3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本題名さ行

『空のあらゆる鳥を』

チャーリー・ジェーン・アンダーズ著、市田泉訳
 魔法使いの少女パトリシアと、天才科学少年ローレンスは幼い日に出会い、お互いを唯一の理解者として成長していく。しかしある未来を予知した暗殺者のたくらみにより、2人は別々の道を歩むことになる。そして人類滅亡の危機が迫る中、成長した2人は魔術師と科学者という対立する組織の一員として再会する。
 パトリシアもローレンスもユニークな個性や突出した性能があるが、家族や学校には理解されない。ここではないどこかに行ければと願う孤独な子供だった。子供にとって親の無理解は致命的だが、特にパトリシアの両親と姉のふるまいはかなり極端(これ虐待じゃないの?というくらい)で、彼女と断絶している。ちょっと戯画的すぎて作中の他の部分とのトーンの違いが気になってしまった。こういう部分だけでなく、作中の科学技術の水準とか魔術とされるものの定義や、魔術師の組織あるいは科学者の組織の構成やその目的など、つじつまが合うんだか合わないんだか微妙だったり、パトリシアやローレンスがどういう経緯で組織の中で働くようになったのかなど所々あっさり割愛されていたりで、全体的に描いている部分と描いていない部分の落差が大きいように思った。つじつま合わせや伏線回収にはあまり熱心ではない(子供時代のパトリシアに対する「樹」からの問いの回答など、なんだそりゃという感じだし)。そもそもどの時点で人類滅亡の危機の持ち出し方は唐突だし、科学と魔術、人類と自然という対比もわりと安直だ。
 ただ、そこは作中それほど重要な部分ではないのだろう。強く印象に残るのは少年少女の孤独さであり、世界からはみ出てしまった心もとなさだ。心もとなさ故に2人は惹かれあうが、やがてそれぞれが所属するはずの世界においても、お互いの存在故にはみ出していってしまう。その如何ともしがたい関係性、引力が本作を構成している。そして全く異なる個性同士の共通項と融合という所に、破滅から逃れる希望がほのかに見える。

空のあらゆる鳥を (創元海外SF叢書)
チャーリー・ジェーン・アンダーズ
東京創元社
2020-05-09


『三体Ⅱ 黒暗森林(上、下)』

劉慈欣著、大森望・立原透耶・上原かおり・泊功訳
 人類に絶望した天体物理学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)が宇宙に向けて発信したメッセージは「三体」世界に届き、三体世界の巨大艦隊が地球に向かって刻一刻と近づいていた。地球世界は国連惑星防衛理事会を設立し防衛計画に取り組むが、人類のあらゆる活動は地球のあらゆる場所に散布された極微スーパーコンピューター「智子(ソフォン)」に監視され人類の計画は三体世界に筒抜けになっていた。これに対抗し「面壁計画」が発動し、人類の未来は4人の壁面者に託される。
 大ヒット中国SF三部作二作目。一作目はこんなに話題になっているけどこの程度か?と物足りなさを感じたが、二作目を読んで大ヒットも納得。SFとしてはむしろ2作目以降が本番なのでは。今回は三体世界からの攻撃がいよいよ現実のものになってくる。今回の目玉(というのも妙な言い方だが)は何といっても「壁面者」だろう。智子によって人類の行いも記録も世界に筒抜けになっている。しかし智子は人間の思考、頭の中までは把握できない。更に相互の意志共有が高度に発達した三体世界には「欺き」という概念がない。これを利用して選ばれた人間の頭の中だけで防衛計画を練るというのが「壁面計画」なのだ。頭の中だけというのはともかく、実際に防衛するためには物理的にいろいろやらなくてはならないからいくらカモフラージュしても早い段階でバレそうなものだが、強引に読者を納得させる。壁面者たちの表面上の計画、そして真の計画の壮大さと彼らが犠牲にしたものの見せ方がドラマティックだ。
 人間の知恵と力を凌駕したものに対抗するのは、人間らしさとされるものを捨てるしかないのか、それとも人間らしさを保つ道はあるのかという問いにつながっていく。前作でも活躍した史強の「そいつは…そいつはほんとうに暗い眺めだな」という言葉が彼らがおかれていると気付いた世界の在り方を端的に表していた。ただ、ヒューマニズムの超越か愛かという話になっていくので、ハードSF的な仕掛けは複雑だけど構造としては結構シンプルでわかりやすい。良い塩梅で俗っぽいのだ。なんだかんだいって三体世界の人たちが人類とそれほどかけ離れているように見えないのがいいのか悪いのか…。
 なお俗っぽいと言えば、羅輯の理想の女性があまりに紋切り型で笑ってしまった。こういう感じの女性登場人物、我々は山のように見てきたはず…イマジネーション豊かなのか乏しいのかわからないよ!書き割りか!まあ本シリーズに登場する女性で陰影深いのは葉文潔くらいか。また、羅輯と史強の活躍にはバディもの的な楽しさがあって良かった。史強が前作にも増して有能、かつ粗野だが筋が通っておりかっこいい。

