3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『小公子』

バーネット著、土屋京子訳
 ニューヨークで母親と暮らす幼い少年セドリック。素直で心が優しいセドリックは周囲からも愛され、質素ながらも幸せに暮らしていた。しかしある日、英国の貴族ドリンコート伯爵の元から使いが来る。セドリックはドリンコート伯爵の三男の息子で、直系の息子たちが全員他界した今、唯一の跡取り・フォントルロイ卿になるのだというのだ。セドリックは英国に渡り、祖父の元で教育を受けることになる。
 光文社古典新訳文庫で読んだ。原書の挿絵(なんとカラー絵あり)も盛り込まれており目にも楽しい。小公子のストーリー概略程度走っていたが、ちゃんと読んだのは今回が初めて。ストーリーのフックが強くて、連続TVドラマのような盛り上げ方。セドリックは純粋で聡明、かつルックスがめちゃめちゃいい(とにかく外見に関する褒め描写が多い!正直だったら美点そこかよ!というルッキズム問題になると思う)という出来すぎな設定や、彼の行いの曇りない正しさは少々説教臭くはある。しかし、真っ正直な思いやりや信頼が、頑なな老人の心を溶かしていき、周囲の人達を幸せにしていく様はやはり小気味がいい(良すぎるのもちょっと問題だよなとは思うが)。現代の小説ならば奥行きが浅いと言われるかもしれないが、信頼されることで人の良い面や元々持っていた美点が発揮されていくということは、実際にあるだろうなと思える。セドリックの大真面目な振る舞いが周囲からは微笑ましく見えることや、ドリンコート伯爵とのやりとりなど、ユーモラスな描写も意外と多い。むしろ子供の振る舞いのユーモラスな部分の方が現代に通じるものがあるかも。

小公子 (光文社古典新訳文庫 Aハ 2-2)
バーネット
光文社
2021-03-10


小公子 (岩波少年文庫)
フランシス・ホジソン・バーネット
岩波書店
2011-11-17




『白い鶴よ、翼を貸しておくれ チベットの愛と戦いの物語』

ツェワン・イシェ・ペンバ著、星泉訳
  1924年、宣教師のスティーブンス夫妻は、キリスト教の布教のためチベットの奥地ニャロンを訪れる。ニャロンの領主であるタゴツァン家当主の妻の出産の手助けをしたことで周囲の信頼を得、やがて土地にもなじんでいく。タゴツァン家の息子テンバとスティーブンス家の息子ジョン・ポールは共に成長し、深い友情で結ばれた。一方でチベットを併合しようという中国の圧力は強まっていく。
 チベットがたどる悲劇的な運命を、ある集落に暮らす人々、そしてアメリカから来た宣教師たちの眼を通して描く。スティーブンスはキリスト教布教の意義について説得する。が、己の正しさを疑わない彼の主張はあまりに無邪気で単純だ。チベット僧は他の宗教に対して寛容ではあるが、自分たちの信仰を否定されていい気はしないだろう。チベット人達にとっての正しさや信仰の意味について、スティーブンスは想像をしない。複雑さを複雑さのまま受け入れるチベット人達の方がある意味老獪に思えた。実際、スティーブンスのキリスト教布教はさして進展しない。が、彼は医療の知識と技術によって地域に尽くし、その一員として生きる。スティーブンスの当初の思惑とは異なるが、むしろキリスト教的な生き方なのでは。
 キリスト教布教どころではなく自分たちの正しさを押し付けてくる、かつ力を持っているのが中国。まずは国民党軍、そして国民党軍を駆逐した共産党軍の手がチベットに伸びてくる。彼らのイデオロギーのあり方や絶対的に自分たちが正しいという姿勢は、国政というよりも信仰に近い。宣教師よりも話が通じないのだ。テンバたちと共産党軍の戦いは熾烈を極めるが、最初から勝ち目のない戦いであるとわかっているので読んでいて辛かった。テンバらの勇気や信念は彼らを逆に追い込んだのではとも思ってしまう。
 チベットの風土や文化が興味深いのだが、個人的に少々苦手な部分も。チベット仏教の寛容性や複雑さが描かれる一方で、父系社会文化はマチズモが強く荒っぽい。特に男性は単純な「強さ」にこだわる。子供時代のテジンらはある行為で仲間に勇気を示すがそれって馬鹿馬鹿しくない?と思ってしまった。そういう文化だといえばそれまでなのだが、こういう価値観の中では生きたくないな…。

