3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本題名さ行

『私的読食録』

角田光代・堀江敏幸著
 古今東西の小説や随筆、日記などの作品に登場する様々な「食」は、なぜか読者の記憶に残るもの。「食」を作家たちがどのように描写してきたかを、同じく作家である2人が鋭く読み解き紹介していく。
 角田著と堀江著が交互に配置された食べ物エッセイ。食べ物といっても文学の中の食べ物なので、作家によっては食べ物の質感や味に全く頓着せず、便宜上料理名を出しただけ、というようなこともある。一方で読んでいるだけでよだれが出そうな、実に美味しそうな描写、またこれはいったいどういう味なんだろうと想像が膨らむ描写もある。文学の中の食って、なんでこうも興味掻き立てられるのだろうか。下手すると実際の食よりも全然面白い。特に児童文学の中の食は、食の経験値が低い子供の頃に読むからか、まだ知らない世界に対するあこがれの糸口になる。本著中でも児童文学の中の食(「甘パン」とか)が登場するが、本当にしみじみと食べたかったもんなぁ…。
 ピンポイントで食に関する記述を探し出し掘り下げていく著者2人の読者・批評家としての力量も光る。2人の傾向がちょっと違うのも面白い。角田の書き方の方がより食べたくなる、堀江の書き方はその記述の出てくる作品を読みたくなる方向性だと思う。

私的読食録(新潮文庫)
角田光代
新潮社
2020-11-30


『空とアメリカ文学』

石原剛編著
 航空大国アメリカ。大統領専用機エア・フォース・ワンが象徴するようにアメリカの航空・飛行に関わる文化的営為は、他の国と比較しても存在感がある。文学はその中で航空・飛行にどのような影響を受け、表現してきたのか。古典から現代文学まで10の論文から構成された、アメリカ文学の中に見られる航空文化のあり方。
 本著の序章で言及されて初めて意識したが、確かにアメリカの映画にしろ小説にしろ「飛行機で移動する」ないしは「飛行機を操縦する」ことが行為そのものプラスアルファの意味をはらむことが多いように思う。物理的に飛行機での移動が多い、産業として航空産業の存在感が大きいという経済活動に由来する部分も大きいのだろうが、空を飛ぶことへの憧れ、空という空間そのものに感じるロマンが他国と比較して強めなのかもしれない。飛行士個人がスター視されていた文化もそういう文化に根差したものだったのか。本著では気球の時代から「パンナム」が空を制し(のちに倒産するが)航空機大国になるまで、文学がどのように航空をとらえてきたかを央。アメリカ以外でもサン=テグジュペリについての章もあるのだが、英訳の『人間の大地』は題名も内容も原典とは一部異なる別バージョン(翻訳者と出版社の判断による)だったことは初めて知った。それはありなのか?という疑問はあるが、アメリカの読者が飛行機、飛行士が登場する文学に何を求めるか、という部分がわかるエピソードだと思う。サン=テグジュペリが意図したのは飛行機や飛行士そのものというよりそれに象徴される人間のあり方、哲学的なものだったが、アメリカの読者に求められたのはルポルタージュ的なものだったという。
 またアン・モロウ・リンドバーグの著作について言及された章もある。女性飛行士、かつ有名飛行士の妻である彼女に対する世間の目、評価は現代の「女性〇〇」「美人すぎる〇〇」と同じものであった(来日時のエピソードがあるのだが、日本かなりイタいな…)。今が当時とあまり変わっていないことにかなりがっかりするが、彼女の著作が今まで女性から愛読され続けてきた理由が垣間見えた。

