3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本題名た行

『誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?』

マイクル・ビショップ著、小野田和子訳
アメリカ南部の街に住むスティーヴィ・クライは数年前に夫を亡くし、2人の子供をかかえながらライターとして生計を立てている。ある日タイプライターが故障したので修理に出したところ、戻ってきたタイプライターは勝手に文章を打ち始めた。その内容はスティーヴィの不安や悪夢、そして夫の死の背景を匂わせるものだった。スティーヴィは徐々に現実と虚構の区別がつかなくなっていく。
現実と虚構の区別がつかなくなっていくのはスティーヴィだけではなく、本作の読者もだ。これはスティーヴィの実生活なのか、彼女が書いた文章なのか、はたまたタイプライターが勝手に書いた文章なのか、タイプライターが書いたとスティーヴィが思い込んでいるだけなのか。各レイヤーの区別はあえてつきにくいようになっており、語りの信憑性は揺らぎ続ける。自分の意識を信じられなくなっていく怖さがじわじわ這い上がってくるメタホラー。そしてサル。なんでサル?と思っていたけどタイプライターとサルってそういうことね!


虚構の男 (ドーキー・アーカイヴ)
L.P. デイヴィス
国書刊行会
2016-05-25


『ダ・フォース(上、下)』

ドン・ウィンズロウ著、田口俊樹訳
 ニューヨーク市警内でも最もタフで優秀で悪辣なことで知られるマンハットン・ノース特捜部、通称「ダ・フォース」を率いるデニー・マローン刑事は、銃や麻薬の取り締まりにより地域の安定を図る刑事の王だった。しかしドミニカ系麻薬組織の手入れでのある行動をきっかけに、彼の転落が始まる。
 マローンは非常に優秀な刑事だが、本作における優秀さは悪辣さと一体となっている。額面通りの正義では麻薬組織や武器商人には対抗できない。しかし、彼らは闘ううちに後戻りできない領域に入ってしまう。越えてはならない一線があったのではなく、一歩一歩自主的に泥沼にはまっていったことに自分でも呆然とするのだ。特に後半はマローン転落の一途といった感じで実に陰鬱だが、マローンに同情して陰鬱になるのではない。最初まっとうな志を持っていても、力を持つと人は堕落していく、警官だろうが政治家だろうが犯罪者だろうが同じだと突きつけられるからだ。マローンは街の為、正義の為に行動しているつもりでいるが、彼の行動ははたからみたらギャングとたいして変わらない。街や正義の為だという言い訳がきかない所まで彼は来てしまったのだ。マローンが愛した街、愛した人たちが彼を逃げ場のない所に追いやってしまうというのが辛い。そこから逃げ出せるくらい彼が悪人だったら、もっと軽い話になっていたのだろう。

ダ・フォース 上 (ハーパーBOOKS)
ドン ウィンズロウ
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2018-03-26


ダ・フォース 下 (ハーパーBOOKS)
ドン ウィンズロウ
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2018-03-26

『たったこれだけの家族 河野裕子エッセイ・コレクイション』

河野裕子著
 歌人である著者のエッセイ集『みどりの窓の家から』を全編収録、加えて未収録だった21編と共に新編纂したエッセイ集。
 家族と共に約2年間、アメリカで生活した時期の諸々を中心に綴られている。子どもたちがみるみるうちに成長していく様が随所に感じられる。英語が流暢というわけではない著者にとってアメリカでの生活は大変なものでもあったろうが、子どもたちが現地に適応していく様を面白がり、自分とのギャップに時にたじろぐ。夫と息子の距離感、自分と子どもたちとの距離感との違い、やがて子どもたちとの関係が友人のようになっていく様等、一家の生活の変遷を見ていく感も。家族が一緒にいられる時間は有限で、だからこそ輝いて見える。べたつかず素直な言葉で綴られており好感が持てた。短歌の印象とはまたちょっと違うのだ。平静な筆遣いで湿っぽくない文章だが、最後に収録された表題作からは、苦しく葛藤した時期もあった様子が垣間見える。
 なお、土地柄(ワシントンDC郊外らしい)なのかそういう時代だったのか、現代のアメリカよりも大分おおらかで開けた気質が感じられる。それでも牛乳パックに行方不明児童の写真がプリントされていたりと、ある面での治安の悪さを身近に感じさせる部分もあった。本当に外を歩くということ自体ないんだなぁ・・・。




