3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『紳士と猟犬』

M・J・カーター著、高山真由美訳
 1837年、東インド会社はインドの大半を支配していた。読書好きの若き英国軍人ウィリアム・エイヴリーは、ジェレマイア・ブレイクという英国人に親書を届ける任務を命じられる。ブレイクはインドに精通し何か国語も操る有能な男だというが、東インド会社には反抗的で、隠遁生活を送る変人だと言う。ブレイクへの指令は、失踪した著名な詩人ゼイヴィア・マウントスチュアートの捜索。それにエイヴリーも同行することになった。大ファンであるマウントスチュアートの後を追う任務とは言え、現地に馴染んだブレイクの振舞いはエイブリーには理解できず、不満はつのるばかりだった。
 英国植民地下のインドが舞台だが、エイヴリーは現地の言葉は理解できないし文化にも無知で、インドに嫌気がさしこの国を見下している。野蛮な生活様式を英国文化で近代化できるのだから、英国が統治するのは妥当、むしろ良いことだというわけだ。これは当時の一般的な英国人の価値観で、エイヴリーが特に無知で愚かというわけではない(エイヴリーは決して頭のいい人ではないけど・・・)だろう。時代小説として、当時の植民地を巡る考え方、価値観が描かれている部分が(その嫌さを含め)面白い。自分たちの正しさを疑わないということは、どんな形であれちょっと恐ろしいのだ。その疑わなさをり
 エイヴリーとブレイクのバディシリーズ(日本では未翻訳だが続編がある)だが、本作ではまだバディとは言い難い。少々浅はかな若者であるエイヴリーの行動はブレイクをイラつかせ、インド文化を尊重するブレイクの言動はエイヴリーに不信感を持たせる。そんな状態が長いので、双方が少しずつ相手を認めていく様にはちょっとホロリとさせられた。またバディという面では、ブレイクとマウントスチュアートの「かつてのバディ」感を匂わせるやりとりにはニマニマしてしまう。続編が出たら読みたい。

紳士と猟犬(ハヤカワ・ミステリ文庫)
M・J・カーター
早川書房
2017-03-09


ジャングル・ブック (新潮文庫)
ラドヤード キプリング
新潮社
2016-06-26


『ジャック・グラス伝:宇宙的殺人者』

アダム・ロバーツ著、内田昌之訳
 遥か未来の太陽系、人類はウラノフ一族を頂点とする階層制度に組み込まれていた。その制度を脅かす宇宙的殺人者ジャック・グラス。彼が遭遇する事件は、絶対不可能に思えるものばかりだった。プロローグでいきなり「読者への挑戦」をかましてくる、ただし犯人はジャック・グラスに確定されているというなかなかの見得のきり方。
 著者にとっては古典SFと古典本格ミステリの融合を目指した作品だそうだが、SF要素はかなりハード、対してミステリ要素は一歩間違うとバカミスという(特に1本目のオチはそ、それ大丈夫なの~?!と吹きそうになる力技)かなり奇妙な味わい。しかしミステリとしての解答がSF設定と合致している、SFあありきのミステリなあたり、やはりSF濃度の方が高いんだろうなぁ。作中、流れ出た血が地面に平べったくなっているのを見て登場人物が違和感を感じるシーンがあるのだが、基本無重力に近い世界なので、液体は粒上になって空中に浮遊する、「地面に血が流れる」という現象自体が滅多にないということなんですね!




