3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『スパイはいまも謀略の地に』

ジョン・ル・カレ著、加賀山卓朗訳
 イギリス秘密情報部の情報員ナットは、ロシア関係の作戦でそれなりの成果を上げてきたが、引退の時期が迫っていた。イギリス国内はEU離脱で混乱しており、ナットは対ロシア活動の新しい活動を打診される。やむなく引き受けたところ、あるロシア人亡命者から連絡が入る。ロシアの大物諜報員が活動を再開するというのだ。
 ブリグジットに揺れる英国を舞台に(英国での発行は2019年)描かれた作品でリアルタイム感が強い。スパイといえば冷戦下というイメージがあったが、諜報活動は形や方向性を変えて未だ現役。ナットはそれほど華々しい活動をした情報員ではなく、地味な活動をこつこつ続けてきた人で円満に結婚し子供もいて、妻は自分の仕事を理解している(というか元同業)という一種の公務員的な働き方だ。一方で娘に自分の仕事を明かして関係が悪化したり(言わなきゃいいのに…)や娘の婚約者に自分の仕事をどうごまかして説明しようと悩んだりするのが等身大でユーモラス。仕事は出来る人なのだろうが、すごく切れ者というわけでもない。普通の人が惑い知恵を巡らせていく地道さに味がある。ル・カレの小説の「スパイ」は大体地味。私はいわゆるスパイ小説はそんなに好きではないのだが、ル・カレ作品は例外なのは、この地味さも一つの要因かもしれない。
 また、ル・カレ作品では登場人物が倫理的であろうとする姿が描かれる。国家の利益と人としての倫理が相反する時どちらを取るか、ちゃんと葛藤できる人たちがいる所がいいのだ。そして彼らが選ぶべき方を選ぶ所も。たとえ自分が損をする・リスクを負うことになっても人はそうあってほしいしそうでありたいと思うのだ。

スパイはいまも謀略の地に
ジョン ル カレ
早川書房
2020-07-16


スパイたちの遺産 (早川書房)
ジョン ル カレ
早川書房
2017-11-30




『ストーンサークルの殺人』

M・W・クレイヴン著、東野さやか訳
 ストーンサークルが点在する英国カンブリア州。そのストーンサークルで焼死体が次々と発見された。死体は燃やされる前にひどく損壊されていたが、3体目の死体には国家犯罪対策庁の警官ワシントン・ポーの名前と「5」と思しき数字が刻まれていた。停職中だったポーは捜査に参加することになるが、なぜ自分の名前が刻まれていたのかという心当たりはないままだった。そして新たな死体が発見される。
 ゴールド・ダガー賞受賞作だそうだが、納得。ほどよく華があるが派手過ぎずリーダビリティも高い、感情を使わなくていいタイプの面白さ(褒めてます)なので、疲れた頭でも大丈夫なミステリ。ストーンサークルを出してくるのでちょっとオカルトっぽいのか?歴史ものか?と食わず嫌いでいたけどスタンダードに捜査するミステリだった。ポーは警察官だがある事件によって停職になり、その性格や捜査の態度も警察組織の中でははぐれ者。同じくはぐれ者だがデータ収集解析では非常に優秀なブラッドショー(明言はされていないがブラッドショーの行動原理は発達障害的だと思った)を片腕に捜査にあたるが、2人の捜査官としての資質が段々噛み合っていくのが楽しい。この2人だけだとキャラクター造形がちょっと地に足ついていない感じになるが、ポーの元同僚で現上司であるフリンの等身大の優秀さ、管理職としてのまともさと苦労が本作の雰囲気を地上に引き留めていると思う。
 本作、「友達」の存在が一つの大きな要素になっている。ある人たちがポーに対して友達だと言う、またポーがある人たちに対して友達だと思うシチュエーションが対称的・重層的になっており、ちょっと胸を突かれた。