三体Ⅱ 黒暗森林(上)
劉 慈欣
早川書房
2020-06-18


三体Ⅱ 黒暗森林(下)
劉 慈欣
早川書房
2020-06-18


『消滅世界』

村田沙耶香著
 人工授精で子供を産むことが定着し、セックス自体が減少している世界。夫婦間のセックスは「近親相姦」としてタブー視されていた。両親が愛し合ったうえのセックスで生まれたと母親から教え込まれた雨音は、母親に嫌悪感を抱き続けてきた。夫との結婚生活は清潔で、夫以外の人間やキャラクターとの恋愛を重ねていくが、出産を計画し実験都市「楽園」に移住する。
 小説単体としては「こういう世界ですよ」という説明に偏りがちな書き割りっぽさがあり、『コンビニ人間』に比べると物足りなかった。とは言え、ディストピアかはたまたユートピアかという世界の造形は面白い。セックスと出産が切り離されている世界は女性にとってはある意味ユートピアだが、「楽園」のように全て一律に「子供ちゃん」「おかあさん」という役割をあてはめられるとディストピア感が一気に増す。雨音は人間の恋人もキャラクターの恋人(フィクション内の登場人物への思慕も一律に恋愛も途切れず、性愛志向も強い。かなりの恋愛体質と言えるのだが、「楽園」に移住した後、徐々に恋愛への欲求は減っていく。恋愛は極めて個人的なもので、一律に「おかあさん」をやる社会とは真逆ということなのか。
 恋愛はほぼ娯楽として扱われており必ずしもセックスを伴わないというのも、ユートピアと言えるのかもしれない。社会的なしがらみ、肉体のしがらみなく恋愛の楽しい所だけ味わえるのだから。ただ、恋愛というタスク自体はなくならないという所に、何かの限界みたいなものを感じた。雨音にしろ母親にしろ、人間は本来こういうものなはず、恋愛感情の伴うセックスは自然なものなはず、性愛は人間に欠かせず出産はセックスを経たものが自然なはず等々の考えをもっているが、本作で描かれるのはその「はず」のうつろう様、人間がいかようにも適応していく様だ。一見異端な雨音は実のところどこにいても「正常」だという反転が皮肉だ。

消滅世界 (河出文庫)
村田沙耶香
河出書房新社
2018-08-10


コンビニ人間 (文春文庫)
沙耶香, 村田
文藝春秋
2018-09-04


『植物はそこまで知っている 感覚に満ちた世界に生きる植物たち』

ダニエル・チャモヴィッツ著、矢野真千子訳
 資格、聴覚、嗅覚、位置感覚、記憶などの感覚を駆使し、生存戦略を図る植物たちの世界。動物の知能とは異なるが、彼らは生存の手段を「知っている」。科学により明らかになってきた植物の世界を紹介する一冊。
 植物が持つ光に対する感度や、化学物質の変化により仲間・環境の異変を受信する能力、空間把握能力は、人間のそれと一見似ており、いわゆる知能があるかのように感じてしまう。葉が害虫に荒らされると発せられる化学物質を感知して自衛するとか、重力に反応して一定方向に根を張れるとか、そんな機能あるんだ!と新鮮だった。あまりによくできているので、つい人間の五感になぞらえたくなる。本著内でも植物の音楽の好みを研究した疑似科学論説について言及されていた(いつの時代もスピリチュアルは大衆受けするのだな…)。が、著者は植物を擬人化することを注意深く避けている。植物の感覚は植物の生態に即して進化したもので、人間が言う所の知能は持たない。別の生物として考察・研究し理解していくことが科学のやり方なのだ。研究方法の発展や新しい概念・知識の獲得(電気信号も化学物質もDNAも、人間が「知った」のは植物の歴史に比べると全然細菌だ)によって植物の生態が解明されていくという、科学史としての側面もある。








 

