3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『〆切本』

左右社編集部編
作家に〆切はつきものだが、その〆切に苦しめられる話ばかり94篇を集めたアンソロジー。日本の作家に限定し、テーマの性質上随筆が中心だが、これ他国のものも集めると面白いだろうなぁ・・・。わざわざ〆切について書くくらいだから〆切が迫って苦しむ作家が殆ど。期日が迫っているのに頭に何も浮かばない、時間に余裕があるうちはさっぱりやる気にならず期日が迫ってようやく着手など、作家ならずとも「あるある!」と握手をしに行きたくなるようなエピソードが目白押しだ。ただ、現代の作家の〆切話はそれほど過激ではない。皆わりとちゃんとしている。いわゆる「文豪」の方々のエピソードの方がスケールが大きいというか、(お金と時間に)おおらかで文士がある意味甘やかされている時代があったんだな・・・と世知辛い気持ちにも。特にすごいなと思ったのは内田百閒。そ、その本末転倒な資金繰りは何だよ!その時間で原稿書けよ!まあ百閒の場合、このエピソードに限らず、よくこの人生活できてたよなーという話がいっぱいあるけど・・・。

『女装して、一年間暮らしてみました。』

クリスチャン・ザイデル著、長谷川圭訳
脚の冷えに耐えかねて、試しに女性用ストッキングをはいてみた著者は、女性の世界にはこんなにいいものがあるのか!と衝撃を受ける。徐々に女性が身に着けるものに関心が向くようになり、全身女装してみたらどんな気分かという「実験」に着手する。
冷えるがモモヒキ的なやつは苦手という著者。男性用ストッキング的な物はドイツにはないのか・・・(日本にはありますよね)。それはさておき、著者は女装している間、特にメイクや着こなしに慣れてからは、男性の恰好をしている時よりも解放感を感じ、それが女装に対する愛着に拍車をかけていく。著者は、「男性」として振舞えという社会的な要求、男性同士のコミュニケーション(このあたりは、著者がTV業界で働いていたという職場環境も大きかったのかも)に大きなプレッシャーや不快感を感じていたのだと気付いていく。そして女性ってなんて自由で素晴らしいんだ!と感激するのだが、この時の「女性」とは、あくまでもヘテロ男性(著者は女装はするが性的嗜好はヘテロで妻もいる)である著者が思う所の「女性」にすぎない。女性の良い(と著者が思っている)面しか見えていないのだ。しかし、女性として振舞ううちに、徐々に女性も社会が要求する「女性」を演じているのであって決して自由ではない、やはりプレッシャーに脅かされているのだと思い当たる。著者が女装をやめると、女装時にちやほやしてくれた女友達は一斉に遠ざかっていくのだが、外見、装いによるカテゴライズって相手が同一人物だとわかっていても、なされてしまうのだ。著者のアプローチは少々一方的だし、聞き取りをする女性達の傾向にも偏りがある(全ての女性がいわゆる女性ならではの装いを好んでいるわけではないだろう)。やはり「男性」側の見方にすぎないきらいはあるのだが、自分たちが自覚している以上に「~らしさ」「~のように見える」ことに縛られているという立証実験として、著者の心身の変化も含め面白かった。自分のメンタルの変化について、ちゃんと専門医に意見を求めにいくところはジャーナリストっぽいし、医者がその問いに真面目に答えるところは誠実。冗談扱いしないのだ。

『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』

戸部田誠(てれびのスキマ)著
お笑い芸人、アイドル、俳優、ゆるキャラ等、テレビでよく見かける人たち100人の生きる姿勢を、その人の明言珍言から考察するコラム集。雑誌連載を書籍化したものだが、文庫でのリリースというのが内容にあっていて、これは英断だと思う。構えず手軽に手に取れる。同時代にテレビを見ている者としてとても楽しい。引用は取り上げた対象の発言(テレビ番組内にしろ雑誌等のインタビューにしろ)というところは徹底しており、著者の生粋のテレビっ子ぶりが存分に発揮されている。芸能人のテレビや雑誌における発言はある種のフィクションではあるだろう。しかしその隙間から、その人の素が垣間見える、その瞬間を著者は逃さない。テレビはくだらないと言われがちだけど、そのくだらなくてムダな部分を著者は愛しているし、そこがテレビの良さだろう。有意義なテレビってそんなに見る気にならないんだよな(笑)

