3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『華やかな食物誌』

澁澤龍彦著
 古代ローマの豪華かつ奇矯な料理の数々、フランスの宮廷料理やそこに集った美食家たち、中国の文人が記した食譜など、美食にまつわるものを中心に、美術・芸術にまつわるエッセイを収録した1冊。
 美食を極めると味の良し悪しとはもはや別次元の世界になってくるのか。古代ローマの饗宴も、フランスの宮廷の晩餐会も、ばかばかしいくらい豪華だ。遠方から珍しい食材を取りよせられるということが財力・権力の証だし、宴会の企画力みたいなものもセンスとして問われたのだろう。それにしても、それ本当においしいの?!大丈夫?!みたいな料理が多くて笑ってしまう。18世紀パリで一人ミシュランみたいな存在だったグリモ・ド・ラ・レニエール主催の晩餐は一つのコンセプトアート(趣味がいいかどうかはともかく)のようでもある。なぜ食にここまで情熱を傾けてしまうのか…。
 なお題名には「食物誌」とあるが、実は食に関係ない美術エッセイの方が多い。著者のエッセイを初めて読んだ当時は、出てくる全ての美術品に図版がついているというわけではなかったので(文庫版は特に図版省略されているので)、いったいどういう美術品なんだろうと想像巡らせたものだった。現代はありがたいことにインターネットがあるので、さっと調べることができる。ただ、わかってしまうことで妄想・期待が膨らまないという面もあるな。

華やかな食物誌 新装版 (河出文庫)
澁澤龍彦
河出書房新社
2017-07-28


バベットの晩餐会 (ちくま文庫)
イサク ディーネセン
筑摩書房
1992-02-01




 

『パリのアパルトマン』

ギョーム・ミュッソ著、吉田恒雄訳
 元刑事のマデリンと劇作家のガスパールは、パリのアパルトマンで出会う。急死した天才画家の部屋の賃貸契約が、管理人のミスによってかち合ってしまったのだ。2人は死んだ画家の遺作三点を一緒に探し始める。画家の家族にはある悲劇が起きており、2人の遺作創作はその悲劇の謎とも絡み合っていく。
 個人的には著者の前作『ブルックリンの少女』の方が好みだが、読者に先を気にさせる構造、予想のつかなさ(というか超展開すれすれ…)は本作の方が上回っているように思う。最初はアート探偵のような行為から始まるが、事件の深刻さが増していく。一方で、ストーリー上美術の話題、実在のアーティスト名が頻出したり、著者の趣味なのか映画の話題がちらほら出てくる所が楽しい。このアーティスト、俳優をどういう形で引き合いに出すのかセンスが問われるところだと思うが、なかなかの説得力だと思う。引き合いに出すことで、画家とその作品がどういうポジションなのか想像しやすい。
 マデリンはともかく、ガスパールはかなり問題のある人で、彼の暴走からミステリとして話が動き出すと言ってもいい。それ調べる必要も権限もないよね!?と突っ込みたくなるし、マデリンに対する態度もデリカシーがない。基本的に失礼なのだ。なお、マデリンもガスパールも子供を持つということに別々の形ではあるが、葛藤・問題を抱えている。それだけに倫理的にどうなのと疑問に思う所も多々あった。子供が自分の欠損を埋める道具になってしまっていないか?

パリのアパルトマン (集英社文庫)
ギヨーム・ミュッソ
集英社
2019-11-20


ブルックリンの少女 (集英社文庫)
ギヨーム・ミュッソ
集英社
2018-06-21






『濱地健三郎の霊なる事件簿』

有栖川有栖著
 探偵・濱地健三郎は幽霊を見る力を持っている。彼の依頼人は、原因不明の奇妙な現象に悩む人たち。その奇妙な現象の影には幽霊がいるのでは?濱地は助手の志摩と共に、死者が訴える謎に挑む短編集。
 ホラー+本格ミステリは王道の組み合わせのようでいて、実は相反する。ホラーは道理が通り過ぎると興ざめ、本格ミステリは道理を通さないと存在意義がない。本作はその2つの部分のバランスがとれており、状況の解明は本格ミステリだがその背景はホラー仕様。またその2つの配分がエピソードごとに異なり、「それは怪異なのかどうか」という線引きについてちょっとした実験をやっている感じ。本格ミステリとしては禁じ手なトリックをあっさり使っている(著者の『ペルシャ猫の謎』を思い出したよ…)のはご愛敬か。なお本作、著者の他の作品よりも昭和感が強い(作中スマホが出てくるので現代が舞台ですが)というか、登場人物の言動がちょっと古い感じ。女性の描き方もおじさん目線感が強くてちょっとひいた。作家の油断か。

