3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

本・題名ま行

『モヤ対談』

花田菜々子著
 家族、恋愛、仕事、社会や他者との関わり、そして自分自身のあり方。人生の中で直面する様々な問題を、名物書店員・ライターである著者と20名のゲストが語る対談集。
 20名のゲスト年齢も性別も職業も考え方も立ち位置もまちまちで、共通項は何か本を書いたことがあるということ程度(だから書店員である著者との関わりが生まれているわけだが)。著者と似たスタンスの人もいるし、考え方が結構違うんだなという人もいる。しかし20編の対談を全部読むと、不思議と統一感がある。色々違うところはあるが、自分と向き合い続ける姿勢、自分も他者も個として尊重する(しようと心がける)姿勢が共通しているのだ。
 それにしてもどの対談相手もパワーワードの連打でとても面白かった。近年読んだ対談集の中ではぶっちぎりで読者としてのテンション上がった気がする。特に絵本作家ヨシタケシンスケとの対談「大人だって完璧ではない」、窪美澄との対談「子持ちの恋愛」は、著者のパートナーが子供のいる人であるという背景とあいまってやたらと説得力、切実さがあった。この2編が本著の最初に配置されているからインパクト強かったということもあるのだろうが、完璧でない人間がどうやって「大人」をやるのか、子供の前でどう振舞えばいいのかという所で話題がリレーされるような面白さがあった。

モヤ対談
花田菜々子
小学館
2023-11-24


『完本 マタギ 矛盾なき労働と食文化』

田中康弘著
 フリーカメラマンの著者はマタギに興味を持ち、マタギの里として知られる秋田・阿仁に通って長年取材を続けた。マタギの人々と共に山を歩き猟や獲物の解体・料理を体験することで見えてくるマタギの生き方。本著は著者の『マタギ 矛盾なき労働と食文化』、『マタギとは山の恵みをいただく者なり』を底本とし、合本・再編集の上文庫化。
 狩猟から獲物の調理まで、主に食文化を中心にマタギの生活を観察・記録した本著。現代のマタギは一体どういう生活をしているのか、そもそもマタギという職業(?)だけで生活できるのか不思議だったのだが、狩猟のみで生活しているマタギはほぼおらず、他の職業と兼業で週末のみ狩猟に出るといったスタイルだそうだ。狩猟も他のマタギと予定を合わせていくことが多いので、こちらが思っているほど常時狩猟をしているわけではない。一方で、山に入って山菜やキノコを集めたり(天然のマイタケはやはり滅茶滅茶美味しいし貴重らしい)、川魚を捕ったりというのもマタギの生活の一部で、山と共に生きる山岳地のライフスタイルの一つと言った方がいいのかもしれない。著者が取材したマタギの人たちはどの人もとにかく山が好き!ということが伝わってくる。春夏秋冬どの季節の山にもそれぞれの魅力があることが、彼らの生活を通して見えてくる。著者は研究者ではないのでマタギ文化の伝来や日本における信仰の受容等に関する考察は少々怪しいのだが、実際に一緒に行動しマタギを観察・体験していくことによる生き生きとした記録になっている。マタギの人たちはとにかくよく歩く(そこそこ高齢の方が多いことを考えると驚異的だと思う)ので、これにカメラをもってついていく著者は相当大変だったろう。作中でも体力の限界とはこういうことかという描写が何度も出てくるのだが、それでも同行したい魅力があるというのも伝わってくるのだ。ロマンとは距離を置いた、実生活としてのマタギの生き方・技術の記録になっていると思う。
 ただ言わずもがなだが、マタギの伝統を受け継ぐ人は急速に減少しており、おそらくマタギとして猟銃を使いこなせる人もいなくなっていくという。マタギの生き方は現代的な生活の中では合理的というわけではない(山の民としては合理的なのだが)し利便性も低い。山に相当な魅力を感じていないと続けられないと思うが、子供の時に山に魅力を感じるような原体験をすること自体が難しくなったのだろう。作中でも阿仁やその近辺の寂れ方にも言及されている。阿仁に限ったことではないのだろうが、文化が失われていくのは少し寂しい(部外者としての勝手なノスタルジーではあるが)。




