3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本・題名は行

『星戀』

野尻抱影・山口誓子著
天文民族学者・野尻抱影の随筆と、俳人・山口誓子の俳句を収録した一冊。テーマはもちろん星空。四季、12か月を通してその月々に沿った作品が配置されている。
星の和名収拾研究家である野尻の随筆は、端正なたたずまいだが素朴。昔から、色々な地方の生活と天体とが繋がっている様子がわかる。星の名前の付け方に、その地方の生活形態、産業が反映されているのだ。また、星を取り入れた俳句が結構多いことも新鮮。12か月分のストックができるくらいだから、誓子に限らず題材として魅力があるということなんだろうな。星空が季節により変化していくのを追うように、俳句の季節感が移り変わっていくのを楽しめる。美しい言葉がたくさんちりばめられており、季節が変わるごとにぱらっとめくって拾い読みをしたくなる。

星戀 (中公文庫)
野尻 抱影
中央公論新社
2017-07-21




星の文人 野尻抱影伝 (中公文庫)
石田 五郎
中央公論新社
2019-02-22


『ヒッキーヒッキーシェイク』

津原泰美著
 4人の引きこもりの元に、「人間創りに参加してほしい。不気味の谷を越えたい」という誘いが舞い込む。誘ったのはヒキコモリ支援センター代表のカウンセラーJJ。パセリ、セージ、ローズマリー、タイムという、年齢性別さまざまな4人の引きこもりを連携させてプロジェクトを動かそうというのだ。戸惑いつつ外界と関わろうとする4人だったが。
 4人プラスJJの間にははっきりした友情や愛情があるわけではない。ただ、ちょっとずつ距離感は縮まり、信頼感も芽生えていく。そのゆっくりさというか、保留付きの信頼のようなものが結構リアルだと思う。とはいえ、プロジェクト自体にはそんなに面白みを感じなかった。私は文庫化されたものを読んだのだが、文庫化までの経年で新鮮度が薄れてしまったかな…。また、4人が引きこもりである意味もさほど感じない。ただ、それでよかったと思う。ひきこもりだから何かできた、特別な能力があった、あるいは極端に人として欠陥があったとかではなく、「たまたま」なるのがひきこもりだと思うので。



11 eleven (河出文庫)
津原 泰水
河出書房新社
2014-04-08




『パリ警視庁迷宮捜査班』

ソフィー・エナフ著、山本知子・川口明百美訳
 6か月の停職から復帰したアンヌ・カペスタン警視正は、親切された特別捜査班のリーダーに任命される。しかし集められたメンバーは売れっ子小説家との兼業警部、組んだ相手が次々と事故に合う悪運の持ち主、大酒呑み、生真面目な堅物、ギャンブル依存症ら、パリ警視庁の厄介者ばかりだった。カペスタンは彼らと共に、20男前と8年前に起きた2つの未解決殺人事件の捜査を始める。
 フランスの『特捜部Q』と評されているそうだが、確かに似ている。ただ、本作の方が軽快でコミカル。特捜班のリーダーであるカペスタンのへこたれなさや、何をやるにも自分流を貫きあっけらかんとしたロジエール、気難しく厳格だが実直なルブルトン、そして他人に不幸を運ぶと自認している故に気が優しいトレズ。キャラクターが立っていて楽しい。皆問題児扱いされるだけあって、色々と難がある人たちではある。しかし上手くはまれば高いパフォーマンスを発揮するし、難点こそが面白みにもなっている。それぞれの個性を活かしチームを機能させていくことは、カペスタンにとってはリーダーとしての腕の見せ所と言える。彼女の、基本的にチームのメンバーを信じる姿勢が、彼らの信頼を得ていくのだ。どのメンバーも魅力があるが、一見全く共通項がなさそうなオジエールとルブルトンのコンビネーションが、意外と上手くかみ合っていく様がよかった。仕事をするってこういう側面があるよなと。また、男女の間もあくまで同僚、仕事仲間であって色恋が絡まないところもいい。
 殺人事件自体はちょっと行き当たりばったりっぽくあまり精緻ではないのだが、捜査陣や事件を取り巻く人々の人間味に魅力がある。捜査本部の内装まで自分達でやる(というかほぼロジエールの趣味で・・・)という所もおかしい。改装していいのか!という驚きも。フランスでは普通なの?!

