3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『刑罰』

フェルディナント・フォン・シーラッハ著、酒寄進一訳
 参審員として裁判で被告人の供述を聞いた女性は、その内容に強く反応してしまう(『参審員』)。アルコール依存症の弁護士は夫を射殺した疑いをかけられた女性の弁護を引き受けるが、弁護の突破口となったのは意外な人物からのアドバイスだった(『逆さ』)。裁判と罪と刑罰にまつわる短編集。
 シーラッハはやはり短編の方がいい。短ければ短いほど切れがいいと言ってしまってもいいくらいだと思う。毎回、深淵を覗きこむものはまた深淵から覗きこまれているのだ・・・等とつぶやきたくなる、人間の不条理さ不可解さが突如顔を出してくるような作品ばかり。心に積み重なっていく淀みのようなものが域値を越えた時、本人でも予想しなかったような行動が現れる。周囲から見たらいきなりトチ狂ったように見えるんだろうけど、当人の中では経緯があっての発露なのだ。その経緯を他人が納得するように説明することができない、しても理解されないから辛いし救われないんだけど。
 最初に収録されている『参審員』が特に胸に刺さったのだが、何もこの場、このタイミングで直面しなくても!という間の悪さが、1人の人間の人生を決定付けてしまったやりきれなさが辛い。せめてカタリーナの共感が「彼女」に伝わっていれば願わざるを得ない。痛切な作品がある一方で、『逆さ』や『小男』のようなちょっとユーモラスな作品もある。今回は、司法のシステムや法律の隙間に落ち込んでしまったというか、本来ならやるべきだったことを司法が行えないというような、システムの穴みたいな話が多かったように思う。


刑罰
フェルディナント・フォン・シーラッハ
東京創元社
2019-06-12






ラースと、その彼女<特別編> [DVD]
ライアン・ゴズリング
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2014-02-05

『拳銃使いの娘』

ジョーダン・ハーパー著、鈴木恵訳
 11歳の少女ポリーは母親と継父と暮らしていた。ある日学校から帰ろうとすると、刑務所帰りの実父ネイトが現れ車に乗せられた。ネイトは獄中で凶悪なギャング組織を敵に回し、彼だけでなくポリーと母にも処刑命令が出ていたのだ。母親は既に殺されており、ネイトとポリーは逃亡の旅に出る。
 ポリーはネイトと暮らしたことが殆どなく、ネイトも処刑命令が出るまではポリーと会うつもりもなかった。ほぼゼロ状態から始まる親子関係だが、共に危機を乗り越えることにより徐々に絆が育ち始める。とは言えその絆は、生き延びる為とは言え銃と暴力を下地にしたものではあるのだが。ネイトがポリーに護身術を教え鍛えるエピソードは微笑ましいといえば微笑ましいのだが、その中でポリー自身の中にある暴力への指向が開花する瞬間がある。ネイトがポリーを暴力から遠ざけようとしても、ポリーは自ら暴力に近づいていってしまう。ネイトへの愛情や仲間意識によるものだけではないその行動が危うい。 バイオレンスな旅路がリズミカルで軽快、時にユーモラスな文体で描かれる。湿っぽくなりそうな所をあくまで乾いたタッチに留めている所がいい。ネイトがどういう方法で娘を守ろうとするのか、最後まで目が離せなかった。

