3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『フォックス家の殺人』

エラリイ・クイーン著、越前敏弥訳
 飛行士として戦争で活躍したデイヴィー・フォックス大尉は故郷のライツヴィルに帰ってきた。激戦で深い心の傷を負った彼は、妻リンダの首を絞めようとしてしまう。彼の行動には、かつて自分の父ベイヤードが母を毒殺した事件が影を落としていた。かつてライツヴィルと縁があったエラリイ・クイーンは、相談を受けベイヤードの無実を証明するため、再びこの町を訪れる。
 戦争の英雄が故郷に戻ってくるが戦禍により深いトラウマを負っている、家族の間にも隠された秘密があり、かつ町は長年暮らしている民ばかりで閉鎖的という、横溝正史か!と突っこみたくなるような序盤だが、クイーン作品の中でもかなり引きの強い導入の仕方ではないだろうか。この引きの強さは新訳の良さもあるのだと思う。クイーン作品は読みにくくって…という人にこそお勧めしたい。過去の捜査をそのままなぞり堂々巡りになるかのようなエラリイの行動、その中から少しずつ過去との齟齬が現れてくる。冷静に考えると最初からこれしか結論が思い浮かばないという所から、また一転させていく。
 本格ミステリの醍醐味(目くらましがあからさますぎるなーと思ったらそういう機能でしたか!かつて読者から指摘されたであろう微妙な部分に作中でわざわざ注釈いれているのはご愛敬ですが)があると同時に、戦争の傷の深さが刻まれている所に本作が書かれた時代背景を感じた。小説としては必ずしも帰還兵でなくてもいいし、終盤に登場するある人の設定など、特に必然性はない。それでも織り込んだという所に作家の意志を感じた。
 なお本作の事件の真相は大変痛ましいものだが、エラリイの「途方もなく重い責任がともないますね」という言葉に対するある人の返しは、エラリイとクイーン警視の関係にも薄く重なってくるように思う。


災厄の町〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
エラリイ・クイーン
早川書房
2014-12-05



『冬将軍が来た夏』

甘耀明著、白水紀子訳
 「私」はセレブ向け幼稚園で働く女性保育士。ある日、幼稚園の園長の息子にレイプされてしまう。深く傷ついた私は園長の息子を告訴し仕事もやめる。彼女を支えるのは十数年音信不通だったが、突然会いに来た祖母と、彼女と共同生活している老女たちだった。
 「私」の祖母は曲芸の心得があり、家具にこっそり潜り込んで「私」を見守っていた。更に同性のパートナーを得て、水を張っていないプールの底を住み家にして仲間たちと暮らしている。「私」が直面する問題・苦しさはジェンダーや労働問題、経済問題など女性であることに起因するものが多々あるのだが、彼女を癒すのは女性同士の繋がり、支え合いだ。老女たちもまた、女性であるが故の不利・苦しみを味わってきた人たちだ。世代間のギャップはあるものの、同年代のシスターフッドが年代を越えて「私」を支えていく。「私」とより関係が強いはずの母親は「私」の支えにはならない、むしろレイプを示談に持ち込み「世間」の理論を持ち込もうとして彼女を傷つける。死に近くなった祖母の方が「世間」からより自由なのだ。個性の強い老女たちの言動は時にコミカルだが、そのコミカルさは人生のしんどさを乗り越えてきた上で発されるものでもある。おかしみとかなしみが交互にやってくるような味わい。

