3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『その裁きは死』

アンソニー・ホロヴィッツ著、山田蘭訳
 「わたし」こと脚本家で作家のアンソニー・ホロヴィッツの前に、再び元刑事の探偵ホーソーンが現れる。実直さに定評のある弁護士が自宅で殺害され、ホーソンが調査することになったのだ。被害者弁護士は、自身が扱った離婚訴訟について疑惑を抱いていたらしい。
 『メインテーマは殺人』に続くシリーズ第2弾。「わたし」が脚本を手掛けた『刑事フォイル』の撮影現場に立ち会うシーンが冒頭にあり、作家ホロヴィッツの仕事に関する言及も多い。前作は映画の世界のネタに満ちていたが、今回は出版、文芸の世界のネタが多い。容疑者の一人である詩人について、詩の出版だけでそんなに儲かるはずがない!という指摘があるのはイギリスでも同じなのか…作中の詩人はかなり有名な売れっ子なんだけど、たかが知れているというわけだ。
 相変わらずホーソーンを筆頭に登場人物全員がいけすかないし、「わたし」は自分の頭脳を過剰評価気味で事件の推理も空回りしがち。もちろん著者は意図的にこういう造形にしているのだろうが、戯画的すぎて少々鼻についた。私はホーソーンのキャラクターがあまり好きではないので(他人を過剰にコントロールしたがる所が苦手…)余計にイライラしてしまうのかもしれないが。ラスト、落ち込む「わたし」にホーソーンが「ぴったりの言葉を見つけては、そういったものに生命を吹き込むんだ。おれにはとうていできることじゃない」と作家としての「わたし」を励ますのだが、だとしたら作中のホロヴィッツは著者よりも小説家としての適性が高いのでは…。本作、犯人当てとしてはしっかりフェアプレイであっと言わせる。その点は見事なのだが、小説としての味わい深さや奥行には乏しいように思う。犯人が知りたいからぐいぐい読まされるが、逆に言うとその他の部分にはあまり魅力がないから読み飛ばせてしまうとも言える。「面白い話」と「面白い小説」はちょっと違うんだよな…。やはり脚本家の方が向いているのではないか。

その裁きは死 ホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ (創元推理文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
東京創元社
2020-09-10


シャーロック・ホームズ 絹の家 (角川文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
KADOKAWA
2015-10-23








『空のあらゆる鳥を』

チャーリー・ジェーン・アンダーズ著、市田泉訳
 魔法使いの少女パトリシアと、天才科学少年ローレンスは幼い日に出会い、お互いを唯一の理解者として成長していく。しかしある未来を予知した暗殺者のたくらみにより、2人は別々の道を歩むことになる。そして人類滅亡の危機が迫る中、成長した2人は魔術師と科学者という対立する組織の一員として再会する。
 パトリシアもローレンスもユニークな個性や突出した性能があるが、家族や学校には理解されない。ここではないどこかに行ければと願う孤独な子供だった。子供にとって親の無理解は致命的だが、特にパトリシアの両親と姉のふるまいはかなり極端(これ虐待じゃないの?というくらい)で、彼女と断絶している。ちょっと戯画的すぎて作中の他の部分とのトーンの違いが気になってしまった。こういう部分だけでなく、作中の科学技術の水準とか魔術とされるものの定義や、魔術師の組織あるいは科学者の組織の構成やその目的など、つじつまが合うんだか合わないんだか微妙だったり、パトリシアやローレンスがどういう経緯で組織の中で働くようになったのかなど所々あっさり割愛されていたりで、全体的に描いている部分と描いていない部分の落差が大きいように思った。つじつま合わせや伏線回収にはあまり熱心ではない(子供時代のパトリシアに対する「樹」からの問いの回答など、なんだそりゃという感じだし)。そもそもどの時点で人類滅亡の危機の持ち出し方は唐突だし、科学と魔術、人類と自然という対比もわりと安直だ。
 ただ、そこは作中それほど重要な部分ではないのだろう。強く印象に残るのは少年少女の孤独さであり、世界からはみ出てしまった心もとなさだ。心もとなさ故に2人は惹かれあうが、やがてそれぞれが所属するはずの世界においても、お互いの存在故にはみ出していってしまう。その如何ともしがたい関係性、引力が本作を構成している。そして全く異なる個性同士の共通項と融合という所に、破滅から逃れる希望がほのかに見える。

