3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『P分署捜査班 集結』

マウリツィオ・ジョバンニ著、直良和美訳
 独自の捜査方針を貫く切れ者と評判、しかし倦厭されがちなロヤコーノ警部は、ピッツォファルコーネ署への異動を命じられる。ナポリで最も治安が悪い地区の所轄で、捜査班の多くが汚職で逮捕されたために至急の人員補充が必要だったのだ。しかし集められたのは何らかの問題があり、他の分署が持て余した人材ばかりだった。
 著者が真っ先に謝辞を送っているのがエド・マクベインというあたりでわかるように、オーソドックスな警察群像劇。当座しのぎのチームが複数の事件にあたっていく中で、メンバーそれぞれの個性・人生が垣間見えていく。裕福なスノードームコレクターの殺害事件、アパートの一室に女性が閉じ込められているのではという疑惑、どちらも決して派手な事件ではないし、真相にあっと驚くような意外性はない。しかし個々の刑事たちが地道に聞き込みをし、真実にたどり着こうとする様は正に警察小説の王道。刑事たちの造形が多面的で、職場での顔と家庭での顔があり、それぞれいかんともしがたい問題を抱えている様子も印象に残る。特にカラブレーゼの、夫と息子に対する思い。誰もが子供をひたむきに愛せるわけではないんだよな…。シリーズ作品だそうなので、この問題は次作に引っ張られる、またシリーズ通して解決していくのでは?という事件の断片も見え隠れしている。本作単品というより、この先のシリーズとしての展開が楽しみな作品。

集結 P分署捜査班 (創元推理文庫)
マウリツィオ・デ・ジョバンニ
東京創元社
2020-05-29



警官嫌い (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 13‐1))
エド・マクベイン
早川書房
1976-04-20


『秘めた情事が終わるとき』

コリーン・フーヴァー著、相山夏奏訳
 作家としては無名なローウェンの元に、ベストセラー作家ヴェリテの共著者として人気シリーズの執筆をしないかというオファーが舞い込む。ヴェリテは事故に遭い、執筆できる状態にないというのだ。魅力的なオファーだがなぜ自分に?といぶかしむローウェン。更にヴェリテの夫ジェレミーは、トラブルに遭ったローウェンをたまたま助けてくれた人だった。ヴェリテ夫妻の自宅で資料を見ることにしたローウェンだが、ヴェリテの自伝らしき原稿を見つける。
 名のある女性の後釜として屋敷に赴きその夫に惹かれる、しかし彼女の影が付きまとうという展開は『レベッカ』的だが、段々様子が異なってくる。ヴェリテの残した原稿にはジェレミーとの出会いから結婚、出産を経ていく様が綴られていくが、そこには驚くような出来事が記されていた。ローウェンは原稿に引き込まれつつも、そこに書かれた出来事に恐れおののく。普通ミステリだったら、その原稿に書かれていることは事実なのかフィクションなのか?何か仕掛けがあるのでは?と読者としては疑いつつ読むところだが、不思議なことにローウェンはそれが事実だと疑わない。そして意外と額面通りにストーリー展開するのだ。えっそれそのまんまなの?と拍子抜け…していたら最後の最後でそうきたか!しかしそれも額面通りといえば額面通りなのだが。ぐいぐい読ませるがミステリの仕掛けとしてはどうなんだろうな…。
 ただ、ヴェリテが作家、しかも才能ある作家という点が大きな装置になっているところは面白い。ローウェンが原稿を読まずにいられなかったのは好奇心だけではなくその原稿が不愉快な内容であっても上手い、読ませるものだったからだろう。それ故、どこまで「読ませる」ためのものだったのか?どこまで意図しているのか?とざわつかせるのだ。いわゆるロマンチックサスペンスジャンルの作品だしロマンスはあるのだが、ロマンチックが吹き飛んでいる。

