3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本・題名ま行

『幻の女』

ウイリアム・アイリッシュ著、稲葉明雄訳
 町をさまよっていたヘンダースンは、バーで奇妙な帽子を被った女と出会い、気晴らしに彼女をレストランと劇場に誘う。お互いに名前も聞かずに別れたが、帰宅したヘンダースンを待っていたのは妻の死体と警官、そして殺人容疑だった。ヘンダースンはアリバイとしてバーの女の存在を主張するが、バーテン始め、誰もその女を覚えていないと言うのだ。
 本作、出だしの文章のかっこよさ(もとい気障さ)で有名だが、大どんでん返し系ミステリとして面白かったんだな・・・。実は以前に読みかけたものの頓挫していたことを半分くらい読んでから思い出した。なぜ頓挫したかというと、おそらく証人探しの流れがご都合主義的で強引に思えたからだろう。ただ、終盤になるとそのご都合主義込でなるほど!というサプライズが待っている。正直強引なことは強引なのだが、力技で成立させてしまっている。誰も自分の言うことを信じてくれない、しかも他人からの証言が自分の記憶をいちいち否定していくという悪夢のような設定と、死刑のタイムリミットが迫る中での証人探しというスリリングさで読ませる。プロットの力技感と文章のスタイリッシュさのミスマッチに味があった。ところで、当時の女性にとって帽子ってそんなに重要なファッションアイテムだったんですかね・・・。他人と同じ帽子を被るなんて屈辱的!というテンションがいまいちわからない。

幻の女 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 9-1))
ウイリアム・アイリッシュ
早川書房
1976-04-30

幻の女 [DVD]
フランチョット・トーン
ジュネス企画
2010-05-25

『もう生まれたくない』

長嶋有著
震災が起きた年の夏、その翌年、翌々年。マンモス大学の医務室に勤務する春菜、同僚のシングルマザー美里、謎めいた清掃員の神子、大学講師の布田やその教え子である遊里奈や素成夫ら、様々な人たちと「死」の交錯を描く群像劇。
「死」と言っても、芸能人など著名人の訃報であったり、知り合いの知り合いくらいの距離感のある人の訃報であったり、ごく身近な人の訃報であったりと、その距離感は様々だ。人の死は殆どの場合突然訪れる。当人にとっても他人にとっても脈絡なく生じる。だからショックだし混乱するのだ。そして、死んだ人の時間がそこで止まってしまうにもかかわらず、他の人の時間は死者にこだわりがあろうとなかろうと否応なしに進む。その強制的な進み方が、死者の関係者にとってはきつい、しかし同時に強制的であるから若干気が楽になってくるという面もある。題名は「もう生まれたくない」だけど、決してそういう否応なしに時間が流れる感じが、ある年のある時点からふっと次の年のある時点へ、中間を割愛して移行する章立てで強調されている。
相変わらず実在の固有名詞や個人名の使い方が上手い。本作の場合は過去のある時代、「死んだ」ものへのほのかな懐かしみ(といってもその対象と深い関係があるわけでもないのだが。そういう身勝手な郷愁ってあると思う)を感じさせる。

もう生まれたくない

長嶋 有
講談社
2017-06-29


問いのない答え (文春文庫)



