3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ソロ』

ラーナー・ダスグプタ著、西田英恵訳
 ブルガリアの首都ソフィアでうらぶれたアパートに暮らす盲目の老人ウルリッヒは、貧しく、家族も親族もいない。ご近所の厚意に助けられて暮らしている彼は、自分の子供の頃からの記憶をひもといていく。一方、ブルガリアの田舎町に生まれた少年ボリスは幼い頃に両親を亡くすが、音楽の才能を開花させていく。更にグルジアの首都トビリシで豊かな家に生まれたハトゥナとイラクリ姉弟は、共産主義の崩壊と共に没落の一途をたどる。
 第一楽章「人生」ではウルリッヒの、第二楽章「白昼夢」ではボリスとハトゥナ、イラクリの人生が描かれる。第一楽章と第二楽章は語り口のテイストやリアリティラインが微妙に異なり、なぜ一見ウルリッヒとは関係なさそうな人たちの話を?と思うかもしれない。しかし第二楽章は第一楽章の変奏、つまりウルリッヒの人生の変奏曲なのだ。第一楽章を読む限りでは、ウルリッヒの人生は何者にもなれなかった、全て徒労に終わったようなものと捉えられるかもしれない。ウルリッヒ自身も、そう思ってきただろう。しかし、彼の内的世界の豊かさは別の物語を作り上げる。それは決して徒労ではないし、みじめな行為ではない。自分の人生を受け入れる為の作業なのだ。第一楽章での様々な局面、要素が第二楽章に織り込まれており、ボリスもハトゥナもイラクリも、あったかもしれないウルリッヒの人生の一部だ。人間はなぜ物語を必要とするのか、物語の効用とはどんなものなのかを体現する作品だと思う。
 読み終わると、題名『ソロ』正にその通りの内容なのだと納得するだろう。また各楽章内の章タイトルは、メイン登場人物の属性や指向を象徴するのだろうが、時に彼らの人生との矛盾を感じさせ切なくもある。なお、功利と精神性を理解しない物質主義を体現したようなハトゥナの造形が、少々ミソジニーを感じさせるものなのは気になった。

ソロ (エクス・リブリス)
ラーナー・ダスグプタ
白水社
2017-12-23



東京へ飛ばない夜
ラーナ ダスグプタ
武田ランダムハウスジャパン
2009-03-12


『喪失のブルース』

シーナ・カマル著、森嶋マリ訳
 バンクーバーにある探偵事務所の助手として、人探しを専門にするノラ。かつてはアルコール依存症に苦しみ、今も一見ホームレスのような暮らしをしている。ある日、ノラは裕福な夫婦から、失踪した15歳の娘を探してほしいと依頼される。その娘は、ノラがかつて産み、養子に出した子供だった。
 探偵事務所が入居しているビルの地下にこっそり間借りし、相棒の雌犬ウィスパー以外とは親密な関係を持たないノラ。非常に鋭い観察力で嘘を見抜くが、そのため自分が嘘をつくことにも強い抵抗がある。ストーリー展開がちょっと右往左往する(一盛り多くないかな?という気がする)のだが、彼女の独自のルールに基づいた行動に引き付けられた。ノラは、娘の存在を知らされ自身の過去を掘り起こさざるをえなくなっていく。封印した過去と再び向き合うというパターンのミステリ作品は多々あるが、本作はノラが過去から逃れようとしても逃れらない様がひしひしと苦しそう。過去が襲ってくるというのはこういうことか。苦しいから調査にも積極的ではないのだが、やがて後戻りできない領域に踏み込んでいく。彼女を突き動かすのは娘への愛とは少し違うだろう(責任感ではあるだろう)。過去への怒りや憎しみを振り切る為、自分の人生を再び掴む為のものに思えた。

喪失のブルース (ハーパーBOOKS)
シーナ カマル
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2017-10-17


