3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『クロコダイル路地Ⅰ』

皆川博子著
 民衆がバスティーユ監獄を襲撃し、フランス革命の口火となった1789年7月14日。パリで起きた争乱は徐々にフランス全土に広がっていき、農民が暴動を起こし貴族や領主を襲い始める。反革命軍に加わった貴族の嫡男フランソワと従者ピエール、裕福なブルジョアの嫡男ローラン、日雇い労働で食いつなぐ貧しい平民のジャン=マリと幼い妹コレット。身分も立場も違う彼らの運命は革命により大きく変わっていく。
 Ⅰ、Ⅱと2部構造の作品だそうで、本作はフランス編(舞台は主に貿易都市であったナント)。登場人物たちは「革命」の当事者となっていくわけだが、革命側にしろ反革命側にしろ、実際に自分達が何に加担していて、どういう経緯でこうなっているかわかっていた人など、当時はごく一部だったろう。この「わかっていない」部分の描き方が上手い。なりゆきでついていった側がどちらだったかで運命は大きく変わり、かつ自分が何に加担しているのかも理解しないまま事態は転がっていく。一口に革命といっても、それぞれ見えている景色は全然違うのだ。ばらばらで先の見えない群像劇として、スリリングで面白い。そして、事態に流されるうちそれぞれの中に徐々に鬱積していくものが、今後の展開に影を落としていくことが予想される。その人の表面化していなかった資質が、非日常的な状況の中で開花していくのだが、それが良き資質とは限らないのだ。

『黒い犬と逃げた銀行強盗 見習い探偵ジュナの冒険』

エラリー・クイーン著、中村佐千江訳
友人のトニーとクリントンの町に遊びに来たジュナは、銀行強盗の現場に出くわしてしまう。ジュナにカナダへの道を聞いた男は犯人の一味だったのだ。警察は犯人を取り逃がすが、ジュナは犯人たちは脇道に入ったのではと考える。
クイーンによる児童向けミステリシリーズ(クイーンはかなりゴーストライターも使っていたそうだが、本作はどうなのかな?)が角川つばさ文庫に登場してびっくりしていたのだが、無事続刊が出てありがたい。この調子で全巻復刊するといいなぁ。子供向けなことに加え時代背景も相まって牧歌的、とは言えミステリの楽しさは保持されている。かつ、子ども扱いされて自説を聞いてもらえない苛立ちや、子供故に大人の機微まではわからない所など、一貫して子供目線の物語である所は、正しく児童文学ぽい。ミステリのトリックはかなり単純なのだが、サスペンス要素に注力しており、当時の少年少女はハラハラしつつ読んだんじゃないかな。なお、当然クイーンが現役だった時代が舞台なのだが、作中では時代への言及がない。解説か何かで一言言及があってもいいかなと思った。馬車と自動車が普通に公道を走っているってことが、今の子供にはぴんとこないかも。電話も村に1つだけとかなんだよね。

『熊と踊れ(上、下)』

アンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリ著、ヘレンハルメ美穂 羽根由訳
 レオ、フェリックス、ヴィンセントの三兄弟と幼馴染のヤスペルは、緻密な計画によって武器強奪、そして銀行強盗を企て、成功させる。彼らの間には家族としての強い絆があった。しかし同時に、レオの中には父親によって植えつけられた暴力への志向があった。一方、ストックホルム市警のブロンクス警部は銀行強盗事件の捜査を進めていた。
 家族の絆と言うと聞こえはいいが、それが「家族」を不自然にゆがめてしまうこともある。レオたちの父親は、他人を信じず暴力で他者と渡り合う生き方しか出来ない人物で、その分「家族」には絶対的な忠誠を要求する。幼かったレオたちはそれに従う他なく、そのために大きな傷を負ってしまう。そして成長してからも、父親の呪縛から逃れることができない。妻子を物理的・精神的な暴力でコントロールしようとする父親の姿は読んでいて腹立たしいし怖い。どんなにひどい親でも、子供にとっては親であり頼り愛されようとせざるを得ないというのも腹立たしいし辛い。そして、父親の支配の仕方をレオが無意識に踏襲している、父親から逃れようとしてまた出戻ってしまうことが更に怖いのだ。スリリングでとても面白いのだが、暴力による支配の連鎖は読んでいてストレスが溜まる。レオたちだけでなく、ブロンクスもまた同じような暴力にさらされてきた。生き方のどこで道が分かれてしまうのか、2人の対峙はやるせない。
 なお、本作は実話が元になっているそうだ。それだけなら珍しくはないが、著者の1人が事件の当事者というケースはかなり珍しいのでは。暴力により他者を支配しようとする言動の生々しさが際立っていた。