濱地健三郎の霊なる事件簿 (角川文庫)
有栖川 有栖
KADOKAWA
2020-02-21


謎のクィン氏 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-11-18


『俳句は入門できる』

長嶋有著
 作家、コラムニスト業の傍ら、俳人としても活動し「NHK俳句」選者も務めた著者が、俳句という表現はどういうものなのか、俳句会の独特な空気や不可思議なルールについて初心者にもわかるように解説していく。
 実は最近、俳句にちょっと興味が湧いてきたのだが、鑑賞するのはともかく、自分でやってみようとしたときの取っ掛かりってどうすればいいのかなと思っていた。そんな折本著が出たのでさっそく手にとってみた。ユーモラスだが忌憚ない語り口で、部外者から見ると不可思議に思える俳句界のあれこれを解説しており勉強になったしとても面白かった。思っていたよりも俳句の世界は(結社にもよるのかもしれないけど)自由っぽいし、一人でもできるし他者とでもできるという所も面白いのだと教えてくれる。「NHK俳句」の添削システムについて、たまに添削前の方がいいんじゃない?と思うことはあるが、先生もまた表現者であり、(文学だから)正解はないところ「よりよい」と自分が思う所を言い放つ様こそ見どころであり先生の矜持であるという解説には納得。
 軽妙な文章だが、第4章「どこまで俳句にできるか」内で言及される「今の俳句の世界に足りないもの」には著者の真剣さ、表現で飯を食うものとしてのシビアさが垣間見える。俳句界以外が主戦場な著者だからこそ指摘できることだろう。(なお、句集を出版する際の慣習についてはちょっとびっくりしましたよ…出版社の商売としてそれでいいのか…)

俳句は入門できる (朝日新書)
長嶋 有
朝日新聞出版
2019-12-13


『パリ警視庁迷宮捜査班』

ソフィー・エナフ著、山本知子・川口明百美訳
 6か月の停職から復帰したアンヌ・カペスタン警視正は、親切された特別捜査班のリーダーに任命される。しかし集められたメンバーは売れっ子小説家との兼業警部、組んだ相手が次々と事故に合う悪運の持ち主、大酒呑み、生真面目な堅物、ギャンブル依存症ら、パリ警視庁の厄介者ばかりだった。カペスタンは彼らと共に、20男前と8年前に起きた2つの未解決殺人事件の捜査を始める。
 フランスの『特捜部Q』と評されているそうだが、確かに似ている。ただ、本作の方が軽快でコミカル。特捜班のリーダーであるカペスタンのへこたれなさや、何をやるにも自分流を貫きあっけらかんとしたロジエール、気難しく厳格だが実直なルブルトン、そして他人に不幸を運ぶと自認している故に気が優しいトレズ。キャラクターが立っていて楽しい。皆問題児扱いされるだけあって、色々と難がある人たちではある。しかし上手くはまれば高いパフォーマンスを発揮するし、難点こそが面白みにもなっている。それぞれの個性を活かしチームを機能させていくことは、カペスタンにとってはリーダーとしての腕の見せ所と言える。彼女の、基本的にチームのメンバーを信じる姿勢が、彼らの信頼を得ていくのだ。どのメンバーも魅力があるが、一見全く共通項がなさそうなオジエールとルブルトンのコンビネーションが、意外と上手くかみ合っていく様がよかった。仕事をするってこういう側面があるよなと。また、男女の間もあくまで同僚、仕事仲間であって色恋が絡まないところもいい。
 殺人事件自体はちょっと行き当たりばったりっぽくあまり精緻ではないのだが、捜査陣や事件を取り巻く人々の人間味に魅力がある。捜査本部の内装まで自分達でやる(というかほぼロジエールの趣味で・・・)という所もおかしい。改装していいのか!という驚きも。フランスでは普通なの?!

