3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本・題名ま行

『メインテーマは殺人』

アンソニー・ホロヴィッツ著、山田蘭訳
 資産家の老婦人が、自身の葬儀の打ち合わせをした直後に自宅で殺害された。彼女は死を予感していたのか?“わたし”こと作家のホロヴィッツは、ドラマの脚本執筆に協力してもらったことがある元刑事ホーソーンから、自分がこの事件を捜査するから取材して本にしないかと話を持ち掛けられる。傲慢なホーソーンとはうまが合わないものの、事件の不可解さに惹かれて執筆を引き受けるが。
 『カササギ殺人事件』で小説家としても高評価された著者だが、元は(今も)脚本家。本作には、ホロヴィッツがワトソン役で登場するというと同時に、ホロヴィッツが手掛けたドラマの題名や出演俳優の名前も次々と出てくる。また、ドラマ・映画界の住民がワトソン役なので、映像作品の制作にまつわる小ネタがふんだんにあるのも楽しい。あのビッグネーム映画監督2名が実名で登場するのには笑ってしまった(作中でこの2人が取り組んでいる作品は日本では興行大コケでしたが…)。そしてミステリーとしては、クリスティへのオマージュ、パロディがベースにあった『カササギ~』よりもよりスタンダードな本格。著者(と同名の人物)が語り手で実在の人物の名前が出てくるという変化球はあっても、複線の敷き方や犯人特定の道筋は、まさに犯人当ての王道。1冊で完結しているというのも好感度高い。
 探偵役のホーソーンは人としては少々不愉快、謎が多くしかし捜査官としては有能という癖のあるキャラクター。やはり探偵は癖があるキャラなのが王道か。ワトソンがほどよく抜けているのも王道。

 
メインテーマは殺人 (創元推理文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
東京創元社
2019-09-28


シャーロック・ホームズ 絹の家 (角川文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
KADOKAWA/角川書店
2015-10-24


 

『マンソン・ファミリー 悪魔に捧げた私の22カ月』

 ダイアン・レイク、デボラ・ハーマン著、山北めぐみ訳
ヒッピー文化に染まった両親に連れられ、あちこちを転々としてきた14歳のダイアンは、チャールズという男と彼の仲間の女性達と知り合う。家庭に居場所がなかったダイアンはチャールズらが本当の“ファミリー”だと感じて彼らの仲間に加わる。しかし、ファミリーはカルト集団に変貌していき、やがて無差別殺人を犯すのだった。“マンソン・ファミリー”の一員だった著者に手記。
 マンソンファミリーといえばシャロン・テート殺人事件。とはいえ著者は殺人事件に直接的には関わっておらず、事件についての言及も多くはない。本作はあくまで著者の体験談で、14歳の少女だった著者にチャールズがどのようにつけこみ、自分のコントロール下においていくのかという過程がありありと記録されている。自分の体験を客観化し読み解いており、チャールズの人心掌握術の分析も的確なことから、ダイアンが本来聡明(作中、勉強は好きで成績もよかったし学校には通いたかったと何度か言及されている)なことが窺える。また、母親の手伝いをしている描写からは器用で要領もいい様子が見て取れる。そういう人がどうしてマンソン・ファミリーに魅力を感じ抜け出せなくなったのか。カルトやDVパートナーに付け込まれやすいのはどういう人なのか、取り込まれていくとその人の認知がどのように歪んでいくのかという典型的な事例だと思うし、それ故にとても怖い。
 ダイアンの場合は両親が保護者であることを引き受け切らず、十分に「子供」として保護されなかったことが大きな要因だろう。父親は家庭への責任を忌避し(このあたりの描写はかなり冷静に観察されており辛辣)、母親は子供への愛情はあるが父親の言いなり。2人は娘を一人前扱いするが、それは自分達にとって都合のいい一人前扱い、つまり子供へのケアを放棄して構わないということでしかない。そんな家庭の中にはダイアンが安心できる、必要とされる場所がないから外部に居場所を求め、最悪の選択をしてしまうのだ。チャールズの元に集まってきた人たちは多かれ少なかれそのような一面があったことも垣間見える。その行きつく先が無差別殺人というのはやりきれないよな・・・。

