3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『こうして誰もいなくなった』


有栖川有栖著
 小さな孤島に招待された7人の男女。島のホテルで出迎えたのは使用人の夫婦のみで、主は姿を見せない。残されたボイスメッセージは、悪人たちを裁くためにこの島に集めたと告げる。そして第一の殺人が起きた。アガサ・クリスティの代表作へのオマージュかつ王道の本格ミステリである表題作の他、ファンタジーにホラー、日常の謎系ミステリにショートショート等、幅広いノンシリーズ短編集。
 見本市的なバリエーションがあって、気軽に楽しめた。こういうのも書く人なんだ、という意外さも。とは言え、やはり表題作が一番すわりがいい。著者の文章のお作法は、本格ミステリを書くことに最適化されているのではないかと思う。状況説明するのに適した文体なんだろうなー。とは言え、自分でも意外だったのだが、一番ツボにはまったのはパロディファンタジー「線路の国のアリス」。題名の通り、鉄道の国に迷い込んだアリスの物語だが、スイッチバックがちゃんとスイッチバック文になってるー!とかループがちゃんとループ文になってるー!(何のことだかわからないだろうが、本文を見ると一目瞭然なのです)という喜びがあった。著者の鉄道ファンとしての面が色濃く、どころではなくあからさまに出ていて微笑ましい。線路の国での不思議な現象と鉄道ネタがちゃんと一体になっている。


『こびとが打ち上げた小さなボール』

チョ・セヒ著、斎藤真理子訳
 1970年代、軍事政権下の韓国。大規模な都市開発により土地は買い占められ、高層マンションが次々に建築されていた。急速な経済発展に伴い、土地を追われやすい労働力として使いつぶされる人々がいた。彼らの苦しみと呪詛の声、そして祈り。
 70年代に書かれた作品だが、現代の日本でおそらく全く当時と同じように通用している、いやより深刻に響いてきて辛い。この格差と搾取の構造は延々と続くのかと暗澹たる気持ちになるのだ。「こびと」や「いざり」は豊かになっていく社会から取り残されていく人たちだ。彼らにしろ工場で働く若者たちにしろ、何か壮大な野望や夢を抱いているわけではない。彼らはただ人間らしく生きたいだけなのだ。世の中の豊さが誰かの人間としての尊厳を損なうことによって成立しているということがやりきれない。末端の人間だけでなく、彼らよりも経済力はあるが労働者の置かれた状況に怒りを感じ改革を目指す人間、同情はするが何もできない人間、そして豊さを享受することが当たり前で、自分たちが搾取している等とは考えない人間も描かれる。それぞれの層は接触はあっても交わらず理解し合うこともなさそう。現状を変えられるきざしは見当たらない。それが結構辛いのだが、弱いものに寄り添った視点で描かれており、そこにほのかな希望がある。

こびとが打ち上げた小さなボール
チョ・セヒ
河出書房新社
2016-12-23


カステラ
パク ミンギュ
クレイン
2014-04-19


『この世にたやすい仕事はない』

津村記久子著
 10数年働いた仕事で燃え尽きてしまった「私」は、職業安定所で「簡単な仕事」を紹介してもらう。紹介してもらったのはどれも「簡単な仕事」だが、少々風変りなものばかり。働くことを描く連作集。
 特定の人を観察する仕事、路線バス車内の広告アナウンスを作る仕事、豆知識について原稿を作る仕事・・・。こんな仕事実際にありそう、というものかこんな仕事ないだろう!というものまで、ちょっと不思議なお仕事小説。と言っても本作の焦点は仕事そのものではなく、仕事と人との関係、働くという状態の不思議さ、奇妙さにある。特定の場所に来て特定の作業を行う(そうでない仕事ももちろんあるが、本著に出てくる仕事はそういうものなので)、その対価をもらうという行動はもしかすると大分奇妙なのではと思えてくる。仕事にどの程度責任を持てばいいのか「私」が見失っていく様子は、少々ホラー的でもあった。また、仕事場での人間関係も奇妙だ。同僚という状況で出会わなければまず交流しなさそうな人たちと何となく付き合いが出来ていく。その人間関係が苦しくなることもあるし、親密「ではない」からこそ気楽なこともある。「私」がどういう人なのか、過去に何があったのか、徐々に見えてくる構成が上手い。仕事の中で壊れていく人もいるが、仕事の中で再生していく部分もある。でも、個人的には出来れば働きたくないですよ・・・正に「この世にたやすい仕事はない」のだから。