冬将軍が来た夏
甘耀明
白水社
2018-06-19


鬼殺し(上) (EXLIBRIS)
甘耀明
白水社
2016-12-28


『ブックオフ大学ぶらぶら学部』

島田潤一郎他著
 言わずと知れた一大新古書店ブックオフ。出版関係者や新刊書店関係者からはあまりいい顔をされない新古書店だが、そのブックオフをこよなく愛する人たち(皆読書家である)もいる。その愛が炸裂した、奇しくもブックオフ創業30周年に出版された一冊。
 私は一時期郊外や地方に出向く仕事が多かったのだが、ブックオフを見かけると何だかほっとしてついつい立ち寄ってしまっていた。そういうたまたまの立ち寄り先で思わぬ出物があるとやたらと嬉しい。何店舗もこなしている(こなしているという表現は妙なんだけどブックオフ巡回って「こなしている」って感じなんだよな…)と、無個性に見えて店舗ごとの個性がそこはかとなくあることがわかってきて面白い。本著中でも言及されているが、基本的に「かつて売れた本」が占める割合が高い、ポピュリズムと大量消費の権化のような存在なのに、よくよく見るとやたらとニッチなものが混じっているというカオスが魅力なのだ。近年は値引き度合いが低くなってうまみは減ったものの、未だに均一棚は貧乏人の味方だ。ブックオフの歴史、ブックオフ利用法についての著者らそれぞれのマイルール、せどり師にとってのブックオフの存在、時間はあったがお金はない青春におけるブックオフの立ち位置など、なぜか心打たれてしまう。また装丁がめちゃめちゃ冴えている!裏表紙、カバー下の芸の細かさに笑ってしまった。
 なお、私の自宅の最寄ブックオフは小規模店(本当に小さい)なのだが、最近明らかに本をちゃんと読んでいるタイプの店員が加入したらしく、棚がいきなり整い始めた。分類がちゃんとしている。翻訳文学も結構いいの入っているんだよな…客層がいいのか。


『ブルースだってただの唄 黒人女性の仕事と生活』

藤本和子著
 1980年代、アメリカに暮らしていた著者は黒人女性たちへの聞き書きをしていた。相手は刑務所のカウンセラーやテレビ局経営者、元受刑者ら。黒人や女性に対する差別や様々な困難を抱えながら、彼女らが感じたこと、考えたこと、それぞれの人生についての語りを書き留めた一冊。
 黒人女性たちの話は、もちろん翻訳者である著者が訳しているのだが、これが素晴らしい。とても生き生きとしており、語り手それぞれの息遣いが伝わってきそうな語り口調だ。語尾の処理とか笑い声の表現とか、今そこにその人がいて喋っている感じがする。語り手の女性たちはアメリカに住む黒人女性という共通項はあるが、その他は年齢も育ちも仕事もまちまち。そのまちまちさを聞き手がそのまま受け入れくくらなない、真摯に「聞く」姿勢だったから、ここまで生き生きとした話が聞かれたのではないだろうか。話の内容は語り手の社会的な位置付けを反映するだけでなく相当プライベートな部分にまで踏み込んでいるので、聞く人の姿勢・度量が試されたのではと思う。
 同じ黒人の中でも肌の色の濃さによって、濃ければ濃いで、薄ければ薄いで疎外感を味わうというのは当事者でないとわかりにくい所だと思った。差別というと白人が黒人に対してというのがほとんどだろうが、黒人間でも生じるのだと。また、他の民族がどんどん流入してきたことによって黒人差別が可視化されたという指摘には目から鱗が落ちたが、白人にとっていかに「ないもの」扱いだったのかとはっとする。また、語り手たちの話が現代でも今だ過去のものになっていないというのもショック。人種差別問題は多少改善されているかもしれないが、女性が直面する問題がほぼ現役のものでかなりつらい。

ブルースだってただの唄 (ちくま文庫)
藤本 和子
筑摩書房
2020-11-12


『文学こそ最高の教養である』

駒井稔+「光文社古典新訳文庫」編集部編著
 古典文学の新訳を次々リリースし若い世代の読者も開拓している光文社古典新訳文庫。本シリーズの出版に伴い、出版社と紀伊国屋書店電子書籍サービス(Kinoppy)のコラボレーション企画として、翻訳者を招いた読書会「紀伊国屋書店Kinoppy=光文社古典新訳文庫 Readers Club Reading Session」でのトークを書き起こしたベストセレクション。
 私もこの読書会には何度か参加したことがある(本作収録分だとロブ=グリエ『消しゴム』、トーマス・マン『ヴェネツィアに死す』『だまされた女/すげかえられた首』の回)のだが、毎回面白い。現在、新型コロナ対策の為に中断中だが、機会があればまたぜひ参加したい。
 古典翻訳は現代の作品の翻訳とはまた違った難しさがあるということが、翻訳者の皆さんの話からはわかる。過去の翻訳を踏まえたうえで、意訳しすぎず原典に忠実でありつつ、どのように現代にマッチする日本語にしていくか、悪戦苦闘の数々が語られる。また文学研究の積み重ねやインターネットによる情報入手のスピード化・グローバル化に伴い新たな側面も見えてくる。読者にとっても昔の翻訳で植え付けられたイメージって大きかったんだなと再認識することにもなった。古典新訳文庫の良さは、キャッチフレーズのとおり「いま、息をしている言葉で」古典作品とフレッシュな出会い・再会をさせてくれることだろう。作品の背景を知ると、更に読みたい作品が増えた。とりあえずまだ読んだことがないプレヴォ『マノン・レスコー』、ナボコフ『カメラ・オブスクーラ』を読んでみたくなったし、プラトン『ソクラテスの弁明』は再読したくなった。






