3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本題名な行

『ノーラ・ウェブスター』

コルム・トビーン著、栩木 伸明
 教師をしていた夫を病気で亡くした46歳のノーラ・ウェブスター。学生である長女と次女は家を離れているが、ローティーンの息子2人はまだ目を離せない。生活の為21年ぶりに会社に復職し、かつての同僚からの嫌がらせを受けつつも仕事に慣れていく。労働組合活動に共感し、音楽への愛着を思い出し、自分なりの生活を築いていく彼女の3年間を描く。
 ノーラは自分が気難しいとか強いとかとはあまり思っていない。夫を亡くして途方に暮れており、子どもたちとも親密とは言い難いと感じている。しかし周囲からは、彼女は結構頑固で、時にとっつきにくいとも思われているようだ。三人称語りながらノーラ視点のみで描かれるので、あくまでそういう様子が見え隠れするということなのだが、実の姉妹からも時に距離を置かれる、親族の中でどうも彼女はちょっと異質らしいぞという様子が窺えることが面白い。更に、ノーラは子供を愛しているがお互いに適切に理解しているかというとそういうわけでもないし(お互い様である)、時にすごく面倒くさかったり疎ましくも思う。自分が思う自分と、(家族であっても)他人が思う自分は違うし、母、妻という役割には嵌まりきらないのだ。ノーラは他人にどう思われるかということを、だんだん気にしなくなっていく。すごく逞しい、生活力があるというわけではないが、自分に出来ることをちゃんとやろうとする様、そして出来ることをやっていくうちに、「未亡人」ではなく「ノーラ・ウェブスター」としての立ち位置を発見していく様が清々しい。普通に生きることの悲喜こもごもと面白さがある。
 個人的なことではあるが、ノーラの姿が自分の母親と重なり、ちょっと平静でいられないところがあった。ノーラと同じく専業主婦だった母も、父が亡くなった後こんな気持ちだったのだろうかと。私と弟は父が亡くなった時に丁度ノーラの長男次男と同じくらいの年齢で、彼らに輪をかけて面倒くさい子供だったので、ノーラの不安と苛立ちを目にするたび何か申し訳ない気分になった。


『日曜の午後はミステリ作家とお茶を』

ロバート・ロプレスティ著、高山真由美訳
 ミステリ作家のシャンクスは、度々不可思議な事件に巻き込まれる。その度に推理を披露し、時には見事解決に導くが、「事件を解決するのは警察、僕は話を作るだけ」と宣言している。起こったかもしれない犯罪の予知や防犯、盗難事件から殺人事件まで、バラエティに富んだ連作短編集。
 題名には「お茶を」とあるが、お茶よりもお酒の方を好み荘(そして妻に怒られそう)な主人公シャンクス。シャンクスの本名はレオポルド・ロングシャンクスなのだが、妻もいまだに名字の短縮形であるシャンクスの名前で呼んでいる所がちょっと面白い。結婚前の呼び方をそのまま使っているのかな等と、シャンクス夫婦の若かりし頃への想像も膨らむ。短編ミステリ集だが、シャンクスが想像の中だけで事件を想定・解決する安楽椅子探偵的なものから、パズルミステリ、クライムノベル風、オーソドックスな本格ミステリ等、ミステリのあり方のバリエーションが豊富で、連作のお手本のよう。主人公が作家ということで、作家視点の読者や出版エージェントに対するうっすらとした毒も混じっている。とは言え概ねほがらかに気楽に読める好作。各章の後に著者によるコメントが付けられているのも楽しい。

日曜の午後はミステリ作家とお茶を (創元推理文庫)
ロバート・ロプレスティ
東京創元社
2018-05-11


ミステリ作家の嵐の一夜 (創元推理文庫)
G・M・マリエット
東京創元社
2012-10-30


『眠る狼』

グレン・エリック・ハミルトン著、山中朝晶訳
  祖父と確執により10年前に故郷を離れた陸軍兵・バンの元に、その祖父からの手紙が届く。プロの泥棒として腕の立った冷静な祖父の言葉とは思えない、「もどってきてくれ」とのメッセージに違和感を感じたバンは、休暇を取って実家を訪ねる。そこで彼が目にしたのは、銃撃を受け意識を失くした祖父の姿だった。
 アンソニー賞、マカヴィティ賞、ストランド・マガジン批評家賞最優秀新人賞受賞作だそうだが、確かに新人の作品でこの面白さはすごい。帰省したらいきなり祖父が撃たれているという導入部で一気に引き込まれ、時間制限のある(バンは10日間の休暇が終わると軍に戻らなければならない)犯人探しが行われる現在、祖父が何をやっていたのか、なぜ2人は決別したのかという過去とが並列して描かれ、犯人との対峙で結びつく。途中少々もどかしいが、いい構成だと思う。ある人物のバンに対する態度にずっと微妙な違和感を感じていたのだが、それがこういう形でつながるのか!というすっきり感も。バンと祖父はいわゆる「仲がいい」家族ではないしお互いに反目する部分は多々ある。しかし、2人の間には好き嫌いを越えた、根っこの所での信頼と理解があるのだ。ある人物との関係は一見円満で愛と信頼があるように見える。しかし、根底では理解しあっていない。お互いに相手を見間違っているのだ。