『シャム双子の秘密』

エラリー・クイーン著、越前敏弥・北田恵里子訳
カナダでの休暇から車で帰る途中、エラリー親子はデービス山地で道に迷い、山火事に遭遇してしまう。なんとか脇道を辿り、山頂の屋敷にたどり着いた2人は助けを求める。使用人はいい顔をしなかったが、屋敷の主人である医学博士ゼイヴィアの好意で宿と食事にありついた2人だが、翌朝、書斎で博士の死体が発見された。死体の右手には半分に破られたトランプが。一方、山火事は収まる気配がなく、屋敷の人たちを追い詰めていく。
昔、旧訳で読んだ時にはダイイングメッセージの真偽を突き止めていくロジックがよくわからなかったんだけど、新訳で読んだらわかりやすくより面白かった。前に読んだとき何か変な話だなと思ったのは、ロジカルな部分を読み取りきれなかったからなんだな。改めて読むと、手がかり、ダイイングメッセージが孕んでしまうある問題に挑戦し始めた作品だったということがわかる。山火事の絡ませ方も、緊迫感を高めることに加え、時間的なリミットを設定してこの問題に強制的にけりをつける為だったのかとも。なお、クイーン親子はどの作品でも結構仲良いが、本作では特にいちゃいちゃ感というか、ぶーぶー文句いいつつもお互い好きなんだなーという感じが出ている。エラリーがお父さんはしょうがないなぁ!的に振舞いつつもやっぱりパパ大好きな感じ、微笑ましいです。こういう父息子関係(子供成人済み)ってアメリカの小説ではあんまり見ない気がするんだけど・・・。私が陰惨なものばかり読んでいるからでしょうか・・・。
 

『自生の夢』

飛浩隆著
 天才詩人アリス・ウォンが生み出した「詩」とその後の変遷を描く「#銀の匙」「曠野にて」「野生の詩藻」、言葉の力で大量殺人を行った殺人犯が“忌字禍”を滅ぼす為に召喚される「自生の夢」等を収録した、著者10年ぶりの作品集。
 twitterで著者のアカウントを発見した時にまず思ったのが「生きてたんだ・・・」、あとがきの最後の文章を読んで思ったことが「普通に生活している人だったんだ・・・」なので、新作が出て本当にほっとしました。『グラン・ヴァンカンス』シリーズ2作はプログラムにより造られた仮想現実世界を描いたが、本作収録作の多くでは「言葉」による世界の変容が描かれる。情報が物理を変容させるというイメージは似ているように思う。10年ぶりに著者の作品を読むせいか、こんなに情動的だったかなという意外性はあるが、その世界のイメージがあふれ出てくる感じは、「変容」に対するフェティッシュな感覚は変わっておらず、そうそうこれだとうれしくなった。ただ、当時ほど最先端のとんがった感じはしないが、それは読者としての慣れによるものかもなぁ(ここ10年間で書かれたものを収録しているので、SF小説シーン自体の変化もあるだろうし)。アリス・ウォンが生み出したものを巡るシリーズと表題作では、言葉を書く主体と書かれた言葉との、書く/書かれる関係の反転に、足元を危うくするような不安が迫る(何しろ小説だって「書かれる」ものだし)。また、「灰洋」が襲ってくる「海の指」は記憶との戦いのようでもありぞわりと怖くもの悲しい。

『幸せなひとりぼっち』

フレドリック・バックマン著、坂本あおい訳
偏屈で無愛想な59歳のオーヴェは、妻を亡くし、長年務めた仕事も辞めることになり、自殺を考えていた。しかし向いの家に引っ越してきた若い一家がやたらと関わってくる。なりゆきで近所の野良猫の世話もするようになり、オーヴェの日常は変化していく。
オーヴェはルールを厳守し、昔からのやり方を変えるのは大嫌い、頑固で無口という、なかなか付き合いにくい人間だ。オーヴェの過去と現在を行き来する公正で、彼の人生、彼に何があって現在に至ったのかということが見えてくる。オーヴェにとって妻がどのくらい大切な存在だったか、彼の妻が彼の美点をいかに的確に見抜いていたかがわかってくるのだ。彼の人生を思いじんわりし、現在のドタバタ劇を見て笑ってしまう。オーヴェが死のうとするたびになんらかの横やりが入ると言うお約束ギャグも。そして猫がいい!やがて、妻だけが熟知していたオーヴェの優しさや正義感が、周囲の人たちを助け、理解されていく様に心温まる。映画化作品ももうすぐ公開されるので楽しみ。

