3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

本・題名わ行

『われらが背きし者』

ジョン・ル・カレ著、上岡伸雄・上杉隼人訳
カリブ海のリゾートでバカンスを過ごすペリーとゲイルは、ロシア人富豪ディマにテニスに誘われる。どこか奇妙なロシア人一家に戸惑いながらも誘いに応じた2人だったが、思いもよらない事態に巻き込まれていく。イギリス人カップル視点と、彼らを「仲間」にひきこむイギリス諜報部の視点が交互に配置される構成。時制もばらばらなので最初は何が起きているのかよくわからない、ただペリーとゲイルがやっかいなことになっているらしいということだけは感じ取れる。が、徐々にことの次第と、それが予想以上にやっかい(笑)だということが明らかになっていく。素人巻き込むなよ!と突っ込みたくはなるが、ペリーはそのスリルや使命感に惹かれ、ゲイルは子供達を見捨てられずに自ら身を投じていくことになる。諜報員たちもそれぞれ、己の信じる(あるいは他に選択のしようがない)道の為に危険と背中合わせのミッションに挑む。思想も利害もたいして一致しない人たちが、徐々に一つの目的の為に心を合わせていく様、そしてそれでもそれぞれ「都合」を抱えている様が丁寧に描かれる。著者の近年の作品は文章がどんどん散文的になっているが、その文体が様々な人たちの思惑が入り乱れる本作のような物語には合っているのではないかと思った。そしてラスト、池澤夏樹が帯で「ボーゼン!」と書いているが、正にボーゼンである。しかしこのラストだよなぁと納得してしまう。


われらが背きし者
ミッション・ソング (光文社文庫)

『ワールド・ウォー・Z(上、下)』

マックス・ブルックス著、浜野アキオ訳
中国で発生したと思しき謎の伝染病。感染した人は急死した後に、ゾンビとして蘇り、生きている人間を襲い始めた。ウイルスはあっという間に世界中に蔓延。人間が安心して暮らせる土地はなくなり、人口は激減、物資も枯渇した。人類はこの危機にいかに立ち向かうのか、それとも絶滅してしまうのか。「アウトブレイク」を生き延びた人たちへのインタビュー集という形式の小説。ゾンビ+パンデミックという私が苦手な要素の組み合わせなのだが、ブラッド・ピット主演で映画化されたものが案外面白かった(というか気楽に見られた)ので、小説にも挑戦。最初は、文体がコロコロ変わって(インタビューという体なので、話者によって話し方が違うから表現としては正しいんだけど)読みにくかったのだが、慣れてくるとなかなか楽しい。徐々に、世界のどこで何が起きて、という地図が頭の中で出来上がっていく。同時に、個人の視点での限界みたいなものも垣間見えて、作品世界内の見通しの悪さが息苦しくもあった。もっとも、予想していたよりも大分人類がしぶとい(笑)んでちょっとびっくりしたけど。原作読んでみると、映画の脚本は(原作ファンには色々言われていたみたいだけど)健闘していたんだなぁと思う。原作に忠実にすると、1本のストーリーとしてまとめようがないんだよね。原作の形式で映画化しようとするとソダーバーグの『コンテイジョン』みたいになるんだろうけど、まんまネタが被っちゃうしあれより上手くやるのは難しいだろうし。



WORLD WAR Z 上 (文春文庫)

WORLD WAR Z 下 (文春文庫)

『別れの手続き 山田稔散文集』

山田稔著
題名の通り、著者の散文13編を集めた作品集。不勉強で恥ずかしいのだが、著者の作品を読むのは初めて(確認してみたら、著者の翻訳作品はいくつか読んでいた)。これがすごくよかった。客観性と冷静な観察眼があるが冷たくはなく、ユーモアがある。人間のかっこわるさを可愛げに転換させるような、他人への視線の温かみがある。表題作は母親の死にまつわる随筆なのだが、悔恨が胸に刺さる。こういう瞬間は、誰の人生にでもあるのではないだろうか。別れの手続きとはよく言ったものだなと思った。手続きがないと、やっぱりきついんだよなぁ・・・。




『鷲は飛び立った』

ジャック・ヒギンズ著、菊池光訳
名作『鷲は舞い降りた』の続編。チャーチル暗殺を図り、戦死したと思われていたドイツ落下傘部隊のシュタイナが、実は生きておりロンドン塔に幽閉されているという情報が入った。ヒムラーはシュタイナ救出を命じ、協力を要請されたIRAのデヴリンらが動き始める。イギリス側ではマンロゥ准将らがドイツ側の動きを掴み、逆に捕らえようと待ち構えていた。読み始めてからはたと気づいたのだが、私、『鷲は舞い降りた』読んでないんですよね!あまりに有名な作品なのでなんとなく読んだような気になっていた。本作は一応単独でも読める。名作の続編だから面白いんだろうな、と思いながら読んでいたらいつのまにか終わっちゃった・・・。前半3分の1くらいはドイツとイギリスのしのぎあいによる緊張感があるが、だんだん弛緩してダラっとしてしまった。書かなければよかったのに・・・とは思わないけど、メリハリに乏しくファン以外にはあまり魅力がないかも。




『笑う警官』

佐々木譲著
札幌市内のアパートで、女性巡査が殺害された。容疑者にされた津久井巡査と仕事で組んだことがある佐伯警部補は、彼が犯人とは思えず、津久井の潔白を証明しようと独自の捜査を開始する。もともとの題名は「うたう警官」だったがなぜか改題された。内容的には旧題の方が合っているのだが(「笑う~」だと北欧の名作警察小説と同名になってしまい紛らわしいし)。「うたう」とは密告することを意味する。北海道警察の腐敗告発が背景にあるのだ。この部分に関しては実際に起きた事件がモデルになっているそうで、横山秀夫作品とならんで警察という組織のいや~な部分を堪能できる。組織の閉塞感がはんぱない。そんな中で、佐伯とその仲間の孤立奮闘が、ミッションインポッシブルのようなワクワク感もあり、娯楽小説として成り立たせている。






