3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ケモノの城』

誉田哲也著
 17歳の少女が、警察に自ら保護を求めてきた。彼女の体には多くの傷跡があり尋常ではない様子が窺えた。少女が監禁されていたというマンションには1人の女性がおり、浴室からは複数名の血痕が発見された。ここで一体何が起きたのか。2人の事情聴取が始まり、主犯と思しき1人の男性の存在が明らかになるが、2人の話は徐々に食い違っていく。
 実際にあった事件に想を得て書かれた作品だそうだが、最近だと黒沢清監督の映画『クリーピー 偽りの隣人』(原作は前川裕の小説『クリーピー』。私は原作小説未読なのでここでは映画の方を挙げる。)も同じネタだった。人間の不可解さ、薄気味悪さと恐ろしさが詰まった題材なので、ネタにしたくなるのはわかる。客観的に見ていると、なぜここで逃げられなかったのか、退けなかったのか、なぜどんどん取り込まれてしまうのか不思議なのだが、当事者になってみるとおそらくどうしようもないという、悪意の磁場みたいなものがある。一番怖いのは、その磁場に他人を引き込むことを何とも思わない、特に感情なく自然な行為としてそういうことをやる人間が存在するということだ。捜査を進める警察側と、ある青年側と、2方向から構成された小説だが、途中であっと驚かされる。構成の妙に唸るが、サプライズがなまじ上手くいっているので、事件の不可解さ、気味の悪さのインパクトが少々後退してしまったようにも思った。怖い、よりも上手い、の方が前面に出てくるように思った。

ケモノの城 (双葉文庫)
誉田 哲也
双葉社
2017-05-11


クリーピー 偽りの隣人[DVD]
西島秀俊
松竹
2016-11-02


『現代世界の十大小説』

池澤夏樹著
モームの名エッセイ「世界の十大小説」から60年。彼のセレクションはもちろん名作ばかりで現代でも広く読まれている。しかし、モームが選んだ小説は18世紀~19世紀、国はイギリス、ロシア、フランス、アメリカのもの。世界が大きく変化した現代には現代なりの十大小説が必要なのではないか。著者が選んだ10作品を、その背景と合わせて解説する新書。著者による「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」および同「日本文学全集」の副読本として読むと(本作で紹介されている作品のすべてが個人全集に含まれているわけではないが)、著者がどういう指針で作品選出したのか、文学にはどのような役割があると考えているのか、よりわかるのではないだろうか。その小説が誰によって語られているものなのか、何がそれを語らせるのかということが、その時代や国、世界の形を雄弁に伝える。一つの作品の中に様々な声がある、多数の視点から語りうるという所が、小説の強みではないかと思う。また、モームの時代は、まだ世界が(地理的に)限定されていたのだなともつくづく。よりさまざまな国、文化圏の小説が読めるようになったことは素晴らしいが、今の文学はそれが(自分が属している文化圏の)外部からどう見えるか、どういう関係か常に考えざるを得ないのかとも。

『結婚式のメンバー』

カーソン・マッカラーズ著、村上春樹訳
12歳の少女フランキーは、南部の田舎町で父親と女料理人ベレニスと暮らしている。遊び相手はもっぱら従兄のジョン・ヘンリー。日常にうんざりし、兄の結婚式で自分も人生が変わるのではと心待ちにしていた。マッカラーズの作品は題名を知っていた程度で、読むのは初めて。素晴らしい!こういう小説がなかなか手に入らない状態だったんなんて・・・。フランキーはどのグループの「メンバー」としてもはまれずにいる。その一方で、自分が他の人々と何でも通じあっているような気分にもなる。気分のアップダウンが激しく、感情も行動もちぐはぐだ。何に驚いた、かつがっくりきたかというと、フランキーの感じている息苦しさや、自分や世界へのしっくりこなさ、ある時世界がとてつもなく遠く隔たれたものに感じられること等は、フランキーと同じ12歳だった頃の私が感じたものでもあるし、今だに感じていることだという所だ。それが本作の素晴らしいところなのだが。訳者解説でも触れられているが、これはフランキーの成長における一幕というのではなく、明日もずっと続いていくことなのだ。フランキーは作中における彼女の呼称が変わるように(フランキー→F.ジャスミン→フランセスというように)変化し続けるだろう。しかし、彼女はあくまで彼女。自分以外にはなれないのだ。

