3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『緋色の記憶』

トマス・H・クック貯、鴻巣友季子訳
 チャタム村に美術教師として赴任してきたミス・チャニング。彼女の美しさと長らく海外を旅してまわっていたという経歴にひかれた「わたし」は、彼女に勧められスケッチを始める。しかしミス・チャニングがやってきたことで村の平穏は大きくかき乱されることになる。
 弁護士となった「わたし」が老年になってから回想するという形式。なので、語り手には何が起きるかわかっている、そして読者はこの先不幸が訪れることを繰り返し示唆されながら読み進めることになる。今回新版が出たので10数年ぶりに読み直した。「上手くて面白いが嫌な話」という印象の記憶しか残っていなかったのだが、やはり上手いし面白い。そしてやはり嫌な話だった。新録された解説でも言及されているが、緋色といえば『緋文字』であり、個人同士の感情の問題を共同体が一方的に断罪しつるし上げるという行為の恐ろしさが予感されるのだ。著者の手腕はこの予感の感じさせ方、におわせ方の巧みさにある。一歩間違えるとかなり下卑た印象、やりすぎになりそうなところ、程よい所で留めかつ読者の興味を途切れさせない。更に文章に詩情があり美しい。訳文もあえて古めかしい表現を使っているところがあり、過去の回想というノスタルジーが強まる。
 ただ本作の怖い所は、前述したような共同体の道徳の独りよがりさだけではなく、個人の一方的な思い入れ、それがたどり着いた取り返しのつかない地点にある。そこにたどり着くまでにこの人たちに何があったのか、なぜそうなったのかということがひとつづつ積み上げられていくのだ。若い者ほど独りよがりになりがちとは言うが、自分のロマンティシズムを他人に託すことの傲慢さ、身勝手さが痛烈だ。回想という形式になっていることで、行為の取返しのつかなさがよりインパクトを残す。

緋色の記憶〔新版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
トマス H クック
早川書房
2023-04-25


緋文字 (光文社古典新訳文庫)
ホーソーン
光文社
2014-09-26



『ポピーのためにできること』

ジャニス・ハレット著、山田蘭訳
 地元の名士であるマーティン・ヘイワードは、アマチュア劇団を主宰している。次回公演を控える中、彼は劇団員全員にメールを送った。2歳の孫娘ポピーが難病にかかり、高額な治療費が必要だというのだ。友人・知人たちは治療費支援の為の募金活動を開始するが、この活動が思わぬ事件を引き起こす。
 評判がいいという程度の予備知識で読み始めたのだが、小説としては少々変わった形式。全編が関係者が残したメール、供述調書、メディア上の記事など、いわゆる小説の地の文ではなく資料の集積として構成されているのだ。アイディアとしてはあるだろうが、この形式でちゃんと成立させるのはかなり難易度が高いのでは。更に本作、本格ミステリとして相当ちゃんとしたフーダニットをやっている。後半で判明してくる事実の中にはいきなりそのネタは卑怯だろ!と思わなくもないものもあるのだが、「だれが」という点に関してはかなりフェアプレイなのでは。
 メールでのやり取りの中には事務的なものも、プライベートなものも混在している。しかしそれらのやりとりの中から、ヘイワード家と劇団の人々の人間関係、パワーバランスが徐々に見えてくる。この人は妙に配慮されすぎではとか、この人はメールのテンションと周囲からの見られ方が乖離しているのでは等、演出が結構意地が悪い。人間のいやらしさが結構露骨に見える部分もある。登場人物たちがどういう人なのか、個々の関係性はどういうものなのか、誰が誰をマウントしているのかという図式をほぼメールで構成する力業に唸った。題名が真に意味するものが分かった時の後味の悪さが抜群。そしてある人物の最後のメールの不穏さがすごい。これが一番ぞっとした。

