3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本・題名ら行

『レモン畑の吸血鬼』

カレン・ラッセル著、松田青子訳
 イタリアのレモン畑の側にたたずむ老人は、実は吸血鬼。レモンの果汁には血液への渇望を抑える鎮静効果があるのだ。同じく吸血鬼だが血は吸わず、日光も恐れない妻と出会って以来、彼もそうなるべく努力をしてきたが。表題作をはじめ、奇妙な設定・味わいの短編8編を収録。
 世界の隙間に落っこちてしまったような人が登場する作品が多い。吸血鬼はもちろんだが、日本の製糸工場からアイディアを得た『お国の為の糸繰り』は産業の為に踏みつけにされていく若い女性達の物語だし、『証明』は開拓時代のアメリカで、実際にあったという奇妙な法律に翻弄される少年を描く。『任期終わりの厩』は何と歴代のアメリカ大統領が馬に転生して集っているという設定で、そもそも人間ではない!また『エリック・ミューティスの墓なし人形』は、隙間に落ちてしまったような人をそうではない人から見た話であり、加えてそうではない人が更に突き落としてしまった顛末とも言える。
 なぜ自分がなのか、どうすれば人並み(と世間で思われている様)になれるのかという苦しみが見え隠れし、全般的にユーモラスだがもの悲しく痛切。特に『お国の為の糸繰り』は人為的に世間から外され隠蔽されてしまった人たちの呪詛と復讐であり、「変態」の仕方はSF的な味わいもあった。特に痛切さを感じたのは『帰還兵』。題名の通り、PTSDに苦しむ帰還兵とマッサージ師の交流だが、過去由来の苦しみを取り除くことの是非を考えさせられる。取り除くということは現在のその人を構成するものが変わってしまうということだが、かといって苦しみで摩耗していくのを見過ごせるのか。彼女の選択が正しかったのかどうかはわからないままだ。

『ラスト・ウェイ・アウト』

フェデリコ・アシャット著、村岡直子訳
 テッド・マッケイは脳腫瘍を苦に自殺を企てる。拳銃を頭にかまえた時、玄関の扉が激しく叩かれる。訪問者の男・リンチは、ある組織からテッドに依頼があると言う。その依頼内容とは、テッドと同じような自殺志願者を殺してほしいというものだった。
 テッドが奇妙な出来事にどんどん巻き込まれていく、と思ったらえっそっちのジャンル?!しかし更に読み進めるといややっぱりそっち?!という風に、どんどん変容していく小説で、先が気になり大変面白い。何を言ってもネタバレになりそうで困るなぁ。語りのレイヤーや伏線の置き方等複雑な部分もあり、何度もページを逆走して確認したりもしたのだが、その煩雑さも気にさせない、一種のノリの良さみたいなものがある。途中で登場してくるローラという女性の造形がなかなかよかった。野心家ではあるが、ちょっと専門バカみたいな所があり、駆け引きはするが悪女というわけではないという、紋切型ではない具体性がある。もっとも彼女に限らず、登場人物にしろその場の情景にしろ、描写は具体的でディティールが細かい。そんな中、テッドという人の個性はいまひとつ掴めないまま話が進む。しかしこれも作者の企みのうちだろう。最後まで気を抜けない。
 

『緑衣の女』

アーナルデュル・インドリダソン著、柳沢由実子訳
 工事現場で人間の骨のかけらが発見された。事件か事故かはわからないが、最近埋めたものとは思えなかった。かつて現場近くにはサマーハウスがあり、戦争末期に駐在していたイギリス軍やアメリカ軍のキャンプもあったらしい。捜査官エーレンデュルは被害者はこの付近に住んでいたのではと仮定し、昔を知る人への聞き込みを続ける。ある住民から、現場近くで緑色の服を着た女を見かけたという証言が得られた。彼女は事件の関係者なのか。
 エーレンデュルたちの捜査に派手さはなく、地道な情報収集を重ねていく「仕事」っぽさがいい。また、捜査官それぞれの仕事外の顔も描かれ、決して模範的とはいえない所も人間味がある。エーレンデュル自身は娘との確執を抱え、立ちすくんでいる状態だ。彼は子供達が幼い頃に離婚し、交流は途絶えていた。自分がなぜ妻子を置いていったのか、自分は娘に対してどんな感情を抱いていたのか、彼が少しずつ自覚していく様が胸を打つ。また、エーレンデュルはアイスランドの失踪者についての本を何冊も読んでいるのだが、その理由がわかる部分は痛切。
 捜査と並列して、ある家庭の様子が描かれるが、これがかなりしんどかった。DVの恐ろしさとそれに対する怒りが深く感じられる。物理的な暴力はもちろんなのだが、相手の尊厳、自己肯定感を奪い、本当に何もできない人にしてしまうところが、より恐ろしい。

