3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本・題名ら行

『ラスト・トライアル』

ロバート・ベイリー著、吉野弘人訳
 弁護士トムの前に少女ローリー・アンが現れる。彼女は殺人事件の容疑者となった母親の弁護を依頼しに来たのだ。その母親とは、かつてトムが手掛けた裁判が元で刑務所に送られており、被害者は彼らの宿敵とも言える男だった。そして勝機が見えないまま法廷で戦うことになった相手は、かつては共に戦った無二の親友・教え子だった。
 シリーズ3作目は、題名の通りトムにとって正に最後の裁判になるかもしれない事件を描く。1作目、2作目の内容と直接つながっているし、いわゆるネタバレ要素も多々あるので、シリーズ順番に読むことをお勧めする。ちゃんとシリーズが進むにつれて面白さが増していくので安心してほしい(1作目はちょっと大味かなという気がしたが、難点を都度都度修正していくのが著者の作風らしい。勤勉だな…)。なお後書きによるとシリーズは全4作になるそうだ。
 トムが今回手掛ける事案は、状況証拠や数々の証言から被告の有罪はほぼ固い、反証は極めて難しいという案件。周囲もトムが依頼を引き受けることには反対する。しかし彼は、自分が過去の裁判で婉曲的とは言え引き起こしてしまったことへの償い、そして正しいことをするべきだという信念に従い依頼を引き受ける。周囲が指摘するようにそこまで彼が責任を引き受ける必要はないとも言えるが、それでも引き受ける所に法に携わるものとしてのトムの矜持が見える。また本作では、事件に関わる様々な人たちがこれをやるべきか否かという迷いに揺れる。やれば自分が損をする、または危険が及ぶ、しかしやらなければ倫理的に後悔するだろう。その行為によって自分が不利に立たされる時、正しさを理由にやりきれるかどうか、という葛藤が様々な形で描かれる。そういった葛藤も掬い上げていくことがトムの仕事の一環であるようにも思った。

ラスト・トライアル (小学館文庫 ヘ 2-3)
ロバート・ベイリー
小学館
2021-01-04


ザ・プロフェッサー (小学館文庫)
ベイリー,ロバート
小学館
2019-03-06



『ランナウェイ』

ハーラン・コーベン著、田口俊樹・大谷瑠璃子訳
 音信不通になっていた娘ペイジの行方を捜していたサイモンは、娘をドラッグ漬けにしたボーイフレンドを殴ってしまう。その後刑事から殺人事件の知らせを受けたサイモンは、妻イングリッドと共にペイジとボーイフレンドの自宅に踏み込むが。
 薬物依存症になり姿を消した娘を探すサイモン、ある依頼により次々と殺人を重ねる殺し屋カップル、行方不明になった資産家の息子の捜索依頼を受けた私立探偵。3つのストーリーが交錯して事件の全体像が浮かび上がってくる。こういった構造自体は目新しいものではないが、次パートへの引きが強くリーダビリティが高いので、ぐいぐい読めてしまう。帯には「忌まわしい事実」という謳い文句が書かれているが、確かに忌まわしい。ペイジは薬物依存症だが、他にも広義の依存症的な現象が登場し、これが君が悪い。当事者ではないから気味が悪いのであって当事者はいたって真面目だという所が更に始末が悪いのだが。
 サイモンはペイジの失踪を発端とした一連の出来事について、何が悪かったのか、自分に原因があったのではないかと何度も振り返る。子育てに正解はないというが正にその通りで、何度シュミレーションしてもシュミレーションに過ぎず、回答が出ない問だというのが苦しい。ただ、ペイジの行動原理の方向付けをしたものの一端については、割と早い段階で察せられる(これに気付くとペイジの行動はおおむね腑に落ちるし拍子抜けする)。サイモンは気付かないまま現在まできてしまったのだが、気付いたからといって何かできたのか?というと何とも言えない。この「気付いたからといって何かできたのか?」と「気付いた以上やらざるを得ない」とがストーリー全体を通して交錯していくように思えた。事件の真相は「気付いた以上やらざるを得ない」ことにあり、それを知ってしまったサイモンもまた決断を迫られる。ある意味恐ろしい。