『パピヨン(上下)』

アンリ・シャリエール著、平井啓之訳
 1931年、殺人罪で捕まったやくざ者パピヨンは無期懲役を言い渡され、仏領ギアナの島にある流刑地に送られる。彼は自由への執念を燃やし、難攻不落と言われる監獄から仲間と共に何度も脱出を試みる。
 こんなに何度も脱獄してたのか!有名映画の原作である本作、映画を見た限りではそんなに何度も場所を変えて脱獄していなかったと思うんだけど・・・びっくりしました。著者の自伝という本作、シャリエールがやくざ者で収監・脱走したのは事実のようだが、一人称による語りでどこまで事実なのかは(無実の罪だという主張からして)眉つばだろう。脱走先でパピヨンが出あう人達は皆彼に好意的で無実の罪を疑わないし、彼の精神は高潔なものとして描かれている。ちょっと出来過ぎなのだ。
 とは言え本作、とても面白い。小説として構成や文章が達者、テクニカルというわけではないのだが、刑務所内の様子や生活の臨場感あふれる描写、個性豊かな囚人たちの描写等、実体感がありとても生き生きとしている。刑務所内のローカルルールみたいなものや、囚人間で何が尊敬される要素になるのか等、ある社会のあり方を眺めているような面白さがある。パピヨンが本当に無実かどうかはともかく、脱出に何度も挑戦する不屈の精神、心身ともにタフな様は本当に尊敬されそうだ。極端に不自由な状況下で自由を諦めないということ自体が尊敬の対象になるのだ。
 なお、現代の基準では差別用語にあたるような言葉や、エキゾチズムに過ぎる部分もある。インディオたちとの生活は、もろに「文明人のように汚れていない純真な蛮族」的視線で書かれておりちょっと厳しかった。時代の限界を感じる。ただ、書かれた時代を考えると人種差別的な物言いは、少なくとも囚人同士では少ないように思う。境遇が同じという意識があると、人種的な意識はフラットになってくるのか。

パピヨン 上 (河出文庫)
アンリ・シャリエール
河出書房新社
2019-04-19






パピヨン 下 (河出文庫)
アンリ・シャリエール
河出書房新社
2019-04-19

『82年生まれ、キム・ジヨン』

チョ・ナムジュ著、斎藤真理子訳
2015年、結婚して子供も生まれ、子育て中のキム・ジヨンは、急に妙な言動を取るようになる。義母や友人等周囲の女性たちそっくりの振る舞いをするのだ。冗談だと思った夫デヒョンだが、そうではないらしいことに気づき、ジヨンを精神科につれていく。
精神科医が聞き取ったレポートという形式で、キム・ジヨンという女性が1982年に生まれてから2015年に至るまでを綴った小説。なにしろレポート形式なので小説というよりは女性のライフイベントにつきものな諸々の出来事の事例集のようなのだ。しかし、事例集に見えるということは、本作に描かれているようなことが実際によくあることとして強い説得力を持っているということだろう。キム・ジヨンは私よりも一世代若いといってもいいくらいなのだが、むしろ一世代昔の話のようだった。韓国ではそうだということなのか、国に関係なく周囲の文化や所属している集団によっての差異なのかは何とも言えないが、90年代、00年代でこれなの?と大分げんなりする。男児は女児よりも優先され、頑張って大学を出て就職しバリバリ働いても男性の方が優先的に評価される。結婚したら夫とその両親に仕え子供が産まれたら更に子供の世話も。仕事は辞めざるを得ず、かといって家事や育児が対外的に評価されるわけでもなく「無職」として扱われる。まあうんざりである。
デヒョンはジヨンに対して協力的ではあるのだが、ジヨンにとって仕事をやめるというのがどういうことなのか、家事・育児以外の世界と切り離されるのがどういうことなのか、全くぴんときていない。ジヨンのカウンセリングをする精神科医は、自身の妻もジヨンと同じような経験をしており「特に子供を持つ女性として生きるとはどんなことかを知っていた」という。しかしそれでも「知っていた」気になっているという程度で、同僚女性が同じような経緯で退職を余儀なくされても傍観している。症例として興味深く思っていても所詮他人事という本音が垣間見えてしまう。女性にとっては「あるある」でも男性にとっては視界に入ってこなかったことなのだと痛感する。女性が読めば自分だけのことではないという共感、連帯の契機になるだろうが、むしろ男性に読んでほしい作品ではないか。
ジヨンが自分よりも弟が大事にされていることを自分の中で理屈をつけて無理やり納得していく所や、仕事でいくら頑張ってもガラスの天井につきあたること、それは社会構造のせいなのに努力の足りなさのせいにされて途方に暮れていくところなど、胸が痛くなる。ジヨンが周囲の女性たちになりかわったように振る舞うのは、彼女らが不条理な仕打ちにより繋がっていることのように思える。本当はそんな連帯、ないほうがいいんだろうけど。