空のあらゆる鳥を (創元海外SF叢書)
チャーリー・ジェーン・アンダーズ
東京創元社
2020-05-09


『掃除婦のための手引き書』

ルシア・ベルリン著、岸本佐知子訳
 毎日バスで他人の家を訪ね掃除をして回り掃除婦仲間と情報交換していく女性を描く表題作をはじめ、夜明けになりふり構わず酒を買いに通ってしまうシングルマザー(『どうにもならない』)、社会活動に熱心な教師に連れられ貧民街へ通う少女(『いいと悪い』)、刑務所内の文章クラス(『さあ土曜日だ』)等、華々しくもゴージャスでもない人たちの人生を描く短編集。
 評判になっていただけのことはあって、とてもよかった。描かれる人生は決して居心地がよさそうなものではない。経済的には底辺にいたり、アルコール依存症や病に苦しんだり、豊かな家庭であってもどこか欠落して満たされなかったりする。そういった状況が率直に、具体的につづられており時に容赦ない。『どうにもならない』のアルコールに対する切実な渇望はまさにどうにもならないのだとひしひしと伝わってきて辛い(朝になってからの家族とのやりとりがこれまたきつい)。しかし深刻な状況であっても、いやであるからこそそこに強靭なユーモアがある。ユーモアと痛みが一体になっており、泣いていいのか笑っていいのかわからなくなるような余韻を残すのだ。登場する人たちは皆全然大丈夫じゃなさそうなのに、冷めたおかしみがある。特に「私」と妹のサリー、「ママ」との関係を描いた連作は、死の臭いが濃厚なのに思い出の端々がきらきらしていてやるせなかった。


楽しい夜
講談社
2016-02-25


『そして、バトンは渡された』

瀬尾まいこ著
 17歳の優子は7回家族が変わっている。父親が3人、母親が2人。今の父親「森宮さん」は3人目の父親だ。高校3年生になって進学のことも考え始めるが。歴代の「親」達と優子の17年を描く。
 血縁による親子だけが親子の形ではない、という題材を扱う小説や映画、ドラマなどが近年増えているように思うが、本作もまさにその題材。ただ本作の場合、実の両親もちゃんとした人たちで優子を愛し親としての責任を全うしようとする。愛と責任のない実の親<愛と責任のある他人、という図式ではなく、並列されているのだ。そのことで、子供にとって必要なのは適切な保護者であって、そこに血のつながりはあまり関係ない、適切さを保っていれば血縁者でもそれ以外でもいいという側面が強まっている。歴代の親の優子に対する責任の負い方、愛情の在り方はそれぞれ方向性が違う。ある人から見たらとんでもないという親もいるかもしれない。しかし彼らは皆、他人の人生・未来を背負う覚悟をしており、そこにベストを尽くそうとしている点で、ちゃんと「親」だったと思う。基本良い人ばかり登場する悪者のいない優しい小説だが、さらっと読めすぎなきらいも。優子の同級生女子たちのつるみ方や悪意の発露の仕方が少々類型的な所も気になった。2番目の母親・梨花が優子に「女の子はにこにこしていないと」と教える処世術も、梨花がそういう人だ(そして本人はにこにこしているだけではない)という設定なのはわかるが今これ言う?という気がした。そういうのはもう時代錯誤だと思うんだけど・・・。

『その情報はどこから? ネット時代の情報選別力』

猪谷千香著
 産経新聞、ニコニコニュース、ハフィントンポスト日本版で記者を経験してきた著者が、あふれる情報の中から何をどう選べばいいのか、疑わしい情報に惑わされない為にどうすればいいのかを解説する。
 WEBちくまに連載されていたコラムだが、インターネットニュースのヘビーユーザーには言うまでもない内容も多いだろう。ヘビーユーザーちくまぷりまーブックスから出ている本なので、どちらかというと若い人向けではあるが、逆にそんなにネットになじみがない高齢者に向けても良いかもしれない。さらっと読める。ネットニュースやウィキペディア、まとめサイトの性質を説明しており、インターネットで情報収集する際の入門書的。インターネットは確かに情報が豊かではある。が、自分が目にする情報は既に様々な方法でフィルタリング・マッチングされているものであり、基本的に自分にとって不快・都合の悪い情報は目に触れにくくなっているというのが現在のネットだということは常に忘れないようにしたい。
 なお、情報収集・調査における図書館の重要性にちゃんと言及されている。ネットは図書館の代替物にはならないんだよね・・・。