『ラスト・ウィンター・マーダー』

バリー・ライガ著、満園真木訳
父親である殺人鬼ビリーを追い、連続殺人を阻止しようとするジャズは、トランクルームに閉じ込められ意識を失う。目覚めると、そばには2つの遺体。このままでは自分が容疑者になると考えたジャズは何とか脱出しようとする。一方ジャズのガールフレンド・コニーは、ビリーに捕えられていた。『さよなら、シアルキラー』『殺人者たちの王』に続く、3部作完結編。1作目、2作目以上にジャズは追い詰められており、彼が一線を越えてしまうのではないかとずっとハラハラさせられる。息苦しくスリリングなので、もう大変!そして終盤になるにつれ更に大変になる。ジャズは親のやったことも、いわゆる肉親の絆も否定していく。確かに親子は親子だが、それ以前に個人と個人であり、別の人間だ。それは、ジャズとコニーの関係にも言える。黒人であるコニーの父親は白人に対して不審感があり、ジャズとコニーの交際にもいい顔をしない。しかし、白人/黒人である以前にジャズはジャズで、コニーはコニーだ。あなたはあなただということ、人はそれぞれ個人であり、隷属したりくくられたりされなくていいんだということが、ジャズの葛藤を通して何度も語られているように思った。

『霊の棲む島 エリカ&パトリック事件簿』

カミラ・レックバリ著、富山クラーソン陽子訳
初夏の夜、1人の女性が血まみれの手で何かから逃げるように、フェイルバッカ沖のグローシャール島を目指していた。女性の連れは幼い息子1人。島には古い家と灯台だけがあり、幽霊が住みついているという伝説があった。数日後、自治体の大きなリゾート・プロジェクトに関わっていた経理担当者が、自宅で銃殺された。男は死ぬ直前にグローシャール島を訪れていたらしい。刑事パトリックと、その妻で作家のエリカは捜査に乗り出す。エリカ&パトリックシリーズ7作目。2人の間に双子が生まれているが、その直前には大きな悲劇があり、エリカの妹アンナは立ち直れず、エリカも罪悪感にさいなまれている。家族内の大きな問題と、殺人事件の捜査が平行していく、更に事件の背後にいる人物の立ち回り、加えて19世紀のある女性の運命が並走する。いくつもの筋が並走していく構成だ。本作では、女性のDV被害が大きな要素になっている。北欧のミステリを読むと、男女平等に社会参加をし福祉が充実しているという北欧諸国のイメージって何なの?というくらい、DV問題や極端な女性差別が描かれている。差別的というよりも、もっと根深いところでの憎悪(相手が女性だったり異民族だったりする)があるような雰囲気で、なかなかげっそりさせてくれる。19世紀のエピソードにおける女性嫌悪は、その原因の設定にちょっと問題がある(というか、嫌悪するようになるというのはわかるが、原因としてイコールではないというフォローがないと、また別の嫌悪につながるのではないかと)思うが・・・。パトリックら地元の警官たちは、無能ではないが極めて有能というわけでもない(というよりも、田舎なので大きな事件に慣れていない)。しばしば聞き逃し、チェックし忘れをする。それでもシリーズ開始時から比べると、各段に仕事のできる人たちになっている!成長しているなぁ。

『老首長の国 ドリス・レッシングアフリカ小説集』

ドリス・ドレッシング著、青柳伸子訳
アフリカで育った経験を持つ著者による中編集。1964年に出版された(1973年に再編集版を出版、日本では2008年出版)とアフリカの風土、そして(当時は)植民地であるという背景が色濃い作品集だ。エキゾチズムが前面に出ているのかなと思ったら、確かにそういう側面もあるにはあるのだが、心をガツンと殴ってくるような暴力的なものをはらんでいる。今までなじんでいた世界から隔絶しているような状況、あるいは、その土地に長年暮らしてきたはずなのに、その土地のものとして真には受け入れられないという感覚がある。白人女性と地人の使用人少年のすれ違いを描く「リトル・テンピ」は、2人の間に決して相互理解は生まれない、女性は少年が望んだものが何なのかわからないままだろうとやりきれない気持ちにさせる。女性にとって少年は同じ土俵に立っている相手ではないのだ。この、入植者たちは原住民を別の動物として見ているということがどの作品でも前提としてある。しかしそうではない世代も出てきて、彼らはおぼろげながらも新しい世界の為に戦おうとする「アリ塚」のような作品も。一方、植民地の白人たちは、土地の広さとは対称的に狭い世界で生きており、それが息苦しさをつのらせる。少女の目からそれを描いた「ジョン爺さんの屋敷」や、愛し合っていたのは誰と誰だったのかと茫然とする「七月の冬」が印象に残った。