『パパは奮闘中!』

妻のローラと2人の子供と暮らしているオリヴィエ(ロマン・デュリス)。しかし突然ローラが家を出ていってしまう。慣れない子育てで右往左往するオリヴィエ。一方、勤務先の大型倉庫でも従業員が突然解雇され、しかし労働組合運動は盛り上がらない等と悩みが尽きなかった。監督・脚本はギヨーム・セネズ。
題名は親子もの、シングルファーザーを中心とした『クレイマー・クレイマー』的な話を連想させるし、実際そういう要素が大きい。しかし家族の話だけではなく、オリヴィエが働く環境の雇用の不安定さや、その中で労働組合運動を続けることの難しさや無力感など、労働の話が占める割合も大きい。そして仕事と家庭は地続きで、切り離して考えられることではないのだと。生活全体の中で生じうる諸々の問題が含まれているのだ。
冒頭からオリヴィエの仕事仲間が解雇通告された後の展開がやりきれない。更に、不当な仕打ちだと会社を訴えようとしても、解雇を恐れて皆労働組合と関わりたがらず、連帯もままならないという描写が辛い。どこの国でも、大企業(オリヴィエの職場はアマゾンの倉庫っぽい所)によって働く者同士が分断されているのだろうかと陰鬱な気持ちになる。現場のリーダーであるオリヴィエは管理サイドと現場との板挟みに悩む。「権限を持ちたくない」というのは現代の職場ならではかもしれない。権限を持つということは、同僚たちを切り捨てなければならないかもしれないということだ。彼の躊躇を甘えとは言えない。自分の良心、倫理に反せず働き続けるのがなんでこんなに難しくなったのか。
しかし、仕事に打ち込み労働組合活動に打ち込みしていれば、家族にかける時間も気遣いも減っていく。オリヴィエは決してダメ夫・ダメ父というわけではないのだが、仕事にかまけてローラの変調を見逃してしまうし、いざローラがいなくなると子供たちに何を食べさせればいいのか、何を着せればいいのかもわからない。子供のケアは妻にまかせっきりだったことが露呈するのだ。家事や育児の重要さはわかっていても、外での「仕事」と比べて軽く見ている向きがあったのだろう。妹に対する心ない言葉からも、自分の働き方と異なる「仕事」を侮っている面が見え隠れする。家事も育児も演劇も、オリヴィエがやっていることとは違うが「仕事」に変わりはないのに。ローラも多分、オリヴィエのこういう無意識の態度に傷ついたのだろう。オリヴィエ本人も、徐々にそのことに気付いていく。
仕事にしろ家庭にしろ、生活のありようは常に変わり続け、仕事へのスタンスも家族との関係もその都度調整していくものだということが、描かれているように思った。オリヴィエは完璧ではないのだが、子供たちとローラのことを話し合い、最初は拒んでいた親子カウンセリングも受けるようになる。外側に開かれていく感じが面白かった。変なプライドに拘らない方が自分も家族も楽になるのではないだろうか。