『世界のすべての朝は』

パスカル・キニャール著、高橋啓訳
 ヴィオル奏者のサント・コロンブは妻を亡くし、2人の娘と引きこもって暮らしていた。ある日、彼の元に若い青年が弟子入りする。青年はサント・コロンブの娘と愛し合うようになるが、王宮に招かれた彼は娘を捨て、彼女は絶望する。
 サント・コロンブの妻への思いは深く強烈だ。妻は死んでも、彼の世界には常に妻がいる。妻と彼を繋げるのが音楽だ。本作では死者、あの世との繋がりが音楽を導き出す。彼の娘たちもまた、その思いに巻き込まれていく。若き弟子の音楽を導くのはサント・コロンブの娘だが、彼女もまたあの世へと近づいていく存在だ。常に死の気配がまとわりついている。あちらがわとこちらがわとの境界線に芸術は生まれるのか。弟子がサント・コロンブの領域に近づけないのは、音楽は「この世」で生きる為の手段であり、あちら側へのまなざしを持たないからかもしれない。あちら側を視野に入れた時、ようやく師と並び立つことができるのだ。音楽は、芸術は何のためにあるのか、どこから生まれてくるのかという音楽論、芸術論でもある。
 親子、男女の関係の抜き差しならなさや、どろどろとした猥雑な要素が多分にあるのだが、トーンは一貫して静謐で文章の美しさがしみてくる。なお、本作を原作にしたアラン・コルノー監督による映画『めぐり逢う朝』は私にとって心に刺さり続ける一作。最後泣いた。

世界のすべての朝は (伽鹿舎QUINOAZ)
パスカル・キニャール
伽鹿舎
2017-03-23



めぐり逢う朝 Blu-ray
カロリーヌ・シオル
紀伊國屋書店
2019-04-27



『女性のいない民主主義』

前田健太郎著
 日本の政治家は先進国の中では異例といっていいほど男性が大多数で、男性に政治権力が集中していると言える。女性が政治に参加しにくい原因はどこにあるのか。女性が参加していない「民主主義」はそもそも民主主義と呼べるのか。ジェンダー視点から日本の政治を読み解く。
 何しろ日本はジェンダーギャップ121位(2019年)なので、男女ともに(まあ主に男性にでしょうが)必読な1冊では。女性政治家が少ない状況について、女性には向いていないからということが往々にして言われるが、資質の問題ではない。社会が女性に要求してくるもの、社会的な通念が何重にも妨害してくるのだ。そしてその妨害は、男性からは見えないのだ。この男性からは見えないということこそ、男性主体で社会の仕組みが作られているということだ。それは適切な民主主義とは言えないだろう。世の中の片側からだけの見方なのだから。クォーター制のように半強制的に女性を増やしていくしかないのか(男性から見ると不公平に見えるのかもしれないが、そういうことではない)。
 本著では各国の政治における女性参画の経緯や民主主義の定義から日本の政治の問題を紐解いていく。しかし日本の場合、政治以前に慣習的な性的役割観が今だ根強く、これを払しょくしていかないとならないかと気が遠くなる…。切実に辛くなってきちゃうよ…。

女性のいない民主主義 (岩波新書)
健太郎, 前田
岩波書店
2019-09-21


『11月に去りし者』

ルー・バーニー著、加賀山卓朗訳
 1963年。ニューオリンズのギャング・ギドリーは、ケネディ大統領暗殺のニュースに嫌な予感を覚える。数日前に依頼された仕事は暗殺に絡んでいるにちがいない、そして口封じのために自分は狙われているに違いないと。因縁のある人物を頼って西へ向かう道中、夫から逃げてきた母娘と知り合う。ギドリーは家族連れに見せかけたカモフラージュに利用するため、その女性シャーロットに声を掛ける。
 正直、前半はあっちこっち迂回するような展開がかかったるくて、気分が乗らないなと思いつつ読んでいたのだが、ギドリーの人生とシャーロットの人生が交錯した時点から、ぐっと面白くなってきた。人生を「変えられた」のがギドリーで、「変えた」のがシャーロットなのだ。シャーロットがおそらく本来彼女が持っていた資質をどんどん発揮していく、ある意味開き直っていく様が清々しいのだ。ケネディ暗殺という史実を背景にしているが、それはさほど大きな要素には感じられなかった。自分の人生に自信満々だった男が陰謀に巻き込まれたこと、1人の女性に出会ったことで大きく揺さぶられていく。彼が大きく人生の方向性を変える瞬間もまた清々しいが、同時に物悲しくもある。

11月に去りし者 (ハーパーBOOKS)
ルー バーニー
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2019-09-17


