3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『薄情』

絲山秋子著
 群馬の実家で暮らす宇田川静生は、人と深く関わることを避けて生きてきた。夏には嬬恋のキャベツ畑に長期バイトに行き、東京から移住してきた木工職人・鹿谷さんの工房でしがらみのないお喋りを楽しんだりと、実家の神社を継ぐとも継がないともつかない日々だ。しかし名古屋から帰省した同級生の蜂須賀と再会してから、少しづつ生活が変化していく。
 地方の生活が描かれているが、地元というものの居心地の良さと同時に「世間」の強固さ、また都会に出ていく人、「出戻る」人への微妙な暗い気持ちが生々しい。文章のトーン自体は温度が低く乾いているのだが、暗い部分にねっとり感がある。個人的に都会から地方へのステキ感ある移住生活にはうっすら憧れつつも何となくうさんくさく思ってしまうのだが、このあたりの薄暗い気持ちを感知するからだろうか。去ろうと思えば去れる立場だもんね、と思ってしまう。
 宇田川は地元の強固な「世間」に適応しきれず、かといって地元を飛び出し根無し草になるほど無軌道にはなれない。一見自由な鹿谷さんの顛末には、「世間」からのセイフティゾーンに「世間」が割り込んできたような居心地の悪さがある。宇田川もそこにいたたまれなくなるのだろう。中途半端な存在でこそいたい、というのが宇田川の生き方だがそれを続けるのは結構胆力がいるのかもしれない。私は地方在住というわけではないが、宇田川の「もうどうでもいい」感には共感してしまう。情熱なく生きるのだ。

薄情 (河出文庫)
絲山秋子
河出書房新社
2018-07-05


離陸 (文春文庫)
秋子, 絲山
文藝春秋
2017-04-07


『博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話』

サイモン・ウィンチェスター著、鈴木主税訳
 41万語以上の収録語数を持つ、世界最高の辞書と言われる『オックスフォード英語大辞典』(OED)。この編纂事業の中心にいたのは、独学で言語学の第一人者となったジェームズ・マレー博士だった。そして彼に膨大な用例を送り、編纂に大きく貢献したのがウィリアム・チェスター・マイナー。彼はアメリカ人医師だが、精神を病み殺人を犯したことで、精神病院に収監されていたのだ。2人の数奇な人生をおったノンフィクション。
 何しろOEDの編纂者を追ったノンフィクションなので膨大なボリュームなのかと思ったら、そうでもない。あっさりと読めるボリュームで若干拍子抜けしなくもない。とはいえ現代に通じる辞書の形、編纂の手法がどのように形成・確立されていったのかということがわかってきて面白かった。シェイクスピアの時代に辞書はなかった、自分が使う単語がどういう意味で正確な使い方なのか確かめるすべがなかったという指摘に、あっそういえばそうだな!辞書大事だな!と今更ながら再認識。
 OEDが無事編纂できたのはマイナーの協力あってこそだが、そのためにはマイナーが病院の中で拘束され時間を持て余していた、かつ自分に対する肯定・何か役に立ったという実感に飢えていたという要因が大きい。しかしその条件を生んだのは彼が精神を病み殺人を犯したからだ。殺人の被害者と遺族の不幸なくしてOEDの偉業はなし得なかったとも言えてしまう。あまりに皮肉というか残酷だ。それを考えると、本作を映画化した『博士と狂人』における史実改変はちょっと不誠実というか、罪深いようにも思う。本著内で、人々はOED編纂についてより感動的なエピソードを欲し、史実と異なってもそちらを通説として好むと苦言が呈されていた(だからこそ本著が書かれた)が、映画版は正にその「感動的なエピソード」になっちゃっている。映画はあくまでフィクションではあるんだけど…。


博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話 (ハヤカワ文庫NF)
サイモン ウィンチェスター
早川書房
2017-09-30







