3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『THE MATCH ザ・マッチ』

ハーラン・コーベン著、田口俊樹/北綾子訳
 幼い頃にたった一人で森の中で育ったワイルドは、DNA鑑定サイトを利用して血縁者を探していた所、弁護士ヘクターの協力を得て父親と思われる人物に行きあたる。しかし母親が誰なのか、なぜ自分が森に捨てられたのかはわからないままだった。そんな折、母方の血縁者らしき人物から鑑定サイトを介して連絡が入る。彼はリアリティショーのスターだったが大炎上し、姿を消していたのだ。
 『森から来た少年』に引き続いての調査員ワイルドシリーズ2作目。今回はイルドが自分の生い立ちの謎に向き合う、早くもシリーズの一つの節目とも言えそうな物語。それと並行して、亡き親友の妻であるレイラとの関係にも向き合わなければならない。ワイルドは冷静で思慮深い人物だが、こと自分の個人的な問題と向き合うことについては後回しにしがち。レイラとの関係は前作の時点で既にはっきりしろよ!と言いたくなったが、今回はレイラの息子にぐさりと正論を言われる。血縁者探しをきっかけにワイルドの人生が良くも悪くも大きく動き出すのだ。更にへスターとオーレンのカップルにも大きな岐路が訪れるが、これに対するへスターのスタンスは年齢を重ねた人ならではだと思う。
 近年のコーベン作品は現代ならではのトラブルや犯罪、そして私刑とはどういうことかを描くことに注力しているように思う。本作ではネット上の自警団が登場する。序盤はこれがワイルドとどう関わるの?と思っていたが、なるほどそうきたか!と唸らせる所はさすが。ある一人称パートの仕込みというかかわし方というかも、ベテランの手慣れた手つきを感じる。DNA鑑定サイトの気軽さや、リアリティーショーの過熱加減には日本との文化の違いを感じた(日本でもリアリティーショーが引き起こした悲劇はあったが、アメリカは規模が違う感じ)。本作の仕掛けはDNA鑑定がポピュラーな世界でないと成立しないだろう。

THE MATCH (小学館文庫)
ハーラン・コーベン
小学館
2023-11-07





森から来た少年 (小学館文庫)
ハーラン・コーベン
小学館
2022-01-07









『サキの忘れ物』

津村記久子著
 高校をやめて病院の中の喫茶店でアルバイトをしている千春。常連客の女性が置き忘れた本を預かるが、それは「サキ」という外国人が書いた短篇集だった。今まで本を読みとおしたことがない千春だが、なぜかこの本を読んでみようと思う。表題作のほか、何かあやしげな観光地案内(「ベチュニアフォールを知る二十の名所」)、「あれ」を見るために延々と行列に並ぶ人々(「行列」)、昔懐かしいゲームブック仕立ての短編(「真夜中をさまようゲームブック」)等、バラエティに富んだ短篇集。
 表題作がすばらしい。千春は自分には夢中になれるものは何もないと思っている。自分の考えを上手く言葉にできず、少々うっとおしい友人の誘いを断ることもできない。しかし、サキの本と出合うことで、彼女の日々は少しずつ変わっていく。本が人の人生を変えるというのは読書家にとっての理想、あるいはきれいごとなのかもしれないが、でもこういうことも実際あるかもしれないし、人によって形は違ってもこういうことがあったから私たちは本を読み続けるのではないかと思わせる。とは言え、千春が動き出すのには本が切り口でなくてもよかったのかもしれない。例えば映画であったり絵を描くことだったりスポーツだったり、なんでもあり得る。きっかけが何であれ人生が動くタイミングというものがある。そしてその背後には他者の存在がある。むしろそこが肝心で、こういった形で繋がる関係があるという所に打たれるのだ。
 一方でディストピアSF的だったり些細な日常の光景が急に不穏になる不条理さだったりと、いわゆる「心温まる」要素皆無の作品も多い所が面白い。著者の作品を久しぶりに読んだのだが、こういうのもかける作家だったのかと認識改めた。

