3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本題名な行

『ニック・メイソンの第二の人生』

スティーヴ・ハミルトン著、越前敏弥訳
警官殺しの罪で懲役25年を言い渡されていたニック・メイソンは、同じ刑務所に収監されていた暗黒街の大物、ダライアス・コールとの取引により5年目で出所する。取引内容は、携帯電話が鳴ったら必ず出てどんな指示にも従うこと。何の為なのか、自分がこの先どうなるのか見当もつかないまま、メイソンは指示に従わざるを得なかった。
著者の『解錠師』は面白かったが主人公の脇が甘すぎる(主人公がとても若いからってのも一因だが)のが気になった。本作の主人公であるメイソンはもっと年長だし世の中のことをよりわかってはいるが、やはりどこか脇が甘い。その状況で家族に会いに行くなんて、弱点をさらしているのと同じだぞ!と突っ込みたくなる。メイソンは妻と娘に会いたい一心で取引に応じるが、妻子にとっては彼はトラブルの元凶であり、関係回復なんて望むべくもないんだよね・・・。理性ではわかっていても一抹の希望にすがってしまうメイソンの姿がどうにももどかしかった。先の展開が気になり読み飛ばしてしまったが、時制の前後の仕方があまりスムーズでなく、意図的なものなのか単に雑なのかちょっとよくわからなかった。また、コールの計画は、その目的を知ってしまうとメイソンを引き込む必要ってあんまりなかったんじゃないかな・・・。何かもっとてっとりばやい方法ありそう・・・。

『夜の声』

ナターリア・ギンツブルグ著、望月紀子訳
「私」はある日、夫の目を銃で射抜く。ここに至るまでに何があったのか妻が綴る『こんな風でした』。無難に思えた結婚だがお互いの気持ちが相手に届かない『私の夫』、お互いを思いやりつつも一緒やっていくことはできない幼馴染と、彼らの背景にある一族を描く『夜の声』、3つの中編を収録。著者の初期作品集だが、本作収録の作品は似通ったモチーフが度々使われており、著者の子供の頃の記憶や実体験に基づいているのかなと思った。どれも夫との破局、あるいは結婚に至れない関係性、また両親の不和や無理解、親戚関係のしがらみが描かれている。家族にしろ伴侶にしろ、円満な関係が非常に希薄で、「私」はいつも居場所がなさげだし、ここから抜け出す手段もない。別の時代、もっと現代に近い(本作は1940~60年代に書かれた)時代を舞台としていたら、この閉塞感は少しは薄れたのかもしれない。特に『夜の声』には、結婚や家族という価値観、そのあり方が変わりつつあった時代に、世代の狭間で迷い悩むという側面があるのではないかと思う。

『夏を殺す少女』

アンドレアス・グルーバー著、酒寄進一訳
弁護士のエヴァリーンは、寄った元小児科医がマンホールで溺死するという事件に関わる。調べるうちにエヴァリーンは、、一見無関係に見えた市会議員の交通事故死等複数の事件との関連を疑い始める。同じころ、ライプツィヒ警察の刑事ヴァルターは、病院での少女の変死を捜査していたが、類似の事件が最近起きていたことに気づく。2つの捜査線が交互に語られ、この2線がいつ交わるのかとドキドキしながら一気読みした。読んでいるとどんどん引っ張られていく上手い構成だった。事件の背景はかなりおぞましいものなのだが、エヴァリーンもヴァルターも、それに対してちゃんと怒れる人なので、物語のトーンが陰惨な方向に行きすぎない。「それは絶対に間違っている」という指針がはっきりとしているのだ。そして2人とも諦めない、タフな人だ。どちらもいいキャラクターなので、続編が読みたくなる。

