3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『文学こそ最高の教養である』

駒井稔+「光文社古典新訳文庫」編集部編著
 古典文学の新訳を次々リリースし若い世代の読者も開拓している光文社古典新訳文庫。本シリーズの出版に伴い、出版社と紀伊国屋書店電子書籍サービス(Kinoppy)のコラボレーション企画として、翻訳者を招いた読書会「紀伊国屋書店Kinoppy=光文社古典新訳文庫 Readers Club Reading Session」でのトークを書き起こしたベストセレクション。
 私もこの読書会には何度か参加したことがある(本作収録分だとロブ=グリエ『消しゴム』、トーマス・マン『ヴェネツィアに死す』『だまされた女/すげかえられた首』の回)のだが、毎回面白い。現在、新型コロナ対策の為に中断中だが、機会があればまたぜひ参加したい。
 古典翻訳は現代の作品の翻訳とはまた違った難しさがあるということが、翻訳者の皆さんの話からはわかる。過去の翻訳を踏まえたうえで、意訳しすぎず原典に忠実でありつつ、どのように現代にマッチする日本語にしていくか、悪戦苦闘の数々が語られる。また文学研究の積み重ねやインターネットによる情報入手のスピード化・グローバル化に伴い新たな側面も見えてくる。読者にとっても昔の翻訳で植え付けられたイメージって大きかったんだなと再認識することにもなった。古典新訳文庫の良さは、キャッチフレーズのとおり「いま、息をしている言葉で」古典作品とフレッシュな出会い・再会をさせてくれることだろう。作品の背景を知ると、更に読みたい作品が増えた。とりあえずまだ読んだことがないプレヴォ『マノン・レスコー』、ナボコフ『カメラ・オブスクーラ』を読んでみたくなったし、プラトン『ソクラテスの弁明』は再読したくなった。






『ブルックリン・フォリーズ』

ポール・オースター著、柴田元幸訳
 60歳を前にし、がんを患い離婚して静かに晩年を過ごそうと決意したネイサンは、馴染みのあるブルックリンに戻ってきた。街の古本屋で甥のトムと再会し、古本屋店主のハリーに紹介される。更に予想外の出会いと出来事が生じ始める。
 ネイサンは自分の人生を振り返り、かつ暇を持て余して「人間愚行(フォリーズ)の書」を書いており、本著の題名はここからとられている。ネイサンは頭はいいが誘惑に弱く、かつ自分本位でちょいちょい「愚行」を行いがち。彼を取り巻く人々も決して聖人君子ではなく色々と難点が多く、それぞれ様々な愚行を犯している。しかしだからこそ愛すべき人たちなのだ。ネイサンは最初、かなりいけすかない、女性に対して手癖の悪い男(元妻や娘に対する態度は結構ひどいし、お気に入りのウェイトレスに対する振る舞いも悪意はないが考えなしだと思う)なのだが、生真面目な甥トムや、姪の娘ルーシーとの交流で、徐々に変化していく。愚者は愚者かもしれないが、自分のことだけでなく他人のことを思いやり、力になろうとしていくのだ。人間60手前になっても変われる、成長できるぞというほのかな希望が感じられる。
 ネイサンだけでなく、詐欺師の前歴があり色々とうさん臭く享楽的なハリーの、隠された思いやりと愛情にもほろりとさせられた。しかしアメリカ同時多発テロ事件への言及もあり、彼らの世界が読者の世界と地続きであり、この先起こる悲劇も示唆される。でも今この瞬間は幸福だ、ということの代えがたさと危うさを感じさせるラストだ。

ブルックリン・フォリーズ (新潮文庫)
オースター,ポール
新潮社
2020-05-28


サンセット・パーク
オースター,ポール
新潮社
2020-02-27




『富士日記を読む』

中央公論新社編
 武田百合子が夫・武田泰淳に勧められて書き始めた、富士山麓の山荘での生活を記録した『富士日記』。幅広い読者に愛されてきたこの随筆を、各紙誌に掲載された書評と小川洋子らによる書下ろしエッセイからその魅力に迫る。更に百合子、泰淳による関連作品を収録した1冊。
 『富士日記』が出版された当時は、武田百合子は「武田泰淳の妻」という認識だったのだろうが、今や泰淳の『富士』よりも百合子の『富士日記』の方が広く読まれ知名度が高いのではないだろうか。百合子の文章の面白み、観察眼の鋭さや表現の切れの良さは『富士日記』が出版された当時の書評や解説でも言及されていたが、日記文学としての『富士日記』の凄みは当時よりも近年の方が実感されているのではないかと思う。毎日の食事と出来事の記録がなぜこうも面白いのか。これは「生活は面白い」という認識が定着したからかなという気もする。その方が時代、思想を越えて読み続けられるのかなと。本著内でも言及されているが、泰淳の文章を口述していたことの影響等が近年の批評ではあまり指摘されなくなっている(言わずもがなということかもしれないが)のは、それとは別に、百合子固有の文章、視線の強度があることが浸透していったのでは。