サキの忘れ物(新潮文庫)
津村記久子
新潮社
2023-08-29


サキ短編集 (新潮文庫)
サキ
新潮社
1958-03-18


『シンデレラはどこへ行ったのか 少女小説と『ジェイン・エア』』

廣野由美子著
 『赤毛のアン』『若草物語』『リンバロストの乙女』『あしながおじさん』等、少女小説に描かれてきた強く生きる女性たち。こういった主人公の物語はいつ、どのように生まれ広がっていったのか。『ジェイン・エア』が与えた影響と、そこから生じていく「ジェイン・エアの娘たち」的作品群を読み解く。
 『ジェイン・エア』の斬新さは主人公であるジェインが従順でもしとやかでもなく、意志が強く頑固で怒りを隠さず、パートナーと対等な関係(当時としては)を築こうとするところにあった。自立心旺盛なジェインのキャラクターは脱シンデレラ的。そのDNAを色濃く受け継いだのがイギリスではなくアメリカの女性作家たちだという所が興味深い。本著内で紐解かれているように、影響がかなり濃厚なのだ。やはり開拓民の国という背景も影響しているのだろうか。本国であるイギリスではそれほどダイレクトな影響が見られなかったというのは、基本階級社会で所属階層からの移動が困難だったからだろうか。系譜上にある作家としてルーマー・ゴッデンが紹介されているのだが、母親としてのジェイン・エアというひねりがきいている。ジェインの情熱が生みうる負の側面が垣間見え、これは現代的な切り口だと思う。
 ただ、個人的には本著で取り上げられている少女小説はどれも面白いが、すごく好きというわけではない。これらの小説の主人公たちは皆努力家で一途だ。だらしない女、怠け者な女は登場しない。ここに女性像の限界を感じてしまい、少々窮屈なのだ。だらしない男は愛嬌ある主人公になり得るが、だらしない女は洒落にならないとされる。著者はフェミニズム的な文脈で本著を書いたわけではないというが、少女小説を読むうえでは考えざるを得ないと思う。



『The Miracle of Teddy Bear(上、下)』

Prapt著、福富渉訳
 テディベアのタオフーはある日突然人間になっていた。心の支えは持ち主であるナットの存在だが、見知らぬ男の出現にナットは警戒心をあらわにする。ナットの母であるマタナーがタオフーを気に入ったおかげで一緒に暮らし続けることはでき、家の中の「物」たちの協力のおかげで徐々にタオフーはナットの信頼を得ていく。しかしナットもマタナーも過去に受けた傷を抱え続けていた。
 ティディベアとその持ち主によるファンタジーラブコメBLという側面がある一方で、最後の最後まで謎をひっぱるかなりてんこ盛りなミステリでもある。タオフーがなぜ人間になったのかという大きな謎があるものの、その他にも謎が次々と提示され伏線も重層的、かつ犯罪も起きている。しっかりミステリなのだ。そもそも物語の語りにたまに一人称が混じるが誰視点なの?単に作家が下手なの?と思っていたら、なるほど!と。
 謎の背景にはかなわなかった愛、こじれてしまった愛、また恋愛に限らず家族愛であったり友愛であったり、様々な愛が横たわっている。愛は厄介なのだ。特にナットとその両親の愛を巡るエピソードは結構重く、愛が時に人の弱さ醜さを露呈させてしまうということを如実に示している。しかし人を救うのもまた愛であるということを強く打ち出した物語だ。タオフーが謎と相対していくのは一重にナットへの愛、彼の傷を癒したいからだろう。それはぬいぐるみとしての本分でもあり恋人としての本分でもあるが、同時に謎を解くことはタオフーの存在を危うくすることにもなっていく。人間となり欲望を知ったタオフーがどのような選択をするのかという点が、本作の肝ではないか。
 全体の構成や伏線の張り方のこなれ感に対して文章はぎこちない、達者とは言い難い印象だったが、これは作家が慣れないタイプの作品を書いたからなのか?それとも翻訳の影響なのか?日本語だとこのシチュエーションでこのワードはちょっと使わないなという点が散見されたので気になった。