『ひとり旅立つ少年よ』

ボストン・テラン著、田口俊樹訳
 1850年代、アメリカ。12歳の少年チャーリーは、詐欺師の父親を殺され、父から託された大金を奴隷制廃止運動家の元に届けようと決意する。ブルックリンからミズーリを目指すが、彼の金を狙う犯罪者と逃亡奴隷の2人組が執拗に追ってくる。
 奴隷制度と人種差別がごく普通のものだった時代のアメリカで、チャーリーは自分と父が行った詐欺行為の償いとして奴隷制廃止運動家に資金(武器を買う為の金だというのがまた時代性を感じさせるが・・・)を渡そうとするのだが、詐欺の前には人種も性別も年齢も平等であるという所が皮肉だ。 チャーリーの父親は根っからの詐欺師、山師で息子のことも平気で騙すのだが、妙に憎めない所がある。この困った人であり客観的には悪党なのだがチャーミングで嫌いになり切れないという造形がうまい。チャーリーが父を愛し続けてしまう(そもそも12歳の子供にとって他に頼れるものはないのだが)気持ちに説得力があった。チャーリーにとって不本意かもしれないが、父親の詐欺師としての才能と愛嬌みたいなものはチャーリーにも受け継がれており、それが彼を助けることになる。
 父親だけでなく、彼と関わり助ける大人たちの造形がどれもよい。彼らの列車内で知り合う女性の善意と勇気、一見シニカルな“葬儀屋”の気骨にしろ、それぞれの美点がチャーリーの中に受け継がれていくように思った。悪人たちは徹底して悪人という割り切りの良さが少々単純ではあるのだが、本作を神話、ファンタジー的なものにもしている。
 作中、実在の人物や文学がしばしば登場、引用される。チャーリーに自作の詩の一篇を手渡す人物にしろ、奴隷制反対派牧師の姉妹が書いたある小説にしろ、チャーリーが迷い込む見世物小屋にしろ、それらが全てチャーリーの旅を象徴するようなものだ。チャーリーは最初、詩を理解できない。しかし、徐々に実感として何が表現されているのか掴んでいく。彼が自分の旅、自分の人生を俯瞰できるようになり、それが大人になっていくということなのだろう。ちりばめられた史実や実在の人物、文学は、アメリカという国を象徴するものでもある。本作は著者の前作『その犬の歩むところ』と似た構造で、アメリカという国を小さきものの視点を借りて旅し俯瞰すのだ。『その犬~』は「今のアメリカ」だが、本作は今に至るターニングポイントとなった時代のアメリカとも言える。

ひとり旅立つ少年よ (文春文庫)
ボストン テラン
文藝春秋
2019-08-06





その犬の歩むところ (文春文庫)
ボストン テラン
文藝春秋
2017-06-08


『フィフティ・ピープル』

チョン・セラン著、斎藤真理子訳
 ある大病院を中心に、50人の人々の人生がすれ違い絡まり合う。老若男女、年齢も立場もまちまちな人たちの悲喜交々を描く連作短編集。
 医師がおり、患者がおり、病院の事務員や用務員がおり、生きている人も死んでいく人もいる。ある町を舞台に様々な人たちの人生が展開していく。それが当人たちも知らないうちに、影響しあい、時に誰かの支えになったりもする。人は一人では生きられないとよく言うが、一人になろうと思ってもなかなか難しい、生きている以上関わり合わざるを得ないという方が正しいのだろう。ある時代、ある場所(つまり現代の韓国の地方都市ということになる)の物語を様々な角度で切り取ったものとして読めた。なので当然、社会問題が様々な形で顔をのぞかせる。様々な人が登場するほど、それぞれの立場で直面する様々な問題が見えてくるのだ。社会規範、「~らしさ」の圧力の不条理さ(特に女性が主人公のエピソードでは強く感じられた)を感じるエピソードは多く、その圧力は鬱陶しいが、本作の登場人物たちはそうそうへこたれないし、軽やかに乗り越えていく人もいる所に救いを感じた。
 妻から見た状況と夫から見た状況、親から見た状況と子から見た状況、同じ場にいても立場が違えば当然違った風景で、その違う風景を様々見ていくことで世界が豊かになる。独りよがりさが抑制されているのだ。鬱陶しさ世界は断片から成っていると同時に断片もまたひとつの世界だという構成が上手いし、個人あっての他人との関わり合いだよなと思わせる。本作、なにより人間の善性と勇気に信頼を置いているところに救われた。思いもよらない悲劇が起きても、たとえ立場が違っても知らない人同士でも、手を差し伸べ支え合うことができるはずという祈りのようなものがある。今の時代だからこそ読みたい、同時に時代を越えた普遍性がある作品だと思う。