ディス・イズ・ザ・デイ
津村記久子
朝日新聞出版
2018-06-07


『これなら書ける!大人の文章講座』

上阪徹著
 広告制作からスタートし、実用書から有名人への取材まで様々な著作を送り出してきた著者が、「人に読んでもらえる」という1点に絞り、文章を書く際の秘訣を解説。
 文章はほぼほぼ既存のデータで構成されている(だからこまめに観察とメモ、形容詞はいらない)、上手い文章を書こうとしなくていい、話すように書けばいい、まずはざっくり書通してみて後から調整する等のアドバイスは執筆素人にとって実用的。いわゆる美文や新聞記事のようなかっちり構成された文章が「いい文章」というわけではなく、プロではない人が書くのなら内容が正確に伝わる、読みやすいものが「いい文章」という意味。まずはそちらを目指した方がいいという方向の指南書だ。文章は情報を伝えるもの、という点に徹している。情報を伝える道具である文章の怖さについても言及されており、題名の通り「大人の文章講座」入門としてはとっつきやすい。
 何を書くのかという点についても、感想ではなく見たことあったことを、という指摘は、文章を書きなれていない人にとって目安になっていいのでは。メールやSNSでの文章の書き方アドバイスも盛り込まれており、対象年齢はやや高めな印象(でも若い人にももちろん役に立つと思う)。とは言えビジネス文書やレポート向けの文章の書き方指導というわけでもないし、何の為の文章を想定しているのか?と思っていたら、最後に「自分史」の書き方というオチがついてずっこけましたね。そこかよ!



文章読本さん江 (ちくま文庫)
斎藤 美奈子
筑摩書房
2007-12-10



『コールド・コールド・グラウンド』

エイドリアン・マッキンティ著、武藤陽生訳
 12980年代の北アイルランド。片腕を切断された男性の死体が発見された。無くなった片腕の代わりに現場には別人の片腕が残され、更に体内からはオペラの楽譜が見つかる。刑事ショーンはテロ組織の粛清に見せかけた殺人事件ではないかと疑う。彼の疑いを裏付けるように、「迷宮」と記された犯人からの挑戦状と思しき手紙が届く。
 80年代北アイルランドではIRAを筆頭に武装勢力が乱立、紛争が日常茶飯事になっており、殺人と言えばテロや組織間の抗争、粛清によるものと相場が決まっていた。ショーンが遭遇したような政治的背景が見えない「普通」の殺人事件の方が優先順位が低いという、特殊な時代背景が本作の肝。テロの脅威の前には殺人犯逮捕という正義の執行は霞んでしまう。捜査に慣れていないショーンたちの捜査はかなり危なっかしいし、警察としてもそこに労力を割きたくないという本音が見え見えなのだ。また、ショーンはカソリックなのだが、周囲がプロテスタントの中カソリックとして生きる、しかも警官であるということがどういうことか、緊張感が肌感覚で伝わってくる。当時を舞台にした映画で、車を出す前に底を確認する(爆弾が取り付けられていないか確認する)という動作を見たことがあったが本当に毎回やってるんだな・・・。
 ショーンは聡明とは言い難く(最近のミステリ小説ではなかなか見なくなった推理のへっぽこさ)、どこかふらふらと定まらなくて暴走しがち、様々な面でゆらぎの大きい人物なので、読んでいる間中心もとない。本作単体でというよりも、シリーズとしての展開が期待できそう。音楽や映画などサブカルチャーへの言及も多く、当時を体験した人ならより楽しめるのでは。


