響くラストにはちょっとぐっとくる。

平家物語 犬王の巻 (河出文庫)
古川日出男
河出書房新社
2021-12-21


劇場アニメーション『犬王』(完全生産限定版) [Blu-ray]
アヴちゃん(女王蜂)
アニプレックス
2022-12-14


『辮髪のシャーロック・ホームズ 神探福邇の事件簿』

真理斬著、舩山むつみ訳
 19世紀末の香港。名探偵と名高い福邇(フーアル)とその親友である医師の華笙(ホアション)は、数々の難事件を解決してきた。2人の出会いを含む、その活躍を収録した短篇集。
 邦題を見れば一目瞭然なように、舞台を香港に置き換えたホームズパスティーシュ。実は原題および本編にホームズという文字は一つも入っていない。福邇と華笙の中国語読みはホームズ、ワトソンの読みを彷彿とさせるものらしいのだが、他の言語圏の読者にはさすがにわからないだろう。しかし本編を読むと、これはあの事件、この人はあの登場人物へのオマージュだなということが、それほどコアなホームズ読者ではない私にもはっきりわかる。原典の骨組み、要素の抽出とその置き換えがかなりうまくいっているのではないか。福邇と華笙の掛け合いも原典の雰囲気に近い。ホームズよりは福邇の方が対外的に折り目正しく身近な人にとっては可愛げがある感じはするのだが、これは翻訳の妙だろうか。華笙が食いしん坊らしいあたりも可愛らしい。
 特に当時の香港の時代背景や世界の中での立ち位置の織り込み方が上手いので、歴史小説としても(私は歴史に疎いのだが)楽しめる。当時の香港の雰囲気を味わうだけでもなかなか楽しい。巻末の注釈が読書の補助線になるので、当時の香港のことをあまり知らなくても楽しめると思う。
 なお本作、「福邇の活躍を華笙が記録した物語はかつて新聞に掲載され人気だった。原文が散逸してしまった後、編集者の杜軻南(ドゥー・コナン)が収集・再編。多くの読者を得たが抗日戦争後に絶版。2017年から再販が始まった」という旨が著者による序文に記されている。つまり福邇は実在の人物で著者=真理斬が原文を整理しなおした、という体で書かれているのだ。凝っている!

辮髪のシャーロック・ホームズ 神探福邇の事件簿 (文春e-book)
莫理斯(トレヴァーモリス)
文藝春秋
2022-04-22




『頁をめくる音で息をする』

藤井基二著
 尾道で深夜だけ営業している古本屋「弐拾dB(にじゅうでしべる)」の店長である著者が、日々読んでいる本や古本屋の生活について綴るエッセイとコロナ禍の日記集。著者による写真入り。
 著者は中原中也のファンで大学で研究しており、大学院にも進みたかったがとん挫、駆け込みで就職活動をし内定をもらうものの土壇場で辞退。著者曰く「逃げた」先の尾道でシェアハウスに暮らし古本屋を開業したという。経歴だけ見ると90年代生まれとは思えない(パンクロックからダダイズムへハマっていくというのがもう…おいくつの方ですか…)が、世間一般のフォーマット的な人生がどうしても苦しいんだろうなということが端々から漂っている。そんな著者による文章は若々しく時に苦かったりとんがっていたり。特に詩人の紹介の仕方は初々しいくらいだ(でも林芙美子の詩は読んでみようと思ったし、木下夕爾に興味がわいた)。一方で、なんだかんだ言いつつ自分で自分の居場所を作っている様子に、他人事ながらほっとする。こうであれという社会の期待になじめない、自分のやり方でしか生きられない人と、そういう人にとっての本・本屋の存在が垣間見える、2021年10月4日の日記にぐっときた。特にコロナ禍で、本を読むこと、本を置いてあって手に取れる書店がそばにあることが個人にとってどれだけ支えになるのか。