 

『マナートの娘たち』

ディーマ・アルザヤット著、小竹由美子訳
 弟の遺体を浄めようとする姉。本来は同性の役割であり周囲は止めるが彼女はがんとして聞き入れない(「浄め(グスル)」)。障害のある弟を持つ兄が語るある事件(「失踪」)。アラブ系女性リナはインターンとして働く企業で出世を目指し、懸命に努力していたが(「懸命に努力するものだけが成功する」)。様々な形で過酷な人生を生き延びる人々を描く短篇集。
 9編を収録した短篇集だが、登場人物たちの多くは自分が何者なのかゆらぎを感じていたり、アイデンティティの自認と周囲からの視線がずれていたりと、居場所のなさを感じている。彼らは移民、マイノリティーなのだが、著者がシリアからアメリカへの移民であるという背景が投影されているのだろう。ただ本作はわかりやすいマイノリティーの話ではなく、マイノリティーの多種多様さ、複雑さを前面に出したものだ。特に新聞記事やインタビュー、一人語り等がコラージュされた「アリゲーター」は圧巻。シリア系夫婦がリンチされた事件、黒人に対するリンチの記録、先住民に対する迫害等が現れるが、これらの迫害された側のエピソードに何らかのリンク・連帯が生じるわけではない。自分たちが迫害されていても他の属性の誰かを差別するという側面があり、迫害される側は一枚岩ではなく複雑なのだ。修羅の国としてのアメリカの姿が現れる一遍だが、この差別をしてしまうという欲望、自分より貶められる存在を作りたくなる欲望はどの国、どの場所でも生じる厄介なものだと思う。それ故恐ろしい。
 なお「懸命に努力するものだけが成功する」は映画「アシスタント」とほぼ同じような話で、このシチュエーションがいかに(むかつくことに)ありふれているかよくわかる。また「三幕構成による、ある女の子の物語」では登場人物がどうも『聖☆おにいさん』(中村光)のアニメを見ていたらしい。あれアメリカで見られるんだ…

マナートの娘たち (海外文学セレクション)
ディーマ・アルザヤット
東京創元社
2023-04-11


五月 その他の短篇
アリ・スミス
河出書房新社
2023-03-24




『無垢の時代』

イーディス・ウォートン著、川島弘美訳
 1870年代初頭のニューヨーク。若く美しい令嬢メイとの婚約発表を控えたニューランドは、社交界の人々が集う劇場に観劇に出かける。そこで年上の幼馴染の女性・エレンと再会する。彼女はヨーロッパの貴族と結婚してアメリカを離れていたが、夫との関係は不和で、親戚のいるニューヨークに戻ってきていたのだ。ヨーロッパの文化習慣を身に着け夫との離婚を望むエレンは、ニューヨークの社交界では噂の種だった。ニューランドはメイを愛しながらエレンに強く惹かれていく。
 女性作家初のピューリッツァー賞受賞作(1921年)ということで少々気負って読んだが、そんな必要は全くなく、一気に読んだ。基本はニューランドとメイ、エレンというタイプの違う2人の女性との三角関係というメロドラマなのだが、当時のニューヨークの上流階級の生活文化や価値観が描かれており、ある時代のある階層を描く風俗小説として非常に面白かった。実在の場所や作家・芸術家名が出てきて、当時の社交界でどういうものが流行っていたのかがよくわかる。ファッションの描写も楽しい。ただしかなり閉鎖的な世界で家柄と血筋が非常に大きなウェイトを占める。豊かな村社会みたいな感じなのだ。アメリカというと自由と平等の国というイメージだが、新世界であるアメリカの方が旧態然としているのだ。その古さはヨーロッパを模した上に築かれたものなのだろうが、貴族社会のパロディのようでもある。
 ニューランドは女性も男性同様に自由であるべきだと考えており、当時としてはかなり先進的な人物と言えるだろう。しかし一方で自分が属する上流社会の通念・慣習は深く身に染み込んでいる。エレンに惹かれつつ全面的に彼女の味方をすることはできず、自分の将来の安泰を保証するメイとの結婚を断念することもできない。本作は一貫してニューランドの視点で語られるがこれはニューランドには見えていなかったエレンやメイの姿があるということを意味するだろう。ニューランドはこのように受け取ったが、彼女らはこの時本当はこういうことを思っていたのではと、背景を想像させる所が端々にあった。ニューランドが見ていたのは物事のほんの一部だ。終盤でもその一旦が明らかになるのだが、ラストシーンまで陰影が深く素晴らしい。

