3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『二度死んだ女』

レイフ・GW・ペーション著、久山葉子訳
 ベックストレーム警部と同じアパートに住む10歳の少年エドウィンが、夏のキャンプ地で人間の頭蓋骨を発見した。骨はアジア系の女性で死後数年が経過していると思われる。しかし、骨のDNA情報が12年前にタイの津波で死亡した女性のものと一致する。津波で死んだ女性の遺体は既に埋葬されているという。人間は二度死ぬことができるのか?
 ベックストレームシリーズ4作目。あいかわらずいい加減だし助平だし金には汚いし女性差別・外国人差別をナチュラルに発揮するし、警察官としてはもちろん人としてどうなのというベックストレーム。しかしどうも憎めない。今回は少年エドウィンとの交流が増えているのだが、元々子供嫌いだったはずのベックストレームなのに、結構クセの強い子供であるエドウィンにはどこか優しいし、まだ子供であるエドウィンに危険が迫ると率直に怒る(将来の従者候補確保という面も大きそうだが…)。ベックストレームを尊敬しているくらいだからエドウィンも大分変っているのだが。
 ベックストレームが無茶苦茶なのは相変わらずだが、彼の部下たちも結構無茶苦茶だということも、シリーズが進むにつれて露呈していく。それでもちゃんと捜査が進むからすごいのだ、今回はベックストレームの右腕的なアニカのご乱心にあっけにとられた。それをやってしまうの?!いいの?!やることをやってけろっと一緒に仕事しているあたりがなんだかすごいのだが。

二度死んだ女 〈ベックストレーム警部シリーズ〉 (創元推理文庫)
レイフ・GW・ペーション
東京創元社
2023-06-12


『濁り水 Fire's Out』

日明恩著
 観測史上二番目の暴風が関東に上陸し、本田消防署上平井出張所に所属する消防隊員の大山雄大も、立て続けの出場に奔走していた。ある一軒家の冠水した駐車場で、車の下に入り込んだ年配女性の救護要請が入ったが、消防隊が駆け付けた時にはすでに手遅れだった。後日、雄大は喪服の老人から「何をどうしたって助けられなかった」と言われ、不審に思う。
 消防士にはなりたくなかった、早く楽な内勤になりたい事務方に移動したいとぼやき続ける消防士・大山雄大を主人公としたシリーズ新作。雄大は消防士嫌だ嫌だと言いつつ、その行動を見ていると消防士への適正はかなり高そうだ。体力あるし運動神経いいし判断力・危機管理能力も結構高い。行動だけなら模範的な消防士っぽいので、嫌がり方が「押すなよ!絶対押すなよ!」というアレに見えてしまう。仕事自体はちゃんとやってしまうところが雄大の真面目なところだろう。
 消防・防災にかかわる様々な知識が盛り込まれているのは本シリーズの面白さであるが、今回はリフォーム詐欺に関する情報もあって勉強になる、というか詐欺って本当に手を変え品を変えだし年配者を狙い撃ちにしてくることがよく描かれている。そして雄大がたまたま行き会ってしまった高齢者をめぐる問題が浮かび上がってくる。特殊な例に見えるが、実はそんなに特殊ではない例なのではないかなと思う。水害だけでなく人の心もまた濁り水のようである。透明な時もあるけど、大きく乱れたり経年したりすると、濁ってしまうのはしょうがないのだ。

濁り水 Fire's Out
日明 恩
双葉社
2021-11-18


埋み火 Fire's Out
日明恩
双葉社
2013-09-07




『20世紀ジョージア(グルジア)短篇集』

児島康宏編訳
 20世紀初頭ロシア帝国に支配され、その後ソヴィエト連邦に組み込まれた、ソ連が崩壊する1991年までソ連の一部であったグルジア、現ジョージア。20世紀に活躍したジョージアの作家6人を選び、計12篇をジョージア語から直接翻訳した日本初の短編集。
 何しろ本邦初翻訳の作品ばかりなので、ジョージアの文学はこういう雰囲気なのかという新鮮さがあった。本作に収録された作家に顕著なのか、ジョージア文学が全般的にそういう傾向があるのかわからないが、民話的な素材、語りの印象が強い。土着の物語の匂いが濃厚なのだ。また、語りの視点がいわゆる「神の視点」的なものかと思って読んでいたらいきなり「私」が登場して主人公に絡み始めたりと、支店の高さの高低移動が急だったりする。更に物語の途中で主人公とは全然違う人の話が混入したりと、文学というより、口語での伝承を文字起ししたような語りの迂回、寄り道の仕方が面白い。その中で、ノダル・ドゥンバゼ『HELLADOS』はジョージア版「少年の日の思い出」的でまとまりがいい。ジョージアの地理的、民族的な背景が垣間見えつつも、普遍的な話になっている。
 一方で、ジョージアの人々の生活、息吹きをそのまま記したようなグラム・ルチェウリシヴィリ『アラヴェルディの祭』なども魅力がある。『アラヴェルディの祭』は映画化されているそうだが、小説自体が目の前で情景が繰り広げられるような映像的な描かれ方をしている。複数の宗教、民族が入り混じった文化圏であることがわかる所も面白い。

