3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『その雪と血を』

ジョー・ネスボ著、鈴木恵訳
殺し屋のオーラヴ・ヨハンセンは、ボスから新しい依頼を受ける。ターゲットは浮気をしているらしいボスの妻。いつものように仕事をこなすつもりだったが、彼女の姿を見た瞬間、オーラヴは恋に落ちてしまう。
著者の作品は結構なボリュームがあるというイメージだが、本作は比較的短い。しかし濃度は高い。殺し屋とファム・ファタール的美女という古典的なノワール小説の装置だが、陰影が深くとても魅力ある作品。主人公オーラヴは難読症で、文字の読み書きは困難、かつ数字の計算が出来ない。「普通」の仕事が出来ない彼が唯一こなせるのが殺しなのだ。とは言え、読んでいるうち、オーラヴは読み書きは苦手だが小説、物語に愛着があり、文学の素養を持つことがわかってくる。オーラヴは自分の物語が欲しいのだ。何も持たなかった彼が、自分自身の物語を生きられるかもしれないと思ってしまったことで、彼の人生が大きく変わってしまうとも言える。生き方を変えられるかもしれない、別の居場所があるのかもしれないという可能性が全くない人生は、あまりにも苦しい。その可能性を追うことが自滅行為だったとしても。クリスマスの時期のノルウェーの寒々とした情景と、オーラヴの仕事の凄惨さ、そしてわずかなセンチメントが入り混じり、はかなくも印象深いノワール小説。

『ソング・オブ・ラホール』

 パキスタン・イスラム共和国のラホールで活動していた伝統音楽家たちは、過激なイスラーム原理主義の台頭によって音楽活動を禁じられ、活動の場がなくなってしまう。このままでは世間から忘れられてしまうと危惧した彼らは、聴衆の幅を広げようと「サッチャル・ジャズ・アンサンブル」としてジャズに挑戦。伝統楽器によるジャズカバーはyoutube経由で海外でも話題となった。トランペット奏者ウィントン・マルサリスの目にとまった彼らは、ニューヨークへと招かれ現地のジャズバンドと共演することになる。監督はシャルミーン・ウベード=チナーイ&アンディ・ショーケン。監督もパキスタンン人とニューヨーク在住のアメリカ人のコンビだ。
 マリ共和国を舞台にした映画『禁じられた歌声』(2014)の中で、街がイスラーム過激派に占拠されて音楽(とその他の娯楽)が禁じられるというくだりがあったことを思い出した。『禁じられた~』はファンタジックな味付けがされていたが、本作はドキュメンタリーなのでガチである。本当に音楽だめなんだ!と正に異文化に触れた感があった(以前は音楽活動が盛んだったということは、イスラム教が音楽を全く禁じているというわけではなく教義の解釈の問題なのだろうが。ポップミュージックは流通しているみたいだし)。たまにホテルでポップミュージシャンのコンサートなどがありサポートメンバーとしてステージに立つという話が出てくるが、「ホテルは警備は厳しいけど自爆テロは・・・」という言葉が。そういう世界なのかとはっとする。
 ニューヨークでのコンサート、リハーサルできる時間が意外と短い(本番まで4日、と言っていたので実質3日程度なのでは)。最初は楽観的だったメンバーも、ジャズバンドとの慣れないセッションに徐々に焦りを増していく。実際、素人が聞いても決して噛み合っているとは言えない演奏が延々と続くので、本当に間に合うの?!とハラハラしてしまう。人間て、どこの国の人でも不安な時はちゃんと不安そうな顔になるんだな(サッチャルの面々も、マルサリス率いるバンドの面々も、顔に「心もとないです」と書いてある時が・・・)と妙な所で感心してしまった。
 そういう不安な時間があるだけに、「TAKE FIVE」が始まった瞬間の、全員の「イェー!」という表情と確かに「イェー!」な音にはぐっときてしまう。これ、音楽は素晴らしい!ってことだけじゃなくて、ここにたどり着くまでにお互いになんとか摺合せていこうと、知恵を絞って試行錯誤してきたことがわかるからだと思う。異文化に出会うってそういうことだろうし、人間はそれが出来る力があるんだなということにはっとするのだ。

『そばかすの少年』

ジーン・ポーター著、花岡花子訳
片手のない、孤児院育ちの少年「そばかす」は、木材会社の社長マックリーンに見込まれ、リンバロストの森の番人として働き始めた。植物や鳥や獣たちを観察するうち、そばかすは物事を学ぶ喜びを知っていく。ある日、森で富豪の娘エンゼルと出合ったそばかすは、彼女に深い思いを寄せるようになる。1957年に日本で翻訳出版された作品なので、さすがに翻訳文の古さは目立つし、ここは誤訳では?という部分も。しかしその古風な感じが味わいになっている。もし新訳で出たら、却って良さが失われるような気もする。というのも、そばかすもエンゼルもマックリーンもとにかく清く正しい人で、「善き人」の全部盛りみたい(それはそれで、安心できていいんだけど)。また、お話も多分にご都合主義的に展開するので、現代の目で読むとちょっと辛いところがある。特にそばかすの生い立ちの真相など、あーあそうかーって感じ。乗り越えるべきものなどないんじゃん・・・ロマンスとしては退屈だなー。でもこれが当時の限界だったんだろうとはわかる。とはいえ、森の描写は生き生きとしており、世界の広さにそばかすが目を開いていく瞬間などもはっとする。なおマックリーンがそばかすを好きすぎて、エンゼルとの仲よりもむしろ気になってしまった。