富士日記を読む (中公文庫)
中央公論新社
2019-10-18


『フィフティ・ピープル』

チョン・セラン著、斎藤真理子訳
 ある大病院を中心に、50人の人々の人生がすれ違い絡まり合う。老若男女、年齢も立場もまちまちな人たちの悲喜交々を描く連作短編集。
 医師がおり、患者がおり、病院の事務員や用務員がおり、生きている人も死んでいく人もいる。ある町を舞台に様々な人たちの人生が展開していく。それが当人たちも知らないうちに、影響しあい、時に誰かの支えになったりもする。人は一人では生きられないとよく言うが、一人になろうと思ってもなかなか難しい、生きている以上関わり合わざるを得ないという方が正しいのだろう。ある時代、ある場所(つまり現代の韓国の地方都市ということになる)の物語を様々な角度で切り取ったものとして読めた。なので当然、社会問題が様々な形で顔をのぞかせる。様々な人が登場するほど、それぞれの立場で直面する様々な問題が見えてくるのだ。社会規範、「~らしさ」の圧力の不条理さ(特に女性が主人公のエピソードでは強く感じられた)を感じるエピソードは多く、その圧力は鬱陶しいが、本作の登場人物たちはそうそうへこたれないし、軽やかに乗り越えていく人もいる所に救いを感じた。
 妻から見た状況と夫から見た状況、親から見た状況と子から見た状況、同じ場にいても立場が違えば当然違った風景で、その違う風景を様々見ていくことで世界が豊かになる。独りよがりさが抑制されているのだ。鬱陶しさ世界は断片から成っていると同時に断片もまたひとつの世界だという構成が上手いし、個人あっての他人との関わり合いだよなと思わせる。本作、なにより人間の善性と勇気に信頼を置いているところに救われた。思いもよらない悲劇が起きても、たとえ立場が違っても知らない人同士でも、手を差し伸べ支え合うことができるはずという祈りのようなものがある。今の時代だからこそ読みたい、同時に時代を越えた普遍性がある作品だと思う。

『プロジェクト・シャーロック 年間日本SF傑作選』

大森望・日下三蔵編
 2017年の日本SF短編を選りすぐったアンソロジー。第9回創元SF短編賞受賞作である八島游舷「天駆せよ法勝寺」とその選評も収録された。
「天駆せよ法勝寺」の評判は各所で目にしていたが、確かにユニーク。仏教という要素をSFに持ち込んだらどうなるか、というアイディアがアイディア倒れに終わっておらず、SF的展開とがっちり組みあっている。これは果たして真顔で読むものなのか?という気もするが、ある場面で市川春子の漫画『宝石の国』に出てくる月人を連想した。ビジュアルを見て見たくなる作品。
 表題作は別のアンソロジーで読んだことがあったが、SF要素と本格ミステリ要素のバランスが取れている良作。個人的に気に入ったのは、彩瀬まる「山の同窓会」、酉島伝法「彗星狩り」、山尾悠子「親水性について」。「山の同窓会」は、ある生態系のシステムをそこからはみ出す存在も含めて、どこか寂しい情感で描く。私はこういう生態系の中では生きたくないけど、別ルールの世界を見せるSFならではの面白さがある。水気が多そうで有機的な「山の~」に対して硬質な別生態系を描く「彗星狩り」もイメージ豊かでユニーク。この生き物が生活するならこういう感じになるだろう、という世界の構築の仕方がやはり強い。そして「親水性について」はイメージが積み重なる夢の中のような世界。岡上淑子のコラージュ作品を思わせる危うい美しさ。世界の終りの気配がする。


