3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本・題名ら行

『六白金星・可能性の文学 他十一篇』

織田作之助著
 何をやってもどん臭い青年・楢雄の人生を描く表題作の他、著者が戦後に発表した短編小説11篇と評論2篇を収録した岩波文庫版。
『夫婦善哉』収録作と比べると、作品単体の構成のバランスが良くなっており、『夫婦善哉』ばかりが有名なのは勿体ないことだなと改めて思った。1篇内の構成がかなり整理されるようになっている(特に『アド・バルーン』は語りの組み立てが活きていると思う)ので読みやすく、かつ独特の奇妙なグルーヴ感は保たれている。表題作をはじめ、著者の小説では主人公が一定の行動原理から抜け出さずに延々とループしていくような感覚があるのだが、それがグルーヴ感のようなものになっている。この人なんでこんなしょうもないことばっかりやっているのかと思いつつ、持って生まれた業ならもうしょうがないわという気分にもなってくる。この、そう生まれたんだからそう生きるしかない、という諦念のようなものが底辺に流れているように思う。評論『可能性の文学』では、志賀直哉(というよりも彼の文学に対するフォロワーの無批判性)に対する反抗心を表明しているが、逆に志賀の文学が文壇にいかに絶対的な影響を与えていたのかわかる。私小説的なもの、自然主義的なものが作ってしまった文学表現の一つの限界は、早い段階から指摘されていたことが垣間見える。なお本編中、著者が太宰治、坂口安吾と飲んでいる時のエピソードが披露されるのだが、「お前は何を言っておるのか」と真顔になる部分も。文士同士のわちゃわちゃに萌える方は目を通してみては。



天衣無縫 (角川文庫)
織田 作之助
KADOKAWA
2016-10-06

『楽園の世捨て人』

トーマス・リュダール著、木村由利子訳
 カナリア諸島のフエルテヴェントゥラ島。海辺に遺棄された車から、およそ三カ月の男の子の餓死死体が発見された。タクシー運転手兼ピアノ調律師のエアハートは、警察が事件をうやむやにしようとしていると知り、何かに掻き立てられるように事件の真相を調べ始める。
 舞台はカナリア諸島だが、優れた北欧ミステリに授与されるガラスの鍵賞受賞作。著者はデンマーク人で、主人公のエアハートはデンマークからスペインへの移住者なのだ。島ではどこか「よそ者」感ぬぐえないエアハートの立ち位置が、事件を探る探偵役としての視線に繋がっているように思った。しかしこの探偵役、あまりにも危なっかしい。1章に1回くらい、えっちょっと落ち着いて行動しては・・・とたしなめたくなるような突飛な行動に出る。その行動は絶対裏目に出るぞ!と読んでいて思うし実際負のスパイラルでエアハート自身にも収拾がつかなくなっているのだが、なぜそうしてしまうのか、という部分について具体的な説明はない。彼の推理や行動は、多分に「こうあってほしい」というフィルターがかかっているものだ。恋人たちには愛し合っていてほしい、母親は子供を愛しいつくしんでほしいと言うように。それは自己満足的なものでもあり、危なっかしい。彼は世捨て人のように生きているが、まだ悟りの境地には程遠く、失ったものを諦めきれず、未練たらたらなのだ。彼の未練に物語自体が引き回されているようだ。

『レクイエムの名手 菊地成孔追悼文集』

菊地成孔著
著者が10数年にわたって綴ってきた追悼文をまとめた、サブタイトルの通り追悼文集。著者の職業上、ミュージシャンやジャズ評論家への追悼文が多い。実際に著者と交流があった人へのものも、そうでないが著者にとって大切だった人へのものも(エリザベス・テイラーとかマイルス・デイヴィスとか)ある。当然のことではあるが相手との関係によって文章のテンション、どこまで踏み込むか(自分の知り合いだから踏み込める/踏み込めない場合、面識はない「有名人」だから踏み込める/踏み込めない場合があるなと)が変化してきて、その距離感みたいなものが興味深かった。著者の文章は概ね躁的でどんどん書き飛ばしていく(もちろん推敲されているはずだが)イメージがあるのだが、所々で、この人についてはこれ以上は書けないという壁のようなものが出現することがあるのだ。それとは別に強く印象に残ったのは「加藤和彦氏逝去」。故人の仕事に対する深い敬意と愛があると同時に、(故人に対してとは限らない)苛立ちのような、そうじゃないだろう!という苦渋のようなものが入り混じっているように思った。