拳銃使いの娘 (ハヤカワ・ミステリ1939)
ジョーダン・ハーパー
早川書房
2019-01-10


逃亡のガルヴェストン (ハヤカワ・ミステリ)
ニック・ピゾラット
早川書房
2011-05-09


『警官の街』

カリン・スローター著、出水純訳
 1974年のアトランタ。3か月間で警官4人が殺害される事件が起きていた。どの死体もひざまづき額を撃たれるという処刑スタイルのもので、犯人は“アトランタ・シューター”と呼ばれていたが、証拠は何もなく容疑者も上がっていなかった。5人目の被害者が出たが、今までとは殺害スタイルが違う。女性警官マギーは捜査に加わりたいと熱望するが、男性社会の中ではまともにとりあってもらえず、独自に調べ始める。
 警察小説として、70年代を描いた小説として、この時代・場所で女性として生きることがどういうことか描いた小説として、とても面白かった。警察という組織の体質に加え土地柄もあるのか、人種差別、女性差別が厳しい。女性が警官になるということ自体が(ことに警察内部から)白眼視されていた時代だ。マギーが男性同僚から受けるセクハラは耐え難いし、母親や叔父から受ける警官を辞めろというプレッシャーもきつい。特に母親と叔父とが違った形でマギーを縛ろうとする様には怒りが沸いてくる。一方、育った環境からして警官らしからぬ新人警官ケイトの下剋上的奮闘は清々しい。冒頭とラストの対比にはぐっとくる。女性達の共闘に対して、白人男性警官らによる警察という組織の異形さが浮かび上がってくる。

警官の街 (マグノリアブックス)
カリン・スローター
オークラ出版
2015-12-25


あなたに不利な証拠として (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ローリー・リン ドラモンド
早川書房
2008-03-01






『穢れた風』

ネレ・ノイハウス著、酒寄進一訳
 風力発電施設建設会社で、夜勤についていた警備員の死体が発見された。ビルには何者かが侵入した形跡があり、更に社長のデスクにはハムスターの死骸が置かれていた。風力発電施設建設の反対運動に関係しているのかと思われた事件だが、次々に怪しい人物が浮かび上がっていく。
 刑事オリヴァー&ピアシリーズの5作目。ピアが新たなパートナーとの中国旅行から帰ってくるところから始まる。これまで登場した人物や人間関係を踏まえた内容なので、できれば時系列上の前作(『白雪姫には死んでもらう』。日本での翻訳出版の順番は本国での発行順とはずれている)を読んでからの方がいいかもしれない。特にオリヴァーの絶不調振りには目を覆うものがあり、本作から本シリーズを読む読者には、普段はもうちょっと出来る子なんです!と庇ってあげたくなるレベル。これまでもちらちら見え隠れしていたが、女性を見る目があんまりない人なのかな・・・。見た目がか弱い女性に弱く、自己が強い女性にはそそられないらしい。今回、コロっと落ちるんでびっくりするのを通り越して退いたわ!
 環境保護問題に絡んだ巨大な陰謀が並走していくが、人間、とっさの行動の動機はそんな高尚なものではなく、ストレートに欲望に絡むことが殆どだというのが、本シリーズの一貫した所だと思う。色と欲が泥臭い。それは犯人や関係者だけでなく、警察側も同じだ。オリヴァーもピアも、他の同僚たちも完璧ではなく色々難がある普通の人たちだ。そこが親しみやすさでもあり、魅力でもある。不完全な人たちの集団の方が、人間ドラマに広がりがあるんだなと改めて思った。オリヴァーの今後が大分心配ではありますが・・・