『ブルーバード、ブルーバード』

アッティカ・ロック著、高山真由美訳
 テキサス州の田舎町。沼地で黒人男性弁護士の死体が発見された。次いでカフェの裏手で地元の白人女性の死体が発見される。停職処分中の黒人テキサス・レンジャー、ダレンはFBIの友人に頼まれ、探りを入れる為に現地へ向かうが。
 テキサスという土地の風土、文化が色濃く表れている。人種差別のきつい(KKK的な組織が現役で活躍中)地域であることが事件の見え方にも大きく影響しているのだ。一時代前の話かと思ったらばっちり現代の話でショックというかげんなりするというか・・・。都会育ちの被害者の妻が、現地の微妙な空気感や一触即発な状況にぴんときていないというのも無理はない。こういう土地で黒人として生まれ育つというのがどういうことなのか、外側からは黒人同士でも実感できない部分があるのだ。そういう意味では、本作はある土地に生まれつき、そこから離れられない人たちの業のようなもので出来ているようにも思った。ダレンと妻の間の溝、また被害者であるマイケルとその妻ランディの間の溝は、この故郷に対する思い入れへのギャップからも生まれている。
 男女の惹かれあう様、すれ違う様が、(解説でも言及されているように)何度も反復・呼応していく構成の妙があった。最初はストーリーの進め方がちょっとかったるく、ダレンの行動を見る限りではあまりレンジャー向きな人ではないのでは?と思ったのだが、だんだんそのかったるさというか、事件の芯が見えているようでなかなか近付けない所が本作の肝なのだとわかってくる。起こったこと自体は単純なのだが、主に風土に根差すフィルターでややこしく見えてしまうのだ。ダレンがレンジャー向きとは思えないのにレンジャーとして生きていくというのも、風土の中で培われた価値観に動かされた面が少なからずあると思う。それだけに、最後の1章はあまりに皮肉だ。


黒き水のうねり (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アッティカ・ロック
早川書房
2011-02-28



 

『ブルックリンの少女』

ギョーム・ミュッソ著、吉田恒雄訳
小説家のラファエルは、恋人アンナとの結婚を控えていた。過去をひた隠しにするアンナに詰めよると、彼女は衝撃的な写真を提示し、「私がやったこと」だと言う。動揺するラファエルを置いて彼女は立ち去るが、そのまま失踪してしまう。ラファエルは元刑事マルクの助けを借りて彼女の行方を追うが、かつて起きた連続誘拐事件や不審な事故が浮上する。アンナは一体何者なのか。
章が進むごとに「えっそうなの?」とサプライズが訪れる、二転三転どころか転転転が連続する構成。こういうケレンというか、妙な派手さがフランスのミステリっぽいなぁと思う。恋人の過去という発端から、大分遠い所まで話が展開していくのだ。終盤でチート的キャラクターを出してくるのは都合が良すぎる気がするが、どんどんラファエルらの手に余る展開になっていく所は面白い。真相が非常に辛い話だし、彼ら彼女らの未来が元通りに修復されるのかというと、かなり怪しいと思う。少なくともラファエルとアンナの関係においては、ラファエルが彼女の過去を問い詰めた時点で致命的に変わってしまったのではないか。

ブルックリンの少女 (集英社文庫)
ギヨーム ミュッソ
集英社
2018-06-21


あなた、そこにいてくれますか (潮文庫)
ギヨーム・ミュッソ
潮出版社
2017-10-05


『冬の炎』

グレン・エリック・ハミルトン著、山中朝晶訳
 軍を除隊し、故郷で求職中のバン・ショウに、祖父の友人だったウィラードが頼みごとをしてくる。恋人と共に山荘に出かけたきり戻らない姪のエラナを探してほしいというのだ。雪山へ出向いたバンは、若い男女の死体を発見する。死体の損傷は激しく、男性がエラナを射殺し自殺したように見えたが。
 『眠る狼』に続くシリーズ第2作。バンが事件を追っていく経緯と、過去の出来事とが交互に語られるのは前作通り。ただ、現在の事件の追い方がちょっとでこぼこというか、強引なように思った。ちょっと後出しジャンケンぽいかな・・・。とはいえ、戦地で傷を負ったバンのトラウマは、本作の方がよりはっきりと描かれているように思う。バンの部下だった元レンジャーのレオが登場するが、彼もまた精神的なダメージを負っている。バンの前に現れた時の、当たりはやわらかだがどこか落ち着きがなく、不安定さが垣間見える所作が印象に残った。隣家の犬と触れあうくだりはちょっと可愛いのだが痛ましくもある。人間相手だと安心できないということだから。傷を理解し合う者としてのバンとレオのバディ感も良い。ただ、バンと恋人ルースとの関係は反比例で危うくなる。バンが過去の自分を追い物騒なものに惹かれ続ける(本作でもわざわざ自分で事態を面倒くさくしたり相手を無駄に挑発する傾向あり)限り、ルースは彼と生きていくことはできない。3作目(日本では未訳)ではどうなっているのか気になる。

