アンソニー・ホロヴィッツ著、山田蘭訳
「わたし」こと脚本家で作家のアンソニー・ホロヴィッツの前に、再び元刑事の探偵ホーソーンが現れる。実直さに定評のある弁護士が自宅で殺害され、ホーソンが調査することになったのだ。被害者弁護士は、自身が扱った離婚訴訟について疑惑を抱いていたらしい。
『メインテーマは殺人』に続くシリーズ第2弾。「わたし」が脚本を手掛けた『刑事フォイル』の撮影現場に立ち会うシーンが冒頭にあり、作家ホロヴィッツの仕事に関する言及も多い。前作は映画の世界のネタに満ちていたが、今回は出版、文芸の世界のネタが多い。容疑者の一人である詩人について、詩の出版だけでそんなに儲かるはずがない!という指摘があるのはイギリスでも同じなのか…作中の詩人はかなり有名な売れっ子なんだけど、たかが知れているというわけだ。
相変わらずホーソーンを筆頭に登場人物全員がいけすかないし、「わたし」は自分の頭脳を過剰評価気味で事件の推理も空回りしがち。もちろん著者は意図的にこういう造形にしているのだろうが、戯画的すぎて少々鼻についた。私はホーソーンのキャラクターがあまり好きではないので(他人を過剰にコントロールしたがる所が苦手…)余計にイライラしてしまうのかもしれないが。ラスト、落ち込む「わたし」にホーソーンが「ぴったりの言葉を見つけては、そういったものに生命を吹き込むんだ。おれにはとうていできることじゃない」と作家としての「わたし」を励ますのだが、だとしたら作中のホロヴィッツは著者よりも小説家としての適性が高いのでは…。本作、犯人当てとしてはしっかりフェアプレイであっと言わせる。その点は見事なのだが、小説としての味わい深さや奥行には乏しいように思う。犯人が知りたいからぐいぐい読まされるが、逆に言うとその他の部分にはあまり魅力がないから読み飛ばせてしまうとも言える。「面白い話」と「面白い小説」はちょっと違うんだよな…。やはり脚本家の方が向いているのではないか。