3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本題名な行

『二度殺せるなら』

リンダ・ハワード著、加藤洋子訳
 看護師のカレンの元に、長年絶縁状態で行方も知らなかった父親が他殺死体で発見されたと連絡が入った。カレンは殺害現場のニューオリンズへ向かう。父親はベトナム帰還兵だったが、復員後は家族と距離を取るようになり、やがて家を出てしまったのだ。父親が殺害された事件を担当する刑事マークは同様する彼女を案じ、惹かれあうように。しかしカレンが以前住んでいた家で家事が起き、更に彼女のアパートに何者かが侵入するという事件が起きる。
 いわゆる「ロマサス」=ロマンス・サスペンスと呼ばれるジャンルの作品だが、サスペンス部分がしっかりしているのでロマンスに疎い私でも楽しめた。読者にとってはカレンがなぜ狙われるのかというのはわかっているのだが、その「なぜ」の背後にあるものは小出しにされていくので(最後一気に開示しすぎて典型的なイキった犯人のパフォーマンスになっているけど…)、先が気になってぐいぐい引っ張られる。カレンの父親の過去に何があったのか、彼はなぜ家族から離れていったのかという謎が背後にある。また、重要人物ぽく登場するけどそれほど活躍しない人物もいるので、これは別途シリーズ化されているのか?等という含みも。
 そして肝心のロマンスだが、マークの良さ、セクシーさは私にはいまひとつぴんとこず。カレンにとってすごく魅力的なんだということはわかるのだが…。第一印象が悪いけど一緒にいるうち惹かれていくパターンのロマンスってよくあるけど、私はそれがあんまり好きじゃないんだな(笑)。最初の印象ってずっと尾を引く気がするんだけど…。なお、セックスの時に避妊しているかどうかちゃんと確認する所、ほっとしますね。


カムフラージュ (MIRA文庫)
リンダ ハワード
ハーパーコリンズ・ジャパン
2019-04-12


『庭とエスキース』

奥山淳志著
 カメラマンである著者は、北海道の通さな小屋で自給自足の生活を長年営んできた弁造さんと知り合い、彼と彼の「庭」を撮影するために頻繁に訪問するようになる。弁造さんの家にはいつもイーゼルが立てかけてあり、描きかけの絵がかけられていた。弁造さんは室内過ごす時間のほとんどをこのイーゼルを眺めて過ごしていた。弁造さんとの日々と彼と著者との交流を記した一冊。
 弁造さんの小屋はごくごく小さく、室内にあるのはトイレとお風呂、ベッド、クローゼットと薪ストーブくらい。その真ん中にあるのがイーゼルで、弁造さんの生活の中心に絵を描くことがあるということがよくわかる。ただ、弁造さんがイーゼルの絵を完成させることは稀だった。著者が訪問するたびに違う絵がたてかけており、弁造さんは度々これはまだエスキース(下絵)だと言うのだった。弁造さんの話はいかにも「お話」的で面白すぎ、どこまで本当なのか眉唾なところもある。著者はその「お話」込みで弁造さんという人間に興味を持ち関わっていく。
 自分とは全く違う他者と関わってみたい、他者の人生を垣間見たいという著者の動機は不遜とも言えるのだが、弁造さんはそういう著者の動機を時にはぐらかし時に受け入れていくようでもあるが、人柄の真の部分は見せてくれても人生の全体像や真意は見せない。弁造さんの人生がどういうものだったのかは、結局断片的にしかわからないのだ。しかしそのわからなさ・断片的であることこそが他者と関わるということだろう。他者の人生を全部理解しようとするのではなく、わからないものはわからないものとして、その奥深さの気配を察するに留めるのも、他者との関わり方の一つだ。