冬の炎 (ハヤカワ文庫NV)
グレン・エリック・ハミルトン
早川書房
2018-05-17





眠る狼 (ハヤカワ文庫NV)
グレン・エリック・ハミルトン
早川書房
2017-04-06

『ふたつの人生』

ウィリアム・トレヴァー著、栩木伸明訳
 長年施設で暮らすメアリー・ルイーズの耳には、ロシアの小説を朗読する幼馴染の青年の声が今でも聞こえている。約40年前、彼女は年上の商人エルマーと結婚し、彼の2人の姉と共に暮らし始めたのだが。メアリーの人生を描く「ツルゲーネフを読む声」の他、列車内で爆発事件に巻き込まれた作家エミリー・デラハンティと、同じ事件で生き残った3人の被害者を描く「ウンブリアのわたしの家」の2編を収録。
 ある女性の人生を描いた作品2編を収録しているから『ふたつの人生』なのだが、それぞれの作品の主人公がある意味で「ふたつの人生」を生きているという、二重の意味合いになっている。メアリーはエルマーと結婚するが、ぼんやりとした夫と批判的な義姉たちとの慣れない生活は、決して満たされるものではなかった。そんな折、いとこのロバートと再会し、彼との交流が心の支えになっていく。彼への思い、彼との生活に対する夢想はやがて彼女の生活を侵食していくのだ。エルマーと結婚した人生とロバートと共に歩む人生、2つの人生が彼女の中に併存している。他人には狂っていると思われるんだろうけど、自分にとってより真実味が感じられるものこそが真実ではないかと思わずにいられない。ラストには震えた。「現実」とやらに居場所がないなら他に居場所を作って何が悪い、と言わんばかりのメアリーの生き方は心に突き刺さる。
 一方、「ウンブリアのわたしの家」の語り手であるエミリーはロマンス小説作家であり、それこそ望ましい人生を頭の中で生み出すことを生業としている。彼女が語りだすそれぞれの人生は、彼女が相手から聞いたことなのか、彼女の空想の中身なのか、だんだんわからなくなっていく。彼女もまた積極的に「もうひとつの人生」を生きようとする人なのだ。


聖母の贈り物 (短篇小説の快楽)
ウィリアム トレヴァー
国書刊行会
2007-02-01


『ふりむけばそこにいる 奇譚蒐集家 小泉八雲』

久賀里世著
 歌手だった母親を亡くしたオーランドは、名門である亡き父の一族に疎まれ、北イングランドの寄宿制神学校に送られる。学校へ向かう汽車の中で、風変りな少年が声をかけてきた。かつて汽車の中から姿を消した子供が、生者を道連れに誘うのだと言う。若き日のラフカディオ・ハーン=小泉八雲が怪異を解き明かす連作集。
 ハーンは作中ではパトリックという名で呼ばれており(ハーンの出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン)、彼が作家「ラフカディオ・ハーン/小泉八雲」になる前の青春譚とも言えるだろう。性格等のキャラクター造形はほぼオリジナルと言ってもいいと思うが、生い立ちや目が悪かったこと等は史実通り。日本への憧れに繋がる伏線も出てくる。古典作家の「キャラ」化が最近盛んだが、八雲は実際に相当クセのある人だったみたいだし、キャラ化に向いているのかも。
 妖怪・幽霊譚を取り入れたミステリは、「この世」が担当する部分と「あの世」が担当する部分の兼ね合いが難しいように思う。本作も、これだったら全部妖怪・妖精の仕業にしてしまってもいいのでは、あるいはオカルトを否定するミステリとしてもいいのではという部分があり中途半端な印象はある。とは言え、遭遇する怪異を通してオーランドが母親に対する思いのわだかまりをほどいていく過程や、学園ドラマ的な同級生とのやりとり等はこなれていて読ませる。



小泉八雲集 (新潮文庫)
小泉 八雲
新潮社
1975-03-18

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