3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『死ぬまで生きる日記』

土門蘭著
 常に死にたい気持ちがあり、発作的にその気持ちが強くなるという症状に10歳の頃から苦しんできた著者。20年以上続くその状態を何とかしたい、自分はなぜ死にたいと思うのかわかりたいと思ってきた著者は、オンラインカウンセリングを受けることを決意する。著者とカウンセラーの2年間にわたる対話を綴る。
 まず、著者は相性のいい誠実なカウンセラーと出会えて本当によかったと思う。医療行為の一環とは言え、やはり人と人とが相対する行為である以上、相性の良しあし(それぞれの責任ではないのだが)はどうしても生まれる。カウンセリングを受けてみないとそのカウンセラーと合うかどうかわからないというのは、カウンセリングという行為のハードルの高さの一つではないか。本作、かみ合ったカウンセリングはこのように進み、このように気付きが導き出されていく、このようにクロージングするという良い事例(あくまで一事例で、人によって形は違うと思うが)になっていてとても面白かった。カウンセラーの能力もあるのだろうが、著者が数十年間自分についてずっと考えていたことの積み重ねが、カウンセリングによってアウトプットされた、自覚に結びついたという側面も大きいと思う。著者の課題設定・問題解決意識の高さは著者を苦しめることもあるが、カウンセリングでの気づきを促しやすくもしているのでは。
 過去や他者が「お守り」だという言葉が出てくるが、この他者とは実際に関わった人たちだけではなく、映画や小説の中で出会った人達、また自分とは全く接点がない人たちでもなり得るだろう。著者が若いころ、太宰治や芥川龍之介の作品を読んで落ち着いたというのはそういうことなのだ。自分と実際に会う可能性が全くない人が自分のお守りになる、自分の救いになるというのが読書(映画鑑賞)体験の得難い所だと思う。
 なお、著者のお子さんが母親である著者をずっと気遣っているのだが、この子大丈夫かな、このまま親のケア要員になってしまわないかなとハラハラしっぱなしだった。終盤を読んだところどうやら大丈夫そうなのでほっとしました。

死ぬまで生きる日記
土門蘭
生きのびるブックス株式会社
2023-04-20





あした死ぬには、 1
雁須磨子
太田出版
2019-06-13




『死刑執行のノート』

ダニヤ・クカフカ著、鈴木美朋訳
 連続殺人犯アンセル・パッカーの死刑執行まで残り12時間。彼は自分が5冊のノートに記した”セオリー”を残し脱獄する計画を立てていた。彼の母ラヴェンダー、元妻の妹ヘイゼル、ニューヨーク州警察の捜査官で彼とは因縁があるサフィ。アンセルと3人の女性の人生が交互に語られ、それぞれの姿が浮き上がっていく。
 エドガー賞最優秀長篇賞受賞作だそうだが、それも納得。冒頭のアンセルのパートを読んでいると、ありがちなカリスマ的シリアルキラーを主人公としたサスペンスのように思えるが、本作はむしろそういった作品、圧倒的な悪(とその魅力)を描いた作品と対峙するようなスタンスで書かれているように思う。殺人犯に特権的なキャラクター性を持たせないとでも言えばいいのか、アンセルの自意識が現実と少々乖離したものであること、彼もまた卑小な一人の人間であることが、彼の人生の振り返りと並行して露わになっていく。アンセルがやったことは悪だし彼の思考や行動は理解しがたいものかもしれない。しかしそれを絶対的な悪といったものではなく、人間の行いの一つだという地平に留め置くのだ。
 犯罪小説では往々にして犯人の人生・人物像や事件全体の流れにスポットが当たりがちで、被害者の人生、その人がどのように育ってどのように生活しているどんな人間だったのかについては、言及は二の次になりがちであるように思う。対して本作は、被害者である女性たちの人生が、加害者であるアンセルの人生と同等に浮かび上がってくる構造になっている。どちらがより重要ということではなく、お互いの人生がどのように交差しその結果何が起きたのかわかってくるのだ。と同時に、もしこの地点で運命が分岐していたらという「もしも」の可能性に頻繁に言及される。サフィは捜査を続ける中で、殺された女性たちのあったかもしれない人生を何度も想像する。矛盾しているようだが、その「もしも」によって彼女らが確かに存在したこと、かけがえのないそれぞれの人生を送っていること(そしてそれが切断されたこと)が更に強く感じられるのだ。実はこの「もしも」はアンセルについても同様で、それもまた彼を特別な存在にしない為、彼もまた別の人生の可能性があった一人の人間だということを示唆する為だと思う。

