3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本・題名は行

『プルーストと過ごす夏』

アントワーヌ・コンパニョン、ジュリア・クリステヴァ他著、國分俊宏訳
プルーストの『失われた時を求めて』を、8人の筆者がそれぞれの切り口で解説する。テーマは個々の登場人物であったり、時間であったり、芸術であったりと様々。
8人はいずれもプルーストの熱心な読者で、研究書の出版や映像作品の製作を手掛けたいわば手練れだが、意外なほど読みやすく平易な書き方になっている。本作に掲載された内容は、元々、ラジオ番組(「~と過ごす夏」という教養番組シリーズがあるそうだ)の為の講演内容だそうで、間口は広く設定してある。プルーストというとどうも敷居が高いし、そもそも『失われた時を求めて』を完読したわけでもないし・・・としり込みしていたが、本作はむしろまだ読んでいないけどちょっと興味があるという人、今読んでいる途中だという人にお勧めしたくなる。『失われた~』の研究、批評というよりも、この作品にはこういう魅力がありますよ、プルーストはこういう意図を込めているんですよというナビゲーションとして機能している。私は『失われた~』は光文社古典新訳文庫で読んでいる為に、まだ読みかけなのだが、早く続きを読みたくなった。プルーストがちょっと身近に感じられる。特にプルーストの読書についての言及は、深く納得がいくもの。彼は読者、鑑賞者としても優れていたんだろうなとわかるのだ。

プルーストと過ごす夏
アントワーヌ・コンパニョン
光文社
2017-02-16


『羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季』

ジェイムズ・リー・バンクス著、濱野大道訳
 イギリス湖水地方で600年以上続く羊飼い一族に生まれ、。オックスフォード大学を卒業後、家業を継いだ著者。1年を通した羊飼いの仕事、伝統的な飼育法と現代のテクノロジーとの兼ね合い、そして湖水地方の四季を語る1冊。
 湖水地方というと美しい自然、伝統的な生活というイメージで見てしまう。でも現地で実際に「伝統的な生活」をしている人からすると、外野が何自然保護とか言ってるんだよ!って話なんだよなぁ。著者の言葉からは、代々の住民の暮らしの場としての湖水地方と、ツーリストにとっての湖水地方のギャップが見えてくる。そこで暮らす人にとっての自然保護と、国や自然保護団体にとっての自然保護は必ずしも一致しないのだ。ツーリストたちが湖水地方を自分たちが発見したもののように扱うのは、元々住んでいる人にとってはやはり奇妙なものだろう。
 著者は幼い頃から羊飼いになるつもりで、学校も途中でドロップアウトした。しかし祖父の引退により父親との関係がぎくしゃくしはじめたことがきっかけで、文学の世界に興味を持ち、オックスフォード大学に進学(学校への不適応や文字を書くことの困難さへの言及からすると、多少発達障害的な部分のある人なのかなという気もする)したという紆余曲折のあるキャリアを経ている。本作、羊飼いの仕事や湖水地方の自然の描写はもちろん面白いのだが、著者と祖父、父親との関係を追う、ビルドゥクスロマンとしての側面もある。祖父という絶対的な親愛と尊敬の対象がいたことで、父親との関係が更に拗れていくのがわかるし、著者本人にもその自覚がある。文学という(家族とは共有しない)自分の世界が出来たこと、進学により一旦家業と距離を置いたことで関係が修復されていくというのは、親子関係のあり方として何かわかる気がする。どこかの時点で自分の核を作るスペースが必要なんだろうなと。

羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季
ジェイムズ リーバンクス
早川書房
2017-01-24






『プラージュ』

誉田哲也著
 たった一度、魔が差したせいで薬物に手を出し、仕事も住む場所も失った元サラリーマンの貴生。怪しい不動産屋から紹介されたのは、「プラージュ」というシェアハウスだった。住人達は皆個性が強く、貴生同様に訳ありらしい。家主の潤子が1階で営むカフェを手伝いつつ、人生をやりなおそうとする貴生だが。
 貴生視点のパートが比較的多いものの、プラージュの住人達それぞれの視点が入れ替わる群像劇と言った方がいいかもしれない。その視点変更する構成を使ったミステリも仕込んであるのだが、これは正直中途半端かなぁ・・・。こういう仕掛けがあった方がよかろうと、無理矢理ねじ込んだ感じがする。やるならもっと徹底してやってほしい。住民の中では貴生が一番アクがなく、良くも悪くも普通の人なのだが、こういう人でも何かの歯車がずれると、人生とんでもないことになってしまうという生々しさはある。誰にでも起こりうることなのだ。そして、人生のレールは一度外れると軌道修正するのは至難の業であり、過去の過ちはレッテルとしてずっと剥がれない。だから脛に傷持つ人に対してもう少しフラットな姿勢があってもいいのではという希望、とは言えやってしまったことはなかったことにならない、その上でどうやりなおしていくのかだという決意がシェアハウスを支えている。ただ、この希望と決意の物語化がわりと典型的なので、あまり深みのある味わいにはなっていない。さらっと読むように書いたのかなという雰囲気。ドラマ化されたそうだが、そのさほど深くはない所がアレンジしやすくて映像化素材に向いているのかも