庭とエスキース
奥山 淳志
みすず書房
2019-04-17


とうほく旅街道―歴史の薫りに触れる
奥山淳志
河北新報出版センター
2012-04-01


『流れは、いつか海へと』

ウォルター・モズリイ著、田村義進訳
 身に覚えのない罪を着せられ刑務所に収監され、ニューヨーク市警を追われた元刑事のジョー・オリヴァー。10数年後、私立探偵となった彼の元に依頼が舞い込む。警察官を射殺した罪で死刑を宣告された黒人ジャーナリストの無実を証明してほしいというのだ。一方、彼自身の冤罪について、彼を「はめた」と告白する手紙が届く。オリヴァーは2つの事件の捜査を開始するが、予想以上に大きな闇に足を踏み入れていく。
 何とも古風なハードボイルド。タブレットが出てこなかったら70年代、80年代くらいの話だと言われてもわからないかも。オリヴァーは無実の罪を着せられ、獄中で心身ともに深く傷つく。妻との関係もこれがダメ押しになり破局。とは言え彼がハメられた罠は、えっ今時そんなトラップに引っかかるの?!というもので、彼自身のわきの甘さに付け込まれたとしか言いようがないんだよな…。オリヴァーには好みの女性がいると手を出さずにはいられないという悪癖があったのだ。妻との関係が破綻するのも時間の問題だったろうし、だからこそ自分を見放したことについて妻をあまり強くは責められないという自覚もある。シャバに戻ってからの振る舞いにも、ちょっとセックス依存症的な側面もあるように思えた。本作にいまひとつ乗れなかったのは、彼の女性との関係性、女性に求めるものには色々と問題あるのではと思えたのに、そこはスルーされていたからかもしれない。娘も出来が良すぎて、だ大分オリヴァーに都合のいい設定。なお、オリヴァーをサポートする元凶悪犯メルが、クレイジーだが仁義を守る良い(便利すぎるが)キャラクター。そして何だそのファッショニスタぶりは…。

流れは、いつか海へと (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
モズリイ,ウォルター
早川書房
2019-12-04


ブルー・ドレスの女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ウォルター モズリイ
早川書房
1995-12T





『何があってもおかしくない』

エリザベス・ストラウト著、小川高義訳
 アメリカの田舎町アムギャッシュに暮らす、教師や農家、写真家など「普通」の人たちの日常と、この町から出ていき作家になったルーシー・バートンの新刊が日常に起こすさざ波を描く連作集。
 著者の『私の名前はルーシー・バートン』の姉妹編だそうだ。本著の中に出てくる作家の新刊本というのが、このルーシー・バートンの新作で、ルーシー自身も登場する。本作に出てくる人たちの多くは、過去へのわだかまりを解決できないまま、ずっと引きずっている。人によっては何がわだかまりなのかも自覚していない。わだかまりの正体を突き付けられる、あるいは徐々に受け入れていく過程を描いた作品が多いように思った。普通の人たちの普通の生活を描いたと言えるのだろうが、「普通」は人それぞれであり全ての人生は異なる。他人の人生がどういうものかなどわからないし、人生の評価など当人にだってできないのだろう。細部の具体的なディティールの積み重ねがそれぞれの人生が唯一であることを際立たせていた。特に親子や兄弟の間の気持ちのしこりのようなものの描き方が、自分の中にあるものと呼応して、なかなか胸に刺さる。

何があってもおかしくない
Elizabeth Strout
早川書房
2018-12-05


私の名前はルーシー・バートン
Elizabeth Strout
早川書房
2017-05-09




『なめらかな世界と、その敵』

伴名練著
 いくつもの並行世界を誰もが行き来している世界。しかし転校生は一つの世界しか生きられないという。表題作をはじめ、伊藤計劃の『ハーモニー』へのオマージュである「美亜羽へ贈る拳銃」、ソ連とアメリカの攻防がまさかの展開になっていた偽史小説「シンギュラリティ・ソヴィエト」、新幹線の中と外で時間の流れが異なるという「ひかりより速く、ゆるやかに」等6編を収録。
 読んでいなかったことを恥じるぶっちぎりの面白さ。日本のSFが氷河期だったのっていつ?ってくらいキレッキレのSF中短編集。表題作は読むなりある奇妙さに気付くのだが、その奇妙さが意味する設定、そしてそれが生み出すクライマックスのスペクタクル感と彼女の選択の意味が起こすエモーショナル。ここから次元の側面を割愛して時間の側面を前に出したのが「ひかりよりも速く、ゆるやかに」。時間の速度を巡るSFと持たざる者の屈託が結びついているが、あまりドロドロせず、人間存在へのポジティブさが根底に流れている(だってちゃんと対策発見するし他人への思いやりがある)所がいい青春小説。一方で人の自由意志を問う「美亜羽へ贈る拳銃」「ホーリーアイアンメイデン」は苦く悲しい。「今」の日本SFの最先端という感じなのだが、文体、特に女性登場人物の話し言葉のクセ、キャラ度の高さみたいなもの(ラノベの影響なのかな?)はむしろ古臭く感じた。女性の話し言葉のぶっきらぼうさとかユニセックスさって、そういうことじゃないと思うんだよな…。