『スイングしなけりゃ意味がない』

佐藤亜紀著
 ナチス政権下のドイツ、ハンブルグ。15歳の少年エディはピアノが得意な友人のマックスや上級生のデュークと共にスウィングに熱狂していた。しかしスウィングは敵性音楽。ゲシュタポの手入れを逃れつつクラブで踊り狂うが、戦況は悪化し不穏な影が濃くなっていく。
 評判通りとても面白く、若者たちの言葉遣いの崩し方の演出が上手い。エディの父親は軍需会社の経営者でアメリカやイギリスの文化にも造詣が深い洒落もの。しかし「党員」でもある。金持ちのボンボンで悪知恵の回るエディは立ち回りが上手く、もしかしたらナチスに全面的に肩入れしてさらに成り上がっていく道もあっただろう。しかしジャズとそれが象徴する自由に対する愛が、エディらをその道には進ませない。倫理観や正義感ではなく、音楽とバカ騒ぎへの欲望によって道を切り開いていく所が、ちょっとピカレスクロマンの主人公ぽくもあるし、「立派でなさ」が魅力でもある(身近にいたら絶対好きになれなさそうだけど)。ナチスの裏をかき海賊版レコードを売りさばいていく彼らの暗躍は痛快だが、戦況が悪化するにつれ文字通り死に物狂いになっていく。空襲の描写が生々しく清算だが、エディの語り口は依然として人を食った感じで諧謔混じりなところに逆に凄みがあった。

この世の外へ クラブ進駐軍 [DVD]
萩原聖人
松竹ホームビデオ
2004-06-25




『スパイたちの遺産』

ジョン・ル・カレ著、加賀山卓朗訳
 かつては「サーカス」の一員として諜報活動に奔走したピーター・ギラムは、今ではブルターニュの農場で隠居生活を送っている。しかし英国情報部からの呼び出しがかかる。冷戦期に起きた射殺事件の遺族が、諜報部とギラム、そしてギラムの上司であったスマイリーを相手取って訴訟を起こすというのだ。情報部の追求を受け、ギラムは語り始める。
 『寒い国から帰ってきたスパイ』『ティンカー、テイラ、ソルジャー、スパイ』で起こった事件の真相に言及しているので、この2作を読んでいることが前提(といっても、知らなくてもまあ大丈夫だとは思う)の作品。スパイたちの後始末、「その後」を生きてしまった元スパイがつけの取り立てを迫られる話と言える。フットワークの軽い色男というイメージだったギラムが、実はあの事件の背後でこのようなことをしていた、こういう思いを秘めていたのかという感慨深さがある。国や組織ではなく、ギラム個人の物語という側面がかなり強く、そういう意味ではスパイ小説という感じではない。スパイといっても個人の感情から逃れられない、だから苦しいのだ。スパイという職業の矛盾がむきだしになっていく(ル・カレの作品はいつもそうだと思うが)。しかしなんにせよ、ギラムはもちろんあの人とかあの人が元気でよかったよ…。そして、あの人のここぞというところでのブレのなさ、責任を引き受ける様には、著者の「こうであれ」という気持ちが強く込められていると思う。

スパイたちの遺産 (ハヤカワ文庫NV)
ジョン・ル・カレ
早川書房
2019-11-06




『すべての、白いものたちの』

ハン・ガン著、斎藤真理子訳
 チョゴリ、白菜、産着、餅、骨などの白いものたちのイメージを繋ぎ、どこかにいる彼女、あなた、わたしの物語が紡がれる。
 白い色は清らかなもの、まだ何にも染まっていないものというイメージを引き起こすが、同時に、死のイメージとも結びつく。死に装束の白、焼いた骨の白でもあるのだ。本著はこれから生まれる無垢なものというより、他の色を得る前にこの世を去ってしまったもの、あるいは自身の色を持っていたものの漂白されきってこの世を去っていくものたちの為の鎮魂の文学という印象を受けた。ある死産のイメージが反復されるが、「しなないで しなないでおねがい」と繰り返される母親の言葉がずっと響き続けているのだ。静かで重い。
 なお本著、非常に凝った造本なのでぜひ紙の本で手に取ってみてほしい。「白」のイメージのバリエーションを味わうことが出来る。

