3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本・題名ら行

『リンドグレーンと少女サラ 秘密の往復書簡』

アストリッド・リンドグレーン、サラ・シュワルト著、石井登志子訳
 『長くつ下のピッピ』や『やかまし村のこどもたち』等、世界中で愛される作品を生み、20世紀を代表する児童文学作家であるリンドグレーン。彼女の元には多くのファンレターが寄せられるが、その内の1人、サラ・シュワルトとは文通が続いていた。サラが13歳の頃から成人するまで、80通を超える手紙をまとめた往復書簡集。
 リンドグレーンは基本的にファンとの手紙のやりとりはしない(きりがないものね)方針だったそうだが、サラとは他の読者には秘密という条件で文通が続いていた。当時のサラは家庭や学校で問題を多々抱えていた。支配的な父親とそれに全く反抗できない母親への怒りと苛立ちが痛々しい。リンドグレーンは彼女の文章力や聡明さに興味を持ったというだけではなく、放っておけなかったのかもしれない。最初は感情だだ漏れという感じだったサラの手紙がどんどん知的な(最初からかなり知的ではあるのだが)ものになり、深い思考を表現するようになる。彼女の成長のスピードが手に取るようにわかってとても面白い。そして、サラに対しあくまで対等に、危なっかしさを懸念しつつも絶対に否定はしないリンドグレーンの一貫した態度にも唸った。お説教めいたこと(流石に時代を感じる内容もある)を書く時には、サラの自尊心を傷つけないよう非常に気を付けた表現をしているし、自分は同意しかねるということにも、はっきりとダメ出しはしない。大人としての分別と対等な友達としての誠実さのバランスがとれている。2人は実際に会うことはなかったそうだが、こういう形の友情もあるのだ。

リンドグレーンと少女サラ――秘密の往復書簡
アストリッド・リンドグレーン
岩波書店
2015-03-19


リンドグレーンの戦争日記 1939-1945
アストリッド・リンドグレーン
岩波書店
2017-11-18




『ローズ・アンダーファイア』

エリザベス・ウェイン著、吉澤康子訳
 1944年9月、イギリス補助航空部隊の飛行士ローズは、輸送の途中でドイツ軍に捕えられ、ラーフェンスブリュック強制収容所に送られる。そこでの生活は、飢えや寒さの中労働を強いられ、いつ処刑されるかもわからないというものだった。彼女を支えたのは同じ収容者仲間の女性達だった。彼女らの多くは「ウサギ」と呼ばれる非人道的な人体実験の被験者だった。
 『コードネーム・ヴェリティ』の姉妹編で、前作に登場した人たちもちらほら姿を見せる。最初は色々な人からの手紙や手記、そしてローズの手による本編という構成。ローズが手記を書こうとしていることから、彼女が生き延びたということは最初からわかっている。しかし緊張が途切れなかった。ホローコーストからの生存者にインタビューしたドキュメンタリー『ショア』(クロード・ランズマン監督)を思い出した。収容所の中で行われていることがあまりに残酷で、人間は歯止めがなければいくらでもひどいことを出来るのだと慄然とする(人体実験がとにかくひどい)。人間の尊厳(と生命)を剥奪する実験のようだ。その一方で、心身ともにぎりぎりの状態の中で他人を助け「人間らしさ」を維持しようとする人たちがいる。人間のおぞましい部分と崇高な部分とか同じ場所で展開されているのだ。ローズが詩によって自分を、そして仲間の心を支え続ける様には目頭熱くなった。書くこと、語る事が前作に引き続き大きなファクターになっている。それは死んでいった仲間の記憶を留め伝えることなのだ。
 収容所内での描写もきついのだが、一番はっとしたのは、ローズが助かったにも関わらず母には会えない、会いたくないと思うという所だ。収容所の生活で変わり果てた姿になってしまったからというのもあるが、内面が変わってしまった、もう母の知っている自分ではなくなってしまったからだ。説明しえない、言葉に出来ない体験というものがあるのだ。しかし彼女は「私たちのことを知らせて」という仲間の願いを忘れない。終盤、もう一人「バラ」の名前を持つ収容所仲間のローザの振る舞いの理由にローズがはたと気づく所も痛切。