なめらかな世界と、その敵
伴名 練
早川書房
2019-08-20



『なにかが首のまわりに』

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著、くぼたのぞみ訳
 ラゴスからアメリカに移民した若い女性は、毎晩何かが首のまわりに絡みつくような息苦しさを感じていた。ある日彼女は大学に通う白人青年と親しくなる。表題作を始め、兄がカルトのメンバーと間違えられ投獄された経緯を静かに綴る『セル・ワン』、夫に連れられナイジェリアからアメリカへ移り住んだ女性の夫への疑念を描く『イミテーション』等、文化、ジェンダー、家族の中にある溝とすれ違いを描いた短篇集。
「異文化」に対する理解のなさ、あるいは理解している風に見せかけることの無神経さが、「異文化」側から描かれる。異文化は、アフリカであったりアメリカであったりする。周囲が彼/彼女らの母国文化に対して無関心だったり理解がないのはまだましで、厄介なのは理解しているというパフォーマンスをするが、実際の所何もわかっていないという相手の時だろう。それは異国に対してだけではなく、男女の間であったり、家族のあり方に対してだったりする。自分の頭の中にある異国であったり異性であったりに対するイメージで括られ、そのイメージや役割を押し付けられることは不愉快であり、また苦しいことだ。『ジャンピング・モンキー・ヒル』はアフリカ出身作家の為のワークショップが舞台だが、アフリカ人ではない講師の言う「アフリカらしさ」とは何なのか(よしんば講師がアフリカ人だったとしても)お前が言うなよ!って話だろう。主人公が書こうとしていることは彼女にとって重要なことで「アフリカらしさ」はさしあたり前面に出る要素ではない。このギャップをユーモラスかつ辛辣に描いており面白かったし、主人公がある場面で怒れなかった、笑って流してしまったことを後で嫌悪するというくだりが身に染みる。ああここでもか・・・とげんなりする。こういう場面ではもう、怒っていいんだよね。彼女もそれに気づくのだ。
なにかが首のまわりに (河出文庫)
チママンダ・ンゴズィ アディーチェ
河出書房新社
2019-07-08





明日は遠すぎて
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ
河出書房新社
2012-03-13







『逃れる者と留まる者 ナポリの物語3』

エレナ・フェッランテ著、飯田亮介訳
作家として処女作が大ヒットし、名門一家出身の将来有望な研究者と結婚したエレナ。子供も生まれ生活は順調なように思えたが、徐々に夫との間には溝が生まれ始める。そんな折、かつて片思いをしていた相手に再会する。一方、ナポリに留まったリラは、工場で働きながらパートナーと共にコンピューターを学び、才能を発揮させつつあった。
大人になりそれぞれ家庭を持つようになったリラとエレナに大きな転機が訪れるシリーズ3作目。エレナは作家として成功するが、「書かれた(セクシャルな)出来事は実体験なのか」としつこく読者に聞かれる、は頬やからははふしだらなことを書いたと非難されるというエピソードがなかなか辛い。今までも多分にそうなのだが、特に今回エレナが悩んだり傷ついたりする原因は、女性に対して向けられる目とそれに沿えない、また過剰に沿おうとしてしまうことにある。1970年代の物語だが今でもあまり変わっていないことにげんなりした。特に夫の育児に対する無知・無理解が厳しい。エレナが何者かになりたかったけど「何」に当てはまるものがない、からっぽだと感じる姿がちょっと痛々しかった。だから何か理想的と思えるモデルに過剰に沿おうとしてしまうんだろうけど・・・。かつては(そして今も)リラがその理想だったが、恋人や読者が求める姿に沿ってしまう所がもどかしくもある。一方リラはエンジンが過剰にかかっているというか、疾走しすぎていて怖い。いつか大転倒するのではとひやひやする。そこが彼女の魅力でもあるのだが。