『ヒョンナムオッパへ 韓国フェミニズム小説集』

チョ・ナムジョ他著、斎藤真理子訳 年上の恋人「ヒョンナムオッパ」への置き手紙から成る表題作を始め、韓国の女性作家によるアンソロジー。 フェミニズム小説集と銘打っているだけに、女性が主人公の物語ばかりなのだが、1作目の表題作を読んでいる時点で胃がせりあがってきそうなしんどさ。このしんどさは日本だけではない、むしろ韓国の方が女性に対する社会的なプレッシャーが強いことが透けて見えてくる。表題作は年上の恋人から離れていこうとする女性の一人称(恋人に向けた手紙だから)なのだが、面倒見がいいように思えていた恋人の態度は、実はモラハラ・パワハラであり、彼女の意思も力もスポイルしていくものではなかったかのかと彼女が気づいていく過程が描かれる。思わずあるある!と頷いてしまうがこんなことに頷きたくないよな・・・。他の作品でも、傍から見たら労働力や感情の搾取なのに当事者は何か変だと思いつつそれが何なのか言語化できず、搾取する側は全く無自覚というシチュエーションが散見される。女性にとってなぜにこうも生き辛い世の中なのか。非常に具体的、現実的な表題作から、徐々にSF、ファンタジー色が強まっていく作品の配置で、視線が段々遠くに持って行かれる。最後の収録されたキム・ソンジュン『火星の子』は女性と無性で構成されたひとつのユートピア(ディストピア的にも見えるけど)のよう。

『増補 普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』

クリストファー・R・ブラウニング著、谷喬夫訳
 一般市民を中心に編成された第101警察予備大隊。狂信的な反ユダヤ主義者というわけでもなく、ナチスによる教育を受けてきたわけでもない彼らは、ポーランドで約38,000人のユダヤ人を殺害、45,000人以上を強制移送した。ごく普通の人たちになぜそんなことが可能だったのか。限られた資料や証言から当時の実態を描き出し、大量殺戮のメカニズムを考察する。初版出版から25年後に加筆された増補分(研究対象を同じくするゴールドハーゲンの著作への反論)を加えた決定版。
 ホロコーストの加害者側の証言を収集し当時のドイツ軍内部の様子、いわゆるエリート軍人以外の軍従事者はどのような精神状態だったのか垣間見え興味深い。残された資料や証言、増補分ではポーランドで撮影された写真をひも解き、地道に情報をすくい上げていく。
 101予備大隊は元々軍人ではない、職人や商人などごく一般的な市井の人々から構成された隊で、世代的に(ナチス台頭の前に生まれた世代なので)ナチスによる教育を受けておらず、必ずしも熱烈な愛国心は反ユダヤ主義に駆られていたわけでもないという指摘がされている。ユダヤ人、特に女性や子供、老人を殺すことに強い抵抗を感じた人も少なくなかった。そういった抵抗を感じつつも大量のユダヤ人を収容所に送り、殺すことが出来てしまったという点が、非常に恐ろしい。ユダヤ人狩り、殺害方法がだんだんシステマティックになり、人間対人間という意識が薄れていく(自分がトリガーを引かずに済む、殺害現場を目撃しなくて済むとこの傾向はどんどん強まる)と殺害に抵抗を感じなくなっていき、習慣化していく。人間の慣れも、見たくないものは見ないようになる傾向も、実に恐ろしい。何でも日常に回収していく性質は人間の強さでもあるが、本件の場合は最悪の形で発揮されてしまったわけだ。
 また、大隊は男性のみで構成されていたようだが、「殺しに怯える弱い男」とみなされることを恐れ、周囲との同化の為に殺す、同化が強まると更に殺害に対して抵抗がなくなっていくという「空気を読む」ことによる罪悪感や抵抗感の希薄化も指摘される。101大隊の派遣先が海外で、隊からはずれると言葉も通じず行く場所もないというロケーションも、この傾向を強めたようだ。男らしさの呪縛はほんとろくなことにならないな・・・。
 ともあれ、101大隊の置かれた条件をひとつずつ見ていくと、どこの国、どの社会、どの層においてもこういうことは起こりうるだろうと思える。人間、自分の倫理観、善良さを過信してはいけないのだな・・・。こういうことが私たちは出来てしまう、その性質を利用しようとする者もいるということを、肝に銘じておかなくては・・・。内容が内容なのでなかなか読むのが辛かった。人間の負の可能性を目の当たりにし、暗欝とした気分になる。