白い鶴よ、翼を貸しておくれ
ツェワン・イシェ・ペンバ
書肆侃侃房
2020-10-05


月と金のシャングリラ 1
蔵西
イースト・プレス
2020-04-17


『死亡通知書 暗黒者』

周浩暉著、稲村文吾訳
 2002年、ベテラン刑事が自宅で何者かに殺された。彼が追っていたのは復讐の女神「エウメニデス」を称した犯行と思われた。犯人は、ネットで死ぬべき人物の名前を募り、予告殺人を繰り返していたのだ。エウメニデスから挑戦を受けた刑事・羅飛は新たに結成された専従班とともに、連続殺人を阻止するため奔走する。事件は18年前の警察学校生爆殺事件との繋がっている可能性があり、羅飛はその事件の関係者だったのだ。
 どことなく日本の新本格ミステリを思わせる作品で、何だか懐かしかった。一方で派手な事件の連打、かつ予告殺人という形式で捜査のタイムリミットを次々と設定していくスピーディーかつ引きの強い構成は、連続ドラマっぽくもあった。よくよく考えると(いやよくよく考えなくても)かなり強引でそれは無理だろ!と突っこみたくなる所も多いし、逆に何でそこに気付かない体で引っ張るのか?一番最初に思いつくことでは?という所もある。また、終盤での風呂敷のたたみ方の性急さは気になった。前ふりに対して説明が終盤に集中しすぎというか、急に説明し始めた印象になってしまう。良くも悪くも派手で大味なように思った。とは言え、読んでいる間は飽きさせないぞというサービス精神に溢れている。なおシリーズ第1作で完結していないので注意。


『私的読食録』

角田光代・堀江敏幸著
 古今東西の小説や随筆、日記などの作品に登場する様々な「食」は、なぜか読者の記憶に残るもの。「食」を作家たちがどのように描写してきたかを、同じく作家である2人が鋭く読み解き紹介していく。
 角田著と堀江著が交互に配置された食べ物エッセイ。食べ物といっても文学の中の食べ物なので、作家によっては食べ物の質感や味に全く頓着せず、便宜上料理名を出しただけ、というようなこともある。一方で読んでいるだけでよだれが出そうな、実に美味しそうな描写、またこれはいったいどういう味なんだろうと想像が膨らむ描写もある。文学の中の食って、なんでこうも興味掻き立てられるのだろうか。下手すると実際の食よりも全然面白い。特に児童文学の中の食は、食の経験値が低い子供の頃に読むからか、まだ知らない世界に対するあこがれの糸口になる。本著中でも児童文学の中の食(「甘パン」とか)が登場するが、本当にしみじみと食べたかったもんなぁ…。
 ピンポイントで食に関する記述を探し出し掘り下げていく著者2人の読者・批評家としての力量も光る。2人の傾向がちょっと違うのも面白い。角田の書き方の方がより食べたくなる、堀江の書き方はその記述の出てくる作品を読みたくなる方向性だと思う。

私的読食録(新潮文庫)
角田光代
新潮社
2020-11-30


『シカゴ・ブルース』

フレドリック・ブラウン著、高山真由美訳
 シカゴに暮らす印刷会社の植字工見習いのエドは、植字工である父親と義理の母妹と暮らしている。ある日父親が路地裏で殺された。エドは移動遊園地で働くおじのアンブローズと共に犯人を追う中で、父親の過去を知っていく。
 フレドリック・ブラウンというとSFの巨匠というイメージだが、私は実はミステリ作品の方が好きで、特に本作はベストだと思っている。青田勝による旧訳版はかなり古めかしく、アンブローズももうちょっと荒っぽハードボイルドな感じだったのだが(当時の感想はこちら)、この新訳だと理知的な側面が前面に出ている。さわやかな青春ミステリとしてよりブラッシュアップされた新訳で、読みやすかった。エドは自立心と好奇心があり賢い18歳だが、まだ大人というわけではない。彼が大人への道を進んでいく成長物語として清々しいのだが、強制的に大人への道を進まされてしまう、大人として振舞わざるを得ないという苦さも感じる。父の後妻であるマッジへの対応や、義理の妹であるガーディとの距離感など、エドが結構いっぱいいっぱいになっている感じがユーモラスでもあるのだが、少々痛ましくもあった。ともするとやさぐれてしまいそうなところ、そうはできないのがエドの魅力なのだ。