すべての、白いものたちの
ハン・ガン
河出書房新社
2018-12-26


『スタンフォードの自分を変える教室』

ケリー・マクゴニガル著、神崎朗子訳
 心理学、神経医学から経済学、行動心理学など様々な側面から、人間の意思の働き方はどのような仕組になっているのか、それを用いて自分の行動をコントロールするにはどのようにすればいいのか解説する。
 スタンフォード大学での講義をまとめたものなので語り口調はとっつきやすい。我慢ができる/できない脳の働きの仕組みや、なぜ意思(目標)と反した行動を撮ってしまうのかなど、欲求を巡る矛盾をわかりやすく解説している。ちょっとした運動(散歩や軽い体操程度でいい)で自己コントロールをしやすくなるとか、「ご褒美効果」が足を引っ張る場合など、日々の業務をこなす上では役立ちそう。意思決断と倫理的な判断を取り違えがちだという指摘、不道徳は伝染しやすい(周囲がルール違反をしていたら自分もまあいいかとなる)という部分は気を付けたい。
 ただ、こういう授業があるということは、アメリカでは意思の強さ、自己コントロールスキルが非常に高く評価されており、一人前の大人ならできて当然、という流れがあるということだろう。これはこれで生き辛い国なのでは。依存症大国としての側面と表裏一体というところにうすら寒さを感じる(意思の弱い自分はダメな奴だ、という罪悪感から更に依存が深まるという魔のループが・・・)。また、意志力の引き合いに出される事例にダイエットが多いことも気になった。医療行為としてならともかく、単に太っているということが人格に問題あるような特徴と同一視されていないだろうか。本来、意志力と体型って別の問題だしどんな体型でも自分に肯定的であることが大事なんじゃないの?

スタンフォードの自分を変える教室 (だいわ文庫)
ケリー・マクゴニガル
大和書房
2015-10-10



『素晴らしい新世界』

オルダス・ハクスリー著、大森望訳
世界を破壊した“九年戦争”終結後、暴力を排除し共生・個性・安定をスローガンとした新しい社会が築かれた。人間は受精卵の段階で選別され所属階級と能力を決められ、階層間の人口比は徹底的にコントロールされていた。完全な調和を保つ社会の中で、上層階級に所属するものの上手く馴染めず孤独を感じるバーナードは、ガールフレンドとの休暇で出かけた保護区で、“野人”ジョンに出会う。
1932年に刊行された元祖ディストピア小説だが、驚くほど古びていない。これは、近年も様々な作品に影響を与えているというのも納得。翻訳文のノリの軽やかさや擬音の使い方のコミカルさもあいまって、とても読みやすかった。
本作で描かれる「新世界」は、多分そのシステムに乗っかってしまえば楽で快適だろう。しかし個人を尊重しているようでいて「こうであれ」が刷り込まれているマイルドな全体社会であることも明白だ。それのどこが悪いんだ、と問われると、現代の価値観で見ていると非倫理的というあやふやな言い方しかやりようがないのだが。悲しみや苦しみがあるから文学や芸術が、深い思索が生まれると作中で言及されるが、いや安定した生活環境の方が重要だよ苦痛と引き換えの文学芸術なんていらないよという意見も当然あるわけだしな・・・そのへんが本作への表現しがたいもやもやの一因だろう。そして一度システム化されたものはそうそう崩れず異物も回収していく。ラストの脱力感たるや。

すばらしい新世界〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)
オルダス・ハクスリー
早川書房
2017-01-07



『スプリット・イメージ』

エルモア・レナード著、高見浩訳
 富豪のロビン・ダニエルズは人間を撃ちたいという欲求に駆られ、あるギャングの射殺をもくろむ。ボディーガードとして雇われた元警官のウォルター・クーザは彼のアイディアに巻き込まれていく。刑事のブライアン・ハードとダニエルズに取材していたライターのアンジェラ・ノーランは、彼の異常性に気付き周囲を探り始める。
 レナードの作品は読んでいる間は軽妙で楽しいのだが、読後に強い印象が残らないというか、すっと消化されてしまう印象がある。しかし本作は深い余韻を残す。ダニエルズは自分の欲望について、何を欲するのかということは自覚していても、それが何によるものなのか、なぜ自分はそれを欲するのかを理解していない、というよりもそういう発想がない。やりたいことをやるだけなので、発言も行動もふらふら変わってしまう、そのことに疑問を持たないというパーソナリティのように思える。はたからみると不可解だし不気味。悪徳警官ではあるが常識人のウォルターは、徐々に彼についていけなくなる。ダニエルズの計画は穴だらけなのだが本人自信満々な所が、逆に怖い。
 一方、ブライアンとアンジェラは2人ともまともな常識人だが、あっという間に恋に落ちる「落ち方」が何やら可愛らしい。2人のやりとりには、軽快だがお互いへの対等な尊重が感じられる。それだけに、ブライアンが一線を越えて進む終盤が染みる。