『パリ警視庁迷宮捜査班 魅惑の南仏殺人ツアー』

ソフィー・エナフ著、山本知子・山田文訳
 パリ司法警察の元警視正が殺された。彼はアンヌ・カペスタン警視正の元夫の父親、つまり元義父だった。更にプロヴァンス、リヨンで起きた未解決殺人事件との関連が浮上する。カペスタン率いる特別班は捜査介入部、刑事部と競り合いつつ捜査を進める。
 前作『パリ警視庁迷宮捜査班』で結成されたカペスタンのチームは癖が強い人材ばかりなのだが、今回は更にキャラが濃くなっている。それぞれの言動が自由奔放さを増しており、新メンバーもインパクトあり。悪乗りギリギリのところまで来ており、三銃士に警察ネズミ(何のことやらさっぱりでしょうが読めばわかります)はやりすぎじゃないの?とちょっと心配になるが、不思議とすっきりしている。ストーリー構成がそれほど入り組んでいないことに加え、チームメンバーがお互いのクセの強さや難点を許容している、そういう人だからそれでいい、としており人間関係があっさりしているからだろう。人間関係の風通しがいいのだ。警察組織らしからぬチームだが、そこがとても魅力的。特にルブルトンとロジエールの、全くタイプが違う同士の友情(と言っていいだろう)が垣間見えるクリスマスエピソードはちょっと感動的だった。2人とも形は違うが優しいのだ。この2人だけでなく、何だかんだでメンバー全員、お互いに思いやりと尊重があるんだよね。これはリーダーである貸すペタンの力量もあるのだろう。今回、カペスタンの意外な一面と先行き不穏さが垣間見え、ちょっと心配ですが…。


パリ警視庁迷宮捜査班 (ハヤカワ・ミステリ)
ソフィー エナフ
早川書房
2019-05-15


『果てしなき輝きの果てに』

リズ・ムーア著、竹内要江訳
 フィラデルフィア、ケンジントンのパトロール警官ミッキーは、線路脇で薬物中毒者と見られる遺体が発見されたと知らせを受けた。若い女性の遺体が発見されるたびに、行方不明の妹ケイシーではないかとミッキーは恐れていた。姉妹はかつては支えあって生きていたものの、ある時期から疎遠になり、ケイシーがドラッグ依存症、ミッキーが警官になってからは会うことも話すこともなくなっていた。ケイシーはどこに消えたのか。
 薬物が蔓延し犯罪が多発しているフィラデルフィアを舞台にした警察小説。主人公のミッキーは刑事ではなくパトロール警官なので、殺人事件の捜査の権限は持っていない。しかしケイシーの行方を追ううちに、彼女は殺人事件を追うことになる。ミッキーは決して強い人間ではなく、かなり不器用で立ち回りは下手だし、間違いもたくさんする。肝心な所で選択を誤り、それに伴い大切な人間からの信頼を失うところまでいってしまう。とは言え、彼女は真面目でまともであろうとしており、そこはぶれない。ちゃんとしようとし続けてきたからこそ、ケイシーらを遠ざけてしまったとも言えるのだが。親族との関係について終盤言及される事実には本当に胸が痛む。まともにやろうとしていただけなのに…。
 警察小説であると同時に、ミッキーが自分の弱さが生んでしまった傷、損なわれた関係とどのように向き合い、克服していくかという過程を描いた作品。ミッキーの一人称で現在の事件と彼女の過去とが交互に語られていくのだが、何か所かでがらっと景色が変わる。基本地味な作品なのだがこの反転は鮮やかだったし、鮮やか故にミッキー、そしてケイシーが抱える傷の深さと取返しのつかなさが際立つのだ。


マザーレス・ブルックリン (ミステリアス・プレス文庫)
ジョナサン レセム
The Mysterious Press
2000-09T


『華やかな食物誌』

澁澤龍彦著
 古代ローマの豪華かつ奇矯な料理の数々、フランスの宮廷料理やそこに集った美食家たち、中国の文人が記した食譜など、美食にまつわるものを中心に、美術・芸術にまつわるエッセイを収録した1冊。
 美食を極めると味の良し悪しとはもはや別次元の世界になってくるのか。古代ローマの饗宴も、フランスの宮廷の晩餐会も、ばかばかしいくらい豪華だ。遠方から珍しい食材を取りよせられるということが財力・権力の証だし、宴会の企画力みたいなものもセンスとして問われたのだろう。それにしても、それ本当においしいの?!大丈夫?!みたいな料理が多くて笑ってしまう。18世紀パリで一人ミシュランみたいな存在だったグリモ・ド・ラ・レニエール主催の晩餐は一つのコンセプトアート(趣味がいいかどうかはともかく)のようでもある。なぜ食にここまで情熱を傾けてしまうのか…。
 なお題名には「食物誌」とあるが、実は食に関係ない美術エッセイの方が多い。著者のエッセイを初めて読んだ当時は、出てくる全ての美術品に図版がついているというわけではなかったので(文庫版は特に図版省略されているので)、いったいどういう美術品なんだろうと想像巡らせたものだった。現代はありがたいことにインターネットがあるので、さっと調べることができる。ただ、わかってしまうことで妄想・期待が膨らまないという面もあるな。

