3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本題名さ行

『植物はそこまで知っている 感覚に満ちた世界に生きる植物たち』

ダニエル・チャモヴィッツ著、矢野真千子訳
 資格、聴覚、嗅覚、位置感覚、記憶などの感覚を駆使し、生存戦略を図る植物たちの世界。動物の知能とは異なるが、彼らは生存の手段を「知っている」。科学により明らかになってきた植物の世界を紹介する一冊。
 植物が持つ光に対する感度や、化学物質の変化により仲間・環境の異変を受信する能力、空間把握能力は、人間のそれと一見似ており、いわゆる知能があるかのように感じてしまう。葉が害虫に荒らされると発せられる化学物質を感知して自衛するとか、重力に反応して一定方向に根を張れるとか、そんな機能あるんだ!と新鮮だった。あまりによくできているので、つい人間の五感になぞらえたくなる。本著内でも植物の音楽の好みを研究した疑似科学論説について言及されていた(いつの時代もスピリチュアルは大衆受けするのだな…)。が、著者は植物を擬人化することを注意深く避けている。植物の感覚は植物の生態に即して進化したもので、人間が言う所の知能は持たない。別の生物として考察・研究し理解していくことが科学のやり方なのだ。研究方法の発展や新しい概念・知識の獲得(電気信号も化学物質もDNAも、人間が「知った」のは植物の歴史に比べると全然細菌だ)によって植物の生態が解明されていくという、科学史としての側面もある。








 

『世界のすべての朝は』

パスカル・キニャール著、高橋啓訳
 ヴィオル奏者のサント・コロンブは妻を亡くし、2人の娘と引きこもって暮らしていた。ある日、彼の元に若い青年が弟子入りする。青年はサント・コロンブの娘と愛し合うようになるが、王宮に招かれた彼は娘を捨て、彼女は絶望する。
 サント・コロンブの妻への思いは深く強烈だ。妻は死んでも、彼の世界には常に妻がいる。妻と彼を繋げるのが音楽だ。本作では死者、あの世との繋がりが音楽を導き出す。彼の娘たちもまた、その思いに巻き込まれていく。若き弟子の音楽を導くのはサント・コロンブの娘だが、彼女もまたあの世へと近づいていく存在だ。常に死の気配がまとわりついている。あちらがわとこちらがわとの境界線に芸術は生まれるのか。弟子がサント・コロンブの領域に近づけないのは、音楽は「この世」で生きる為の手段であり、あちら側へのまなざしを持たないからかもしれない。あちら側を視野に入れた時、ようやく師と並び立つことができるのだ。音楽は、芸術は何のためにあるのか、どこから生まれてくるのかという音楽論、芸術論でもある。
 親子、男女の関係の抜き差しならなさや、どろどろとした猥雑な要素が多分にあるのだが、トーンは一貫して静謐で文章の美しさがしみてくる。なお、本作を原作にしたアラン・コルノー監督による映画『めぐり逢う朝』は私にとって心に刺さり続ける一作。最後泣いた。

世界のすべての朝は (伽鹿舎QUINOAZ)
パスカル・キニャール
伽鹿舎
2017-03-23



めぐり逢う朝 Blu-ray
カロリーヌ・シオル
紀伊國屋書店
2019-04-27



『女性のいない民主主義』

前田健太郎著
 日本の政治家は先進国の中では異例といっていいほど男性が大多数で、男性に政治権力が集中していると言える。女性が政治に参加しにくい原因はどこにあるのか。女性が参加していない「民主主義」はそもそも民主主義と呼べるのか。ジェンダー視点から日本の政治を読み解く。
 何しろ日本はジェンダーギャップ121位(2019年)なので、男女ともに(まあ主に男性にでしょうが)必読な1冊では。女性政治家が少ない状況について、女性には向いていないからということが往々にして言われるが、資質の問題ではない。社会が女性に要求してくるもの、社会的な通念が何重にも妨害してくるのだ。そしてその妨害は、男性からは見えないのだ。この男性からは見えないということこそ、男性主体で社会の仕組みが作られているということだ。それは適切な民主主義とは言えないだろう。世の中の片側からだけの見方なのだから。クォーター制のように半強制的に女性を増やしていくしかないのか(男性から見ると不公平に見えるのかもしれないが、そういうことではない)。
 本著では各国の政治における女性参画の経緯や民主主義の定義から日本の政治の問題を紐解いていく。しかし日本の場合、政治以前に慣習的な性的役割観が今だ根強く、これを払しょくしていかないとならないかと気が遠くなる…。切実に辛くなってきちゃうよ…。