ランナウェイ: RUN AWAY (小学館文庫)
コーベン,ハーラン
小学館
2020-12-08


イノセント上 (ランダムハウス講談社文庫)
ハーラン・コーベン
ランダムハウス講談社
2006-03-02




『ローンガール・ハードボイルド』

コートニー・サマーズ著、高山真由美訳
 ニューヨークでラジオ番組のDJをしているマクレイに、1人の女性から電話がかかってくる。彼女が大家をしているトレーラーハウスに入居していた19歳の少女セイディが姿を消したというのだ。彼女は殺害された妹・マティの復讐を計画していたのではないか。マクレイはセイディに関するドキュメンタリー番組制作の為、彼女の痕跡を追っていく。
 マクレイが取材していく過程がラジオ番組の形式になっている所がユニーク。基本、マクレイと取材相手、スタッフの会話のみで構成されている。このパートでは周囲の人から見たセイディの行動を追っていくので、当然彼女の真の目的や内面についてはわからない。もう一方のセイディ自身の視点の章によって、彼女に何があったのか、何を考えていたのかがわかってくる。マクレイの辿る道はセイディの後追いなので、彼女が果たして今どういう状態なのかはずっとわからない。それがやりきれないのだ。そしてセイディの向こうには、同じように消えていった大勢の少女がいる。
 セイディはある目的の為に正に身一つで進んでいくのだが、この捨て身の姿勢がひりひりと焼け付くみたいに強烈。ある意味愚直なくらい真っすぐに進むのだ。妹への愛だけでそこまでできるのか、なぜそうせざるを得ないのかという部分が明らかになるとやりきれなくなった。彼女の人生にはあまりに選択肢がない。そしてその選択肢のなさは、彼女の責任ではなく周囲の大人が作った環境によるものだ。保護者が保護者になっていないというのは本当にきついな…。




『ラスト・ストーリーズ』

ウィリアム・トレヴァー著、栩木伸明訳
 センスはあるが手癖の悪い少年にレッスンするミス・ナイチンゲール(「ピアノ教師の生徒」)、かつて友人同士だったがある出来事により決別した2人の女性(「カフェ・ダライアで」)、記憶障害をもった絵画修復士と娼婦が出会う(「ジョットの天使たち」)。人の生の陰影を繊細に描く10篇を収録した著者最後の作品集。
 トレヴァーの作品、ことに短編は当たりはずれが少なく常に一定のクオリティを維持しているという印象があるが、この作品集も同様。どの作品も人生の日陰の部分に触れるような、ひやっとした手触りで油断できない。ちょっといい話になるのかと思いきや、放り出されるような心もとなさが漂う。本作に収録された作品にはしばしば、最初の章で「男/女」など漠然とした呼称で表されていた人物が、次の章では固有名詞を与えられ、さっきのあの人物はこの人のことだったのか、と腑に落ちるという構造が使われている。起きている事柄のあちら側とこちら側、複数の面が見えてきて全体像が浮かび上がってくるという、それゆえにそれぞれの側からの誤解やすれ違いも露わになる。この構造の完成度が特に高いのが「ミセス・クラスソープ」だろう。彼女がどういう人だったのか、周囲が思いをはせるのは彼女が消えてからなのだが。いなくなって初めてその人のことを考えるというと、「身元不明の娘」も同様だろう。こちらはもっと痛ましいシチュエーションだが、ろくに知らない相手に対して痛ましいと思うのはおこがましいのではという思いにもなる。
 個人的に好きな作品は「冬の牧歌」。ベタなラブロマンスが展開しそうなところ、どんどん温度が下がっていく。男女の心が離れていく様と同時に、ある場所でしか成立しない感情・関係の儚さとそれ故の忘れ難さが印象に残った。風景描写がとても美しく、確かにこの場所でならそういう気持ちになるか…という説得力がある。また「女たち」は少女と中年女性2人との、はっきりしているようなしていないような関係性のぼかし方でどこか不穏。女子学生たちのやり取り(あの本はつまらなかった、これは面白かったんなど)が生き生きしていているのも楽しい。

ラスト・ストーリーズ
トレヴァー,ウィリアム
国書刊行会
2020-08-09


アイルランド・ストーリーズ
ウィリアム・トレヴァー
国書刊行会
2010-08-27




『ライフ・アフター・ライフ』

ケイト・アトキンソン著、青木純子訳
 1910年2月10日、大雪の夜にアーシェラ・ベレスフォード・トッドは生まれた。しかし医者の到着が遅れ、そのまま急逝する。しかし同じ年月日、アーシェラは生まれ今回は無事危機を乗り切る。その後も海で溺れたたり、スペイン風邪にかかったり、空襲に遭ったりと様々な形・年齢でアーシェラは死ぬがまた生まれ、時にデジャブを感じながら再び人生を送る。
 作中では精神医の口から輪廻転生という言葉が出てくるが、アーシェラの生きなおしは、ある人生の微妙に違うバージョンが積み重ねられていくという感じ。ベースのアーシェラとその人生は同じで、毎回ちょっとづつ変更が加えられている。彼女の家族や周囲の人たちも基本的な構成は同じで、何度繰り返しても変わらない運命もある。アーシェラは生まれてすぐ死んだり、幼少時に死んだり、若い盛りに死んだりする。初期バージョンのアーシェラは自分の意志や個性を表に出さない、「古風」な女性として生きる。が、バージョンが進むにつれ、家族や世間の抑圧から離れ、自立した生き方を選びとるようになる。アーシェラ自身に転生している自覚はないが、前回できなかったことを今回やる、みたいな傾向はある。どんどん劇的な人生になっていくあたりは(第二次世界大戦が背景にあり、あの独裁者も登場するという事情から)小説の醍醐味でもあるが、ちょっとやりすぎかなという気もする。その人生にたどり着くまでのバージョンアップのように読めてしまうので。
 どのアーシェラが最後まで生き延びるのか、どのアーシェラが人生に成功、ゴールするのかという視点で読んでしまいそうになるが、どれか一つが成功ということではないだろう。彼女の人生はどれも並列して同等に価値ある、それぞれのバージョンの彼女だけの人生だ。繰り返す人生を描くことで、逆に人生が一度きりであることが浮かび上がってくる。

