3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『独り居の日記』

メイ・サートン著、武田尚子訳
アメリカの詩人・小説家である著者が、世間と距離を置き片田舎で一人暮らしをしていた時代の、約1年間に綴った日記。著者は60年代後半に同性愛者であることをカミングアウトしたが、そのため大学の職を追われ、更に父親を亡くし、失意の中にあった。そんな中で、自分を徹底的に見直す手がかりとして書かれた文章が本著ということになるのだろう。世間から離れた暮らしとは言え、仙人のように何かを悟ったという風ではなく、著者はしばしば癇癪をおこす(自分でも作中で言及しているが、どうもかっとしやすい性格だったようだ)し、頻繁にしょげる。そういう気分の浮き沈みや自分のみっともなさを(おそらく)ちゃんと記しているところに、作家としての強さ、冷静さがあるのだと思う。自分の思考、感情と著作に対する誠実な態度が随所から窺えるのだが、それ故に文章を書くことの苦しさも常にある。また、自著に対する書評が芳しくなく落ち込んだり、好評に気を良くしたりする様は意外だった。全然超然とした人ではないんだなと。著者は本著を執筆中、物理的に他人と距離を置いて孤独を確保していたわけだが、精神的にも、どんなに親しい人や愛する人であっても立ち入らせることができない領域がある。著者の生活や、時折言及される身近な人との軋轢からは、そういう領域の存在を感じた。他人には(なまじ親密であればあるほど)なかなか理解されにくいことなのかもしれないが。

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『ビビビ・ビ・バップ』

奥泉光著
ジャズピアニストのフォギーこと木藤桐は、世界的ロボット研究者の山荻から、電脳空間内の「墓」の音響調整を依頼されていた。加えて山荻は、自分の「葬式」でピアノを演奏してほしいと頼む。その頼みがきっかけで、フォギーはとんでもない事件に巻き込まれていく。
電子情報が全て死滅した「パンデミック」後に再び都市が創設されたという、21世紀を舞台にしたSF的冒険活劇、なのだが山荻のレトロ趣味のせいで電脳世界内に1960年代新宿が出現し、実在した伝説的ジャズミュージシャンたちのアンドロイドによるセッションが実現し、更に有名落語家たちや歴代棋士のアンドロイドも登場するという、未来と過去(と言っても複製だが)が入り混じる賑やかさだ。1960年代の新宿には有名人も次々ゲスト出演してきて、山荻氏結構ミーハーだったのねという気分にも。このあたりの知識が豊富な人が読めばより楽しいのだろう。語り口調の軽妙さに加え、フォギーが呑気かつ流されやすい性格なので、緊急を要する事態なのに一向に緊急感が出てこないあたりがおかしい。高度に情報化され肉体も様々に調節できる科学技術が普及した、いかにもSF的な世界だが、それは一定水準以上の経済力を持つ層のみ(つまりフォギーもそこそこ富裕層なのだ)で、その下にはいまだに肉体労働に勤しむ貧困層が広く厚く存在するという、かなり極端なディストピア格差社会になっていることが垣間見えるあたり、うっすらと寒くなる。そういう層は存在しないかのように登場人物たちの営みが行われているだけになおさらだ。なお本作の語り手は猫型アンドロイド。AIの方が世界を俯瞰しているのだ。

『ヒッチコック/トリュフォー』

 フランソワ・トリュフォーによるアルフレッド・ヒッチコックのインタビュー集であり、映画の教科書として名高い『定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー』。当時のインタビューの音声(動画はない。インタビュー当時も写真のみの撮影だったようだ)や、マーティン・スコセッシやウェス・アンダーソン、クリストファー・ノーランら、現在活躍している監督たちへのインタビューにより構成されたドキュメンタリー。監督はケント・ジョーンズ。なお日本語字幕は日本における『定本~』の翻訳者、山田宏一が担当している。
 私は『定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー』は未読なのだが、なぜヒッチコックとトリュフォーなのかということは前々から不思議に思っていた。ヒッチコックの作家性を世に知らしめたのがトリュフォーということだったのか。それまでヒッチコックは職人的な監督、商業監督という認識だったのだろうが、トリュフォーはヒッチコックの技法を分析し、本人に確認していく。その技法が後々どのように見られ、影響を与えてきたのかを、現代の監督たちが語る。私はヒッチコックに対してトリュフォーに対しても熱心な観客ではないし、映画の技法面にも疎いので何だか申し訳ない気分にもなったが、とても面白かった。ヒッチコックの演出、画面の作り方はシステマティックでもあるのだが、それを極めていくと実にヒッチコックぽい、というスタイルになる。
 いいインタビュアー、聞き手というのはどういうものか、ということを見ながら考えた。単に聞き上手なだけではだめだろう。トリュフォーはヒッチコックへのインタビューの際、時間をかけて入念に下準備をしてから臨んだそうだ。インタビュー対象(とその作品)に対する知識はもちろん、映画というジャンル全体について知識がある、かつ映画だけではなく様々な引出しがあって相手の反応に応じて取り出せる、という状態があってこそのインタビュー・・・だとすると大分ハードルが高い。しかしその高いハードルを越えてきたから、ヒッチコックはトリュフォーを信頼し話をしたのだろう。相手が自分(と自分がいる分野)のことをわかってるな、よく見てくれてるなと思えれば、そりゃあ積極的に話したくなるよな。色々なインタビューを読んでいても、分野に関わらずいいインタビューってインタビュアーの知識が広いし深いケースが殆どだと思う。

