3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ただの眠りを』

ローレンス・オズボーン著、田口俊樹訳
 72歳となった私立探偵フィリップ・マーロウ。メキシコで隠居生活をしていたが、保険会社からある依頼を受ける。溺死した不動産業者が本当に事故死だったのか調べてほしいというのだ。マーロウは妻で若く美しいドロレスと出会う。
 フィリップ・マーロウシリーズの「新作」として書かれたという本作。チャンドラー作品へのオマージュであるのはもちろんなのだが、チャンドラーの文体の模倣をちょっとやりすぎていて(笑)レトリックがくどい。妙に迂回する構造というか、どんどん足元がおぼつかなくなっていくストーリーラインも踏襲されている。ただ、読み進めていくうちにこなれていく(読む側が慣れるだけかもしれないけど)。カリフォルニアとメキシコの行き来をする話なのだが、それぞれの土地の雰囲気、異国感の描写が楽しい。また、マーロウの最晩年とまではいかないがそこそこ老化したなというちょっとした描写には、老人小説としての味わいがある。諸々の欲が薄くなっている感じだ。マーロウって若い時分のまま加齢していったら結構なクソおやじだったと思うのだが、そこはうまいこと丸くなったというか、老いに逆らっていない。ただ、弱い者を踏みにじる者への怒り、そういう行為を見逃せない所は健在。
 なお、さすがに殴られて気絶するお約束はもうやらないかなーと思ったら、気絶はちゃんとしていた。なぜか日本要素がちょいちょい出てきて(80年代が舞台なのだが流行していたのか?)、なんちゃって日本感(特に仕込み杖)に笑ってしまった。

ただの眠りを (私立探偵フィリップ・マーロウ)
ローレンス オズボーン
早川書房
2020-01-09


大いなる眠り (ハヤカワ・ミステリ文庫)
レイモンド チャンドラー
早川書房
2014-07-24


『他人の城』

河野典生
 作家の高田は、医者の三村から失踪した妹を探してほしいと頼まれる。箱入り娘として育った妹・真理は外泊を重ねた後、帰宅しなくなったというのだ。方々のバーで遊びまわっていたという真理は、ケイという男と懇意にしていたらしい。ケイは真理と何をしようとしていたのか。
 バーに集う自由だが怪しげな若者たちやヤクザ、ケイが所持していた麻薬など、何か大きな陰謀があるかのようににおわせつつ、ごく小さな箱の中の悲劇に集約されていく。作中ではチャンドラーというあだ名の登場人物(そのあだ名になった経緯はチャンドラーのある作品を読んでいないとぴんとこない、サービス的なもの)がいたり、何かと引き合いに出されるし、探偵が殴られて気絶するところも踏襲されている(マーロウはだいたい1作に1回は殴られて気絶するよね)が、作品のモチーフはむしろロス・マクドナルド的。若い人や弱い人への優しさ、とまではいかないが辛辣ではないところもロスマク的か。古い価値観で自分も身近な人も押しつぶしてしまう大人が複数名登場するが、そちらに対しては少々辛辣。さすがに時代を感じさせる部分もあるが、時代風俗を含めディティールの描写がいいハードボイルド。カバー装画(講談社文庫版)が司修でちょっと驚いた。

