3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本・題名は行

『増補 普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』

クリストファー・R・ブラウニング著、谷喬夫訳
 一般市民を中心に編成された第101警察予備大隊。狂信的な反ユダヤ主義者というわけでもなく、ナチスによる教育を受けてきたわけでもない彼らは、ポーランドで約38,000人のユダヤ人を殺害、45,000人以上を強制移送した。ごく普通の人たちになぜそんなことが可能だったのか。限られた資料や証言から当時の実態を描き出し、大量殺戮のメカニズムを考察する。初版出版から25年後に加筆された増補分(研究対象を同じくするゴールドハーゲンの著作への反論)を加えた決定版。
 ホロコーストの加害者側の証言を収集し当時のドイツ軍内部の様子、いわゆるエリート軍人以外の軍従事者はどのような精神状態だったのか垣間見え興味深い。残された資料や証言、増補分ではポーランドで撮影された写真をひも解き、地道に情報をすくい上げていく。
 101予備大隊は元々軍人ではない、職人や商人などごく一般的な市井の人々から構成された隊で、世代的に(ナチス台頭の前に生まれた世代なので)ナチスによる教育を受けておらず、必ずしも熱烈な愛国心は反ユダヤ主義に駆られていたわけでもないという指摘がされている。ユダヤ人、特に女性や子供、老人を殺すことに強い抵抗を感じた人も少なくなかった。そういった抵抗を感じつつも大量のユダヤ人を収容所に送り、殺すことが出来てしまったという点が、非常に恐ろしい。ユダヤ人狩り、殺害方法がだんだんシステマティックになり、人間対人間という意識が薄れていく(自分がトリガーを引かずに済む、殺害現場を目撃しなくて済むとこの傾向はどんどん強まる)と殺害に抵抗を感じなくなっていき、習慣化していく。人間の慣れも、見たくないものは見ないようになる傾向も、実に恐ろしい。何でも日常に回収していく性質は人間の強さでもあるが、本件の場合は最悪の形で発揮されてしまったわけだ。
 また、大隊は男性のみで構成されていたようだが、「殺しに怯える弱い男」とみなされることを恐れ、周囲との同化の為に殺す、同化が強まると更に殺害に対して抵抗がなくなっていくという「空気を読む」ことによる罪悪感や抵抗感の希薄化も指摘される。101大隊の派遣先が海外で、隊からはずれると言葉も通じず行く場所もないというロケーションも、この傾向を強めたようだ。男らしさの呪縛はほんとろくなことにならないな・・・。
 ともあれ、101大隊の置かれた条件をひとつずつ見ていくと、どこの国、どの社会、どの層においてもこういうことは起こりうるだろうと思える。人間、自分の倫理観、善良さを過信してはいけないのだな・・・。こういうことが私たちは出来てしまう、その性質を利用しようとする者もいるということを、肝に銘じておかなくては・・・。内容が内容なのでなかなか読むのが辛かった。人間の負の可能性を目の当たりにし、暗欝とした気分になる。

『パピヨン(上下)』

アンリ・シャリエール著、平井啓之訳
 1931年、殺人罪で捕まったやくざ者パピヨンは無期懲役を言い渡され、仏領ギアナの島にある流刑地に送られる。彼は自由への執念を燃やし、難攻不落と言われる監獄から仲間と共に何度も脱出を試みる。
 こんなに何度も脱獄してたのか!有名映画の原作である本作、映画を見た限りではそんなに何度も場所を変えて脱獄していなかったと思うんだけど・・・びっくりしました。著者の自伝という本作、シャリエールがやくざ者で収監・脱走したのは事実のようだが、一人称による語りでどこまで事実なのかは(無実の罪だという主張からして)眉つばだろう。脱走先でパピヨンが出あう人達は皆彼に好意的で無実の罪を疑わないし、彼の精神は高潔なものとして描かれている。ちょっと出来過ぎなのだ。
 とは言え本作、とても面白い。小説として構成や文章が達者、テクニカルというわけではないのだが、刑務所内の様子や生活の臨場感あふれる描写、個性豊かな囚人たちの描写等、実体感がありとても生き生きとしている。刑務所内のローカルルールみたいなものや、囚人間で何が尊敬される要素になるのか等、ある社会のあり方を眺めているような面白さがある。パピヨンが本当に無実かどうかはともかく、脱出に何度も挑戦する不屈の精神、心身ともにタフな様は本当に尊敬されそうだ。極端に不自由な状況下で自由を諦めないということ自体が尊敬の対象になるのだ。
 なお、現代の基準では差別用語にあたるような言葉や、エキゾチズムに過ぎる部分もある。インディオたちとの生活は、もろに「文明人のように汚れていない純真な蛮族」的視線で書かれておりちょっと厳しかった。時代の限界を感じる。ただ、書かれた時代を考えると人種差別的な物言いは、少なくとも囚人同士では少ないように思う。境遇が同じという意識があると、人種的な意識はフラットになってくるのか。