眠る狼 (ハヤカワ文庫NV)
グレン・エリック・ハミルトン
早川書房
2017-04-06

ネバー・ゴー・バック(上) (講談社文庫)
リー・チャイルド
講談社
2016-11-15

『ニック・メイソンの第二の人生』

スティーヴ・ハミルトン著、越前敏弥訳
警官殺しの罪で懲役25年を言い渡されていたニック・メイソンは、同じ刑務所に収監されていた暗黒街の大物、ダライアス・コールとの取引により5年目で出所する。取引内容は、携帯電話が鳴ったら必ず出てどんな指示にも従うこと。何の為なのか、自分がこの先どうなるのか見当もつかないまま、メイソンは指示に従わざるを得なかった。
著者の『解錠師』は面白かったが主人公の脇が甘すぎる(主人公がとても若いからってのも一因だが)のが気になった。本作の主人公であるメイソンはもっと年長だし世の中のことをよりわかってはいるが、やはりどこか脇が甘い。その状況で家族に会いに行くなんて、弱点をさらしているのと同じだぞ!と突っ込みたくなる。メイソンは妻と娘に会いたい一心で取引に応じるが、妻子にとっては彼はトラブルの元凶であり、関係回復なんて望むべくもないんだよね・・・。理性ではわかっていても一抹の希望にすがってしまうメイソンの姿がどうにももどかしかった。先の展開が気になり読み飛ばしてしまったが、時制の前後の仕方があまりスムーズでなく、意図的なものなのか単に雑なのかちょっとよくわからなかった。また、コールの計画は、その目的を知ってしまうとメイソンを引き込む必要ってあんまりなかったんじゃないかな・・・。何かもっとてっとりばやい方法ありそう・・・。

『夜の声』

ナターリア・ギンツブルグ著、望月紀子訳
「私」はある日、夫の目を銃で射抜く。ここに至るまでに何があったのか妻が綴る『こんな風でした』。無難に思えた結婚だがお互いの気持ちが相手に届かない『私の夫』、お互いを思いやりつつも一緒やっていくことはできない幼馴染と、彼らの背景にある一族を描く『夜の声』、3つの中編を収録。著者の初期作品集だが、本作収録の作品は似通ったモチーフが度々使われており、著者の子供の頃の記憶や実体験に基づいているのかなと思った。どれも夫との破局、あるいは結婚に至れない関係性、また両親の不和や無理解、親戚関係のしがらみが描かれている。家族にしろ伴侶にしろ、円満な関係が非常に希薄で、「私」はいつも居場所がなさげだし、ここから抜け出す手段もない。別の時代、もっと現代に近い(本作は1940~60年代に書かれた)時代を舞台としていたら、この閉塞感は少しは薄れたのかもしれない。特に『夜の声』には、結婚や家族という価値観、そのあり方が変わりつつあった時代に、世代の狭間で迷い悩むという側面があるのではないかと思う。

『夏を殺す少女』

アンドレアス・グルーバー著、酒寄進一訳
弁護士のエヴァリーンは、寄った元小児科医がマンホールで溺死するという事件に関わる。調べるうちにエヴァリーンは、、一見無関係に見えた市会議員の交通事故死等複数の事件との関連を疑い始める。同じころ、ライプツィヒ警察の刑事ヴァルターは、病院での少女の変死を捜査していたが、類似の事件が最近起きていたことに気づく。2つの捜査線が交互に語られ、この2線がいつ交わるのかとドキドキしながら一気読みした。読んでいるとどんどん引っ張られていく上手い構成だった。事件の背景はかなりおぞましいものなのだが、エヴァリーンもヴァルターも、それに対してちゃんと怒れる人なので、物語のトーンが陰惨な方向に行きすぎない。「それは絶対に間違っている」という指針がはっきりとしているのだ。そして2人とも諦めない、タフな人だ。どちらもいいキャラクターなので、続編が読みたくなる。