長嶋 有
文藝春秋
2016-07-08

『未来のイブ』

ヴィリエ・ド・リラダン著、斎藤磯雄訳
 青年貴族エドワルドは、ヴィーナスのような肉体と完璧な美貌を持つアリシヤを恋人にしていた。しかし彼女の魂は卑俗で、エドワルドは苦悩する。彼の苦悩を知った発明家のエディソンは、人造人間ハダリーにアリシヤを写した肉体を与える。
 エディソンとエドワルドが語る女性論は、1886年に発表された小説、また異端の作家の作品だということを差し引いても(だって1870年代にイプセンやトルストイやドストエフスキーがいるし、同時代にはモーパッサンやゾラがいるのに・・・。まあリラダンはリアリズム的に人間の心理や社会を描いた文学には興味がなかったんだろうけど)、ちょっとミソジニーがひどいんじゃないかな・・・。エディソンが発明した電話の発展形のような通信機器や、彼の屋敷の仕掛け、ハダリーの「中身」の描写等、SF的なエッセンスは時代を先取りしている感がありさほど色あせていない(一つの様式美として生き残っている)が、ピュグマリオン的願望とアリシヤに対するdisに関しては、当然のことながら現代の視線で読むとかなりきつい。エドワルドは理想の女性として人造人間を手に入れるが、彼にとっての理想の女性というのは、あくまで自分が想定している範疇から出ない存在であり、自分の延長線上の存在と言える。どこまで行っても自分でしかなく、そこに他者は存在しない。人形愛というのならわかるが、中途半端に人格を欲しているのが性質悪い。貞淑で聡明であれ、しかし自分より聡明であるなというのがな・・・。アリシヤの肉体を愛しつつ精神を軽蔑するエドワルドの苦悩にも、肉欲なら肉欲でいいじゃん!と突っ込みたくなる。このあたりは、さすがに時代を超えるのは難しいだろう。そもそも、それはアリシヤのせいじゃなくて肉体に惹かれてやまない自分の問題だよね・・・。

未来のイヴ (創元ライブラリ)
ヴィリエ・ド・リラダン
東京創元社
1996-05-01


メトロポリス / Metropolis CCP-315 [DVD]
アルフレート・アーベル
株式会社コスミック出版
2012-03-26

『夫婦善哉 正続』

織田作之助著
豊かな商家「ぼんぼん」だった柳吉と、てんぷら屋の娘として生まれ芸者になった蝶子は所帯を構える。柳吉はふらふらと遊んでばかりで蝶子が芸者で稼ぎ、やがて商売を始めるが。他、主に戦中期の代表作を収録した中短編集。岩波文庫版で読んだ。
「おっさん」「おばはん」と呼び合い喧嘩が絶えないが別れることもできず、住まいと商売を転々としていく。とにかく商売を始めてはつぶし、また始めてはつぶし、その折々で柳吉が浮気するという繰り返し。このループのみで小説が成立してしまっているというのも何だかすごい。ループするうちに不思議なグルーヴ感が生まれてくるのだ。構成に締りがないようでいて、だらだら続くこと自体が小説の駆動力になっている。ずっとお金の話と夫婦の愚痴が続いているような話なのになぁ・・・。柳吉のだらしなさ、流されやすさには、こんな男とは絶対付き合いたくないと思うが、この夫婦のどこにでも流れて生きていける感じはちょっとうらやましい。少ないお金で生活していける時代だったというのもあるんだろうけど、土地にも商売の種類にも拘らずどんどん転がり続けるタフさというか、性懲りのなさがある。他の作品もとかくお金、お金なのだが不思議と息苦しくない。上に這い上がれない人には這いあがれない人なりの人生が用意されているからか。


夫婦善哉 正続 他十二篇 (岩波文庫)
織田 作之助
岩波書店
2013-07-18

夫婦善哉 [DVD]
森繁久弥
東宝
2005-02-25


『ミステリ国の人々』

有栖川有栖著
 ミステリ小説には様々な人々が登場する。探偵やその助手、犯人や被害者だけではない。そんな「ミステリ国の人々」52人を紹介していくブックガイド。各章に添えられた挿画も、取り上げられた作品をなるほど!という形でモチーフ化しているものが多く楽しかった。
 登場人物に焦点を当てたブックガイドは多々あるが、その登場人物がメイン登場人物とは限らないという所がユニーク。もちろん探偵・悪漢・ヒーローも多く登場するが、えっその人モブじゃなかったけ・・・?という人も。目の付け所が上手い。その登場人物のチャーミングさ(ないしは不愉快さ)を紹介すると共に、登場する作品も紹介していく。更に、そもそもミステリとはどういうジャンルなのか、ミステリにおける仕掛け・文脈とは何か、どのような歴史背景があるのかまで関連付けて解説するという、ミステリというジャンルの解説本としての側面もある。まえがきで自認しているように、著者はこういうのが上手い(笑)。決して美文・流麗というわけではないが、解析・説明の的確さ(つまり著者自身が優れたミステリの読み手であり書き手である)がある。なお、個人的にはフィリップ・マーロウではなくリュウ・アーチャーを取り上げている所に拍手したい。