パピヨン 上 (河出文庫)
アンリ・シャリエール
河出書房新社
2019-04-19






パピヨン 下 (河出文庫)
アンリ・シャリエール
河出書房新社
2019-04-19

『82年生まれ、キム・ジヨン』

チョ・ナムジュ著、斎藤真理子訳
2015年、結婚して子供も生まれ、子育て中のキム・ジヨンは、急に妙な言動を取るようになる。義母や友人等周囲の女性たちそっくりの振る舞いをするのだ。冗談だと思った夫デヒョンだが、そうではないらしいことに気づき、ジヨンを精神科につれていく。
精神科医が聞き取ったレポートという形式で、キム・ジヨンという女性が1982年に生まれてから2015年に至るまでを綴った小説。なにしろレポート形式なので小説というよりは女性のライフイベントにつきものな諸々の出来事の事例集のようなのだ。しかし、事例集に見えるということは、本作に描かれているようなことが実際によくあることとして強い説得力を持っているということだろう。キム・ジヨンは私よりも一世代若いといってもいいくらいなのだが、むしろ一世代昔の話のようだった。韓国ではそうだということなのか、国に関係なく周囲の文化や所属している集団によっての差異なのかは何とも言えないが、90年代、00年代でこれなの?と大分げんなりする。男児は女児よりも優先され、頑張って大学を出て就職しバリバリ働いても男性の方が優先的に評価される。結婚したら夫とその両親に仕え子供が産まれたら更に子供の世話も。仕事は辞めざるを得ず、かといって家事や育児が対外的に評価されるわけでもなく「無職」として扱われる。まあうんざりである。
デヒョンはジヨンに対して協力的ではあるのだが、ジヨンにとって仕事をやめるというのがどういうことなのか、家事・育児以外の世界と切り離されるのがどういうことなのか、全くぴんときていない。ジヨンのカウンセリングをする精神科医は、自身の妻もジヨンと同じような経験をしており「特に子供を持つ女性として生きるとはどんなことかを知っていた」という。しかしそれでも「知っていた」気になっているという程度で、同僚女性が同じような経緯で退職を余儀なくされても傍観している。症例として興味深く思っていても所詮他人事という本音が垣間見えてしまう。女性にとっては「あるある」でも男性にとっては視界に入ってこなかったことなのだと痛感する。女性が読めば自分だけのことではないという共感、連帯の契機になるだろうが、むしろ男性に読んでほしい作品ではないか。
ジヨンが自分よりも弟が大事にされていることを自分の中で理屈をつけて無理やり納得していく所や、仕事でいくら頑張ってもガラスの天井につきあたること、それは社会構造のせいなのに努力の足りなさのせいにされて途方に暮れていくところなど、胸が痛くなる。ジヨンが周囲の女性たちになりかわったように振る舞うのは、彼女らが不条理な仕打ちにより繋がっていることのように思える。本当はそんな連帯、ないほうがいいんだろうけど。