The Miracle of Teddy Bear 上
Prapt
U-NEXT
2023-08-01


こんとあき (日本傑作絵本シリーズ)
林 明子
福音館書店
1989-06-30





『サン=フォリアン教会の首吊り男〔新訳版〕』

ジョルジュ・シムノン著、伊禮規与美訳
 オランダとドイツの国境にあるノイシャンツ駅で不審な男を見かけたメグレは、男の鞄と自分のものとすり替え、男を尾行する。しかし男は鞄がすり替わっていることに気付くと苦悶の表情を見せ自殺してしまう。ショックを受けたメグレは鞄の中身を確認するが、汚れた古いスーツが入っているだけだった。男は一体何者なのか。
 メグレの出来心が男の死を招いたということが明確なので(そもそも最初は調査対象でもなんでもない男だったから)、メグレの自責の念は強い。その念に突き動かされるように国境を越えて捜査を進めるのだが、その中で男の素性、そして彼の人生の痛ましさが見えてくる。更に過去のある事件との関係も浮かび上がってくるのだが、この関連の裏付けを取るための追いかけっこ的展開は警察小説ぽくて面白い。また当時の資料の保管のされ方が垣間見えるのも新鮮だった。
 過去の事件は起きたこととしては犯罪なのだが、その起き方はメグレが引き起こしてしまった事態と似通っている。そんなつもりはなかったのに、ちょっと本気になりすぎただけなのにというものだ。あの瞬間さえなければという悔恨と罪悪感が関係者を蝕んでいく様が、彼らの現在が描かれることでより際立っていく。人間の強くなりきれないところ、追い詰められていく様の描写はシンプルなのだが凄みがある。悪人になりきってしまう方がずっと楽なのだが、普通の人間にはそれはできないのだ。メグレのある判断は、その蝕みへの同情なのか他人事ではないように思えたからなのか。それでいいのか?というもやもやも残るが、メグレが人間、人生をどのように解釈しているのかという側面が色濃く表れているように思う。


男の首 メグレ
ジョルジュ・シムノン
グーテンベルク21
2012-12-19






『最後の審判』

ロバート・ベイリー著、吉野弘人訳
 老弁護士トムの働きにより投獄された殺人鬼・ジムボーンが脱獄した。彼はトムへの復讐に燃え、彼の大切な人たちの命を狙う。癌で余命僅かと宣告されているトムは、病と殺人鬼の両方と対決していく。一方トムの弁護士事務所パートナーであるリックは、大手運送会社ウィリストーン家を相手取り大きな裁判を控えていた。
 トム・マクマートリーシリーズ完結となる4作目。トムが病を患っていることは前作で既に明らかにされているが、今回は病状が進み、人生の残り時間を本人も周囲もカウントダウンしていく段階にある。そういった状況で滅茶滅茶有能な殺人鬼と闘わなくてはならない。ジムボーンが殺人鬼として有能すぎ、かつ不条理な復讐心(本人にとっては「審判」だそうで、とにかく思い込みが激しい)に駆り立てられているのでかなり怖い。着実にトムの周囲に危害を加えていく過程が恐ろしいし、どうすればトムが苦しむのかを熟知している、それくらいトムへの執着が強いことがわかるので猶更だ。トムとその仲間たちが何とかジムボーンに対抗しようと戦う様はスリリングでクライマックスまで盛り上がるのだが、このクライマックス、私はあまり感心しなかった。確かにサスペンスとしては面白いのだが、このやり方だと法曹の人としてのトムやリックは敗北していることにならないか。父の死の謎への執念と復讐心でともすると道を外れそうなリックはともかく、トムはあくまで法の為に尽力し、法の下で正義を成そうとする人ではなかったか。この手段しか考えられなかったとしても、シリーズ3作目までの彼の判断を否定することになってしまう。それがアメリカの正義のあり方なのか。