秘めた情事が終わるとき (ザ・ミステリ・コレクション)
フーヴァー,コリーン
二見書房
2019-12-19



レベッカ (上) (新潮文庫)
ダフネ・デュ・モーリア
新潮社
2008-02-28


『翡翠城市』

フォンダ・リー著、大谷真弓訳
 翡翠のエネルギーにより怪力、敏捷、感知などに超人的な能力を発揮できるグリーンボーンたちの国、ケコン島。島の中心地であるジャンルーンを仕切るのは、コール家を中心とする「無峰会」。若き「柱」ランとその弟で武闘派の「角」ヒロ。ライバル組織「山岳会」との抗争を繰り広げていたが、事態は大きく動く。
 特殊能力者の世界の中のピラミッド構造と縄張り争いを描く、SFファンタジーヤクザ小説みたいな作品。組織の中でも鍔迫り合いや疑心暗鬼、裏切りが繰り広げられる。ランとヒロらが生きるのはそうした世界だが、彼らの妹シェイは海外の大学に通い、異文化の中で生活した経験がある。自分が一族に保護されていることへの屈託もあり、自立心と一族への愛情とが相反している。
 世界ではおそらくケコンの外の方がスタンダードで、ケコンはある種の異界として見なされている。ケコンの強みである翡翠の力も、個人の力を増強するものではあるが、それが強みになるのはあくまでグリーンボーン同士の個人戦、つまり決闘というシステムが有効な文化圏の中、あるいは組織に属さないアウトローとして生きる時だ。翡翠の力を民族の誇りとるす無峰会にしろ、海外との交渉材料にしようとする山岳会にしろ、資本主義と外交という世界の多数派のルールにのってしまった時点で、強みは失われていくように思う。彼らがいるのは旧世界で、この先独自性を保っていくのは厳しいのではないか。そもそも個人の力を増強しても、量産された武器・兵器に対抗できるほどではないだろう。翡翠の力の希少性は、おそらくそれほど高いものではなくなっていく。
 シェイはそういったギャップを知っているはずなのに、自分の一族の仕組みの中に自ら参入していかざるを得ない。コール家もケコンの文化そのものもいずれ廃れていくのではないかという予兆をはらんでおり、どこか寂寥感をはらんでいる。

翡翠城市 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
フォンダ リー
早川書房
2019-10-17


サイバラバード・デイズ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
イアン マクドナルド
早川書房
2012-04-01


『ヒッキーヒッキーシェイク』

津原泰美著
 4人の引きこもりの元に、「人間創りに参加してほしい。不気味の谷を越えたい」という誘いが舞い込む。誘ったのはヒキコモリ支援センター代表のカウンセラーJJ。パセリ、セージ、ローズマリー、タイムという、年齢性別さまざまな4人の引きこもりを連携させてプロジェクトを動かそうというのだ。戸惑いつつ外界と関わろうとする4人だったが。
 4人プラスJJの間にははっきりした友情や愛情があるわけではない。ただ、ちょっとずつ距離感は縮まり、信頼感も芽生えていく。そのゆっくりさというか、保留付きの信頼のようなものが結構リアルだと思う。とはいえ、プロジェクト自体にはそんなに面白みを感じなかった。私は文庫化されたものを読んだのだが、文庫化までの経年で新鮮度が薄れてしまったかな…。また、4人が引きこもりである意味もさほど感じない。ただ、それでよかったと思う。ひきこもりだから何かできた、特別な能力があった、あるいは極端に人として欠陥があったとかではなく、「たまたま」なるのがひきこもりだと思うので。



11 eleven (河出文庫)
津原 泰水
河出書房新社
2014-04-08




『ひとり旅立つ少年よ』

ボストン・テラン著、田口俊樹訳
 1850年代、アメリカ。12歳の少年チャーリーは、詐欺師の父親を殺され、父から託された大金を奴隷制廃止運動家の元に届けようと決意する。ブルックリンからミズーリを目指すが、彼の金を狙う犯罪者と逃亡奴隷の2人組が執拗に追ってくる。
 奴隷制度と人種差別がごく普通のものだった時代のアメリカで、チャーリーは自分と父が行った詐欺行為の償いとして奴隷制廃止運動家に資金(武器を買う為の金だというのがまた時代性を感じさせるが・・・)を渡そうとするのだが、詐欺の前には人種も性別も年齢も平等であるという所が皮肉だ。 チャーリーの父親は根っからの詐欺師、山師で息子のことも平気で騙すのだが、妙に憎めない所がある。この困った人であり客観的には悪党なのだがチャーミングで嫌いになり切れないという造形がうまい。チャーリーが父を愛し続けてしまう(そもそも12歳の子供にとって他に頼れるものはないのだが)気持ちに説得力があった。チャーリーにとって不本意かもしれないが、父親の詐欺師としての才能と愛嬌みたいなものはチャーリーにも受け継がれており、それが彼を助けることになる。
 父親だけでなく、彼と関わり助ける大人たちの造形がどれもよい。彼らの列車内で知り合う女性の善意と勇気、一見シニカルな“葬儀屋”の気骨にしろ、それぞれの美点がチャーリーの中に受け継がれていくように思った。悪人たちは徹底して悪人という割り切りの良さが少々単純ではあるのだが、本作を神話、ファンタジー的なものにもしている。
 作中、実在の人物や文学がしばしば登場、引用される。チャーリーに自作の詩の一篇を手渡す人物にしろ、奴隷制反対派牧師の姉妹が書いたある小説にしろ、チャーリーが迷い込む見世物小屋にしろ、それらが全てチャーリーの旅を象徴するようなものだ。チャーリーは最初、詩を理解できない。しかし、徐々に実感として何が表現されているのか掴んでいく。彼が自分の旅、自分の人生を俯瞰できるようになり、それが大人になっていくということなのだろう。ちりばめられた史実や実在の人物、文学は、アメリカという国を象徴するものでもある。本作は著者の前作『その犬の歩むところ』と似た構造で、アメリカという国を小さきものの視点を借りて旅し俯瞰すのだ。『その犬~』は「今のアメリカ」だが、本作は今に至るターニングポイントとなった時代のアメリカとも言える。