探偵は壊れた街で (創元推理文庫)
サラ・グラン
東京創元社
2015-04-13

『それまでの明日』

原尞著
 渡辺探偵事務所を一人で営業している沢崎の元に、望月皓一と名乗る金融会社の支店長が訪れた。依頼内容は、出資先として予定されている赤坂の料亭の女将の身辺調査。調査を始めると、女将は昨年亡くなっていることがわかった。沢崎は望月に連絡を取ろうとするが、居場所がつかめない。金融会社の支店を訪れた沢崎は強盗事件に巻き込まれる。
 実に14年ぶりの新刊だが、沢崎は相変わらず沢崎だ。とは言えストーブを出しそこねて風邪をひいたり、警察や暴力団員への当たりから若干角が取れた(が、馴れ合いとは程遠い)あたり、年齢を重ねている感じはする。最大の違いは乗っている自動車が変わったこと、そして若者への接し方かもしれない。つっけんどんさが軽減されている。しかし決して父性的というわけではないし、自らは父親的なものになろうとはしないあたり、分を知っている感じ。本作、身辺調査や人探しという、それほど「事件」感のないスタートで、序盤は地味。しかしいきなり強盗事件に遭遇という結構な巻き込まれ方で、これは今までのミステリ的な側面を押さえ劇画的な線で行くのか?!と思っていたら、結構な終盤であーっ!と言わされた。なるほどそうきたか。それはそれとして、本作は原尞版『長いお別れ』なのは間違いないだろう。ある人物のあり方にはテリー・レノックス風味を感じた。そしてラスト、題名の意味が全く変わってしまう、というかそれまで附帯されていた意味が霞んでしまう。沢崎にとっても、他の人たちにとっても、もう「それまでの」明日はこない。何としても続編を完成させて頂かないと・・・。なお、著者の作品は地の文も会話文も折り目正しく清潔感がある。荒っぽい会話やヤクザの凄みも、なぜかきちんとしている印象。青年の話し言葉等、実際にこういう話し方をする若者はいないだろうと思うが、そういうことじゃないのね。著者の作品世界では、これが最適な話し方なのだ。折り目正しい会話文なので読んでいて安心感がある。

それまでの明日
原 りょう
早川書房
2018-02-28



『その犬の歩むところ』

ボストン・テラン著、田口俊樹訳
その犬は暴風雨の夜、ひどい怪我をし道路に倒れているところを見つかった。その犬の名前はギブ。彼の身に何が起き、なぜその道路に辿りついたのか。
ギブと名付けられた犬の旅路が中心にあるが、犬は主人公であると同時に、この物語の媒介でもある。ギブに関わることで、彼を愛した、あるいは迫害した人間たちの物語も浮かび上がってくるのだ。犬は何も語らないかわりに、彼と相対する人間の姿を鏡のように映し出す。愛情に対しては愛情をまっすぐ(大体何倍もにして)返してくる犬の姿には犬好きならずとも、ぐっとくる。そのまっすぐな信頼、愛情を受けることで、時に人間たちの人間としての最良の部分が発揮されるというのにも、ぐっとくる。犬だけではなく人間たちも様々な形で深い傷を負っているが、傷と傷が共鳴しあい、お互いに回復していくのだ。911を、イラク戦争を、そしてハリケーン・カトリーナを背景にした、俯瞰による語り口は現代アメリカの神話のようでもある。

『その雪と血を』

ジョー・ネスボ著、鈴木恵訳
殺し屋のオーラヴ・ヨハンセンは、ボスから新しい依頼を受ける。ターゲットは浮気をしているらしいボスの妻。いつものように仕事をこなすつもりだったが、彼女の姿を見た瞬間、オーラヴは恋に落ちてしまう。
著者の作品は結構なボリュームがあるというイメージだが、本作は比較的短い。しかし濃度は高い。殺し屋とファム・ファタール的美女という古典的なノワール小説の装置だが、陰影が深くとても魅力ある作品。主人公オーラヴは難読症で、文字の読み書きは困難、かつ数字の計算が出来ない。「普通」の仕事が出来ない彼が唯一こなせるのが殺しなのだ。とは言え、読んでいるうち、オーラヴは読み書きは苦手だが小説、物語に愛着があり、文学の素養を持つことがわかってくる。オーラヴは自分の物語が欲しいのだ。何も持たなかった彼が、自分自身の物語を生きられるかもしれないと思ってしまったことで、彼の人生が大きく変わってしまうとも言える。生き方を変えられるかもしれない、別の居場所があるのかもしれないという可能性が全くない人生は、あまりにも苦しい。その可能性を追うことが自滅行為だったとしても。クリスマスの時期のノルウェーの寒々とした情景と、オーラヴの仕事の凄惨さ、そしてわずかなセンチメントが入り混じり、はかなくも印象深いノワール小説。