華やかな食物誌 新装版 (河出文庫)
澁澤龍彦
河出書房新社
2017-07-28


バベットの晩餐会 (ちくま文庫)
イサク ディーネセン
筑摩書房
1992-02-01




 

『パリのアパルトマン』

ギョーム・ミュッソ著、吉田恒雄訳
 元刑事のマデリンと劇作家のガスパールは、パリのアパルトマンで出会う。急死した天才画家の部屋の賃貸契約が、管理人のミスによってかち合ってしまったのだ。2人は死んだ画家の遺作三点を一緒に探し始める。画家の家族にはある悲劇が起きており、2人の遺作創作はその悲劇の謎とも絡み合っていく。
 個人的には著者の前作『ブルックリンの少女』の方が好みだが、読者に先を気にさせる構造、予想のつかなさ(というか超展開すれすれ…)は本作の方が上回っているように思う。最初はアート探偵のような行為から始まるが、事件の深刻さが増していく。一方で、ストーリー上美術の話題、実在のアーティスト名が頻出したり、著者の趣味なのか映画の話題がちらほら出てくる所が楽しい。このアーティスト、俳優をどういう形で引き合いに出すのかセンスが問われるところだと思うが、なかなかの説得力だと思う。引き合いに出すことで、画家とその作品がどういうポジションなのか想像しやすい。
 マデリンはともかく、ガスパールはかなり問題のある人で、彼の暴走からミステリとして話が動き出すと言ってもいい。それ調べる必要も権限もないよね!?と突っ込みたくなるし、マデリンに対する態度もデリカシーがない。基本的に失礼なのだ。なお、マデリンもガスパールも子供を持つということに別々の形ではあるが、葛藤・問題を抱えている。それだけに倫理的にどうなのと疑問に思う所も多々あった。子供が自分の欠損を埋める道具になってしまっていないか?

パリのアパルトマン (集英社文庫)
ギヨーム・ミュッソ
集英社
2019-11-20


ブルックリンの少女 (集英社文庫)
ギヨーム・ミュッソ
集英社
2018-06-21






『濱地健三郎の霊なる事件簿』

有栖川有栖著
 探偵・濱地健三郎は幽霊を見る力を持っている。彼の依頼人は、原因不明の奇妙な現象に悩む人たち。その奇妙な現象の影には幽霊がいるのでは?濱地は助手の志摩と共に、死者が訴える謎に挑む短編集。
 ホラー+本格ミステリは王道の組み合わせのようでいて、実は相反する。ホラーは道理が通り過ぎると興ざめ、本格ミステリは道理を通さないと存在意義がない。本作はその2つの部分のバランスがとれており、状況の解明は本格ミステリだがその背景はホラー仕様。またその2つの配分がエピソードごとに異なり、「それは怪異なのかどうか」という線引きについてちょっとした実験をやっている感じ。本格ミステリとしては禁じ手なトリックをあっさり使っている(著者の『ペルシャ猫の謎』を思い出したよ…)のはご愛敬か。なお本作、著者の他の作品よりも昭和感が強い(作中スマホが出てくるので現代が舞台ですが)というか、登場人物の言動がちょっと古い感じ。女性の描き方もおじさん目線感が強くてちょっとひいた。作家の油断か。

濱地健三郎の霊なる事件簿 (角川文庫)
有栖川 有栖
KADOKAWA
2020-02-21


謎のクィン氏 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-11-18


『俳句は入門できる』

長嶋有著
 作家、コラムニスト業の傍ら、俳人としても活動し「NHK俳句」選者も務めた著者が、俳句という表現はどういうものなのか、俳句会の独特な空気や不可思議なルールについて初心者にもわかるように解説していく。
 実は最近、俳句にちょっと興味が湧いてきたのだが、鑑賞するのはともかく、自分でやってみようとしたときの取っ掛かりってどうすればいいのかなと思っていた。そんな折本著が出たのでさっそく手にとってみた。ユーモラスだが忌憚ない語り口で、部外者から見ると不可思議に思える俳句界のあれこれを解説しており勉強になったしとても面白かった。思っていたよりも俳句の世界は(結社にもよるのかもしれないけど)自由っぽいし、一人でもできるし他者とでもできるという所も面白いのだと教えてくれる。「NHK俳句」の添削システムについて、たまに添削前の方がいいんじゃない?と思うことはあるが、先生もまた表現者であり、(文学だから)正解はないところ「よりよい」と自分が思う所を言い放つ様こそ見どころであり先生の矜持であるという解説には納得。
 軽妙な文章だが、第4章「どこまで俳句にできるか」内で言及される「今の俳句の世界に足りないもの」には著者の真剣さ、表現で飯を食うものとしてのシビアさが垣間見える。俳句界以外が主戦場な著者だからこそ指摘できることだろう。(なお、句集を出版する際の慣習についてはちょっとびっくりしましたよ…出版社の商売としてそれでいいのか…)