ひとり旅立つ少年よ (文春文庫)
ボストン テラン
文藝春秋
2019-08-06





その犬の歩むところ (文春文庫)
ボストン テラン
文藝春秋
2017-06-08


『ヒョンナムオッパへ 韓国フェミニズム小説集』

チョ・ナムジョ他著、斎藤真理子訳 年上の恋人「ヒョンナムオッパ」への置き手紙から成る表題作を始め、韓国の女性作家によるアンソロジー。 フェミニズム小説集と銘打っているだけに、女性が主人公の物語ばかりなのだが、1作目の表題作を読んでいる時点で胃がせりあがってきそうなしんどさ。このしんどさは日本だけではない、むしろ韓国の方が女性に対する社会的なプレッシャーが強いことが透けて見えてくる。表題作は年上の恋人から離れていこうとする女性の一人称(恋人に向けた手紙だから)なのだが、面倒見がいいように思えていた恋人の態度は、実はモラハラ・パワハラであり、彼女の意思も力もスポイルしていくものではなかったかのかと彼女が気づいていく過程が描かれる。思わずあるある!と頷いてしまうがこんなことに頷きたくないよな・・・。他の作品でも、傍から見たら労働力や感情の搾取なのに当事者は何か変だと思いつつそれが何なのか言語化できず、搾取する側は全く無自覚というシチュエーションが散見される。女性にとってなぜにこうも生き辛い世の中なのか。非常に具体的、現実的な表題作から、徐々にSF、ファンタジー色が強まっていく作品の配置で、視線が段々遠くに持って行かれる。最後の収録されたキム・ソンジュン『火星の子』は女性と無性で構成されたひとつのユートピア(ディストピア的にも見えるけど)のよう。

『響きと怒り』

ウィリアム・フォークナー著、高橋正雄訳
アメリカ南部の名門コンプソン家。当主のジェイソンは酒に溺れ、妻キャロラインは夫に不満を持っている。長男クェンティン、長女キャンダシー、二男ジェイソン四世、三男ベンジャミンと彼らに使える黒人一家の生活の変化を描く。
1910年パートと1928年パートがある。各章の主人公が異なるが、第一章、知的障害があるベンジャミンのパートは彼の主観が非常に強く、彼が今現在見聞きしているものと過去の記憶とが頻繁に行き来し混じり合う。この章が一番読みにくい。ベンジャミンの知覚に振り回されてしまうのだ。クェンティンの章、ジェイソンの章と進むうちに、客観性が強くなり主人公の感覚、記憶の入り混じった表現は減っていく。クェンティンは内省的な人物だが、ジェイソンは現実的で内面人物。2人の性格の違いが文章にも表れているのだ。コンプソン家の両親は過去のものとなりつつありつつある南部の伝統的な世界の中で生き、自分達が没落していくことを直視しようとしない。クェンティンとキャンダシーはそれぞれ異なるやりかたで伝統や因習にあらがっているように見えるが、結局は因習に絡め取られ自由にはなれない。最も時代に即し没落を自覚しているジェイソンは、家族が抱える伝統・因習に足を引っ張られる。家族を憎みつつも見捨てられないジェイソンの不自由さは最も現代に近いかもしれない。著者の『八月の光』では「放蕩娘」を父親が追い出し、父親は娘の間違いを許さない、一方母親はそれでも一緒に暮らし続けるというような記述があったが、本作のシチュエーションは逆。母親のプライドは娘の奔放さを決して許さないのだ。