20世紀ジョージア(グルジア)短篇集
ゴデルジ・チョヘリ
未知谷
2021-08-25


『日本SFの臨界点〔恋愛篇〕死んだ恋人からの手紙』

伴名練編
 戦艦に乗って宇宙に旅立った恋人からの手紙を通して、異星人の思考体系を描く中井紀夫の表題作、高野史緒によるスチームパンク風味溢れる歴史改変SF『G線上のアリア』、数字が人間形に見える共感覚を描く円城塔『ムーンシャイン』等、短編集未収録作品を中心に、愛をテーマにした短編9本を収録。選・編者は『なめらかな世界と、その敵』の伴名練。
 『日本SFの臨界点〔怪奇篇〕ちまみれ家族』の姉妹アンソロジー。一応恋愛篇ということになっているが、いわゆる恋愛に限らず、何らかの愛・人との繋がりといった方がいいかもしれない。『G線上のアリア』はカップルは登場するが作品の主題自体は愛とは関係ないし、『ムーンシャイン』に至っては愛あったか?という気がする。
 なお〔怪奇篇〕よりも本作の方が近年の作品が多く、古さを感じにくかった。どんな文芸であっても書かれた時代の制約から逃れることは難しいが、ことSFというジャンルの中では時代を越えるのは難しいと実感した。テクノロジー的な面はもちろんだが、ジェンダー描写に関わる部分での古さを感じることはしばしばある。そういう意味では編集後記にもあるように、女性作家の作品が少ないのは残念だし、本作に収録された作品の「恋愛」はヘテロセクシャルの人間にとっての「恋愛」寄りでバラエティには乏しい。また美少女を出しておけばいいだろうみたいな表紙挿画のセンスも少々残念(絵自体はいい。本作にこれをチョイスするというセンスが微妙)。そういう所だぞ…。



『二重のまち/交代地のうた』

瀬尾夏美著
 “僕の暮らしているまちの下には、お父さんとお母さんが育ったまちがある”。東日本大震災で津波の被害にあい、町が流された。その後、整地され新しい町がかつての町の上に作られる。二重に存在する町からイメージした文章と絵画から構成された「二重のまち」、実際に被災地で生きる人々の言葉、そこを訪れる著者の日日を記録した「交代地のうた」の二部から成る。
 二重のまちとはそういうことだったのかと、言われてはっとした。思いが至らないというのはこういうことだな…。「二重のまち」の絵画と言葉は、様々な人たちの記憶をフィクション・アートとして昇華したような作品。透明感があったり色が鮮やかだったりする絵画は、あの世の風景のようにも見えてくる。著者は被災の当事者ではなく、ボランティアとして現地に通ううちに現地との繋がりが深くなった人だ。被災の当事者とは言えない自分が、被災地とどのように関わっていくかという模索の中で生まれた作品であることがわかる。その揺らぎ、迷いがないと一方的というか、独善的な作品になってしまうのではないか。
 ただ、本作の凄みはむしろ「交代地のうた」の方にあると思う。こちらは著者が周囲の人達から聞き取ったエピソードと自身の日記から構成されている。そこに綴られている記憶や思いはあくまで個々のものだ。同じ現象を体験したとしても、その体験の記憶はそれぞれのものであり、大きい主語にはならないのだという書かれ方が徹底している。日記の最後の方、メディアの被災地の扱い方に対する、現地の人達の違和感・怒りの声が記されている。メディア側が被災地を取り上げる場合、既にシナリオ(「再び歩みだそうとする人たち」であったり「進まない復興への怒り・失望」であったり)を用意しており、そこに合致するような映像やコメントのみを選んで組み立てる。それはメディア側が創作したストーリーであり、実際の被災地の個々の人生からは乖離している。そういった不誠実さに対する異議申し立てのひとつとして、本著があるのではないかと思う。