空とアメリカ文学
石原 剛 編著
彩流社
2019-09-17


アメリカ文学史―駆動する物語の時空間
巽 孝之
慶應義塾大学出版会
2003-01-01


『ストーンサークルの殺人』

M・W・クレイヴン著、東野さやか訳
 ストーンサークルが点在する英国カンブリア州。そのストーンサークルで焼死体が次々と発見された。死体は燃やされる前にひどく損壊されていたが、3体目の死体には国家犯罪対策庁の警官ワシントン・ポーの名前と「5」と思しき数字が刻まれていた。停職中だったポーは捜査に参加することになるが、なぜ自分の名前が刻まれていたのかという心当たりはないままだった。そして新たな死体が発見される。
 ゴールド・ダガー賞受賞作だそうだが、納得。ほどよく華があるが派手過ぎずリーダビリティも高い、感情を使わなくていいタイプの面白さ(褒めてます)なので、疲れた頭でも大丈夫なミステリ。ストーンサークルを出してくるのでちょっとオカルトっぽいのか?歴史ものか?と食わず嫌いでいたけどスタンダードに捜査するミステリだった。ポーは警察官だがある事件によって停職になり、その性格や捜査の態度も警察組織の中でははぐれ者。同じくはぐれ者だがデータ収集解析では非常に優秀なブラッドショー(明言はされていないがブラッドショーの行動原理は発達障害的だと思った)を片腕に捜査にあたるが、2人の捜査官としての資質が段々噛み合っていくのが楽しい。この2人だけだとキャラクター造形がちょっと地に足ついていない感じになるが、ポーの元同僚で現上司であるフリンの等身大の優秀さ、管理職としてのまともさと苦労が本作の雰囲気を地上に引き留めていると思う。
 本作、「友達」の存在が一つの大きな要素になっている。ある人たちがポーに対して友達だと言う、またポーがある人たちに対して友達だと思うシチュエーションが対称的・重層的になっており、ちょっと胸を突かれた。


『シカゴ・ブルース』

フレドリック・ブラウン著、高山真由美訳
 シカゴに暮らす印刷会社の植字工見習いのエドは、植字工である父親と義理の母妹と暮らしている。ある日父親が路地裏で殺された。エドは移動遊園地で働くおじのアンブローズと共に犯人を追う中で、父親の過去を知っていく。
 フレドリック・ブラウンというとSFの巨匠というイメージだが、私は実はミステリ作品の方が好きで、特に本作はベストだと思っている。青田勝による旧訳版はかなり古めかしく、アンブローズももうちょっと荒っぽハードボイルドな感じだったのだが(当時の感想はこちら)、この新訳だと理知的な側面が前面に出ている。さわやかな青春ミステリとしてよりブラッシュアップされた新訳で、読みやすかった。エドは自立心と好奇心があり賢い18歳だが、まだ大人というわけではない。彼が大人への道を進んでいく成長物語として清々しいのだが、強制的に大人への道を進まされてしまう、大人として振舞わざるを得ないという苦さも感じる。父の後妻であるマッジへの対応や、義理の妹であるガーディとの距離感など、エドが結構いっぱいいっぱいになっている感じがユーモラスでもあるのだが、少々痛ましくもあった。ともするとやさぐれてしまいそうなところ、そうはできないのがエドの魅力なのだ。

シカゴ・ブルース【新訳版】 (創元推理文庫)
フレドリック・ブラウン
東京創元社
2020-09-30


シカゴ・ブルース (創元推理文庫 146-15)
フレドリック・ブラウン
東京創元社
1971-01-01



『ザリガニの鳴くところ』

ディーリア・オーエンズ著、友廣純訳
 1969年、ノース・カロライナ州の湿地帯で、若い男性の死体が発見された。犯人の疑いをかけられたのは、「沼地の少女」として地元で知られる謎めいた女性。その女性・カイアは6歳で家族に捨てられ、以来一人きりで沼地の小屋で暮らしてきた。読み書きを教えてくれた少年テイトと惹かれあうが、彼は大学進学の為に去っていった。そして村の裕福な青年チェイスが彼女に近づいてくる。
 カイアの母親も兄姉も父親の暴力に耐えかね家を去った。父親はカイアを気にかけず、やがて失踪。今なら完全にネグレクト認定だ。しかしカイアは大人に助けを求めないし、地域の大人たちも、カイアを気にかける人はわずかだ。それは現代のような児童保護の観点が薄かったということもあるだろうが、彼女が沼地の住人(今でいうプアホワイトということか)として村人から差別されている・疎まれているという事情もあるだろう。彼女を長年にわたって助けるのは同じく差別される立場にある黒人の雑貨屋夫婦だけだ。また、カイアは周囲の大人を信用せず、助けを求めることができない。そもそもそういう発想がないし、家族との唯一の繋がりである沼地から去ることもできないのだ。もしカイアがもう少し親、大人からケアされ大切にされていたら、苦境に陥った時に多少は大人に頼りやすかっただろうかと思えてならなかった。孤独でいることは単に一人である、寂しいということだけではないのだ。カイアが他人を求めてしまうやり方も生活するうえでの立ち回り方も危なっかしくて、もうちょっとやりようがあるだろうとハラハラするが、人との距離の取り方を学ぶ機会もなかったんだとはっとした。
 風景描写がとても生き生きとして美しい。著者は元々動物学研究社でネイチャーノンフィクションの著作で有名だそうで、それも納得。沼地の風景や動植物のこまやかな描写と、カイアの精神世界が豊かになっていく様とがリンクしていく。表現が人の心を支えるという側面が描かれた小説でもあった。ただ、そういう支えの在り方を理解する人はあまり多くないのだが。

