3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『黄昏の彼女たち(上、下)』

サラ・ウォーターズ著、中村有希訳
第一次大戦後の1922年。ロンドン郊外の屋敷に母親と住むフランシスは、戦争で兄弟を失い、父も亡くなり、生活為に屋敷の2階を人に貸すことにした。引っ越してきたのはレナードとリリアンのバーバー夫妻。常に他人の気配がする生活に慣れないフランシスだが、リリアンと仲良くなっていく。やがて強く惹かれあうようになったフランシスとリッリアンだが、ある事件が起きる。上巻と下巻ではがらりと雰囲気が変わるので、これは分冊されて(分量的にも)正解なんだろうなぁ。上巻はロマンス、下巻はサスペンス色が濃くなる。フランシスはリリアンへの思いにともすると振り回され、しかし彼女の為により強くなろうとする。フランシスは経済的な困難や過去の出来事によって、自分の人生を枠にはめてしまい思うように生きることを諦めていたが、リリアンとの出会いによってまた情熱を取り戻していくのだ。前半では恋愛によってフランシスがどんどん生き生きとしていくのだが、その分後半の展開はやりきれない。ある事件によって、彼女らが得たと思っていた強さも意思も失われ、猜疑心と罪悪感に苛まれるようになるからだ。2人の間に生まれた魔法のようなものが、あっという間に崩れていく過程は苦く切ない。それでも、「それ以外の選択は出来ない」ことがある。崩れ去ってもなお残るものがあるのではないかと提示するような、薄闇の中のラストシーンが印象に残った。

『ダイナー』

平山夢明著
闇サイトで募集していたわけありのバイトに手を出したオオバカナコは、拷問に遭遇し、会員制のダイナーにウェイトレスとして売り飛ばされた。ダイナーの客は全員殺し屋。マスター兼シェフのボンベロも料理の腕は絶品だが凄腕の殺し屋らしい。かろうじて命拾いしたオオバカナコだが、はたして生きてダイナーを出られるのか。バイオレンスがっつり盛りで殺し方もグロテスク。しかし出てくる料理は実にジューシーで(ご遺体もジューシーだけど・・・)おいしそう。何と言っても「ダイナー」だからハンバーガーがメインメニューなのだが、このパテは肉汁たっぷりなんだろうなぁ、かといって油っぽくはなく肉のがつんとした味わいに満ちているんだろうなぁ、ジビエ使ってパテとか贅沢!とよだれがわきそう。サイドメニューのスフレなども美味しそう。殺し屋たちも美味しい物の前では、一人の人間として素を垣間見させる。しかし稼業が身にしみついており、素の垣間見させ方がむしろ物悲しくもある。オオバカナコのセリフの語尾がちょっと不自然(いわゆる女言葉で今時これはないかなと)なのだが、彼女の意外なしぶとさ、ギリギリの線で普通の人としての感覚を失わないところが、ボンベロや殺し屋たちに化学反応を起こし、彼女を思わぬ境地に連れていく。

『たとえ傾いた世界でも』

トム・フランクリン&ベス・アン・フェンリイ著、伏見威蕃訳
1927年、ミシシッピ川が増水し、周囲の町には洪水が迫っていた。夫ジェシと共に密造酒を作っているディキシー・クレイは、赤ん坊を亡くした悲しみから立ち直れずにいた。一方、潜入捜査の為、相棒ハムと共に町へ向かっていた密造酒取締官インガソルは、銃撃戦から免れた赤ん坊を拾ってしまう。ディキシー・クレイが赤ん坊を亡くしたことを聞き、彼女に赤ん坊を託す。お互いの素性を知らない2人は、徐々に惹かれあっていくが。『ねじれた文字、ねじれた路』の著者フランクリンと、詩人としても活躍するフェンリイとの共作。このお2人、夫婦だそうだ。『ねじれた~』は男性2人が「もう一度やり直す」話だったが、本作は悲しみを抱えた男女が「もう一度やり直す」ことを試みる。ディキシー・クレイの強さ故の悲しみと、インガソルの寄る辺ない生き方をしてきたが故の悲しみのコントラストに陰影がある。激しい女と茫洋とした男(インガルスがブルーズを愛するのは、自分に欠けた濃い感情を補おうとしているようにも見える)、一見対照的なのだが、2人とも、ここが自分の居場所である、という確信を持てずに生きてきた(ディキシー・クレイの場合は確信を持てないというより、途中で見失ってしまったと言った方がいいが)人たちであり、だからこそ惹かれあう。1927年の大洪水は実際にあったことで、この時の災害対策でフーヴァーが株をあげたのだとか。禁酒法下であることも含め、時代背景の色濃さも面白い。

ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