ローズ・アンダーファイア (創元推理文庫)
エリザベス・ウェイン
東京創元社
2018-08-30


コードネーム・ヴェリティ (創元推理文庫)
エリザベス・ウェイン
東京創元社
2017-03-18


『隣接界』

クリストファー・プリースト著、古沢嘉通・幹遥子訳
 フリーカメラマンのティボー・タラントは、トルコのアナトリアで反政府主義者の襲撃により、看護師として派遣されていた妻・メラニーを失う。ロンドンに戻る為に海外救援局(OOR)に護送されるタラントだが、道中、政府機関の職員だという女性フローと交流する。やがて彼を不可解な事象が襲い始める。
 第一次大戦中に軍から秘密任務を依頼される手品師、第二次大戦中に女性飛行士に恋するイギリス空軍の整備兵、夢幻諸島で興業を試みる奇術師、そして同じく夢幻諸島で一人暮らす女性。様々な世界がタラントの旅路と並行して語られる。時代も場所もバラバラだが、戦争、飛行機、離れ離れになる男女等、登場するモチーフがどこかしら似通っている。そして似通ってはいるが完全には重ならずどこかずれている。それら平行世界が時に隣接し干渉するようなのだ。タラントの世界認識は海外生活をしていたギャップ、そして世界情勢の不安定さにより最初からあやふやなのだが、平行世界の気配により更にあやふやになっていく。それぞれの章に登場する人物やモチーフは、著者の過去作品でも使われたものでもある。これはプリーストユニバースとでも言えばいいのか。

隣接界 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
クリストファー プリースト
早川書房
2017-10-19


〈プラチナファンタジイ〉 奇術師 (ハヤカワ文庫 FT)
クリストファー・プリースト
早川書房
2004-02-10







『ラブラバ』

エルモア・レナード著、田口俊樹訳
 元シークレット・サービスの捜査官で、今では写真家のジョー・ラブラバは、12歳の頃の初恋の相手である、元女優のジーン・ショーと知り合う。ジーンとの出会いに心浮き立つラブラバだが、彼女は厄介な男たちに目を付けられていた。アメリカ探偵作家クラブ最優秀長篇賞を受賞した作品の、新訳版。
 ラブラバは一見呑気でピントがずれているが、実は頭がきれ腕っぷしも強いという、なかなかのチートキャラ。都合が良すぎるチートぶり(経歴が結構すごいもんね・・・)もレナードの軽口をたたくような軽妙で洒脱、しかしクールすぎない文体だと違和感を感じない。世界観の統一がされているということだな。ラブラバの、頭はきれるが基本的に人が良く、特に女性に対しては脇が甘い所も、やりすぎ感を抑えている。ラブラバの中の客観的で冷静な部分と、自分が信じたいものを信じたいという情の部分のせめぎ合いが、本作を単なる「クール」ではなくしていると思う。
 本作、’40年代フィルムノワールへのオマージュに満ちていて、固有名詞をわかる映画好きにはより楽しいのでは。ジーンがどのような女優なのかということも、よりわかる(そこが辛い)はず。引退したとはいえ彼女はやはり女優で、「映画」をやりたいのだ。事件の謎は中盤で明かされてしまうが、謎解きは本作の重点ではない。女優として生きるジーンと、それに対するラブラバの配慮が泣かせるのだ。ラブラバは信じたいものを信じようとしても真実に引き戻されるが、ジーンは自分が見せたいものに殉ずるようでもあった。夢に生きてこそのハリウッドの住民ということか。
 悪役として登場するノーブルズとクンドー・レイの珍道中もいい。ノーブルズの言動は頭が悪いのに結構怖い。中途半端な悪人、かつ思い込みの激しさ故の怖さがあるのだ。