穢れた風 (創元推理文庫)
ネレ・ノイハウス
東京創元社
2017-10-21





白雪姫には死んでもらう (創元推理文庫)
ネレ・ノイハウス
東京創元社
2013-05-31

『ケモノの城』

誉田哲也著
 17歳の少女が、警察に自ら保護を求めてきた。彼女の体には多くの傷跡があり尋常ではない様子が窺えた。少女が監禁されていたというマンションには1人の女性がおり、浴室からは複数名の血痕が発見された。ここで一体何が起きたのか。2人の事情聴取が始まり、主犯と思しき1人の男性の存在が明らかになるが、2人の話は徐々に食い違っていく。
 実際にあった事件に想を得て書かれた作品だそうだが、最近だと黒沢清監督の映画『クリーピー 偽りの隣人』(原作は前川裕の小説『クリーピー』。私は原作小説未読なのでここでは映画の方を挙げる。)も同じネタだった。人間の不可解さ、薄気味悪さと恐ろしさが詰まった題材なので、ネタにしたくなるのはわかる。客観的に見ていると、なぜここで逃げられなかったのか、退けなかったのか、なぜどんどん取り込まれてしまうのか不思議なのだが、当事者になってみるとおそらくどうしようもないという、悪意の磁場みたいなものがある。一番怖いのは、その磁場に他人を引き込むことを何とも思わない、特に感情なく自然な行為としてそういうことをやる人間が存在するということだ。捜査を進める警察側と、ある青年側と、2方向から構成された小説だが、途中であっと驚かされる。構成の妙に唸るが、サプライズがなまじ上手くいっているので、事件の不可解さ、気味の悪さのインパクトが少々後退してしまったようにも思った。怖い、よりも上手い、の方が前面に出てくるように思った。

ケモノの城 (双葉文庫)
誉田 哲也
双葉社
2017-05-11


クリーピー 偽りの隣人[DVD]
西島秀俊
松竹
2016-11-02


『現代世界の十大小説』

池澤夏樹著
モームの名エッセイ「世界の十大小説」から60年。彼のセレクションはもちろん名作ばかりで現代でも広く読まれている。しかし、モームが選んだ小説は18世紀~19世紀、国はイギリス、ロシア、フランス、アメリカのもの。世界が大きく変化した現代には現代なりの十大小説が必要なのではないか。著者が選んだ10作品を、その背景と合わせて解説する新書。著者による「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」および同「日本文学全集」の副読本として読むと(本作で紹介されている作品のすべてが個人全集に含まれているわけではないが)、著者がどういう指針で作品選出したのか、文学にはどのような役割があると考えているのか、よりわかるのではないだろうか。その小説が誰によって語られているものなのか、何がそれを語らせるのかということが、その時代や国、世界の形を雄弁に伝える。一つの作品の中に様々な声がある、多数の視点から語りうるという所が、小説の強みではないかと思う。また、モームの時代は、まだ世界が(地理的に)限定されていたのだなともつくづく。よりさまざまな国、文化圏の小説が読めるようになったことは素晴らしいが、今の文学はそれが(自分が属している文化圏の)外部からどう見えるか、どういう関係か常に考えざるを得ないのかとも。

『結婚式のメンバー』

カーソン・マッカラーズ著、村上春樹訳
12歳の少女フランキーは、南部の田舎町で父親と女料理人ベレニスと暮らしている。遊び相手はもっぱら従兄のジョン・ヘンリー。日常にうんざりし、兄の結婚式で自分も人生が変わるのではと心待ちにしていた。マッカラーズの作品は題名を知っていた程度で、読むのは初めて。素晴らしい!こういう小説がなかなか手に入らない状態だったんなんて・・・。フランキーはどのグループの「メンバー」としてもはまれずにいる。その一方で、自分が他の人々と何でも通じあっているような気分にもなる。気分のアップダウンが激しく、感情も行動もちぐはぐだ。何に驚いた、かつがっくりきたかというと、フランキーの感じている息苦しさや、自分や世界へのしっくりこなさ、ある時世界がとてつもなく遠く隔たれたものに感じられること等は、フランキーと同じ12歳だった頃の私が感じたものでもあるし、今だに感じていることだという所だ。それが本作の素晴らしいところなのだが。訳者解説でも触れられているが、これはフランキーの成長における一幕というのではなく、明日もずっと続いていくことなのだ。フランキーは作中における彼女の呼称が変わるように(フランキー→F.ジャスミン→フランセスというように)変化し続けるだろう。しかし、彼女はあくまで彼女。自分以外にはなれないのだ。