『ブルックリン・フォリーズ』

ポール・オースター著、柴田元幸訳
 60歳を前にし、がんを患い離婚して静かに晩年を過ごそうと決意したネイサンは、馴染みのあるブルックリンに戻ってきた。街の古本屋で甥のトムと再会し、古本屋店主のハリーに紹介される。更に予想外の出会いと出来事が生じ始める。
 ネイサンは自分の人生を振り返り、かつ暇を持て余して「人間愚行(フォリーズ)の書」を書いており、本著の題名はここからとられている。ネイサンは頭はいいが誘惑に弱く、かつ自分本位でちょいちょい「愚行」を行いがち。彼を取り巻く人々も決して聖人君子ではなく色々と難点が多く、それぞれ様々な愚行を犯している。しかしだからこそ愛すべき人たちなのだ。ネイサンは最初、かなりいけすかない、女性に対して手癖の悪い男(元妻や娘に対する態度は結構ひどいし、お気に入りのウェイトレスに対する振る舞いも悪意はないが考えなしだと思う)なのだが、生真面目な甥トムや、姪の娘ルーシーとの交流で、徐々に変化していく。愚者は愚者かもしれないが、自分のことだけでなく他人のことを思いやり、力になろうとしていくのだ。人間60手前になっても変われる、成長できるぞというほのかな希望が感じられる。
 ネイサンだけでなく、詐欺師の前歴があり色々とうさん臭く享楽的なハリーの、隠された思いやりと愛情にもほろりとさせられた。しかしアメリカ同時多発テロ事件への言及もあり、彼らの世界が読者の世界と地続きであり、この先起こる悲劇も示唆される。でも今この瞬間は幸福だ、ということの代えがたさと危うさを感じさせるラストだ。

ブルックリン・フォリーズ (新潮文庫)
オースター,ポール
新潮社
2020-05-28


サンセット・パーク
オースター,ポール
新潮社
2020-02-27




『富士日記を読む』

中央公論新社編
 武田百合子が夫・武田泰淳に勧められて書き始めた、富士山麓の山荘での生活を記録した『富士日記』。幅広い読者に愛されてきたこの随筆を、各紙誌に掲載された書評と小川洋子らによる書下ろしエッセイからその魅力に迫る。更に百合子、泰淳による関連作品を収録した1冊。
 『富士日記』が出版された当時は、武田百合子は「武田泰淳の妻」という認識だったのだろうが、今や泰淳の『富士』よりも百合子の『富士日記』の方が広く読まれ知名度が高いのではないだろうか。百合子の文章の面白み、観察眼の鋭さや表現の切れの良さは『富士日記』が出版された当時の書評や解説でも言及されていたが、日記文学としての『富士日記』の凄みは当時よりも近年の方が実感されているのではないかと思う。毎日の食事と出来事の記録がなぜこうも面白いのか。これは「生活は面白い」という認識が定着したからかなという気もする。その方が時代、思想を越えて読み続けられるのかなと。本著内でも言及されているが、泰淳の文章を口述していたことの影響等が近年の批評ではあまり指摘されなくなっている(言わずもがなということかもしれないが)のは、それとは別に、百合子固有の文章、視線の強度があることが浸透していったのでは。

富士日記を読む (中公文庫)
中央公論新社
2019-10-18


『フィフティ・ピープル』

チョン・セラン著、斎藤真理子訳
 ある大病院を中心に、50人の人々の人生がすれ違い絡まり合う。老若男女、年齢も立場もまちまちな人たちの悲喜交々を描く連作短編集。
 医師がおり、患者がおり、病院の事務員や用務員がおり、生きている人も死んでいく人もいる。ある町を舞台に様々な人たちの人生が展開していく。それが当人たちも知らないうちに、影響しあい、時に誰かの支えになったりもする。人は一人では生きられないとよく言うが、一人になろうと思ってもなかなか難しい、生きている以上関わり合わざるを得ないという方が正しいのだろう。ある時代、ある場所(つまり現代の韓国の地方都市ということになる)の物語を様々な角度で切り取ったものとして読めた。なので当然、社会問題が様々な形で顔をのぞかせる。様々な人が登場するほど、それぞれの立場で直面する様々な問題が見えてくるのだ。社会規範、「~らしさ」の圧力の不条理さ(特に女性が主人公のエピソードでは強く感じられた)を感じるエピソードは多く、その圧力は鬱陶しいが、本作の登場人物たちはそうそうへこたれないし、軽やかに乗り越えていく人もいる所に救いを感じた。
 妻から見た状況と夫から見た状況、親から見た状況と子から見た状況、同じ場にいても立場が違えば当然違った風景で、その違う風景を様々見ていくことで世界が豊かになる。独りよがりさが抑制されているのだ。鬱陶しさ世界は断片から成っていると同時に断片もまたひとつの世界だという構成が上手いし、個人あっての他人との関わり合いだよなと思わせる。本作、なにより人間の善性と勇気に信頼を置いているところに救われた。思いもよらない悲劇が起きても、たとえ立場が違っても知らない人同士でも、手を差し伸べ支え合うことができるはずという祈りのようなものがある。今の時代だからこそ読みたい、同時に時代を越えた普遍性がある作品だと思う。