『蜜蜂と遠雷』

恩田陸著
3年ごとに日本で開催される芳ヶ江国際ピアノコンクールは近年注目を集めており、新たな才能の発見が音楽業界内でも待たれていた。かつて天才少女として名を馳せたものの母の死以来ピアノ演奏から離れていた栄伝亜夜(20歳)、ジュリアード音楽院の英才マサル・C・レヴィ=アナトール(19歳)、楽器店勤務のサラリーマンで出場年齢制限ぎりぎりの高島明石(28歳)、そして養蜂家の父と共に各地を転々とし、自分のピアノを持たないという風間塵(15歳)。それぞれ異なる才能を持ったピアニストたちが競うコンテストを描く。
1つのコンクールの1次予選から3次予選、そして本選までを通して描くので、ピアノコンクールというものがどういうシステムで稼働しており、どういう人たちが関わっており、出場者たちの心情はどういうものなのかという業界もののような面白さがあった。ピアニストたちにだけスポットを当てているのかと思っていたが、コンテストの審査委員やコンサートホールの運営側、オーケストラ(本選はオーケストラとの共演なので)指揮者や調律師、またピアニストたちの家族や恩師、友人たちなど、様々な人の視線からコンクール全体、そして彼らの音楽の有り方が描かれ、群像劇としても面白い。音楽の有り方は正に十人十色なのだが、ずば抜けた演奏の下では一つの色に引っ張られ、同じ風景を見ることがある。そこが聴衆を前にした演奏の面白さなのかもしれない。
とてもよく調べて丁寧に書かれた労作・力作で、リーダビリティも高い。音楽をやる、というのがどういうことなのかという説得力もある。ただ、よく書かれているが故に、音楽を小説で表現することの限界も感じずにはいられない。演奏している奏者はどういう状態なのか、ということは十分に表現できても、どういう音楽であるかという部分は、書かれれば書かれるほど空々しく感じられてしまう。かなりの文字数でどういう感じの演奏なのか、ということを描いているのだが、段々飽きてきてしまった。

『胸騒ぎのシチリア』

 ロックスターのマリアン(ティルダ・スウィントン)は声帯手術後の保養の為、恋人のカメラマン・ポール(マティアス・スーナールツ)とシチリアのバンテッドリーア島で過ごしていた。そこへマリアンの元夫で音楽プロデューサーのハリー(レイフ・ファインズ)が、最近娘だとわかったというペン(ダコタ・ジョンソン)を連れてやってくる。ハリーはマリアンとの復縁を望んでいた。監督はルカ・グァダニーノ。
 シチリアの風景はものすごくきれい!観光映画としても効果抜群なのだが、ちょっと変てこな印象。出てくる映像はキラキラしたシチリア海と浜辺があって風情のあるコテージと田舎町があって、そこで美しい男女がいちゃついたり諍いを起こしたりして、というような、イタリア映画黄金時代を(私が勝手に)思い起こすようなものなのだが、ショットのつなぎ方にやたらと躍動感がある。本作、マリアンがロックスターということもあってロック、特にローリングストーンズの音楽が印象的な使われ方をしているのだが、映像のリズムがロックっぽいのだ。イタリア映画的なムーディーな音楽は殆ど出てこなかったように思う。
 登場人物はほぼ4人のみでマリアンとハリーはおそらく50歳前後、ポールはマリアンより若く、ペンはぐっと離れて20歳前後といったところだ。この配置からすると、若く美しい女性が年長の3人の関係を引っ掻き回すパターンが定番だろうし、実際ペンはポールに対して気を引こうとするし、半分くらいは成功しているように見える。
 が、やはり本作での人間関係のゆらぎはマリアンを中心としてハリー、ポールの3人の間で生じているように思う。マリアンとハリーは離婚したとは言えお互いの仕事に理解もあり、ウマは合うので再会すれば親密な空気は生じる。一方で、ハリーとポールの間にも親密さがあるところが面白い。そもそもポールをマリアンに紹介したのはハリーなので、この3人が共犯関係のようにも見えてくる。とはいえ、ハリーがマリアンとの復縁を望んでいる以上、マリアンと(ぱっと見)円満なポールとの間には嫉妬が生じる。親密さと嫉妬とがそれぞれを反対方向にひっぱり、なんとも面倒臭い感じになっているのだ。ペンは結局、榧の外だったように思う。彼女の若さと聡明さも、3人の因縁に対するアドバンテージにならないのだ。マリンは当初、ペンに対してすごく若いしハリーに付き合わされて(父親の元妻とその恋人の家に連れて行かれてもな・・・きまずいよねってことだろう)かわいそう、みたいな態度を見せていたのだが、案外それが実際の所だったのかもしれない。