『呪われた腕 ハーディ傑作選』

トマス・ハーディ著、河野一郎訳
村の乳搾りの女ローダは、かつて農場主のロッジと恋仲にあり子供もいたが、ロッジは彼女を捨て、若く美しいガートルードと結婚した。ローダはガートルードを倦厭していたものの、とあるきっかけで親しくなっていく。ある晩ローダは夢の中で女性の腕を掴む。しばらくするとガートルードの腕に原因不明の痣が出来、悪化していった。19世紀末、ヴィクトリア時代のイギリスを代表する作家の傑作短篇集。新潮文庫の「村上柴田翻訳堂」シリーズから復刊・改題された。小説の原型みたいな短篇集だ。ここから更に、色々な形状の小説に発展していきそうな、人の感情や物語の型が出揃っているように思った。その分、ちょっとそっけない、骨っぽすぎるという印象もあるが。また、人と人の心、あるいは人生のタイミングのすれ違いを描いた作品が多い。運命のいたずら、みたいなシチュエーションを好む作家だったのか。個人の力ではどうにもコントロールできないものとの対峙には、どこか諦念もにじむ。

『なんらかの事情』

岸本佐知子著
ニュースでよく言われる「なんらかの事情」って結局何?へんてつもない日常の事柄からふと生まれ、止まらなくなる妄想。翻訳家である著者による、『ねにもつタイプ』に続くエッセイともショートショートともつかない短篇集。著者が手掛ける翻訳小説はちょっと不思議な、奇想とも言いたくなるタイプのものが多いが、本作も奇想と言っていいのでは。いきなり明後日の方向に飛躍する展開が、短い文章にまとまっている。冴えている翻訳家は自作も冴えているのか。どこか不気味、そして物悲しさが漂う傾向は、前作よりも強まっているように思う。

『夏の黄昏』

カーソン・マッカラーズ著、加島祥造訳
最近、『結婚式のメンバー』として村上春樹による新訳が出た、マッカラーズの代表作。本著は1990年に福武文庫から出たバージョンになるが、ご厚意により読み比べることが出来た。作品の印象はそれほど変わらない。ただ、村上版の方がより乾いており、主人公であるフランキーと周囲の「ずれ」が際立っていたと思う。また、特にベレニスの言葉や彼女に関する表現は村上訳の方が生き生きとしている気がする。対して加島訳の本著は、夏のねばっこい暑さやけだるさ等、フランキーを取り巻く空気感がより感じられた。ただ、文章上には表れていないが、訳者解説で言及されている加島の本作に対する解釈は、ちょっと違うんじゃないかなと思った。加島は本作を、フランキーが大人になる一夏の物語としてとらえている。それは間違いではないのだが、本作は「一夏」ではなく、おそらくフランキーがこの先ずっと、大人になっても抱えていく如何ともし難さを描いているように思う。大人になっても住むところが変わっても、フランキーはフランキーでそれ以外になれない、というところに苦しさがあるのではないか。「(中略)あたしはどこまでいってもあたしでしかないし、あんたはどこまでいってもあんたでしかない。こういうこと今まで考えたことない?変だと思わなかった?」

『何者』

朝井リョウ著
就職活動を控えた大学生の拓人は、バンドをやっている同居人の光太郎の引退ライブを見に行った。光太郎の元カノ・瑞月の留学仲間・理香が拓人たちと同じアパートに住んでいると知り、一緒に就活対策をするようになる。SNSの功罪をまざまざと見せつけられるような小説だった。拓人たちは皆SNSをやっているが、SNSでの発言をお互いそれとなくチェックしている。実際に見聞きする言動と、SNSに漏らす言葉とのギャップ、SNSでの「自己アピール」の裏側に見え隠れする本心とのずれが、彼らの関係を変えていく。SNSがあることで、自分を「何者」かに見せたくなってしまう、しかし見せたところで実際に「何者」になれるわけでもなく更に自意識と承認欲求が悪目立ちするという悪循環。どうすれば「あがり」になるのかわからないゲームの止め時を見失ったみたい。拓人は周囲をとてもよく観察しており、友人たちの必死さもかっこ悪さも、そこから少し距離を置いて見つめていように見える。が、この距離がひっくり返される構成で唸った。読者を安全圏に置かないのだ。彼らのような、より出来る自分、かっこいい自分に見せたいという欲望や無駄なプライドは誰にでもあるのだ。だから読んでいて心がチクチクする。就職活動を今現在している人とか記憶がまだ生々しいという人には、ちょっときついのかもしれない。私くらいの世代だと、あの時SNSがなくてよかった・・・と胸を撫でおろしそう。

