3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『読書会という幸福』

向井和美著
 全員が同じ本を読んでその感想を語り合う読書会に、30年以上参加してきた著者が、読書会とはどのような行為か、その主催・運営の仕方の案内や、色々な読書会の体験レポート、そして読書がもたらすものについて綴る。
 著者はメリカの刑務所の中で行われる読書会を取材したノンフィクション『プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』(アン・ウォームズリー著)の翻訳者なのだが、正にその「ブック・クラブ」=読書会に関する著作が出るとは。本著の帯には「わたしがこれまで人を殺さずにいられたのは、本があったから、そして読書会があったからだと言ってもよいかもしれない」という強烈な一文が掲載されている。この言葉は全く大げさではないと思う。本を読むこと、本について語りあうことで救われる人は確実にいる。私もその1人だ。私は人付き合いがすごく苦手なのだが、読書会だとそれほど臆さず会話を楽しめるんですよね。主催者の皆様、参加者の皆様ありがとう…
 本を読む(ここでいう「読む」にはビジネス書や自己啓発等の実用書は含まない)こと、本について語り合うことは自分の、そして対話相手の魂の深い所に触れることでもあると思う。そういう会話は日常生活の中ではなかなかする機会がない。お互いの距離を保ったまま深い話ができる、読書会という場に救いを感じる人は多いのではないかと思う。読書会といっても取り上げる本の傾向や、参加者の年代や属性によって方針は様々だろう。それでも皆読書が好きという共通項はある。課題本から他の本へ、また本以外の話題へ(これは懇親会等でやった方がいいだろうけど)と話題が広がっていくのも楽しい。



『逃亡テレメトリー マーダーボット・ダイアリー』

マーサ・ウェルズ著、中原尚哉訳
 人型警備ユニット“弊機”は、大量殺人を犯した過去があったが、紆余曲折を経てプリザベーション連合の指導者・メンサー警備をしている。ある日、ステーション内で他殺死体を発見するが、監視カメラに犯人らしき映像は残っていなかった。弊機は捜査を開始するが。
 ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、日本翻訳大賞を総なめにした「マーダーボット・ダイアリー」シリーズの新作。前2作に比べるとかなりコンパクトで、中編と言ってもいいくらいだ。“弊機”一人称語りのユニークさは相変わらずで、趣味の連続ドラマ鑑賞も健在。これまでは大河ドラマがお好みだったようだが、ミステリドラマも相当たしなんでいることが本作で判明し、更に親近感が湧いてきた。殺人事件の捜査ということで、ストーリー自体もミステリ度が高くなっており、“弊機”がドラマで仕入れた知 識をさっそく使おうとするあたりが微笑ましい。
 今回、ストーリー自体はそれほど込み入ったものではないのだが、“弊機”のぼやきへの共感や、往々にして辛辣な物言いで読ませる。物の位置関係とか構造とかが前2作に比べてちょっとわかりにくかったのだが、今回はステーションが舞台で、その形状や空間としての意味付けになじみが薄かった(前2作は機内や調査地惑星がメインだったので)からかも。ステーション内で労働する様々なボットも登場するのだが、“弊機”がボットの人間「ぽい」ふるまいに気持ち悪さを感じる等、なるほどなと。ボットの人間「ぽさ」って人間から見た時の「ぽさ」、ニーズであって、ボット側にとってはあまり意味ないもんね。



『匿名作家は二人もいらない』

アレキサンドラ・アンドリューズ著、大谷瑠璃子訳
 ニューヨークの出版社で働くフローレンス・ダロウは、ベストセラー作家モード・ディクソンのアシスタントとして雇われる。ディクソンは本名も住まいも伏せられた覆面作家で、実際の彼女を知る人はエージェントくらいだった。最初は憧れのディクソンと一緒に働けて張り切っていたフローレンスだが、徐々に作家になりたいという野望を膨らませていく。
 本(unpisによるカバーイラストがデザイン性高くてなかなかいい)の帯に「息もつかせぬどんでん返しの連続!」とあるのだが、ミステリを読みなれている人、いやミステリに限らず小説を読みなれている人にはそれほど「どんでん返し」な印象はないのでは。むしろ予定調和と言ってもいいくらいの予想の裏切らなさなのだが。慣れている人ならああこれはあのパターンね…とすぐに察しがつくだろう。しかしそれでも「息もつかせぬ」小説ではある。自分の予想が合っているのか気になって先を先をと気がせいてしまうのだ。また、フローレンスの脇の甘さ、見込みの甘さにはハラハラさせられ、目が離せない。
 フローレンスは愚かかもしれないが、何となく嫌いになれない。彼女はちょっと文章を書くのが上手くて文学好きではあるが、凡そ凡庸で「持っている」人にはかなわない。この「持っている」が才能の有無だけならまだ諦めがつくのだろうが、生まれた環境で「持っている/いない」の命運が分かれてしまうという残酷さが染みる。地元では自分が一番クールでスマートだったのに元同僚らとの会話についていけなかったショックや、自分の洗練されてなさを目の当たりにした惨めさが刺さってくるのだ。彼女の野望がどのように形になっていくのかという所よりも、その根っこにあるものの方が印象に残る。