『ピクニック・アット・ハンギングロック』

ジョーン・リンジー著、井上里訳
 寄宿学校・アップルヤード学院の生徒たちは、ハンギングロックへピクニックへ出かけた。しかし巨礫を見に出かけた4人の少女と、彼女らとは別行動していた教師1人が行方不明になってしまう。必死の捜索が行われたものの手掛かりは得られず、事件は迷宮入りに。事件の噂は広まり、以来、学院では歯車が狂い始める。
 舞台は1900年のオーストラリア。いかにも良家の子女が通っている風の箱庭的なアップルヤード学院の世界と、だだっ広く人間を拒むような土地・風土の独特さが強いコントラストを生んでおり、不思議な雰囲気。これがたとえばヨーロッパを舞台にしていたら、全然違う雰囲気だったろう。人がいきなりいなくなっても不思議ではない、人間の入る隙がない感じなのだ。
 少女たちだけの世界は閉鎖的、箱庭的な親密さがあり、そこが魅力だと感じる人もいるだろう。箱庭は徐々に崩壊し、学院の人たちは外の世界にさらされていく。生徒からも教師からも今一つうとまれている学院長が、頻繁に亡き夫のことを思い出すのがなんだか切なかった。彼女にとっては夫といた時間こそ箱庭的な安心しているられる場所だったのではないかと。
 中心的な、美しく聡明な少女たちがいなくなったことで美しい小さな世界は終わりを迎える。崩壊のイメージもまた美しいかもしれないが、姿が美しい少女は心も美しく聡明で、見た目がぱっとしない少女は中身もぱっとせず人柄にも愛すべき部分が少ないという描写は、見た目偏重すぎて少々辟易した。なお百合の文脈で語られがちな作品だと思うが、貴族の青年マイケルと、彼の叔父の御者であるアルバートとの関係は微妙にBL感が・・・。この2人も少女たちの失踪に影響を受けるが、「崩壊」には至らず、むしろそれまでの身分や立場から自由になっていくという所が面白い。



『パパは奮闘中!』

妻のローラと2人の子供と暮らしているオリヴィエ(ロマン・デュリス)。しかし突然ローラが家を出ていってしまう。慣れない子育てで右往左往するオリヴィエ。一方、勤務先の大型倉庫でも従業員が突然解雇され、しかし労働組合運動は盛り上がらない等と悩みが尽きなかった。監督・脚本はギヨーム・セネズ。
題名は親子もの、シングルファーザーを中心とした『クレイマー・クレイマー』的な話を連想させるし、実際そういう要素が大きい。しかし家族の話だけではなく、オリヴィエが働く環境の雇用の不安定さや、その中で労働組合運動を続けることの難しさや無力感など、労働の話が占める割合も大きい。そして仕事と家庭は地続きで、切り離して考えられることではないのだと。生活全体の中で生じうる諸々の問題が含まれているのだ。
冒頭からオリヴィエの仕事仲間が解雇通告された後の展開がやりきれない。更に、不当な仕打ちだと会社を訴えようとしても、解雇を恐れて皆労働組合と関わりたがらず、連帯もままならないという描写が辛い。どこの国でも、大企業(オリヴィエの職場はアマゾンの倉庫っぽい所)によって働く者同士が分断されているのだろうかと陰鬱な気持ちになる。現場のリーダーであるオリヴィエは管理サイドと現場との板挟みに悩む。「権限を持ちたくない」というのは現代の職場ならではかもしれない。権限を持つということは、同僚たちを切り捨てなければならないかもしれないということだ。彼の躊躇を甘えとは言えない。自分の良心、倫理に反せず働き続けるのがなんでこんなに難しくなったのか。
しかし、仕事に打ち込み労働組合活動に打ち込みしていれば、家族にかける時間も気遣いも減っていく。オリヴィエは決してダメ夫・ダメ父というわけではないのだが、仕事にかまけてローラの変調を見逃してしまうし、いざローラがいなくなると子供たちに何を食べさせればいいのか、何を着せればいいのかもわからない。子供のケアは妻にまかせっきりだったことが露呈するのだ。家事や育児の重要さはわかっていても、外での「仕事」と比べて軽く見ている向きがあったのだろう。妹に対する心ない言葉からも、自分の働き方と異なる「仕事」を侮っている面が見え隠れする。家事も育児も演劇も、オリヴィエがやっていることとは違うが「仕事」に変わりはないのに。ローラも多分、オリヴィエのこういう無意識の態度に傷ついたのだろう。オリヴィエ本人も、徐々にそのことに気付いていく。
仕事にしろ家庭にしろ、生活のありようは常に変わり続け、仕事へのスタンスも家族との関係もその都度調整していくものだということが、描かれているように思った。オリヴィエは完璧ではないのだが、子供たちとローラのことを話し合い、最初は拒んでいた親子カウンセリングも受けるようになる。外側に開かれていく感じが面白かった。変なプライドに拘らない方が自分も家族も楽になるのではないだろうか。

