3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『潜水鐘に乗って』

ルーシー・ウッド著、木下淳子訳
 アイリスは海で姿を消した夫と48年ぶりに再会する為、旧式の潜水鐘に乗って海へ潜る(「潜水鐘に乗って」)。人が石化しまた元に戻る現象。リタは何度か経験したそれがまた自分に起きていると気付く(「石の乙女たち」)。久しぶりに会った母親に寄り添う存在とは(「緑のこびと」)。英国コーンウォールの妖精、巨人、精霊等の伝説を背景にした短篇集。
 年の瀬に良いものを読んだなとしみじみ豊かな気持ちになった。ただ、この豊かさは幸福や楽しさとは必ずしもイコールではなく、決して冷たくはないが寂寥感のある、時に物悲しさを感じさせるものでもある。表題作の主人公であるアイリスは夫を深く愛していたが、若くして夫は姿を消した。再会といっても2人の間は何十年もの時間で隔てられているのだ。また石になりつつあるリタは残り時間がないにも関わらず、そこからはもう何かは生まれないと感じつつ元恋人の為に時間を割いてしまう。母親を訪問する「あなた」は、自分の知らない母親の姿を見て居場所のなさを感じていく。自分が世界と切り離されたような寂しさ心もとなさや、もう取り戻せないものへの憧憬、目の前にいる人とのずれのもどかしさが感じられる作品が目立つ。そして、そういった寂しさやずれを受け入れて生きていく姿勢が感じられるのだ。個人的には「願いがかなう木」の母と娘の姿が痛切に心に刺さった。いずれこういう時が来ると。

潜水鐘に乗って
ルーシー・ウッド
東京創元社
2023-12-18




『世界一素朴な質問、宇宙一美しい答え』

ジェンマ・エルウィン・ハリス編、西田未緒子訳
 子供からの「素朴」な質問、重力ってどんなもの?人はどうして永遠に生きていられないの?空はどうして青いの?世界でいちばん力もちの動物はなに?等々に各界の第一人者が真面目に答える。イギリスの小学生たちから募った100の質問から構成された原著を、日本向けに一部編集した1冊。
イギリス版子供科学電話相談みたいだ。素朴だが一言では答えにくい、更に小学生にわかるように説明するのは更に難しい問題に、専門家が言葉を選びつつ答えていく。子供にわかるようにということは、科学にうとい大人でもわかるということだ。ぼんやり知ってはいたけど改めて説明されると、なるほどそういうことだったかと勉強になる回答が多々あった。
一方で、この質問をした子供は本当はこういうことを聞きたかったんじゃないんじゃないかな…という微妙に的を外したように思える回答も。一概に答えにくいからちょっとずらした補足回答にしたのか、この回答でOKと思って回答しているのか、いまいちわからないが…。
なおちょっと気になったのが回答の翻訳文が役割り語というか、男性言葉・女性言葉で記述されている傾向が強いという所。特に女性の回答に「~だわ」「~よ」が多用されている所が気になった。ちょっと性別要素出しすぎでは?(回答自体には性別は関係ないので)と思った。また子供相手だからといってそんなにフレンドリーな言葉遣いで回答しているのかな?と疑問だった所も。これは原文がかなり砕けた英語だったのかもしれないけど…。ちょっと子供を子供扱いしすぎな言葉使いの回答があったので。

世界一素朴な質問、宇宙一美しい答え (河出文庫)
ジェンマ・エルウィン・ハリス
河出書房新社
2019-04-05


 