匿名作家は二人もいらない (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アレキサンドラ アンドリューズ
早川書房
2022-02-16


あのこは貴族 (集英社文庫)
山内マリコ
集英社
2020-07-03


『時の他に敵なし』

マイクル・ビショップ著、大島豊訳
 子供の頃から太古の夢を繰り返し見る青年ジョシュアは、その夢を魂遊旅行と呼んでいた。夢に出てくるのは石器時代で、自分の幻想ではなく実際にあったことだ確信した彼は、古人類学者のブレアにその夢について話す。ブレアは魂遊旅行は本物だと認め、ジョシュアを国家的なタイムトラベルプロジェクトへ誘う。石器時代に送り込まれたジョシュアはホモ・ハビリスと呼ばれる現生人類の女性と恋に落ちる。
 まずは装丁がかっこいい!文庫でこの装丁は相当頑張ったのではないだろうか。私はそれほどSF小説を読むわけではないので、この装丁でなかったら手に取らなかったかもしれない。ジョシュアは魂遊旅行で過去=古代を「見る」が、ブレアのプロジェクトに参加することで肉体ごと過去に移動することに成功する。古代の世界にジョシュアがどんどん馴染んでいく様は時にユーモラスだが、自分が生まれて生きてきた世界(1960年代~80年代)に居場所がなかったことの裏返しでもある。スペインに生まれた黒人孤児でアメリカ人夫妻に引き取られたジョシュアは、白人社会の中では差別され続け、義父は事故死(死に方がかなりしょうもなくて冗談みたいなのだが)、義母も自身の仕事に邁進し、ほぼ絶縁状態だった。あったかもしれない過去を作り出すことは、彼のアイデンティティ、孤児である自分のルーツを裏打ちしなおそうという行為のようにも思える。
 しかし、彼のタイムトラベルのベースにあるのは「夢」だ。彼が生活している古代は自分の夢にすぎないのではないか?タイムマシンが完成したという夢をずっと見続けているのでは、全部彼の頭の中の出来事なのではというあやふやさが拭えない。古代での出来事は現代よりもカリカチュア気味だし、ジョシュアと現生人類の恋人・ヘレン(ジョシュアが名付けた)との関係も彼にとって都合が良すぎる。ヘレンに英語を教えようとするが彼女らの言語を学ぼうとはしないあたり、マイ・フェア・レディーのパロディのようでもある。古代を自分の居場所としつつも現生人類と対等に向き合うわけではない、そしておそらくそういう自分の態度を自覚していないという居心地の悪さがあった。その場所、時代をある意味利己的に利用しているという所も、彼の頭の中での出来事っぽいのだ。

時の他に敵なし (竹書房文庫 び 3-1)
マイクル・ビショップ
竹書房
2021-05-31


樹海伝説
マイクル・ビショップ
集英社
1984-10T


『氷柱の声』

くどうれいん著
 高校生の伊智花が高校生の時、東日本大震災が起きた。盛岡市に住んでいた伊智花は家も家族も無事だったが、その後、被災地応援する絵を描いてほしいと教育委員会から公募が来た時、違和感を感じる。それから10年の時間を、伊智花と彼女が出会った人たちの経験や思いで綴る。
 高校生の伊智花が感じた違和感は、自分の作品が周囲が期待する物語に取り込まれてしまう、勝手な意味づけをされてしまうことにある。伊智花は描いたニセアカシアの枝葉のディティールや構図について興味を持ってもらいたかった(自分が力を入れたのはそこだ)が、記者や教育委員会は「被災地に高校生が前向きなメッセージを届けようとした」というストーリーに興味を持ち、そのストーリーを抽出しやすい作品を評価する。それは絵画を評価すると言う行為とは別物ではないか。また、震災を感動の為のツールとして消費することになるのではないか。更に伊智花自身は震災によって大きな被害は被っておらず、果たして当事者と言えるのか。当事者ではないとしたら自分が震災について表現していいのか。
 これらの葛藤は伊智花だけでなく、彼女が出会う人たちそれぞれが抱えている。津波の被害にあった土地の出身だが運よく自宅に被害はなかった人、震災時は内陸にいたが停電のトラウマがぬぐえない人、震災の後に被災地に移り住んだ人。そして世間が求めるストーリーを引き受けようとする人。被災との距離と自分のこととしての咀嚼は、世間が求めるわかりやすさとは乖離していく。
 大きな災厄が起きた時、それは社会の問題ではあるが、社会を構成しているのは個々人であり、まずは個の問題なのだ。ひとくくりにしない、ラベル付け・意味づけを拒んでいく姿勢は、出来事と自分自身に対する誠実さだろう。小説としての構成・表現はまだぎこちない所もあるが、本作全体がそういった誠実さに貫かれている。