死刑執行のノート (集英社文庫)
ダニヤ・クカフカ
集英社
2024-01-11


あなたに不利な証拠として (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ローリー・リン ドラモンド
早川書房
2008-03-01






『親愛なる八本脚の友だち』

シェルビー・ヴァン・ペルト著、東野さやか訳
 水族館で暮らすミズダコのマーセラスは、実は人間たちの言葉を理解し、水槽から抜け出すこともできる。ある夜、水槽の外を徘徊中に身動き取れなくなった所、水族館の清掃員トーヴァに助けられる。トーヴァは30年前に息子を亡くし、近年夫も病死し一人で暮らしていた。トーヴァはマーセラスの賢さに気付き彼に興味を持っていく。
 タコに高い知性があるということは近年の研究でわかってきているそうだが、本作に登場するマーセラスはその中でも飛びぬけて知性が高い。ある意味タコが探偵役のミステリとも言える。マーセラスとトーヴァは言葉によるコミュニケーションができるわけではない。しかし、お互いを尊重し合い、もっとよく知ろうという気持ちが2人の間の友情を育んでいく。マーセラスがトーヴァにある発見を伝える為に文字通り命を懸けて奮闘する様は、タコと人間とは言え友愛としか言いようがない。マーセラスもトーヴァも若くはない(マーセラスは寿命が尽きるまでカウントダウン状態だ)。残り時間が見えている者同士だが、それでもまだ人(タコ)生何が起こるかわからないという希望が感じられる好作。トーヴァとマーセラスを筆頭に登場人物が皆生き生きとしている。トーヴァに思いを寄せるお喋りなスーパーマーケットの店主イーサンや、元バンドマンでどうにも子供っぽいキャメロン等、時にいらっとさせられるが憎めない。特にキャメロンの30代だというのに子供のような言動は大分いらつくが、それ故彼が段々変化していく様子が響く。過去の悲しみから逃れられない人たちが、そこから歩みだす物語でもあるのだ。
 なお、一か所誤記なのかそうではないのか微妙によくわからない所があって気になった。

親愛なる八本脚の友だち (扶桑社BOOKSミステリー)
シェルビー・ヴァン・ペルト
扶桑社
2023-12-22


タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源
ピーター・ゴドフリー=スミス
みすず書房
2018-12-07


『書架の探偵、貸出中』

ジーン・ウルフ著、大谷真弓訳
 作家の記憶や感情を備えた複生体(クローン)が“蔵者”として図書館に収蔵され貸し出されている世界。推理作家E・A・スミスの複生である“蔵者”E・A・スミスは、図書館間相互貸借によって海沿いの小さな図書館に送られた。彼を貸し出したのは情緒不安定な母親と暮らす少女チャンドラ。スミスは何年も前に姿を消した彼女の父親捜しを頼まれる。
 本著はウルフの『書架の探偵』の続編であり、遺作となった未完成作。未完成ゆえか、文章中には訳者注で指摘されている通り矛盾点が多く、章と章の間もいきなり間が空いているような所がある。そしてラストも尻切れトンボだ。多分ここまでで色々伏線が敷いてあって、それ故の矛盾した描写かもしれないし、章の穴あきのような部分はこの先埋める予定だったのかもしれない。完成したらどのような作品になったのだろう。
 そういう事情なのでウルフのファン以外にはあまりお勧めできない作品ではあるのだが、ディストピアSFとしての世界描写の味わい深さはある。“蔵者”たちは人間と同様の肉体・感情・意志を持ちながら、本と同様の“物”として扱われる。物としてやりとりされる(時に金銭で買われる)だけでなく、乱暴な借り手に(ページを破る体で)体を損なわれたりもする。そして貸し出し頻度が低く破損した蔵者は焼却処分となるのだ。人でありながら物として扱われるという非人道的なあり方が、社会システムの一部としてさらっと描かれておりうすら寒くなる。牧眞司による解説でも言及されているように、奴隷を描いているとも言えるのだ。