『満潮(上、下)』

シッラ&ロルフ・ボリリンド著、久山葉子訳
警察大学の学生オリヴィアは、未解決事件を調べる課題として、刑事だった亡き父が担当していたノードコステル島の殺人事件を選ぶ。臨月の女性が砂浜に生き埋めにされ、満潮により溺死したのだ。オリヴィアは父の同僚だった男性を探すが彼は刑事を辞め失踪していた。一方、町ではホームレス襲撃事件が起きていた。
過去の殺人事件やホームレス襲撃事件、大企業の役員が抱える秘密など、様々な要素、様々な人々の過去と現在が絡み合っていく。要素が多いので真相のフェイクとなる部分も多く、えっそっち?と驚かされる。裏と表がくるくる入れ替わるパズルのような印象があった。ピースの組み合わせ直しが頻繁に行われ、話がどんどん広がっていくのだが、着地点がまた意外。個人的な怨恨が、一番突発的に発露されるものなのかも。オリヴィアの若さ故の正義感と無鉄砲さ、夢中になりやすや見込みの甘さ(現職警官たちとの見解の相違がな・・・)微笑ましくもあり、彼女の今後を応援したくなる。

『亡者のゲーム』

ダニエル・シルヴァ著、山本やよい訳
 イタリアのコモ湖でイギリス人男性が殺された。男性は美術品密売にかかわっていると噂されていた元スパイ。国家治安警察から密かに捜査協力を頼まれたイスラエルの諜報機関員で絵画修復士でもあるガブリエルは、美術品密売ビジネスの裏に、ある独裁者の存在を嗅ぎつける。
 主人公が凄腕の元スパイであり絵画修復士としても腕利き、しかも妻も凄腕の現役(休職中だが)スパイというところがユニーク。美術の世界とスパイの世界とをリンクさせていくシリーズらしく、スパイ仲間や殺し屋の他にも美術品専門の泥棒や贋作家等、キャラクターのバラエティが豊か。前半はガブリエルが協力者を集めプランを立て実行していくという、ミッション遂行もののわくわく感がある。しかし、ある独裁者が事件の裏にいるとわかってからは、雰囲気はぐっと重くなる。1人の女性が背負うものが重すぎて、そちらに引きずられていくのだ。彼女が背負うものは、ある国が背負う悲劇でもある。ガブリエルは彼女を守ろうとするが、そこにすっきりしないものを感じるのは、彼もまたある国を背負っているからか。はたから見たら、どっちもどっちとなりかねないんじゃないかな(独裁は独裁でひどいんだけど、解決方法は結局暴力に帰結しそうなので)という危うさもあるのだが。

『窓の向こうのガーシュウィン』

宮下奈都著
 周囲に馴染めず自分に何かできるという自信もないまま、19歳になった「私」は、ホームヘルパーとして横江先生の家に通うようになる。そこで出会った額装家の男性の、「幸せな風景を切り取る」という言葉にひかれて、ヘルパーの傍ら、額装を手伝うようになる。
 ガーシュウィンの「summertime」がモチーフのひとつとなっている。「私」がこの曲から想像するものは、この曲が意味する所とは大分違うのだが、大事なのは曲そのものというよりも、それに付随する「私」の記憶の方だ。額装が記憶を引き出したことで、「私」は自分の家族との関係、家族のこれまでを少し俯瞰することが出来たのだと思う。
 「私」は未熟児で生まれたにも関わらず保育器に入れられなかったせいで少し耳が悪く(と本人は思っている)、周囲の会話の内容が頭に入ってこなかったり、相手の意図の理解が遅くてずれた会話になってしまったりする。語彙も少なく、要領よく話すことが苦手だ。そういう人の一人称による語りなので、正直、読んでいてかなりまどろっこしい。「私」の世界の見方が変わっていく様を追体験することにはなるが、表現が幼すぎてフラストレーションがたまるところも。

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