他人の城
河野 典生
アドレナライズ
2015-07-24


『第七の太陽(上下)』

ケント・レスター著、石垣憲一訳
想定外の大規模自然災害「ブラック・スワン事象」の予知プログラムをニューロシス社で開発していたダン・クリフォードは、社長と対立し解雇されてしまう。社長の強引な方針に何か裏があると感じたダンは、ホンジュラスの自社工場で不審な点を発見。更にダイビング中に死体を発見する。その死体の関係者である生物学者レイチェルと共に事件を追うことに。ニューロシス社の動きの背後には、更に大きな策略が潜んでいた。
海洋サスペンスに企業間の謀略、ダイイングメッセージに更に収拾つかなそうな大問題の発生という、盛りに盛ったサービスの良さ。あらゆるジャンルを詰め込めるだけ詰め込んだ感じだ。とはいえ、荒唐無稽になりすぎていない(いや荒唐無稽ではあるけどなんとなく納得させられちゃう程度の科学「ぽさ」が設定されている)匙加減がちょうどよかった。ストーリー展開は結構目まぐるしく派手なのだが、主人公であるダンは意外と普通の人で、強い個性はない。真正直でちょっと頑固なくらいだ。彼とコンビを組むことになるレイチェルの方が、冒頭の南極での一幕でもわかるように気風が良く大胆でキャラが立っている。レイチェルに限らず、脇役の方が個性がはっきりしているように思った。ただ、これは作品の難点ではなく、周囲が目まぐるしいからダンの普通さが中和剤になっているのだ。バランスがとれている。

第七の太陽(上) (海外文庫)
ケント・レスター
扶桑社
2018-07-01





第七の太陽(下) (海外文庫)
ケント・レスター
扶桑社
2018-07-01

『誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?』

マイクル・ビショップ著、小野田和子訳
アメリカ南部の街に住むスティーヴィ・クライは数年前に夫を亡くし、2人の子供をかかえながらライターとして生計を立てている。ある日タイプライターが故障したので修理に出したところ、戻ってきたタイプライターは勝手に文章を打ち始めた。その内容はスティーヴィの不安や悪夢、そして夫の死の背景を匂わせるものだった。スティーヴィは徐々に現実と虚構の区別がつかなくなっていく。
現実と虚構の区別がつかなくなっていくのはスティーヴィだけではなく、本作の読者もだ。これはスティーヴィの実生活なのか、彼女が書いた文章なのか、はたまたタイプライターが勝手に書いた文章なのか、タイプライターが書いたとスティーヴィが思い込んでいるだけなのか。各レイヤーの区別はあえてつきにくいようになっており、語りの信憑性は揺らぎ続ける。自分の意識を信じられなくなっていく怖さがじわじわ這い上がってくるメタホラー。そしてサル。なんでサル?と思っていたけどタイプライターとサルってそういうことね!


虚構の男 (ドーキー・アーカイヴ)
L.P. デイヴィス
国書刊行会
2016-05-25


『たったこれだけの家族 河野裕子エッセイ・コレクイション』

河野裕子著
 歌人である著者のエッセイ集『みどりの窓の家から』を全編収録、加えて未収録だった21編と共に新編纂したエッセイ集。
 家族と共に約2年間、アメリカで生活した時期の諸々を中心に綴られている。子どもたちがみるみるうちに成長していく様が随所に感じられる。英語が流暢というわけではない著者にとってアメリカでの生活は大変なものでもあったろうが、子どもたちが現地に適応していく様を面白がり、自分とのギャップに時にたじろぐ。夫と息子の距離感、自分と子どもたちとの距離感との違い、やがて子どもたちとの関係が友人のようになっていく様等、一家の生活の変遷を見ていく感も。家族が一緒にいられる時間は有限で、だからこそ輝いて見える。べたつかず素直な言葉で綴られており好感が持てた。短歌の印象とはまたちょっと違うのだ。平静な筆遣いで湿っぽくない文章だが、最後に収録された表題作からは、苦しく葛藤した時期もあった様子が垣間見える。
 なお、土地柄(ワシントンDC郊外らしい)なのかそういう時代だったのか、現代のアメリカよりも大分おおらかで開けた気質が感じられる。それでも牛乳パックに行方不明児童の写真がプリントされていたりと、ある面での治安の悪さを身近に感じさせる部分もあった。本当に外を歩くということ自体ないんだなぁ・・・。