『戦争は女の顔をしていない』

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著、三浦みどり訳
 第二次世界大戦において、ソ連で百万人を超える女性が従軍し、後方支援や看護師・軍医としてだけではなく、前線で戦う兵士として戦った。戦時中は活躍がたたえられたものの、戦後は世間から白い目で見られるようになり、その存在は歴史から埋もれていった。著者は500人以上の従軍女性から聞き取りを行い、女性たちが見た戦争を記録した。
 著者の子供時代はまだ戦争の記憶が生々しく、学校の図書館の半分以上が戦争に関する本だったという。それらは「男の言葉」で語られたもので、そこからは零れ落ちてしまうものがある。著者は女たちの戦争、彼女らの言葉や気持ちを聞き出していくが、戦争の話に至るまでに、それとは全然関係のない日々の生活の話、子供や孫の話が延々と続く、そのあとでふっと戦争の記憶が語られるそうだ。彼女たちにとって、いきなり話し出せるような記憶ではなく、聞き手に心を許して思い出す覚悟をする必要があるのだ。語りの中でもしばしば、できれば思い出したくない、しかし同時に忘れることも到底できない記憶だと言及されている。思い出すのが苦しい記憶であっても、その語りはとても生き生きとしており、語り手のその時の感情や感じたこと、見聞きしたことが迫ってくる。大勢の女性たちが語るのだが、戦争という大きな事件の最中であっても、その体験は個々人のもので大きく括ることはできない。第二次大戦中のソ連・ドイツ戦の過酷さはうっすらとは知っていたが、実体験した人の話でないとわからないようなシチュエーションも多々あった。前線の恐怖よりも、下着事情や極端な飢えの方が想像しにくいものなんだな…。またひっ迫した状況であっても森や空は美しいとか、極寒の中でも雪景色の美しさが記憶に焼き付くとか、人間と関係なく美しいものは美しいし、それに気づいてしまうということが却って辛い。
 戦後、体がボロボロになっているとわかること、当時はまだ認識されていなかったPTSDに苦しめられたりする人の話など、フィジカル・メンタルともに非常に過酷だ。ただ、戦中の方は自分が役に立っていた、充実していたと話す人もいる。戦地では責任ある仕事があり、男性からも「仲間」として大事にされる。しかしその価値は平時には認められない。むしろ「傷もの」で嫁の貰い手もない、戦地ではふしだらなことをしてきたんだろうと陰口をたたかれるのだ。手に平返されるようで実に理不尽。でもこの理不尽は現代でも続いているように思う。人としての価値が(主に男性にとって)都合よく読み替えられているのだ。

戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)
スヴェトラーナ アレクシエーヴィチ
岩波書店
2020-02-27


セカンドハンドの時代――「赤い国」を生きた人びと
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ
岩波書店
2016-09-30


『千個の青』

チャン・ソンラン著、カン・バンファ訳
 小児麻痺で車椅子を使っている17歳のウネと、ロボット研究へのに挫折した15歳のヨンジェ姉妹。ヨンジェは厩舎で廃棄寸前のロボット騎手を見つけ、強引に譲り受けて修理し、コリーという名前をつけた。コリーは競走馬トゥデイの騎手だったが落馬して破棄され、トゥデイもまた故障により処分される運命にあった。
 ちょっと未来の韓国を舞台にした物語。車椅子生活のウネは、誰かに手伝ってもらわないと自由に移動することもままならない。ヨンジェはロボット工学の才能があるが、母はウネの世話と店の切り盛りで手一杯で、ヨンジェにまで気が回らないのだ。2人、そして母ボギョンも、苦労を重ねて人生に多くを求めることをやめてしまったのだ。彼女らの諦念は深い。一方、コリーはもともと消耗品として作られた存在。彼の人生は騎手として馬を走らせるためだけのもので、その持ち時間は短い。競走馬であるトゥデイもまた、走れなくなったら不要品となる残酷な運命を生きている。しかしコリーは世界に対して好奇心旺盛であり、トゥデイは走りを求めてやまない。生の残り時間・可能性が少ない者たちの方が生にまっすぐ貪欲なのだ。コリーとトゥデイが姉妹の拠り所になっていくのは、このまっすぐさによるものだったのではないか。
 ウネが「助けられる」立場であり、常に笑顔で困難に立ち向かうことを期待されることにうんざりしている様の表現が強く印象に残った。「そうやすやすと、彼らの人生の慰めや希望になりたくなかった」という一文が刺さる。彼女は本当はすごく自己がはっきりしているんだろうけど、それがあまり表面に出てこない。一見マイペースなふるまいだが実はそんなに自己にこだわりがない(というより自己のあり方をあきらめてしまった)ヨンジェと対照的。