書架の探偵 (ハヤカワ文庫SF)
ジーン ウルフ
早川書房
2020-02-20


『持続可能な魂の利用』

松田青子著
会社で男性に追い詰められ退職に追い込まれた敬子は1カ月海外に滞在し帰国。日本の女の子たちは皆弱弱しく見えると思っているうち、アイドルにはまる。敬子の同僚だった歩はピンク色のスタンガンをお守りとして持ち歩いている。歩の後輩・真奈は実は元アイドルだった。彼女たちを苦しめるのは「おじさん」地獄だった。
 「おじさん」から少女が見えなくなるというプロローグは、日本で若い女性がどのように位置づけられているかということと、「おじさん」とは何か、「おじさん」が作った社会、つまり日本社会が女性にとってどのようなものかということを人をくったようなスタイルで、しかし端的に示している。敬子を追い込んだ男性(だけではなく女性の「おじさん」もいるが)のやりくち、町中で耳に入ってしまうくちさがない言葉の数々など、現実の中でも当たり前にありすぎて改めて文字化されると嫌になってしまう。しかしそういった現在の社会の中の嫌さをそのまま抜き出したような場面から、SF的とも言える方向に突き抜けていく終盤が爽快。現実が少しでもこの領域に近づけと切に願う…だけでなくやはり連帯って大事だよな…。そして連帯するのは女性たちだけでなく、アイドルとファンが連帯していくという所、フェミニズム小説であると同時にアイドル批評、アイドルファン批評になっている所が、アイドルの魅力がよくわからない自分にも面白かった。一回転してフェミニズムの文脈に引き込んでくる所がユニーク。
 そして作中でなぜ日本では少子化が止まらないのかという問題に対する一つの答えが提示されているのだが、そりゃあそうな!そうとしか思えない!と思わず納得。非常に皮肉な正解ではあるのだが、現実を見るとあえてそうしているとしか思えないからな…。

持続可能な魂の利用 (中公文庫)
松田青子
中央公論新社
2023-05-25


女が死ぬ (中公文庫)
松田青子
中央公論新社
2021-05-21


『死の10パーセント フレドリック・ブラウン短編傑作選』

フレドリック・ブラウン著、小森収編、越前敏弥・高山真由美他訳
 妻が自分を殺そうとしているのではないかと思うので自分に同行して真偽を確かめてほしいと依頼された探偵エド(「女が男を殺すとき」)。これから起きる殺人を通報された刑事はそのトリックを暴こうとする(「死の警告」)。ある男に全ての収益の10%の取り分でマネジメントを負かした売れない俳優の顛末(「死の10パーセント」)。本格ミステリからホラーまで、著者の名作を収録した短篇集。
 フレドリック・ブラウンはとにかく多作、かつ作品のバラエティが豊富というイメージがあるが、本著は収録作を料理のフルコースになぞらえて編纂されており、このポジションにこの作品か!という楽しさもある。個人的にブラウン作品で最も愛着がある、スタンダードな探偵ものであり青春ハードボイルド小説的な味わいもあるエド&アンブローズシリーズから2作収録されているのがうれしい。正直、SF的作品や”奇妙な味わい”系の作品は今読むと古さが目立ってしまう印象がある。「5セントのお月さま」や「へま」は短編小説というより小咄的な印象。一方で「どうしてなんだベニー、いったいどうして」はごく短いが視点の切り替わりによって物悲しさがすっと前面に出てくる味わいの変更ぶりの切れがいい。また「消えた役者」や「殺意のジャズソング」は王道の謎解きミステリ。あっそこか!というトリックの忍ばせ方がいい。しかし、「球形の食屍鬼」や「フルートと短機関銃のための組曲」はバカミスすれすれなのでは…。特に「フルート~」はすっとぼけた感じがして本気でミステリやろうとしているのかよくわからない。