二重のまち/交代地のうた
瀬尾夏美
書肆侃侃房
2021-03-01




『日本SFの臨界点 〔怪奇篇〕ちまみれ家族』

伴名練編
 正に「今」のSF小説である『なめらかな世界と、その敵』が高い評価を受けた著者によるSF短編アンソロジー。日常的に血まみれになってしまう一家を描いた津原泰水の表題作をはじめ、フリークスとアングラロックの融合である中島らも「DECO-CHIN」、コントのような田中哲也『大阪ヌル計画』、幻の第一世代SF作家といわれる光波燿子『黄金珊瑚』など11作を収録。
 なにをもって「怪奇」なのか?という部分がいまいち見えてこない。いわゆるサイエンスフィクションと言うよりも幻想、ファンタジー度が高いものを指すのか。だとするとこれは幻想小説のくくりでいいのでは?と思った作品も。またバカミスならぬバカSF風味の作品(表題作も「大阪ヌル計画」もどちらかというとそうだろう)も目立つ。いかにもSFらしいのは中原浩「笑う宇宙」、森岡浩之「A Boy Meets A Girl」、中田永一「地球に磔にされた男」(本作、あまり題名と中身があっていない気がした)あたりか。まあ宇宙とか平行宇宙とか出てくるし何となくSFっぽいぞ!というSF素人から見たイメージですが…。正直あまり自分に刺さるアンソロジーではなかった。全体的に少々古さを感じる(実際10年以上昔の作品が大半)作品が多かったというのもあるが、私にとってのSFのイメージが「怪奇」ではないということなんだろうな。


『ニッケル・ボーイズ』

コルソン・ホワイトヘッド著、藤井光訳
 1960年代前半、フロリダ州にニッケル校という少年院があった。アフリカ系アメリカ人の少年エルウッドは大学進学を目指していたが、無実の罪でニッケル校に収監された。暴力や虐待が蔓延する環境の中で、エルウッドはクールな年長の少年ターナーと親しくなり、施設での生活をなんとか続けようとする。
 『地下鉄道』で数々の賞を受賞した著者の作品だが、歴史改変要素を織り交ぜ物語のうねりを見せた前作とは異なり、本作は実際の出来事をベースに抑制をきかせたストイックな表現に終始している。抑制が効いていることで、逆にエルウッドが置かれた環境の出口のなさや不公正さが際立ってくる。不公正さや暴力が横行する様は少年院の中だからというだけではなく、社会全体に蔓延しているものだ。少年院の中では建前がなくなり、それが端的に表れているに過ぎない。ここから抜け出すために必要なのは、不公正な(往々にして強者により変えられる)ルールの中でサバイブする子狡さや忍耐力、無感覚になることだ。これがとても苦しかった。暴力への恐怖によって少年たちが心を折られ無抵抗になっていく様がやりきれない。
 エルウッドはキング牧師の言葉に感銘を受け、自身も正しく、公正に活きようとし、やがて社会もそうなると信じ行動する。しかし彼の未来への期待はことごとく裏切られてしまう。エルウッド自身は聡明で勉強熱心なのに、アフリカ系アメリカ人である彼に対して、世間はそういう資質を期待しないのだ。ただ、彼の正しさはある形で人の人生を変える。それが皮肉でもあり一つの希望でもあった。

ニッケル・ボーイズ
ホワイトヘッド,コルソン
早川書房
2020-11-19


地下鉄道 (ハヤカワepi文庫)
コルソン ホワイトヘッド
早川書房
2020-10-15


『二度殺せるなら』

リンダ・ハワード著、加藤洋子訳
 看護師のカレンの元に、長年絶縁状態で行方も知らなかった父親が他殺死体で発見されたと連絡が入った。カレンは殺害現場のニューオリンズへ向かう。父親はベトナム帰還兵だったが、復員後は家族と距離を取るようになり、やがて家を出てしまったのだ。父親が殺害された事件を担当する刑事マークは同様する彼女を案じ、惹かれあうように。しかしカレンが以前住んでいた家で家事が起き、更に彼女のアパートに何者かが侵入するという事件が起きる。
 いわゆる「ロマサス」=ロマンス・サスペンスと呼ばれるジャンルの作品だが、サスペンス部分がしっかりしているのでロマンスに疎い私でも楽しめた。読者にとってはカレンがなぜ狙われるのかというのはわかっているのだが、その「なぜ」の背後にあるものは小出しにされていくので(最後一気に開示しすぎて典型的なイキった犯人のパフォーマンスになっているけど…)、先が気になってぐいぐい引っ張られる。カレンの父親の過去に何があったのか、彼はなぜ家族から離れていったのかという謎が背後にある。また、重要人物ぽく登場するけどそれほど活躍しない人物もいるので、これは別途シリーズ化されているのか?等という含みも。
 そして肝心のロマンスだが、マークの良さ、セクシーさは私にはいまひとつぴんとこず。カレンにとってすごく魅力的なんだということはわかるのだが…。第一印象が悪いけど一緒にいるうち惹かれていくパターンのロマンスってよくあるけど、私はそれがあんまり好きじゃないんだな(笑)。最初の印象ってずっと尾を引く気がするんだけど…。なお、セックスの時に避妊しているかどうかちゃんと確認する所、ほっとしますね。