『少年が来る』

ハン・ガン著、井出俊作訳
 1980年、韓国全羅南道の光州を中心に起きた民主化抗争、光州事件。戒厳軍の武力鎮圧によって、未成年を含む多数の市民が犠牲になった。抗争の中で生き残った者、死んでしまった者、そして残された者たちが自らの人生を語り始める。
 先日読んだ千雲寧『生姜(センガン)』と裏表のような作品だった。『生姜』は軍の側から、本作は鎮圧された市民たちの側から暴力が描かれる。光州事件については何となく知っていると言う程度だったのだが、こんなに死者が出ていたのかと茫然とした。殺された者の言葉として、ありありと状況が立ち上がってくるのだ。生き残った者も、死者の遺族も、暴力の記憶。喪失の記憶に苦しみ続ける。多くの人の人生が一つの出来事で決定的に蝕まれてしまうということが、ひしひしと伝わってくるのだ。事件の調査に当たり生存者の証言を収集する研究者に対しする証言者の言葉の節々には、(その場にいなかった)あなたに何がわかるのかという怒りとも諦念ともつかない感情が滲み、言語化しつくせない苦しみを言葉として残すというのはどういう試みなのか、また茫然とするのだ。




『島とクジラと女を巡る断片』

アントニオ・タブッキ著、須賀敦子訳
クジラたちと捕鯨手たちの関係の歴史、クジラを眺める男女の会話、居酒屋の歌手が辿るある女性の記憶等、海と島、そしてクジラを巡る連作短編集。
ごくごく小さな、しかし目を離し難い魅力のある素描を集めたような小品。素描といえば、どの短編もいつになく映像が目に浮かぶ作品だった。アソーレス諸島の小さな島々を巡るような、題名の通りの「断片」感がある。人間の視線、クジラの視線、そして島々そのものの視線が交錯するような、こちらの世界からあちらの世界へふっと視座がずれるような不思議な魅力。この定点に定まらない感じが浮遊感とはかなさを産んでいる。原題とは題名が異なるのだが、訳者あとがきを読むとこの邦題でよかったと思う。また文庫版で読んだのだが、堀江敏幸による解説は的確で理解の手助けになった(というか、解説を読んで作中のあまりに多くのものを見落としていたことに愕然としたね・・・!文学の素養が圧倒的に足りない・・・!)

島とクジラと女をめぐる断片 (河出文庫)
アントニオ タブッキ
河出書房新社
2018-03-03


新編 不穏の書、断章 (平凡社ライブラリー)
フェルナンド・ペソア
平凡社
2013-01-12

『少女 犯罪心理捜査官セバスチャン(上、下)』

M・ヨート&H・ローセンフェルト著、ヘレンハルメ美穂訳
 小さな町で一家四人が惨殺死体で発見されるという事件が起きた。凶器の散弾銃から近所の住人が容疑者が浮上するが、決定打に欠ける。地元警察から妖精を受け。トルケル率いる国家刑事警察殺人捜査特別班が捜査にあたることになった。犯罪心理捜査官のセバスチャンも同行するが、ある事件によりトルケルとの仲は険悪、またヴァニヤとの関係も微妙なままだ。そしてビリーはセバスチャンに関わる一つの疑念を強めていた。
 シリーズ4作目。3作目のラストがえらいことになっていたが、その顛末は本作で判明する。あーそうなりましたか・・・。これだけでもえらいことなのだが、本作では更に特別班の人間関係が更に変容していきそうな兆しが見えてくる。ちょっと視聴率が下がり気味のTVドラマのテコ入れみたいな唐突感あるんだけど・・・。あとキャラに後付で色々盛ってくるのやめてほしいんだけど・・・。特に前作同様、こういうラストの作り方は頂けない。小説として面白いだけに、こういう過剰さ・あざとさがノイズになって勿体ないと思う。セバスチャンに関しては、今回は今までとは打って変わって「いい人」としての姿を見せる。しかし、それは純粋に使命感や正義感によるものとは言いにくい。自分では見ないようにしている自身の身勝手さが、非常に痛烈な形で自身に跳ね返ってくるのだ。これに懲りて克服できるのか、自分を変えられるのかが今後のシリーズの肝なんだろう。