ライフ・アフター・ライフ (海外文学セレクション)
ケイト・アトキンソン
東京創元社
2020-05-29





恋はデジャ・ブ (字幕版)
Stephen Tobolowsky
2013-11-26


『理由のない場所』

イーユン・リー著、篠森ゆりこ訳
 16歳の息子ニコライが自殺した。母親である「私」はもう存在しない息子との対話を続ける。言葉遊びや反抗期の子供らしい皮肉を交えつつ、2人の対話は季節を越え続く。
 「私」とニコライの対話にはしばしば言葉遊びが交えられる。小説家である「私」は言葉に敏感であり、ニコライもまた「私」の使うちょっとした言い回しや単語に素早く反応し、往々にして攻撃する。母と子という立場の違いと合わせ、「私」は中国からの移民であり英語はネイティブではない、たいしてニコライはアメリカで生まれ育った英語ネイティブ。母親の英語の発音がおかしいと指摘することもある。親子という関係とは別に、ここには文化的なギャップがあるのだ。
 ニコライは時に手厳しく母親を非難し、反発する。2人の対話は続くが、この対話をしているニコライはもちろん、「私」の頭の中にあるニコライだ。こういうことを言ったらニコライはこう反応するであろう、こういう理屈を持ち出すだろう、という想像でしかないとも言える。しかし「私」の脳内であっても「私」とニコライの対話は平行線を辿り、愛情は合っても理解し合っているとは言えない。ニコライがなぜ自殺をしたのかも言及されることはない。「私」はもちろんなぜなのか考えに考えたのだろう。ただ、対話相手としてのニコライがそれを明かすことはなく、「私」にとってわからない部分を残した存在であり続ける。永遠に謎のままで、「私」はこの先もその謎を問い続けなくてはならないというのがとても辛い。終わりがないのだ。「私」はそこから逃げるつもりも終わらすつもりもないのだろうが、そこがまた辛い。

理由のない場所
リー,イーユン
河出書房新社
2020-05-19


黄金の少年、エメラルドの少女 (河出文庫)
イーユン リー
河出書房新社
2016-02-08


『論理仕掛けの奇談 有栖川有栖解説集』

有栖川有栖著
 本格ミステリ作家である著者が、様々な文庫本の巻末に寄せた「解説」を収録した1冊。もちろんほぼミステリ小説の解説だ。解説が寄せられた本の版元、出版年も記載されており、その作家のその後の活躍を知っていると感慨深いものも。
 著者の本格ミステリに対する愛、確固とした主義主張が出てくる解説がいくつかあり(まあ解説依頼する方も本格ミステリだから著者に頼むわけだろうけど)、著者の中でも「本格」の定義が垣間見えるところが面白い。これは違うなというものに対しては結構はっきり否定、とまではいかないが指摘するんだなと(有栖川先生、舞城王太郎作品にはあまり良い印象ないんですね…)。やはり本格を書いている人だからこそわかるその作品の凄み、巧みさというものがあるのだろう。また、この作品をこういうふうに読んだのかという意外さもあった。前口上として「読書会をしている気分を味わっていただけるとうれしい」とあったが、確かに読書会的な、そうですよね!という共感と、そういう読み方があったのか!という他の人の意見を知る面白さを味わえる1冊。
 なお、松本清張『点と線』に対する不満については他著作でも読んだことがあったのだが、これは確かにそうだよなと頷けるもの。ただ、トリック以外の部分の巧みさ、面白さが年齢を重ねるとわかるようになったという所にも深く納得。あれは年取ってから読んだ方が味わいがわかる気がする。