『啓火心 Fire's Out』

日明恩著
都内で、違法薬物を製造していたと思われる場所からの出火が相次ぐ。港区飯倉消防出張所に配属された消防士の大山雄大は、現場から大量のペットボトルとメタンの成分が検出されたことに疑問を持つ。同じころ、行きつけの定食屋で向井という男をスリ被害から助けるが、意外な場所でまた向井を目撃する。どうも六本木界隈の暴力団と繋がりがある様子なのだ。前作『埋み火』から大分経ったなと思っていたら実に10年!長かった!しかし今回もしっかり面白い。これまでよりもかなり展開がスピーディで圧縮された感じ。作中の日数は短いが怒涛の展開なので、著者の前作『そして、警官は微睡る』からの疾走モードが続いているのかな。本来事務方志望だがどう見ても現場向きな雄大は、相変わらず仕事のハードさに対する不満は多い。が、やっぱり消防士の適性が(主に身体能力だけど)高いし、言うほどこの仕事嫌いじゃないんだなというのが端々から察される。でも自分では「嫌だ!」と言っているので新手のツンデレみたいな感じになってるけど・・・。雄大の友人2人が万能すぎて、ちょっとドラえもん化しているきらいはあるが、雄大(だけではなく、著者の作品の登場人物の多くに)の根底にまっとうに生きること、自分の「仕事」をやることへの肯定があるので、地から足が離れない。彼らの姿勢の正しさはちょっと眩しすぎるけれども。なお、町の描写はかなり現実に即しているので、雄大の飯倉消防署の立地に対する不満には納得せざるを得ない。

『ゲルマニア』

ハラルト・ギルバース著、酒寄進一訳
1944年、ナチス政権下のベルリン。ユダヤ人の元刑事オッペンハイマーは、ナチス親衛隊大尉フォーグラーにより、突然殺人事件の捜査を命じられる。女性の猟奇殺人事件で、敏腕刑事だったオッペンハイマーの手腕が必要と判断されたのだ。自らの延命を賭け、オッペンハイマーは捜査を開始する。薄々敗北を予感している人もいるような、敗色が濃くなりつつあるドイツ国内の雰囲気が感じられ面白い。オッペンハイマーらユダヤ人や友人のヒルダら地下活動に関わっている人たちはドイツの敗戦を願うが、対外的にはドイツが負けるなどありえない、という顔をしなければならない。しかしそれはフォーグラーら軍人たちも同じなのだ。同じ集団にいる人たちが同じ夢を見ているとは限らない、建前と本音との乖離が度々見え隠れする。また、オッペンハイマーはフォーグラーをSSとして恐れ嫌悪し、フォーグラーはユダヤ人であるオッペンハイマーを同等な人間とは考えていない。しかし共に捜査をしているうち、ふと相手を単に人間である、自分と同じような存在であると錯覚する瞬間が訪れる。本来ならその「錯覚」の方が当然の状態なのだが、彼らにとってはそうではないということを逆に強調され、はっとする。

『ゲイ短編小説集』

O.ワイルド他著、大橋洋一監訳
オスカー・ワイルド、ヘンリー・ジェイムズ、サキ、D.H.ロレンスら近代英米文学を代表する”ゲイ小説”を収録した中短編集。本著で言うところの”ゲイ小説”は、作家がゲイである、作品の主人公がゲイであることに限らない。自身の中の何かを隠し社会の中に溶け込もうとする態度、認めたくない自身の欲望、異なるものに対する恐怖、そしてホモフォビア等をはらむ作品を指しているのだろう。セクシャリティだけではなく、いわゆる「世間」とのずれ、またずれることへの忌避を描く際にゲイ的なものが都合よかったということもあるのかもしれない。ホモフォビアを描くD.H.ロレンス「プロシア士官」が最もガチでゲイ小説のように見えたのは皮肉だ。また、セクシャリティとはあまり関係ないが、ヘンリー・ジェイムズ「密林の野獣」には個人的にえぐられるものがあった。欲望を持てない人というのも一定数いるのではないかと思う。

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