『シャーロック・ホームズの栄冠』

ロナルド・A・ノックス、アントニイ・バークリー他著、北原尚彦訳
 コナン・ドイルが生み出した、世界一有名な探偵シャーロック・ホームズ。誕生から現在に至るまで約130年間、様々な作家による新たなホームズ物語が生み出されてきた。その中からホームズ研究者でもある訳者の選出による、名品から珍品まで収録したアンソロジー。
 大御所ではA・A・ミルンやロス・マクドナルド(まだロスマクが学生だった頃の作品なんだとか。流石に他愛ないです)、アントニー・バークリーら。そしてホームズ研究家やパスティーシュ作家らの作品を収録しておりバラエティに富んでいる。作品の傾向により5部構成になっており、色々な味わいのもが楽しめる。一口にパロディ、パスティーシュと言っても、あたかもコナン・ドイルが書いたようなトーンに合わせているものもあるし、名前や舞台をもじったパロディ、全くのギャグに寄せてきたナンセンスものなど、幅が広い。とは言え、すごく面白いかというと正直そうでもないんだよな・・・。原典を読んだ記憶がかなり薄れているというのもあるし、作品が経年に耐えきれなかったというのもあるだろう。私がそこまでコアなホームズファンではないというのが一番大きいんだろうけど。第5部「異色篇」収録作品が比較的面白く感じられたのも、そういう理由なんだろう。

シャーロック・ホームズの栄冠 (創元推理文庫)
ロナルド・A・ノックス
東京創元社
2017-11-30





『人生の段階』

ジュリアン・バーンズ著、土屋政雄訳
 1783年に物理学者ジャック・シャルルが、初めて水素気球で空を飛んだ。1878年、女優のサラ・ベルナールはパリ中心部から気球で飛び立った。1888年、英国近衛騎兵隊大佐のフレッド・バーナビーはドーバー・ガスの工場から気球で飛び立ちイギリス海峡を越えフランスに着地した。熱気球の歴史をひもとく一部、熱気球に魅せられたサラ・ベルナールとフレッド・バーナビーの恋を描くフィクションの二部、そして、妻を突然亡くした著者自身の追想がつづられる三部から成る。
 一部、二部は明らかに「気球」という共通項があるのだが、三部には共通項がなさそうに見える。しかし、本作の中心となるのは三部に違いないだろう。妻の死への深い悲しみと、それ故の自分を励まそうとする人や、逆に妻の思い出を(著者への配慮や居心地の悪さからだろうが)避けようとする人たちへの反発。また、同じような体験をした人同士でも共感し得ない、理解できない領域があるということ等、感情的な書き方ではないだけに痛切だ。悲しみを癒すのは時間だとはよく言ったもので、数年経つうち、著者は何を見ても聞いても辛いという状況から、徐々に距離を保てるようになっていく。とは言え悲しみが消えることはなく、何かの拍子にぐっと近づく。この不安定さが、距離を保たねば地上に落ちてしまう、風向きによっては目的地以外に流されてしまう気球のあり方と著者の中では呼応したのかもしれない。

人生の段階 (新潮クレスト・ブックス)
ジュリアン バーンズ
新潮社
2017-03-30


フロベールの鸚鵡
ジュリアン バーンズ
白水社
1989-10

『小説の言葉尻をとらえてみた』

飯間浩明著
 小説のストーリーを追うのではなく、文章の中でどういう単語が使われているか、どのような使われ方をしているかに着目した、『三省堂国語辞典』編集委員である著者による用例採集コラム。
日本語用例にのみ着目したブックガイド(になっているのかな?)という珍しい1冊。小説を普通に読んでいると違和感なく流してしまうところ、辞書編集委員の手にかかるとこんなにいろいろ着目すべき所が!なかなか新鮮だった。この単語がどう使われているか、という文法上の「謎」をフォーカスしているので、いわゆる小説の内容にはさほど触れていない。しかし、この単語をこのように使う、という面から、その小説の背景、時代や場所の設定や読者層の想定等が垣間見えてくることがあり、そこが面白い。単純にこういう言葉の使い方も事例があるのか!という発見もある。本作の文章はあまりこなれていないのだが、着目の仕方が面白い。それにしても、類似の用例をよく見つけられるよなーと感心する。最初の使用例がどの作品かなんて、古典はもちろん古文書までカバーしてないとわからないよ・・・。
 なお、著者は従来の使い方からずれているような用例に対しても、即座に否定するようなことはしない。言葉は変容していくもので、柔軟性がある。この場では、この使い方が作家にとってはベストだったのだと考える。原理原則を無理強いしない姿勢には好感が持てた。