『パピヨン(上下)』

アンリ・シャリエール著、平井啓之訳
 1931年、殺人罪で捕まったやくざ者パピヨンは無期懲役を言い渡され、仏領ギアナの島にある流刑地に送られる。彼は自由への執念を燃やし、難攻不落と言われる監獄から仲間と共に何度も脱出を試みる。
 こんなに何度も脱獄してたのか!有名映画の原作である本作、映画を見た限りではそんなに何度も場所を変えて脱獄していなかったと思うんだけど・・・びっくりしました。著者の自伝という本作、シャリエールがやくざ者で収監・脱走したのは事実のようだが、一人称による語りでどこまで事実なのかは(無実の罪だという主張からして)眉つばだろう。脱走先でパピヨンが出あう人達は皆彼に好意的で無実の罪を疑わないし、彼の精神は高潔なものとして描かれている。ちょっと出来過ぎなのだ。
 とは言え本作、とても面白い。小説として構成や文章が達者、テクニカルというわけではないのだが、刑務所内の様子や生活の臨場感あふれる描写、個性豊かな囚人たちの描写等、実体感がありとても生き生きとしている。刑務所内のローカルルールみたいなものや、囚人間で何が尊敬される要素になるのか等、ある社会のあり方を眺めているような面白さがある。パピヨンが本当に無実かどうかはともかく、脱出に何度も挑戦する不屈の精神、心身ともにタフな様は本当に尊敬されそうだ。極端に不自由な状況下で自由を諦めないということ自体が尊敬の対象になるのだ。
 なお、現代の基準では差別用語にあたるような言葉や、エキゾチズムに過ぎる部分もある。インディオたちとの生活は、もろに「文明人のように汚れていない純真な蛮族」的視線で書かれておりちょっと厳しかった。時代の限界を感じる。ただ、書かれた時代を考えると人種差別的な物言いは、少なくとも囚人同士では少ないように思う。境遇が同じという意識があると、人種的な意識はフラットになってくるのか。