プラージュ (幻冬舎文庫)
誉田 哲也
幻冬舎
2017-06-28


豆の上で眠る (新潮文庫)
湊 かなえ
新潮社
2017-06-28

『本屋さんのダイアナ』

柚木麻子著
 ギャンブラーだったという父親に付けられた「大穴(ダイアナ)」という名前がコンプレックスとなっていた少女は、同級生の彩子に『赤毛のアン』に出てくる「腹心の友」の名前だと言われた。育った環境も見た目も正反対な2人は、本がきっかけで親友になる。
 2人の少女が小学生から中学生、高校生になりやがて大人になっていく過程を描く成長物語。2人とも読書が大好きで、様々な本の題名が登場するところが楽しい。生きていく中でなぜ本、ことに小説が必要なのかということが描かれており、読書好きは共感するのでは(作中作があんまりおもしろくなさそうなのが難点なのだが・・・)。この切実さは、分からない人にはずっとわからない(そしてその方が生きやすい)のかもしれないけど・・・。
 ダイアナは洗練され知的な彩子とその両親を素敵だと思い憧れるが、彩子は彩子で型破りなダイアナと母親の自由さ(と彩子には見える)に憧れる。ダイアナも彩子も実は美形で、それぞれの親にはそれぞれ違った良さと難点があることが読者には徐々にわかってくるのだが、2人にはそれは見えていない。2人はあることがきっかけで絶縁状態になってしまうが、その原因もまたお互いにお互いのある部分が見えていなかったことによるものだと思う。しかし、そうであっても友情があったことには変わりはなく、時間を経ても、よみがえるものもある。2人の仲立ちをするのがやはり本だという所がにくい。なお、ダイアナも彩子も成長するにつれ、様々な問題、トラブルに直面していく。特に彩子が直面するものが、彼女が女性だから生じる(彼女に責任があるわけではなく、女性だからいけないということでもない)ものだというのが辛い。彩子は聡明でしっかりした人のはずなのに、そういう人でも世間がこうだと思い込んでいる「女性」としての立ち居振る舞いに準じてしまうものなのかと。そういうものから自由になる手がかりとなるのもまた、友人であり本であるのだ。


赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ〈1〉 (新潮文庫)
ルーシー・モード・モンゴメリ
新潮社
2008-02-26



『ホリデー・イン』

坂木司著
元ヤンでホストの沖田大和と突然彼の前に現れた小学生の息子・進。彼の出現により宅配便会社で働くようになった大和と進の生活を描く『ワーキング・ホリデー』シリーズから、スピンオフの短編集。これまでの作品で登場した脇役たちが主役を務める。
スピンオフといっても、本編を読んだのが大分前なので誰が誰だったか記憶があやふや・・・。読んでいるうちに、そういえばこんな人いたな、こういう人だったなと思いだし始めた。著者の作品は基本的に人に対する優しさ、信頼があるので、ちょっと難ありだったり冷たい面がある人でも、その裏にはこんなものがあるんだよとどの短編でもそっと提示してくる。さらっと読める、というかさほど読み応えはないのでファンに対してのおまけ的な短編集か。とはいえ、進が大和を訪ねていった経緯の話などは、母親の対応含めちょっといい。改札からは出ないとか、ちょっとした拘りに説得力がある。

ホリデー・イン (文春文庫)
坂木 司
文藝春秋
2017-04-07





ワーキング・ホリデー (文春文庫)