シカゴ・ブルース【新訳版】 (創元推理文庫)
フレドリック・ブラウン
東京創元社
2020-09-30


シカゴ・ブルース (創元推理文庫 146-15)
フレドリック・ブラウン
東京創元社
1971-01-01



『死んだレモン』

フィン・ベル著、足立眞弓訳
 フィン・ベルはニュージーランドの南の断崖で、車いすごと宙づりになっていた。ことの起こりは「数カ月前。酒におぼれた末、交通事故で車いす生活になり、妻とも別れたフィンは、田舎町にコテージを買い移り住んだ。26年前、コテージの前の持ち主の娘が行方不明になるという未解決事件が起きていた。隣にすむ三兄弟の関与を疑ったフィンは、当時のことを調べ始めたのだが。
 出版元(東京創元社)がやたらと持ち上げるし各所絶賛!とぶち上げてくるので逆に疑いの目で見てしまっていたのだが、確かに面白い。私はいわゆるノンストップサスペンスが苦手なのだが、本作はそれとはちょっと違う。帯の「1ページ目から主人公が絶体絶命!」という文句は確かにその通りなのだが、本作の面白さのポイントはそこではないのだ。フィンがこういう状況に至るまでの数か月間をカウントダウンのように描いていくが、意外と早い段階で伏線が張られていたり、後から振り返るとなるほどなというミスリードが設定されていたりと、ミステリとしては勢い任せではなく結構きちんと展開している。また、ニュージーランドの風土や歴史にまつわる要素が多く盛り込まれていて、ご当地ミステリ的な面白さも。恥ずかしながらアフリカ系移民が多い(というかそもそも移民が多い)ことを初めて知りました。
 本作には非常に悪い奴らが出てくるが、悪の在り方が興味深い。社会の枠組みの上にある悪と、それを全く無視した俺ルールの悪があるのだ。どちらもお近づきにはなりたくないが、社会的な損得概念を持たない悪の方が厄介かな。

死んだレモン (創元推理文庫)
フィン・ベル
東京創元社
2020-07-30


アニマル・キングダム [DVD]
ルーク・フォード
トランスフォーマー
2012-09-07




『消滅世界』

村田沙耶香著
 人工授精で子供を産むことが定着し、セックス自体が減少している世界。夫婦間のセックスは「近親相姦」としてタブー視されていた。両親が愛し合ったうえのセックスで生まれたと母親から教え込まれた雨音は、母親に嫌悪感を抱き続けてきた。夫との結婚生活は清潔で、夫以外の人間やキャラクターとの恋愛を重ねていくが、出産を計画し実験都市「楽園」に移住する。
 小説単体としては「こういう世界ですよ」という説明に偏りがちな書き割りっぽさがあり、『コンビニ人間』に比べると物足りなかった。とは言え、ディストピアかはたまたユートピアかという世界の造形は面白い。セックスと出産が切り離されている世界は女性にとってはある意味ユートピアだが、「楽園」のように全て一律に「子供ちゃん」「おかあさん」という役割をあてはめられるとディストピア感が一気に増す。雨音は人間の恋人もキャラクターの恋人(フィクション内の登場人物への思慕も一律に恋愛も途切れず、性愛志向も強い。かなりの恋愛体質と言えるのだが、「楽園」に移住した後、徐々に恋愛への欲求は減っていく。恋愛は極めて個人的なもので、一律に「おかあさん」をやる社会とは真逆ということなのか。
 恋愛はほぼ娯楽として扱われており必ずしもセックスを伴わないというのも、ユートピアと言えるのかもしれない。社会的なしがらみ、肉体のしがらみなく恋愛の楽しい所だけ味わえるのだから。ただ、恋愛というタスク自体はなくならないという所に、何かの限界みたいなものを感じた。雨音にしろ母親にしろ、人間は本来こういうものなはず、恋愛感情の伴うセックスは自然なものなはず、性愛は人間に欠かせず出産はセックスを経たものが自然なはず等々の考えをもっているが、本作で描かれるのはその「はず」のうつろう様、人間がいかようにも適応していく様だ。一見異端な雨音は実のところどこにいても「正常」だという反転が皮肉だ。