『迷彩の森』

河野典生著
 ある夜、小説家の藤田はジャズ仲間だった三村恭子と酒場で再会する。泥酔した恭子を自宅まで車で送った藤田だが、その直後、彼女のマンションで爆発事件が起きたことを知る。留守番電話には恭子からの不審なメッセージが残されていたが、彼女は自宅にも実家にも戻っておらず行方不明のままだった。藤田は友人のルポライター井口の力を借り、彼女の行方を追い始める。
 1982年の作品なので流石に古さは感じるが、ストイックで古典的な魅力のあるハードボイルド。文章と会話のきれは今読んでも良い(レトロさを楽しむという側面が強くなってしまうのはやむを得ないが・・・)し、人情や男女の関係がべたべたしていないあっさり目なところもいい。女性登場人物の振る舞いに意外と媚がなくて、彼女らそれぞれの流儀にのっとり振る舞っているという感じがした。情感のあっさり度に対し、ミステリ要素にインド独立運動家のチャンドラ・ボースの死の謎を絡めてくるなど、こちらは妙に壮大。いや、正確にはボースの死謎の「利用」なわけだから壮大ってわけでもないか・・・。正統派ハードボイルドにインドの近代史を絡めてくるというところがユニーク、かつ著者の趣味色が色濃い。インド関係の著作もある作家だったんですね。
 馴染みのある場所が次々と出てきて、作中地図を頭に浮かべて読むことが出来たのは楽しかった。30年近く前の話だが、それほど雰囲気は変わっていないと思う。その土地に対するイメージが私の中で固まったままというだけかもしれないが。

『ミスコン女王が殺された』

ジャナ・デリオン著、島村浩子訳
 南部の田舎町シンフルに身をひそめるCIA工作員のフォーチュン。厄介事を片づけ平和が訪れたと思ったのもつかの間、元ミスコン女王のパンジーが帰省し、さっそく大衝突してしまう。しかもその後、パンジーは他殺死体として発見されたのだ。容疑をかけられたフォーチュンは地元婦人会の曲者アイダ・ベルとガーティと共に真犯人捜しに乗り出す。
 前作からの作中時間、わずか1日(も経っていない)。この町トラブル起きすぎだしさすがにフォーチュンを狙う暗殺者たちが嗅ぎつけてくるのでは?と心配になってしまう。アイダ・ベルとガーティの自由奔放さも絶好調。フォーチュンを翻弄し続ける。ドタバタ感とカラっとしたユーモアが楽しい作品だ。南部におけるいわゆる「女らしさ」やつつしみとは無縁のフォーチュンは、町の中では異色だし、アイダ・ベルたちの対抗派閥の反感をかいまくる。とはいえ本作のいいところは、フォーチュンとそりの合わない人、価値観が違う人のことも貶めた描き方ではない、そういう人を否定はしていない所だと思う。色々な人がいて、面倒くさいけど面白い。クセが強くてもいいじゃない。また、前作に引き続き、世代を越えたシスターフッドが見られるのもいい。女性達がとにかく生き生きとしており、「女らしく」なんてものを蹴散らしてくれる。

ミスコン女王が殺された (創元推理文庫)
ジャナ・デリオン
東京創元社
2018-09-20





ワニの町へ来たスパイ (創元推理文庫)
ジャナ・デリオン
東京創元社
2017-12-11

『娘について』

キム・ヘジン著、古川綾子訳
 老人介護施設で働く「私」の元に、住む場所をなくした30代の娘がしばらく住まわせてくれと転がり込んでくる。更に娘は1人ではなく、同性のパートナーを連れてきた。娘の将来を案じる「私」は猛反発する。
 LGBT、老い、介護、老後の経済問題等、様々な問題が折り重なっており、読んでいて気分が重くなる。特に、全ての問題の背後にお金の問題が透けて見えるところが個人的には非常に辛かった。「私」は決して裕福ではなく、夫が死んだ後は介護職で食いつ居ないでいた。自宅は持ち家で上階を人に貸してはいるが、水漏れを修理できるような余力はない。「私」は娘を大学にやるために教育にお金を惜しまなかったのにその見返りが何もない、娘は無職だし子供を残せるとも思えないと嘆くが、もし「私」に十分な経済力があって、老後に娘を頼らなくてもなんとかなりそうだったら、娘に対する失望も怒りもここまで強烈ではなかったのでは。なぜ娘は普通の幸せを拒むのか、普通に生きられないのかと「私」は考えるが、そもそも普通って何だよ!娘にとっては今のやり方が普通ではないんだろうか。2人の考え方のギャップが大きすぎる。世代間ギャップが日本よりも更に激しいように思った。急激に社会が変化したことの影響なのか。
 娘は大学教員の同僚が不当に解雇されたことに対して抗議運動をしている。「私」は自分の得にならないし世の中から白眼視されるだけなのに何でそんなことをするのか、普通に生きることはできないのかとなじる。しかし「私」もやがて、自分の得にはならないことをして世の中に反旗を翻すのだ。「私」と娘がやっていることは同じタイプのことで、そこには2人の不和を乗り越える希望がほのかに感じられる。とは言え「私」はその同質さに気付かないままなのだが。


