3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本・題名ま行

『蜜蜂と遠雷』

恩田陸著
3年ごとに日本で開催される芳ヶ江国際ピアノコンクールは近年注目を集めており、新たな才能の発見が音楽業界内でも待たれていた。かつて天才少女として名を馳せたものの母の死以来ピアノ演奏から離れていた栄伝亜夜(20歳)、ジュリアード音楽院の英才マサル・C・レヴィ=アナトール(19歳)、楽器店勤務のサラリーマンで出場年齢制限ぎりぎりの高島明石(28歳)、そして養蜂家の父と共に各地を転々とし、自分のピアノを持たないという風間塵(15歳)。それぞれ異なる才能を持ったピアニストたちが競うコンテストを描く。
1つのコンクールの1次予選から3次予選、そして本選までを通して描くので、ピアノコンクールというものがどういうシステムで稼働しており、どういう人たちが関わっており、出場者たちの心情はどういうものなのかという業界もののような面白さがあった。ピアニストたちにだけスポットを当てているのかと思っていたが、コンテストの審査委員やコンサートホールの運営側、オーケストラ(本選はオーケストラとの共演なので)指揮者や調律師、またピアニストたちの家族や恩師、友人たちなど、様々な人の視線からコンクール全体、そして彼らの音楽の有り方が描かれ、群像劇としても面白い。音楽の有り方は正に十人十色なのだが、ずば抜けた演奏の下では一つの色に引っ張られ、同じ風景を見ることがある。そこが聴衆を前にした演奏の面白さなのかもしれない。
とてもよく調べて丁寧に書かれた労作・力作で、リーダビリティも高い。音楽をやる、というのがどういうことなのかという説得力もある。ただ、よく書かれているが故に、音楽を小説で表現することの限界も感じずにはいられない。演奏している奏者はどういう状態なのか、ということは十分に表現できても、どういう音楽であるかという部分は、書かれれば書かれるほど空々しく感じられてしまう。かなりの文字数でどういう感じの演奏なのか、ということを描いているのだが、段々飽きてきてしまった。

『胸騒ぎのシチリア』

 ロックスターのマリアン(ティルダ・スウィントン)は声帯手術後の保養の為、恋人のカメラマン・ポール(マティアス・スーナールツ)とシチリアのバンテッドリーア島で過ごしていた。そこへマリアンの元夫で音楽プロデューサーのハリー(レイフ・ファインズ)が、最近娘だとわかったというペン(ダコタ・ジョンソン)を連れてやってくる。ハリーはマリアンとの復縁を望んでいた。監督はルカ・グァダニーノ。
 シチリアの風景はものすごくきれい!観光映画としても効果抜群なのだが、ちょっと変てこな印象。出てくる映像はキラキラしたシチリア海と浜辺があって風情のあるコテージと田舎町があって、そこで美しい男女がいちゃついたり諍いを起こしたりして、というような、イタリア映画黄金時代を(私が勝手に)思い起こすようなものなのだが、ショットのつなぎ方にやたらと躍動感がある。本作、マリアンがロックスターということもあってロック、特にローリングストーンズの音楽が印象的な使われ方をしているのだが、映像のリズムがロックっぽいのだ。イタリア映画的なムーディーな音楽は殆ど出てこなかったように思う。
 登場人物はほぼ4人のみでマリアンとハリーはおそらく50歳前後、ポールはマリアンより若く、ペンはぐっと離れて20歳前後といったところだ。この配置からすると、若く美しい女性が年長の3人の関係を引っ掻き回すパターンが定番だろうし、実際ペンはポールに対して気を引こうとするし、半分くらいは成功しているように見える。
 が、やはり本作での人間関係のゆらぎはマリアンを中心としてハリー、ポールの3人の間で生じているように思う。マリアンとハリーは離婚したとは言えお互いの仕事に理解もあり、ウマは合うので再会すれば親密な空気は生じる。一方で、ハリーとポールの間にも親密さがあるところが面白い。そもそもポールをマリアンに紹介したのはハリーなので、この3人が共犯関係のようにも見えてくる。とはいえ、ハリーがマリアンとの復縁を望んでいる以上、マリアンと(ぱっと見)円満なポールとの間には嫉妬が生じる。親密さと嫉妬とがそれぞれを反対方向にひっぱり、なんとも面倒臭い感じになっているのだ。ペンは結局、榧の外だったように思う。彼女の若さと聡明さも、3人の因縁に対するアドバンテージにならないのだ。マリンは当初、ペンに対してすごく若いしハリーに付き合わされて(父親の元妻とその恋人の家に連れて行かれてもな・・・きまずいよねってことだろう)かわいそう、みたいな態度を見せていたのだが、案外それが実際の所だったのかもしれない。