『高い窓』

レイモンド・チャンドラー著、村上春樹訳
 私立探偵フィリップ・マーロウは、裕福な老女エリザベス・マードックから、高価な金貨を持ち逃げしたという息子の妻リンダを探してほしいと依頼を受ける。マードックは元々息子とリンダとの結婚には反対で、離婚させたがっていたのだ。マーロウはリンダの友人や、金貨について問い合わせをしてきた古銭商を訪ねて回るが、リンダが金貨を持ち逃げしたというマードックの主張に疑問を持ち始める。
 村上春樹によるチャンドラー新訳。清水俊二訳は以前読んだが、改めて新訳を読むと、こんな話だったっのかという新鮮さ(単にストーリーを忘れているだけでもあるが・・・)。村上訳は、何が起きているのかという状況がより平明に分かりやすい。本作の場合、終盤で一気に「これまでのおさらい」的な説明をされるので、より分かりやすい印象が強くなるのだと思う。他のチャンドラー作品と比べると今一つ印象が薄いと言われがちな本作、最後に一気に解決しすぎなきらいはあるが、謎解きものとして意外といけた。
 本作、マードックという女性の一筋縄ではいかないキャラクターに味がある。マーロウをして「タフ」と評される彼女とマーロウのやりとりは、ぎすぎすしつつもお互いを舐めていない感じが面白い。秘書マールに言わせると「黄金の心を持つ」優しさも備えた人だと言うのが、果たして。彼女の人物像が事件そのものに関わっている。

高い窓 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
レイモンド チャンドラー
早川書房
2016-09-08


高い窓 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
レイモンド チャンドラー
早川書房
1988-09-01

『太陽がいっぱい』

パトリシア・ハイスミス著、佐宗鈴夫訳
 トム・リプリーは富豪のグリーンリーフ氏から、イタリアに行ったきりもどってこない息子・リディッキーを連れ戻してほしいと頼まれる。イタリアへ赴いたトムはディッキーと会うが、彼は女友達のマージと自由な生活を謳歌しており、アメリカに戻る気などさらさらなかった。トムはディッキーに近づこうと画策する。
 アラン・ドロン主演の映画化作品(後にマット・デイモン主演で『リプリー』として再映画化)が有名すぎて原作である本作を読みそびれていたが、ラストが映画と違うってこういうことか!ひとつ謎が解けました。トムはある犯罪を計画し、彼自身は完全犯罪と自負するが、実際の所あちらこちらにほころびがあり、今にも破綻しそうだ。その破綻の原因は、ほぼリプリー自身の振る舞いにあるところが面白い。余計なことをしなければそんなにヒヤヒヤしないで済むんだよ!と突っ込みたくなる。彼が余計なことをしてしまうのは、彼の願望が金を得ることそのものではなく、元の自分よりも優れた何者か=ディッキーになり認められたいという所にあるからだろう。観客がいなければ成り立たないのだ。やっている行為と動機が矛盾している。トムは元々俳優志望だったと作中で少しだけ言及されているのが示唆的だ。作中でも頻繁に一人芝居をしているが、屈折したナルシズムを感じる。自分自身ではなく自分が演じている役柄に対して過剰な自信があるという。
 また、今読むと明らかに、リプリーのリッキーに対する感情は恋であり、ディッキーがトムを疎んじるのはゲイフォビアと自分の中の同性愛的傾向への戸惑いとの入り混じったものであろうとわかる。結構あからさまに描かれてると思うけど、当時はそういう価値観自体ないことにされてたってことかな。

太陽がいっぱい (河出文庫)
パトリシア ハイスミス
河出書房新社
2016-05-07


リプリー [DVD]
マット・デイモン
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2015-03-04

『太陽の棘』

原田マハ著
第二次大戦終結直後の沖縄に派遣されることになった、若き精神科医エド・ウィルソン。心に傷を負った大勢の兵士の診察に奔走する中、息抜きは同僚たちとのドライブだった。ドライブ中、沖縄の芸術家たちが作った共同体「ニシムイ美術村」に辿りつき、若き画家たちと交流が始まる。
ニシムイ美術村は実在した共同体だそうだ。それを沖縄駐在のアメリカ人の視点で描く所にひねりというか苦肉の策というかが見える(このあたりは文庫版についている佐藤優の解説が的確だった)。画家たちが抱える怒りはエドにとってわからないものであり、そのわからなさ、共有できなさは沖縄と本土を巡る問題を投影したものでもある。著者にはこれを描き切れるのか、沖縄の外から書いていいのかどうかという躊躇があったのかもしれないが、書き方で回避している。ただ、面白い題材なのだが、(著者の作品全般そういう印象なんだけど)画家たちの作品に対する対峙の仕方や、作品のディティール等の描写が通り一遍であっさりしている。全部予想の範疇内でほどほどに収められている感じで、読みやすいが後に残るものがない。もったいないなぁ。


