3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『チョプラ警部の思いがけない相続』

ヴァシーム・カーン著、舩山むつみ訳
 ムンバイ警察サハール署署長のチョプラ警部は健康面に不安が生じ、早期退職することになった。しかし退職日の朝、伯父から子象を相続するという珍事が起きる。更に最後の仕事の為に署に出向くと、少年の水死体が発見されたという報告が入る。遺体は検死解剖もされず事故として処理されたという経緯に疑問を持ったギョプラ警部は、警察を退職したにもかかわらず独自に調査を始める。
 チョプラの子象に対する扱いが結構雑なので象の飼い方はそれで大丈夫なの?!早く獣医に見せなくては(途中でちゃんと行きます)!と事件以外の部分で心配になった。動物の世話には責任もってくださいよ…。それはさておき、正直なところミステリとしては大味だと思う。チョプラは真面目で有能な元警官という設定だが、捜査の様子を見る限りではそれほど切れ者という印象はなく、むしろ右往左往しつつ地道な聞き込み・情報収集を積み重ね、そこに幸運が加味され何とかなるという感じ。ただ、チョプラの警官としての誠実さや正直さ、公務員として責務を全うしようとする姿勢自体が、残念ながらインド警察の中ではレアな存在だということも描かれていく。本作の面白さはストーリーの流れそのものよりも、それがどういう社会、どういう歴史の中で起きているのかという背景の差し込み方の方にあるように思った。現代インドの決して明るい面ばかりではない世相が垣間見られる。ラストもそういった背景を踏まえ、ほろ苦い。しかしチョプラが正しさ、公正さを諦めない所に後味の良さがある。しかし大事な決断をするときはちゃんと家族に相談して!後々揉めるから!そういう部分の脇が甘いのがチョプラの持ち味なのだろうが、言葉足らずでハラハラさせる。

チョプラ警部の思いがけない相続 (ハーパーBOOKS)
ヴァシーム カーン
ハーパーコリンズ・ジャパン
2023-05-18


ポップ・アイ(字幕版)
ナロン・ポンパープ
2019-05-08






『父を撃った12の銃弾』

ハンナ・ティンティ著、松本剛史訳
 父ホーリーと共に各地を転々として生きてきた少女ルー。放浪の果て、死んだ母親リリーの故郷である港町に古い家を買って定住する。しかしリリーの母親メイベルはホーリーを拒絶する。そしてリリーはホリーに殺されたのだと言う。父親の体には12の弾傷があるが、その過去に何があったのか。
 ミステリジャンルとして扱われているが、特に謎を解くミステリというわけではない。ホーリーはリリーを殺したのかという点も実はそれほど謎とされているわけではない。ホーリーという人間自体がよくわからない、謎の存在なのだ。彼の過去から現在に至るまでが徐々に見えてくる過程が、謎が解ける過程と言えるだろう。現在のパートと、ホーリーが受けた弾丸の数が章タイトルのパートが交互に配置されているのだが、この構成がホーリーの人生がある一点に集約されていく緊張感を高めていく。父と娘のノワール小説的な側面もあるのだが、娘にとってはここまで巻き込まれてしまっていいのだろうかという気はする。子供も主人公だがあまり成長譚という感じではない所に味わいがある。どこまで行ってもこういう人である、という部分を父娘共に感じた。その上で人生をやりくりするしかない人もいるのではないかと。

父を撃った12の銃弾 上 (文春文庫)
ハンナ・ティンティ
文藝春秋
2023-05-09


父を撃った12の銃弾 下 (文春文庫)
ハンナ・ティンティ
文藝春秋
2023-05-09






 