ザリガニの鳴くところ
ディーリア・オーエンズ
早川書房
2020-03-05


カラハリ―アフリカ最後の野生に暮らす
オーエンズ,ディーリア
早川書房
1988-11T


『その裁きは死』

アンソニー・ホロヴィッツ著、山田蘭訳
 「わたし」こと脚本家で作家のアンソニー・ホロヴィッツの前に、再び元刑事の探偵ホーソーンが現れる。実直さに定評のある弁護士が自宅で殺害され、ホーソンが調査することになったのだ。被害者弁護士は、自身が扱った離婚訴訟について疑惑を抱いていたらしい。
 『メインテーマは殺人』に続くシリーズ第2弾。「わたし」が脚本を手掛けた『刑事フォイル』の撮影現場に立ち会うシーンが冒頭にあり、作家ホロヴィッツの仕事に関する言及も多い。前作は映画の世界のネタに満ちていたが、今回は出版、文芸の世界のネタが多い。容疑者の一人である詩人について、詩の出版だけでそんなに儲かるはずがない!という指摘があるのはイギリスでも同じなのか…作中の詩人はかなり有名な売れっ子なんだけど、たかが知れているというわけだ。
 相変わらずホーソーンを筆頭に登場人物全員がいけすかないし、「わたし」は自分の頭脳を過剰評価気味で事件の推理も空回りしがち。もちろん著者は意図的にこういう造形にしているのだろうが、戯画的すぎて少々鼻についた。私はホーソーンのキャラクターがあまり好きではないので(他人を過剰にコントロールしたがる所が苦手…)余計にイライラしてしまうのかもしれないが。ラスト、落ち込む「わたし」にホーソーンが「ぴったりの言葉を見つけては、そういったものに生命を吹き込むんだ。おれにはとうていできることじゃない」と作家としての「わたし」を励ますのだが、だとしたら作中のホロヴィッツは著者よりも小説家としての適性が高いのでは…。本作、犯人当てとしてはしっかりフェアプレイであっと言わせる。その点は見事なのだが、小説としての味わい深さや奥行には乏しいように思う。犯人が知りたいからぐいぐい読まされるが、逆に言うとその他の部分にはあまり魅力がないから読み飛ばせてしまうとも言える。「面白い話」と「面白い小説」はちょっと違うんだよな…。やはり脚本家の方が向いているのではないか。

その裁きは死 ホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ (創元推理文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
東京創元社
2020-09-10


シャーロック・ホームズ 絹の家 (角川文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
KADOKAWA
2015-10-23








『死んだレモン』

フィン・ベル著、足立眞弓訳
 フィン・ベルはニュージーランドの南の断崖で、車いすごと宙づりになっていた。ことの起こりは「数カ月前。酒におぼれた末、交通事故で車いす生活になり、妻とも別れたフィンは、田舎町にコテージを買い移り住んだ。26年前、コテージの前の持ち主の娘が行方不明になるという未解決事件が起きていた。隣にすむ三兄弟の関与を疑ったフィンは、当時のことを調べ始めたのだが。
 出版元(東京創元社)がやたらと持ち上げるし各所絶賛!とぶち上げてくるので逆に疑いの目で見てしまっていたのだが、確かに面白い。私はいわゆるノンストップサスペンスが苦手なのだが、本作はそれとはちょっと違う。帯の「1ページ目から主人公が絶体絶命!」という文句は確かにその通りなのだが、本作の面白さのポイントはそこではないのだ。フィンがこういう状況に至るまでの数か月間をカウントダウンのように描いていくが、意外と早い段階で伏線が張られていたり、後から振り返るとなるほどなというミスリードが設定されていたりと、ミステリとしては勢い任せではなく結構きちんと展開している。また、ニュージーランドの風土や歴史にまつわる要素が多く盛り込まれていて、ご当地ミステリ的な面白さも。恥ずかしながらアフリカ系移民が多い(というかそもそも移民が多い)ことを初めて知りました。
 本作には非常に悪い奴らが出てくるが、悪の在り方が興味深い。社会の枠組みの上にある悪と、それを全く無視した俺ルールの悪があるのだ。どちらもお近づきにはなりたくないが、社会的な損得概念を持たない悪の方が厄介かな。