響きと怒り (講談社文芸文庫)
ウィリアム・フォークナー
講談社
1997-07-10


エミリーに薔薇を (福武文庫―海外文学シリーズ)
ウィリアム フォークナー
福武書店
1988-05

『ピンポン』

パク・ミンギュ著、斎藤真理子訳
 中学校でいじめられ続けている「釘」と友人の「モアイ」。2人は原っぽで卓球台を見つけ、卓球に興じるようになる。卓球用品店主セクラテンに卓球史を伝授され、ハレー彗星の到来を待つが、ハレー彗星ではなく巨大なピンポン玉が下降してくる・・・
 本の背表紙にあらすじが紹介されているが、なんとこのあらすじ終盤までの展開をほぼ全て説明しちゃっている!ただ、それでも全く問題ないと思う。というよりもあらすじから想像するのとは大分違う感触の作品なのでは。確かに終盤は超SF的な展開になるが、それまでは語り手である釘とモアイの辛い学校生活が延々と続くのだ。いじめっ子チスとその取り巻きの悪質さ、それに対する釘とモアイの対抗できなさはひょうひょうと書かれているものの生々しく辛い。対抗する意思が奪われちゃうんだよなと。チスがちょっといい奴っぽい面を見せてもその後、やっぱりこいつクズだな!という振る舞いになるあたりはリアルだと思う。
 釘らの生活も、彼らと比較的親しくなると言えるセクラテンの生活も、どこか悲哀と諦念を帯びている。彼らは皆、この世からのはぐれもののようなのだ。モアイの従兄弟が好きだった作家の小説が作中作として紹介されるが、その内容もまた世界からずれた人たちの話だ。釘によると自分らは世界に「あちゃー」された存在。この言い回しのニュアンスが本当に上手いし翻訳も素晴らしい。そんな彼らが世界の命運を握る。継続するのかアンインストールするのか、釘の決断を見てほしい。

ピンポン (エクス・リブリス)
パク・ミンギュ
白水社
2017-05-27


カステラ
パク ミンギュ
クレイン
2014-04-19



『ビューティフル・デイ』

ジョナサン・エイムズ著、唐木田みゆき訳
 元海兵隊員のジョーは、人身売買された女性の救出を専門とするフリーランサー。ある日、仲介役のマクリアリーから、誘拐された上院議員の娘の救出という案件が入る。娘が働かされている娼館を見つけ、首尾よく侵入したものの、思わぬ邪魔が入る。娘の誘拐の背後には更に大きな陰謀があった。
 私がすごく好きなタイプの小説だった!1行目から香り高く味わい深い。ストーリーは殺伐としており文章はクールだが、訳者解説でも言及されているように所々に乾いたユーモアがある。文章のちょっとしたところにぐっとくる。これは翻訳もいいんだろうなぁ。
 ジョーの振る舞いは徹頭徹尾真面目なのだが、バカ真面目感がある。徹底したプロとしての、時に融通が利かないようにさえ見える振る舞いがそう感じさせるのだ。もちろん、身を守ることを考えてそういう行動になっているのだが。ジョー当人は自分はちょっと狂っている、まともではないが何とかまともに見せているという自覚を持っている。彼の行動は暴力的だが、ある部分では自分をまともさに留め置くためのもの、彼にとっての良識の発露でもあるように思える。というよりも、彼以外があまりに下衆で悪辣だ。多分ジョーは、当面自殺衝動からは遠のいていられるのではないか。怒りが自身の苦しみを忘れさせるのだ。ごく短い(ハヤカワ文庫にあるまじきぺらぺらさ)作品なのだが中身は濃密だ。あと、やっぱり金槌は強い。手斧も推したいが、入手しやすさ・携帯しやすさでは金槌に負けるな。

ビューティフル・デイ (ハヤカワ文庫NV)
ジョナサン エイムズ
早川書房
2018-05-19


『羊と鋼の森』

宮下奈都著
 山で育った外村は、高校生の時に学校のピアノの調律を目の当たりにし、自身も調律師を目指す。専門学校を卒業し、調律師として江藤楽器店に就職した外村は、先輩調律師の柳や、調律を目指すきっかけとなったベテラン調律師の板鳥と働くようになる。2016年、第13回本屋大賞受賞作。
 外村は山で育ち、世間知らずと言えば世間知らずで自分の世界が狭い。しかし彼は山のイメージ、森のイメージを生活の中でもピアノの音に対しても持ち続けており、そういう面では世界に広がりがある。・・・というふうに描きたかったのかもしれないが、どうにも浅いし薄い。どういう音を目指しているのか、ここでどういう音楽が流れているのかという説得力が希薄。双子の少女の演奏に対する姿勢もやたらとあっさりとしており表層的に思えた。どろどろしていればいいってものではないが、薄味すぎでは。ふわふわとしたイメージの断片を繋げただけで、軸となるものが弱い気がする。調律の専門学校ではどういう勉強をするのか、調律作業がどういう手順で行われるのかという具体的な部分は悪くないが。

羊と鋼の森 (文春文庫)
宮下 奈都
文藝春秋
2018-02-09






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