真っ白な嘘【新訳版】 (創元推理文庫)
フレドリック・ブラウン
東京創元社
2020-12-21


『処刑台広場の女』

マーティン・エドワーズ著、加賀山卓朗訳 
1903年、ロンドン。若い女性が惨殺される事件が立て続けに起こり、それらを解決に導いた探偵レイチェル・サヴァナク。彼女は富豪の名探偵として知られる一方、黒い噂もつきまとっていた。新聞記者ジェイコブ・フリントは彼女の秘密を探るが、密室での自殺と思われる死体、奇術ショー上演中の焼死等、不可解な事件に立ち会うことになる。そして彼自身にも危険が迫る。
 往年の本格ミステリ、ピカレスクロマンを彷彿とさせるような、どこか懐かしい味わいのある作品。期待した通りの展開と見せ場がありそれに加えてサプライズもあるという、読者をがっかりさせないサービス精神が旺盛。起こるべきことがちゃんと起こるとでもいうか、意外な展開はあるけど過度に意表を突くわけではないという絶妙なバランスだった。この人怪しいな、という人はちゃんと怪しいのでご安心ください。目的の為には手段を選ばない心身ともに強靭なレイチェルの一面と、目端はきくが肝心な所でちょっと抜けているジェイコブのキャラクター対比や、レイチェルの使用人たちの有能ぶりも楽しい。
 レイチェルは一体何者で何を画策しているのかという謎が物語を駆動させていくが、小説を読みなれている読者には彼女の正体は早い段階で見当がつくのではないか。自然と彼女の目的が何なのかも察しが付くだろう。ただ、彼女がどういうパーソナリティなのかという部分は謎に包まれている。それは善意なのか悪意なのか、誰かを助ける気があるのかないのか。意外と真意が語られないのだ。レイチェルの人となりは彼女の内面の描写というよりも、行動によって示されていく。内面描写の多いジェイコブとは対照的だった。本作の「目」はやはりジェイコブであり、そうである以上レイチェルは謎のままなのだ。
 なお一か所、誤植なのか原文を翻訳するとそうなるのかよくわからない部分があった。どっちなの。

処刑台広場の女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
マーティン エドワーズ
早川書房
2023-08-17


探偵小説の黄金時代
マーティン・エドワーズ
国書刊行会
2018-10-25



『女性画家10の叫び』

堀尾真紀子訳
 三岸節子、小倉遊亀、フリーダ・カーロ、マリー・ローランサン等、画家として生きた10人の女性たちの自画像を切り口に、その作品と人生を紹介する。
 岩波ジュニア新書ということで、平易な書き方で読みやすい。ジュニア層(とはいえ岩波ジュニア新書はジュニアが読むには少々難易度高い本が多いですが…)だけではなく大人の美術初心者にも入門書としてちょうどいいのでは。2013年初版なので情報が少々古くなっているかもしれないが、巻末に美術館案内がついているのもいい。一方で図版が少ない、かつモノクロなのは残念。図版なしの作家もあるのだが何かの権利関係の問題なのだろうか。
 それにしても美術の世界もまた長らく男性の世界だったのだなとしみじみ感じた(今もなおそういう側面は強いのだろうが)。本著で取り上げられた作家たちが生きた時代は、女性は男性=夫に従属する、対男性としての役割の中で生きることが普通だった。女性が表現をしようと思うと、男性が行うよりも更に個としての自分について考えざるを得なかっただろう。それが自画像の面白さにもつながっているように思う。個人的にはレメディオス・バロが取り上げられているのがうれしかった。経済的な枷(女性が自活する方法に乏しい時代だったという背景もある)に苦しんだ一方で、自分を抑圧するものへの反抗心と自
由になっていく様が作品に反映されていったのかと解釈に頷いた。