死んだレモン (創元推理文庫)
フィン・ベル
東京創元社
2020-07-30


アニマル・キングダム [DVD]
ルーク・フォード
トランスフォーマー
2012-09-07




『空のあらゆる鳥を』

チャーリー・ジェーン・アンダーズ著、市田泉訳
 魔法使いの少女パトリシアと、天才科学少年ローレンスは幼い日に出会い、お互いを唯一の理解者として成長していく。しかしある未来を予知した暗殺者のたくらみにより、2人は別々の道を歩むことになる。そして人類滅亡の危機が迫る中、成長した2人は魔術師と科学者という対立する組織の一員として再会する。
 パトリシアもローレンスもユニークな個性や突出した性能があるが、家族や学校には理解されない。ここではないどこかに行ければと願う孤独な子供だった。子供にとって親の無理解は致命的だが、特にパトリシアの両親と姉のふるまいはかなり極端(これ虐待じゃないの?というくらい)で、彼女と断絶している。ちょっと戯画的すぎて作中の他の部分とのトーンの違いが気になってしまった。こういう部分だけでなく、作中の科学技術の水準とか魔術とされるものの定義や、魔術師の組織あるいは科学者の組織の構成やその目的など、つじつまが合うんだか合わないんだか微妙だったり、パトリシアやローレンスがどういう経緯で組織の中で働くようになったのかなど所々あっさり割愛されていたりで、全体的に描いている部分と描いていない部分の落差が大きいように思った。つじつま合わせや伏線回収にはあまり熱心ではない(子供時代のパトリシアに対する「樹」からの問いの回答など、なんだそりゃという感じだし)。そもそもどの時点で人類滅亡の危機の持ち出し方は唐突だし、科学と魔術、人類と自然という対比もわりと安直だ。
 ただ、そこは作中それほど重要な部分ではないのだろう。強く印象に残るのは少年少女の孤独さであり、世界からはみ出てしまった心もとなさだ。心もとなさ故に2人は惹かれあうが、やがてそれぞれが所属するはずの世界においても、お互いの存在故にはみ出していってしまう。その如何ともしがたい関係性、引力が本作を構成している。そして全く異なる個性同士の共通項と融合という所に、破滅から逃れる希望がほのかに見える。