頁をめくる音で息をする
藤井基二
本の雑誌社
2021-11-26



わたしの小さな古本屋 (ちくま文庫)
田中 美穂
筑摩書房
2016-09-08


『蛇の言葉を話した男』

アンドルス・キヴィラフク著、関口涼子訳
 森に暮らし、「蛇の言葉」で獣を捕らえて肉を食べ、蛇たちと会話をする少年レーメット。彼と母、姉は森での暮らしに満足していたが、農地を耕しキリスト教を布教しようとする村人たち、そして彼らが崇める騎士たちや修道士たちがやってくる。
 書き出しの「森には、もう誰もいない。」という一文で早くもぐっとくるのだが、以降も文章の流れに引力があり引き込まれる。森に暮らす人間はどんどん減っており、蛇の言葉を流暢に操れる男はもうレーメットだけだ。彼は畑を耕しパンを食べる村人たちをバカにしているが、一方で彼らが使う道具や村の少女たちに惹きつけられていく。ただ本作は森と村のどちらがいいかという判定はしない。村の修道士たちが唱える信仰・教義はでたらめばかりで欺瞞に満ちたものだし、一方、森に暮らす賢者が主張する森の精霊の力も迷信だ。自分たちが作り出したフィクションを信奉し他人に押し付けているという面では、森の人も村の人も同じだ。レーメットと家族はそのあたりは大変冷めており、動物たちと交わり森の豊かさを知ってはいるものの、そこに神秘性はない。村人も賢者もレーメットらを無知蒙昧扱いするが、レーメットからすると彼らの方が迷信に凝り固まった愚か者ということになる。
 ではレーメットが特権的な立場にいるかというと、そうも言えない。彼は「蛇の言葉」という人間が古来持っていた力を使えるものの、それは最早滅びゆく力であり、世の中に彼の居場所はなくなりつつある。自分が滅びゆく存在だと自覚していく、力があっても時流と数に負けていくというアイロニーは、物語が進むにつれて強まっていくのだ。

蛇の言葉を話した男
アンドルス・キヴィラフク
河出書房新社
2021-06-26


丸い地球のどこかの曲がり角で
ローレン・グロフ
河出書房新社
2021-02-19


『平凡すぎる犠牲者』

レイフ・GW・ペーション著、久山葉子訳
 ソルナ署管内のアパートで殺人事件が起きた。被害者はアルコール依存症の孤独な高齢男性。ありふれた事件かと思われたが、ベックストレーム警部らソルナ署の刑事たちが調査を進めるうちに、見た目通りの単純な事件ではなさそう、かつ被害者も「平凡すぎる」人物ではないのではという疑いが出てくる。更に第一発見者の新聞配達員が死体で発見された。
 あのダメ警官もこの悪徳刑事もこいつに比べればまし!くらいにベックストレームが警官として難ありという所が本シリーズの特徴だろう。前作『見習い警官殺し』では経費の使い込みが甚だしかった。今回も怪しげな副収入を得ているらしいし助兵衛だし、セクハラ・pワラハラ・レイシズム発言(はさすがに控え目になっているが)も止まらない。そして何よりガチで無能だという所がすごい。ほぼ運の良さだけで今の地位をキープしているというのが逆に斬新だ。所轄の他の刑事たちも、決して切れ者、超有能というわけではない。そこそこの人達がえっちらおっちら前進し、意外な真相が次々見えてくる様に面白さと、個々の登場人物の魅力が見えてくる。「平凡すぎる」人などいないのだ。警官も犯人もその他の人達もかなり個性的かつエゴイスト。

平凡すぎる犠牲者 (創元推理文庫)
レイフ・GW・ペーション
東京創元社
2021-01-09


見習い警官殺し 上 (創元推理文庫)
レイフ・GW・ペーション
東京創元社
2020-01-22





『弁護士ダニエル・ローリンズ』

ヴィクター・メソス著、関麻衣子訳
 ソルトレイク・シティの刑事弁護士ダニエル・ローリンズは、麻薬密売容疑をかけられた黒人少年テディの弁護を依頼される。未成年かつテディには知的障害があり、麻薬取引などできそうもないので不起訴処分に持ち込めるかに思えたが、なぜか検察も裁判所も実刑判決にする意志が固い。少年は誰かに利用されたとしか思えないダニエルは、彼を守り法を守る為に奔走する。
 連日二日酔いでよれよれだが、正義感が強くお人よしなダニエル。話し言葉の語尾を「~だな」「~だよ」と性別分けがニュートラルにしている翻訳文が彼女のキャラクターにはまっており好感度高い。ダニエルは無茶な仕事のやり方もするが、基本的に法の正しさ、公正さを信じている。テディの処遇に憤慨した彼女が暴れまわることで、検事、裁判官、証人など関係者たちの偏見や不公正さが浮き彫りになっていく。厄介なのは、彼ら自身はそれを不公正だとか偏見だとかは思っていないという所だ。彼らにとってはそれが正しさだから説得も出来ない。様々な側面からこういった不公正さが垣間見えるような構造の話だ。テディに対する世間の態度だけではない。ちょっとした部分なのだが、ダニエルの元夫ステファンが、LAで男として育つ辛さを語り、この街(ソルトレイク・シティ)はいい所だ、息子を育てるならこの街がいいという。ただその「いい街」と思えるのは、彼がそこそこ裕福な白人男性だからではないか。ダニエルが相対する事件の背景にあるのはそういうものなのだ。
 なおダニエルはこの元夫ステファンに未練たらたらなのだが、それがちょっと不思議だった。ステファンに魅力がないというわけではなく、ダニエルは過去に執着するタイプに思えないからだ。かといって彼女に思いを寄せているウィルを選べばいいのにとも思えなかった。ウィルはやはり「親友」かつ仕事の理解者でいてほしい。ダニエルは「どん底にいる時が一番輝く」とある人から評されるのだが、そういう人は幸せかつ安定したパートナーシップにはそもそも向いていないのでは…。