女性のいない民主主義 (岩波新書)
健太郎, 前田
岩波書店
2019-09-21


『11月に去りし者』

ルー・バーニー著、加賀山卓朗訳
 1963年。ニューオリンズのギャング・ギドリーは、ケネディ大統領暗殺のニュースに嫌な予感を覚える。数日前に依頼された仕事は暗殺に絡んでいるにちがいない、そして口封じのために自分は狙われているに違いないと。因縁のある人物を頼って西へ向かう道中、夫から逃げてきた母娘と知り合う。ギドリーは家族連れに見せかけたカモフラージュに利用するため、その女性シャーロットに声を掛ける。
 正直、前半はあっちこっち迂回するような展開がかかったるくて、気分が乗らないなと思いつつ読んでいたのだが、ギドリーの人生とシャーロットの人生が交錯した時点から、ぐっと面白くなってきた。人生を「変えられた」のがギドリーで、「変えた」のがシャーロットなのだ。シャーロットがおそらく本来彼女が持っていた資質をどんどん発揮していく、ある意味開き直っていく様が清々しいのだ。ケネディ暗殺という史実を背景にしているが、それはさほど大きな要素には感じられなかった。自分の人生に自信満々だった男が陰謀に巻き込まれたこと、1人の女性に出会ったことで大きく揺さぶられていく。彼が大きく人生の方向性を変える瞬間もまた清々しいが、同時に物悲しくもある。

11月に去りし者 (ハーパーBOOKS)
ルー バーニー
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2019-09-17


ガットショット・ストレート
ルー・バーニー
イースト・プレス
2014-08-20


『戦地からのラブレター 第一次世界大戦従軍兵から、愛するひとへ』

ジャン=ピエール・ゲノ編著、永田千奈訳
 1997年、ラジオ・フランスの呼びかけで一般から集められた、第一次世界大戦の従軍兵からの手紙およそ一万通から選ばれたものを編纂した1冊。フランス兵からのものだけではなく、ドイツ兵からのものも含む。
 映画『彼らは生きていた』『1917 命をかけた伝令』を見たのでより当時の兵士たちの状況がわかるかなと読んでみた。1914年から1918年の間に書かれた手紙の書き手は、16,17歳のまだ子供といっていいくらいの青年たちから、30代の将校らまで幅広い。軍内での地位も出自もまちまちだ。手紙の宛先も家族、親族、恋人や友人と様々。戦地へ向かう高揚や使命感を伝えるものから戦地の悲惨さや物資の乏しさが綴られる。特に農家出身の兵士のものは、季節ごとの作業の進捗や作物・家畜の具合を心配する記述が目立ち、彼らの本業は兵士ではないのだと痛感した。戦争に兵士が駆り出されるということは(第二次大戦中の日本もそうだったが)農家から労働力が取られ、生産力が下がるということなのだ。
 当時の生の声が伝わってくる貴重な1冊ではあるが、読んでいると少々もやもやともする。映画『彼らは生きていた』を見た時も似たようなことを想ったのだが、本著に収められた手紙は実在の兵士が書き、その多くは戦地で死んだ。そういう人たちが残した手紙を一種の「読み物」として消費していいのかということだ。もちろん資料としては貴重なのだが、問題は本著が読者の心を動かすことを意図して手紙の選出、編集を行っているということだ。特に、各章の前置きとして編集側が書いた文章はともすると感傷的なポエムになってしまっている。読みやすさも大事ではあるが、こういう素材に対してエモーショナルさを煽るディレクションをしていいものなのかという葛藤を感じてしまった。