『ロセアンナ 刑事マルティン・ベック』

マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー著、柳沢由美子訳
全裸の女性死体が閘門で発見された。女性は他殺されたということの他、手がかりは乏しく身元もなかなか判明しない。刑事マルティン・ベックらが奔走する中、アメリカの州警察から連絡が入り、遺体はロセアンナ・マッグロー、アメリカの警察は行方不明になった彼女を捜索していたことが判明する。北欧警察小説の金字塔とも言うべきマルティン・ベックシリーズ1作目。マルティン・ベックシリーズと言えば『笑う警官』が有名(というか日本での北欧ミステリブーム到来前は、長らく『笑う警官』しか入手できなかったんじゃなかったっけ。北欧ミステリブームありがとう・・・)だで、1作目である本作はあんまり出来栄えが・・・なんて話も聞いたことがあったが、なんだ面白いじゃないですか!確かに、華やかなトリックや謎解きを期待すると、捜査がなかなか進まずまどろっこしいかもしれないが、本作の魅力はそのまどろっこさだ。手がかりらしきものを一つずつ確認していくしかないという捜査の地道さこそ、警察小説の醍醐味だろう。そしてマルティン・ベックが終始一貫(心身ともに)調子悪そうなところも読み所。調子悪くても事件には真摯に向き合うプロの姿勢がいい(さすがに同僚からも休めって言われるのだが)。

『猟犬』

ヨルン・リーエル・ホルスト著、猪股和夫訳
17年前に起きた若い女性の誘拐殺人事件で有罪の決め手となった証拠品は、ねつ造されていた疑いが生じた。当時捜査の指揮をとっていた刑事ヴィスティングは責任を取って停職処分に。ねつ造は事実なのか?だとしたら誰がやったのか?一方、ヴィスティングの娘で新聞記者のリーネは、男性が殺害された事件を追っていた。被害者の自宅を訪問した際に、リーネは覆面の男と鉢合わせしてしまう。ガラスの鍵賞、マルティン・ベック賞、ゴールデン・リボルバー賞の3冠を受賞したとの触れ込みだが、受賞も納得。一気読みしちゃう系の面白さ!中盤まではヴィスティングとリーネのパートが交互に配置されており、それぞれの事件の展開から目がはなせない。連続ドラマっぽい引きの強さがある。と言っても、そんなに華やかというわけではない。ヴィスティングはメディアに露出はするが目立ちたがり屋ではなく、私生活もそんなに派手ではない。何より有能な刑事ではあるが、見落としや間違いもあり得ることを自覚している。だからこそ証拠捏造を疑われ落ち込み、深く悩むのだ。この地に足の着いた感じが、事件や犯人像の派手さを緩和し落ち着いたものにしていると思う。

『レズビアン短編小説集』

ヴァージニア・ウルフ他著、利根川真紀編訳
19世紀末から20世紀前半、女性、また男女両方のパートナーを持った女性作家たちによる、女性の物語17編を収録したアンソロジー。ウルフを筆頭にキャサリン・マンスフィールド、ガートルート・スタインなどの有名どころから日本ではあまりなじみのない作家まで、色々読めてお得感あり。1人の作家につき複数作収録されているところが、アンソロジーとしては珍しいかもしれない。同じレーベルから発行されている『ゲイ短編小説集』と対になる感じか。ただ、本作の方が、一個人の心の機微、葛藤に切り込んでいるように思え(どれも書かれた時代が比較的現代に近いからかもしれないが)、個人的には心にしみる作品が多かった。世の中に自分の居場所がない、しっくりこない感じとどう向き合う、ないしはやりすごすのか。いわゆる「人並み」であることが自分にとっての幸せになりえないということが、今よりももっともっときつい時代だったんだなぁとしみじみとした。それにしてもガートルート・スタインの文体は独特すぎるな!これ当時はどういうスタンスで読まれていたんだろう・・・。

『霊応ゲーム』

パトリック・レドモンド著、広瀬順弘訳
イギリスのパブリック・スクールの学生で14歳のジョナサンは、同級生にいじめられ、教師にも目の敵にされ、辛い思いをしていた。しかしある日、一匹狼的な学生リチャードと親しくなる。大人びて自信に満ちたリチャードにジョナサンは憧れ、彼との友情に夢中になるが、一方でそれまで友人同士だった同級生とは距離が出来ていく。同時に、ジョナサンをいじめていた同級生たちの身に次々と異変が起こる。幻の傑作、待望の文庫化との触れ込みだが、確かにこれは傑作レベルの面白さ。結構なボリュームにも関わらず一気読みだった。霊応ゲーム(日本でいうコックリさんみたいなもの)を小道具としてオカルト的な雰囲気でカモフラージュしたミステリかと思って読んでいたら、意外とホラーの方向性が強い。しかし恐ろしいのは霊や悪魔ではなく、人の心。霊や悪魔は、人の中の悪を盛り上げる補助的なものにすぎない。ジョナサンとリチャードの友情は最初は瑞々しく美しいものだ。しかし、相手への執着が強まるとそれはもう友情とは言えないものになっていく。大人からしたらなぜそんなことでと思うかもしれないが、世界が学校の中(しかも全寮制)のみで、独特のヒエラルキーに従わざるを得ないことで、選択肢がそれしかないと思い込んでしまうのだ。追い詰められていく少年たちの姿は痛ましい。とはいえ、子供だけではなく大人も相手を所有しコントロールする欲望から逃れられない。人間関係が密封されている学校や家庭だとよけいにそれがつのるのだろう。逃げ場がないもんなぁ。もうちょっと違った環境だったら、リチャードとジョナサンの関係はよい友達として継続していたかもしれないと思うと、やりきれないものがある。

ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