ポピーのためにできること (集英社文庫)
ジャニス・ハレット
集英社
2022-07-07


アクロイド殺し (クリスティー文庫)
羽田 詩津子
早川書房
2012-08-01




『秘密にしていたこと』

セレステ・イング著、田栗美奈子訳
 1977年、アイダホの田舎町で、16歳の少女リディア・リーが失踪し、数日後に湖から遺体で発見された。両親と兄、妹は大きなショックを受ける。リディアは自殺だったのか他殺だったのか。一見順風満帆だった一家だが、それぞれが隠していたことが露わになっていく。
 リディアが死んだ時点から、両親の出会いに遡り、現在に立ち戻りつつ長男ネイスと長女リディアが生まれてから、そして二女ハンナが生まれてからというふうに時間を交互に移動して物語が進んでいく構成。その過程で、リー一家の背景にあるもの、そしてリディアが抱えていたものが徐々に見えてくる。題名の「秘密」とは家族それぞれの秘密であり、その秘密が家族を家族の形に保っていたのかもしれない。彼らの間に愛情がないわけではない。むしろ強い愛があるのだが、自分の欲望を押し殺したり、また相手の意図を勘違いしたりすることで取り返しのつかない地点にまですれ違ってしまう。特に母親の行動の原因が自分にあると思い込み、母親の願望をひたすら体現しようとしてしまうリディアの追い込まれ方は痛ましい。
 そしてリディアに過剰な期待を寄せてしまう母マリリンの行動は、女性であったが故に職業人として自立できなかった、だから娘にはそういう道は歩ませたくないという一心だったということもまた、時代の悲劇と言える。一方でアジア系である父ジェームズが、その出自故に昇進が遅れたり結婚も反対されたり、常に周囲への溶け込めなさを感じて苦しくなるというのもこの時代の辛さだろう。彼もまた、息子に対してとんちんかんな期待を寄せてしまうのだが、それは彼のこれまでの人生からくるものだ。自分がかなえられなかった夢を子供に背負わせてしまうというのは何時の時代でもあることだろうが、マリリンやジェームズの苦しさは、現代だったら少しは緩和されたのではないか。家族のすれ違いの悲劇自体はよくある話ではあるのだが、時代背景の影の落とし方、取り返しのつかなくなる地点までの構成の仕方で読ませる。


秘密にしていたこと
セレステ・イング
アストラハウス
2022-10-09




『光を灯す男たち』

エマ・ストーネクス著、小川高義訳
 1972年、英国コーンウェールの孤島にある灯台で、3人の灯台守が姿を消した。灯台は内部から施錠され、室内には食事が用意されたまま手つかずのまま。主任のアーサー、補佐のビル、補助員のヴィンセントはどこへ行ったのか。真実はわからないまま灯台管理会社の調査は終了し、残された妻や恋人は納得できなさを抱え続けた。そして1992年、1人の作家がこの事件の取材を申し入れてくる。
 1900年に実際に起きた失踪事件をモデルにした小説だそうだ。海に囲まれた灯台で忽然と人が消えるというと、自分にとっては超自然的な何かを思い浮かべがちで、本作も幻想的な話なのかと思っていた。しかし読んでいると結構生臭い話だなこれ!灯台守は長期間、家族を自宅に残して灯台に同僚と滞在する。当時はインターネットもないし孤島だと電話もない。孤島では外を歩き回るというわけにもいかない。多くの灯台守が手を動かす(何かを作る)趣味を始めるという記述にはなるほどと思った。時間をつぶすための行為が必要なのだ。その時間がありすぎること、他人との接触が限定されることで、心の中のもやもや、日々の雑事に追われていたら多分うやむやになっていたであろうことが見過ごせないくらいに大きくなってきてしまう。
 夫も妻も、恋人も、わかり合っているわけではない。わかっている部分はもちろんあるが、決定的に理解しておらずすれ違っている部分が多々あることがそれぞれの語りによって露呈していく。当人にはわかっていないが読者にはああこれはだめだ…とわかってしまうのだ。正直、よくある話といえばよくある話なのだが、シチュエーションが独特なことと構成の上手さで読ませる。