『拾った女』

チャールズ・ウィルフォード著、浜野アキオ訳
ある夜、サンフランシスコのカフェに現れた小柄なブロンドの女。ヘレンと名乗る彼女は、ハンドバックをどこかで無くしてお金の持ち合わせもないと言う。カフェの店員ハリーは、泥酔している彼女に金を貸し、適当なホテルまで送り届けた。翌日、金を返しにやってきたヘレンと会い、ハリーは衝動的に店を辞め、彼女と同棲を始める。しかしアルコール依存症のヘレンとの生活はすぐに破綻し、2人は死の誘惑に抗えなくなる。1954年に発表された巨匠の初期作品が待望の邦訳だそうだが、著者の作品を読むのは本作が初めて。途中までは破滅的なボーイミーツガール(ボーイやガールという年齢ではないが)であり、ボニー&クライドみたいなことになっていくのか?と思っていたら、中盤以降、あれ?という方向にずれこんでいく。そして最後、はっとした。このラストで、これまで見ていた景色ががらりと変わってしまう。ハリーが捨て鉢すぎやしないか、また彼とヘレンに対する周囲の反応に微妙な違和感を感じていたのは、そういうことでもあったのかと。本作はいわゆる謎解きミステリの体裁ではないが、このラストが一大トリックになっている。そして、これがトリックとして成立してしまうということが、なぜ思いが至らなかったのかと読者を責めるのだ。

『美術館の舞台裏 魅せる展覧会を作るには』

高橋明也著
美術館の運営、展覧会の企画開催は具体的にどのような内容なのか、日本の展覧会開催の特徴とは?学芸員、キュレーターの仕事はどのよう なものなのか、三菱一号館美術館の初代館長である著者による、「美術館の仕事」の紹介とでもいうべき新書。美術館に行くことは度々あっても、その内情につ いてはそれほど知らなかったので、なるほどなーと色々興味深かった。美術館内での業務ってほんと幅広くて諸々だ。これを学芸員が全部担うのって(向き不向 きもあるし)大変。研究職的な側面のイメージが強い職種だと思うが、実際は企画広報とか営業に近い業務の占める割合が大きいんじゃないかな。海外における 美術館のトップに求められる資質の違いの比較が面白い。アメリカの場合、マダム受けの良さが必要だとか。なぜなら資金の多くを寄付金が占めているからだと か。イタリアでは政治的な側面が強いというのも面白い。地方ごとの独立性が高くてその地方の政治と結びついた人材がトップに立つことが多いんだとか。だか ら日本でイタリアの美術館から作品を借り受ける時、複数の地方(ミラノとローマ両方みたいに)と交渉するのは難しいそうだ。これは新鮮だった。これらに比 べると日本の美術館の地位は著しく低いな・・・。なお、一番びっくりしたのは海外から作品を運搬する時の費用。イヤー大変!

『独りでいるより優しくて』

イーユン・リー著、篠森ゆり子訳
生まれ育った中国に暮らしビジネスマンとしてそこそこ成功した泊陽(ボーヤン)は、年上の幼馴染、シャオアイの死を同じく幼馴染の黙然(モーラン)、孤児でシャオアイの家に寄宿していた如玉(ルーユイ)にメールで知らせる。しかし2人から返事はない。シャオアイの心身を損なった事故には、かつて3人が関わってしまったかもしれないのだ。実に上手い、しかしだからこそやりきれない。泊陽はシャオアイにつなぎとめられるかのように国に残り、黙然と如玉は彼らから距離を置くかのように渡米する。しかし、お互いにお互いを忘れることはできないと悟り、地に足を付けた幸せを手に出来ずにいる。ただ、たとえ過去の事件がなければ彼らにまた違った関係があったのかというと、どうもそうではなさそうな気もする。泊陽は如玉に思いを寄せ、黙然は明らかに泊陽に片思いをしていたが、彼らの関係はそこからどうにも動かなかったのではないかと思う。アメリカに渡った如玉は家事の手伝いやシッターをして生計を立てているが、仕事先の女主人やその夫が、中国での生活や渡米した経緯、死んだ友達との関係を尋ねてくるのを、不思議がり、疎ましがる。他人の背景などなぜ知りたがるのか、それが彼女にとって重要なことだろうとなぜ決めつけるのか。彼女が彼女の物語を持っていることを期待する、物語があって当然と期待するのはなぜなのか。そもそも、なぜそれを他人に話さねばならないのか。如玉はそういったものを必要としない人なのだ。過去の事件があろうがなかろうが、彼女はそういう人だろうし、それゆえ泊陽や黙然と一緒にいても、相手により孤独を感じさせることになっただろう。彼女にとって、「独りでいるより優しく」とはならないのだ。