グリッツ (文春文庫)
エルモア レナード
文藝春秋
1994-01

『リラとわたし ナポリの物語Ⅰ』

エレナ・フェッランテ著、飯田亮介訳
 リラが姿を消したと、彼女の息子から電話が入った。長年の友人である私の元に彼女がいるのではと疑ったのだ。リラと私は6才の時に出会い、私は彼女の個性と才能を羨みつつも憧れ、以来ずっと友人同士だった。
 アメリカとイタリアでミリオンセラーになったそうだが、確かに面白く納得。いわゆる派手で展開の速いエンターテイメント小説ではないが、「私」とリラが成長し変化していく、2人の関係も変わっていく様にぐいぐい読まされた。大きな物語の流れというよりも、「私」の内的な変化と外的な変化の軋轢、小さな緊張感のようなものに惹かれる。「私」が自分を取り囲む物事の様々な様相に気付いていくが、リラはその触媒のような存在でもあり、一番近い他者とも言える。そしてその様相が何を意味するものだったのか、成長するにつれ気付き、解釈が変わっていく過程にはどこか痛みもある。子供時代の火花のような強烈なきらめきは消えてしまう。しかし成長する、大人になるということは、また別の世界が見えてくるということでもあるのだ。
 「私」はリラの頭の良さや文才に憧れ、何とか彼女に追いつこうとする。しかしリラは、「私」が並ぼうとするとすぐに別のレベルに移動してしまう。友人と言っても近くて遠い。どんどん美しくなるリラは、やがて「私」とは別の世界を生きるようになる。一つの感情では表しきれない、その距離感の描き方が巧みだった。





『ローガン・ラッキー』

 脚が不自由なことを理由に工事現場での仕事をクビになったジミー・ローガン(チャニング・テイタム)は、イラクで片腕を失った元兵士の弟クライド(アダム・ドライバー)と一攫千金を企む。アメリカ最大のモーターイベント、NASCARレース会場に集まった現金を強奪しようというのだ。美容師でカーマニアンの妹メリー(ライリー・キーオ)も計画に加え、爆破のプロとして服役中のジョー・バング(ダニエル・クレイグ)に協力を求める。監督はスティーブン・ソダーバーグ。
 ソダーバーグの映画監督復帰第1作。小気味良い快作で、脚本(レベッカ・ブラウン)にほれ込んだと言う話にも頷ける。想像していたよりも1ターン多い感じというか、ちょっと長すぎないかなとは思ったが、登場人物が皆生き生きとしていてとても楽しかった。俳優が活かされているなぁと嬉しくなる。テイタムにしろドライバーにしろ、二枚目のはずなのに何とも言えない情けなさ、ボンクラ感を漂わせていている。また、久しぶりにチープかつ悪そうなダニエル・クレイグを見ることが出来てうれしい。刑務所の面会室で「服・役・中・だぞ」とやるシーンが妙にツボだった。ジョーはなかなかいいキャラクターで、爆破準備中に壁に化学式を書いて説明し始める所とか、見た目に寄らず几帳面で妙に可愛い。
 ローガン一族はやることなすこと上手くいかない、不幸な星のもとに生まれているのだとクライドは悲観している。実際、ジミーは失職し別れた妻との間にいる娘ともなかなか会えなくなりそうだし、携帯は通話料延滞で止められているし、色々と詰んでいる。クライドも、兄弟内で最もタフそうなメリーも傍から見たらぱっとしない。そんな彼らが一発逆転しようと奮起するので、犯罪ではあるがついつい応援したくなる。本作の語り口も、彼らの抜けている所を見せつつも、バカにしたり断罪したりはしない。意外に優しい視線が注がれている。根っからの悪人はおらず、犯罪者であっても彼らなりのマナー、良心がある。ジミーの作った「リスト」が意外とストーリーに反映されているにはにやりとさせられた。筋が通っているのだ。
 ソダーバーグ作品はクール、知的、スタイリッシュというイメージで、当人も労働者階級という感じではない(育つ過程でお金の苦労はしていなさそう・・・)のだが、泥臭い世界、お金のなさの実感、あるいはアメリカの「地方」感を意外と上手く描くし、そこに生きる人たちへの誠実さがあるように思う。本作、泥棒という要素では『オーシャンズ11』を連想するが、どちらかというと『エリン・ブロコビッチ』寄りかな。