『バルコニーの男 刑事マルティン・ベック』

マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー著、柳沢由実子訳
ストックホルム中央の公園で、暴行され下着を奪われた少女の死体が発見された。彼女は前年、不審な男に話しかけられたことを警察で証言していた。その2日後、別の公園でまた少女の死体が発見される。果たして連続殺人なのか?公園で多発している強盗事件と関係はあるのか?刑事マルティン・ベックらは事件に取り組むが、手がかりは乏しく捜査は行き詰っていく。
角川文庫は、マルティン・ベックシリーズを新たに全巻発行する予定なのかな?だとしたらうれしいなー。本作はシリーズ4作目。スウェーデンの元祖警察小説、警察小説の金字塔と言われるだけのことはあり、安定した面白さがある。警察の捜査に焦点を当てた作品なので、いわゆるどんでん返しミステリ的な派手さはないのだが、地道な捜査の中で点と点がつながる瞬間や、「仕事」としての捜査のしんどさや刑事たちの人間模様等、地味ながら読ませる。慢性的な人員不足で全員疲労困憊というところには、先日読んだ『フロスト始末』(これはイギリスの話だけど)を思い出した。どこの国でも警察は大変だ・・・。また犯人がやったことは到底許されることではないのだが、本作の犯人の描写を読んでいると何だか悲しくなってきた。ここに至るまでに(特に現代であれば。本作は60年代の話だから)何か軌道修正することができたんではないかと。こういう人が行き着く先って、これしかないんだろうかとやりきれなくなる。なお、殺人犯対する恐怖から市民が自警団を結成して怪しげな人物を買ってに取り締まることに、ベックは強い憤りを見せる。ここに警官としての責任感と、司法国家とはどういうことかという自覚が見えた。

バルコニーの男 刑事マルティン・ベック (角川文庫)

マイ・シューヴァル
KADOKAWA
2017-03-25


刑事マルティン・ベックロセアンナ (角川文庫)
マイ・シューヴァル
KADOKAWA/角川書店
2014-09-25

『ブラインド・マッサージ』

畢飛宇著、飯塚容訳
 南京の「沙宗琪マッサージセンター」は、親友同士の沙復明と張宗琪が共同出資して開いたマッサージ店。2人の店長も他のマッサージ師たちも盲目で、店の中では盲人の社会がつくられていた。ある日、沙復明のかつての同級生・王が恋人・小孔を連れ職を求めてやってきた。王は株で失敗して開業資金を失い、小孔は恋人の存在を家族に言えず、駆け落ち同然だった。
 私は本作を原作にしたロウ・イエ監督の同名映画(とてもいい)を先に見ていたので、映画はここのアレンジを変えていたのかとか、実際はこのパートが結構長かったのか等、映画と比較しながら読んだのだが、本作自体がとてもいい小説だ。盲人の世界の描写の細やかさ、彼らの形成している「社会」のあり方は小説の方がよりくっきりと立ち上がってくる。マッサージ師たちの間での感情のベクトル、微妙なパワーバランスの危うさは、限定された人間関係の中では起こりがちなもので、温かみがあると同時に人間関係の狭さと偏狭さによる息苦しさを感じる。人間関係の厄介さ、羨望や嫉妬はどこの国であれどんな人であれ同じなのだ。映画と同様に強く印象を残したのは、王の弟の借金を巡る振る舞い。長男の難儀さがのしかかってくる。また、この騒動にけりをつける行動がとんでもないのだが、それが彼の誇りによるものだという所に、彼が今まで何を我慢して何を支えに生きてきたのかが露わになり痛切だ。一人の人間としての誇りであり、盲人としての誇りでもある。本作は、登場人物それぞれの「訳あり」な部分や狡猾さや衝動を描く一方で、それぞれの誇りにも度々言及する。人は何に依って立つのかという部分がそこから垣間見えるのだ。それにしても借金騒動の顛末、これで王は少し自由になれたのではとも思えるが、弟がけろっとしている所がまた腹立つんだよなー。どこの世界にも無自覚なクズっているよな・・・。


かつては岸 (エクス・リブリス)
ポール ユーン
白水社
2014-06-25



『フロスト始末(上、下)』

R・D・ウィングフィールド著、芹澤恵訳
 相変わらず人手不足であえぐデントン署。フロスト警部は少女の失踪事件、強姦事件、スーパーマーケットへの脅迫事件にバラバラ死体と、厄介な事件を次々と背負いこんでいた。一方、マレット署長は新たに着任したスキナー主任警部と組み、フロストを他所の署に移動させ厄介払いしようと画策していた。
 上下巻のボリュームだが滅法面白く、特に下巻に入ると一気に読みきってしまった。著者の急逝により、シリーズ最終作となった本作。フロスト警部は相変わらず下品だしだらしないしセクハラ発言は多いし、経費の水増し請求がバレて大変なことになる。ぱっと見ダメ人間的な振舞だが、実際の所仕事熱心で、ぼやきつつも大変なハードワーカー(むしろワーカホリックの傾向が強い)であるのも相変わらずだ。欠点が多い割に部下や同僚からは愛されているっぽいのは、彼には(マレットやスキナーと異なり)部下を思いやり彼らに対する責任は負うという姿勢があり、何より警官としての矜持を持ち続けているからだろう。例え周囲が自分のミスを責めなくても、警官である自分が自分のことを許せない、だから踏ん張り続けるのだという筋の通し方にはやはりぐっとくる。今回、フロスト警部は少々センチメンタルで、亡くなった妻のことを何度も回想する。フロスト夫妻の心が離れていく過程は、ありがちな話ではあるのだがだからこそやるせない。対称的にデントン署が今回抱える事件は陰惨な色が濃く、やりきれない展開も。ことなかれ主義で事件の現場に関してはわれ関せずのマレットですら、絶句するような事態も起きる。泥沼状態の中であがき続けるフロスト警部とデントン署の面々の奮闘にエールを送りたくなる。続きがもう読めないというのは寂しい限り。