逃れる者と留まる者 (ナポリの物語3)
エレナ フェッランテ
早川書房
2019-03-20


新しい名字 (ナポリの物語2)
エレナ フェッランテ
早川書房
2018-05-17



『ネクスト・ギグ』

鵜林伸也著
 カリスマ的なギタリスト、クスミを擁するバンド「赤い青」。そのライブステージでボーカルのヨースケが死んだ。死因は千枚通しによる刺殺。ライブ中、暗闇の中での犯行は部外者には難しく、犯人はバンドメンバーかライブハウスの関係者ではと考えられた。ライブハウスのスタッフである私は、事件の真相を探り始める。
 一応本格ミステリというくくりで、事件のトリック(というよりも「そうなってしまった」状況の解説)は理屈が通ったもの。エレベーターの使い方はなるほどなというツボの押さえ方だったし、取って付けたようではあるが名探偵も一応登場する。とは言え本作、バンドを描いた小説、ロックって何なんだという音楽関係者の葛藤を描く小説としての側面の方が心に響いた。バンドを続けること、ロックを続けることの喜びと困難。青春小説ぽいほろ苦さがある。もはや大きなムーブメントではなく、小さな熱狂が点在しているような今のロックの状況と重ねると何か切なくなるよ・・・。しかしロックは死なない、転がり続けるのだ。実在のミュージシャンやバンドの名前が頻発しており、そこが嬉しくもあり、物語の内容を考えるとちょっと切なくもあり。私が好きなミュージシャン、ロックンローラーの皆様には、新作リリースしなくてもいいし私が好きなタイプの音楽をやらなくなってももういいので、元気で楽しく生きていてほしい。長生きしてね。


全ロック史
西崎 憲
人文書院
2019-02-21





『ノーラ・ウェブスター』

コルム・トビーン著、栩木 伸明
 教師をしていた夫を病気で亡くした46歳のノーラ・ウェブスター。学生である長女と次女は家を離れているが、ローティーンの息子2人はまだ目を離せない。生活の為21年ぶりに会社に復職し、かつての同僚からの嫌がらせを受けつつも仕事に慣れていく。労働組合活動に共感し、音楽への愛着を思い出し、自分なりの生活を築いていく彼女の3年間を描く。
 ノーラは自分が気難しいとか強いとかとはあまり思っていない。夫を亡くして途方に暮れており、子どもたちとも親密とは言い難いと感じている。しかし周囲からは、彼女は結構頑固で、時にとっつきにくいとも思われているようだ。三人称語りながらノーラ視点のみで描かれるので、あくまでそういう様子が見え隠れするということなのだが、実の姉妹からも時に距離を置かれる、親族の中でどうも彼女はちょっと異質らしいぞという様子が窺えることが面白い。更に、ノーラは子供を愛しているがお互いに適切に理解しているかというとそういうわけでもないし(お互い様である)、時にすごく面倒くさかったり疎ましくも思う。自分が思う自分と、(家族であっても)他人が思う自分は違うし、母、妻という役割には嵌まりきらないのだ。ノーラは他人にどう思われるかということを、だんだん気にしなくなっていく。すごく逞しい、生活力があるというわけではないが、自分に出来ることをちゃんとやろうとする様、そして出来ることをやっていくうちに、「未亡人」ではなく「ノーラ・ウェブスター」としての立ち位置を発見していく様が清々しい。普通に生きることの悲喜こもごもと面白さがある。
 個人的なことではあるが、ノーラの姿が自分の母親と重なり、ちょっと平静でいられないところがあった。ノーラと同じく専業主婦だった母も、父が亡くなった後こんな気持ちだったのだろうかと。私と弟は父が亡くなった時に丁度ノーラの長男次男と同じくらいの年齢で、彼らに輪をかけて面倒くさい子供だったので、ノーラの不安と苛立ちを目にするたび何か申し訳ない気分になった。


『日曜の午後はミステリ作家とお茶を』

ロバート・ロプレスティ著、高山真由美訳
 ミステリ作家のシャンクスは、度々不可思議な事件に巻き込まれる。その度に推理を披露し、時には見事解決に導くが、「事件を解決するのは警察、僕は話を作るだけ」と宣言している。起こったかもしれない犯罪の予知や防犯、盗難事件から殺人事件まで、バラエティに富んだ連作短編集。
 題名には「お茶を」とあるが、お茶よりもお酒の方を好み荘(そして妻に怒られそう)な主人公シャンクス。シャンクスの本名はレオポルド・ロングシャンクスなのだが、妻もいまだに名字の短縮形であるシャンクスの名前で呼んでいる所がちょっと面白い。結婚前の呼び方をそのまま使っているのかな等と、シャンクス夫婦の若かりし頃への想像も膨らむ。短編ミステリ集だが、シャンクスが想像の中だけで事件を想定・解決する安楽椅子探偵的なものから、パズルミステリ、クライムノベル風、オーソドックスな本格ミステリ等、ミステリのあり方のバリエーションが豊富で、連作のお手本のよう。主人公が作家ということで、作家視点の読者や出版エージェントに対するうっすらとした毒も混じっている。とは言え概ねほがらかに気楽に読める好作。各章の後に著者によるコメントが付けられているのも楽しい。

日曜の午後はミステリ作家とお茶を (創元推理文庫)
ロバート・ロプレスティ
東京創元社
2018-05-11


ミステリ作家の嵐の一夜 (創元推理文庫)
G・M・マリエット
東京創元社
2012-10-30


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