3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『ディンマスの子供たち』

ウィリアム・トレヴァー著、宮脇孝雄訳
 イングランド・ドーセットの港町ディンマス。復活祭が近づき町の人々は活気づいていた。その一方で少年ティモシーは町の住民たちに自分が見たという「秘密」を話して回る。彼の言葉によって、町の住民たちが隠していた欲望・願望が露わにされていく。
 ディンマスは架空の町だが、海沿いの風光明媚な場所らしい。特に豊かというわけではなく、経済的に逼迫している住民もいるものの、生活が立ち行かないというほど貧しいわけではないという経済水準はまあまあ中間層、ごく普通の住宅地という雰囲気だ。住民たちもぱっと見何も変哲がないのだが、ティモシーの言葉が波風を立てていく。彼の言葉は人の心をかき乱し壊していく悪魔的なものに聞こえるが、本人に悪意があるのかないのかよくわからない。彼は自分の「復活祭の祭りでステージに立つ」という希望を叶える為に奔走しているだけにも見える。しかし彼は自分の希望を通すために相手の秘密、弱みと言えるような部分に無遠慮に踏み込んでいる。彼の話は作り話、思い込みといなしてしまってもよさそうなものだが、聞く側が何か心当たりがあると思わされてしまう所が怖い。後ろ暗い所や漠然とした疑いが増幅されていくのだ。おそらくティモシーの言葉は、何も秘密がない人には影響力がないのだ。そういう所がまた悪魔的と言えるのかもしれない。

ディンマスの子供たち (ウィリアム・トレヴァー・コレクション)
ウィリアム・トレヴァー
国書刊行会
2023-03-27


異国の出来事 (ウィリアム・トレヴァー・コレクション)
ウィリアム トレヴァー
国書刊行会
2016-02-29


『電車の窓に映った自分が死んだ父に見えた日、スキンケア始めました』

伊藤聡著
 アラフィフの著者はある日、電車の窓に映った自分が死んだ父親にそっくりな、くたびれた容貌になっていることに気付く。加齢と不摂生による変化に震撼した著者は、容貌をなんとかしようとあれこれ考えた結果、スキンケア用品を買う為にドラッグストアに向かったのだった。
 スキンケアに全く興味がなかった、何だったら男性がスキンケアなんてちょっと恥ずかしいかなと思っていた著者は、持ち前の探究心と恐らく凝り性な性分とで、みるみるうちに美容沼にはまっていく。私は著者のtwitterやnoteも読んでいるのだが、ふと気づくと美容に目覚め、しかも日に日に美容知識が成長しているので、おおこれが人の伸びしろというものか…と感慨深かった。ついには美容ネタで出版までこぎつけるのだから、その探究心おそるべしである。そう、オタク気質と美容は相性がいいのだ。本著は美容については入門編といったところで、普段からスキンケアをしている人には目新しいものはないだろう(美容に特に興味はない私ですら知っている事柄だから)。しかし、スキンケアをちゃんとやろうと一念発起した人が、そのノウハウや面白さをどのように発見し、自分の中で咀嚼していくのかという部分が面白い。「スキンケアとギターエフェクターのビジネスモデルはほぼ一緒」説にはな、なるほどな!とつい納得させられてしまった。
 本著の良さは、男性がスキンケアをするノウハウ面だけでなく、なぜ男性にとってスキンケアは心的ハードルが高いのかという部分にも切り込んでいる所にある。男性の身体性の問題は、男性自身もあまり自覚がないものなんだなと。えっその状態でケアしないの?と不思議に思うくらい、男性諸氏は心身のセルフケア習慣がないものなのかと逆に新鮮だった。「きれいになるため」というよりも「自分が快適であるため」のケアは普通のこととしてやってみていいと思う。


