ジョセフ・ノックス貯、池田真紀子訳
マンチェースター大学の女子学生、ゾーイ・ノーランが失踪して6年。作家のイヴリン・ミッチェルはこの事件に興味を持ち、関係者への取材と執筆を始める。同業者のジョセフ・ノックスとメールでやりとりして原稿の進め方について相談していたが、決定的な情報を入手後、死亡する。ノックスは残された原稿を元に犯罪ノンフィクションを完成させるが。
サスペンスはサスペンスだが、イヴリンとノックスのメールのやりとりと、関係者への取材内容のみで構成されているという変化球。先日読んだミシェル・ビュッシ『恐るべき太陽』に引き続き叙述トリックミステリと言えるだろうが、どうせやるなら本作くらい大がかりにやってほしいね!メールにしろインタビューにしろ、言葉を発する側は何らかの意図があって発しているわけで、何かをあえて伏せる・あえて言及するという演出が当然含まれている。全ての発言が必ずしも信用できるわけではないのだ。関係者たちのインタビュー内容は全員なんだか怪しい、同時に決定的な疑惑もかけにくいというグレーなもの。更にイヴリンとノックスとのやりとり自体にも黒塗りにされた部分や妙に思わせぶりな部分があり、信用できない語り手たちが二重のレイヤーで語るという構造になっている。ノックス本人が関係者として登場しこれまた怪しげで、サービス精神旺盛だ。事件の謎を解くというよりも、インタビューを重ねる中で関係者の発言の祖語と、それに隠されたものが徐々に見えてくるというものなので、いわゆるフェアな謎解きではない。ただあの時のあれはこういうことだったか!という伏線はきちんと提示されている。そして作中で生じる2つの殺人のうち、1つは解決したと言えるだろうがもう1つは果たして、という余韻をあえて残す。
ゾーイの家族や友人たちは彼女について様々な意見を言うが、本当のゾーイはどういう人だったのかはなかなか見えてこないままだ。見えてくるのは関係者たちの嘘と、なぜそのような嘘を言ったのかというそれぞれの事情、そして彼・彼女らの人となりだ。ゾーイ自体は空洞のまま物語は閉じていく。そこが少々不気味でもあるし、もしゾーイが「こういう人」とはっきりわかる・表明できるような人だったらそもそもこの事件は起きなかったのではと物悲しくもある。