無垢の時代 (岩波文庫 赤345-1)
イーディス・ウォートン
岩波書店
2023-06-16


エイジ・オブ・イノセンス (字幕版)
 ミリアム・マーゴリーズ
2012-11-15




『メグレとマジェスティック・ホテルの地階』

ジョルジュ・シムノン著、高野優訳
 パリの高級ホテルの地階で死体が発見された。被害者はアメリカから来た実業家の妻。第一発見者のドンジュというホテル従業員が疑われたが、ドンジュは犯行を否定。メグレは捜査の中で、被害者がカンヌのキャバレーで働いていた当時、ドンジュと関係があったことを知る。しかしメグレは真犯人は別にいると考えていた。
 シムノンの作品としては中期のものにあたるそうだが、初期作品から新訳出版された『メグレと若い女の死』『ジャン・フォリアン教会の首吊り男』とは大分雰囲気が異なる。初期の2作は陰影が濃くかなり渋い。一方で本作には活劇的な華やかさやユーモアが見える。メグレらとフランス語が全くわからないアメリカ人実業家とのともすると漫才みたいなやりとりや、メグレとメグレ夫人のお茶目なやりとり、また典型的な「現場を知らないお偉方」の的外れな言動(そして反骨精神旺盛なメグレのやんちゃぶり)など、少々戯画的なくらいだ。リアリズムから劇画調に方向転換した感じで、キャッチーさが増している。ちゃんと「関係者全員を集めて謎解き」という本格ミステリの定番シチュエーションまである。
 個人的には前2作の方が好みに合うのだが、これはこれで楽しい。何より、巻末解説で指摘されているように謎解きミステリとしては意外とフェアなのではないか。事件のタイムラインの提示の仕方など、これは重要な所だなとわかるように提示されている。ある設定が唐突に出てきたなという印象は受けたが、そこに至るまでにちゃんとパーツを提示しているので、何となく構図の予想がつくのだ。


メグレと若い女の死 [DVD]
ジェラール・ドパルデュー,ジャド・ラベスト,メラニー・ベルニエ
アルバトロス
2023-11-03


『名作ミステリで学ぶ英文読解』

越前敏弥著
 ミステリ小説ファンなら誰しも一度は読んだことがあるだろうエラリー・クイーン、コナン・ドイル、アガサ・クリスティの作品は、原文=英語ではどのように書かれていたのか。ミスリードを誘う表現や叙述トリック等、考え抜かれた構成の英文を解析し、英語の論理的な読み解き方を解説する。
 大学受験程度の英語の知識があればじゅうぶん読めると書いてあったけど、全然歯が立ちません…!私が英語からっきしなのが悪いのだがなかなかついていくのが大変だった。しかし英文がどのように構成されているのかというテキスト解説としてはとても面白い。私が英語が苦手だったのは文字列を記憶するのが苦手だからというのもあるのだが、一般的な中学高校レベルの英語教育では、意外と論理的な英文構造の説明ってされなかったから(今はそうでもないのかもしれないが)かもしれない。構造から入る学習法だったらもうちょっと苦手意識が薄れていたかな…。
 例文は(日本語訳を)既に読んだことある作品からの抜粋ばかりなので、親しみやすいし翻訳家はこういう所に着目・配慮するのかという発見もある。なお「ここからネタバレ」と明記があるのはミステリ小説ならではの配慮。なので、取り上げられている全作品日本語で読破してから読むことをお勧めする。