女性画家 10の叫び (岩波ジュニア新書)
堀尾 真紀子
岩波書店
2013-07-20

女性画家たちの戦争 (平凡社新書780)
吉良 智子
平凡社
2022-09-30




『職業としての学問』

マックス・ウェーバー著、尾高邦雄訳
 本著は社会学者・経済学者マックス・ウェーバーが1919年にミュンヘンで行った講演の書き起こしになる。学問とはどのようなものか、教師・研究者の役割、職業倫理とは何かを問う。
 約20年ぶりくらいでマックス・ウェーバーの著作を読んだが、そういえば文章が難解で苦しめられた!と苦い記憶がよみがえった。ウェーバーの論旨がというよりも、文章の構造がわかりにくいのだ。これはウェーバーの手癖であると同時にドイツ語の特質なのかもしれない。
 ドイツとアメリカの大学教職員雇用制度の違いや、ウェーバーが解釈したところのアメリカの民主主義の性質など、時代背景が垣間見えてなかなか面白い。特にアメリカにおける雇用契約の概念の解説は、アメリカという国の特質をつかんでおりなるほどなと思った(ドイツとどちらがよりいいかという話ではない。一長一短と言える)。本公演が行われたのは第一次大戦後でドイツ国内は混迷し、若者たちは何か強いビジョンを打ち出す指導者を欲していたという。ウェーバーの講演は学問の本質はそういう所にあるのではないというものだ。教師であることと指導者であることは違う、というか教師が指導者であってはならないという確信がある。研究の手法上の指導はするがそれ以外の指導は管轄外、政治的倫理的な価値判断からも自由であるべきということなのだが、この点が当時は大きな論争を呼んだそうだ。社会の中で生きている以上政治的な立場と無縁ではいられないだろうからウェーバーの主張には疑問な点もあるが(政治的主張を全くしないのならそれはそれで日和見的であり問題だろう)、社会的に強い立場から弱い立場の者に押し付けてはならない(逆に、当時のドイツでは大学教授というのは非常に権威的だったということがわかる。ウェーバーが懸念したのはおそらくこの点だろう)というのならまあわかる。ただ、ウェーバーが当時こういった主張をしたのは、強い指導者、大きな世界観を欲しがりすぎていて危ういと感じられたからではないか。その後のドイツの歴史を見ると彼の懸念は当たっていたと言える。一足飛びに回答を欲しがる、世界を解明した気になりたがるというのは、今だったらフェイクニュースや陰謀論を信じてしまう心情に近いか。

職業としての政治 (岩波文庫)
マックス ヴェーバー
岩波書店
2021-03-25




『死にたくなったら電話して』

李龍徳著
 浪人生の徳山は、バイト先の先輩に連れていかれたキャバクラで、ナンバーワンキャバ嬢の初美と出会う。彼女はなぜか徳山に執拗なアプローチを仕掛けてきて、徳山も彼女のエキセントリックな魅力のとりこになっていく。
 初美は人類の加害・虐殺の歴史に強い興味を持ち、一種の破滅願望を持っているように見える。徳山もそれに感化されていき彼女を心中するのも悪くないとうっすら考えるようにもなるのだが、ロマンティックな「恋人たちの破滅」には程遠い。破滅するにも気力体力がいるのだなぁとつくづく考えさせられる。徳山の特徴として、とにかく流されやすく大事なことほど決断できない、全面的にだらしないという性質がある。バイト先の同僚の誘いがうっとうしい、こと厄介ごとに発展しそうな予感がするなら断ればいいし、そんなに嫌ならバイトをやめればいい。終盤のある一大事など、なぜそれを放置する!と唖然とする読者も多いだろう。大事なことほど決められない、後回しにするという傾向は誰しもあるだろうが、徳山のそれはずば抜けているのだ。心中も自殺も大きな決断だが、彼にはそもそもそれを決断・実行する気概がないのだ。破滅していく主人公といっても、その破滅が全然劇的ではなくだらしなくゆるゆると進行していき、破滅しきれないという締まらなさ。この締まらなさ、劇的になれない様が生々しかった。

死にたくなったら電話して (河出文庫)
李龍徳
河出書房新社
2021-09-22


報われない人間は永遠に報われない
龍徳, 李
河出書房新社
2016-06-20


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