『路地裏の迷宮踏査』

杉江松恋著
本格ミステリ黎明期から1960年代くらいまでを中心に、数々の作品を残した海外の作家53人を紹介する書評、というよりも作家ガイドブック。日本ではあまり知られていない作家も多く含まれる。作家のプロフィール、おすすめ作品紹介はもちろん、当時の世相、社会背景までさらっと解説しており、著者の知識の幅と過不足のないバランス感が実感できる。一見、時代性とは無縁に思える作品であっても、その時代からは逃れられないし、積極的に時代性(ないしは時代に対するアンチテーゼ)を取り込み生き残る作品もあって、指摘されないとここは意識しなかったなと既読作品に対して気付いたところも。正直、大半の作家の作品は手に取ったことがない(多少読んでいるのはバークリー、ウォー、ブラウン、リューインくらいだもんなぁ・・・)が、ちゃんと読んでみたくさせるところが著者の腕。意外なところではO・ヘンリーをミステリ枠で扱っている。ミステリ小説に多少関心のある人にとっては、軽い読み物としてちょうどいいと思う。一気読みというよりも、休憩時間や寝る前に1章だけ読みたいという感じ。なお、著者はバランス感覚に優れているとは思うのだが、一か所これはちょっと言葉遣いのミスしたなという所があり、そこだけひっかかった。

『レモン畑の吸血鬼』

カレン・ラッセル著、松田青子訳
 イタリアのレモン畑の側にたたずむ老人は、実は吸血鬼。レモンの果汁には血液への渇望を抑える鎮静効果があるのだ。同じく吸血鬼だが血は吸わず、日光も恐れない妻と出会って以来、彼もそうなるべく努力をしてきたが。表題作をはじめ、奇妙な設定・味わいの短編8編を収録。
 世界の隙間に落っこちてしまったような人が登場する作品が多い。吸血鬼はもちろんだが、日本の製糸工場からアイディアを得た『お国の為の糸繰り』は産業の為に踏みつけにされていく若い女性達の物語だし、『証明』は開拓時代のアメリカで、実際にあったという奇妙な法律に翻弄される少年を描く。『任期終わりの厩』は何と歴代のアメリカ大統領が馬に転生して集っているという設定で、そもそも人間ではない!また『エリック・ミューティスの墓なし人形』は、隙間に落ちてしまったような人をそうではない人から見た話であり、加えてそうではない人が更に突き落としてしまった顛末とも言える。
 なぜ自分がなのか、どうすれば人並み(と世間で思われている様)になれるのかという苦しみが見え隠れし、全般的にユーモラスだがもの悲しく痛切。特に『お国の為の糸繰り』は人為的に世間から外され隠蔽されてしまった人たちの呪詛と復讐であり、「変態」の仕方はSF的な味わいもあった。特に痛切さを感じたのは『帰還兵』。題名の通り、PTSDに苦しむ帰還兵とマッサージ師の交流だが、過去由来の苦しみを取り除くことの是非を考えさせられる。取り除くということは現在のその人を構成するものが変わってしまうということだが、かといって苦しみで摩耗していくのを見過ごせるのか。彼女の選択が正しかったのかどうかはわからないままだ。

『ラスト・ウェイ・アウト』

フェデリコ・アシャット著、村岡直子訳
 テッド・マッケイは脳腫瘍を苦に自殺を企てる。拳銃を頭にかまえた時、玄関の扉が激しく叩かれる。訪問者の男・リンチは、ある組織からテッドに依頼があると言う。その依頼内容とは、テッドと同じような自殺志願者を殺してほしいというものだった。
 テッドが奇妙な出来事にどんどん巻き込まれていく、と思ったらえっそっちのジャンル?!しかし更に読み進めるといややっぱりそっち?!という風に、どんどん変容していく小説で、先が気になり大変面白い。何を言ってもネタバレになりそうで困るなぁ。語りのレイヤーや伏線の置き方等複雑な部分もあり、何度もページを逆走して確認したりもしたのだが、その煩雑さも気にさせない、一種のノリの良さみたいなものがある。途中で登場してくるローラという女性の造形がなかなかよかった。野心家ではあるが、ちょっと専門バカみたいな所があり、駆け引きはするが悪女というわけではないという、紋切型ではない具体性がある。もっとも彼女に限らず、登場人物にしろその場の情景にしろ、描写は具体的でディティールが細かい。そんな中、テッドという人の個性はいまひとつ掴めないまま話が進む。しかしこれも作者の企みのうちだろう。最後まで気を抜けない。
 

『緑衣の女』

アーナルデュル・インドリダソン著、柳沢由実子訳
 工事現場で人間の骨のかけらが発見された。事件か事故かはわからないが、最近埋めたものとは思えなかった。かつて現場近くにはサマーハウスがあり、戦争末期に駐在していたイギリス軍やアメリカ軍のキャンプもあったらしい。捜査官エーレンデュルは被害者はこの付近に住んでいたのではと仮定し、昔を知る人への聞き込みを続ける。ある住民から、現場近くで緑色の服を着た女を見かけたという証言が得られた。彼女は事件の関係者なのか。
 エーレンデュルたちの捜査に派手さはなく、地道な情報収集を重ねていく「仕事」っぽさがいい。また、捜査官それぞれの仕事外の顔も描かれ、決して模範的とはいえない所も人間味がある。エーレンデュル自身は娘との確執を抱え、立ちすくんでいる状態だ。彼は子供達が幼い頃に離婚し、交流は途絶えていた。自分がなぜ妻子を置いていったのか、自分は娘に対してどんな感情を抱いていたのか、彼が少しずつ自覚していく様が胸を打つ。また、エーレンデュルはアイスランドの失踪者についての本を何冊も読んでいるのだが、その理由がわかる部分は痛切。
 捜査と並列して、ある家庭の様子が描かれるが、これがかなりしんどかった。DVの恐ろしさとそれに対する怒りが深く感じられる。物理的な暴力はもちろんなのだが、相手の尊厳、自己肯定感を奪い、本当に何もできない人にしてしまうところが、より恐ろしい。