災厄の町〔新訳版〕
エラリイ クイーン
早川書房
2015-01-29


『街に躍ねる』

川上佐都著
 小学生5年生の晶には高校2年生の兄・達がいる。達は最近学校に行かずずっと家にいる。晶は兄のことも、兄が最近ずっと描いている絵も好きだ。晶と達は父親が違う(母親が再婚し晶が生まれた)ことを両親は子供たちに伏せているが、兄弟共にうっすらと知っており、それは親には秘密だ。ある日自宅に遊びに来た同級生に兄の不登校を知られたことで、晶の気持ちは揺れていく。
 晶視点で語られる第一章「兄弟であるための話」、兄弟の母親である朝子の視点で語られる第二章「朝子の場合」の二部構成から成る。第二章は大分短めでアンバランスとも思えたが、主眼はあくまで子供・達の世界であり、朝子の視点はその補助線みたいなものか。ただ、第一章の答え合わせ的に第二章が配置されているわけではない。晶視点の第一章は、晶にわからないことには言及されない。達が不登校になった経緯も、学校側の対応も、両親がどういう話合いをしたのかも、晶は感知していないので文面には出てこない。一方で、同級生に兄の存在を「大変だね」的にいじられることへの不快感、それと同時に兄が変に思われないでほしいと思う、更にそれは兄の為ではなく自分のためではと、晶の感情の解析度は高い。あくまで晶という子供の知覚で描かれているところがいいし、だから兄や両親への愛(とは当人は言わないわけだが)が迫ってくる。
 では大人である朝子の視点が加わればより広い世界が見えるのかというとそういうわけでもない。大人であろうと、自分の子供のことであろうと、わからないことはわからないという立ち位置に徹している。朝子にとっても自分の感情の方がはっきりとわかるもので(前夫との離婚理由などこれは当人でないとわからないな!というえぐり方)、達に対してもわからないままおろおろし続けている感じだ。ただ、おろおろするなりに達の在り方を受け入れており、そこがこの家族を家族として維持させているものなのではと思わせる。

街に躍ねる (一般書)
川上 佐都
ポプラ社
2023-02-15

『木曜殺人クラブ 逸れた銃弾』

リチャード・オスマン著、羽根田詩津子訳
 「木曜殺人クラブ」の面々が新たに取り組んでいるのは、約10年前に女性キャスターのベサニー・ウェイツが車ごと崖から転落死したという事件。手がかりを求めてかつてベサニーと共演していた有名キャスターのマイク・ワグボーンと面会するが、マイクによるとベサニーは大きな特ダネを追っていたらしい。一方、エリザベスは夫と共に「バイキング」と名乗る人物に拉致され、前職時代の知人を殺すよう脅迫される。なお前作『木曜殺人クラブ 二度死んだ男』の内容と一部繋がっているので注意。
 老人ホームを舞台としたユーモラスで楽しいシリーズも3作目。登場人物たちが徐々に新たな自分の個性を発見していく過程は心が温まる。また若いドナやクリスはもちろんだが、年齢を重ねてもまだ変化が訪れるというところにはなんだかほっとする。ただ、変化していくということは「その日」が必ず訪れるということだ。エリザベスは夫スティーヴンの記憶が薄れていくことを非常に恐れているが、それは避けられないことでもある。今回クラブの助っ人的存在でスティーヴンのチェスの対戦相手でもあるボグダンが示す思いやりが非常に染みた。親しい間柄だからこそなお辛いものだと思うが。一方で、老いたからこそ得られた余裕みたいなものも感じる。「自分はあと数年で死ぬんだからわざわざ殺さなくてもいい(し敵を殺さなくてもいい)」というのはなかなかたどり着けない境地(というかシチュエーション)な気がするが。またかつての立場は横に置いておいて、同じ時代を生きた同士としての付き合いができるようになるというのも味わいがあった。
 楽しい作品だが、今回はちょっとコミカルすぎ、展開の都合が良すぎな部分もあったように思う。「バイキング」の振る舞いには、そんなんなら最初からアクション起こすなよ!と言いたくなる。彼にそうさせてしまうのがエリザベスたちのご老人パワー、年の功なのかもしれないが。

