3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『夜の声』

ナターリア・ギンツブルグ著、望月紀子訳
「私」はある日、夫の目を銃で射抜く。ここに至るまでに何があったのか妻が綴る『こんな風でした』。無難に思えた結婚だがお互いの気持ちが相手に届かない『私の夫』、お互いを思いやりつつも一緒やっていくことはできない幼馴染と、彼らの背景にある一族を描く『夜の声』、3つの中編を収録。著者の初期作品集だが、本作収録の作品は似通ったモチーフが度々使われており、著者の子供の頃の記憶や実体験に基づいているのかなと思った。どれも夫との破局、あるいは結婚に至れない関係性、また両親の不和や無理解、親戚関係のしがらみが描かれている。家族にしろ伴侶にしろ、円満な関係が非常に希薄で、「私」はいつも居場所がなさげだし、ここから抜け出す手段もない。別の時代、もっと現代に近い(本作は1940~60年代に書かれた)時代を舞台としていたら、この閉塞感は少しは薄れたのかもしれない。特に『夜の声』には、結婚や家族という価値観、そのあり方が変わりつつあった時代に、世代の狭間で迷い悩むという側面があるのではないかと思う。

『夏を殺す少女』

アンドレアス・グルーバー著、酒寄進一訳
弁護士のエヴァリーンは、寄った元小児科医がマンホールで溺死するという事件に関わる。調べるうちにエヴァリーンは、、一見無関係に見えた市会議員の交通事故死等複数の事件との関連を疑い始める。同じころ、ライプツィヒ警察の刑事ヴァルターは、病院での少女の変死を捜査していたが、類似の事件が最近起きていたことに気づく。2つの捜査線が交互に語られ、この2線がいつ交わるのかとドキドキしながら一気読みした。読んでいるとどんどん引っ張られていく上手い構成だった。事件の背景はかなりおぞましいものなのだが、エヴァリーンもヴァルターも、それに対してちゃんと怒れる人なので、物語のトーンが陰惨な方向に行きすぎない。「それは絶対に間違っている」という指針がはっきりとしているのだ。そして2人とも諦めない、タフな人だ。どちらもいいキャラクターなので、続編が読みたくなる。

『なんらかの事情』

岸本佐知子著
ニュースでよく言われる「なんらかの事情」って結局何?へんてつもない日常の事柄からふと生まれ、止まらなくなる妄想。翻訳家である著者による、『ねにもつタイプ』に続くエッセイともショートショートともつかない短篇集。著者が手掛ける翻訳小説はちょっと不思議な、奇想とも言いたくなるタイプのものが多いが、本作も奇想と言っていいのでは。いきなり明後日の方向に飛躍する展開が、短い文章にまとまっている。冴えている翻訳家は自作も冴えているのか。どこか不気味、そして物悲しさが漂う傾向は、前作よりも強まっているように思う。

『何者』

朝井リョウ著
就職活動を控えた大学生の拓人は、バンドをやっている同居人の光太郎の引退ライブを見に行った。光太郎の元カノ・瑞月の留学仲間・理香が拓人たちと同じアパートに住んでいると知り、一緒に就活対策をするようになる。SNSの功罪をまざまざと見せつけられるような小説だった。拓人たちは皆SNSをやっているが、SNSでの発言をお互いそれとなくチェックしている。実際に見聞きする言動と、SNSに漏らす言葉とのギャップ、SNSでの「自己アピール」の裏側に見え隠れする本心とのずれが、彼らの関係を変えていく。SNSがあることで、自分を「何者」かに見せたくなってしまう、しかし見せたところで実際に「何者」になれるわけでもなく更に自意識と承認欲求が悪目立ちするという悪循環。どうすれば「あがり」になるのかわからないゲームの止め時を見失ったみたい。拓人は周囲をとてもよく観察しており、友人たちの必死さもかっこ悪さも、そこから少し距離を置いて見つめていように見える。が、この距離がひっくり返される構成で唸った。読者を安全圏に置かないのだ。彼らのような、より出来る自分、かっこいい自分に見せたいという欲望や無駄なプライドは誰にでもあるのだ。だから読んでいて心がチクチクする。就職活動を今現在している人とか記憶がまだ生々しいという人には、ちょっときついのかもしれない。私くらいの世代だと、あの時SNSがなくてよかった・・・と胸を撫でおろしそう。

『七人目の子(上、下)』

エーリク・ヴァレア著、長谷川圭訳
デンマークの砂浜で女性の死体が発見された。不自然な遺留品から他殺も考えられたが捜査は打ち切られる。数年後、女性のポケットに入っていた写真が、国内でも最も威厳のある児童養護施設だとわかる。一方、国務省参謀管理局長のオアラの元に、奇妙な郵便が届く。同じものが複数名に送りつけられたらしいのだ。やがて養護施設に隠された秘密が浮き上がる。デンマークのベストセラーミステリーだそうだが、奇妙な味わい。「私」という主体が誰なのか曖昧(これは翻訳のせいなのかもしれないが)なパートや、幻想のようなパートが入り混じり、どこまでが信用できる語りなのかわからなくなってくる。効果なのか単に下手なのか判断に迷った(笑)。また、これってそんなに必死に隠すこと?ないしは知ろうとすること?と思ったところも。ただ、どうしてもそうしたい、というのは他人にはわからないことなのかもしれない。本作のキーワードのひとつに「憧れ」というものがある。「憧れ」が強すぎるので、よかれと思ってやったことが実際は求められていない、むしろ迷惑なものだったりするが、当人にはそれがわからない。本当に「憧れ」る価値があったのか?とも思うが、それこそ当人にしかその価値はわからないのだろう。

『嘆きの橋』

オレン・スタインハウアー著、村上博基訳
1948年、東ヨーロッパの某国。人民軍警察殺人捜査課に配属された新人刑事エミールは、同僚らの嫌がらせにあいつつも、作曲家が殺された事件の捜査にあたる。共産主義政府高官が関わったと推理するが、捜査中止命令が出、被害者の未亡人にも危険が迫っていた。舞台は架空の国なのだが、ナチスとソ連との戦いの傷跡の色濃く、共産主義政権下にある。文体がかなり独特でなかなか読みづらかったのだが、舞台が置かれている背景事態がかなりややこしいというのも一因だろう。当時の東ドイツないしウクライナないしは、実際こういう雰囲気だったのだろうか。物事が全て額面通りではなく腹芸で進んでいるような感じなのだ。そして徹底的に監視されており、監視しているということを特に隠そうともしていない社会。エミールは時に情緒不安定ぽいのだが、こういう社会背景と彼の不安、不安定感とが相乗効果で募っていく。
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