『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』

済東鉄腸著
 大学卒業後、千葉の実家にずっと引きこもっていた著者は、映画をきっかけにルーマニア語にはまる。Facebookを駆使してルーマニア人脈を広げ猛勉強の末、ルーマニア語で短編小説を書くほどになる。更に地元の文芸誌に作品を掲載され、「ルーマニア語で小説を書く日本人作家」としてルーマニアデビューしてしまう。ルーマニア語への愛と情熱がほとばしるノンフィクションエッセイ。
 題名はさすがに誇張だと思うかもしれないが、本編を読むと著者は(諸々の事情もあり)本当に千葉からほとんど出ない。しかし千葉在住のままルーマニアという日本からは物理的にも文化的にも大分離れた場所と繋がり、そこに自分が生きる道を見出してしまう。この飛躍が鮮やかで力強い。それにしても引きこもりなのに行動力とエネルギーがありすぎる。正確にはルーマニア語への情熱が行動力とエネルギーの底上げを滅茶滅茶してしまっているのだろう。著者が映画監督のアドリアン・シタルに会いたい一心で六本木のTOHOシネマ(よりによって六本木である)へ行く、そして監督と言葉を交わすエピソードには目頭熱くなった。
 私は恐らく著者とは文学や映画に対する趣味嗜好も、批評と芸術の関係に関する考えもかなり異なるのだが、著者のこの一途さというか、自分の好きなものに対する誠実さ、真摯さには心打たれる。何かへの過剰な愛、そしてその愛に忠実であることは時に自分を救うのだ。こんな人生が現在進行形で進んでいるということが、他人事ながら爽快に感じられる(他人の人生に勝手に愉快さや小気味よさを感じるのもどうなんだとは思うが)。本著の文体は少々イキった、しかもイキり方が若干懐かしい感じの語り口でちょっと鼻につくなと最初は思ったのだが、この語り口自体が著者の自身の表現、そして自分自身のあり方に対する誠実さなんだなとわかってきた。
 著者には元々言語マニア的な資質があるので一般的にはなかなかできることではないのだろうが、ローカルな言語をいかに独学するかという一例としても読めるのでは。他言語、他文化を学ぶことが自分の文化圏とその中にある自分の価値観を相対的に見る、批評になっていくということもよくわかる。しかしインターネットとSNSのある時代に著者が生まれていて本当に良かった…。なお巻末のルーマニアックの為の文学・映画・音楽リストも参考になる。


優しい地獄
イリナ・グリゴレ
亜紀書房
2022-09-23


『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』

古賀及子著
 ライター・編集者である著者が綴ってきたウェブ日記、2018年から2022年まで103日分を、書下ろしを含め再編した一冊。母・息子・娘の、時にへこんだり慌てたりしつつも愉快な生活が続く。
 著者のことは全く知らず(デイリーポータルZのライターの方だったんですね)、しかし題名のセンスが際立っているので気になっていた1冊。本文のセンスも際立っていた。何を記すかという部分の思慮深さとユーモアにあふれている。自身の子供を文章のネタにする、文章として残しておくというのは書く時点での配慮が必要だし、追々子供が成長した後までの配慮も必要となると思うのだが、ここまで、というラインの引き方が上手い(あとがきを読むと、書籍化していいかちゃんと子供に読ませて確認しているそうだ)。日記の中の家族は概ね愉快に暮らしているが、実際の生活はおそらく愉快なことばかりではないだろうし子供についての心配事も色々あるだろう。ただ、本著の中でも不愉快であったろう、心配でたまらなかったろうことは出てくるのだが、それを表す言葉の選び方に技があると思う。何より、子供を何か面白い存在として見る、一定の距離を置いた視線を保っている、子供は子供、自分は自分であるという姿勢が一貫している。「これだけいわゆる多感な年齢の人がそばにいてなお自分にとって一番多感なのはいつも自分だと思う」という作中の一文がまさに!という感じ。あとがきでも、自分が書いた子供の姿と子供が自認している子供の姿には距離がある、ということに言及しているが、そこに自覚的であることが、本作を読んでいて安心できる所ではないかと思う。
 日記本は多々あるが、劇的なことが起きない、どうということない毎日の事柄を読んでいて妙に楽しい、面白いのがいい日記本ということだろう。

ちょっと踊ったりすぐにかけだす
古賀及子
素粒社
2023-02-27


プルーストを読む生活
柿内正午
エイチアンドエスカンパニー
2021-01-15


『父と私の桜尾通り商店街』

今村夏子著
 商店街で長年営業している父のパン屋は、人気があったことがない。母が騒ぎを起こして出て行ってから、商品の半分は売れ残って廃棄されていた。父の体調不良もあり、残りの材料を使い切ったら店を畳むと決めたある日、1人の女性客がやってきた(表題作)。フィアンセの姉の子どもたちのお守をすることになったわたしだが、思わぬ行き違いが生まれる(「白いセーター」)。不器用で純粋、時に不気味さをはらむ短編集。
 一見、ほのぼのとしていそうな表題作タイトルだし、本の装丁(角川文庫版)もポップで可愛らしい。が、読んでみると全くほのぼのしていないしむしろじわじわと怖い。表題作の「わたし」にとって1人の客の存在がどんどん大きくなっていく、それが客当人の意志・思いとは関係なく客に多大な感情を寄せていく様は、ストーカーじみたものを感じさせた。これは「モグラハウスの扉」も同様なのだが、片想い小説の極北っぽい感じがするのだ。一生懸命すぎる一途さは、それを向けられる人や周囲の人からしたら大分怖い。
 それでも切なさが漂うのは、「わたし」たちの一途さが不器用すぎ、下手すぎだからだ。なんでか周囲の文法とずれてしまう、自分ではどうしようもできないピントの外れ方みたいなものがやるせない。その不器用さに対して特に「暖かい視線」なわけではなく、そういう存在を周囲が見た時の困惑とか不気味さも合わせて、収録作の端々で描かれている。ずれの違和感は当事者よりも周囲の方が強く感じるものなのかもしれない。


