3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『ダンゴムシに心はあるのか 新しい心の科学』

森山徹著
 ダンゴムシを実験対象として、T字迷路、行き止まり実験、水包囲実験など、様々な方法でダンゴムシを未知の状況に遭遇させ、彼らがどのような行動をとるのか観察し続けてきた著者。ダンゴムシの行動を通して生物の「心」とは何かを考える。
 本著でいう「心」とはいわゆるエモーショナルな要素、喜怒哀楽を指すものではない。特定の行動を滑らかに発現させるよう、それ以外の余計な行動の発現を抑制する機能のことを指す。つまり通常は隠された、目視できない行動部位ということになる。これを目視する=観察する為にどうするか、というそもそもの部分から本著は解説しており、これがとても面白かった。行動の抑制が外れた時の余計な行動に「心」の存在を見て取ることができると言えるので、「余計な行動」がどのように発生するのか推論し実験を組み立てていく。実験とは「待つ」こと、実験対象とひたすら向き合うことだという、時間がかかる科学の醍醐味がじわじわ伝わってくる。則実用、則効果を求める昨今の学問(と言えるとして)の在り方は間違っているだろう。
 それにしても、読んでいると段々ダンゴムシに対する親しみと愛着がわいてくるところがすごい。これは著者のダンゴムシと真摯に向き合う姿勢に感化されているということなのだろうが、観察というのはそもそもそういうことなのだろう。著者の冒頓さがちらりと見える真摯な語り口も魅力。


モノに心はあるのか (新潮選書)
森山 徹
新潮社
2017-12-22


『橙書店にて』

田尻久子著
 熊本の本屋兼喫茶室、橙書店。その店主である著者による随筆集。経験もないのにある場所を気に入って喫茶店兼雑貨屋を始め、更に隣に書店を開き、その後今の店舗の場所に移転した。その中での常連客とのエピソードや代々のスタッフとの思い出、飼い猫、そして本と作家との物語が綴られる。
 独立系書店の店主による本が近年増えた印象があるが、本著もそのうちの1冊。本屋が書く文章というと、本そのものに関する文章か、書店の経営運営に関する文章かに分かれるイメージがあるが、本著は本屋に集う人たちについて割かれた分量が大きい。著者は文芸誌『アルテリ』責任編集者でもある。創刊者の渡辺京二は当初、この文芸誌を「旅の仲間」という題名にしたかったそうだ。本著に登場する橙書店にやってくる人たちは、文庫版帯にも書かれているように大きな意味でこの「旅の仲間」なのだ。しばしばやってくる御馴染みさんも、たまに遠方からやってくる人も、文字通り旅の途中で立ち寄った人も、もう亡くなった人たちも、実際の関係の濃淡とは別に精神のどこかが重なるのだと思う。その精神の箇所は、写真家の川内倫子が「相変わらず弱者の本ばかりおいてるね、そこがぶれないよね」とつぶやいたという橙書店の棚の構成への共鳴にあるだろう。小さきものの小さい声に耳が向く人たちが集う場としての書店という姿が浮かび上がってくる。個人的には文学の意義は小さい声をすくい上げる所にあるのではないかと思う。
 橙書店の常連客も歴代スタッフもなかなかアクが強く、ユーモラスなエピソードも多い。しかし常にどこか寂しさが漂う。故人のエピソードが少なくないこともあるが、いつかはこの人とも会えなくなる、別れるのだという無常感みたいなものがあるのだ。同時にそれでもなお、「旅の仲間」なのだろう。

橙書店にて (ちくま文庫 た-101-1)
田尻 久子
筑摩書房
2023-11-13


猫はしっぽでしゃべる
田尻久子
ナナロク社
2018-05-23




『ダーク・アワーズ』

マイクル・コナリー著、古沢嘉通訳
 新型コロナウイルスの蔓延下にあるロサンゼル、大晦日の日。ロス市警の深夜勤務刑事レネイ・バラードは2人組のレイプ犯を追っていた。しかし年越しの瞬間に銃による殺人事件が発生し現場に駆り出される。殺人に使われた薬莢から、10年前の未解決殺人事件で同じ銃が使われていたことが判明。その未解決事件を担当していたのは引退したハリー・ボッシュだった。
 マイクル・コナリーといえばハリー・ボッシュシリーズなのだろうが、実はほとんど読んだことがない。しかし事前知識ほぼゼロでもそれなりに面白く読めるあたりが本作のいいところ。シリーズとしての蓄積のみには頼らない著者の職人技を見た感がある。レイプ事件と銃殺事件という全くタイプが違う2つの犯罪の捜査が平行して行われ、そのどちらでも自分が手綱を取っていたいバラードの働きぶりは少々危うい。本作の時代背景にはブラック・ライヴズ・マター運動があり、警察に対する市民の不審が募っていた頃だ。元々事なかれ主義が警察内に蔓延している所に加え、警官のやる気は削がれていく。その中でまともに事件を解決しようとするバラードは浮いているのだ。もはや警官は尊敬される職業ではない世の中でどのように責任感を持ち続け仕事に誠実でいられるのかという、かなり世知辛い、しかしシビアな問いがそこにある。一方、2つの事件のうち一つは古典的とも言える形状なのだが、もう一つは嫌な方向で現代的。理不尽な憎しみや支配欲が簡単に表出する、しかもそれを他人事のように実行できる時代、というか環境が出来上がってしまっている不気味さがある。