スプリット・イメージ (創元推理文庫)
エルモア レナード
東京創元社
1993-04




追われる男 (文春文庫)
エルモア レナード
文藝春秋
1995-06

『推理作家謎友録 日本推理作家協会70周年記念エッセイ』

日本推理作家協会編
 江戸川乱歩賞の選出のほか、作家たちの交流団体という面も持つ日本推理作家協会(入会すると健康保険に入れるというのを初めて知った。フリーの仕事の人にはやっぱりありがたいのかな)。なんと今年70周年だそうだ。それに際して、会員から原稿を募った記念エッセイ集。
エッセイ集なんだけど、執筆者に対して提示したテーマが明示されていないのはなんでなのかな・・・。どうも3つくらいテーマを提示してその中から好きなのを書いてねというスタイルだったみたいだけど、読者に対してその説明がない。自分と協会との関係、あるいは自分の近状をそつなく書く人が多いけど、ここ10年でのお勧めミステリというテーマで自由闊達に書かれる方もいる。その中でも貫井徳郎のレオ・ブルース推しには吹いた。よりによってそこかよ!しかも推しているのに「ただ残念ながら、レオ・ブルースは小説がうまくないんですね」って言っちゃってるよ!いやわかる、わかるけどさぁ!なお、売れて大量に書いている人の方がボリューム、文体ともにちょうどいい感じの文章を書いているので、力量ってこういう所に出るのかなぁと。また、キャリアの長い方は健康上の問題や介護の問題に言及されている方も少なくなく、なんだかしんみりした気分にもなった。

推理作家謎友録 日本推理作家協会70周年記念エッセイ (角川文庫)
今野 敏
KADOKAWA

『素晴らしいアメリカ野球』

フィリップ・ロス著、中野好夫・常盤新平訳
老スポーツ記者は原稿の持ち込みを繰り返すが出版社には断られてばかり。しかしこれは偉大なアメリカ小説であり、隠蔽された秘密を暴くものなのだ!かつてホームグラウンドを持たない弱小球団・マンディーズはアメリカ全土を巡業していた。球団の選手は曲者揃いで更新するのは珍記録のみ、しかも反米スパイの疑いまでかけられる。新潮文庫「村上柴田翻訳堂シリーズ」にて復刊された版で読んだ。プロローグ(ここに登場するヘミングウェイはひどい)から早くも面食らうが、読み進めると更に面食らう。野球と言えばアメリカの国技といってもいいくらいの国民的スポーツだが、本作はそのアメリカ野球界にかつてあったという愛国リーグの球団・マンディーズを通し、アメリカという国と、ある時代の狂騒を描いていく。とは言え、一瞬もっともそうな話に見えるが、読み始めるとホラ話につぐホラ話。悪ノリがすぎるのではと、今となっては若干ひくところも。野球もアメリカもどちらかというとバカにしているように見える。しかし、両者に対する愛がないわけではない。巻末に村上春樹と柴田元幸の対談が収録されているが、その中でも言及されているように、著者は野球に熱狂しているわけではないが、野球好きだから書けた作品という側面はある。また、本作にはアメリカの歴史や文化、国民性を馬鹿にしたかのような表現が多々あるが、それが著者の母国との距離の取り方なのだろう。「素晴らしいアメリカ野球」という題名は壮大な皮肉ではあるのだが、どこかでやはり、野球にしろ文学にしろ、母国に「素晴らしい」ものがあると信じているように思う。ただし、本作が書かれた当時は、だが。今同じような作品を書いたとしたら、ここまでパワフルにジョークとして振り切れないかもしれない。

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