あひる (角川文庫)
今村 夏子
KADOKAWA
2019-01-24


『地上で僕らはつかの間きらめく』

オーシャン・ヴオン著、木原善彦訳
 幼いころ、ベトナム戦争後の混乱が続くベトナムから母と祖母と共にアメリカに渡った「僕」。母は英語がほとんどわからないままネイルサロンで働き、家族の生活を支えた。しかし言葉のわからなさや不慣れな異国での生活、そしてベトナムでの記憶により、母は心を病み、時に「僕」に暴力をふるった。「僕」も肌の色による差別や周囲との馴染めなさに苦しむが、ある夏、アルバイト先で出会った少年に恋をする。
 僕、母、祖母というベトナム移民3世代の人生を「僕」が母への手紙という形で記す。しかし「僕」が知る母、祖母の人生は、彼女らの言葉やふるまいから感知した断片的なものだ。更に母は英語が読めないので、実際には読まれる予定のない手紙ということになる。読まれない前提だから自身の心の奥底、また秘めておきたい行動まで吐露することができるし、手紙という呼びかけの形だから言葉にしやすい。手紙というフォーマットの目的は果たさないが特質は機能しているという不思議な構造なのだ。そして「僕」が文章を記していく、文学に傾倒していくということは、母親といる世界とはどんどん離れていくということになる。母の精神状態の悪化がなくとも、「僕」と母とのコミュニケーションは困難になっていくのだ。
 祖母と母を苛む戦争の記憶、母や「僕」が悩まされる肌の色の問題、「僕」の同性愛者としてのセクシャリティの自覚等、重い問題をはらんだ作品だ。子供時代の「僕」の生活は決して楽なものではない。しかし同時に、どうということのない、あるいは悲惨な出来事の中であっても、ある瞬間の美しさが描かれている。ささいな美しさを見落とさないように、非常に注意深く解析し記録しているように思えた。言及される事柄の時期や誰についての事柄なのか、しばしば混乱させるような断片的な配置になっているのだが、その断片性は個人の記憶、また心に焼き付いた瞬間の断片性に重なるように思った。




『挑発する少女小説』

斎藤美奈子著
 『小公女』『赤毛のアン』『若草物語』など、長年愛され続けてきた少女主人公が活躍する「少女小説」。書かれた当時の理想的な女性像、つまり往々にして良妻賢母への読者教育という側面がありつつも、そこに収まりきらない何かがあったからこそ現代でも魅力が色あせていないのではないか。大人になってから新たな視点で少女小説を読み解く1冊。
 取り上げられている小説は私でも全部読んだことがあるくらいの有名作ばかり。新訳が近年も出版されていたり、映像化作品もあったりと、実際に読んだことはなくてもあらすじくらいは知っているという人も多いのではないかと思う。本作に取り上げられている作品が書かれたのは20世紀初頭~中盤。一番古いものがバーネット『小公女』、新しいものがリンドグレーン『長くつ下のピッピ』。ほぼ年代順に取り上げられているので、時代背景や女性の生き方に対する価値観の変化も見えてくる。世間が子供に安心して与えられる保守性を保ちつつ、その枠をすり抜ける、また枠の中で最大限の自由を得ようとする主人公たちのタフさを現代の視点で読み解いていく。ちょっと強引では?という所もあるが、そういう読み方もできるという所が古典の強さなのだと思う。また『若草物語』や『赤毛のアン』等、個人としての生き方と世間が求めるものとのせめぎ合いが垣間見られるものも。
 かなりくだけた文章で、正に少女時代を終えようとしている年代、また終えて世に出て間もない年代の読書に向けて書かれた本なのではないかなと思う。新設された河出新書から出ているのだが、このレーベルは読者層の設定が新書の中では若めなのかな?