『天使と嘘(上、下)』

マイケル・ロボサム著、越前敏弥訳
 臨床心理士のサイラスは、児童養護施設で少女イーヴィと出会う。6年前に異常な殺人現場の隠し部屋に潜んでいた彼女は、自分について他人に一切話さず、本名も出自も不明のままだった。そしてイーヴィには他人の嘘を見抜く能力があった。彼女を養子として引き取ったサイラスは、10代のフィギュアスケート選手が殺された事件の捜査に協力することになる。
 イーヴィは過去の体験から他人を信じず、相当なニヒリストで心を開こうとしない。一人で生きようとするが決して世慣れているわけでもなく、聡明ではあるがその行動は危なっかしい。彼女の頑なさはそれまでの人生や境遇を考えればしょうがないと思いつつ、大変もどかしくなる。一方でサイラスにも壮絶な過去がある。過去に深い傷を持つ2人がお互いのことを探りつつ、少しずつ距離を縮めていく。その一方で殺人事件の捜査が進むという構成。被害者は将来有望なフィギュアスケート選手で学校でも人気者だった。しかし彼女は額面通りの人物だったのか。少しずつ被害者の人物像にほころびが出てくると同時に、彼女の周囲の人たちの実像が浮かび上がってくる。
 サイラス、そして警察は事件、そして被害者の真実を明らかにしようとするが、知らなければよかったという人たちもいる。こと愛する者については。これはサイラスの過去、そしてイーヴィの過去についても同じなのかもしれない。2人の過去との決着についてはシリーズ全体にわたってのストーリーの軸になるのだろうが、過酷すぎて何とか決着がつくのか心配。

天使と嘘 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
マイケル・ロボサム
早川書房
2021-06-16


天使と嘘 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
マイケル・ロボサム
早川書房
2021-06-16




『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』

ブレイディみかこ著
 渡英後、英国で保育士として働いていた著者。20年ぶりで日本に長期滞在する間に、労働争議や保育の現場を見て回る。想像を超えるその現状と、英国との差異を記録・考察するルポルタージュ。
 英国の労働者は自分たちが労働者層であるという意識が強固にあり、どん詰まり状態でもやけくその底力で反乱を起こす傾向にある。また、本著1章で紹介されるように、労働者とやはり権利の為に戦う別の集団とが連帯することもある。一方日本だと、労働者が労働者に罵声を浴びせ連帯へとつながらない。著者はまずここにカルチャーショックを受ける。ただ、英国を上げて日本を下げるという角度で書かれているわけではない。この現場はこうなっている、という現場の観察と考察がまずあるのだ。批判はするが、何かと比較しての批判ではなく状況としておかしいという批判になっている。著者はもちろん日本で働いていたこともあるわけで、日本の組織・集団の特性も肌感覚としてわかっている。半分内部、半分外部の視線がある。日本と英国の保育行政の違いなど初めて知ることばかりで興味深かった。英国でも保育士の給与水準は低いそうだけど、保育士1人が担当してよいとされる児童数が全く違う。日本はNPO活動などが政治につながりにくい(そういう発想も余力もあまりない)というのも耳が痛い。政治にコミットする層と無関心な層がはっきり分かれてしまっている。
 それにしても、日本て基本的人権という概念が全く定着していないんだなとめまいがしてきた。自己責任てそういうことじゃないだろー!と叫びたくなる。もっと政治のせいにしていいし騒いだり暴動起こしたりしてもいいと思うんだけど。

THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本
ブレイディみかこ
太田出版
2016-09-23


『定形外郵便』

堀江敏幸著
 テニスをする男女の姿から「ラヴ」に思いを馳せ、パリの大渋滞の中一向に動かないバスに乗って一冊の画集を手に入れる。様々な文学、美術のエッセンスがちりばめられた随筆集。
 日常のある出来事からふっと何かを連想し、文学や美術につなげるという著者のスタイルは毎回同じようでいて、なかなか続けられないやり方なのではないだろうか。そもそもよくネタが尽きないものだと思うし、関係なさそうなもの同士の中に関連を見出し、星座のように繋げていく手腕は流石。その星座、もっと見たいという気持ちになる。文章中に出てくる作品のことをもっと知りたくなるのだ。
 随筆ではあるのだろうが、かなり小説に近づいているような掌編もある。日常の地平から10㎝くらい浮いている感じがするのだ。生々しさが削ぎ落されている。そういう掌編の中に強い感情がのぞき見えると、予想以上にざらっとした手触りになる。抑制しきれないものの滲み方も一つの味わいか。