『ワーキング・ホリデー』

坂木司著
おおキモくない!普通に読める!引きこもり探偵シリーズではその甘ったるさに辟易したが、本作はわりとからっとした、人間関係がねちこくない(笑)作品。元ヤンキーのホスト・大和の前に、かつて付き合っていた女と自分との間に生まれた息子だという小学生・進が現れる。夏休みの間、進を預かることになった大和は、ホストをやめて宅配会社でバイトをすることに。宅配の作業の流れが意外に具体的に書かれていて面白い。また、こちらが本筋なのだろうが、大和と進が親子として双方成長していく姿もほほえましかった。2人ともある程度理想的な青年・少年として書かれてはいるが、至らないところもちゃんと示されている。基本善人しか出てこない作品なので、箸休め的に読める。





『わたくし率イン歯ー。または世界』

川上未映子著
 脳がない状態の人がいたわけでもないのに何故脳で考えていると言えるのか、私を私たらしめているのは奥歯だということにする!という「わたし」が私と歯について延々としゃべくる。「わたし」が何層にもなっているのだが、あくまでも「わたし」が考えるところの「わたし」なので、外部からの視点が入るとその世界はとたんに崩壊してしまう。「わたし」を捨ててやっと解放されるのかもしれないが、「捨てよう」「解放された」と思うのも「わたし」であり、「わたし」から逃れる道などなく、息苦しさを感じる。好きな作品というわけでもないが、『乳と卵』と同じく、一箇所うわこれすっごいよくわかる!と思った箇所があり、妙に気になる作家ではある。





『われらが歌う時 (上)(下)』

リチャード・パワーズ著、高吉一郎訳
 上下巻というボリュームだが、アメリカ近代史であり、音楽の物語であり、天才の物語であり、ある家族の物語でもある。第2次大戦前後のアメリカ。ユダヤ人男性と黒人女性の間に生まれた兄弟は音楽と共に成長する。兄は天才的な「声」を持ち、弟はその伴奏者となるが。白人と黒人の間に生まれた兄弟は、白人からは黒人扱いされ、黒人からは裏切り者扱いされる(ユダヤ人である父親が他の白人からは差別されるが、黒人からはひっくるめて「白人」と見られているところが興味深い。欧米におけるユダヤ人のポジションていまひとつピンとこないんだよな・・・)。彼らの両親は新しい世界を夢見て、「人種などない」という教育を幼い兄弟に授けるが、それは却って彼らを孤立させることになる。彼らにとって人種がないものだとしても、周囲がそう見ない限り、依然として人種はあるのだ。また、両親の教育は彼らから民族という一種のアイデンティティを奪うことになり、彼らの妹はギャップに苦しみ両親を憎むようになる。さらに、彼らが学ぶ音楽は、やがてR&Bやロックやヒップホップに追いやられていくクラシック(しかも古楽に近い)だ。しかも、当時のクラシック界に黒人歌手は殆どおらず、音楽学校で学ぶことも許されなかった。正論が通らない(正確には、現代では正論であっても当時は正論として扱われない)様は読んでいてすごく苦しい。しかし一方で、兄弟のうち兄は音楽の才能によって、人種問題においても音楽のジャンル問題においても(全て成功するわけではないが)当時の「正論」の壁を突破していく。ただ、その突破の仕方は妹にとっては許せないものでもあるというところが陰影を深めているのだが。自分の出自に長らく無自覚だった兄弟と、自覚せざるをえなかった妹とのズレが悲しい。しかしそのズレが一瞬ではあるが修正され、幾重にも重なった輪が繋がるラストは美しい。



『Y』

佐藤正午著
 少しずつ時間を巻き戻せるという男がやりたかったこととは。SFプラス恋愛小説のような長編。現在と、男の手記とをいったりきたりするプロットが面白くてぐいぐい読めたが、文体は村上春樹をくどくしたみたいでちょっとなぁ。若干イラっとするのは、この男は何度やり直しても満足することがないんだろうと見えてしまうからかもしれない。なんでそんなに何もかもほしがるのかなーと不思議にも思う。その執着はどこからくるの。あと、トリュフォーを引き合いに出すのは結構勇気いると思う。一歩間違うと失笑されそうだ。このへんのベタさというか隙だらけな感じというかは、天然なのか計算なのか。

『私の男』

桜庭一樹著
 「私」と「お父さん」の物語。東京から時間を遡り全ての発端となった北の地まで。うーん、こうきましたか・・・。ここまで直球でくるとは思わなかった。しかし桜庭の(小説に出す)男の趣味はわかりやすいなぁ(笑)。本作はもろに少女漫画だと思った。タブーに触れた恋愛(ということにしておく)を扱っているという以上に、女性が自分の輪郭を作っていく、自分のよりどころを見つけるという要素が少女漫画的ではないかと。少女漫画あまり読まない人が言っても説得力ないですがイメージで。本作の場合、輪郭とかよりどころとかをお互いが相手に丸投げしているので、結局輪郭がぐたぐたになるわけだが。しかし飲み込まれる/飲み込む、輪郭がぐだぐだになるのは一種の快感ではあると思う(なのでやはり、つながりが深い「お父さん」でなくてはならない)。踏み込みたくない領域ですが。それはさておき本書のセックス描写が私の笑いのツボを刺激してくれて困った。そこ笑う所じゃない。
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