3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『説教師 エリカ&パトリック事件簿』

カミラ・レックバリ著、原邦史朗訳
洞窟で、若い女性の全裸死体、そして更に古い遺体2体発見された。刑事のパトリックは、妊娠中のパートナー・エリカを心配しつつも休暇返上で捜査の指揮を取ることになる。3体の死体には似通った痕跡があり、同じ方法で殺害されたと判明。捜査線上には、今は亡き宗教団体のカリスマ説教師の一族が浮上するが、一族内には過去から続く確執があり、関係は険悪だと言う。前作『氷姫』から約半年後が舞台のようだが、エリカとパトリックの関係が予想外に進展していてびっくり。前作はエリカとパトリック両サイドから事件を追う構造だったが、今回はパトリックが中心。それに伴い、警察署の面々それぞれのキャラクターの掘り下げが進んでおり、そうかこの人はこういう人だったのか!という新鮮さと共に、より顔がはっきり見えるようになっている。全員、すごく有能というわけでもやる気に満ちているというわけでもないが、パトリックに感化されるようにちょっとづつ「チーム」感が出てくる感じが楽しい。エリカの方は、今回は事件よりもむしろ自身の妊娠や親戚・友人関係、特に妹アンナとの関係で頭を悩ませている。家族・親戚関係の不和は本作のモチーフの一つでもあり、描き方が丁寧。ありがちなシチュエーションであっても、ディティールがきちんとしているので手応えがある。それはともかく、とにもかくにもアンナの行く末が心配なので、続編も読まなければ・・・。


『世界が終るわけではなく』

ケイト・アトキンソン著、青木純子訳
飼い猫がだんだん巨大化してソファで一緒にTVを見ていたり、ドッペルゲンガーが悪さをしたり、幽霊となって家族のもとに留まったり、不老の秘密に触れたり。奇妙でおかしな短編集。連作というほどではないが、各篇の登場人物同士にちょっとづつ関係があるのも楽しい。あの人はあの後こうなってたのか!とか、こんな一面も持っていたのか!とにやりとさせられる。アトキンソンは『博物館の裏庭で』の著者だったのね。『博物館~』は長編だったけど、この作家は短編の方が抜群にキレがいいんじゃないかと思う。短編それぞれの中で色々な人生が描かれるが、どんなへんてこだったり救いのなさそうな局面になっても、「世界が終るわけではないし」と思わせるユーモラスさとどこか達観したところがある。オープニングとエンディングに置かれた「シャーリーンとトゥルーディーのお買い物」「プレジャーランド」は、戦争や疫病が蔓延しつつある世界で女子2人がぶらぶらするだけの話なのだが、最後はやはり「世界が終わるわけではないし」となる。たとえ自分たちがいなくなっても世界はそこにあり続ける。そのことにほっとする人もいるのではないだろうか。

『せきれい』

庄野潤三著
「山の上」の家に住む老夫婦。娘や息子一家が訪れたり、近所の人たちや旧友と交流しつつ、四季は移り変わっていく。夫である「私」が綴る日々。著者自身が「私」である私小説で、友人の作家が実名で登場したりする。小説というよりも日記のようなとりとめのない文章で、とりたてて特別なことが起きるわけでもない。同じ言い回しが何度も繰り返されるところも、日々の記録っぽい。すごくきれいに漂白された日常ではあるが。しかし読んでいると、やはり小説なのだ。同じことの繰り返しなのになんで妙に面白いんだろうな。これが作家の筆力というものなのだろうか。ところで「私」は長女が作るアップルパイが好きで、出てくるたびにおいしいおいしいと綴るのだが、おいしいから人にやるな、と妻に言う時もあり、笑ってしまった。また、著者が作家の小沼丹と友人同士だったことは本作を読んで初めて知った。小沼の思い出がふいに出てきてほろりとする。小沼が楽しい人だったという思い出ばかりなのだ。

 

『千の輝く太陽』

カーレイド・ホッセイニ著、土屋政雄訳
私生児として生まれたマリアムは、母親から父親らへの恨みごとばかり聞かされて育った。父親は毎週娘を訪ねてくるが、一緒に出かけることも兄弟に紹介することもなかった。マリアムは一人で父親を訪ねに行くが、それが彼女の人生を大きく変えてしまう。激動の時代のアフガニスタンを舞台に、世代の異なる2人の女性の波乱の人生を描く長編。翻弄される側から見たある時代の姿でもある。国の「正しさ」が二転三転していく様が空しい。それはともかく、女性たちが置かれた環境の過酷さと理不尽さにげんなりする。読んでいてとにかく苛立つし辛い。これは、私が本作の舞台とは別文化の視点で読んでいるからだろうけど、自国の「正しさ」に人生を翻弄されるのってやっぱり納得いかないんじゃないかなー。その文化にすんなりなじめる人はいいんだろうけど、不自由を感じちゃうとほんとやってられないよな・・・。

『世界の果て、彼女』

キム・ヨンス著、呉永雅訳
21世紀韓国文学の担い手と言われ、ベストセラー作家である著者の中編集。ベストセラーというと、読んだ人が共感できる、一般化されたわかりやすさが書かれている気がするのだが、本作で描かれるのはむしろ、他人と分かち合えない感情ではないか。どの作品でも多かれ少なかれ、自分が感じていることを他の人に説明できない、理解してもらえないもどかしさや孤独感が描かれる。自分の体験や思いの大半は、他人から(完全には)理解されることはない、お互い同じように感じることはできない、という諦念がベースにあるように思った。人生には美しさや喜びはある、しかしそれは本来、他人とわかちあうものではないのではないか。それがさびしいとか哀しいとかいうわけでもなく、淡々とそういうものだろからそれでいいんだ、と納得していく感じがした。
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