消滅世界 (河出文庫)
村田沙耶香
河出書房新社
2018-08-10


コンビニ人間 (文春文庫)
沙耶香, 村田
文藝春秋
2018-09-04


『植物はそこまで知っている 感覚に満ちた世界に生きる植物たち』

ダニエル・チャモヴィッツ著、矢野真千子訳
 資格、聴覚、嗅覚、位置感覚、記憶などの感覚を駆使し、生存戦略を図る植物たちの世界。動物の知能とは異なるが、彼らは生存の手段を「知っている」。科学により明らかになってきた植物の世界を紹介する一冊。
 植物が持つ光に対する感度や、化学物質の変化により仲間・環境の異変を受信する能力、空間把握能力は、人間のそれと一見似ており、いわゆる知能があるかのように感じてしまう。葉が害虫に荒らされると発せられる化学物質を感知して自衛するとか、重力に反応して一定方向に根を張れるとか、そんな機能あるんだ!と新鮮だった。あまりによくできているので、つい人間の五感になぞらえたくなる。本著内でも植物の音楽の好みを研究した疑似科学論説について言及されていた(いつの時代もスピリチュアルは大衆受けするのだな…)。が、著者は植物を擬人化することを注意深く避けている。植物の感覚は植物の生態に即して進化したもので、人間が言う所の知能は持たない。別の生物として考察・研究し理解していくことが科学のやり方なのだ。研究方法の発展や新しい概念・知識の獲得(電気信号も化学物質もDNAも、人間が「知った」のは植物の歴史に比べると全然細菌だ)によって植物の生態が解明されていくという、科学史としての側面もある。








 

『女性のいない民主主義』

前田健太郎著
 日本の政治家は先進国の中では異例といっていいほど男性が大多数で、男性に政治権力が集中していると言える。女性が政治に参加しにくい原因はどこにあるのか。女性が参加していない「民主主義」はそもそも民主主義と呼べるのか。ジェンダー視点から日本の政治を読み解く。
 何しろ日本はジェンダーギャップ121位(2019年)なので、男女ともに(まあ主に男性にでしょうが)必読な1冊では。女性政治家が少ない状況について、女性には向いていないからということが往々にして言われるが、資質の問題ではない。社会が女性に要求してくるもの、社会的な通念が何重にも妨害してくるのだ。そしてその妨害は、男性からは見えないのだ。この男性からは見えないということこそ、男性主体で社会の仕組みが作られているということだ。それは適切な民主主義とは言えないだろう。世の中の片側からだけの見方なのだから。クォーター制のように半強制的に女性を増やしていくしかないのか(男性から見ると不公平に見えるのかもしれないが、そういうことではない)。
 本著では各国の政治における女性参画の経緯や民主主義の定義から日本の政治の問題を紐解いていく。しかし日本の場合、政治以前に慣習的な性的役割観が今だ根強く、これを払しょくしていかないとならないかと気が遠くなる…。切実に辛くなってきちゃうよ…。

女性のいない民主主義 (岩波新書)
健太郎, 前田
岩波書店
2019-09-21


『11月に去りし者』

ルー・バーニー著、加賀山卓朗訳
 1963年。ニューオリンズのギャング・ギドリーは、ケネディ大統領暗殺のニュースに嫌な予感を覚える。数日前に依頼された仕事は暗殺に絡んでいるにちがいない、そして口封じのために自分は狙われているに違いないと。因縁のある人物を頼って西へ向かう道中、夫から逃げてきた母娘と知り合う。ギドリーは家族連れに見せかけたカモフラージュに利用するため、その女性シャーロットに声を掛ける。
 正直、前半はあっちこっち迂回するような展開がかかったるくて、気分が乗らないなと思いつつ読んでいたのだが、ギドリーの人生とシャーロットの人生が交錯した時点から、ぐっと面白くなってきた。人生を「変えられた」のがギドリーで、「変えた」のがシャーロットなのだ。シャーロットがおそらく本来彼女が持っていた資質をどんどん発揮していく、ある意味開き直っていく様が清々しいのだ。ケネディ暗殺という史実を背景にしているが、それはさほど大きな要素には感じられなかった。自分の人生に自信満々だった男が陰謀に巻き込まれたこと、1人の女性に出会ったことで大きく揺さぶられていく。彼が大きく人生の方向性を変える瞬間もまた清々しいが、同時に物悲しくもある。

11月に去りし者 (ハーパーBOOKS)
ルー バーニー
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2019-09-17


ガットショット・ストレート
ルー・バーニー
イースト・プレス
2014-08-20


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