『呪われた腕 ハーディ傑作選』

トマス・ハーディ著、河野一郎訳
村の乳搾りの女ローダは、かつて農場主のロッジと恋仲にあり子供もいたが、ロッジは彼女を捨て、若く美しいガートルードと結婚した。ローダはガートルードを倦厭していたものの、とあるきっかけで親しくなっていく。ある晩ローダは夢の中で女性の腕を掴む。しばらくするとガートルードの腕に原因不明の痣が出来、悪化していった。19世紀末、ヴィクトリア時代のイギリスを代表する作家の傑作短篇集。新潮文庫の「村上柴田翻訳堂」シリーズから復刊・改題された。小説の原型みたいな短篇集だ。ここから更に、色々な形状の小説に発展していきそうな、人の感情や物語の型が出揃っているように思った。その分、ちょっとそっけない、骨っぽすぎるという印象もあるが。また、人と人の心、あるいは人生のタイミングのすれ違いを描いた作品が多い。運命のいたずら、みたいなシチュエーションを好む作家だったのか。個人の力ではどうにもコントロールできないものとの対峙には、どこか諦念もにじむ。

『なんらかの事情』

岸本佐知子著
ニュースでよく言われる「なんらかの事情」って結局何?へんてつもない日常の事柄からふと生まれ、止まらなくなる妄想。翻訳家である著者による、『ねにもつタイプ』に続くエッセイともショートショートともつかない短篇集。著者が手掛ける翻訳小説はちょっと不思議な、奇想とも言いたくなるタイプのものが多いが、本作も奇想と言っていいのでは。いきなり明後日の方向に飛躍する展開が、短い文章にまとまっている。冴えている翻訳家は自作も冴えているのか。どこか不気味、そして物悲しさが漂う傾向は、前作よりも強まっているように思う。

『夏の黄昏』

カーソン・マッカラーズ著、加島祥造訳
最近、『結婚式のメンバー』として村上春樹による新訳が出た、マッカラーズの代表作。本著は1990年に福武文庫から出たバージョンになるが、ご厚意により読み比べることが出来た。作品の印象はそれほど変わらない。ただ、村上版の方がより乾いており、主人公であるフランキーと周囲の「ずれ」が際立っていたと思う。また、特にベレニスの言葉や彼女に関する表現は村上訳の方が生き生きとしている気がする。対して加島訳の本著は、夏のねばっこい暑さやけだるさ等、フランキーを取り巻く空気感がより感じられた。ただ、文章上には表れていないが、訳者解説で言及されている加島の本作に対する解釈は、ちょっと違うんじゃないかなと思った。加島は本作を、フランキーが大人になる一夏の物語としてとらえている。それは間違いではないのだが、本作は「一夏」ではなく、おそらくフランキーがこの先ずっと、大人になっても抱えていく如何ともし難さを描いているように思う。大人になっても住むところが変わっても、フランキーはフランキーでそれ以外になれない、というところに苦しさがあるのではないか。「(中略)あたしはどこまでいってもあたしでしかないし、あんたはどこまでいってもあんたでしかない。こういうこと今まで考えたことない?変だと思わなかった?」

『何者』

朝井リョウ著
就職活動を控えた大学生の拓人は、バンドをやっている同居人の光太郎の引退ライブを見に行った。光太郎の元カノ・瑞月の留学仲間・理香が拓人たちと同じアパートに住んでいると知り、一緒に就活対策をするようになる。SNSの功罪をまざまざと見せつけられるような小説だった。拓人たちは皆SNSをやっているが、SNSでの発言をお互いそれとなくチェックしている。実際に見聞きする言動と、SNSに漏らす言葉とのギャップ、SNSでの「自己アピール」の裏側に見え隠れする本心とのずれが、彼らの関係を変えていく。SNSがあることで、自分を「何者」かに見せたくなってしまう、しかし見せたところで実際に「何者」になれるわけでもなく更に自意識と承認欲求が悪目立ちするという悪循環。どうすれば「あがり」になるのかわからないゲームの止め時を見失ったみたい。拓人は周囲をとてもよく観察しており、友人たちの必死さもかっこ悪さも、そこから少し距離を置いて見つめていように見える。が、この距離がひっくり返される構成で唸った。読者を安全圏に置かないのだ。彼らのような、より出来る自分、かっこいい自分に見せたいという欲望や無駄なプライドは誰にでもあるのだ。だから読んでいて心がチクチクする。就職活動を今現在している人とか記憶がまだ生々しいという人には、ちょっときついのかもしれない。私くらいの世代だと、あの時SNSがなくてよかった・・・と胸を撫でおろしそう。

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