『ソング・オブ・ラホール』

 パキスタン・イスラム共和国のラホールで活動していた伝統音楽家たちは、過激なイスラーム原理主義の台頭によって音楽活動を禁じられ、活動の場がなくなってしまう。このままでは世間から忘れられてしまうと危惧した彼らは、聴衆の幅を広げようと「サッチャル・ジャズ・アンサンブル」としてジャズに挑戦。伝統楽器によるジャズカバーはyoutube経由で海外でも話題となった。トランペット奏者ウィントン・マルサリスの目にとまった彼らは、ニューヨークへと招かれ現地のジャズバンドと共演することになる。監督はシャルミーン・ウベード=チナーイ&アンディ・ショーケン。監督もパキスタンン人とニューヨーク在住のアメリカ人のコンビだ。
 マリ共和国を舞台にした映画『禁じられた歌声』(2014)の中で、街がイスラーム過激派に占拠されて音楽(とその他の娯楽)が禁じられるというくだりがあったことを思い出した。『禁じられた~』はファンタジックな味付けがされていたが、本作はドキュメンタリーなのでガチである。本当に音楽だめなんだ!と正に異文化に触れた感があった(以前は音楽活動が盛んだったということは、イスラム教が音楽を全く禁じているというわけではなく教義の解釈の問題なのだろうが。ポップミュージックは流通しているみたいだし)。たまにホテルでポップミュージシャンのコンサートなどがありサポートメンバーとしてステージに立つという話が出てくるが、「ホテルは警備は厳しいけど自爆テロは・・・」という言葉が。そういう世界なのかとはっとする。
 ニューヨークでのコンサート、リハーサルできる時間が意外と短い(本番まで4日、と言っていたので実質3日程度なのでは)。最初は楽観的だったメンバーも、ジャズバンドとの慣れないセッションに徐々に焦りを増していく。実際、素人が聞いても決して噛み合っているとは言えない演奏が延々と続くので、本当に間に合うの?!とハラハラしてしまう。人間て、どこの国の人でも不安な時はちゃんと不安そうな顔になるんだな(サッチャルの面々も、マルサリス率いるバンドの面々も、顔に「心もとないです」と書いてある時が・・・)と妙な所で感心してしまった。
 そういう不安な時間があるだけに、「TAKE FIVE」が始まった瞬間の、全員の「イェー!」という表情と確かに「イェー!」な音にはぐっときてしまう。これ、音楽は素晴らしい!ってことだけじゃなくて、ここにたどり着くまでにお互いになんとか摺合せていこうと、知恵を絞って試行錯誤してきたことがわかるからだと思う。異文化に出会うってそういうことだろうし、人間はそれが出来る力があるんだなということにはっとするのだ。