千個の青
チョン ソンラン
早川書房
2021-10-19


わたしたちが光の速さで進めないなら
キム チョヨプ
早川書房
2020-12-03


『誓願』

マーガレット・アトウッド著、鴻巣友季子訳
 〈侍女〉の指導にあたっていた小母リディアは、ギレアデ共和国の司令官たちの弱みを掌握し、権力の中枢に食い込む存在になっていた。司令官の娘として大切に育てられているアグネスは、良き妻となるための教育や結婚が決められている将来にどことなく違和感を感じるようになっていた。一方、カナダで暮らす古着屋の娘デイジーは、両親が突然爆殺され呆然とする。更に思いもよらない事実と直面し、ある選択を迫られる。
 『侍女の物語』の続編、というよりもスピンオフ的な作品(『侍女~』の15年後が舞台)。私は『侍女~』未読のまま本作を読んだのだが、内容理解に問題なかったし十分面白い。面白いといっても、ギレアデ共和国の構造、成り立ちがクソすぎてはらわた煮えくりそうになりつつの面白さなのだが。『侍女~』を読んだ人には言うまでもないのだろうが、ギレアデ共和国は過激なキリスト教原理主義に基づく統治がされており、女性は男性よりも劣った、出産と家事に紐づく機能しか認められない存在だ。唯一の例外が侍女たちを管理する「小母」たち。小母リディアがその立場を利用し何をしようとしているのか、その計画とアグネス、デイジーとはどう関係があるのか、3つの視点から物語が進み、合流する。そこにはカタルシスがあるし手に汗握るスリルもあるのだが、それは多くの侍女・小母たちの屍の上に成り立っているものだろうこともわかるので、『侍女の物語』読むのが更に怖くなってきてしまった…。
 本作ではギレアデがどのような顛末を辿ったのかも記されているが、現実の世界がむしろギレアデ化してきている気がして恐ろしくてならない。個人の体はその人個人のもので国や共同体に奉仕するものではないはず。

誓願
マーガレット アトウッド
早川書房
2020-10-01


侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)
Margaret Atwood
早川書房
2001-10-24


『世界のはての少年』

ジェラルディン・マコックラン著、杉田七重訳
 スコットランドのヒルダ島から無人島へ、子供9人大人3人を乗せた船が上陸した。海鳥を捕るため、毎年泊3週間無人島で生活するのがヒルダの恒例行事であり、少年たちの通過儀礼でもあった。しかしこの年、3週間を過ぎても迎えの船は訪れず、少年たちは島に置き去りにされた。不安が募る中、年長の少年クイリアムは子供たちを励まし続けるが。
 18世紀に実際にあった出来事を元に書かれた小説。十五少年漂流記か蠅の王かという内容なのだが、地に足がついているだけより過酷。海や島や天候、そして食料として燃料として(ウミツバメの蝋燭ってビジュアルがとんでもないですが…)少年らの命を支える海鳥ら等の自然描写が荒々しくも美しいのだが、人間の命を奪うものでもあると痛感させられる。極限状態の集団を舞台とした物語では、無益な権力争いやちょっとした諍いから増幅する憎悪などが描かれがちだが、更に恐ろしいのは自然環境と飢え。人間のあれこれなどちっぽけなものだ。
 クイリアムは不安に揺れる少年たちを勇気づける為、島の由来や神話を交えて彼らに様々な物語を語る。クイリアムは聡明で気丈で、頭もよい出来た少年だ。仲間と自分の正気を保とうとする彼の奮闘は涙ぐましい。想像力、物語の力が人間を支える話、というといかにも「物語」的だが、本作のきつさはそういった人間ならではの強さが結構な勢いで否定されていくという所にある。物語も想像力も信仰も、飢えと寒さの前ではものの役にも立たない。更に、少年たちが子供として全く保護されていない(時代的なものもあるだろうが)、大人たちの方が弱さを露呈していくというあたりもきつい。とにかく大人が役に立たないのだ。本作はカーネギー賞受賞作なので児童文学というくくりになるのだが、諸々やたらとハード。読者である子供を舐めていない作品とも言える。
 なお、過酷な経緯を経たある2人の再会とその後は取ってつけたもののようで、他の部分から浮いているように思った。そこだけきれいに纏められてもなぁ…。