『クィア短編小説集 名づけえぬ欲望の物語』

A.C.ドイル、H.メルヴィル他著、大橋洋一監訳、利根川真紀・磯部哲也・山田久美子訳
 もともと「変態的・倒錯的」という別称で使われていた「クィア queer」という言葉。やがて、性的マイノリティ全般を示す総称として、またそのいずれにも属さない欲望を示すようになる。なんともいえない奇妙な味わいの8編を収録した短編集。平凡社ライブラリーから出ている『ゲイ短編小説集』『レズビアン短編小説集』に連なるアンソロジー。
 セクシャリティにまつわる語として使われがちなクィアだが、本作の中には、セクシャリティという枠にも収まりきらない、奇妙なものもある。1編目のメルヴィル『わしとわが煙突』は煙突に執着する老人の話なのだが、こ、これは老人BL・・・なのか・・・?相手は煙突だけど・・・。またその道の方には言うまでもないシャーロック・ホームズシリーズからも2編(しかも同じトリックのやつ、というとどれだかわかる人もいるだろう)。伝オスカー・ワイルド『ティルニー』は一部抜粋なのだが、これは当時大問題だっただろうという性的ファンタジー。しかし最もクィアという言葉にはまる作品は、ウィラ・キャザー『ポールの場合 気質の研究』『彫刻家の葬式』、ジョージ・ムア『アルバート・ノッブスの人生』ではないかと思う。LGBTのいずれにも当てはまらなさそうな、欲望がどのようなものか名付けられないような曖昧さを持つのだ。同時に、登場人物の居場所のなさ、どこにも所属できない寂しさも際立つ。『アルバート~』は映画化もされたが、原作の方がより奇妙な味わい。

『愚者たちの棺』

コリン・ワトスン著、直良和美訳
 港町フラックスボローで、地元の名士キャロブリートが死亡、ひっそりと葬儀が行われた。7ヶ月後、葬儀の参列者の1人で新聞会社社主のグウィルが感電死する。遺体には不可解な点があり、更に現場近くでキャロブリートの幽霊を見たという話も出てきた。パーブライト警部は部下のラブと共に捜査を開始する。
 1958年に発行されたイギリスの本格ミステリ。イギリスの田舎町(というほどフラックスボローは田舎ではないみたいだけど)での殺人事件てやっぱり、これぞ伝統芸、みたいな味わいがあっていいわー。ユーモア混じりでのんびりとした雰囲気だが、しっかり本格ミステリ。所々現代の視線で読むと厳しい所もある(こんなうそくさい言い訳するか?みたいな)のだが、大ネタのトリックには、あっ冒頭のあの描写はこの伏線か!と唸った。こういう唸り方をしたいから本格ミステリ読むんだよな。パーブライトの、殺人事件には不慣れながら、地に足のついた捜査と落ち着いた人柄が好ましい。若い、マダムに可愛がられる系部下のラブとのやりとりも微笑ましかった。2人とも、のんきそうでいて実はしっかりとしているしちゃんと仕事をしている所に安心感がある。

『下り坂をそろそろと下る』

平田オリザ著
”まことに小さな国が、衰退期をむかえようとしている。”という、司馬遼太郎『坂の上の雲』のパロディ文から始まる本著。著者が関わった地方自治体や大学のプロジェクトを切り口として、日本のこれからの社会のあり方を探る。とはいえ、著者はもう日本がいわゆる「経済成長」するとは考えていない。また、もはや工業国ではなく、アジア一の先進国でもない(なくなる)と考えている。つまり、題名の通り下り坂をそろそろと下る状態なのだと言う。物質的にはこれ以上豊かになるとは考えにくい、そんな中で著者が提案するのはソフト面への注力。つまり魅力的な地域性と人材の育成だ。そのために何が必要かと言うと文化。劇作家である著者が文化が重要と言うのは当然ではあるし、なぜ文化かという主張は一見理想論的だが、内容を読むと納得する。若者が地方を離れるのはそこに若者を引き留める魅力がない、魅力がないのはセンスがないから、センスを磨くには文化が必要(この点で、小豆島や豊岡の町おこしはとても興味深かった)だという実も蓋もない論旨だが、スベっている町おこしを見ると説得力を感じざるを得ない。そもそも地域による文化格差では東京が圧倒的に有利だ。著者は子育て中の親や生活保護を受けている人が映画や演劇やコンサートに行っても非難されない、後ろめたく感じない社会にしたいと言う。そういう世の中だと(文化という側面だけでなく)息苦しくなくて生きやすそうだ。