光を灯す男たち (新潮クレスト・ブックス)
エマ・ストーネクス
新潮社
2022-08-25


ライトハウス(デラックス版) [DVD]
ロバート・パティンソン
トランスフォーマー
2022-01-14


 
 

『棺の女』

リサ・ガードナー著、満園真木訳
 民家のガレージで黒こげになった男の死体と、男が拉致監禁していた若い女性フローラが発見された。刑事D・Dはフローラがかつて世間を騒がせた誘拐監禁事件の被害者だったと知る。しかしフローラはその夜また、自宅から姿を消した。現場の状況から拉致された可能性があると考えたD・Dは、かつてフローラとその家族をサポートしていたFBI被害者支援スペシャリストのケインズの協力を仰ぎ、彼女の捜索を始める。
 フローラがいかにして誘拐事件のサバイバーになったのかという過去と、今現在彼女の何が起きているのか、そしてフローラに何が起きたのか捜査するD・Dという3つの側面からスピーディーに展開する。フローラのパートは過去も現在も一人称「わたし」で、自分が理解しがたい状況にいる恐怖と切迫感、緊張感が強まる。他人に生命を握られることで自我が損なわれていく、支配されていく過程が迫ってくる。三人称の語りで、少し距離を置いているD・Dパートとの対比が効いていた。
 フローラの供述も彼女自身の過去の記憶も曖昧な部分があり、一体何があったのか、なぜ現在のような状況になったのかという答え合わせに向かってどんどん進んでいく形の謎解きだ。意外な展開も用意してあり読者を飽きさせない。また、被害者であるにも関わる自分を責めるようになる、事件以前とは別人になってしまい家族の関係も崩壊してしまうという、犯罪のむごさが強いインパクトを残す。

棺の女 (小学館文庫)
リサ・ガードナー
小学館
2016-11-25


完璧な家族 (小学館文庫)
リサ・ガードナー
小学館
2022-02-04


『飛族』

村田喜代子著
 かつては漁業で栄えたが、現在では92歳のイオと88歳ソメ子という老女2人が暮らすだけになった養生島。イオの娘ウミ子は母の様子を見に時々島に通っている。何かと不便で病院に通うのも難しい島の暮らしを案じ、本土で一緒に暮らさないかとイオに提案するが、拒まれてしまう。
 イオもソメ子もかつては腕のいい海女で、今でも海に潜ってアワビを取っている。ウミ子の心配をよそに、2人とも島を離れる気はないという。養生島の近辺にもいくつかの離島があるが、そこに住んでいるのも老人ばかり。彼らもまた最後まで島で暮らすつもりだ。高齢化による島の過疎化、それに伴い島が野生化し、国境に近い位置にある故に人がいない島を目指して密入国者がやってくるという背景がある。同時に数少ない島民の為に自治体の予算を割いてインフラを維持し続けなければならないという結構生々しいお金の事情にも言及される。現実的な「世間」の話がある一方、イオとソメ子の意識は日常生活の中で急に伝承の世界に飛んだり死者と一体化したりする。あっちの世界とこっちの世界の境界があいまいで、どこかふわふわしているのだ。まだまだ「こっち」側であるウミ子はイオの行動に戸惑うが、やがてイオたちのそのままのあり方を受け入れていく。イオたちは既に自分たちの生活も死もここにあるとふっきれているが、ウミ子もまたふっきれていくように思えた。
 海難事故にあった漁師たちが鳥になって逃れるというイメージが美しい。海から空へというと逆の方向に反転するようだが、鳥と魚は自分の中では同じイメージのくくりなので、すっとなじんだ。海に潜る海女の姿は、魚のようでもあり飛ぶ鳥のようでもある。