世界のはての少年
ジェラルディン・マコックラン
東京創元社
2019-09-20


荒野へ (集英社文庫)
ジョン・クラカワー
集英社
2007-03-20




『世界のすべての朝は』

パスカル・キニャール著、高橋啓訳
 ヴィオル奏者のサント・コロンブは妻を亡くし、2人の娘と引きこもって暮らしていた。ある日、彼の元に若い青年が弟子入りする。青年はサント・コロンブの娘と愛し合うようになるが、王宮に招かれた彼は娘を捨て、彼女は絶望する。
 サント・コロンブの妻への思いは深く強烈だ。妻は死んでも、彼の世界には常に妻がいる。妻と彼を繋げるのが音楽だ。本作では死者、あの世との繋がりが音楽を導き出す。彼の娘たちもまた、その思いに巻き込まれていく。若き弟子の音楽を導くのはサント・コロンブの娘だが、彼女もまたあの世へと近づいていく存在だ。常に死の気配がまとわりついている。あちらがわとこちらがわとの境界線に芸術は生まれるのか。弟子がサント・コロンブの領域に近づけないのは、音楽は「この世」で生きる為の手段であり、あちら側へのまなざしを持たないからかもしれない。あちら側を視野に入れた時、ようやく師と並び立つことができるのだ。音楽は、芸術は何のためにあるのか、どこから生まれてくるのかという音楽論、芸術論でもある。
 親子、男女の関係の抜き差しならなさや、どろどろとした猥雑な要素が多分にあるのだが、トーンは一貫して静謐で文章の美しさがしみてくる。なお、本作を原作にしたアラン・コルノー監督による映画『めぐり逢う朝』は私にとって心に刺さり続ける一作。最後泣いた。

世界のすべての朝は (伽鹿舎QUINOAZ)
パスカル・キニャール
伽鹿舎
2017-03-23



めぐり逢う朝 Blu-ray
カロリーヌ・シオル
紀伊國屋書店
2019-04-27



『戦地からのラブレター 第一次世界大戦従軍兵から、愛するひとへ』

ジャン=ピエール・ゲノ編著、永田千奈訳
 1997年、ラジオ・フランスの呼びかけで一般から集められた、第一次世界大戦の従軍兵からの手紙およそ一万通から選ばれたものを編纂した1冊。フランス兵からのものだけではなく、ドイツ兵からのものも含む。
 映画『彼らは生きていた』『1917 命をかけた伝令』を見たのでより当時の兵士たちの状況がわかるかなと読んでみた。1914年から1918年の間に書かれた手紙の書き手は、16,17歳のまだ子供といっていいくらいの青年たちから、30代の将校らまで幅広い。軍内での地位も出自もまちまちだ。手紙の宛先も家族、親族、恋人や友人と様々。戦地へ向かう高揚や使命感を伝えるものから戦地の悲惨さや物資の乏しさが綴られる。特に農家出身の兵士のものは、季節ごとの作業の進捗や作物・家畜の具合を心配する記述が目立ち、彼らの本業は兵士ではないのだと痛感した。戦争に兵士が駆り出されるということは(第二次大戦中の日本もそうだったが)農家から労働力が取られ、生産力が下がるということなのだ。
 当時の生の声が伝わってくる貴重な1冊ではあるが、読んでいると少々もやもやともする。映画『彼らは生きていた』を見た時も似たようなことを想ったのだが、本著に収められた手紙は実在の兵士が書き、その多くは戦地で死んだ。そういう人たちが残した手紙を一種の「読み物」として消費していいのかということだ。もちろん資料としては貴重なのだが、問題は本著が読者の心を動かすことを意図して手紙の選出、編集を行っているということだ。特に、各章の前置きとして編集側が書いた文章はともすると感傷的なポエムになってしまっている。読みやすさも大事ではあるが、こういう素材に対してエモーショナルさを煽るディレクションをしていいものなのかという葛藤を感じてしまった。