カムフラージュ (MIRA文庫)
リンダ ハワード
ハーパーコリンズ・ジャパン
2019-04-12


『庭とエスキース』

奥山淳志著
 カメラマンである著者は、北海道の通さな小屋で自給自足の生活を長年営んできた弁造さんと知り合い、彼と彼の「庭」を撮影するために頻繁に訪問するようになる。弁造さんの家にはいつもイーゼルが立てかけてあり、描きかけの絵がかけられていた。弁造さんは室内過ごす時間のほとんどをこのイーゼルを眺めて過ごしていた。弁造さんとの日々と彼と著者との交流を記した一冊。
 弁造さんの小屋はごくごく小さく、室内にあるのはトイレとお風呂、ベッド、クローゼットと薪ストーブくらい。その真ん中にあるのがイーゼルで、弁造さんの生活の中心に絵を描くことがあるということがよくわかる。ただ、弁造さんがイーゼルの絵を完成させることは稀だった。著者が訪問するたびに違う絵がたてかけており、弁造さんは度々これはまだエスキース(下絵)だと言うのだった。弁造さんの話はいかにも「お話」的で面白すぎ、どこまで本当なのか眉唾なところもある。著者はその「お話」込みで弁造さんという人間に興味を持ち関わっていく。
 自分とは全く違う他者と関わってみたい、他者の人生を垣間見たいという著者の動機は不遜とも言えるのだが、弁造さんはそういう著者の動機を時にはぐらかし時に受け入れていくようでもあるが、人柄の真の部分は見せてくれても人生の全体像や真意は見せない。弁造さんの人生がどういうものだったのかは、結局断片的にしかわからないのだ。しかしそのわからなさ・断片的であることこそが他者と関わるということだろう。他者の人生を全部理解しようとするのではなく、わからないものはわからないものとして、その奥深さの気配を察するに留めるのも、他者との関わり方の一つだ。

庭とエスキース
奥山 淳志
みすず書房
2019-04-17


とうほく旅街道―歴史の薫りに触れる
奥山淳志
河北新報出版センター
2012-04-01


『日曜の午後はミステリ作家とお茶を』

ロバート・ロプレスティ著、高山真由美訳
 ミステリ作家のシャンクスは、度々不可思議な事件に巻き込まれる。その度に推理を披露し、時には見事解決に導くが、「事件を解決するのは警察、僕は話を作るだけ」と宣言している。起こったかもしれない犯罪の予知や防犯、盗難事件から殺人事件まで、バラエティに富んだ連作短編集。
 題名には「お茶を」とあるが、お茶よりもお酒の方を好み荘(そして妻に怒られそう)な主人公シャンクス。シャンクスの本名はレオポルド・ロングシャンクスなのだが、妻もいまだに名字の短縮形であるシャンクスの名前で呼んでいる所がちょっと面白い。結婚前の呼び方をそのまま使っているのかな等と、シャンクス夫婦の若かりし頃への想像も膨らむ。短編ミステリ集だが、シャンクスが想像の中だけで事件を想定・解決する安楽椅子探偵的なものから、パズルミステリ、クライムノベル風、オーソドックスな本格ミステリ等、ミステリのあり方のバリエーションが豊富で、連作のお手本のよう。主人公が作家ということで、作家視点の読者や出版エージェントに対するうっすらとした毒も混じっている。とは言え概ねほがらかに気楽に読める好作。各章の後に著者によるコメントが付けられているのも楽しい。

日曜の午後はミステリ作家とお茶を (創元推理文庫)
ロバート・ロプレスティ
東京創元社
2018-05-11


ミステリ作家の嵐の一夜 (創元推理文庫)
G・M・マリエット
東京創元社
2012-10-30


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