氷柱の声
くどうれいん
講談社
2021-07-08


二重のまち/交代地のうた
瀬尾夏美
書肆侃侃房
2021-03-01





『十日間の不思議』

エラリイ・クイーン著、越前敏弥訳
 作家で探偵のエラリイ・クイーンは、パリで知り合った青年ハワードから相談を受ける。度々記憶喪失に襲われその間何をしているのかわからない、自分を見張ってくれないかというのだ。ハワードの頼みに応じ、彼の故郷であるライツヴィルに三度赴いたエラリイだが、ある秘密を打ち明けられ、脅迫事件に巻き込まれていく。
 ライツヴィルシリーズ3作目にして、いわゆる「後期クイーン問題」の口火を切った作品と言われる本作。飯城勇三による解説でも言及されているが、本作を踏まえて『九尾の猫』を読むとより感慨深いと共に、本作を発展させたものが『九尾の猫』なんだなと改めて実感した。エラリイの人間としての不完全な姿、至らなさを描いた所も新機軸だったのだろう。また、当時心理学が流行っていた様子も垣間見える。
 本作、ミステリの構造は非常に人工的(神の視点が作品の中に置かれてしまう)でザ・本格という感じなのだが、エラリイの脆さ、ハワードとサリーの未熟さ・視野の狭さは等身大のものだ。特にハワードとサリーがもう少し勇気があり、事態を自分で引き受ける覚悟をしていたら、本作の「犯罪」は成立しなかったろう。2人が直面した問題に何かと背を向けてしまう、本当のことを言えない様はものすごくありがちな人間の姿だ。その弱さを深く理解してこその「神」というわけか。
 ライツヴィルシリーズは小さな町の出来事、クローズドな人間関係、愛憎渦巻く事件の背景といったあたりが横溝正史っぽいなーと思っていたのだが、悲劇を止められないあたり、本作ではいよいよエラリイの金田一耕助みが増している。


九尾の猫〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
エラリイ クイーン
早川書房
2015-08-31





『特捜部Q アサドの祈り』

ユッシ・エズラ・オールスン著、吉田奈保子訳
 キプロスの港に難民たちと見られる遺体が流れ着いた。その中の1人の老女の遺体は「犠牲者2117」として新聞で紹介された。その写真を目にしたアサドは強い衝撃を受ける。彼女は、かつてアサドと家族に力を貸した人物だったのだ。アサドは自らの壮絶な人生をカールたちに打ち明ける。
 特捜部Qシリーズが一つの節目を迎えた作品と言えるだろう。今まで謎に包まれていたアサドの正体が明らかになる。と同時に、彼の万能ぶりやちょっととぼけたユーモアがどういう経緯を経て生まれてきたものなのかと思うと、何ともやりきれない気持ちになった。そしてアサドの背後には更に大勢の人達の悲劇がある。と同時に、アサドに向けられた悪意はごく個人的なものでもある。それはもはやテロでもない。何か大きなものを口実に個人の怨念、承認欲求を満たそうという行為が、2つの事件で平行して展開していく。個人的にも人生の転機を迎えるカール、復活するローサ、そして一皮むけるゴードンらの奮闘、そして何より彼らのアサドへの思いやりにぐっとくる。いいチームだなぁ。
 なお、デンマークでも「ひきこもり」という言葉が定着しているんですね…。日本を代表する現象の一つになってしまったのか…。