HUNGER/ハンガー 静かなる抵抗 [Blu-ray]
マイケル・ファスベンダー
ギャガ
2014-10-02





『壊れた海辺』

ピーター・テンプル著、土屋晃訳
 刑事キャシンは心身共に傷を負い、海辺の故郷に戻って地元の警察署で働き始めた。ある日、慈善事業等でも知られた資産家が自宅で殺される。物取りの仕業と思われ、容疑者として浮上したのは、高価な時計を売りに来たアボリジニの青年たちだった。彼らを追い詰めた警察は、2名を射殺、1名を逮捕。事件は終わったかに見えたが、警察の対応に疑問を感じたキャシンは捜査を続ける。
 オーストラリアを舞台にした作品で、都市部ではないオーストラリアの風土、文化が色濃く見られる。特にオーストラリア先住民であるアボリジニ(作中ではこの表記だが、近年は差別的な響きがある為に殆ど使われない。アボリジナル、アボリジナル・ピープル等と称するそうだ)に対していまだに差別が色濃く時にぎょっとさせられる(本作の舞台は現代)背景、また観光地化に伴う自然破壊問題等も、作中の事件とも関わってくる。やたらと広大で乾燥しており、雄大な大地というよりも荒涼とした土地という感じ。
 本作、文章に独特の読みづらさがある。基本キャシン視線の文章だが、急に過去の事件に言及したり(しかもそれが伏線になっているとは限らない)、キャシンの思考に空白が出来たかのようにシチュエーションが飛躍したりする。物語の主線上でのジャンプが多い感じだ。ただ、このスタイルが本作の持ち味になっている。キャシンは同僚を、そして自分のことも傷つけた過去の事件にことあることに引き戻されるが、この過去に引き戻されるという行為が、本作の中心にある事件の背景にもあるのだ。

壊れた海辺 (ランダムハウス講談社文庫 テ 3-1)
ピーター テンプル
武田ランダムハウスジャパン
2008-10-10




『声』

アーナルデュル・インドリダソン著、柳沢由実子訳
 クリスマス目前でにぎわうヘルシンキのホテルの地下で、ホテルの元ドアマンの死体が発見される。クリスマスパーティーにサンタクロース役で登場するはずだった男は、サンタの衣装のままめった刺しにされていた。捜査官エーレンデュルは捜査を進めるうち、男の意外な過去を知る。
 クリスマスシーズンで世の中が浮き立っているが、妻とはかなり前に離婚して独り身、娘とはぎこちなく(シリーズ1,2作目で経緯が描かれる)息子とは疎遠なエーレンデュルは所在なさげ。部下に気を使われ、各方面から「クリスマスはどう過ごすんですか?」と何度も聞かれるというもはや反復ギャグのようなやりとりがおかしい。エーレンデュル、自宅に帰るのも気が進まず事件現場のホテルにそのまま泊まってしまうのだからよっぽどである。でも自分では絶対所在なさを認めないのだろう。彼の頑固さと独特の陰気さが魅力となっている奇妙なシリーズだ。
 彼の感じる自分とクリスマスとの無縁さは、被害者が感じていたものでもあるのかもしれない。また、エーレンデュルの過去の傷と、被害者の過去、そしてもうひとつの事件とが呼応していく。共通するのは家族の繋がりの危うさと断ち切れなさだ。すっぱりと諦められれば楽なのに、何で手放せないのかという。登場人物それぞれを、過去から続く傷がすこしずつ浸食し続けているようで痛ましい。

声 (創元推理文庫)
アーナルデュル・インドリダソン
東京創元社
2018-01-12


緑衣の女 (創元推理文庫)
アーナルデュル・インドリダソン
東京創元社
2016-07-10

『コードネーム・ヴェリティ』

エリザベス・ウェイン著、吉澤康子訳
 第二次大戦中のフランスで、イギリス特殊作戦執行部員の女性がナチスの捕虜になった。彼女は痛めつけられ、イギリス軍の機密を教えれば尋問を止めると親衛隊大尉に強要される。彼女が綴る内容は、親友の女性飛行士マディを主人公とした小説のようなものだった。彼女はなぜこのような書き方をしたのか?
 二部構成になった作品で、前半は捕虜となった女性の手記、後半は手記の書き手ではない、また別のある女性の闘いが描かれる。前半の手記が何だったのかということが、終盤で明らかになっていき、書き手であった女性のなけなしの勇気と知恵にぐっとくるのだ。彼女が手記で何を伝えようとしたかというミステリ要素はもちろんあるのだが、本作全体としてみると、正直そこにはあまり感銘を受けない(読む際にもそれほど重視する必要はなく、出し方も取って付けたような感じではある)。むしろ、彼女がこの手記の読み手として誰を想定していたのか、どんな気持ちを込めたのかという部分に心をうたれる。彼女は冒頭に「私は臆病者だ」と記す。確かに、彼女たちは聡明ではあるが戦場の残酷さに耐え抜けるほど強くはない。物理的な暴力に対しては無力だし、尋問・脅迫にも屈してしまうだろう。自分でもそれはよくわかっており、「怖い物リスト」の内容が戦況が悪化するにつれ変化していくのは痛ましい。しかしそれでもなお、彼女たちを踏み留まらせるものがある。「キスしてくれ、ハーディ」という言葉に込められたもの、それを受け取る者の姿にぐっときた。愛と友情という言葉はこういう時に使うのか。