定形外郵便
堀江 敏幸
新潮社
2021-09-28


戸惑う窓 (中公文庫)
堀江 敏幸
中央公論新社
2019-10-18


『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』

丸山正樹著
 元警察官の荒井尚人は手話通訳士をしている。ろう者の法廷通訳を担当したことがきっかけで、荒井はあるNPO団体から仕事を依頼された。ろう児施設の代表が殺された事件と、過去、同じ施設内で起きた事件とが交錯していく。
 「ろう者」の家庭に生まれたことで「ろう者」の世界と「聴者」の世界の間に生きてきた荒井を通じて、「ろう者」の文化、そして2つの文化の間のギャップを見せていく構造。日本手話と日本語手話があるということ程度は知っていたが、当事者にとってはこうも違和感のあるものだったのか…。荒井は手話文化にポジティブな思い入れがあるわけでもなく、そんなに好感度の高い人柄でもないし、立派な人でもない(むしろ小者感や配慮のなさが目立つ。交際相手の子供と元夫を巡る一幕など認識甘すぎて大人として相当まずい)。そういう所がかえって等身大に感じられる。その等身大な「立派ではない」人の眼を通しているところがポイントだと思う。そもそも本作、立派な人や私にとって好感度の高い人は出てこないのだが…。
 読んでいて違和感を感じたのが、荒井がしばしば「(ろう者と聴者の)どちらの味方なのだ」と問われる、また一方的に「味方」「敵」扱いされる所だ。敵か味方かのどちらかを選択しろという要求自体が大分失礼ではないかと思うが、通訳は、どちらの側にとっても「正確に通訳する」ことこそが正しい。そこに勝手に敵味方概念を乗せるなよと思ってしまう。また、ろう者家庭に育った聴者の子供は通訳の役割を果たすようになるという事情も、それはそれで一つの家族の形だと理解はできるが、ひっかかるものがあった。聴者の子供のに大人になることを強いてしまうのではないか(親の通訳をすることで大人の世界に強制的に組み込まれるので)。子供時代の荒井が感じていた疎外感は、親の愛を理解していても帳消しにはならないのではないかと。


ビヨンド・サイレンス [DVD]
ハウィー・シーゴ
キングレコード
2004-02-25




『天使は黒い翼をもつ』

エリオット・チェイズ著、浜野アキオ訳
 ホテルで抱いた娼婦・ヴァージニアとなぜか共に旅に出たティム。道中で彼女を捨てるつもりだったが、欲望に忠実で度胸がある彼女と離れがたくなる。ティムは獄中で仲間と立てたある計画があり、その相棒としてヴァージニアを同行させる。
 ティムの現金強奪計画はなかなかのスケールで、着々と準備を進めていく様や特別仕様のトレーラーをこしらえる様は愉快。だが実際の犯行の瞬間は予想外にあっさりしている。ティムが囚われ悶々とするのはヴァージニアの存在だ。とは言え、犯罪の相棒としてのヴァージニアは頼もしい。予想外のドライビングテクニック、「悪い金なんてない」と言い放つ様など魅力的だ。いわゆるファム・ファタルと言えるのだろうが、ティムを破滅させるというよりも一緒に奈落の底まで突っ走っていく、何ならティムを置き去りにしていくような勢いの良さがある。彼女の方が欲望がはっきりいているのだ。ティムの方が無自覚で、それゆえヴァージニアに振り回される。ティムとヴァージニアの間にあるものがわかりやすい愛や信頼ではなく、理屈を越えた離れがたさなところに、クライムノベルとしてよりもノワールとしての個性が際立っていた。彼らはこういうふうにしか生きられないという強烈さがある。

天使は黒い翼をもつ (海外文庫)
エリオット・チェイズ
扶桑社
2019-12-27







『テニスコートの殺人』

ジョン・ディクスン・カー著、三角和代訳
 雨上がりのテニスコートで名家の青年の絞殺死体が発見された。遺体はコートの中央付近で仰向けに倒れているが、そこへ続く足跡は被害者のものと、遺体の発見者であり青年の婚約者であるブレンダのもののみ。彼女は無実を訴え、ブレンダに思いを寄せるヒューは、彼女を守りたい一心でアリバイ工作をしてしまう。しかし彼女が無実だとすると、殺人はどのように行われたのか?
 カーといえばオカルト感という先入観があったが本作はオカルト感一切なく、予想外の軽妙さ。若者たちの三角関係というベタなロマンス要素もあって楽しく読んだ。こいつは嫌らしいキャラですよ、という造形がなかなかうまく、嫌さの種類に実感がある。すごくモテるし愛されるタイプであるが故の嫌さの造形がいい。そして真犯人がとにかく下衆い!ヒューとブレンダの工作が状況の予想外の変化によりどんどん裏目に出ていくというくだりはコメディぽくも読めるし、展開が結構早くリズミカル。これは新訳の良さかもしれない。トリックは一応ちゃんと物理的な説明がついているのだが、トリックそのものよりその状況にもっていく口実に笑ってしまった・・・それはさすがに無理が・・・。なお解説によるとカー本人も認めている通り、小説の構成がひとくだり余分になっているところは勿体ない。無理に長くしようとしてしまったそうだ。