『ひみつの王国 評伝 石井桃子』

尾崎真理子著
児童文学『ノンちゃん雲にのる』の作者であり、『くまのプーさん』やエリナー・ファージョンの諸作品など、数々の名作翻訳を世に送り出した石井桃子。某大な仕事を残した彼女だが、私生活に関してはあまり知られていなかったそうだし、彼女自身も自分のプライベートについて口にすることを好まなかったそうだ。そんな彼女への聞き取り、感会社への聞き取りを丹念に重ね、その人生をひも解く大作であり労作。子供時代のエピソードには、この人の世界を見る目の根っこはやはり子供時代に根差すんだなと思わされた。そして大量の仕事をこなしていくバイタリティと行動力、計画性は出版社勤務時代に鍛えられたのだろう。ただ、会社をやめて農業を始める等、はたから見ていると唐突に思えるところも。農地開拓の顛末も、真面目さが時に極端な方向に走っているようにも思えた。その生真面目や仕事に対する誠実さには、仕事の仕方も年代も違うが、須賀敦子の評伝を思い出した。自立した精神や正しい行いに対する意識、また表現の仲介者であることと自身が表現者であることとの揺らぎに似通ったところがあるのではないか。石井は優れた海外児童文学を大量に送り出した。しかし、作中でも言及されているが、石井自身が特に子供好きだというわけではないらしかったという点が面白いなと思った。彼女がいい児童文学を、と努めたのは、自分自身がそういうものを読みたいから、自分の中の子供に向けて送り続けていたのだろう。そういう動機の人が選ぶ・作る作品の方が深いところまで届くのではないかと思う。

『「ひきこもり」救出マニュアル《理論編》《実践編》』

斎藤環著
精神科医であり、「ひきこもり」問題に長く関わってきた著者が、Q&A形式でひきこもりとはどういう状態かという基本的なことから、どういう対応をすればいいか、行政のサポートは受けられるのか等、様々な疑問に答えていく。文庫版で読んだが、理論編、実践編の2冊から成る(時代の変化に合わせて補足と解説、資料の訂正なども)。質問形式なので読みやすいし、わかりやすいので初心者にもお勧め。著者の治療方針が全ての人にとって正解というわけではないが、おおむね妥当だし何より真摯、かつ具体的な返答であるところがいい。具体的というのは、実際にできることを勧めているということなので、時にあけすけだったりもするが、それが著者の慇懃無礼の慇懃がやや弱い感じの文体と相まって味わいがある(笑)

『姫君よ、殺戮の海を渡れ』

浦賀和宏著
高校生の敦は、糖尿病を患う妹・理奈が群馬県の川でイルカを見たという話を確かめる為、理奈と友人と共に現地へ向かった。しかし町の人々の中には不自然な振る舞いを見せる者がおり、何か隠し事があるのではと疑い始める。そして彼らのイルカ捜索は思わぬ方向へ。読んでいる間中、敦の妙に思い込みの強い性格もあって、この話どの方向にもっていきたいんだ?とハラハラしていたのだが、予想外にエモーショナル、かつ明後日の方向なクライマックスへと突き進む。かなり厚さのある書きおろしだが、読みやすく、かつ引きが強くて一気読みしてしまった。文庫帯には「青春恋愛ミステリ」とあるが、ちょっと違うかな・・・。すれ違いが生んだ悲劇とは言えるかもしれないが。本格ミステリとしてはかなり強引なネタで、力技でねじ伏せた感はあるのだが、少年の視野の狭さや少女の一途さが何を生んだか、という痛切さがある。

『ひそやかな花園』

角田光代著
年に一度、家族ぐるみのサマーキャンプで顔を会わせていた7人の子供たち。天国のように思われたキャンプだったが、ある年から突然なくなった。大人たちにとっては「天国」ではなかったのか、そもそも何の集まりのキャンプだったのか。大人になった7人はそれぞれの事情から当時の事情を探り始める。いやー面白くて一気読み。そして最後には深い感動が・・・というと陳腐だが本当にそうなんだもんね(笑)。なぜ子供が欲しいと思うのか、なぜ自分の出生を知りたくなるのか、知ったことに傷つくこともあるのか、他人を思いやるって、子供を愛するってどういうことか。ぎゅうぎゅうに濃縮されている。7人それぞれが、それぞれの形で変化・成長していく様には本当に心を打たれる。作中、何人かが相手にある「事実」を語りかけるが、言葉の使い方はそれぞれだが、相手のことを本気で思いやって考えに考えて絞り出した言葉だということが伝わる。その言葉が相手に届くだけではなく、その言葉を発したということが発した本人を救うものになりうるというところに撃たれた。

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