『満潮(上、下)』

シッラ&ロルフ・ボリリンド著、久山葉子訳
警察大学の学生オリヴィアは、未解決事件を調べる課題として、刑事だった亡き父が担当していたノードコステル島の殺人事件を選ぶ。臨月の女性が砂浜に生き埋めにされ、満潮により溺死したのだ。オリヴィアは父の同僚だった男性を探すが彼は刑事を辞め失踪していた。一方、町ではホームレス襲撃事件が起きていた。
過去の殺人事件やホームレス襲撃事件、大企業の役員が抱える秘密など、様々な要素、様々な人々の過去と現在が絡み合っていく。要素が多いので真相のフェイクとなる部分も多く、えっそっち?と驚かされる。裏と表がくるくる入れ替わるパズルのような印象があった。ピースの組み合わせ直しが頻繁に行われ、話がどんどん広がっていくのだが、着地点がまた意外。個人的な怨恨が、一番突発的に発露されるものなのかも。オリヴィアの若さ故の正義感と無鉄砲さ、夢中になりやすや見込みの甘さ(現職警官たちとの見解の相違がな・・・)微笑ましくもあり、彼女の今後を応援したくなる。

『亡者のゲーム』

ダニエル・シルヴァ著、山本やよい訳
 イタリアのコモ湖でイギリス人男性が殺された。男性は美術品密売にかかわっていると噂されていた元スパイ。国家治安警察から密かに捜査協力を頼まれたイスラエルの諜報機関員で絵画修復士でもあるガブリエルは、美術品密売ビジネスの裏に、ある独裁者の存在を嗅ぎつける。
 主人公が凄腕の元スパイであり絵画修復士としても腕利き、しかも妻も凄腕の現役(休職中だが)スパイというところがユニーク。美術の世界とスパイの世界とをリンクさせていくシリーズらしく、スパイ仲間や殺し屋の他にも美術品専門の泥棒や贋作家等、キャラクターのバラエティが豊か。前半はガブリエルが協力者を集めプランを立て実行していくという、ミッション遂行もののわくわく感がある。しかし、ある独裁者が事件の裏にいるとわかってからは、雰囲気はぐっと重くなる。1人の女性が背負うものが重すぎて、そちらに引きずられていくのだ。彼女が背負うものは、ある国が背負う悲劇でもある。ガブリエルは彼女を守ろうとするが、そこにすっきりしないものを感じるのは、彼もまたある国を背負っているからか。はたから見たら、どっちもどっちとなりかねないんじゃないかな(独裁は独裁でひどいんだけど、解決方法は結局暴力に帰結しそうなので)という危うさもあるのだが。

『窓の向こうのガーシュウィン』

宮下奈都著
 周囲に馴染めず自分に何かできるという自信もないまま、19歳になった「私」は、ホームヘルパーとして横江先生の家に通うようになる。そこで出会った額装家の男性の、「幸せな風景を切り取る」という言葉にひかれて、ヘルパーの傍ら、額装を手伝うようになる。
 ガーシュウィンの「summertime」がモチーフのひとつとなっている。「私」がこの曲から想像するものは、この曲が意味する所とは大分違うのだが、大事なのは曲そのものというよりも、それに付随する「私」の記憶の方だ。額装が記憶を引き出したことで、「私」は自分の家族との関係、家族のこれまでを少し俯瞰することが出来たのだと思う。
 「私」は未熟児で生まれたにも関わらず保育器に入れられなかったせいで少し耳が悪く(と本人は思っている)、周囲の会話の内容が頭に入ってこなかったり、相手の意図の理解が遅くてずれた会話になってしまったりする。語彙も少なく、要領よく話すことが苦手だ。そういう人の一人称による語りなので、正直、読んでいてかなりまどろっこしい。「私」の世界の見方が変わっていく様を追体験することにはなるが、表現が幼すぎてフラストレーションがたまるところも。

『町へゆく道』

ナターリア・ギンツブルグ著、望月紀子訳
世間に交われず親の期待を裏切り続ける弟の婚約の顛末を描く『ヴァレンティーノ』、プライドが高く現状に満足しない母親が友人との事業を夢見る『射手座』、16歳の「私」の現状への焦りと、親戚の青年との思いのすれ違いを描く『町へゆく道』等、中篇3篇と短編3篇を収録。『夜の声』と同じく著者の初期作品集だが、本作収録の『不在』が17歳(1933年)の作品だというから恐れ入る。『不在』は関係に隙間風が吹きちぐはぐな夫婦を、夫の独白で描いているのだが、よくまあこんな倦んだ関係を書くよなと。他の作品ももれなくどんよりと重苦しい。舞台は郊外や田舎の町だが、この場所=家から出ていけない、新しい時代がきつつあることはわかっているのに、この場所にはこないというもどかしさみたいなものを感じた。男女関係がおおむね破綻していくのも共通している。対して親子・親戚関係は断ちたくても断てない。時代背景を感じさせる閉塞感がある。特に女性の人生における選択肢が結婚しかないところが辛い(結婚しない人もいることはいるが、変わり者扱い)。