『曲がった蝶番』

ジョン・ディクスン・カー著、三角和代訳
イギリスのある町に、1人の男が現れた。この町の名士で爵位と地所を継いだジョン・ファーンリー卿は偽物で、自分こそが正当な継承権を持つ本物だと彼は主張する。2人はタイタニック号に乗り合わせ、事故の際に入れ替わったというのだ。決定的な証拠が開示されようとした矢先、不可解な事件が起きる。名探偵・フェル博士初登場作品。
新訳で読んだが大分読みやすくなっていた。フェル博士の喋り方がちょっとカリカチュアされすぎな気もするのだが、全体的に「キャラ」感が強い会話文のように思う。カーは読みにくいという先入観があったのだが、あれは日本語の文の読みにくさで、原文はそうでもなかったのか・・・?
古いお屋敷に不可能殺人、そしてなぜか登場する自動筆記人形と、オカルト風味漂う作品。あくまで風味なのだが、それが事件とちゃんと関わっているという所は面白い。が、肝心の犯行方法の解説はなんだかはぐらかされた気が・・・。本格ミステリとしては途中で投げた感があって少々苦しいのでは。

曲がった蝶番【新訳版】 (創元推理文庫)
ジョン・ディクスン・カー
東京創元社
2012-12-21


曲った蝶番 (創元推理文庫 118)
ディクスン・カー
東京創元社
1966-04


『ミドルマーチ1』

ジョージ・エリオット著、廣野由美子訳
  イングランド中部の商業都市ミドルマーチ。知的で美しい、二十歳そこそこのドロシア・ブルックは、信仰心厚く、自分の人生を大きな目的に捧げようという情熱に燃えていた。ハンサムで資産のあるチェッタム卿の求婚を退け、彼女は27歳も年上のカソーボン牧師との結婚を選ぶ。研究者であるカソーボンへの尊敬を覚え、彼への献身を決意したのだ。周囲の人々はこの結婚に賛成しきれずにいた。
 イギリス小説の最高峰と評される『ミドルマーチ』の第一巻。光文社古典新訳文庫から出たのを機に読み始めたのだが、中流階級の人々の生活が生き生きと描かれており、大変面白い。人の行動にしろ内面にしろ、また世情やお金の話にしろ、諸々がすごく具体的だ。群像劇でもあるが、個人の内面が手に取ってわかるような描き方。ドロシアの情熱が段々裏切られていく様、カソーボンとの擦れ違いはさもありなんなのだが、彼女が生きていたのがこの時代(ヴィクトリア朝)でなければもっと違った生き方があったのにと惜しくなってしまう。ドロシアは知性豊かだし勉強意欲もあるのだが、当時の女性にとって勉強して良しとされる分野はごく限られていた。限られた世界の中の知識で判断しやりくりするしかないというのは歯がゆい。現代の視点から読んでいるから歯がゆく感じられるのだが、当時の女性の中にも、鬱憤が溜まっている人はいたのではないかなと思う。
 また群像劇としては、街の重要人物たちのパワーゲームが少々脂っこく滑稽。ザ・村社会!どんな文化圏でも人が集まれば政治が生まれるというわけか。嫉妬や駆け引きはあるが、どこか長閑でもある。さほど規模が大きくない都市、地方都市的なスケールの話だというのも一因か。

ミドルマーチ1 (光文社古典翻訳文庫)
ジョージ エリオット
光文社
2019-01-08


ミドルマーチ〈1〉 (講談社文芸文庫)
ジョージ エリオット
講談社
1998-08


『六つの航跡(上、下)』

ムア・ラファティ著、茂木健訳
2500人の冷凍睡眠者と人格データを乗せ、地球から遥か遠い星を目指す恒星移民船。目覚めているのは船を管理運行する乗組員6名のみだった。その途中でその6人全員が死亡。クローン再生手続きがされていた為に6人全員が新しい体でよみがえったものの、彼らは地球出発から25年分の記憶を消去されており、船のAIもハッキングされデータには損傷があった。クローン再生機も破壊され、今度死んだら復活はできない。果たして誰が何の為に殺人事件を起こしたのか?
クローン技術が発展し、人間個体の死の重要さがきわめて軽くなった世界が舞台。記憶等のパーソナルデータは常に蓄積され、死んでもクローン躯体にデータを乗せて復活するのが当然なのだ。ちゃんと「殺人」をするには、クローン再生できない環境にしないとならない。この世界設定が殺人事件の謎としっかり噛み合っており、SFとしても本格ミステリとしてもとても面白かった。この設定だからこういう解になる、という筋の通り方。
 登場人物6人それぞれに後ろ暗い秘密があるが、彼らの造形は善人でも悪人でもなく、表情豊か。人間関係、お金、信仰等、抗いがたい要因によってここまで来てしまったのだ。彼らに対して向けられるのは絶対的な力の理論(状況としては非常に悪意に満ちているのに、犯人にはおそらく悪意すらない)なのだが、それでも抗うことを最後までやめない。会話文の翻訳の軽快さが良かった。AIがどんどん「個人」としての特性を強めるのだが、これがラストでまたぐっとくる。