『その姿の消し方』

堀江敏幸著
フランス留学時代、“私”は古物市で1枚の絵はがきを手に入れた。小屋と四輪馬車の写真の裏には、10行の詩がしたためられていた。やがて、詩を書いたのは写真が撮影された町に住んでいた会計検査士で、1人の女性に向けて書かれたらしいとわかる。“私”は彼が詩を書いたはがきを探しまわるようになり、また彼に関する情報が“私”の元に舞い込むようになる。“私”と詩人との間に時を超えた繋がりが生まれてくるような不思議な作品。詩の解釈の仕方も、詩人の生涯がわかってくると共に徐々に変容していく。最初に見えていた詩の中の風景と、後々に見える風景とは違うのだ。誰かが残した記憶を、後々に別の誰かが目にするが、最初に記したものそのままは伝わらない。段々風化したり、上書きされ変容していったりもする。見えているものは同じはずなのに。詩人が生きた時代が、覚えている人がまだぎりぎりいる程度の昔だという所もポイントだろう。懐かしく思い出せる人もいるが、その記憶は徐々に風化し、失われていく過程にある。痴呆の始まった老人に話を聞くシーンなどは、記憶がぱっと鮮明に蘇る瞬間と、崩れて曖昧になっていく様との対比が痛ましくもあった。

『そこに薔薇があった』

内海文三著
離婚して独身になった正幸は、2人の女性と知り合う。魅力的な彼女らの存在に心浮き立つ正幸に対して、叔母ははしゃぎすぎないように警告する。1話目「はしゃぎすぎてはいけない」をはじめ、似たような結末を迎える短編集。予期せずエアポケットに陥ってしまったような男女の姿が描かれる。随分と類型的なファム・ファタールだなと思っていたのだが、最後の「美しい年齢」でこれまでの短編の様相ががらりと変わって見えてくる。小話集ではなくちゃんと連作ミステリとして立ち上がってくるのだ。著者独自のロマンチシズムに満ちた連作だと思う。

『その女アレックス』

ピエール・ルメートル著、橘明美訳
見知らぬ男に拉致監禁されたアレックス。男は「お前が死ぬのを見たい」と告げた。衰弱しながらもアレックスは脱出を試みる。一方、女性が拉致されるのを目撃したとの通報を受けた警察は、カミーユ・ヴェルーヴェン警部を筆頭に捜査を進めていた。「このミステリーがすごい!」に選ばれるのも納得の面白さ。真相が見えたと思いきや、そこには裏が、そして更に裏があるというサプライズの連続技に唸った。ちょっとやりすぎでギャグのようになってしまいそうなところ、アレックスの「真相」の悲痛さがブレーキをかけている。ヴェルーヴェン警部を主人公としたシリーズの2作目(本作が初の邦訳)だそうだが、にもかかわらずなぜこの題名なのかということがよくわかる。アレックスの内面の描写と行動とはどこかちぐはぐなのだが、なぜそうなのか、そうならざるをえなかったのか。ある人がどのように自分を形作り、何と戦っていたのかが見えてくるにつれ、やりきれなくなってくる。物事(人)は見た目通りではない、というシチュエーションが様々な形で現れるが、大概陰惨なものの中、終盤、美しい形でそれが現れ、いい清涼剤に。

『それでも、日本人は戦争を選んだ』

加藤陽子著
日本現代史の研究者である著者が、主に高校生を対象に行った戦争史講座をまとめたもの。日清戦争から太平洋戦争まで、日本はなぜ戦争への道を進んだのか、様々な観点から考えていく。大変評判になっていた1冊だが、確かに力作。私は歴史にはかなり疎いのだが、高校の教科書レベルの知識があれば特に問題なく読めるのではないかと思う。歴史好きな人にはもちろんお勧め。通り一遍の歴史の流れではなく、この時のこの選択に何が影響しており、誰が決定したのかというところを一つ一つ読み解いていく。日本にも世界にも優秀な頭脳があった、それがなぜ泥沼状態の戦争に陥ってしまったのか。(日本に限っていうと)局面を大きく読み間違えるというよりも、つい都合のいい方に考えてしまう、楽観視してしまうという小さい部分の積み重ねで破局にいたることも往々にしてあるんだなと。そして、世界情勢に詳しい知識人の中にも、戦争に賛成だった人がそこそこいたらしいというところは意外でもあった。この人はどこを見てこう考えたのか、という部分がちゃんと説明されており面白い。歴史に造詣の深い人には特に目新しい内容ではないのだろうが、私にとっては入門編として勉強になった。それにしても、本著でとりあげられている時代って学校の授業ではあまり分量割かれないし、本著のようなアプローチの仕方ってあまり目にしたことがないなぁ(私がこの分野に疎いからなんだけど)。もっと学校教育の中で取り上げていく必要がある内容だと思うのだが。

『祖母の手帳』

ミレーナ・アグス著、中嶋浩郎訳
忙しい両親に代わり、“わたし”の傍にいた祖母。祖母が遺した手帳には、結婚後の1950年、保養地で出会った「帰還兵」との愛が綴られていた。“わたし”の記憶と祖母の綴った内容とが交互に現れる。祖母は自分は愛を(夫や子供との関係の中では)手に入れられなかったと思っていたが、読んでいると、愛はそこにあるように思える。愛がどんなものかは人によって違って、当事者には「ある」ということが見えないのかもしれない。祖母がたびたび「後悔した」というのも、後々には物事が違って見えるようになったからではないか。と思っていたら、最後にあっそういうことか!と。祖母が少女の頃から文才があったというのは、文章を書くことが得意である以上に、書かずにはいられなかったのだ。これは物語を持たずにはいられない人の話だったのかとはっとした。祖母にとっての世界との和解の仕方は、これだったのだろう。
ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