『啓火心 Fire's Out』

日明恩著
都内で、違法薬物を製造していたと思われる場所からの出火が相次ぐ。港区飯倉消防出張所に配属された消防士の大山雄大は、現場から大量のペットボトルとメタンの成分が検出されたことに疑問を持つ。同じころ、行きつけの定食屋で向井という男をスリ被害から助けるが、意外な場所でまた向井を目撃する。どうも六本木界隈の暴力団と繋がりがある様子なのだ。前作『埋み火』から大分経ったなと思っていたら実に10年!長かった!しかし今回もしっかり面白い。これまでよりもかなり展開がスピーディで圧縮された感じ。作中の日数は短いが怒涛の展開なので、著者の前作『そして、警官は微睡る』からの疾走モードが続いているのかな。本来事務方志望だがどう見ても現場向きな雄大は、相変わらず仕事のハードさに対する不満は多い。が、やっぱり消防士の適性が(主に身体能力だけど)高いし、言うほどこの仕事嫌いじゃないんだなというのが端々から察される。でも自分では「嫌だ!」と言っているので新手のツンデレみたいな感じになってるけど・・・。雄大の友人2人が万能すぎて、ちょっとドラえもん化しているきらいはあるが、雄大(だけではなく、著者の作品の登場人物の多くに)の根底にまっとうに生きること、自分の「仕事」をやることへの肯定があるので、地から足が離れない。彼らの姿勢の正しさはちょっと眩しすぎるけれども。なお、町の描写はかなり現実に即しているので、雄大の飯倉消防署の立地に対する不満には納得せざるを得ない。

『ゲルマニア』

ハラルト・ギルバース著、酒寄進一訳
1944年、ナチス政権下のベルリン。ユダヤ人の元刑事オッペンハイマーは、ナチス親衛隊大尉フォーグラーにより、突然殺人事件の捜査を命じられる。女性の猟奇殺人事件で、敏腕刑事だったオッペンハイマーの手腕が必要と判断されたのだ。自らの延命を賭け、オッペンハイマーは捜査を開始する。薄々敗北を予感している人もいるような、敗色が濃くなりつつあるドイツ国内の雰囲気が感じられ面白い。オッペンハイマーらユダヤ人や友人のヒルダら地下活動に関わっている人たちはドイツの敗戦を願うが、対外的にはドイツが負けるなどありえない、という顔をしなければならない。しかしそれはフォーグラーら軍人たちも同じなのだ。同じ集団にいる人たちが同じ夢を見ているとは限らない、建前と本音との乖離が度々見え隠れする。また、オッペンハイマーはフォーグラーをSSとして恐れ嫌悪し、フォーグラーはユダヤ人であるオッペンハイマーを同等な人間とは考えていない。しかし共に捜査をしているうち、ふと相手を単に人間である、自分と同じような存在であると錯覚する瞬間が訪れる。本来ならその「錯覚」の方が当然の状態なのだが、彼らにとってはそうではないということを逆に強調され、はっとする。

『ゲイ短編小説集』

O.ワイルド他著、大橋洋一監訳
オスカー・ワイルド、ヘンリー・ジェイムズ、サキ、D.H.ロレンスら近代英米文学を代表する”ゲイ小説”を収録した中短編集。本著で言うところの”ゲイ小説”は、作家がゲイである、作品の主人公がゲイであることに限らない。自身の中の何かを隠し社会の中に溶け込もうとする態度、認めたくない自身の欲望、異なるものに対する恐怖、そしてホモフォビア等をはらむ作品を指しているのだろう。セクシャリティだけではなく、いわゆる「世間」とのずれ、またずれることへの忌避を描く際にゲイ的なものが都合よかったということもあるのかもしれない。ホモフォビアを描くD.H.ロレンス「プロシア士官」が最もガチでゲイ小説のように見えたのは皮肉だ。また、セクシャリティとはあまり関係ないが、ヘンリー・ジェイムズ「密林の野獣」には個人的にえぐられるものがあった。欲望を持てない人というのも一定数いるのではないかと思う。

『刑事たちの四十八時間』

アレックス・グレシアン著、谷泰子訳
英国中西部の炭鉱村で、幼い子供と両親が行方不明になった。スコットランド・ヤードのディ警部補とハマースミス巡査部長は地元の警官に請われて捜索に出向くが、猶予は2日間。しかも村では奇妙な病気が蔓延していた。発見された目玉や血痕のついたドレスは誰のものなのか。『刑事たちの3日間』に続くシリーズ2作目。前作はボリュームのある警察(といっても組織としてはまだ出来たてって感じだったけど)小説的だったが、本作は48時間というリミットもあって、ジェットコースターのようなスピード感あるサスペンス。村の因習や迷信といったオカルト的な雰囲気が目くらましとなり、寒さと雪にも捜査を邪魔される。それでも実直に捜査を続けるディとハマースミスが魅力的。特にハマースミスは、女性がつい長めに見てしまうくらいハンサム(笑)という設定なのだが、本人に全く自覚がなく身だしなみが下手(笑)かつクソ真面目というキャラの立ち方。悪気はないがトラブルメーカーな宿屋の主人や、何か訳知りらしい兄妹など、脇役の造形もいい。訳もこなれていて、生き生きとしており読みやすかった。

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