パピヨン 上 (河出文庫)
アンリ・シャリエール
河出書房新社
2019-04-19






パピヨン 下 (河出文庫)
アンリ・シャリエール
河出書房新社
2019-04-19

『82年生まれ、キム・ジヨン』

チョ・ナムジュ著、斎藤真理子訳
2015年、結婚して子供も生まれ、子育て中のキム・ジヨンは、急に妙な言動を取るようになる。義母や友人等周囲の女性たちそっくりの振る舞いをするのだ。冗談だと思った夫デヒョンだが、そうではないらしいことに気づき、ジヨンを精神科につれていく。
精神科医が聞き取ったレポートという形式で、キム・ジヨンという女性が1982年に生まれてから2015年に至るまでを綴った小説。なにしろレポート形式なので小説というよりは女性のライフイベントにつきものな諸々の出来事の事例集のようなのだ。しかし、事例集に見えるということは、本作に描かれているようなことが実際によくあることとして強い説得力を持っているということだろう。キム・ジヨンは私よりも一世代若いといってもいいくらいなのだが、むしろ一世代昔の話のようだった。韓国ではそうだということなのか、国に関係なく周囲の文化や所属している集団によっての差異なのかは何とも言えないが、90年代、00年代でこれなの?と大分げんなりする。男児は女児よりも優先され、頑張って大学を出て就職しバリバリ働いても男性の方が優先的に評価される。結婚したら夫とその両親に仕え子供が産まれたら更に子供の世話も。仕事は辞めざるを得ず、かといって家事や育児が対外的に評価されるわけでもなく「無職」として扱われる。まあうんざりである。
デヒョンはジヨンに対して協力的ではあるのだが、ジヨンにとって仕事をやめるというのがどういうことなのか、家事・育児以外の世界と切り離されるのがどういうことなのか、全くぴんときていない。ジヨンのカウンセリングをする精神科医は、自身の妻もジヨンと同じような経験をしており「特に子供を持つ女性として生きるとはどんなことかを知っていた」という。しかしそれでも「知っていた」気になっているという程度で、同僚女性が同じような経緯で退職を余儀なくされても傍観している。症例として興味深く思っていても所詮他人事という本音が垣間見えてしまう。女性にとっては「あるある」でも男性にとっては視界に入ってこなかったことなのだと痛感する。女性が読めば自分だけのことではないという共感、連帯の契機になるだろうが、むしろ男性に読んでほしい作品ではないか。
ジヨンが自分よりも弟が大事にされていることを自分の中で理屈をつけて無理やり納得していく所や、仕事でいくら頑張ってもガラスの天井につきあたること、それは社会構造のせいなのに努力の足りなさのせいにされて途方に暮れていくところなど、胸が痛くなる。ジヨンが周囲の女性たちになりかわったように振る舞うのは、彼女らが不条理な仕打ちにより繋がっていることのように思える。本当はそんな連帯、ないほうがいいんだろうけど。

『ピクニック・アット・ハンギングロック』

ジョーン・リンジー著、井上里訳
 寄宿学校・アップルヤード学院の生徒たちは、ハンギングロックへピクニックへ出かけた。しかし巨礫を見に出かけた4人の少女と、彼女らとは別行動していた教師1人が行方不明になってしまう。必死の捜索が行われたものの手掛かりは得られず、事件は迷宮入りに。事件の噂は広まり、以来、学院では歯車が狂い始める。
 舞台は1900年のオーストラリア。いかにも良家の子女が通っている風の箱庭的なアップルヤード学院の世界と、だだっ広く人間を拒むような土地・風土の独特さが強いコントラストを生んでおり、不思議な雰囲気。これがたとえばヨーロッパを舞台にしていたら、全然違う雰囲気だったろう。人がいきなりいなくなっても不思議ではない、人間の入る隙がない感じなのだ。
 少女たちだけの世界は閉鎖的、箱庭的な親密さがあり、そこが魅力だと感じる人もいるだろう。箱庭は徐々に崩壊し、学院の人たちは外の世界にさらされていく。生徒からも教師からも今一つうとまれている学院長が、頻繁に亡き夫のことを思い出すのがなんだか切なかった。彼女にとっては夫といた時間こそ箱庭的な安心しているられる場所だったのではないかと。
 中心的な、美しく聡明な少女たちがいなくなったことで美しい小さな世界は終わりを迎える。崩壊のイメージもまた美しいかもしれないが、姿が美しい少女は心も美しく聡明で、見た目がぱっとしない少女は中身もぱっとせず人柄にも愛すべき部分が少ないという描写は、見た目偏重すぎて少々辟易した。なお百合の文脈で語られがちな作品だと思うが、貴族の青年マイケルと、彼の叔父の御者であるアルバートとの関係は微妙にBL感が・・・。この2人も少女たちの失踪に影響を受けるが、「崩壊」には至らず、むしろそれまでの身分や立場から自由になっていくという所が面白い。



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