『ザ・チェーン 連鎖誘拐(上下)』

エイドリアン・マッキンティ著、鈴木恵訳
 シングルマザーのレイチェルの元に、娘を誘拐したというメッセージが届く。犯人の要求は身代金だけでなく、他人の子供を誘拐すること。犯人もまた子供を人質に取られ誘拐を強要されているのだ。この連鎖犯罪システム「チェーン」は首謀者にたどり着くこともできず誰も逃れられないという。レイチェルはやむなく、元夫の兄ピートの手を借り誘拐に手を染める。
 身近な人の安全を奪いターゲットを犯罪へと追い込む「チェーン」は悪辣かつ巧妙なシステム(ちょっと巧妙すぎるぞ管理しきれるのかというツッコミどころはあるのだが)で、人の愛情に付け込むというところがなかなかに胸糞悪い。この悪意のシステムにレイチェルは翻弄されていくが、なんとか娘を救出しようとする前半から、「チェーン」からの脱出を試みる後半へとスピーディーな展開で息をつかせないクライムサスペンス。ボロボロになりながらも娘の為、自分の為にもがき続けるレイチェル、問題を抱えつつそれをささえるピートという大人2人の戦いもいいのだが、レイチェルの娘カイリーの恐れつつも冷静さを保とうとする奮闘にもぐっとくる。ものすごく秀でた何かがあるわけではない、普通の人たちが愛する者を守りたい一心で巨大なシステムに立ち向か、今自分にできる方法で戦う様は応援したくなるし目が離せない。
 とは言え、著者の作品としては刑事ショーン・ダフィシリーズの方が私は好みだった。本作はリーダビリティは高くストーリーの引きも強いが、ショーンシリーズにあった風情や風土描写の味わいが薄いんだよな…。こういう作品も書けるんだという意外性と、良くも悪くもスリルとサスペンスに特化している感じ。

ザ・チェーン 連鎖誘拐 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
エイドリアン マッキンティ
早川書房
2020-02-20


ザ・チェーン 連鎖誘拐 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
エイドリアン マッキンティ
早川書房
2020-02-20




『掃除婦のための手引き書』

ルシア・ベルリン著、岸本佐知子訳
 毎日バスで他人の家を訪ね掃除をして回り掃除婦仲間と情報交換していく女性を描く表題作をはじめ、夜明けになりふり構わず酒を買いに通ってしまうシングルマザー(『どうにもならない』)、社会活動に熱心な教師に連れられ貧民街へ通う少女(『いいと悪い』)、刑務所内の文章クラス(『さあ土曜日だ』)等、華々しくもゴージャスでもない人たちの人生を描く短編集。
 評判になっていただけのことはあって、とてもよかった。描かれる人生は決して居心地がよさそうなものではない。経済的には底辺にいたり、アルコール依存症や病に苦しんだり、豊かな家庭であってもどこか欠落して満たされなかったりする。そういった状況が率直に、具体的につづられており時に容赦ない。『どうにもならない』のアルコールに対する切実な渇望はまさにどうにもならないのだとひしひしと伝わってきて辛い(朝になってからの家族とのやりとりがこれまたきつい)。しかし深刻な状況であっても、いやであるからこそそこに強靭なユーモアがある。ユーモアと痛みが一体になっており、泣いていいのか笑っていいのかわからなくなるような余韻を残すのだ。登場する人たちは皆全然大丈夫じゃなさそうなのに、冷めたおかしみがある。特に「私」と妹のサリー、「ママ」との関係を描いた連作は、死の臭いが濃厚なのに思い出の端々がきらきらしていてやるせなかった。


楽しい夜
講談社
2016-02-25


『殺意という名の家畜』

河野典生著
 小説家の「私」のもとに、一度だけ関係をもった星村美智から会いたいと電話がかかってきた。「私」は断ったが、相談したいことがあるという手紙を残して彼女は消息を絶つ。彼女の知人から相談された「私」は美智の行方を探り始める。
 一人の女性が失踪する、その裏には彼女の過去が関わっているという構造は『他人の城』と同じだが、本作の方がちょっと粗いように思った。過去の関係者間の繋がりがちょっと乱暴というか、そこでその人がこの人物から持ちかけられた計画に乗るか?という気がする。また、昭和30年代を舞台にしているから時代背景的にある程度しょうがないのかもしれないが、女性に対する認識、表現は老朽化しており今読むときつい。女性の生理とやらを持ち出す男にはろくなやつがいないぞ!それは都市伝説だぞ!と突っ込みを入れたくなる。本作、本編よりもむしろ山村正夫による解説の方が面白かった(双葉社文庫版)。著者が演劇(脚本)畑出身であることや、なんと谷川俊太郎にチャンドラーや高城高を読めと勧められたことなど、ハードボイルド小説を書き始めた経緯が意外だった。確かに高城高には雰囲気が似ているかもしれない(高城作品の方が圧倒的に陰影が深くて良いと思いますが!)。