テニスコートの殺人【新訳版】 (創元推理文庫)
ジョン・ディクスン・カー
東京創元社
2014-07-20


三つの棺〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョン・ディクスン・カー
早川書房
2014-07-10


『天国の南』

ジム・トンプスン著、小林宏明訳
 1920年、テキサス。大規模なパイプライン工事で職を得る為、放浪者、浮浪者、前科者等様々な人々が流れ込んでいた。ホーボーとしてこの地に流れ着いた21歳のトミーもその1人。かつて仕事で相棒だった30代の男フォア・トレイと再会しまた共に働くことになる。そして謎めいた女性キャロルと出合い、恋に落ちる。しかしフォア・トレイはキャロルには構うなとトミーを説得する。
 トンプスンはこういう作品も書いていたのかと新鮮に読んだ。ある犯罪が絡んだストーリーではあるものの、さほど血なまぐさくも強迫神経症ぽくもない。本作がはらむ焦燥感や落ち着きのなさは、語り手であるトミーの若さゆえのぐらつきや気短さから発せられるものだ。トミーが若くて未熟であることはそこかしこから感じられるし、トミー自身も言及する。本作はトミーが過去を思い返し語っている形式なので、あの時あんなことをしたのは自分が至らなかったからだ、という自省がからむのだ。しかしそこがみずみずしく、青春物語的な味わいになっている。若いトミーに対しある程度経験を積んだ過去のある男としてフォア・トレイが位置する。彼はトミーの兄貴分、導き手のような存在だが、トミーをどのように導きたいのか、彼は何をしに来たのかということがずっと伏せられている。本作の終わり方はある意味清々しいのだが、フォア・トレイが抱えるミステリ要素の端的な答えでもあるのだ。

天国の南
ジム・トンプスン
文遊社
2017-08-01




ゼア・ウィル・ビー・ブラッド [Blu-ray]
ダニエル・デイ=ルイス
ワーナー・ホーム・ビデオ
2012-02-08


『テロ』

フェルディナント・フォン・シーラッハ著、酒寄進一訳
 ドイツ上空で旅客機がハイジャックされ、犯人は7万人の観客が集まっているサッカースタジアムに旅客機を墜落させようとしていた。犯行声明を受けて緊急発進した空軍少佐は、独断で旅客機を狙撃、無人の土地に墜落させる。乗客164人は即死だった。164人を殺し7万人を救った彼は英雄か?犯罪者か?参審議裁判所(ドイツでは一般人が審議に参加する参審制度が採用されている)で下される判決とは。
 法廷劇の戯曲仕立てで、検察官の論告、弁護人の最終弁論に加え、結末は「有罪」「無罪」の2パターン用意されている。戯曲の形式をとってはいるが、本作、実際に戯曲として演じても面白くはないだろう。テーマを強調し、読者を巻き込む為にこの形式を採用した、あくまで「読む」用の作品なのだと思う。そしてそのテーマも巻き込み方も、著者の他作品に比べるとかなり直接的。テーマしかないと言ってもいいくらいだ。著者にとっては、そのくらい切羽詰まったテーマだったということだろうか。テロは、多数の被害者を出すというだけでなく、モラルや法律が引き裂かれるジレンマを引き起こす。裁かれるのがテロリストではなく、それを(他の乗客もろとも)狙撃した側だという所がポイント。有罪判決を読んでも無罪判決を読んでも、どちらも一理あると思ってしまう。ただ、著者としては「(中略)しかし憲法はわたしたちよりも賢いのです。わたしたちの感情、怒りや不安よりも賢いのです。私たちが憲法を、そして憲法の原則、人間の尊厳をいついかなる場合でも尊重するかぎり、わたしたちはテロの時代に自由な社会を存続できるのです」という言葉の方により近いのでは。テロリストの襲撃を受け12人の犠牲者をだした『シャルリー・エブド』誌がMサンスーシ・メディア賞を授与された際の、著者による記念スピーチが併録されているのだが、むしろこちらの方が著者渾身の文章という感じがした。著者はいわゆる社会的モラルや良心を(もちろん重要なものだと考えてはいるだろうが)過信していない、それが移ろいやすいものだということを踏まえているんじゃないかと思う。

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