『サボる哲学 労働の未来から逃散せよ』

栗原康著
 なぜ世の中では頑張って働き続けることが是とされているのか。心身を消耗させながら、やりたくない仕事をし、生きる為の金を稼ぐのか。ほんとうに辛ければ仕事など放棄して、いつでも逃げていいのではないか。世間で正しいとされている労働倫理に真っ向から立ち向かう、現代のアナキスト文人による1冊。
 大杉栄を筆頭に様々な思想家、社会学者だけでなく海賊、ハリエット・タブマン、親鸞等を引き合いに出し、現代社会で正しいとされている労働のあり方は本当に正しいのか疑問を投げかけていく。頻出する言葉は「やっちゃえ」。本当に辛いならそこから逃げることを「やっちゃえ」ばいいし、労働環境が悪辣ならば暴動を「やっちゃえ」ばいい。将来の計画ではなく、今を生きるのだ。いざとなれば「やっちゃえ」ばいいと思っていれば少し気持ちが軽くなり、生きることが怖くなくなるかもしれない。昨今、世の労働者は従順過ぎるし真面目すぎると思うことが多々あるのだが、本作は組織・体制に対する従順さも疑問視する(というかはっきり奴隷根性と言っちゃているね…)。もっと我儘でいいのだ。大事なのは自分の尊厳。全ての仕事はクソであるという立ち位置、非常に共感できる。
 また、物語というものの危うさをヴァージニア・ウルフの作品に絡めて指摘する部分も印象に残る。私が物語を好んで読むからということもあるが、魅力的な物語はその物語の為に奉仕させられてしまう・読者を動員するという側面がある。その物語を企業や国家が提供してくるときのきな臭さを忘れずにいたい。
 「万国の労働者よ、駄々をこねろ」というパワーワードが頼もしい。小説であれ随筆であれ批評であれ、中身はともかく文章のスタイルが確立されている人、文章のキャラが立っている人は強いということを実感した。


ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論
デヴィッド グレーバー
岩波書店
2020-12-24


『幸いなるハリー』

イーディス・パールマン著、古屋美登里訳
 アンティークショップの常連客の老婦人が怪我をし、店長のレニーは夫人の持ち物の整理を頼まれる(「介護生活」)。両親を亡くした少年トビーと、彼の親代わりである作家の伯母の生活と秘密(「フィッシュウォーター」)。人とは違う視覚を持った少年と家族の選択(「静観」)。人の生の微細なグラデーションを描く短編集。
 人生は明るさと暗さ、あるいは幸福と不幸に二分されているのではなく、その間のグラデーションの中をゆらゆら動いているものなのだろう。本著に収録されたどの作品の中にも、明確な幸不幸は描かれていない。生きていくしんどさはあるが動けなくなるほどではなく、幸せな瞬間はあるが光り輝くほどではない。それが普通なのだが、その普通さを丁寧に観察して記していく目の良さ、言葉のテクニックが随所に感じられる。一つの事象の中に様々な感情が込められており、一様ではないのだ。一見した世界の下にはもう一つの世界があったりもする。
 『金の白鳥』はクルーズ船が舞台で、乗客は当然豊かな人々だ。彼らの快適な旅は匿名の乗務員たちに支えられており、2つの世界は交わらない。しかしふとしたことでもう一つの世界があること、そこにも豊かな生があることを覗き見る。また『静観』では生まれ持った視覚により多彩な、しかし他人とは分かち合えない世界を生きてきた少年がある選択をする。表題作の『幸いなるハリー』は一見賑やかなある家族の話に見えるが、ちょっとした事柄の端々から、一家が抱えている不安や影が垣間見える。ただ、それらは幸不幸と簡単にジャッジできるものではない。常に光が差し込み、同時に影があるという割り切れなさ、面倒くささに真摯に向き合って描いた作品集だと思う。