『死者と踊るリプリー』

パトリシア・ハイスミス著、佐宗鈴夫訳
様々な後ろ暗い秘密を抱えつつ、パリ郊外で妻と優雅な暮らしを続けているトム・リプリー。ある日、近所の借家にプリッチャード夫妻なるアメリカ人夫婦が引っ越してきた。プリッチャード氏はこっそりとリプリー家の写真を撮り、なぜかトムに近づこうとする。どうやらトムがかつて犯した犯罪のことを知っている様子なのだ。旅行先にまで追ってくるプリッチャードに不気味さを感じるトム。
『贋作』の展開の後日談的な作品であり、リプリーシリーズ最後の作品。これまで金や保身の為に犯罪に手を染め、その都度まんまと逃げおおせてきたトムだが、今回は過去の犯罪が彼を追いかけてくる。プリッチャードは贋作絡みの件だけでなく、ディッキーの件の真犯人もトムだと確信しているようなのだ。とは言え、プリッチャードの目的は金銭目的の強請などではない。単純にトムを追い詰め、怖がらせたいらしいのだ。サイコパスVSサイコパス的な様相も見せ、シリーズ中最も気持ちが悪い。恨みや金銭目的ならわかるが、たまたまそこにいたから(プリッチャード夫人の話によると、だが)悪意のターゲットにされるというのは、はっきりとした関係性がないからこそより得体が知れず怖い。トムが一方的にプリッチャードの中に過去の亡霊を見ているとも言えるのだが。後ろ暗さを捨てきれないところが、トムの人間らしい部分でもある。とは言え、いざとなると平気で犯罪行為に踏み切れるストッパーのゆるさもまたトムという人の面白さなのだが。

死者と踊るリプリー (河出文庫)
パトリシア・ハイスミス
河出書房新社
2003-12-07


贋作 (河出文庫)
パトリシア ハイスミス
河出書房新社
2016-05-07

『書架の探偵』

ジーン・ウルフ著、酒井昭伸訳
生前の作家の脳をスキャンし、リクローン(複生体)にした“蔵者”が図書館に収蔵されている世界。蔵者の一人である推理作家E・A・スミス(のリクローン)の元を、コレット・コールドブルックと名乗る女性が訪ねてくる。父親に続いて兄を失くした彼女は、兄にスミスの著作である『火星の殺人』を手渡されていた。この本が兄の不審死の謎を解く鍵になるのではと考え、コレットはスミスを借り出す。しかし2人は何者かに狙われていた。
人間(リクローンとは言え)がいわば生きた本となっている未来の世界。生きる著者(のコピー)に会えるなんて面白いかも・・・とちょっと思ったが冷静に考えると結構ひどいシステムだ。リクローンたちは「純正の人間」と同じような意識を持ち肉体的にも人間と変わらない。しかし図書館からの無断外出は禁じられ、貨幣も持たず、作家としての意識はあるのに著述は禁じられている。これって非人道的だよな・・・(ウルフの作品て、さらっと非人道的なシチュエーションが挿入されるよな)。更に、彼らが生きる世界(純正の人間の世界)のディストピアな様相も垣間見えてくる。人口自体が減り、人類が無気力に傾きつつあるようなのだ。そんな世界を変えるかもしれない火種を掴みつつ、スミスが最終的に着地するのが「探偵」であるところが渋い。彼が意図するのは、「彼女」の物語を完結させることであったとも言える。そういう意味では、リクローンであれ彼は作家なのだ。

書架の探偵 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

ナイト I (ウィザード・ナイト)
ジーン・ウルフ
国書刊行会
2015-11-13


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