『天国の南』

ジム・トンプスン著、小林宏明訳
 1920年、テキサス。大規模なパイプライン工事で職を得る為、放浪者、浮浪者、前科者等様々な人々が流れ込んでいた。ホーボーとしてこの地に流れ着いた21歳のトミーもその1人。かつて仕事で相棒だった30代の男フォア・トレイと再会しまた共に働くことになる。そして謎めいた女性キャロルと出合い、恋に落ちる。しかしフォア・トレイはキャロルには構うなとトミーを説得する。
 トンプスンはこういう作品も書いていたのかと新鮮に読んだ。ある犯罪が絡んだストーリーではあるものの、さほど血なまぐさくも強迫神経症ぽくもない。本作がはらむ焦燥感や落ち着きのなさは、語り手であるトミーの若さゆえのぐらつきや気短さから発せられるものだ。トミーが若くて未熟であることはそこかしこから感じられるし、トミー自身も言及する。本作はトミーが過去を思い返し語っている形式なので、あの時あんなことをしたのは自分が至らなかったからだ、という自省がからむのだ。しかしそこがみずみずしく、青春物語的な味わいになっている。若いトミーに対しある程度経験を積んだ過去のある男としてフォア・トレイが位置する。彼はトミーの兄貴分、導き手のような存在だが、トミーをどのように導きたいのか、彼は何をしに来たのかということがずっと伏せられている。本作の終わり方はある意味清々しいのだが、フォア・トレイが抱えるミステリ要素の端的な答えでもあるのだ。

天国の南
ジム・トンプスン
文遊社
2017-08-01




ゼア・ウィル・ビー・ブラッド [Blu-ray]
ダニエル・デイ=ルイス
ワーナー・ホーム・ビデオ
2012-02-08


『ドクター・マーフィー』

ジム・トンプスン著、高山真由美訳
 アルコール依存症専門療養所「エル・ヘルソ」の経営者であり主治医のドクター・マーフィーは、患資金難で八方ふさがりだった。患者は双子の映画界の重鎮や脚本家、元女優や元軍人などアクの強い人たちばかりだが、アルコールと縁が切れそうな人はいない。皆何かにつけてアルコールをちょろまかしていく。最近入院した裕福な患者の親族から資金を引き出せなければ、療養所は閉鎖するしかない。
 冒頭でいきなり入水自殺しようとする(が、やめる)ことからもわかるように、マーフィーはかなり追い詰められている。経営者としても医者としてもこの危機を抜け出せるほどには敏腕ではない、かといって経済的理由だからと割り切って施設を閉鎖するには使命感がありすぎる。マーフィーには父親のアルコール依存症で苦しんだ過去があり、それが彼をこの仕事に縛り付けているのだ。マーフィー、看護師たち、患者たちと章ごとに視点は変わる。読んでいると視点がどこへ向かっているのかわからなくなるような酩酊感があり、皆堂々巡りを続けているようで明確な答えや出口は見えず、段々混沌としてくる。そもそも患者たちは治りたいとも療養所から出たいとも思っていないし、マーフィーも本当はこの世界を壊したくないのではとも思えてくる。最後の方は地獄と紙一重のユートピアのように思えてくるのが不思議。