『増山超能力師事務所』

誉田哲也著
超能力の存在が公式に認められ、一定の試験に合格した超能力者は「超能力師」としてその能力を仕事に使えるようになった日本。有能な超能力師・増山が所長を務める増山超能力事務所は、能力の種類も質もバラバラな所員を抱え、浮気調査、家出人探しや企業の面接等に奔走する。ヘタレな新入所員や、気は優しいが押しが弱い中堅、能力も性格もルックスもキレ味抜群なエース、どっしり構える事務員ら、個性はバラバラな所員それぞれが主人公を務める連作短篇集。超能力と言っても、その言葉のイメージと比べて、出来ることは結構限定されており不自由だという所が、地に足ついた設定。最終的には人対人でどうにかしなければならない話になる。そこで解決できないことは、多分超能力を使っても解決できない。新人の「明美」を巡って、ちょっとこの表現セクハラっぽいなと思った部分が、後の「明美」主人公回でリカバリーされる等、連作ならではの話が広がっていく面白さがある。終盤、急にシリアスになって次回へ続く!的な引きを持ってくるのは、ちょっとずるいが。超能力師事務所の営業形態は探偵事務所や興信所がモデルなのだろうが、序盤に出てくる契約書のくだりなど結構説得力あって、ちゃんと取材しているんだろうなという感じがする。こういう部分を書くか書かないかで、お話としての手応えって随分変わってくると思う。そのへんの目配りは職人的。

『円山町瀬戸際日記 名画座シネマヴェーラ渋谷の10年』

内藤篤著
渋谷の名画座、シネマヴェーラの開設者にして経営者である著者による、2006年から2009年、2014年から2015年にかけて綴られた業務日誌的エッセイ。間が空いているのは掲載雑誌への連載が一旦終了した後、単行本化を見込んで再開されたからだそうだ。シネマヴェーラにお世話になっている映画ファンは少なくないだろうし、土日に行くとそこそこ混んでいるイメージ(ものによっては満席もしばしば見かけたし)があったが、やはり経営は厳しいという台所事情が辛い・・・そりゃあ儲かりはしなさそうだけど。それでも名画座の運営や企画の立て方、日々の業務の回し方など、内幕が見られるのは楽しい。また、名画座をめぐる諸々の課題(経営的なもの以外にも、デジタル上映が主となってフィルム上映が難しくなってきたという機材面の問題等)やフィルムの入手方法なども、知っている人には言うまでもないのだろうが、そういうことなのかと勉強になった。ちょっとした言葉の使い方など、あーオジサンの文章だなーという部分もあるのだが、上映された映画、著者が見た映画の感想も面白い。なお、巻末にシネマヴェーラの番組一覧がついている。

『マリワナ・ピープル』

E・R・ブラウン著、真崎義博訳
17歳のテイトはカナダの国境近くのカフェでアルバイトをしている。14歳で大学入学を果たし天才児ともてはやされたが、諸般の事情で退学し、今はガンの闘病中の母親と妹を養っている。ある日、常連客のランドルから仕事の手伝いを頼まれる。怪しみつつも破格の給料にひかれて手伝うテイトだが、ランドルはマリワナの製造・流通業者だった。テイトもその仕組みに徐々に取り込まれていく。テイトにはお金も学歴も腕っぷしも身分も、運転免許証すらなく、頼りになるのは自分の知恵と、一見童顔なので相手が油断するという特徴のみ。テイトは頭はいいのだが、あくまで17歳の少年(しかもどちらかというと世間知らずな)としての聡明さなので、様々な所で危なっかしい。そこをなんとか切り抜けていくという成長物語でもあるのだが、扱っているブツがブツなので、どういう顛末になるかは何となく察しが付く。察しがついちゃうくらいテイトが危なっかしいということなんだけど・・・。聡明なはずの彼がなぜ引き返せなくなるかというと、お金の問題、母親が保護者としての体を成していないという問題があるからだ。親が親をそれなりにやってくれないと子供はほんと困るよなぁ・・・。そしてランドルがテイトの能力を評価したこと、ひとかどの人物として扱ったことが、テイトに一線を越えさせてしまう(もちろんランドルはそのつもりで褒めているし、テイトもそれはわかっているのだが)というのがどこか痛ましい。テイトの評価されたい、何者かでありたいという渇望の裏には、子供の頃から大事な存在としてちゃんと扱われなかったのではという気配が見え隠れしてしまうのだ。


『もう過去はいらない』

ダニエル・フリードマン著、野口百合子訳
88歳のバック・シャッツは元メンフィス署の有名刑事。しかし老齢には勝てず、妻と共に老人ホームに入居することになった。老人扱いされることにもホームの方針にもうんざりしていたバックだが、78歳でバックとは因縁の仲の元銀行強盗イライジャが彼を訪ねてくる。命を狙われている、警察に保護してもらいたいというのだ。バックはイライジャは何かを企んでいると確信するが。『もう年はとれない』に続く、バック・シャッツシリーズ第2作。前作は孫と一緒に右往左往していて、ミステリとしては若干素っ頓狂な印象だったが、今回は謎解きもわりと堅実(笑)。同時に、バックの老いは更に進んでおりしかも満身創痍。バックは長年の経験と人脈を駆使してなんとか立ち向かっていくが、物忘れが頻繁だったり体が自由に動かなかったりともどかしい。老いていく状況のもどかしさがより切実だった。題名は「もう過去はいらない」と勇ましいのだが、バックもイライジャも、形は違えど過去を捨てて生きることはできず、おそらく死ぬまで縛られていく。その哀感も強く感じられた。
ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