『そしてミランダを殺す』

ピーター・ワトソン著、務台夏子訳
 空港のバーで出発までの暇つぶしをしていたテッドは、見知らぬ女性リリーに声を掛けられる。酔った勢いと二度と会うことのない相手だという気の緩みから、テッドは彼女に妻ミランダが浮気をしていること、彼女に殺意を持っていることを打ち明けてしまう。リリーはミランダは殺されて当然と断言し、彼に殺人の協力を申し出る。計画を立て着々と準備を進めたテッドだが、結構間近になって予想外の出来事が起きる。
 多分二転三転するサプライズ系サスペンスなんだろうなと予想していたが、予想通りに驚かせ楽しませてくれる。途中までは多くの読者が予想している通りの展開だと思うのだが、その先が、あっそっちの方向ですか?!という楽しみがあった。初対面の他人と殺人計画を練るという大味な導入だし二転三転のさせ方は結構大らかではあるのだが、ピンポイントで細かい所をちゃんと詰めている印象。最後の不穏さもいい。4人の男女の一人称で語られるので、彼らが自認している自己像と、他人がどういう風に見ているかというギャップの面白さがあった。特にミランダとリリーは、自分の見え方について、当人が意図している部分としていない部分がある。狙い通り!ってこともあるし、そんなつもりじゃなかったんじゃないかなって所も。この2人はやりたいことがはっきりしており、男性陣よりもいいキャラクター造形だった。

そしてミランダを殺す (創元推理文庫)
ピーター・スワンソン
東京創元社
2018-02-21


見知らぬ乗客 (河出文庫)
パトリシア・ハイスミス
河出書房新社
2017-10-05


『ソロ』

ラーナー・ダスグプタ著、西田英恵訳
 ブルガリアの首都ソフィアでうらぶれたアパートに暮らす盲目の老人ウルリッヒは、貧しく、家族も親族もいない。ご近所の厚意に助けられて暮らしている彼は、自分の子供の頃からの記憶をひもといていく。一方、ブルガリアの田舎町に生まれた少年ボリスは幼い頃に両親を亡くすが、音楽の才能を開花させていく。更にグルジアの首都トビリシで豊かな家に生まれたハトゥナとイラクリ姉弟は、共産主義の崩壊と共に没落の一途をたどる。
 第一楽章「人生」ではウルリッヒの、第二楽章「白昼夢」ではボリスとハトゥナ、イラクリの人生が描かれる。第一楽章と第二楽章は語り口のテイストやリアリティラインが微妙に異なり、なぜ一見ウルリッヒとは関係なさそうな人たちの話を?と思うかもしれない。しかし第二楽章は第一楽章の変奏、つまりウルリッヒの人生の変奏曲なのだ。第一楽章を読む限りでは、ウルリッヒの人生は何者にもなれなかった、全て徒労に終わったようなものと捉えられるかもしれない。ウルリッヒ自身も、そう思ってきただろう。しかし、彼の内的世界の豊かさは別の物語を作り上げる。それは決して徒労ではないし、みじめな行為ではない。自分の人生を受け入れる為の作業なのだ。第一楽章での様々な局面、要素が第二楽章に織り込まれており、ボリスもハトゥナもイラクリも、あったかもしれないウルリッヒの人生の一部だ。人間はなぜ物語を必要とするのか、物語の効用とはどんなものなのかを体現する作品だと思う。
 読み終わると、題名『ソロ』正にその通りの内容なのだと納得するだろう。また各楽章内の章タイトルは、メイン登場人物の属性や指向を象徴するのだろうが、時に彼らの人生との矛盾を感じさせ切なくもある。なお、功利と精神性を理解しない物質主義を体現したようなハトゥナの造形が、少々ミソジニーを感じさせるものなのは気になった。