木曜殺人クラブ 逸れた銃弾 (ハヤカワ・ミステリ)
リチャード オスマン
早川書房
2023-07-04


木曜殺人クラブ 二度死んだ男 (ハヤカワ・ミステリ)
リチャード オスマン
早川書房
2022-11-02


 

『カラー版 名画を見る眼Ⅱ 印象派からピカソまで』

高階秀爾著
 1つの絵画をその構造・構成やモチーフの意味、時代文化の背景や作家のプロフィール等から読み解いていく、西洋美術史入門の定番書。本巻では印象はから抽象絵画までの代表的な作品を取り上げる。1巻に引き続き1971年に発刊されたものを、図版をカラー化し参考図版を追加、更に最新の研究成果を注で加えた決定版。
 「名画」と主語は大きいが西洋絵画史のシリーズなので、本著で取り上げられているのももちろんヨーロッパ圏の作品だ。モネにはじまりカンディンスキーに終わるという19世紀末から20世紀初頭を駆け抜ける、絵画の概念が急速に変化・多様化していく美術史激動の時代と言える。しかしその舞台はほぼフランス、フランスに集中している。本著で取り上げられている作家のうち、フランスないしはパリにいた(関係した)ことがない人がいない(ムンクですら一時期パリに滞在している)。当時のパリがいかに文化の最先端だったのかが実によくわかる。著者による恣意的な選出の要素もあるのだろうが、とにかく芸術やるならパリにいかないと!みたいな空気があったんだろうなと。シャガールは実際そういう理由でパリに出てくるのだが、作品の題材はロシアの故郷の村であるというところがユニークさなのだということもあらためてわかった。
 日本でもよく知られている人気作家・作品がそろっており、1巻より更に馴染みが深いと言う読者が多いのでは。印象派が何を試みようとしていたのか(更にナビ派やフォーヴィズムが印象派を受けてどのような絵画表現解釈を生み出したのか)等、あらためて解説されると勉強になる。結構ふわっとした理解のままだったなと反省した。




『無益な殺人未遂への想像上の反響 ギリシャ・ミステリ傑作選』

ディミトリス・ポサンジス著、橘孝司訳
 新人作家は大御所作家にミステリ小説の原稿の持ち込みをする。大御所からの評価はいかなるものか(「ギリシャ・ミステリ文学の将来」)。バーでナンシー・シナトラの曲を聞く“わたし”は幼馴染の恋人との思いでに浸る(「バン・バン!」)。アテネの女性連続殺人を追う探偵の“わたし”の真の目的とは。現代ギリシャを代表するミステリ小説のアンソロジー。
 竹書房文庫からギリシャSFに続いてギリシャミステリのアンソロジーも登場。元本は2019年にギリシャで出版されたミステリアンソロジーの5巻目だそうで、正に現代ギリシャのミステリ作品と言っていいだろう。巻末の訳者解説にギリシアにおけるミステリ小説の歴史概要が収録されているのだが、それによるとミステリ小説自体は1950年代から出版されており、停滞期を経て2000年代に再興したとのこと。本作に収録されている作品はスタンダードな謎解きミステリではなく、メタ構造(表題作は解説必読)であったり幻想風味が強かったりで、かなり捻った作風のものが多いのだが、これはスタンダードなものがいったん出尽くして現在はそこからの発展形にあるということなのだろうか。結局何が起きたの!?とよくわからない作品もあって、ジャンルの裾野の広さを感じさせる。
 現在の社会に対する諦念や政治・警察に対する不信の深さはギリシャSFとも通じるものがあり、これはジャンルの特質というよりもギリシャ社会全体の問題なんだろうなと。また「バン・バン!」のように場人物の行動が深い情念に裏打ちされているものも印象に残った。『さよなら、s-ラ。または美しき始まりは殺しで終わる』は一途な恋というよりストーカーの怨念を感じさせなかなか気持ち悪い。また『双子素数』『冷蔵庫』は復讐譚として印象に残った。


ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス (竹書房文庫 ば 3-1)
ヴァッソ・クリストウ
竹書房
2023-04-05


 
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