街の博物誌
河野 典生
アドレナライズ
2015-06-19


『戦下の淡き光』

マイケル・オンダーチェ著、田栗美奈子訳
 「1945年、うちの両親は、犯罪者かもしれない男ふたりの手に僕らをゆだねて姿を消した」。ナサニエルと姉のレイチェルは、“蛾”とあだ名をつけられた男に預けられた。母は父の海外赴任についていくことになったのだ。“蛾”の家には得体の知れない人たちが集まっていた。そして母もまた、海外赴任についていったのではなかった。
 子供にとって、自分の親がどういう人間なのか・背景に何があるのかということは、普通の環境でも謎な部分が多いだろう。ナサニエルとレイチェルの母親についても同様だ。母親が消えた後も2人の周囲にいる大人たちは謎めいてどこか胡散臭く正体不明だ。徐々に、彼らは共通のある任務をもっていたのでは、更に母親もその一員ではないかという様子が、彼らの言動の端々から垣間見えてくる。親に対する「わからなさ」が二重になっているのだ。霧の中からふらりと現れては消えていくような大人たちは、ナサニエルたちを保護するがそれは断片的な、嘘とも本当ともつかないもので、彼らを保護者として守り育てるのには不十分だ。姉弟の人生も生活も、どこか地に足がつかない、一貫性のないものになってしまう。マラカイトとの出会いで世界がようやく「正確で信用できるものになった」というのは、地に足の着いたうつろいにくい生活をようやく知ることができたということでは。
 親が何者かという普遍的な謎と、母ローズが何をやっていたのかという個別の謎が二重になっており、更に自分たちが見てきたものは一体何なのかというナサニエルの人生の謎が重なってくる。ミステリ的な構造なのだ。更に、一種の戦争小説でもある。時制がいったりきたりする構造、更に曖昧さをはらむと同時に詩的な文章が記憶というものを表すには最適なように思った。

戦下の淡き光
マイケル・オンダーチェ
作品社
2019-09-13


名もなき人たちのテーブル
マイケル・オンダーチェ
作品社
2013-08-27


『スイングしなけりゃ意味がない』

佐藤亜紀著
 ナチス政権下のドイツ、ハンブルグ。15歳の少年エディはピアノが得意な友人のマックスや上級生のデュークと共にスウィングに熱狂していた。しかしスウィングは敵性音楽。ゲシュタポの手入れを逃れつつクラブで踊り狂うが、戦況は悪化し不穏な影が濃くなっていく。
 評判通りとても面白く、若者たちの言葉遣いの崩し方の演出が上手い。エディの父親は軍需会社の経営者でアメリカやイギリスの文化にも造詣が深い洒落もの。しかし「党員」でもある。金持ちのボンボンで悪知恵の回るエディは立ち回りが上手く、もしかしたらナチスに全面的に肩入れしてさらに成り上がっていく道もあっただろう。しかしジャズとそれが象徴する自由に対する愛が、エディらをその道には進ませない。倫理観や正義感ではなく、音楽とバカ騒ぎへの欲望によって道を切り開いていく所が、ちょっとピカレスクロマンの主人公ぽくもあるし、「立派でなさ」が魅力でもある(身近にいたら絶対好きになれなさそうだけど)。ナチスの裏をかき海賊版レコードを売りさばいていく彼らの暗躍は痛快だが、戦況が悪化するにつれ文字通り死に物狂いになっていく。空襲の描写が生々しく清算だが、エディの語り口は依然として人を食った感じで諧謔混じりなところに逆に凄みがあった。

この世の外へ クラブ進駐軍 [DVD]
萩原聖人
松竹ホームビデオ
2004-06-25




ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