『レイチェルが死んでから』

フリン・ベリー著、田口俊樹訳
 姉レイチェルの家を訪れたノーラは、吊るされた犬の死体、そして血まみれのレイチェルを発見する。警察は殺人事件として捜査を始めるが、ノーラは15年前にレイチェルが襲われ暴行を受けた事件と関連があると考え、独自の犯人探しに固執していく。
 これは邦題が上手い!正に「レイチェルが死んでから」ノーラが何を考えどう行動していくのかという話なのだ。彼女の一人称なので、過去の記憶も現在の出来事も、あくまでノーラが感じ、考えた範疇にとどめられている。なので、実際にあの時、そして今何が起きたのかは、実のところ不明瞭な部分も多い。いわゆる「信頼できない語り手」で、思考も行動もどこかふわふわしている。彼女が何を意図しどこへ向かっているのか、なんとなくはぐらかされている感じがするのだ。そのはぐらかしの理由が原題「Under the harrow」にあるということなので、邦題によって二重にはぐらかされているという面も。苦しすぎると物事への対し方が傍から見ると不可解なものになってしまう。ノーラの苦しみの道筋を描いた話でもあるのだ。

レイチェルが死んでから (ハヤカワ・ミステリ文庫)
フリン ベリー
早川書房
2018-11-06





レベッカ (上) (新潮文庫)
ダフネ・デュ・モーリア
新潮社
2008-02-28

『ロビンソン・クルーソー』

ダニエル・デフォー著、鈴木恵訳
 1632年、イングランド育ちの船乗りロビンソンは、航海中に難破し、1人きりで無人島に漂着する。船に残された積み荷を利用し、住処や道具をこしらえ、亀や鳥を捕まえ、野生のヤギを飼いならして乳を取り、麦や米の栽培を試みる。28年に渡る無人島生活が始まった。新潮文庫の名作新訳コレクションより。
 子供の頃に簡略化された本著を読んだきりだったのだが、当時の記憶と大分内容が違う!ロビンソン・クルーソーといえば無人島でヤギとオウムと黒人奴隷と暮らしていたというイメージなのだが、ヤギとオウムはともかく奴隷が登場するのは大分後半だし多分黒人ではなくてアメリカ先住民だよな・・・。しかもイングランドからの航海ではなくブラジル(イングランドからブラジルへ移住し、ブラジルの自分の農園から旅立つ)からの航海だったのでびっくり。更に意外だったのが、ロビンソンが冒頭から相当愚痴るしぼやくこと。当人の手記という体の作品なので、絶海の孤島に30年近くひとりきりだったらそりゃあぼやくし後悔しまくるだろうなとは思うが、強靭なサバイブ能力とはうらはらだ。また、無人島での生活を成り立たせる上で、イングランド式の生活を再現しようという意欲が結構強い。一人きりの孤島での生活で椅子やテーブルの用意は最優先事項ではないと思うが、ないと落ち着かないのでさっそく作る。そしてとにかく勤勉で几帳面。ピューリタニズムってこういうことだろうか・・・。計画的に働かないと生き延びることができないという事情はあるものの、働き者すぎる!自分が育った習慣、ルールに基づき生活を再現しようという方向に努力するところが面白い。
 創意工夫は旺盛だが、価値観はあまり変わらずあまり融通がきかない。この価値観の変わらなさは、当時のキリスト教文化圏の作品故だろう。本作、住まいを作ったり狩りや採集をしたりという生活の部分の描写は時代を越えた面白さがあるのだが、宗教を背景とした価値観や、先住民に関する記述の部分は今読むと相当傲慢で、なかなかきついものがある。

ロビンソン・クルーソー (新潮文庫)
ダニエル デフォー
新潮社
2019-07-26





ロビンソン・クルーソー (岩波少年文庫)
ダニエル・デフォー
岩波書店
2004-03-16

『ロックの英詞を読む 世界を変える歌』

ピーター・バラカン著
 ジョン・レノン、スティーヴィー・ワンダー、ビリー・ホリデイ、ジョーニ・ミチェルらの名曲の中でも、特にメッセージ性の強い曲を取り上げ、ブロードキャスターである著者が翻訳し英語表現について解説した1冊。ディスクガイドや日常英会話表現、英語の発音についてのミニコラムも収録。
 聴いたことのある名曲が多く収録されているのだが、恥ずかしながら歌詞もちゃんと知っているかというとよくわかっていなかった。ジョン・レノンのアルバム「Plastic Ono Band」は歌詞が生々しすぎて当時は積極的に聞けなかったと著者は書いているのだが、「労働者階級の英雄」の歌詞、確かに強烈だもんな・・・。心に刺さりすぎて泣いてしまう。その歌詞が書かれた社会的背景や、著者のパーソナルな体験も交えて解説されており、音楽エッセイとしての面白さがある。
 歌詞における英語表現について丁寧な説明がされているので、英語に弱い私でも大丈夫だった。書き下ろしではなく語り下ろしなので、ラジオを聴いているような親しみやすさ。

ロックの英詞を読む──世界を変える歌
ピーター・バラカン
集英社インターナショナル
2016-05-26


ロックの英詞を読む ―Rock Between The Lines
ピーター・バラカン
集英社インターナショナル
2003-10-03


ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