『黒い瞳のブロンド』

ベンジャミン・ブラック著、小鷹信光訳
私立探偵フィリップ・マーロウは、香水メーカーの経営者である裕福な女性、クレアから依頼を受ける。失踪した愛人を探してほしいというのだ。マーロウはクレアの話に不自然さを感じつつも、調査を開始する。しかしその愛人が死亡したという情報を得る。ブッカー賞作家ジョン・バンヴィルが別名義で書いた、フィリップ・マーロウシリーズの続編。題名はチャンドラーが残したメモの中にあった題名案の一つだそうだ。マーロウシリーズではおなじみの名前が頻出し、ちょっとあざといくらいだなと思っていたら、なるほどそういうことか・・・。マーロウは2度失い、2度裏切られるのだ。そこが実にマーロウらしいといえばらしい。そして文体にしろ全体の構成にしろ、相当チャンドラーっぽくて笑ってしまうくらい。ディティールが妙に細かく、ことが大きく動くまでの助走がかなり長い。そしてマーロウは度々気絶する(笑)。現代の作家が書いたという前提で読むとかなり奇異な文体だよなぁ。

『黒ヶ丘の上で』

ブルース・チャトウィン著、栩木伸明訳
20世紀の始めに、ウェールズとイングランドの境付近で生まれた双子の兄弟、ルイスとベンジャミン。彼らは生まれた村から一歩も出ずに年齢を重ねていく。両親の出会いに遡り、兄弟が80歳になるまでを綴った物語。物語の舞台がほぼ小さな村の中に限られているが、ミニマムな大河ドラマとでも言うようなうねりを感じた。兄弟の人生の背景には、科学技術の躍進、そして第一次大戦、第二次大戦が起こった激動の20世紀が横たわっているのだ。兄弟の生活が延々と変わらないからこそ、その外側の変化とのギャップがユーモラスにも、時に異様にも見えてくる。双子故の強いつながりを持った2人の関係は、はたからみると愛し合っているようにも縛り付けあっているようにも見えるし、それを不幸だと思う人もいるかもしれない。ただ、そういった世間の幸不幸の価値判断とは別のところに黒ヶ丘があるように見えてくるのだ。劇的なことは起きないが、読んでいるうちにじわじわ面白くなってくる。それは、人が生きているとそれだけで面白い、ということのようにも思った。ウェールズ地方の風土や地形、動植物の描写なども生き生きとしていていい。このあたりは、紀行作家として知られた著者の得意な部分だったのかもしれない。紀行作家として有名になった人が、全然移動をしない話を唯一の長編小説として残したというのも、なんだか不思議だ。

『増補版 ぐっとくる題名』

ブルボン小林著
忘れられない題名、インパクトのある題名とはどんなものなのか、そこにはどんなテクニックがあるのか。文学や漫画、映画にというか音楽、幅広く「ぐっとくる題名」の秘訣を、作家としても活躍する著者(というか作家・長嶋有の方が本業と言った方がいいのか)分析していく。新書版を増補した文庫版で読んだ。軽い文体で肩の力が抜けた、ユーモラスなエッセイなのだが、それは表面上の軽さ。徐々に、著者の言葉に対する感覚の鋭敏さ、言葉を使うことに対する真剣さに圧倒されていった。小説家とはこういうものか。読む姿勢をちょっと正したくなった。

『黒いモスクワ ST 警視庁科学特捜班』

今野敏著
ロシアの連邦保安局との科学捜査に関する情報交換会に出張することになった、警視庁科学捜査班、通称STの百合根と赤城。現地で遭遇したのは、古いロシア正教会で起きたマフィアの変死事件だった。プライベートで武道の師範役としてロシアを訪れていたSTの黒崎も合流し、ロシアの捜査当局と合同で捜査にあたることに。TVドラマ化されたものを見ていたので、原作はどんな感じなのかなと思って手近にあった本作を読んでみた。既にシリーズ何作も出ており、各キャラクターもしっかり固まってこなれた状態なので、さくさく読める。サブタイトルに「黒」とあるように、黒崎がわりと前面に出ているが、メンバーそれぞれの能力がちゃんと発揮されている。ドラマ版で赤城が「俺は一匹狼だ」と連呼するのは彼の中で一匹狼ブームが来ているの?と思ったら、本作でもちゃんと言っていた(笑)。そしてドラマのいちゃいちゃ感はイケメン俳優が主演しているドラマならではのサービスかと思っていたら原作でも結構いちゃいちゃしているのな・・・。

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