俳句は入門できる (朝日新書)
長嶋 有
朝日新聞出版
2019-12-13


『パリ警視庁迷宮捜査班』

ソフィー・エナフ著、山本知子・川口明百美訳
 6か月の停職から復帰したアンヌ・カペスタン警視正は、親切された特別捜査班のリーダーに任命される。しかし集められたメンバーは売れっ子小説家との兼業警部、組んだ相手が次々と事故に合う悪運の持ち主、大酒呑み、生真面目な堅物、ギャンブル依存症ら、パリ警視庁の厄介者ばかりだった。カペスタンは彼らと共に、20男前と8年前に起きた2つの未解決殺人事件の捜査を始める。
 フランスの『特捜部Q』と評されているそうだが、確かに似ている。ただ、本作の方が軽快でコミカル。特捜班のリーダーであるカペスタンのへこたれなさや、何をやるにも自分流を貫きあっけらかんとしたロジエール、気難しく厳格だが実直なルブルトン、そして他人に不幸を運ぶと自認している故に気が優しいトレズ。キャラクターが立っていて楽しい。皆問題児扱いされるだけあって、色々と難がある人たちではある。しかし上手くはまれば高いパフォーマンスを発揮するし、難点こそが面白みにもなっている。それぞれの個性を活かしチームを機能させていくことは、カペスタンにとってはリーダーとしての腕の見せ所と言える。彼女の、基本的にチームのメンバーを信じる姿勢が、彼らの信頼を得ていくのだ。どのメンバーも魅力があるが、一見全く共通項がなさそうなオジエールとルブルトンのコンビネーションが、意外と上手くかみ合っていく様がよかった。仕事をするってこういう側面があるよなと。また、男女の間もあくまで同僚、仕事仲間であって色恋が絡まないところもいい。
 殺人事件自体はちょっと行き当たりばったりっぽくあまり精緻ではないのだが、捜査陣や事件を取り巻く人々の人間味に魅力がある。捜査本部の内装まで自分達でやる(というかほぼロジエールの趣味で・・・)という所もおかしい。改装していいのか!という驚きも。フランスでは普通なの?!

『パピヨン(上下)』

アンリ・シャリエール著、平井啓之訳
 1931年、殺人罪で捕まったやくざ者パピヨンは無期懲役を言い渡され、仏領ギアナの島にある流刑地に送られる。彼は自由への執念を燃やし、難攻不落と言われる監獄から仲間と共に何度も脱出を試みる。
 こんなに何度も脱獄してたのか!有名映画の原作である本作、映画を見た限りではそんなに何度も場所を変えて脱獄していなかったと思うんだけど・・・びっくりしました。著者の自伝という本作、シャリエールがやくざ者で収監・脱走したのは事実のようだが、一人称による語りでどこまで事実なのかは(無実の罪だという主張からして)眉つばだろう。脱走先でパピヨンが出あう人達は皆彼に好意的で無実の罪を疑わないし、彼の精神は高潔なものとして描かれている。ちょっと出来過ぎなのだ。
 とは言え本作、とても面白い。小説として構成や文章が達者、テクニカルというわけではないのだが、刑務所内の様子や生活の臨場感あふれる描写、個性豊かな囚人たちの描写等、実体感がありとても生き生きとしている。刑務所内のローカルルールみたいなものや、囚人間で何が尊敬される要素になるのか等、ある社会のあり方を眺めているような面白さがある。パピヨンが本当に無実かどうかはともかく、脱出に何度も挑戦する不屈の精神、心身ともにタフな様は本当に尊敬されそうだ。極端に不自由な状況下で自由を諦めないということ自体が尊敬の対象になるのだ。
 なお、現代の基準では差別用語にあたるような言葉や、エキゾチズムに過ぎる部分もある。インディオたちとの生活は、もろに「文明人のように汚れていない純真な蛮族」的視線で書かれておりちょっと厳しかった。時代の限界を感じる。ただ、書かれた時代を考えると人種差別的な物言いは、少なくとも囚人同士では少ないように思う。境遇が同じという意識があると、人種的な意識はフラットになってくるのか。

パピヨン 上 (河出文庫)
アンリ・シャリエール
河出書房新社
2019-04-19






パピヨン 下 (河出文庫)
アンリ・シャリエール
河出書房新社
2019-04-19

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