トラフィック [DVD]
マイケル・ダグラス
東宝ビデオ
2001-12-21


エリン・ブロコビッチ コレクターズ・エディション [DVD]
ジュリア・ロバーツ.アルバート・フィニー.アーロン・エッカート
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2007-07-25

『リプリーをまねた少年』

パトリシア・ハイスミス著、柿沼瑛子訳
いくつかの殺人をおかしながらも、パリ郊外の屋敷で妻と悠々自適に暮らしているトム・リプリー。彼の前に家出少年のフランクが現れる。フランクは実はアメリカの億万長者の二男だったが、父親を殺したと告白するのだ。トムは戸惑いつつも、少年とベルリンに旅立つ。しかし旅先でフランクが誘拐されてしまう。
シリーズ1作目から比べると、いやーお金の余裕は心の余裕なんだなーとしみじみ感じる。『太陽がいっぱい』の頃のトムだったら、むしろ自分が誘拐犯になって身代金の要求してたよね!トム、お前丸くなったな!トムとフランクの間には疑似父子とも恋人ともつかないような情愛が通ってくるが、それをトムが悪用しないあたり、やはり大人と子供という一線は弁えている。ともするとフランクに振り回されているようにも見えるあたり、新鮮だ。父親殺しの罪悪感で押しつぶされそうなフランクを、トムは立ち直らせようと尽力する。過去は忘れろ、新しい人生を生きろと説得するのだ。しかし、彼の言葉はフランクに本当の意味では届かない。フランクは自分の魂、自分の過去への忠実さ、責任を捨てることは出来ないのだ。自分自身に対する誠実さがあるとも言える。また、フランクがそういう人柄でなければ、トムが強く惹かれることもなかっただろう。この関係、『贋作』のバーナードとの関係も彷彿とさせる。トムは自分にないものを持つ人に惹かれるが、それゆえに関係は長くは続けられない。哀切、かつどこか尻切れトンボ的なラストは、トムがフランクに対して手を繋ぎきれなかった後悔、そして所詮自分にはわからない存在だという諦めをにじませるものだった。

リプリーをまねた少年 (河出文庫)
パトリシア ハイスミス
河出書房新社
2017-05-08


テリー ホワイト
文藝春秋
1991-09

『ロボット・イン・ザ・ガーデン』

デボラ・インストール著、松原葉子訳
 様々な仕事をするアンドロイドが普及した近未来のイギリス。両親を亡くして家と遺産を相続したものの無職のままのベンは、弁護士として活躍する妻エイミーを苛立たせていた。ある日ベンは、自宅の庭に古びた旧式ロボットがいるのを発見する。なぜかそのロボットを特別だと感じたベンは、彼を「タング」と名付ける。彼を修理できる作り主を探しに、タングと共に旅に出るが。
 弱気な男とロボットとの珍道中を描くロードムービー的な作品だが、タングの造形はロボットというよりも、幼い子供のそれだ。そこが可愛らしくて楽しいという人もいるだろうが、私はどうも物足りなかった。ロボットならロボット、AIとしての知性と成長を持つはずで、人間のそれとは違うからこそ面白いのに!と。著者はSF的な意図は本作に込めておらず、子供のメタファーとしてのロボットとして描いているのだろう。でもそれだったらロボット設定にしなくていいよね(笑)。当初ベンは自分自身未熟で子供の親なんてとてもとても、という感じなのだが、手間のかかるタングと共に生活することで、誰かをケアすること、心を配ることを学んでいく。本作冒頭、家庭内でのベンの振る舞いは、エイミーが出ていくのも当然だよ!というしょうもないもの。このしょうもなさ、周囲への配慮のなさが妙に生々しく説得力があった。なお、ベンとタングが日本に行くパートがあるのだが、日本人はロボット好きというのはもう定説になっているのか・・・