ドクター・マーフィー
ジム・トンプスン
文遊社
2017-11-01


おれの中の殺し屋 (扶桑社ミステリー)
ジム・トンプスン
扶桑社
2005-05-01



『高い窓』

レイモンド・チャンドラー著、村上春樹訳
 私立探偵フィリップ・マーロウは、裕福な老女エリザベス・マードックから、高価な金貨を持ち逃げしたという息子の妻リンダを探してほしいと依頼を受ける。マードックは元々息子とリンダとの結婚には反対で、離婚させたがっていたのだ。マーロウはリンダの友人や、金貨について問い合わせをしてきた古銭商を訪ねて回るが、リンダが金貨を持ち逃げしたというマードックの主張に疑問を持ち始める。
 村上春樹によるチャンドラー新訳。清水俊二訳は以前読んだが、改めて新訳を読むと、こんな話だったっのかという新鮮さ(単にストーリーを忘れているだけでもあるが・・・)。村上訳は、何が起きているのかという状況がより平明に分かりやすい。本作の場合、終盤で一気に「これまでのおさらい」的な説明をされるので、より分かりやすい印象が強くなるのだと思う。他のチャンドラー作品と比べると今一つ印象が薄いと言われがちな本作、最後に一気に解決しすぎなきらいはあるが、謎解きものとして意外といけた。
 本作、マードックという女性の一筋縄ではいかないキャラクターに味がある。マーロウをして「タフ」と評される彼女とマーロウのやりとりは、ぎすぎすしつつもお互いを舐めていない感じが面白い。秘書マールに言わせると「黄金の心を持つ」優しさも備えた人だと言うのが、果たして。彼女の人物像が事件そのものに関わっている。

高い窓 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
レイモンド チャンドラー
早川書房
2016-09-08


高い窓 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
レイモンド チャンドラー
早川書房
1988-09-01

『太陽がいっぱい』

パトリシア・ハイスミス著、佐宗鈴夫訳
 トム・リプリーは富豪のグリーンリーフ氏から、イタリアに行ったきりもどってこない息子・リディッキーを連れ戻してほしいと頼まれる。イタリアへ赴いたトムはディッキーと会うが、彼は女友達のマージと自由な生活を謳歌しており、アメリカに戻る気などさらさらなかった。トムはディッキーに近づこうと画策する。
 アラン・ドロン主演の映画化作品(後にマット・デイモン主演で『リプリー』として再映画化)が有名すぎて原作である本作を読みそびれていたが、ラストが映画と違うってこういうことか!ひとつ謎が解けました。トムはある犯罪を計画し、彼自身は完全犯罪と自負するが、実際の所あちらこちらにほころびがあり、今にも破綻しそうだ。その破綻の原因は、ほぼリプリー自身の振る舞いにあるところが面白い。余計なことをしなければそんなにヒヤヒヤしないで済むんだよ!と突っ込みたくなる。彼が余計なことをしてしまうのは、彼の願望が金を得ることそのものではなく、元の自分よりも優れた何者か=ディッキーになり認められたいという所にあるからだろう。観客がいなければ成り立たないのだ。やっている行為と動機が矛盾している。トムは元々俳優志望だったと作中で少しだけ言及されているのが示唆的だ。作中でも頻繁に一人芝居をしているが、屈折したナルシズムを感じる。自分自身ではなく自分が演じている役柄に対して過剰な自信があるという。
 また、今読むと明らかに、リプリーのリッキーに対する感情は恋であり、ディッキーがトムを疎んじるのはゲイフォビアと自分の中の同性愛的傾向への戸惑いとの入り混じったものであろうとわかる。結構あからさまに描かれてると思うけど、当時はそういう価値観自体ないことにされてたってことかな。

太陽がいっぱい (河出文庫)
パトリシア ハイスミス
河出書房新社
2016-05-07


リプリー [DVD]
マット・デイモン
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2015-03-04

『トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』

篠原辰史著
 1892年にアメリカで誕生したトラクターは、人力によるものだった耕作を機械科、作物の大量生産を可能にした。トラクターはアメリカでは量産により、ソ連・ナチスドイツ・中国では国策により普及していく。しかし農民や宗教界からの拒絶や、化学肥料の大量使用、土壌の圧縮、多額のローン等新たな問題も生まれていった。農業用の機械が世界にどのような変化をもたらしたか、農民、国家、社会を通して解説する。
 サブタイトルの「人類の歴史を変えた」という言葉は決して大げさではないということがわかる。こなせる作業量が変わる→生産量が変わる→産業構造自体が変わるということなのだなと実感できる1冊。食料の生産量が変わるとこうも世界が変わるのかと。トラクターを通して、世界の近代化の過程が見える、正に「トラクターの世界史」なのだ。一口に世界史といっても、切り口は色々なんだなと新鮮だった。「トラクター」の部分に何が入っても、それが世界の一部である以上、ちゃんと世界史になるはずなんだよね。おお世界がつながっていく!というわくわく感を感じた。
 当初、機械での耕作など温かみがない!というアニミズム的精神論による、導入への強い抵抗があったそうなのだが、これはどの分野でも同じなんだなと面白かった。手書きの文字の方が温かみがある、人柄がわかる(からワープロ反対)というのと同じだもんな。