ダーク・アワーズ(上) (講談社文庫)
マイクル・コナリー
講談社
2022-12-15


ダーク・アワーズ(下) (講談社文庫)
マイクル・コナリー
講談社
2022-12-15


『タール・ベイビー』

トニ・モリスン著、藤本和子訳
 隠居した白人の富豪の庇護を受け、ソルボンヌ大学を卒業しモデルとして活躍するジャディーン。フロリダの黒人が暮らす小さな街で育ち、密入国してきた青年サン。西インド諸島の小島で出会った2人は強く惹かれあうが、バックボーンの違いからすれ違い傷つけあっていく。
 本作、最初はなかなか作品の中に入っていけない読みづらさがあった。今、誰の視点で話が進んでいるのか、今の「彼」「彼女」はどの彼・彼女なのか?ということがなかなか把握できないのだ。しかし文章が進むにつれ、この作品のグルーヴ感(これは翻訳の良さもあるのだろう)が把握できるようになってくると、ぐっと文章世界の解析度が上がってくる。読んでいるうちに文章の声というものを強く意識させられるし、その声の魅力がとても大きい。
 ジャディーンとサンは黒人同士だが、属する文化は異なる。ジャディーンは裕福な白人の世界に親しみ、物質的に不自由することなく生活している。地元の黒人たちの中には彼女を黒人とみなさず「黄色」と称するものもいる。黒人からは仲間扱いされず、かといって白人からはやんわりと一段格下の異物扱いされる、どっちつかずな存在だ。白人が作ったルールに乗って生きる彼女は、表面上はどうあれ白人の顔色を伺い続けなければならない。一方、サンは黒人のコミュニティで生まれ育ち、自分のルーツはそこにあり、世の中のルール(白人たちが決めたルール)には馴染めないという自覚がある。ジャディーンがサンに触れることで己のルーツに回帰していくという話ならおさまりがいいのだろうが、そういう面もなくはないにしろ、そうはならない。サンにとっての黒人としてのルーツとなる文化は、ジャディーンにとってはルーツの一端であると同時に彼女の自由や野心を奪うものでもある。伝統的な妻、母としての生き方は、彼女の欲望にはそぐわないだろう。ジャディーンがサンの故郷で女たちの悪夢にうなされるのは、サンの存在あってのことだけではないのだ。
 通い合うものを生来持ちつつも、それぞれが欲する世界の食い違いによりすれ違っていく男女の姿が読者をもひりつかせる。サンがどこへ向かっていくのか、勢いがありつつも不穏さが漂うラストだ。彼はこのままさまよい続けるのではないかという予感もする。

タール・ベイビー (ハヤカワepi文庫)
トニ モリスン
早川書房
2022-10-18


青い眼がほしい (ハヤカワepi文庫)
トニ モリスン
早川書房
2001-06-15


『ダブル・ダブル〔新訳版〕』

エラリイ・クイーン著、越前敏弥訳
 ニューヨークのエラリイの元に匿名の手紙が届く。手紙の中身は彼と因縁のある町・ライツヴィルで最近起きた事件を記した新聞記事の切り抜きだった。“町の隠者”の病死、町有数の富豪の自殺、そして“町の物乞い”として知られていた男の失踪。手紙の意図を怪しむエラリイを、“町の物乞い”の娘・リーマが訪ねてくる。父親の失踪の真相を調べてほしいというのだ。エラリイはリーマと共に四度ライツヴィルを訪れる。
 ライツヴィルシリーズ4作目が新訳で登場。私は本作は初めて読むのだが、なぜかクイーン作品の中でも最も読みやすかった。リーマが純真で世間知らずな野生児、かつ超美少女という今なら萌キャラとして成立しそうな造形で、ちょっとクイーン先生どうしましたかこれどう処理するんですかと気になりすぎてついついページをめくってしまったというのが一因。そしてリーマに対するエラリイの振る舞いがあしながおじさん気取りでなかなかにキモく、ちょっとエラリイどうしましたかこれ大丈夫ですかと気になりすぎてついついページをめくってしまったというのも一因。クイーン先生、こんな要素も盛り込んでいたんですね…。本格ミステリとしては円熟期の傑作と銘打たれているだけのことはあって納得の面白さなのだが、それ以外の部分に気がいってしまった。本格ミステリとしては見立て殺人の構造を逆手にとった仕掛けで、本格を読みこなしてきた人にはたまらないのでは。ライツヴィルシリーズの中では割とシンプル(というか過剰な部分が少ない)作品ではないかと思う。