太陽の棘 (文春文庫)
原田 マハ
文藝春秋
2016-11-10


楽園のカンヴァス (新潮文庫)
原田 マハ
新潮社
2014-06-27


『高い城の男』

フィリップ・K・ディック著、浅倉久志訳
第二次世界大戦が枢軸国の勝利に終わり、ナチス・ドイツと大日本帝国が分割統治している世界。分割統治下のアメリカでは『イナゴ身重く横たわる』という、連合国が第二次世界大戦に勝利したという設定の小説が流行、発禁処分となり、作者である「高い城の男」は保安警察に狙われていた。美術商のチルダンは顧客の田上に叱責され、再度商談に向かう。ロッキー山脈連邦に暮らすジュリアナは、トラック運転手のジョーと共に「高い城の男」に会いに行こうと思い立つ。ドイツでは首相の死によりナチ党内の権力争いが激化していた。
史実とは逆転したパラレルワールドが舞台だが、統治下アメリカの閉塞感、ユダヤ民族が置かれた状況(当然戦中よりも更に迫害はひどい)等が日常として迫ってくる。その閉塞感を打ち破る、あるいは気を紛らわせるために登場したのが『イナゴ身重く横たわる』で、実際ジュリアナはこの小説に心を奪われる。おそらく『イナゴ~』に描かれているのは読者にとっての「史実」なのだが、作中ではそんなバカな!と鼻で笑われる。しかし「高い城の男」にとっては書かずにいられなかった真理であり、ジュリアナにとって娯楽小説を越えた何かになっていく。フィクションが(作中人物にとっての)ノンフィクションを動かしていくのだ。『イナゴ~』の使われ方にしろ、チルダンが掴ませられる贋作品にしろ、もしかしてシリーズ化される予定だったのかなという気がする。続編では、フィクションがノンフィクションをより浸食し塗り替えていく展開だったのかも。本作で見られるのはその予兆だ。

『探偵はひとりぼっち』

東直己著
 人柄の良さで周囲から愛されていたオカマのマサコちゃんが殺された。しかし、警察の捜査は一向に動きを見せずない。若い頃に彼女の恋人だったという大物代議士が、スキャンダルを恐れて隠ぺいしようとしたのではという噂がススキノに流れ始め、ゲイコミュニティーには怯えが広がっていた。マサコちゃんの友人だった「俺」は、真相を突き止めようと動き始めるが、身辺に怪しげな男たちが現れる。『探偵はバーにいる』シリーズの4作目。映画『探偵はバーにいる2』の原作でもある。
 「俺」は口を閉ざす人たちに対して納得がいかない。おかしなことはおかしいと言い、怒るべきところでは怒るべきだというのが彼のやり方なのだろう。ただ、それは守るべきものを持たない、身ひとつだから出来ることだと思う。「俺」は苛立ちを旧知の記者・松尾にぶつけてしまう。この時の松尾の反応が強く印象に残った。松尾もゲイコミュニティーの人たちも、ススキノの住人たちも、「俺」から見たら卑怯なのかもしれないが、それを「俺」に責められる筋合いはないだろう。「俺」は松尾に諌められ一応退くものの、おそらく本当にはぴんときていない。そんな「俺」に、最後に大変な事態が起きる。「俺」はそれを引き受けられるのかどうか、続きがちょっと気になる。
 なお、80年代が舞台なのだが、やっぱりバブルだったんだなー。「俺」はさしたる収入源がなさそうなのに、今現在の「金がない」とは大分趣が違う。もし今同じような設定だったら、多分銀行口座からお金引き出せないよな。

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