『残り全部バケーション』

伊坂幸太郎著
当たり屋、恐喝などあくどい仕事を生業とする溝口と部下の岡田。ある日岡田は、足を洗いたいと打ち明ける。溝口は「適当な携帯電話の番号に電話し、出た相手と友達になれたら許す」という条件を出す。岡田がかけた番号に出たのは、離婚寸前の男。岡田はその男と、なぜか男の妻子も一緒にドライブする羽目になる。表題作を含む中編5編から成る連作集。いやー上手い!いつもの伊坂といえばいつもの伊坂だが伏線と構成のあざとさには唸る。しかも、収録中1~4章は別々の媒体に掲載されていたもの(つまり初出は連作ではない)で、書き下ろしの5章を加えることで連作として完成し、物語が円環するのだ。本作に限ったことではないが、人のちょっとした善意が(誰かにとっての)世界をちょっと良くするという希望が底辺にあると思う。そういう描き方は愚直に見えるかもしれないが、そこに徹するところが作品の強さ(著者の意志の強さでもある)になっていると思う。後味もいい。題名もいい。人生の残りは全部バケーション、おまけみたいなものだと思えば、ちょっとは生きるのが楽になるかな。

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『野原をゆく』

西脇順三郎著
詩人であり英文学者でもあった著者の、随筆集。題名の通り、野山の散策や、専門である英文学についての話が多い。著者は旅行というよりもハイキングのような散策が好きだったようで、特に多摩川近辺は度々登場する。当時は多摩川越えれば東京の別荘地、みたいな感覚だったようだ。わかりやすく華やかな花よりも野の花を好むが、かといっていわゆる「侘び寂び」は金持ちの道楽だ、貧乏と簡素は違う、みたいな身も蓋もない話も出てきて、時に辛辣。著者はオックスフォード大学に留学しており当然英語堪能であり、帰国後はシュルレアリスム運動を代表する詩人として著名になったが、本作に収録されている話によると、子供の頃は読書は苦手で、全然日本語の文字を読む意欲がわかなかったそうで、とても意外だった。英語に触れるようになってから、言語としての構造や文学に関心が生まれたそうだ。文学というよりもむしろ言語というシステムの方からこの世界に入ってきた人なのだが、文学者でこういうタイプの人は珍しい気がする。

『ノックス・マシン』

法月綸太郎著
2058年、小説はプログラムにより自動生成されるようになった世界。20世紀の探偵小説の研究者ユアン・チンルウは、国家科学技術局から呼び出された。「ノックスの十戒」第5項について彼が立てた仮説が、史上初の双方向タイムトラベル成功の鍵になるというのだ。本格ミステリ作家である著者によるSF、だがやはり本格ミステリ。そもそもノックスを持ちだす時点で(知らなくても楽しめるように書いてはあるけど)本格ミステリ読者以外は食いつきにくいそう。しかし本格ミステリが好きな人は、やるなぁ!と唸らせられるのではないだろうか。SFとしてちょっと懐かしい味わいもありつつ、ミステリに関するペダントリィとパロディ精神に満ちている。表題作の「ノックス・マシン」 、その続編「論理蒸発 ノックス・マシン2」は、著者の本格ミステリに対する愛と敬意を感じさせ目がしら熱くなる。更に、小説というもの、そのものへの愛と敬意が詰まっているのだ。法月先生、実は熱い人だよな!と改めて感じる。

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