『探偵は優等生に向かない』

ホリー・ジャクソン著、服部京子訳
 ある事件で受けたショックを引きずりつつも大学進学を控えたピップは、友人から失踪した兄ジェイミーの捜索を依頼される。依頼を断りきれなかったピップは、ポッドキャストで調査レポートを配信し、リスナーから手がかりを集める。関係者へのインタビューやSNSから、失踪までのジェイミーの行動が徐々にわかってくる。しかしピップの前に驚愕の真実が現れる。
 『自由研究には向かない殺人』に続く、高校生探偵ピップシリーズ2作目。本作の冒頭でいきなり1作目の犯人が明かされているので、1作目未読の方は注意。スタンダードな謎解きミステリだが、今回はジェイミーの行動を様々な方法で絞り込んでいく過程が面白い。絞り込みのツールがSNSであったりマッチングアプリであったりポッドキャストへのリスナーの反応であったり、実に現代のティーンエイジャーらしいやり方で、時代性を感じる。ポッドキャストで配信しちゃうのは少々危なっかしさも感じる。
 ピップは正しいことをしよう、真実を明かそうと一生懸命なのだが、その意欲が必ずしも幸せな結果を生むわけではないし身近な人を傷つけることもあると、前作で彼女自身が痛感している。しかし今回も最初はやむを得ず始めたものの、どんどん謎解きにのめりこんでいく。彼女は謎を解くことで正しいことがなされると信じてやるわけだが、事態の展開は彼女のまっすぐさを予想外の形で裏切る。問題の重さがティーンエイジャーの手に余るのだ。本シリーズ、彼女が裏切られ続ける、それに伴い成長していく物語なのか。それにしても今回のはちょっと過酷すぎるんじゃないかと思うけど…。


自由研究には向かない殺人 (創元推理文庫)
ホリー・ジャクソン
東京創元社
2021-08-24





『ダロウェイ夫人』

バージニア・ウルフ著、土屋政雄訳
 6月のある日、クラリッサ・ダロウェイは今夜のパーティーの為の花を買いに出かける。その朝は昔の恋人ピーター・ウォルシュがインドから帰国し、突然訪ねてきたのだった。過去の思い出と現在の生活を行き来し、クラリッサとその家族や友人、公園や商店ですれ違った人たちの思いと視点が交錯していく。
 クラリッサの独白から始まり、彼女が花を買いに町へ出ると青年セプティマスの独白へとスライドする。ある人の独白がまたある人の独白へとリレーされ、6月のある1日の朝から夜までが描かれるのだ。流れるような文体が時間の経過を感じさせるが、その時間は現在と過去をそれぞれの人の中で行ったり来たりする。個々の登場人物は別々の人生を歩んでおり、直接かかわりあいがない、全く面識がない同士の人達もいる。しかし小説全体としては途切れることがなく、一つの大きな記憶のように感じられる。クラリッサという生きることにポジティブな人物が中心にいることで、悲惨な記憶も織り交ぜられるものの、全体的に穏やかな幸福感が漂う。ウルフの作品としては珍しいのか。爽やかな初夏の一日という舞台も効果的。
 第一次世界大戦後であることが明記されており、クラリッサの夫リチャード・ダロウェイが政治家という事情もあって、当時の時事問題が具体的に言及されている。特にセプティマスの状態は今でいうPTSDと思われるのだが、妻は元の夫に戻ってほしいと願うばかりだし、医者は静養が必要程度のことしか言えないし権威的でいまいち信用できないしで、周囲の理解が足らず痛ましい。なお、セプティマスは配属部隊の将校との間に深い愛情関係があったようなので、セクシャリティ所以のプレッシャーか?とも解釈できるように思った。
 様々な人の視点が描かれるので、1人の人物に対する見方が人によって違い、多面的な人物像が浮かび上がるのも本作の魅力の一つ。この人から見たら好ましいけど他の人が見たら不快、というように。この書き方によって、見られる人物だけでなく、見ている人物の価値観や社会的な階層、人柄、コンプレックス等も浮かび上がってくる。時に辛辣だし、自身は名門の家系の出で経済的にもさほど困らなかったであろう、ウルフの自虐に読める所もある。