『そばかすの少年』

ジーン・ポーター著、花岡花子訳
片手のない、孤児院育ちの少年「そばかす」は、木材会社の社長マックリーンに見込まれ、リンバロストの森の番人として働き始めた。植物や鳥や獣たちを観察するうち、そばかすは物事を学ぶ喜びを知っていく。ある日、森で富豪の娘エンゼルと出合ったそばかすは、彼女に深い思いを寄せるようになる。1957年に日本で翻訳出版された作品なので、さすがに翻訳文の古さは目立つし、ここは誤訳では?という部分も。しかしその古風な感じが味わいになっている。もし新訳で出たら、却って良さが失われるような気もする。というのも、そばかすもエンゼルもマックリーンもとにかく清く正しい人で、「善き人」の全部盛りみたい(それはそれで、安心できていいんだけど)。また、お話も多分にご都合主義的に展開するので、現代の目で読むとちょっと辛いところがある。特にそばかすの生い立ちの真相など、あーあそうかーって感じ。乗り越えるべきものなどないんじゃん・・・ロマンスとしては退屈だなー。でもこれが当時の限界だったんだろうとはわかる。とはいえ、森の描写は生き生きとしており、世界の広さにそばかすが目を開いていく瞬間などもはっとする。なおマックリーンがそばかすを好きすぎて、エンゼルとの仲よりもむしろ気になってしまった。

『その姿の消し方』

堀江敏幸著
フランス留学時代、“私”は古物市で1枚の絵はがきを手に入れた。小屋と四輪馬車の写真の裏には、10行の詩がしたためられていた。やがて、詩を書いたのは写真が撮影された町に住んでいた会計検査士で、1人の女性に向けて書かれたらしいとわかる。“私”は彼が詩を書いたはがきを探しまわるようになり、また彼に関する情報が“私”の元に舞い込むようになる。“私”と詩人との間に時を超えた繋がりが生まれてくるような不思議な作品。詩の解釈の仕方も、詩人の生涯がわかってくると共に徐々に変容していく。最初に見えていた詩の中の風景と、後々に見える風景とは違うのだ。誰かが残した記憶を、後々に別の誰かが目にするが、最初に記したものそのままは伝わらない。段々風化したり、上書きされ変容していったりもする。見えているものは同じはずなのに。詩人が生きた時代が、覚えている人がまだぎりぎりいる程度の昔だという所もポイントだろう。懐かしく思い出せる人もいるが、その記憶は徐々に風化し、失われていく過程にある。痴呆の始まった老人に話を聞くシーンなどは、記憶がぱっと鮮明に蘇る瞬間と、崩れて曖昧になっていく様との対比が痛ましくもあった。

『そこに薔薇があった』

内海文三著
離婚して独身になった正幸は、2人の女性と知り合う。魅力的な彼女らの存在に心浮き立つ正幸に対して、叔母ははしゃぎすぎないように警告する。1話目「はしゃぎすぎてはいけない」をはじめ、似たような結末を迎える短編集。予期せずエアポケットに陥ってしまったような男女の姿が描かれる。随分と類型的なファム・ファタールだなと思っていたのだが、最後の「美しい年齢」でこれまでの短編の様相ががらりと変わって見えてくる。小話集ではなくちゃんと連作ミステリとして立ち上がってくるのだ。著者独自のロマンチシズムに満ちた連作だと思う。

『その女アレックス』

ピエール・ルメートル著、橘明美訳
見知らぬ男に拉致監禁されたアレックス。男は「お前が死ぬのを見たい」と告げた。衰弱しながらもアレックスは脱出を試みる。一方、女性が拉致されるのを目撃したとの通報を受けた警察は、カミーユ・ヴェルーヴェン警部を筆頭に捜査を進めていた。「このミステリーがすごい!」に選ばれるのも納得の面白さ。真相が見えたと思いきや、そこには裏が、そして更に裏があるというサプライズの連続技に唸った。ちょっとやりすぎでギャグのようになってしまいそうなところ、アレックスの「真相」の悲痛さがブレーキをかけている。ヴェルーヴェン警部を主人公としたシリーズの2作目(本作が初の邦訳)だそうだが、にもかかわらずなぜこの題名なのかということがよくわかる。アレックスの内面の描写と行動とはどこかちぐはぐなのだが、なぜそうなのか、そうならざるをえなかったのか。ある人がどのように自分を形作り、何と戦っていたのかが見えてくるにつれ、やりきれなくなってくる。物事(人)は見た目通りではない、というシチュエーションが様々な形で現れるが、大概陰惨なものの中、終盤、美しい形でそれが現れ、いい清涼剤に。

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