特捜部Q―アサドの祈り― (ハヤカワ・ミステリ)
ユッシ エーズラ オールスン
早川書房
2020-07-07


特捜部Q―キジ殺し―
福原 美穂子
早川書房
2013-05-27



『特捜部Q 自撮りする女たち』

ユッシ・エズラ・オールスン著、吉田奈保子訳
 コペンハーゲン警察内の、未解決事件専門部署である特捜部Q。最近発生した老女殺人事件が未解決の女性教師殺人事件に似ているとの情報が元殺人捜査課課長のマークス・ヤコプスンから寄せられた。一方、別部署が若い女性を狙った連続ひき逃げ事件で立て込んでおり、Qのカールとアサドは2つの事件を掛け持ちで捜査することになる。しかしもう1人のQのメンバーであるローセは心身の不調に苦しんでいた。
 特捜部Qシリーズも7作目。シリーズ重ねるごとにボリュームが増していく気がするが、本作は特に詰め込みすぎで、ボリュームのためのボリュームになっているように思った。シリーズの他作品はどのように関係があるのかわからない複数の情報が真相に集約されていく構成にカタルシスがあったのだが、本作は結び付け方がかなり強引で、あまり整理されていない。更に気になったのは、「悪い女」に対する著者のうっすらとした悪意が感じられる所だ。被害者たちがともすると「殺されてもしょうがない」と思われかねないような、あさはかで愚かな描写になっているが、もし同じような条件で男性被害者だったらこういう描き方されたかな?犯人が憎しみ募らせたかな?とひっかかった。こういう女性はこういう風にずるいはず、みたいな古いステレオタイプ的な描き方で、なぜそうなっていくのか、という部分は(まあ本作の趣旨ではないからだけど)言及されない。背景を考えることは警官であるカールによってバカバカしいと一笑に付されてしまう。

特捜部Q―自撮りする女たち― (ハヤカワ・ミステリ)
ユッシ エーズラ オールスン
早川書房
2018-01-15


特捜部Q ―檻の中の女― 〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕
ユッシ・エーズラ・オールスン
早川書房
2012-10-05


『トム・ハザードの止まらない時間』

マット・ヘイグ著、太谷真弓訳
 トム・ハザードは歴史教師としてロンドンの学校に赴任する。彼がこの街に戻ってきたのは400年振りだった。彼は「遅老症(アナジェリア)」と呼ばれる非常に老化が遅い体質だった。周囲と違う時間を生きる彼は、住む土地を点々とし人目を避けていたが、遅老症の人々による組織「アルバトロス・ソサエイティ」が彼に接触し、身分とお金を提供するようになったのだ。彼のたった一つの望みは、同じ体質の自分の娘と再会すること。
 老化が遅いトムは、愛する人と一緒に老いることはできない。一定期間同じ場所に住んでいたら外見の変わらなさを疑われ、化けもの扱いされる。彼の母親は魔女狩りに殺され、それはトムの心に深い傷を残している。アルバトロス・ソサイティは、自分たちにとって愛は忌避すべきものだとトムを諭す。しかしトムはそこまで自分の心をコントロールすることはできず苦しむ。
 彼は一般の人とは人生の長さが違うし体感している時間も違うだろう。しかし時間そのものは普通の人にも遅老症の人にも同じように流れている。同じ時間を生きていれば他の人に惹かれることも情が深まることもある。しかし何らかの関係が出来てもそれは壊していかざるを得ない。全く別の世界を生きるわけにいかないという所が辛いのだ。この切なさが全編に満ちている。人が生きている上で、誰かとの深い関わり、愛情というものがいかによすがになっているか、それを禁じられているトムの視線を通しているからこそ際立つ。愛情を恐れなくなった時、トムは時間を恐れなくなるのだ。

『読書で離婚を考えた』

円城塔・田辺青蛙著
 芥川賞受賞者であるSF作家の夫と、フィールドワークを得意とするホラー作家の妻が、お互いに本を勧めあい感想文を書く、そしてまた相手へのお勧め本を提示するというリレー形式のエッセイ。
 本著、感想文、書評としてはあまり機能していないように思う。小説以外での円城の文章を読んだことがあまりなかったので、こういう軽い文も書くんだなと(すいません先入観が・・・)新鮮ではあったが、取り上げられている本を読みたくなるかというとそうでもない。本著の面白さは、感想文リレーをする夫婦の噛み合わなさ、方向性の違いがどんどん露呈していく様にある。本の好みはもちろんだが(円城はやはり論理と思念の世界の人で、田辺は実存・体験の人)、料理の作り方にしろ、観光の仕方にしろ、全くタイプが違う。本を勧め合うことによって歩み寄ろうという企画だったはずなのに、むしろどんどん乖離していくし理解が深まったというわけでもない。この2人なぜ結婚したの?!と突っ込みたくなるのだが、夫婦って往々にしてこういうものなのかもしれない。生活の上で協力し合える、一緒に暮らせることと、性格や好みの方向性は必ずしも一致しないのだろう。少なくともここだけ合っていればOK、みたいなポイントが組み合わせごとにあるんだろうな。いやー人間て本当に不思議・・・。なお私は円城が勧めている本の方が好み(既に読んでいるものもあったし)です。

読書で離婚を考えた。
円城 塔
幻冬舎
2017-06-22


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