飛族 (文春文庫 む 6-6)
村田 喜代子
文藝春秋
2022-01-04


姉の島
村田 喜代子
朝日新聞出版
2021-06-07


『ヒロシマ・ボーイ』

平原直美著、片澤恵訳
 日系二世のマス・ヒロシはアメリカで生まれ、広島で育ち、戦後アメリカに帰化した。同郷の親友の遺灰を親族に届ける為、50年ぶりに広島を訪れ、瀬戸内海の小島・イノ島に向かう。しかし到着の翌朝、海で少年の死体を発見してしまう。マスはその少年を、島に向かうフェリーの中で見かけていた。
 日系の元庭師マスを主人公にしたミステリシリーズだそうだ。著者も日系アメリカ人だが著者名は日本名で出版したいとの希望だったそうで、漢字名著者に漢字名翻訳者が続くというちょっと不思議な表紙。作中の日本の描写はかなりしっかりとリサーチされたものという印象だし、広島弁も再現度高いのでは。原文ではどういう表記になっていたのだろうか。ただ、それでも実際の日本にうっすらとフィルターかけたような異国感がある。それが難点というのではなく、かえって面白い所だと思う。日本の田舎の閉鎖性や「家」の意識が色濃く描かれており、スマホがある時代よりも大分前の感じなのだが、地方によってはまだこういう感じなのかもしれない。日本に生まれたが日本人ではないマスの目を通すことで、これらの情景・価値観の奇異さが際立ってくるのだ。
 島の人々の表と裏、本音と建て前が事件の影に見え隠れする。こういう人だろうと思っていたが実はちょっと違った、という展開が何度も見られる。これはマス自身についても同様だ。マスは自分の人生は決して輝かしいものではない、自分は大した人物ではないと考えている。しかし、そうではないと考えている人もいるのだ。それを知ったマスの心情の変化は、この年齢にして再出発、といった雰囲気がある。マスの中でやっと少年時代と現在が結び直された感じがするのだ。
 冒頭、マスが日本へ向かう機内で「身構えた肩から力が抜けたというか…。」という一文には、移民二世としてアメリカで生きることがどういう感じなのか垣間見え、はっとした。常に緊張感があるというのは、一つの国を祖国として生きていると実感がわかない所がある。
 

『批評の教室 チョウのように読み、ハチのように書く』

北村紗衣著
 良い批評は作品をより面白くする。読者・鑑賞者にとってだけでなく批評を書く側にとってもだ。批評とはそもそもどういう行為で、どういう段階を踏んでなされるのか。精読する、分析する、書くという三段階に分けてやり方を解説していく、批評入門書。
 私は自分のブログを書く時に批評ではなく感想文だと考えているのだが、それは本作で解説されている3段階の作業をしていないから(特に分析に伴う調査)に他ならない。しかし、本を読んだり映画を見たりしながら、本著で解説されている分析に近い見方をしていることはしばしばある。鑑賞・読書し慣れている人というのは多かれ少なかれ、分析を含む見方をしているものではないかと思う。そういう人にとって、本著で紹介されている分析の方法・切り口は、自分の中で名前がはっきりしないがああそれですか!と腑に落ちるものだろう。ただその分析を根拠付ける調査は、ある程度ノウハウがないとどうすればいいかわかりにくい。本著はそのあたりの、どういうことをやって根拠付けるのかという部分をかなり具体的に説明しており、実践的。更に第四章「コミュニティをつくる 実践編」で実際に著者と学生との2人が同じ作品の批評を書き、お互いに添削しあうという実践が行われる。どういう部分が添削されるのかということがわかりやすく、これから批評、レポート(どういうレポートがだめなのかということにも本著ち内で多少言及される)を書こうという学生には大変参考になるのでは。