コードネーム・ヴェリティ (創元推理文庫)
エリザベス・ウェイン
東京創元社
2017-03-18


スカートの翼ひろげて [DVD]
キャサリン・マコーマック
アミューズ・ビデオ
2000-02-04



『ゴーストマン 時限紙幣』

ロジャー・ホッブス著、田口俊樹訳
誰の記憶にも残らず、犯罪の痕跡を消し去る「ゴーストマン」と呼ばれる“私”。犯罪組織のトップから、2人の男が銀行強盗で手に入れた120万円の紙幣を手に入れろという依頼を受ける。紙幣は48時間後に「爆発」し、痕跡は消せなくなると言うのだ。
現在進行中の現金強奪事件と、“私”が依頼を断れない原因となった過去の銀行強盗事件、2つの犯罪が平行して描かれる。“私”がどういう人間かということよりも、仕事の手順、犯罪者としての思考方法やメンタリティという、どういう「犯罪者」であるかということに重点が置かれており、文字通りの犯罪小説。そもそも“私”がゴーストマンという仕事の都合上、人間としての自分の個性には重きを置いていない、むしろ(元々あまり個性の強い人ではないらしいが)排除していくものと考えている所が、主人公としてはユニークだ。それでも、プロの犯罪者としての振る舞いの隙間から、“私”個人が元々持ち合わせている価値観や資質が見え隠れする。そのバランスがいい。完璧な「犯罪者」だと、ここまで面白みは出なかったのではないか。様々な思惑がからむ事件の真相も気になり、一気に読まされた。

『これからお祈りにいきます』

津村記久子著
 人型の巨大なハリボテに、これだけは取られたくないもの(大抵体の一部)を模した物をそれぞれが入れるという、奇祭のある町で育ったシゲル。祭りをうとましく思いながらも祭りを主催する自治体でのアルバイトに励んでいる。弟はひきこもり、父は不倫中で家庭も憂鬱だ。幼馴染の同級生の少女も家庭の事情でアルバイトに励んでおり、シゲルは彼女のことがどこか気になっていた(「サイガイサマのウィッカーマン」)。他、「バイアブランカの地層と少女」の2編を収録。
 シゲルの住む町で昔からまつられている神様「サイガイサマ」は足りない神様だという。何かと引き換えにしか願いを叶えられない、その叶え方も中途半端だという、力不足の「足りなさ」なのだ。シゲルは自由研究としてサイガイサマの由来や特性を調べたことがあり、その知識が所々で披露されている。土着の信仰が変容していく様が垣間見えて面白いのだが、由来を知ってしまったからなおさら、シゲルにとってサイガイサマは胡散臭い神様になっている。そんな胡散臭いものが暮らしの中心にある地域の、はたから見たら奇妙だけどその中にいるとそれが普通、という感覚のとらえ方が上手い。シゲルは、自分の地元に対する視線がちょっとひいたものになっているので、その奇妙さが嫌なんだろうなぁ。とは言え、足りなくても、胡散臭くても、神様はやはり神様で、そこにいないと困るのかもしれない。土壇場で祈る対象があることに救われることもある。「バイアブランカの地層と少女」でも、やはり主人公は土壇場で祈ってしまう。どちらも自分の為の祈りではない。誰かの為にこそ、必死で祈りたくなるのかもしれない。どちらの主人公も、そのくらい優しい人たちということかもしれないが。

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