『はじめてのアメリカ音楽史』

ジェームス・M・バーダーマン、里中哲彦著
 ブルーズ、ジャズ、ソウルからロックンロール、ヒップホップへ。ルーツミュージックから今現在活躍するアーティストまで、アメリカにおけるポピュラーミュージックの歴史を対談形式で解説する。
 アメリカ発の音楽を聞いてはいるが、どういう流れで現在に辿りついたのか、そもそもどういうジャンルがあって、ブルーズにしろカントリーにしろどの辺が発祥の地でどう発展してきたのか、具体的にどういうミュージシャンが代表的なのか、恥ずかしながらぼんやりとしか知らなかった。ルーツミュージックとは具体的にどのあたりを指すのかなと興味が出て、本著を手に取って見た。本著は私のような初心者にとっての入門編としてちょうどいいと思う。題名に堂々と「はじめての」と付けているだけのことはあり、アメリカのポピュラーミュージックは嫌いじゃないけど、そんなに詳しくない人向け。音楽と地域性との関連の重要性、特にアメリカ音楽を考える上で南部は非常に重要な地域だということがよくわかる。また個人的には、エルヴィス・プレスリーの何がそんなに偉大なのか、ようやく腑に落ちたという所が大きい。声がいいとかステージパフォーマンスが画期的とか、そういうことだけじゃなかったんだな。
 とりあえず主なジャンルをざっとさらい、音楽がどのような変遷を経てきたか紹介するという感じなので、逆に音楽に詳しい人には言わずもがなで、大分物足りない内容だろうし、ここは解釈が違うなという部分も出てくるのではないか。

はじめてのアメリカ音楽史 (ちくま新書)
ジェームス・M・バーダマン
筑摩書房
2018-12-06




『花殺し月の殺人 インディアン連続殺人とFBIの誕生』

デイヴィッド・グラン著、倉田真木訳
 1920年代、禁酒法時代のアメリカ、オクラホマ州。先住民オセージ族が20数人、相次いで不審死を遂げる連続殺人事件が起きる。私立探偵や地元当局もお手上げの中、のちのFBI長官J・エドガー・フーヴァーは、テキサス・レンジャー出身の捜査官トム・ホワイトに現地での捜査を命ずる。近代的な捜査組織の成立を計画していたフーヴァーにとって、この案件は試金石でもあった。しかし調査は困難を極める。手がかりが少なく科学捜査もまだ存在しない上、嘘の証言や目撃者の失踪など、妨害工作らしきものが起こっていたのだ。
 ノンフィクションだが、アメリカ探偵作家クラブ賞を受賞している。ノンフィクションでも受賞可だったのか・・・。それはさておき、大変な力作。何しろ20年代でリアルタイムを知る証言者はほぼいない状態なので、公文書をしらみつぶしに調べ、子孫からの伝聞を辿りという、作業量を想像すると大変なことになっている。そして事件の内容が衝撃的。アメリカの暗部がでろでろ流れ出ているような事態になっている。
 連続殺人の裏には石油利権と先住民に対する人種差別、権利の不均衡がある。本来居住していた地域を追われたオセージ族の移動先が、たまたま石油の出る土地だったのだ。オセージ族は土地の利権で豊かになったが、その富と利権を狙う者たちがいる。奪取のやり方があまりにも非道で絶句しそうなのだが、おそらく相手が白人だったら、彼らはここまで極端なことはやらなかっただろう。オセージ族相手だからここまでやってもいい、捜査もまともにされないし彼らの命や権利を守ろうとする人もいないだろうという、侮りがベースにあるのだ。人間の欲望の留まるところのなさに心が竦む(事件の首謀者は多分にサイコパス気質だったんだと思うけど)が、同時に、相手を「こういうことをしてもいい相手」だと判断すると人間はいくらでもひどいことが出来るということにもぞっとする。そういうことが、ごく普通に行われていた時代だったのだ。
 そんな中で、ホワイトの振る舞いのまともさ、他人へのフェアさは際立つ。この事件最大の功労者と言えるだろう。彼や彼の仲間が後のFBIの礎になった。フーヴァーは彼らのことはすぐに忘れちゃったみたいだけど。


石油!
アプトン・シンクレア
平凡社
2008-04-18


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