空のあらゆる鳥を (創元海外SF叢書)
チャーリー・ジェーン・アンダーズ
東京創元社
2020-05-09


『三体Ⅱ 黒暗森林(上、下)』

劉慈欣著、大森望・立原透耶・上原かおり・泊功訳
 人類に絶望した天体物理学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)が宇宙に向けて発信したメッセージは「三体」世界に届き、三体世界の巨大艦隊が地球に向かって刻一刻と近づいていた。地球世界は国連惑星防衛理事会を設立し防衛計画に取り組むが、人類のあらゆる活動は地球のあらゆる場所に散布された極微スーパーコンピューター「智子(ソフォン)」に監視され人類の計画は三体世界に筒抜けになっていた。これに対抗し「面壁計画」が発動し、人類の未来は4人の壁面者に託される。
 大ヒット中国SF三部作二作目。一作目はこんなに話題になっているけどこの程度か?と物足りなさを感じたが、二作目を読んで大ヒットも納得。SFとしてはむしろ2作目以降が本番なのでは。今回は三体世界からの攻撃がいよいよ現実のものになってくる。今回の目玉(というのも妙な言い方だが)は何といっても「壁面者」だろう。智子によって人類の行いも記録も世界に筒抜けになっている。しかし智子は人間の思考、頭の中までは把握できない。更に相互の意志共有が高度に発達した三体世界には「欺き」という概念がない。これを利用して選ばれた人間の頭の中だけで防衛計画を練るというのが「壁面計画」なのだ。頭の中だけというのはともかく、実際に防衛するためには物理的にいろいろやらなくてはならないからいくらカモフラージュしても早い段階でバレそうなものだが、強引に読者を納得させる。壁面者たちの表面上の計画、そして真の計画の壮大さと彼らが犠牲にしたものの見せ方がドラマティックだ。
 人間の知恵と力を凌駕したものに対抗するのは、人間らしさとされるものを捨てるしかないのか、それとも人間らしさを保つ道はあるのかという問いにつながっていく。前作でも活躍した史強の「そいつは…そいつはほんとうに暗い眺めだな」という言葉が彼らがおかれていると気付いた世界の在り方を端的に表していた。ただ、ヒューマニズムの超越か愛かという話になっていくので、ハードSF的な仕掛けは複雑だけど構造としては結構シンプルでわかりやすい。良い塩梅で俗っぽいのだ。なんだかんだいって三体世界の人たちが人類とそれほどかけ離れているように見えないのがいいのか悪いのか…。
 なお俗っぽいと言えば、羅輯の理想の女性があまりに紋切り型で笑ってしまった。こういう感じの女性登場人物、我々は山のように見てきたはず…イマジネーション豊かなのか乏しいのかわからないよ!書き割りか!まあ本シリーズに登場する女性で陰影深いのは葉文潔くらいか。また、羅輯と史強の活躍にはバディもの的な楽しさがあって良かった。史強が前作にも増して有能、かつ粗野だが筋が通っておりかっこいい。

三体Ⅱ 黒暗森林(上)
劉 慈欣
早川書房
2020-06-18


三体Ⅱ 黒暗森林(下)
劉 慈欣
早川書房
2020-06-18


『消滅世界』

村田沙耶香著
 人工授精で子供を産むことが定着し、セックス自体が減少している世界。夫婦間のセックスは「近親相姦」としてタブー視されていた。両親が愛し合ったうえのセックスで生まれたと母親から教え込まれた雨音は、母親に嫌悪感を抱き続けてきた。夫との結婚生活は清潔で、夫以外の人間やキャラクターとの恋愛を重ねていくが、出産を計画し実験都市「楽園」に移住する。
 小説単体としては「こういう世界ですよ」という説明に偏りがちな書き割りっぽさがあり、『コンビニ人間』に比べると物足りなかった。とは言え、ディストピアかはたまたユートピアかという世界の造形は面白い。セックスと出産が切り離されている世界は女性にとってはある意味ユートピアだが、「楽園」のように全て一律に「子供ちゃん」「おかあさん」という役割をあてはめられるとディストピア感が一気に増す。雨音は人間の恋人もキャラクターの恋人(フィクション内の登場人物への思慕も一律に恋愛も途切れず、性愛志向も強い。かなりの恋愛体質と言えるのだが、「楽園」に移住した後、徐々に恋愛への欲求は減っていく。恋愛は極めて個人的なもので、一律に「おかあさん」をやる社会とは真逆ということなのか。
 恋愛はほぼ娯楽として扱われており必ずしもセックスを伴わないというのも、ユートピアと言えるのかもしれない。社会的なしがらみ、肉体のしがらみなく恋愛の楽しい所だけ味わえるのだから。ただ、恋愛というタスク自体はなくならないという所に、何かの限界みたいなものを感じた。雨音にしろ母親にしろ、人間は本来こういうものなはず、恋愛感情の伴うセックスは自然なものなはず、性愛は人間に欠かせず出産はセックスを経たものが自然なはず等々の考えをもっているが、本作で描かれるのはその「はず」のうつろう様、人間がいかようにも適応していく様だ。一見異端な雨音は実のところどこにいても「正常」だという反転が皮肉だ。

消滅世界 (河出文庫)
村田沙耶香
河出書房新社
2018-08-10


コンビニ人間 (文春文庫)
沙耶香, 村田
文藝春秋
2018-09-04


ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