挑発する少女小説 (河出新書)
斎藤美奈子
河出書房新社
2021-06-26


中古典のすすめ
斎藤美奈子
紀伊國屋書店
2020-09-28


『チェリー』

ニコ・ウォーカー著、黒原敏行訳
 うだつの上がらない大学生だった「俺」はなぜか兵役についてイラクに行き、凄惨な体験をする。なんとか帰国するもののPTSDを抱え、どんどんドラッグにはまっていく。
 著者が刑務所の中で本作を書いたということでも話題になったが、何より文体のグルーヴ感がいい。グルーヴ感といってもテンション上がる系のグルーヴではなくダイナー系。だらだらぐだぐだした流れに身を任せると「俺」の人生よろしくどんどん泥沼にはまっていきそうだ。決してお上品な口語ではない「俺」や恋人のエミリー、友人たちのくだけた(くだけすぎた)口調の訳し方は、翻訳文学ではあまり目にしないタイプのものだった。小説内の口語って実際に話し言葉よりも大分整えられているんだなと妙なところで感心してしまった。
 そもそも「俺」は経済的にひっ迫しているわけでもないし、愛国心に燃えているわけでもないし、何らかの政治的な意図があるわけでもないのになぜ軍に入隊し、最悪のタイミングでイラクに行ってしまったのか。彼の動機が見えない、というよりも動機らしい動機がないところがコメディのようでもありどこか薄気味悪くもある。「俺」は悪人ではないがクズ、バカではないが色々足りてないというしょうもない人なのだが、彼が放り込まれた戦地での状況との乖離が激しくて、段々笑えなくなってくるのだ。「俺」の周りには同じような人間ばかり集まっているので、しょうもなさが膨れ上がっていく。そして、とにもかくにもドラッグは絶対だめだなとしみじみ感じさせる作品でもある。冒頭で結構とんでもないことになっているのだが、そこに至るまでの経緯があまりにしょうもない。少なくともドラッグやってなかったらここまでドツボにはまってないのでは。

チェリー
ウォーカー,ニコ
文藝春秋
2020-02-20


トレインスポッティング〔新版〕 (ハヤカワ文庫NV)
アーヴィン・ウェルシュ
早川書房
2015-08-21


『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ』

川上和人著
 時に過酷なフィールドワークにいそしみ、時に地味な採集作業に打ち込む鳥類学者。縦横無尽に語られる鳥類の生態と研究者の生態。
 軽妙なトークで人気の鳥類研究者によるエッセイ集。翼をもつ鳥の姿は、太古から人間の憧れで素敵なイメージを重ねがちだが、実際はシビアな生存競争の中で生きており、必要がなければそもそも飛ばない。鳥にとって最大の特徴は翼によって飛ぶ(飛ばない鳥もいるが)ことだが、よく見ていると飛んでいない時間の方が圧倒的に長いし、実は長距離はそんなに飛ばない。飛ぶことはコストパフォーマンスが悪いのだ。鳥の身体造形は飛ぶために機能性を突き詰めたようなものなのに、飛ぶこと自体はそんなに合理的ではないのか?鳥の世界、鳥の生態の面白さが軽妙な語りにのって伝わってくる。映画やゲーム、アニメや漫画からのネタが何の前触れもなくぽんぽん投げ込まれてくるのも楽しい。川上先生、かなり漫画読んでいません…?
 そして生態が描かれるのは鳥だけではない。鳥類研究者の生態もまた面白いのだ。南硫黄島でのフィールドワークのエピソードには、えっこんなにハードコアなの?!体を鍛える所から始まる(上陸するために崖をよじ登らなければならないし島上は徒歩移動なのであながち冗談ではない)の?!とびっくり。一応国内なのに!学問の世界の奥深さ、研究者の生態も垣間見えてとても面白かった。外来種との闘いや生態バランスを保ち続ける難しさ等、人間が立ち入ったからこそ生じる問題もあり考えさせられる。


『血の収穫【新訳版】』

ダシール・ハメット著、田口俊樹訳
 ポイズンヴィルと呼ばれる町にやってきた、コンティネンタル探偵社の調査員である「私」。依頼者は地元の新聞社の編集長だが、到着するなり依頼人が殺されてしまう。ポイズンヴィルは鉱山会社の社長である依頼者の父親によって牛耳られていたが、社長が労働組合対策として呼び入れたギャングたちによって支配され、汚職まみれの町になってしまったという。社長から改めて町の浄化を依頼された「私」はギャングの抗争に足を踏み入れていく。
 旧訳で読んだときには、正直どういう話なのかぴんとこない所があったのだが、新訳は展開がよりスピーディに感じられた。スピーディであると同時に、「私」もギャングたちも妙に行動的に感じられる。そのくだり本当に必要?という部分もあるので、決してバランスのいい長編というわけではないのではないか。とは言え、プロット(全体的なプロットというよりも局地的な伏線の仕込み方がいいというか)も登場人物の造形もなかなか楽しかった。いわゆる「いい人」が「私」含めほぼ出てこない。悪人ではないけどちょっと嫌な奴とか性格に難ありな人ばかり。特に「私」も翻弄される女性の、とにかくお金が好きなの!姑息な取引やるけど文句ある!?的な堂々とした振る舞いがいい。

血の収穫【新訳版】 (創元推理文庫)
ダシール・ハメット
東京創元社
2019-05-31


血の収穫 (創元推理文庫 130-1)
ダシール・ハメット
東京創元社
1959-06-20


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