幸いなるハリー
イーディス・パールマン
亜紀書房
2021-07-17


蜜のように甘く
イーディス・パールマン
亜紀書房
2020-05-26


『サムジンカンパニー1995』

 1995年、ソウル。大企業サムジン電子に勤める高卒の女性社員たちは、高い能力を持っていても学歴の壁に阻まれ、昇進できずにいた。しかしTOEIC600点を越えたら「代理」という肩書を与えられることになり、皆英語教室に通うように。そんな女性社員の1人ジャヨン(コ・アソン)も張り切っていたが、ある時、会社の工場が汚染水を川に流しているのを目撃。上司に訴えるものの、会社は隠蔽しようとする。ジャヨンは同僚のユナ(イ・ソム)、ボラム(パク・ヘス)を共に真相解明の為奔走する。監督はイ・ジョンピル。
 組織の中で立場の弱い人たちが、不正を告発するために歯が立たなそうな大きな組織に立ち向かっていくという王道かつ爽快な作品。ただ、爽快さにたどり着くまでには結構な苦い道のりがある。一山越えて普通ならこの辺で話が終わるだろうというところで、また一山が現れる。更に単なる入り口・枝葉かと思っていた設定に意味が出てくるあたり、ミステリ的な面白さもある。保身に走っていた人たちが徐々に団結していくチームもの的な醍醐味も加わり、エンターテイメントの盛りがいい。これは多くの韓国の娯楽映画に言えることだと思うが、サービス精神が旺盛(そこが個人的な好みと合致しないことも往々にしてあるが)だ。
 その一方で、当時の企業に勤める女性、ことに高卒社員に対する不公平な扱い、「ガラスの天井」が歴然と存在する様が、序盤から逐一描かれている。妊娠した先輩が上司からなじられて職場を去り、セクハラには泣き寝入りするしかなく、都合がいい時だけ「君がいないと仕事が回らない」と持ち上げられる。職場の花、適当な所で辞めてくれる雑用係的な見方しかされていないという立場だ。彼女らがほどほどの所で辞めることを企業側が期待しているということは、序盤で当事者から看破されているのだが、彼女たちはそれぞれ能力があるし、やりたい仕事もある。仮にそんなに意欲的でなかったり突出した才能がなかったとしても、最初から可能性が閉ざされている・一段下の存在として粗雑に扱われるというのはフェアではない。
 ジャヨンたちは女性社員の待遇向上のために立ち上がったわけではなく、地域住民に害をなすような会社の不正を止める為に戦う。が、おかしいことにはそれはおかしいと指摘し、不正を正そうとすることは、ひいては社内の、そして社会の不公正を正すことになっていく。本作の舞台から20年以上たった現在でも、「ガラスの天井」がなくなったわけではない。また組織による不都合の隠蔽もなくならないだろう。それでもその都度声を上げていくことで、少しずつ世の中が良くなっていくのではないかと思える作品だった。

サニー 永遠の仲間たち デラックス・エディション Blu-ray
ミン・ヒョリン
TCエンタテインメント
2012-11-02


『三体Ⅲ 死神永生(上、下)』

劉慈欣著、大森望、光吉さくら、ワン・チャイ、泊功訳
 圧倒的な技術力を持つ三体世界の太陽系侵略に対抗するべく地球文明が実施した面壁計画。一方で、三体の侵略艦隊に人類のスパイを送り込む階梯計画が進められていた。航空中エンジニアの程心はこの計画推進する。彼女に片思いしていた元同級生の雲天明は予想外の形でこの計画に関わることになる。
 ついに三部作完結!第三部、途中で、えっ三体…?となり、更にさ…三体ーっ!となる怒涛の展開でスケールがどんどん拡大されていく。宇宙とはかくも情け容赦のないものかと打ちひしがれそうになった。人類など言うまでもなく脆く儚い。本作、人間は個としても社会としても基本的に脆く強度を維持できないという諦念があるように思う。が、もう一方で、その弱点を排してしまったらもはや人類とは言えないのではという側面も描かれる。程心が拘る、というか逃れられないのは後者の要素だろう。ある意味利己的(生命体として存続し続けるという目的のみを考えると、程心の賭けは決して勝率が高いものではない)とも言える。人間の決断はどんなに超越的な人物であっても人間の枠にとどまるということか。程心たちも人間個々人という立場に立ち返っていく。
 人間のあり方と、作中でどんどん拡大されていく宇宙のあり方の対比が鮮やか、かつ人間の宇宙に対する追いつけなさが切ない。これぞSF!といった感じのスケール感で、一部より二部、二部より三部が盛り上がる(SF度も上がる)正しい「三部作」だった。

三体Ⅲ 死神永生 上
劉 慈欣
早川書房
2021-05-25


三体Ⅲ 死神永生 下
劉 慈欣
早川書房
2021-05-25



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