『戦下の淡き光』

マイケル・オンダーチェ著、田栗美奈子訳
 「1945年、うちの両親は、犯罪者かもしれない男ふたりの手に僕らをゆだねて姿を消した」。ナサニエルと姉のレイチェルは、“蛾”とあだ名をつけられた男に預けられた。母は父の海外赴任についていくことになったのだ。“蛾”の家には得体の知れない人たちが集まっていた。そして母もまた、海外赴任についていったのではなかった。
 子供にとって、自分の親がどういう人間なのか・背景に何があるのかということは、普通の環境でも謎な部分が多いだろう。ナサニエルとレイチェルの母親についても同様だ。母親が消えた後も2人の周囲にいる大人たちは謎めいてどこか胡散臭く正体不明だ。徐々に、彼らは共通のある任務をもっていたのでは、更に母親もその一員ではないかという様子が、彼らの言動の端々から垣間見えてくる。親に対する「わからなさ」が二重になっているのだ。霧の中からふらりと現れては消えていくような大人たちは、ナサニエルたちを保護するがそれは断片的な、嘘とも本当ともつかないもので、彼らを保護者として守り育てるのには不十分だ。姉弟の人生も生活も、どこか地に足がつかない、一貫性のないものになってしまう。マラカイトとの出会いで世界がようやく「正確で信用できるものになった」というのは、地に足の着いたうつろいにくい生活をようやく知ることができたということでは。
 親が何者かという普遍的な謎と、母ローズが何をやっていたのかという個別の謎が二重になっており、更に自分たちが見てきたものは一体何なのかというナサニエルの人生の謎が重なってくる。ミステリ的な構造なのだ。更に、一種の戦争小説でもある。時制がいったりきたりする構造、更に曖昧さをはらむと同時に詩的な文章が記憶というものを表すには最適なように思った。

戦下の淡き光
マイケル・オンダーチェ
作品社
2019-09-13


名もなき人たちのテーブル
マイケル・オンダーチェ
作品社
2013-08-27


『生者と死者に告ぐ』

ネレ・ノイハウス著、酒寄進一訳
 犬の散歩中の女性が射殺された。翌日、森の脇の家で女性が窓の外から頭部を撃たれて家族の前で死亡。さらに数日後には若い男性が玄関先で心臓を撃ち抜かれた。どの狙撃も難易度が高く正確なことから、射撃のプロの犯行と思われた。そして警察署に「仕置き人」と名乗る死亡告知が届く。被害者たちはなぜ選ばれたのか。刑事オリヴァーとピアは年末の町を奔走する。
 オリヴァー&ピアシリーズ新作。性別関係なく同僚、上司と部下としての敬意と思いやりのあるコンビネーションは健在でやはり良い。ここのところ女性関係でフラフラしっぱなしで頼りなかったオリヴァーだが、本作ではだいぶ復調している。とは言えまた次の波がやってきそうなんだけど…。女性に対してはいまひとつ洞察力に欠ける。一方ピアはパートナーとのバカンス返上しての捜査。バカンスよりも捜査を選んでしまうところに彼女の人柄と仕事への誇りが窺えるし、それをパートナーが理解しており信頼関係が揺らがないというところが素晴らしい。オリヴァーもあやかれよ…。また有能すぎる(元々仕事できる人設定だからそりゃあ有能なのだが)被害者遺族も登場する。警察側の捜査よりもむしろ、彼女の奮闘がストーリーを前に進めていくのだ。
 今回は連続殺人事件で、被害者の共通点から犯人の動機をあぶりだすという所がポイントになる。終盤になってバタバタと新事実が判明するが、その原因が非常に基本的な確認の不十分にあるという所が笑えない。ご都合主義的とも言われるかもしれないけど、こういうことってチームでの仕事であろうとなかろうと本当にあるんだよなー!我が身を振り返りぞっとします。1人の手抜きで捜査が大幅に遅れるというのが怖すぎる。

生者と死者に告ぐ (創元推理文庫)
ネレ・ノイハウス
東京創元社
2019-10-30


悪しき狼 (創元推理文庫)
ネレ・ノイハウス
東京創元社
2018-10-31





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