『男子がもらって困るブローチ集』

光浦靖子著
 小学生の頃から手芸を趣味としている著者が、せっせと作り続けた羊毛フェルトを使ったブローチ。その作品と製作手順、そして自ら部長を務める「ブッス‼手芸部」のメンバーの作品を紹介する作品集。
 光浦さん(とつい知り合いのように呼んでしまう)が手芸好きでなかなかのセンスというのは前々から聞いていたので、作品集を見てみたいなと思いつつ、自分が手芸をやらないものでいまひとつ手が伸びずにいた。ようやくちゃんと読んでみた(というよりほぼ写真集なので眺めたと言う方が正しいか)のだが、光浦さんやっぱり才能あるな~。作家の好きなものが詰まっている。一応、誰かにあげる程で作っているという立て付けになっているし、巻末に加藤浩次への突撃プレゼント企画も掲載されているのだが、実際のところは自分がこれがいいと思うから作る!自分の思う「かわいい」はこれだ!という意志が強固に感じられる(私は欲しいですが)。率直に言ってプレゼントには不向きだと思うのだが、自分の為の手芸としては最高。ブッス‼手芸部のメンバーも同様ですね。基本的に趣味で物を作るって自分ファーストだからね。
 なお本著、作品だけでなく光浦さんご本人の写真がどれもいい。スタイリングが素敵。昭和のマンションみたいな撮影場所も懐かしい雰囲気。

男子がもらって困るブローチ集 (Switch library)
光浦靖子
スイッチパブリッシング
2012-05-25


50歳になりまして (文春e-book)
光浦 靖子
文藝春秋
2021-05-29




『第八の探偵』

アレックス・パヴェージ著、鈴木恵訳
 探偵小説黄金時代に短編小説集『ホワイトの殺人事件集』を刊行し、その後小さな島で隠遁生活をしている作家グラント・マカリスター。彼のもとへ編集者のジュリアが訪ねてきた。彼女は短編集の復刊を機部していたのだ。収録作を順番に読みなおし、2人は議論を交わしていく。
 短編のそれぞれは本格ミステリのあれとかこれとかを彷彿とさせる設定。そして個々の短編がになっているのはミステリの中で定められているルールやフォーマット。事例集のようになっている。そもそも『ホワイトの殺人事件集』は事例集的な側面を意図して書かれたというのだ。ただ、どの短編もミステリのある要素、フォーマットを象徴してはいるものの、どこか物足りなく片手落ち感がある。作中作である『ホワイトの殺人事件集』に収録されたという短編と、それを読んだ後のグラントとジュリアの対話が交互に配置されているのだが、ジュリアは毎回作品の矛盾点を指摘する。指摘されている矛盾点、私はほぼ気付かなかったので全くいいミステリ読者ではないなと痛感してしまったのだが…。ミステリとはどういう構造になっているのかという解説本的な側面がある一面で、それを更に逆手にとったメタミステリ、ミステリ小説の恣意性を体現したような作品。ミステリ小説を読んでいれば読んでいるほど面白い作品だと思う。

第八の探偵 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アレックス パヴェージ
早川書房
2021-04-14









『短編画廊 絵から生まれた17の物語』

ローレンス・ブロック編、田口俊樹他訳
 20世紀アメリカを代表する画家の一人、エドワード・ホッパー。彼の作品17点から着想を得た17の短編小説を収録したアンソロジー。ホッパー作品の愛好家であるローレンス・ブロックを発起人として編纂された。
 ホッパーの絵は映画の1シーンのように物語を連想させる力があるが、正にそこに着目して作られた1冊。各短編の扉にはその作品の着想元となったホッパーの作品がカラーで掲載されており、豪華な造本だ。ブロックをはじめスティーヴン・キングやマイクル・コナリー、ジェフリー・ディーヴァー、リー・チャイルドなど日本でも知名度の高い作家、本著で初めて目にする作家色々取り交ぜられており、執筆陣が幅広い。また作品の方向性も、ミステリありクライムノベルあり社会派ありファンタジーっぽいものありで、こちらも幅広い。読者の嗜好は様々だろうが、何か1作くらいはマッチする作品があるのでは。ホッパー作品から着想したもの、という条件だが小説としての表現の方向性は様々なところがユニーク。アンソロジーとしては散漫とも言えるのが、どの作品もホッパー作品にちゃんとマッチしており、この点の違和感はなかった。方向性は違ってもどこか寂しいのだ。それがホッパー作品の魅力だと思う。
 私が気に入った作品は少し幻想的な(終盤でいきなりファンタジーをぶっこんでくるのでびっくりする)ニコラス・クリストファー(大谷瑠璃子訳)『海辺の部屋』、正に映画のようなジョー・R・ランズデール(鎌田三平訳)『映写技師ヒーロー』、こちらも映画っぽい(実際にヒッチコックが引き合いにだされているが、この使い方は結構皮肉かも)ジョナサン・サントロファー(矢島真理訳)『窓越しの劇場』。

短編画廊 絵から生まれた17の物語 (ハーパーコリンズ・フィクション)
ミーガン アボット他
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2019-06-17


 
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