『ペインスケール ロングビーチ市警殺人課』

タイラー・ディルツ著、安達眞弓訳
 ロングビーチの高級住宅街で、下級議員の息子ベントン三世の妻と幼い子供2人が殺害された。妻の遺体は拘束された上切り裂かれており、強盗から政治がらみの怨恨まで様々な動機が考えられるものの、決め手に欠ける。重傷による休職から復帰したばかりのダニーと、相棒のジェンは捜査に奔走する。
 シリーズ2作目。事件自体は独立しているのだが、ダニーの状態が前作の出来事から引き継がれているので1作目を読んでから本作を読むことをお勧めする。1作目は地味な刑事小説という感じで若干フックに欠けたが、本作は展開がよりスピーディ。特に序盤の動かし方が上手くなっており引きが強い。ダニーは過去の記憶に由来する心の痛みだけではなく、肉体的な痛みにも苦しめられる。その痛みを図るのが「ペインスケール」なのだ。
 残忍な事件だが、事件の背景には被害者はそういう扱いをしてもいい存在だと思っている人がいるという現実があり、それがやりきれない。前作の被害者にも、彼女が男性だったら受けないような仕打を受けた過去があったが、本作にもその要素はある。そもそもそんなことでこの惨劇か!という真相なのだが、「そんなこと」と思えないほど価値観がずれてしまった人がいるということだし、事件の発端から全ての歯車がずれていたとも言えるのだ。その為すっきりしない後味なのだが、警察の仕事を描いているという意味ではこれもありか。






『弁護士の血』

スティーヴ・キャヴァナー著、横山啓明訳
裁判所に泊まり込むほど仕事にのめり込み、家庭を顧みなかった弁護士のエディー・フリンは、妻子に見放され、酒に溺れ失業同然の状態だった。そんな時、ロシアンマフィアの大物が彼を拉致する。突きつけられた要求は、娘を殺されたくなければ自分を弁護し、自分に不利な証言者を爆弾で殺せというものだった。フリンは娘を取り戻すため、かつては凄腕と言われた弁護士のスキル、そして弁護士になる前の「仕事」であった詐欺のスキルを駆使して難題に挑む。面白かった!数日間という限られた時間の中でスピーディーに展開され、かつ派手な見せ場(まさかのアクション要素も)も多いので映画化にも向いていそうだ。テンポがよくぐいぐい読ませる。フリンは弁護士としては有能だが勝つ手段は選ばないくそったれでもあり、元々詐欺師だという後ろ暗さもある。決して「いい人」というわけではないのだが、娘に対する愛だけは本物。その娘を守る為になりふりかまわず戦う姿は、だんだんかっこよく見えてくる。八方塞の中、彼の心を支えるのは娘の存在だけなのだ。折々で娘とのやりとりが回想されるのだが、これがなかなか(ちょっと理想的な娘すぎるんだけど)いい。フリンにとって娘の存在だけがよりどころになっていることがよくわかるのだ。シチュエーションとしてはそれほど斬新ではないと思うが、こういうディティールの作り方と、話のスピード感で読ませる。なお、弁護士としての答弁のコツと詐欺のテクニックが似ており、いい詐欺師はいい弁護士になりうるのかと妙に納得・・・しちゃいかんか(笑)。しかしこういう風に陪審員をコントロールするのか!といった部分の面白さもあった。

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