『はじめてのアメリカ音楽史』

ジェームス・M・バーダーマン、里中哲彦著
 ブルーズ、ジャズ、ソウルからロックンロール、ヒップホップへ。ルーツミュージックから今現在活躍するアーティストまで、アメリカにおけるポピュラーミュージックの歴史を対談形式で解説する。
 アメリカ発の音楽を聞いてはいるが、どういう流れで現在に辿りついたのか、そもそもどういうジャンルがあって、ブルーズにしろカントリーにしろどの辺が発祥の地でどう発展してきたのか、具体的にどういうミュージシャンが代表的なのか、恥ずかしながらぼんやりとしか知らなかった。ルーツミュージックとは具体的にどのあたりを指すのかなと興味が出て、本著を手に取って見た。本著は私のような初心者にとっての入門編としてちょうどいいと思う。題名に堂々と「はじめての」と付けているだけのことはあり、アメリカのポピュラーミュージックは嫌いじゃないけど、そんなに詳しくない人向け。音楽と地域性との関連の重要性、特にアメリカ音楽を考える上で南部は非常に重要な地域だということがよくわかる。また個人的には、エルヴィス・プレスリーの何がそんなに偉大なのか、ようやく腑に落ちたという所が大きい。声がいいとかステージパフォーマンスが画期的とか、そういうことだけじゃなかったんだな。
 とりあえず主なジャンルをざっとさらい、音楽がどのような変遷を経てきたか紹介するという感じなので、逆に音楽に詳しい人には言わずもがなで、大分物足りない内容だろうし、ここは解釈が違うなという部分も出てくるのではないか。

はじめてのアメリカ音楽史 (ちくま新書)
ジェームス・M・バーダマン
筑摩書房
2018-12-06




『バッタを倒しにアフリカへ』

前野ウルド浩太郎著
 大学院で昆虫の研究をしていた著者は、アフリカのモーリタニアでサバクトビバッタの研究に従事することを決意。バッタの大発生がしばしば起きるアフリカでは、農作物を守る為にバッタの防除技術開発は死活問題なのだ。意気込んで研究所での生活を始めたものの、想像しなかった諸々のトラブルに遭遇することになる。
 評判通り、大変面白かった。なにしろ「まえがき」の時点で既に面白い。著者の研究対象および研究だけでなく、著者本人がユニーク、かつ文才のある人だ。発信力が高いとでも言えばいいのか、どう伝えれば面白いのか、興味を持ってもらえるのかという部分の発想・行動力と技術のある人なのだと思う。よい編集者との出会いにも恵まれてこの文章力が培われてきたことも、内容から窺える。
 研究者の就職口の少なさと研究予算確保の厳しさが全編通してひしひしと伝わってくる。これが研究職のリアルか・・・。著者が同級生たちの現在を見て落ち込む所など、自分が研究職でなくても身につまされる。そこから粘りに粘って自分のポストを確保する著者の逞しさと運の強さ!人柄と熱意が運を引き寄せるということもあるんだろうな。もちろん研究者としての資質が大前提で、豊かではない研究環境の中で著者の研究者としての観察力や実験ノウハウがどんどん高くなっていく様も面白い。研究者としてのゾーンに入った瞬間みたいなものがあるのかも。モーリタニアの研究所で彼を支えるアシスタントや所長の人柄も魅力。人にも恵まれている!特に所長のバッタ対策にかける情熱と覚悟に打たれた。「バッタを倒しに」というのは全く大げさではなく、現地の人たちの生命が掛かっている問題なのだ。
バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)
前野ウルド浩太郎
光文社
2017-05-17