『プロジェクト・シャーロック 年間日本SF傑作選』

大森望・日下三蔵編
 2017年の日本SF短編を選りすぐったアンソロジー。第9回創元SF短編賞受賞作である八島游舷「天駆せよ法勝寺」とその選評も収録された。
「天駆せよ法勝寺」の評判は各所で目にしていたが、確かにユニーク。仏教という要素をSFに持ち込んだらどうなるか、というアイディアがアイディア倒れに終わっておらず、SF的展開とがっちり組みあっている。これは果たして真顔で読むものなのか?という気もするが、ある場面で市川春子の漫画『宝石の国』に出てくる月人を連想した。ビジュアルを見て見たくなる作品。
 表題作は別のアンソロジーで読んだことがあったが、SF要素と本格ミステリ要素のバランスが取れている良作。個人的に気に入ったのは、彩瀬まる「山の同窓会」、酉島伝法「彗星狩り」、山尾悠子「親水性について」。「山の同窓会」は、ある生態系のシステムをそこからはみ出す存在も含めて、どこか寂しい情感で描く。私はこういう生態系の中では生きたくないけど、別ルールの世界を見せるSFならではの面白さがある。水気が多そうで有機的な「山の~」に対して硬質な別生態系を描く「彗星狩り」もイメージ豊かでユニーク。この生き物が生活するならこういう感じになるだろう、という世界の構築の仕方がやはり強い。そして「親水性について」はイメージが積み重なる夢の中のような世界。岡上淑子のコラージュ作品を思わせる危うい美しさ。世界の終りの気配がする。


『ブルーバード、ブルーバード』

アッティカ・ロック著、高山真由美訳
 テキサス州の田舎町。沼地で黒人男性弁護士の死体が発見された。次いでカフェの裏手で地元の白人女性の死体が発見される。停職処分中の黒人テキサス・レンジャー、ダレンはFBIの友人に頼まれ、探りを入れる為に現地へ向かうが。
 テキサスという土地の風土、文化が色濃く表れている。人種差別のきつい(KKK的な組織が現役で活躍中)地域であることが事件の見え方にも大きく影響しているのだ。一時代前の話かと思ったらばっちり現代の話でショックというかげんなりするというか・・・。都会育ちの被害者の妻が、現地の微妙な空気感や一触即発な状況にぴんときていないというのも無理はない。こういう土地で黒人として生まれ育つというのがどういうことなのか、外側からは黒人同士でも実感できない部分があるのだ。そういう意味では、本作はある土地に生まれつき、そこから離れられない人たちの業のようなもので出来ているようにも思った。ダレンと妻の間の溝、また被害者であるマイケルとその妻ランディの間の溝は、この故郷に対する思い入れへのギャップからも生まれている。
 男女の惹かれあう様、すれ違う様が、(解説でも言及されているように)何度も反復・呼応していく構成の妙があった。最初はストーリーの進め方がちょっとかったるく、ダレンの行動を見る限りではあまりレンジャー向きな人ではないのでは?と思ったのだが、だんだんそのかったるさというか、事件の芯が見えているようでなかなか近付けない所が本作の肝なのだとわかってくる。起こったこと自体は単純なのだが、主に風土に根差すフィルターでややこしく見えてしまうのだ。ダレンがレンジャー向きとは思えないのにレンジャーとして生きていくというのも、風土の中で培われた価値観に動かされた面が少なからずあると思う。それだけに、最後の1章はあまりに皮肉だ。


黒き水のうねり (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アッティカ・ロック
早川書房
2011-02-28



 
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