3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『チャイナ・メン』

マキシーン・ホン・キングストン著、藤本和子訳
《村上柴田翻訳堂》シリーズ。移民、あるいは不法移民としてアメリカにやってきた中国人たち。鉄道建設や鉱山等で労働力を提供し、アメリカ繁栄の礎を築いた彼らの末裔である著者が紡ぐ、彼らの記憶。当時アメリカ人が中国人を「チャイナメン」だと侮蔑的なニュアンスをはらむそうだが、著者は「チャイナ・マン」と記載する。移民してきた中国人たちは、時間と世代を重ねるごとに中国人からは遠のき、かといってアメリカ人としても違和感を持ち続ける。著者はそこにコンプレックスや負い目ではなく、「チャイナ・マン」という新しい立ち位置を与える。アメリカではノンフィクションの括りに入れられているそうなのだが、どちらかというと「お話」的な、語りとしての力が強い。人の口が語る時のように、必ずしも起承転結や伏線はないし話題がとりとめもなく移ったり、ファンタジーの領域に突入するようにも見えるが、そこが却って、移民たちの背景にある中国の歴史・神話まで感じさせる。自分の両親や叔父、従兄など身近な人たちの話なのに壮大、かつ散漫な広がりを見せる。

『地図になかった世界』

エドワード・P・ジョーンズ著、小澤英実訳
 南北戦争以前のヴァージニア州マンチェスター郡。黒人の農場主ヘンリー・タウンゼントが病気で急逝した。ヘンリーは元々両親と共に、郡の名士ウィリアム・ロビンズに所有される奴隷だった。ヘンリーの父オーガスタスは、苦労して一家の自由を買い取ったが、成長したヘンリーは自ら黒人奴隷を購入し、両親と決別してしまう。マンチェスター郡は郡の再編時になくなってしまった為、邦題の通り「地図になかった世界」(原題はThe Known World)というわけだ。物語はヘンリーの危篤から始まるが、一つの文から数十年を飛び越えて過去へ、あるいは未来へと行ったり来たりする。その間にヘンリーとその家族、奴隷たちだけでなく、ロビンズの関係者や、更に関係者の関係者へ、といった具合に登場人物もどんどん増え、絡まりあってタペストリーのようになっていく。著者が描こうとしている世界がどのようなものなのか、徐々に点と点が繋がり、白人と黒人、主と奴隷の関係の、この時代の中での絶対的な力、時にそれが揺らぐ様がやりきれなく、またスリリングでもある。自分と彼らとの間にある壁は何なのか、彼らと何が違うのかと考え始めてしまった者にとってはとてつもなく苦痛な世界だろう。黒人である息子が黒人の奴隷を持ったことにオーガスタス夫妻は絶望するが、ヘンリーは白人と同じように法で許されたことをやっただけだと憤慨する。また、リベラル派の白人女性が実子のようにかわいがっていた黒人少女に対して、ある言葉を使ってしまうことに、両者の間にある(白人女性にはおそらくよくわかっていない)決定的な溝を感じさせた。そこに境界線がある、ということを随所で感じさせるのだ。ただ、そこを越境しようとする人たち、境界線はもしかして本来はないのではと気づく人たちもいる。「(中略)人ってのは、何か・・・・・何か光みてえなものの下にたっていられるべきなんだ。(中略)そんで、その光の下から出てきても、誰もそいつが言ったことで大騒ぎしたりしねえんだ」。終盤、境界線を越えた人たちのその後に、胸が熱くなった。

『沈黙の果て(上、下)』

シャルロッテ・リンク著、浅井晶子訳
イギリスの田舎の古い屋敷で、5人の惨殺死体が発見された。長年の付き合いの3家族が滞在する別荘だったが、彼らの間に何があったのか?生き残ったイェシカは、自分の夫とその友人たち、友人の妻たちの間に何があったのか、少しずつ探り始める。ドイツでは大ベストセラー作品だったそうだが、確かに面白く、ぐいぐい読まされ長さが気にならない。しかし嫌な話である。“本物の友情は、個人の尊重にも、それぞれのプライヴァシーの存在にも耐え得る。だが人工的な友情は、場合によってはそうはいかない”という文に一端が垣間見えるように、本作のモチーフになっているのは依存関係だ。様々な依存の形がそこかしこで描かれる。一見強い人であっても、その強さを成立させる関係性に依存していると言える。また、人間関係ではなく、屋敷に執着する「部外者」であるフィリップのように、自分の不運を誰かのせいにするために妄想のような願望にしがみつくというのも、ひとつの執着だろう。その執着の様を見ているのがとにかく居心地が悪かった。イェシカは部外者寄りの視線=読者の視線に近いので屋敷の人々の関係の異様さに気付いていくのだが、関係性のさ中にいるとわからないんだろうなぁ。所々に挿入される少女の日記が、年齢相応の視野の狭さでとげとげしいのだが、徐々に自分の父親たちの異様さに気づいてしまうところが痛々しい。

『地図と領土』

ミシェル・ウエルベック著、野崎歓
 アーティストのジェドは、道路地図を撮影した写真作品で一躍有名になる。静物写真からやがて肖像画へと方向転換したジェドは、作家のミシェル・ウエルベックに個展カタログ掲載向けの開設、そして絵のモデルを依頼する。ウェルベックは了承したが、思わぬ事件が起きる。どのように「売れる」のかというお金事情も垣間見える、現代美術を取り巻く世界を描く。企業や個人がいろいろと実名で登場するし、著者本人まで登場する(この人、オフィシャルイメージがこんな感じなのか?訳者あとがきを読むとそうみたいだけど、相当偏屈に見られてるってことなのか)。実在のものをフィクションにどんどん引きずりこんでくる強引さだが、固有名詞が使われている場所がぴたっとはまっている感じ。また、ジェドの青春小説としてもどこかせつなさが漂う。彼は友人や恋人がいなくはないが、常に孤独だし、自分から人との絆を深めようとはしない。彼は自分の「領土」を広げるが、そこに他人は入ってこないのだ。・・・というようにしんみりしていたら第三部でまさかの展開が。小説のジャンル変わっちゃったよ!それはありか!

ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