『プロジェクト・シャーロック 年間日本SF傑作選』

大森望・日下三蔵編
 2017年の日本SF短編を選りすぐったアンソロジー。第9回創元SF短編賞受賞作である八島游舷「天駆せよ法勝寺」とその選評も収録された。
「天駆せよ法勝寺」の評判は各所で目にしていたが、確かにユニーク。仏教という要素をSFに持ち込んだらどうなるか、というアイディアがアイディア倒れに終わっておらず、SF的展開とがっちり組みあっている。これは果たして真顔で読むものなのか?という気もするが、ある場面で市川春子の漫画『宝石の国』に出てくる月人を連想した。ビジュアルを見て見たくなる作品。
 表題作は別のアンソロジーで読んだことがあったが、SF要素と本格ミステリ要素のバランスが取れている良作。個人的に気に入ったのは、彩瀬まる「山の同窓会」、酉島伝法「彗星狩り」、山尾悠子「親水性について」。「山の同窓会」は、ある生態系のシステムをそこからはみ出す存在も含めて、どこか寂しい情感で描く。私はこういう生態系の中では生きたくないけど、別ルールの世界を見せるSFならではの面白さがある。水気が多そうで有機的な「山の~」に対して硬質な別生態系を描く「彗星狩り」もイメージ豊かでユニーク。この生き物が生活するならこういう感じになるだろう、という世界の構築の仕方がやはり強い。そして「親水性について」はイメージが積み重なる夢の中のような世界。岡上淑子のコラージュ作品を思わせる危うい美しさ。世界の終りの気配がする。


『ブルーバード、ブルーバード』

アッティカ・ロック著、高山真由美訳
 テキサス州の田舎町。沼地で黒人男性弁護士の死体が発見された。次いでカフェの裏手で地元の白人女性の死体が発見される。停職処分中の黒人テキサス・レンジャー、ダレンはFBIの友人に頼まれ、探りを入れる為に現地へ向かうが。
 テキサスという土地の風土、文化が色濃く表れている。人種差別のきつい(KKK的な組織が現役で活躍中)地域であることが事件の見え方にも大きく影響しているのだ。一時代前の話かと思ったらばっちり現代の話でショックというかげんなりするというか・・・。都会育ちの被害者の妻が、現地の微妙な空気感や一触即発な状況にぴんときていないというのも無理はない。こういう土地で黒人として生まれ育つというのがどういうことなのか、外側からは黒人同士でも実感できない部分があるのだ。そういう意味では、本作はある土地に生まれつき、そこから離れられない人たちの業のようなもので出来ているようにも思った。ダレンと妻の間の溝、また被害者であるマイケルとその妻ランディの間の溝は、この故郷に対する思い入れへのギャップからも生まれている。
 男女の惹かれあう様、すれ違う様が、(解説でも言及されているように)何度も反復・呼応していく構成の妙があった。最初はストーリーの進め方がちょっとかったるく、ダレンの行動を見る限りではあまりレンジャー向きな人ではないのでは?と思ったのだが、だんだんそのかったるさというか、事件の芯が見えているようでなかなか近付けない所が本作の肝なのだとわかってくる。起こったこと自体は単純なのだが、主に風土に根差すフィルターでややこしく見えてしまうのだ。ダレンがレンジャー向きとは思えないのにレンジャーとして生きていくというのも、風土の中で培われた価値観に動かされた面が少なからずあると思う。それだけに、最後の1章はあまりに皮肉だ。


黒き水のうねり (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アッティカ・ロック
早川書房
2011-02-28



 

『ブルックリンの少女』

ギョーム・ミュッソ著、吉田恒雄訳
小説家のラファエルは、恋人アンナとの結婚を控えていた。過去をひた隠しにするアンナに詰めよると、彼女は衝撃的な写真を提示し、「私がやったこと」だと言う。動揺するラファエルを置いて彼女は立ち去るが、そのまま失踪してしまう。ラファエルは元刑事マルクの助けを借りて彼女の行方を追うが、かつて起きた連続誘拐事件や不審な事故が浮上する。アンナは一体何者なのか。
章が進むごとに「えっそうなの?」とサプライズが訪れる、二転三転どころか転転転が連続する構成。こういうケレンというか、妙な派手さがフランスのミステリっぽいなぁと思う。恋人の過去という発端から、大分遠い所まで話が展開していくのだ。終盤でチート的キャラクターを出してくるのは都合が良すぎる気がするが、どんどんラファエルらの手に余る展開になっていく所は面白い。真相が非常に辛い話だし、彼ら彼女らの未来が元通りに修復されるのかというと、かなり怪しいと思う。少なくともラファエルとアンナの関係においては、ラファエルが彼女の過去を問い詰めた時点で致命的に変わってしまったのではないか。

ブルックリンの少女 (集英社文庫)
ギヨーム ミュッソ
集英社
2018-06-21


あなた、そこにいてくれますか (潮文庫)
ギヨーム・ミュッソ
潮出版社
2017-10-05


ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