『ラスト・ウィンター・マーダー』

バリー・ライガ著、満園真木訳
父親である殺人鬼ビリーを追い、連続殺人を阻止しようとするジャズは、トランクルームに閉じ込められ意識を失う。目覚めると、そばには2つの遺体。このままでは自分が容疑者になると考えたジャズは何とか脱出しようとする。一方ジャズのガールフレンド・コニーは、ビリーに捕えられていた。『さよなら、シアルキラー』『殺人者たちの王』に続く、3部作完結編。1作目、2作目以上にジャズは追い詰められており、彼が一線を越えてしまうのではないかとずっとハラハラさせられる。息苦しくスリリングなので、もう大変!そして終盤になるにつれ更に大変になる。ジャズは親のやったことも、いわゆる肉親の絆も否定していく。確かに親子は親子だが、それ以前に個人と個人であり、別の人間だ。それは、ジャズとコニーの関係にも言える。黒人であるコニーの父親は白人に対して不審感があり、ジャズとコニーの交際にもいい顔をしない。しかし、白人/黒人である以前にジャズはジャズで、コニーはコニーだ。あなたはあなただということ、人はそれぞれ個人であり、隷属したりくくられたりされなくていいんだということが、ジャズの葛藤を通して何度も語られているように思った。

『霊の棲む島 エリカ&パトリック事件簿』

カミラ・レックバリ著、富山クラーソン陽子訳
初夏の夜、1人の女性が血まみれの手で何かから逃げるように、フェイルバッカ沖のグローシャール島を目指していた。女性の連れは幼い息子1人。島には古い家と灯台だけがあり、幽霊が住みついているという伝説があった。数日後、自治体の大きなリゾート・プロジェクトに関わっていた経理担当者が、自宅で銃殺された。男は死ぬ直前にグローシャール島を訪れていたらしい。刑事パトリックと、その妻で作家のエリカは捜査に乗り出す。エリカ&パトリックシリーズ7作目。2人の間に双子が生まれているが、その直前には大きな悲劇があり、エリカの妹アンナは立ち直れず、エリカも罪悪感にさいなまれている。家族内の大きな問題と、殺人事件の捜査が平行していく、更に事件の背後にいる人物の立ち回り、加えて19世紀のある女性の運命が並走する。いくつもの筋が並走していく構成だ。本作では、女性のDV被害が大きな要素になっている。北欧のミステリを読むと、男女平等に社会参加をし福祉が充実しているという北欧諸国のイメージって何なの?というくらい、DV問題や極端な女性差別が描かれている。差別的というよりも、もっと根深いところでの憎悪(相手が女性だったり異民族だったりする)があるような雰囲気で、なかなかげっそりさせてくれる。19世紀のエピソードにおける女性嫌悪は、その原因の設定にちょっと問題がある(というか、嫌悪するようになるというのはわかるが、原因としてイコールではないというフォローがないと、また別の嫌悪につながるのではないかと)思うが・・・。パトリックら地元の警官たちは、無能ではないが極めて有能というわけでもない(というよりも、田舎なので大きな事件に慣れていない)。しばしば聞き逃し、チェックし忘れをする。それでもシリーズ開始時から比べると、各段に仕事のできる人たちになっている!成長しているなぁ。

『老首長の国 ドリス・レッシングアフリカ小説集』

ドリス・ドレッシング著、青柳伸子訳
アフリカで育った経験を持つ著者による中編集。1964年に出版された(1973年に再編集版を出版、日本では2008年出版)とアフリカの風土、そして(当時は)植民地であるという背景が色濃い作品集だ。エキゾチズムが前面に出ているのかなと思ったら、確かにそういう側面もあるにはあるのだが、心をガツンと殴ってくるような暴力的なものをはらんでいる。今までなじんでいた世界から隔絶しているような状況、あるいは、その土地に長年暮らしてきたはずなのに、その土地のものとして真には受け入れられないという感覚がある。白人女性と地人の使用人少年のすれ違いを描く「リトル・テンピ」は、2人の間に決して相互理解は生まれない、女性は少年が望んだものが何なのかわからないままだろうとやりきれない気持ちにさせる。女性にとって少年は同じ土俵に立っている相手ではないのだ。この、入植者たちは原住民を別の動物として見ているということがどの作品でも前提としてある。しかしそうではない世代も出てきて、彼らはおぼろげながらも新しい世界の為に戦おうとする「アリ塚」のような作品も。一方、植民地の白人たちは、土地の広さとは対称的に狭い世界で生きており、それが息苦しさをつのらせる。少女の目からそれを描いた「ジョン爺さんの屋敷」や、愛し合っていたのは誰と誰だったのかと茫然とする「七月の冬」が印象に残った。

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