ガットショット・ストレート
ルー・バーニー
イースト・プレス
2014-08-20


『戦地からのラブレター 第一次世界大戦従軍兵から、愛するひとへ』

ジャン=ピエール・ゲノ編著、永田千奈訳
 1997年、ラジオ・フランスの呼びかけで一般から集められた、第一次世界大戦の従軍兵からの手紙およそ一万通から選ばれたものを編纂した1冊。フランス兵からのものだけではなく、ドイツ兵からのものも含む。
 映画『彼らは生きていた』『1917 命をかけた伝令』を見たのでより当時の兵士たちの状況がわかるかなと読んでみた。1914年から1918年の間に書かれた手紙の書き手は、16,17歳のまだ子供といっていいくらいの青年たちから、30代の将校らまで幅広い。軍内での地位も出自もまちまちだ。手紙の宛先も家族、親族、恋人や友人と様々。戦地へ向かう高揚や使命感を伝えるものから戦地の悲惨さや物資の乏しさが綴られる。特に農家出身の兵士のものは、季節ごとの作業の進捗や作物・家畜の具合を心配する記述が目立ち、彼らの本業は兵士ではないのだと痛感した。戦争に兵士が駆り出されるということは(第二次大戦中の日本もそうだったが)農家から労働力が取られ、生産力が下がるということなのだ。
 当時の生の声が伝わってくる貴重な1冊ではあるが、読んでいると少々もやもやともする。映画『彼らは生きていた』を見た時も似たようなことを想ったのだが、本著に収められた手紙は実在の兵士が書き、その多くは戦地で死んだ。そういう人たちが残した手紙を一種の「読み物」として消費していいのかということだ。もちろん資料としては貴重なのだが、問題は本著が読者の心を動かすことを意図して手紙の選出、編集を行っているということだ。特に、各章の前置きとして編集側が書いた文章はともすると感傷的なポエムになってしまっている。読みやすさも大事ではあるが、こういう素材に対してエモーショナルさを煽るディレクションをしていいものなのかという葛藤を感じてしまった。


『ザ・チェーン 連鎖誘拐(上下)』

エイドリアン・マッキンティ著、鈴木恵訳
 シングルマザーのレイチェルの元に、娘を誘拐したというメッセージが届く。犯人の要求は身代金だけでなく、他人の子供を誘拐すること。犯人もまた子供を人質に取られ誘拐を強要されているのだ。この連鎖犯罪システム「チェーン」は首謀者にたどり着くこともできず誰も逃れられないという。レイチェルはやむなく、元夫の兄ピートの手を借り誘拐に手を染める。
 身近な人の安全を奪いターゲットを犯罪へと追い込む「チェーン」は悪辣かつ巧妙なシステム(ちょっと巧妙すぎるぞ管理しきれるのかというツッコミどころはあるのだが)で、人の愛情に付け込むというところがなかなかに胸糞悪い。この悪意のシステムにレイチェルは翻弄されていくが、なんとか娘を救出しようとする前半から、「チェーン」からの脱出を試みる後半へとスピーディーな展開で息をつかせないクライムサスペンス。ボロボロになりながらも娘の為、自分の為にもがき続けるレイチェル、問題を抱えつつそれをささえるピートという大人2人の戦いもいいのだが、レイチェルの娘カイリーの恐れつつも冷静さを保とうとする奮闘にもぐっとくる。ものすごく秀でた何かがあるわけではない、普通の人たちが愛する者を守りたい一心で巨大なシステムに立ち向か、今自分にできる方法で戦う様は応援したくなるし目が離せない。
 とは言え、著者の作品としては刑事ショーン・ダフィシリーズの方が私は好みだった。本作はリーダビリティは高くストーリーの引きも強いが、ショーンシリーズにあった風情や風土描写の味わいが薄いんだよな…。こういう作品も書けるんだという意外性と、良くも悪くもスリルとサスペンスに特化している感じ。

ザ・チェーン 連鎖誘拐 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
エイドリアン マッキンティ
早川書房
2020-02-20


ザ・チェーン 連鎖誘拐 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
エイドリアン マッキンティ
早川書房
2020-02-20




『掃除婦のための手引き書』

ルシア・ベルリン著、岸本佐知子訳
 毎日バスで他人の家を訪ね掃除をして回り掃除婦仲間と情報交換していく女性を描く表題作をはじめ、夜明けになりふり構わず酒を買いに通ってしまうシングルマザー(『どうにもならない』)、社会活動に熱心な教師に連れられ貧民街へ通う少女(『いいと悪い』)、刑務所内の文章クラス(『さあ土曜日だ』)等、華々しくもゴージャスでもない人たちの人生を描く短編集。
 評判になっていただけのことはあって、とてもよかった。描かれる人生は決して居心地がよさそうなものではない。経済的には底辺にいたり、アルコール依存症や病に苦しんだり、豊かな家庭であってもどこか欠落して満たされなかったりする。そういった状況が率直に、具体的につづられており時に容赦ない。『どうにもならない』のアルコールに対する切実な渇望はまさにどうにもならないのだとひしひしと伝わってきて辛い(朝になってからの家族とのやりとりがこれまたきつい)。しかし深刻な状況であっても、いやであるからこそそこに強靭なユーモアがある。ユーモアと痛みが一体になっており、泣いていいのか笑っていいのかわからなくなるような余韻を残すのだ。登場する人たちは皆全然大丈夫じゃなさそうなのに、冷めたおかしみがある。特に「私」と妹のサリー、「ママ」との関係を描いた連作は、死の臭いが濃厚なのに思い出の端々がきらきらしていてやるせなかった。


楽しい夜
講談社
2016-02-25


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