『死体は笑みを招く』

ネレ・ノイハウス著、酒寄進一訳
動物園で人間の左腕と左足、そして左腕と左足が切り落とされた死体が発見された。死体は高校教師で環境保護活動家のパウリーと判明。刑事オリヴァーとピアは捜査を開始するが、パウリーは過激な活動により様々な人の恨みを買っていた。
オリヴァー&ピアシリーズの2作目だが、日本では最後に翻訳されることになった。確かに、シリーズの他作品と比べるとちょっとパンチが弱めでミステリとしても粗い(というか他作品の精度が高いってことなんですが)。腕足の切断がある登場人物をシリーズに引き入れる為だけに使われているような気もする。とは言え、この後の作品にも登場する人物や、オリヴァーやピアの生活背景がはっきりわかる部分を含む作品なので、シリーズのファンなら必読だろう。今回、オリヴァーはしばしば私情に目がくらんであまりかっこよくなく、ピアもプライベートの問題で心が揺れている。仕事は出来るが万能ではないし常にクールなわけではないという、人間味のある部分がいい。同僚たちとの仲が良すぎない感じも、職場の実感が出ている。

『死の鳥』

ハーラン・エリスン著、伊藤典夫訳
 半世紀にわたりアメリカSF界に君臨してきたという著者の、代表作10篇を収録した日本オリジナル傑作選。
 25万年の眠りののち蘇った男の旅を描く表題作が圧巻。聖書の読みなおしに挑むようなスケール感。一見悲壮感も漂うが、これって世界への愛であり自分への愛だよなー。世界に失望しつつそれでも愛する、という姿勢が収録作の所々に見られる。『「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった』はわりとわかりやすく管理社会SFだが、それに抗うものもまた絶えず存在する。内へ内へと向かう奇妙なロードノベルのようでもある『ランゲルハンス島沖を漂流中』は、主人公はある意味人生を保留されたような存在ながら、それでも人生を全うすることを諦めない力強さを持つ。一方で、『世界の縁に立つ都市をさまよう者』や『鞭打たれた犬たちのうめき』は社会から疎外された、また疎外されない為に自分の魂を殺していく人の痛ましさがやりきれない。『ジェフティは五つ』は日常系SFというか、他の作品とはちょっと味わいが異なるノスタルジーとほろ苦さ、しかしSF度は高くコンパクトでいい。

『霜の降りる前に(上、下)』

ヘニング・マンケル著、柳沢由実子訳
もうすぐ30歳になるリンダ・ヴァランダーは、紆余曲折を経て警察学校を修了し、この秋からイースタ署に勤務することが決まった。夏の間は警官である父・クルトの家に居候している。地元に帰ってきたことで旧友とのつきあいも再開したが、その中の1人、アンナが姿を消した。彼女が約束を破るとは思えずリンダは心配し、クルトの制止を振り切り情報を集めに奔走する。一方、森で起きた殺人事件と、相次ぐ動物への放火事件の捜査でクルトたちは慌ただしくしていた。クルト・ヴァランダーシリーズ最新刊。リンダはこれまでの作品にも登場していたが、なんと父親と同じ道を選び、本作では主人公格に。今まではクルトから見たリンダ像だけだったが、リンダはリンダでこういうことを思っていたのか、と作品世界に新しい側面が見えた。クルトは決して理想的な父親ではないし、リンダも理想的な娘ではない。2人は日常的にお互いにいらつき、ぶつかり合う。2人のいらつき方や怒り方が似ていて親子なんだなとおかしくなるが、当人たちにとっては、そういう所が似ているというのがまた、いらつく要因なんだろう。本作、父親と娘の関係が一つのモチーフになっている。特に、子供は親を諦められないということをしみじみと感じた。リンダにしても、父親に対して期待していないようでいて、やはり期待しているところがある。それは親側からしても同じだろう。事件の結末は、お互いに諦めきれなかった結果のようでもあった。

『失踪』

ドン・ウィンズロウ著、中山宥訳
アメリカ中西部の静かな町で5歳の少女ヘイリーが失踪した。事件を担当した刑事デッカーは力を尽くすものの手がかりは得られず、3週間が経過。そして第2の事件が起きた。デッカーは責任を感じて警察を辞め、私立探偵としてヘイリーを探し続ける。わずかな手がかりを追って辿りついたのはニューヨークだった。本作、主人公が中年の探偵だからというわけではないが、どこかレイモンド・チャンドラーの小説を思わせる。情景の描写の具体性や、デッカーの一言多い減らず口や、事件の大きな展開が終盤に密集しているという構成のせいか。探偵がしばしば殴られ気絶するからってわけでもないだろうが・・・(マーロウは頻繁に殴られて気絶する)。デッカーの価値観が少々レトロ(故に時々イラっとした)なのも、チャンドラー、というよりも往年のハードボイルド小説に寄せて書いているからかもしれない。子供の失踪って嫌なものだが、その背後にあるものが明かされると更にげんなりとさせられる。デッカーはそんな世界を見続けてきたわけだが、その視界を妻は共有しておらず、愛があっても共に歩めなくなるという所が苦い。しかしこの妻、企業弁護士なのにちょっと世間知らずすぎないかなという気もしたが・・・。

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