『「非モテ」からはじまる男性学』

西井開著
 1990年代から浸透してきた「非モテ」という言葉。恋人がいない、女性から好意を向けられないという苦悩にわかりやすい名称を与えた「非モテ」というワードだが、「非モテ」男性の苦しさは本当にモテないことから生じているのだろうか。男性性が内容する問題について研究し、苦しむ当事者の語り合いグループを立ち上げた著者による、男性が「非モテ」という苦しさを抱くまでの過程や、問題の背後にある構造、更にそこから抜け出す為の実践を解き明かす。
 近年耳にする機会が増えてきた男性学の分野の中ではかなりとっつきやすい、等身大のものとして読める1冊では。非モテ当事者がいう非モテとは、継続的な性的関係を結ぶ相手がいない、また性的な関係を結ぶ可能性がある相手から好意を寄せられないという状態なのだろうが、なぜその状態がそこまで苦しいのかと今まで不思議だった。本著によると、苦しさの原因はいわゆる「モテない」ことそのものというよりも、男性集団の中のヒエラルキー的な関係性、その中での「モテない」ことの位置づけによるところが大きい。その背景(自分たちがどういう社会構造に組み込まれているのか)が当事者には見えにくいので、辛さの原因をわかりやすい「モテなさ」に帰結させてしまうのだという。本著で紹介されている男性たちの苦しさや拗らせ上の問題(女性への加害など)を読んでいると、非モテというよりも自己肯定の低さや、性愛に関わず他者とのコミュニケーションに苦しんでいるのではということが見えてくる。男性グループでは往々にして、フラットな、穏やかにケアしあうコミュニケーションが成立しにくいというのも一因だろう。男性集団内のマウンティング合戦・けなしあいみたいなものははたからみていると不愉快だと常々思っていたが、当事者も当然不愉快だったんだな。そこから距離を置いてフラットな関係を持てる環境を確保することが、苦しさを和らげていくのだろう。
 男性学として男性の苦しさを解き明かしていくが、どんな事情があって苦しいにせよ、加害行為(ストーキングや女神への執着が独立トピックとして扱われているあたり、何でそういう所に同一パターンが生じるんだよとめまいがしてくるが)は許されるものではないと念押しされている。なぜ加害してしまうのかという部分の言語化が非常に難しいらしいという点も興味深かった。


さよなら、俺たち
清田 隆之(桃山商事)
スタンド・ブックス
2020-07-02




『P分署捜査班 誘拐』

マウリッツォ・ジョバンニ著、直良和美訳
 美術館から10歳の少年が姿を消した。誘拐事件と見込み、ピッツォフォルコーネ署の警官たちは捜査を開始する。少年は地域内でも有数の富豪の孫だった。一方、ロヤコーノ警部は不自然な空き巣事件を担当する。被害者の夫婦は何か嘘をついている様子なのだ。イタリア発の警察群像劇、シリーズ2作目。
 1作目『P分署捜査班 集結』は、イタリアの「87分署」だと評されていたが、2作目でもその方向性は変わらない。ピッツォフォルコーネ署はいわゆる問題警官の吹き溜まりみたいな部署なのだが、アクの強いメンバーたちが段々警官として本領を発揮していく。環境が変わると人が変わる、組織が変わるという良いサイクル。特に今回、プレスリー気取りで中身がないかのように見えたアラゴーナの、警官としての資質が発揮され始める。どんな相手にもたじろがない、時に無神経ですらあるハートの強さが強みだ。先輩警官たちも彼に期待しているみたいで、今後の成長が楽しみ。とは言えファッションへのこだわりと本命女性への態度はどうもとんちんかんなのだが…。メンバーはそれぞれある部分は有能だが、不完全な人間で難点も多い。前作ではカラブレーゼの家庭の事情のままならなさが痛切だったが、今回はロマーノの難点が炸裂する。それ絶対やっちゃだめなやつだよ!
 児童誘拐という事件の性質に絡め、世界の残酷さ、不条理さを象徴するような短いエピソードが所々に挿入される。5月という美しい季節を舞台に残酷な事件が進展していくという対比なのだが、演出がちょっと気取りすぎなように思った。また、犯人特定の大きな手掛かりとなる部分が判明するタイミングには、それ最初に思い当たることなのでは?と不自然さを感じた。ラストが次作に反映されるのかどうかも気になる。

誘拐 P分署捜査班 (創元推理文庫)
マウリツィオ・デ・ジョバンニ
東京創元社
2021-05-10


集結 P分署捜査班 (創元推理文庫)
マウリツィオ・デ・ジョバンニ
東京創元社
2020-05-29




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