ソロ (エクス・リブリス)
ラーナー・ダスグプタ
白水社
2017-12-23



東京へ飛ばない夜
ラーナ ダスグプタ
武田ランダムハウスジャパン
2009-03-12


『喪失のブルース』

シーナ・カマル著、森嶋マリ訳
 バンクーバーにある探偵事務所の助手として、人探しを専門にするノラ。かつてはアルコール依存症に苦しみ、今も一見ホームレスのような暮らしをしている。ある日、ノラは裕福な夫婦から、失踪した15歳の娘を探してほしいと依頼される。その娘は、ノラがかつて産み、養子に出した子供だった。
 探偵事務所が入居しているビルの地下にこっそり間借りし、相棒の雌犬ウィスパー以外とは親密な関係を持たないノラ。非常に鋭い観察力で嘘を見抜くが、そのため自分が嘘をつくことにも強い抵抗がある。ストーリー展開がちょっと右往左往する(一盛り多くないかな?という気がする)のだが、彼女の独自のルールに基づいた行動に引き付けられた。ノラは、娘の存在を知らされ自身の過去を掘り起こさざるをえなくなっていく。封印した過去と再び向き合うというパターンのミステリ作品は多々あるが、本作はノラが過去から逃れようとしても逃れらない様がひしひしと苦しそう。過去が襲ってくるというのはこういうことか。苦しいから調査にも積極的ではないのだが、やがて後戻りできない領域に踏み込んでいく。彼女を突き動かすのは娘への愛とは少し違うだろう(責任感ではあるだろう)。過去への怒りや憎しみを振り切る為、自分の人生を再び掴む為のものに思えた。

喪失のブルース (ハーパーBOOKS)
シーナ カマル
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2017-10-17


探偵は壊れた街で (創元推理文庫)
サラ・グラン
東京創元社
2015-04-13

『それまでの明日』

原尞著
 渡辺探偵事務所を一人で営業している沢崎の元に、望月皓一と名乗る金融会社の支店長が訪れた。依頼内容は、出資先として予定されている赤坂の料亭の女将の身辺調査。調査を始めると、女将は昨年亡くなっていることがわかった。沢崎は望月に連絡を取ろうとするが、居場所がつかめない。金融会社の支店を訪れた沢崎は強盗事件に巻き込まれる。
 実に14年ぶりの新刊だが、沢崎は相変わらず沢崎だ。とは言えストーブを出しそこねて風邪をひいたり、警察や暴力団員への当たりから若干角が取れた(が、馴れ合いとは程遠い)あたり、年齢を重ねている感じはする。最大の違いは乗っている自動車が変わったこと、そして若者への接し方かもしれない。つっけんどんさが軽減されている。しかし決して父性的というわけではないし、自らは父親的なものになろうとはしないあたり、分を知っている感じ。本作、身辺調査や人探しという、それほど「事件」感のないスタートで、序盤は地味。しかしいきなり強盗事件に遭遇という結構な巻き込まれ方で、これは今までのミステリ的な側面を押さえ劇画的な線で行くのか?!と思っていたら、結構な終盤であーっ!と言わされた。なるほどそうきたか。それはそれとして、本作は原尞版『長いお別れ』なのは間違いないだろう。ある人物のあり方にはテリー・レノックス風味を感じた。そしてラスト、題名の意味が全く変わってしまう、というかそれまで附帯されていた意味が霞んでしまう。沢崎にとっても、他の人たちにとっても、もう「それまでの」明日はこない。何としても続編を完成させて頂かないと・・・。なお、著者の作品は地の文も会話文も折り目正しく清潔感がある。荒っぽい会話やヤクザの凄みも、なぜかきちんとしている印象。青年の話し言葉等、実際にこういう話し方をする若者はいないだろうと思うが、そういうことじゃないのね。著者の作品世界では、これが最適な話し方なのだ。折り目正しい会話文なので読んでいて安心感がある。

それまでの明日
原 りょう
早川書房
2018-02-28



『その犬の歩むところ』

ボストン・テラン著、田口俊樹訳
その犬は暴風雨の夜、ひどい怪我をし道路に倒れているところを見つかった。その犬の名前はギブ。彼の身に何が起き、なぜその道路に辿りついたのか。
ギブと名付けられた犬の旅路が中心にあるが、犬は主人公であると同時に、この物語の媒介でもある。ギブに関わることで、彼を愛した、あるいは迫害した人間たちの物語も浮かび上がってくるのだ。犬は何も語らないかわりに、彼と相対する人間の姿を鏡のように映し出す。愛情に対しては愛情をまっすぐ(大体何倍もにして)返してくる犬の姿には犬好きならずとも、ぐっとくる。そのまっすぐな信頼、愛情を受けることで、時に人間たちの人間としての最良の部分が発揮されるというのにも、ぐっとくる。犬だけではなく人間たちも様々な形で深い傷を負っているが、傷と傷が共鳴しあい、お互いに回復していくのだ。911を、イラク戦争を、そしてハリケーン・カトリーナを背景にした、俯瞰による語り口は現代アメリカの神話のようでもある。