ロボット・イン・ザ・ガーデン (小学館文庫)
デボラ インストール
小学館
2016-06-07






『六白金星・可能性の文学 他十一篇』

織田作之助著
 何をやってもどん臭い青年・楢雄の人生を描く表題作の他、著者が戦後に発表した短編小説11篇と評論2篇を収録した岩波文庫版。
『夫婦善哉』収録作と比べると、作品単体の構成のバランスが良くなっており、『夫婦善哉』ばかりが有名なのは勿体ないことだなと改めて思った。1篇内の構成がかなり整理されるようになっている(特に『アド・バルーン』は語りの組み立てが活きていると思う)ので読みやすく、かつ独特の奇妙なグルーヴ感は保たれている。表題作をはじめ、著者の小説では主人公が一定の行動原理から抜け出さずに延々とループしていくような感覚があるのだが、それがグルーヴ感のようなものになっている。この人なんでこんなしょうもないことばっかりやっているのかと思いつつ、持って生まれた業ならもうしょうがないわという気分にもなってくる。この、そう生まれたんだからそう生きるしかない、という諦念のようなものが底辺に流れているように思う。評論『可能性の文学』では、志賀直哉(というよりも彼の文学に対するフォロワーの無批判性)に対する反抗心を表明しているが、逆に志賀の文学が文壇にいかに絶対的な影響を与えていたのかわかる。私小説的なもの、自然主義的なものが作ってしまった文学表現の一つの限界は、早い段階から指摘されていたことが垣間見える。なお本編中、著者が太宰治、坂口安吾と飲んでいる時のエピソードが披露されるのだが、「お前は何を言っておるのか」と真顔になる部分も。文士同士のわちゃわちゃに萌える方は目を通してみては。



天衣無縫 (角川文庫)
織田 作之助
KADOKAWA
2016-10-06

『楽園の世捨て人』

トーマス・リュダール著、木村由利子訳
 カナリア諸島のフエルテヴェントゥラ島。海辺に遺棄された車から、およそ三カ月の男の子の餓死死体が発見された。タクシー運転手兼ピアノ調律師のエアハートは、警察が事件をうやむやにしようとしていると知り、何かに掻き立てられるように事件の真相を調べ始める。
 舞台はカナリア諸島だが、優れた北欧ミステリに授与されるガラスの鍵賞受賞作。著者はデンマーク人で、主人公のエアハートはデンマークからスペインへの移住者なのだ。島ではどこか「よそ者」感ぬぐえないエアハートの立ち位置が、事件を探る探偵役としての視線に繋がっているように思った。しかしこの探偵役、あまりにも危なっかしい。1章に1回くらい、えっちょっと落ち着いて行動しては・・・とたしなめたくなるような突飛な行動に出る。その行動は絶対裏目に出るぞ!と読んでいて思うし実際負のスパイラルでエアハート自身にも収拾がつかなくなっているのだが、なぜそうしてしまうのか、という部分について具体的な説明はない。彼の推理や行動は、多分に「こうあってほしい」というフィルターがかかっているものだ。恋人たちには愛し合っていてほしい、母親は子供を愛しいつくしんでほしいと言うように。それは自己満足的なものでもあり、危なっかしい。彼は世捨て人のように生きているが、まだ悟りの境地には程遠く、失ったものを諦めきれず、未練たらたらなのだ。彼の未練に物語自体が引き回されているようだ。

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