戦争と農業 (インターナショナル新書)
藤原 辰史
集英社インターナショナル
2017-10-06




『太陽の棘』

原田マハ著
第二次大戦終結直後の沖縄に派遣されることになった、若き精神科医エド・ウィルソン。心に傷を負った大勢の兵士の診察に奔走する中、息抜きは同僚たちとのドライブだった。ドライブ中、沖縄の芸術家たちが作った共同体「ニシムイ美術村」に辿りつき、若き画家たちと交流が始まる。
ニシムイ美術村は実在した共同体だそうだ。それを沖縄駐在のアメリカ人の視点で描く所にひねりというか苦肉の策というかが見える(このあたりは文庫版についている佐藤優の解説が的確だった)。画家たちが抱える怒りはエドにとってわからないものであり、そのわからなさ、共有できなさは沖縄と本土を巡る問題を投影したものでもある。著者にはこれを描き切れるのか、沖縄の外から書いていいのかどうかという躊躇があったのかもしれないが、書き方で回避している。ただ、面白い題材なのだが、(著者の作品全般そういう印象なんだけど)画家たちの作品に対する対峙の仕方や、作品のディティール等の描写が通り一遍であっさりしている。全部予想の範疇内でほどほどに収められている感じで、読みやすいが後に残るものがない。もったいないなぁ。


太陽の棘 (文春文庫)
原田 マハ
文藝春秋
2016-11-10


楽園のカンヴァス (新潮文庫)
原田 マハ
新潮社
2014-06-27


『灯台へ』

ヴァージニア・ウルフ著、御輿哲也訳
 スコットランドのスカイ島にある別荘に滞在している、ラムジー夫妻と8人の子供達。ラムジー氏は哲学者で、ラムジー夫人は世話好きな美人。一家の他にも、画家のリリー=ブリスコー、ラムジー氏を尊敬する青年チャールズ=タンスリー、詩人のカーマイケル氏らが招かれていた。
 3章により構成されるが、章ごとの時間の流れが全く違う。第1章「窓」は一番長いのだが、ある1日のみが描かれる。同じ時間を様々な人の視点から構築していき、読んでいると時間が引き延ばされたような感覚がする。第2章「時は流れる」は1章とは逆に、時間は圧縮されあっという間に10年が過ぎる。この章は登場人物の視点ではなく、世界を俯瞰する視点で描かれる。さらに第3章では1章の10年後、ラムジー氏らが再び別荘を訪れ、1章と同じくそれぞれの視点で描かれる。第2章の圧縮度は劇的なのだが、人間の意識にとって時間は均一に流れるものではなく伸び縮みするものだと実感させる。第2章の時代背景には第一次世界大戦の開戦・終戦も含まれており、渦中の人々にとっては本当にあっという間だったのかもしれない。具体的に登場人物たちの言動が描かれるのは第1章と第3章の計2日だけなのだが、それが却って年月の経過を感じさせる。時間の経過はコントロールできないものだが、同時に非常に主観的なものとなる。
 登場人物それぞれの思考、他の人に向ける感情を読んでいると、ああこういう人いる!と共感したり反発したり。この人とこの人は絶対相性悪いなとか、相性のいい人同士でもこういうふうな態度だと拗れるなとか、とても面白かった。特にラムジー氏とラムジー夫人は、どちらも全く別のタイプの独りよがりさを持っているように思った。ラムジー氏は周囲が自分を丁重に扱うものと思っているし、ラムジー夫人は誰に対しても献身的だがその献身は彼女が「よかれ」と思うことにすぎない。母の献身を父に横取りされたラムジー家の幼い息子ジェームズが父への敵意を持つくだりなど、こういうことってあるよなぁと。今言わなくていいことを「正しい」から口にしてしまうラムジー氏の行動には、こういう人と結婚しちゃうと火消が大変!とイライラする。また、承認欲求とミソジニーをこじらせたようなタンスリーは、現代の青年としても全然通用しそう。

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