トマス・H・クック貯、鴻巣友季子訳
チャタム村に美術教師として赴任してきたミス・チャニング。彼女の美しさと長らく海外を旅してまわっていたという経歴にひかれた「わたし」は、彼女に勧められスケッチを始める。しかしミス・チャニングがやってきたことで村の平穏は大きくかき乱されることになる。
弁護士となった「わたし」が老年になってから回想するという形式。なので、語り手には何が起きるかわかっている、そして読者はこの先不幸が訪れることを繰り返し示唆されながら読み進めることになる。今回新版が出たので10数年ぶりに読み直した。「上手くて面白いが嫌な話」という印象の記憶しか残っていなかったのだが、やはり上手いし面白い。そしてやはり嫌な話だった。新録された解説でも言及されているが、緋色といえば『緋文字』であり、個人同士の感情の問題を共同体が一方的に断罪しつるし上げるという行為の恐ろしさが予感されるのだ。著者の手腕はこの予感の感じさせ方、におわせ方の巧みさにある。一歩間違えるとかなり下卑た印象、やりすぎになりそうなところ、程よい所で留めかつ読者の興味を途切れさせない。更に文章に詩情があり美しい。訳文もあえて古めかしい表現を使っているところがあり、過去の回想というノスタルジーが強まる。
ただ本作の怖い所は、前述したような共同体の道徳の独りよがりさだけではなく、個人の一方的な思い入れ、それがたどり着いた取り返しのつかない地点にある。そこにたどり着くまでにこの人たちに何があったのか、なぜそうなったのかということがひとつづつ積み上げられていくのだ。若い者ほど独りよがりになりがちとは言うが、自分のロマンティシズムを他人に託すことの傲慢さ、身勝手さが痛烈だ。回想という形式になっていることで、行為の取返しのつかなさがよりインパクトを残す。