フロスト始末〈上〉 (創元推理文庫)
R・D・ウィングフィールド
東京創元社
2017-06-30

フロスト始末〈下〉 (創元推理文庫)
R・D・ウィングフィールド
東京創元社
2017-06-30

『バッドエンドの誘惑 なぜ人は厭な映画を観たいと思うのか』

真魚八重子著
 世の中にはいわゆる「バッドエンド」、後味の悪い映画がたくさんある。後味の悪さも千差万別。その「厭さ」を分類し何が厭さをかきたて、同時になぜ人は厭な映画を観てしまう、あまつさえそれに癒されることすらあるのか読み解く映画評集。
 厭映画の分類の仕方に納得の技がある。そしてこまかいセクションの名称がパワーワードの連打で痺れる。第一章「バッドエンドの誘惑」内には「神は人の上に人を作った」、「絶望の長さ」、「報いなし」と飛ばしてくるし、更に国別厭な映画集(映画ファンなら予想の付く人もいるだろうが、厭映画充実度はデンマークがぶっちぎりである。北欧映画の厭さは一味違うぜ・・・)、第三章「女と子供」では、あの映画しかないだろう!という「幼女の嘘で村八分」、厭映画の定番とも言うべき「こども受難映画」等、てらいのない盛りの良さ。厭さでお腹いっぱいである。とは言え、紹介されている映画の半分近くを見ていることがわかったので、私は多分バッドエンドが嫌いではないし、厭な映画でないとカバーできない心の傷、というと大げさだけど陰りみたいなものってあるんだろうなと実感した。本著、その映画の何がどう「厭」なのか、その「厭」さの背景には何があるのかということに焦点を置いて丁寧に読み解いており、大変面白かった。読み手に対して過剰に立ち入らないが寄り添う感じの距離感が保たれており、真摯さがあると思う。

『バンディーニ家よ、春を待て』

ジョン・ファンテ著、栗原俊秀訳
 イタリア系移民のスヴェーヴォ・バンディーニとその妻マリア、14歳のアルトゥーロ、12歳のアウグスト、8歳のフェデリーコという3人の息子から成るバンディーニ家。一冬の家族の姿を描く、著者の自伝的小説。
 主にスヴェーヴォ、マリア、アルトゥーロの視線から語られるが、3人とも気分の浮き沈みが激しく、ちょっと痙攣しているような文体だ。特にスヴェーヴォとアルトゥーロは良くも悪くも、熱狂的な所があり、エネルギーに満ち溢れており騒がしい。また、3人とも視野が広いとは言い難い人たちなので、その世界の狭さが息苦しかった。経済的に困窮しているという息苦しさと、夫婦関係、家族関係に行き詰っている息苦しさが入り混じっているのだが、そのどちらもこれ以外に生きる方法を知らない、ここ以外にどこも知らないというどん詰まり感により拍車をかけられているように思った。スヴェーヴォのキャラクターは強烈だ。煉瓦工事職人としての矜持はあるが、怒りっぽくて計画性がなく、父親としても夫としてもおおよそ役に立ちそうもない。しかしそんな彼をマリアは愛し、アルトゥーロは誇りに思っている。彼の「男らしさ」は彼自身の首を絞めることになりかねないのだが、妻にとっては執着の対象、息子にとっては憧れなのだ。それが何だかやりきれなかった。スヴェーヴォには良き夫・良き父であろうという意欲はあるのだが、毎回自分で台無しにしてしまう。無学であることへのコンプレックスと労働者としての誇り、イタリア移民であることへの引け目と自分の民族に対する誇りが彼の中でせめぎあっており、それが時に爆発する。彼自身が、何で自分が爆発するのか、自分の中のせめぎ合いが何なのかよくわかってないのだろう。全編、彼(だけでなくマリアやアルトゥーロ)の苛立ちと怒りが根底に流れているように思った。

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