六つの航跡〈上〉 (創元SF文庫)
ムア・ラファティ
東京創元社
2018-10-11


六つの航跡〈下〉 (創元SF文庫)
ムア・ラファティ
東京創元社
2018-10-11





『真夜中の太陽』

ジョー・ネスボ著、鈴木恵訳
 少数民族サーミ人が住む、ノルウェーの北部。極北のこの地を大金と銃を持った1人の男が訪れた。ウルフと名乗る男は素性を隠し身をひそめるが、教会の堂守をしているサーミ人の女性レアとその幼い息子と心を通わせていく。しかしレアには漁業に出たまま戻らない夫がおり、ウルフへの追手も迫っていた。
 著者の『この雪と血を』と地続きの作品で、共通の登場人物もいるし作品の雰囲気も似ている。とは言え独立した作品なので、続けて読む必要は特にないだろう。本作の主人公ウルフ(自称)は金の為に殺し屋になろうとするが、果たせずに北の地へ逃げる。人が逃げるのってやっぱり北方がしっくりくるのだろうか(自分が逃亡者だとしても北に逃げそうだな)。独自のコミュニティを形成しているサーミ人たちの暮らしぶりと、非常に厳しそうな自然環境の描写が相まって、世界の果て感が強い。現地に住んでいる人たちにそんなこと言ったら怒られるんだろうけど・・・。蚊の多さと強靭さの描写にはぞっとするのだが、それでも自然描写には魅力があった。
 ウルフはすごくタフなわけでも頭が切れるわけでもなく、銃の扱いにも不慣れという所が新鮮。殺し屋と言う柄ではないのだがやむにやまれず後戻りできない道を進んでしまった。レアにもまた、やむにやまれぬ事情がある。彼女を縛るのは男尊女卑の文化で、こんな聡明で強い女性がそんな目に遭うなんて!と憤懣やるかたない。そんな2人が非常にささやかな所から想いを通わせあう様子はいっそ微笑ましいくらいで、殺伐とした背景とのギャップがあるのだが、状況が寒々しいからこそささやかなものが美しく見える。
 なお、本作の時代設定はいつぐらいなのかな?ビートルズやストーンズの話題が出てくるところから60年代か70年代だと思っていたのだが、だとすると「まじで」という台詞はおかしいんじゃないかな(当時は「まじで」って言葉使わなかったんじゃない?)。

真夜中の太陽 (ハヤカワ・ミステリ)
ジョー ネスボ
早川書房
2018-08-07


その雪と血を (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョー・ネスボ
早川書房
2018-11-20




『港の底』

ジョゼフ・ミッチェル著、上野元美訳
 港や河畔、桟橋等、ニューヨークの水辺で生きる人たち、また摩天楼を臨む町中、あるいは郊外に住む労働者たちのスケッチ。ニューヨーカーのスタッフライターで、同誌の最も優れたライターの一人と言われた著者の作品集。
 収録されている作品の初出を見ると、1940年代から50年代。しかし、全く古さを感じさせず、生き生きとしたタッチで描かれており未だ新鮮。恥ずかしながら著者のことは全く知らなかったのだが、こんな素敵な書き手がいたのか!とこれまた新鮮な気持ちになった。面白い出来事があったから書いた、というよりも、面白い人、興味深い人がいたからその人のことを書いた、という趣。登場する人たちの語り口がとても魅力的だ。特別にドラマティックなエピソードで盛り上げるわけではなく、また著者自身の見解や、書いている対象に対する強い思い入れ等も文面には殆ど出さない。しかし大変面白い。こういう面白さは、一見地味なんだけどなかなかやろうとすると難しいのでは。魚市場や牡蠣が養殖されていた海底(牡蠣が養殖されていたと初めて知った!海がきれいだったんだな・・・。ご多分に漏れず排水による汚染で牡蠣は取れなくなったんだとか)、またネズミがはびこるビルなど、大都市ニューヨークの華やかとは言い難い部分を好んで取り上げているが、どこ・誰に対しても著者の視点がフラットで、そこにあるもの、生きる人に等しく価値があるという姿勢が感じられる。

港の底 (ジョゼフ・ミッチェル作品集)
ジョゼフ ミッチェル
柏書房
2017-11-01


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