3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『気づいたこと、気づかないままのこと』

古賀及子著
 日記エッセイ『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』が反響を呼んだ著者のエッセイ集。日記エッセイではなく「エッセイ」。子供の頃の記憶から成長して子供たちと暮らすようになるまでの様々な記憶が綴られる。
 本著は日記ではなくエッセイ。著者の日記は文章の瞬発力、「今この時」を記録する力に惹かれる所が大きかったのだが、エッセイだと時間の流れ方がまた違う。もっと計画的に組み立てられた文章で、時間の流れもゆっくり目で飛距離が長いように思う。日記ではないから子供の頃のことをじっくりかいていいわけだ。時間の飛距離が長いことで、若いころの感覚と、今振り返って気付くことのギャップ、温度差が立ち上がってくる。時間がたたないとわからなかったことというのは、いつも少し苦い。
 また、巻末の長嶋有による解説にあるように、著者の母親として以外の面が比較的前面に出ている、個の部分がより感じられる。愛情や寂しさの表出に結構クセがある人なのではという気がしてきた。なお著者宅では生協を利用しているのだが、生協のカタログにまつわる「生協のカタログだけがおもしろい」には、同じような体験をしたわけではないのにその当時の著者のメンタリティがぐっとせまってきて凄みがあった。「もう、これでいいや」という諦念の境地が生々しく伝わってくる。実体験に伴う共感としては「これほど恋らしい2000円」を挙げたい。このみみっちい(といっては申し訳ないのだが)執着と努力、なんでやってしまうのだろうか。

気づいたこと、気づかないままのこと
古賀及子
シカク出版
2024-02-05


家業とちゃぶ台
向田 邦子
河出書房新社
2022-07-22


『傷を抱えて闇を走れ』

イーライ・クレイナー貯、唐木田みゆき訳
 高校生のビリーはアメフトの天才選手として活躍しているが、かっとしやすい気質の為トラブルも絶えない。ある日、母親のボーイフレンド・トラヴィスと喧嘩をし殴りとばしてしまったビリーは家を飛び出す。翌日戻ってみると彼は死んでいた。一方、新任コーチのトレントはビリーがトラヴィスを殴り飛ばす所を目撃していた。
 コンパクトな作品ではあるが、中身がみっちりと詰まっていて息苦しいくらいだ。何が息苦しいかというと、登場人物たちが追い込まれている状況の出口のなさ。ビリーは才能に恵まれているが親からの過剰な期待、母の恋人の暴力、そして貧困に蝕まれている。彼は試合の中で自制心を働かせることが下手でいつも怒りに駆られているが、その怒りは他の選手たちとの環境の格差やそこへの理解のなさによるものでもあるだろう。ビリーの母・ティナは親としてどうなんだという振る舞いではあるのだが、子供たちを守り生き延びる為の彼女なりの手段でもある。またトレントはチームが好成績を残せなければコーチとしてのキャリアを断たれると宣告されており、後がない。敬虔なクリスチャンである彼とビリーとが実は似た背景を持つことが徐々に明かされるが、それが必ずしも共感・信頼を生むわけではない。心が通うかと思われた、また心が通っているはずだったある2人の間に致命的な亀裂が入るように、本作の登場人物たちは皆一人だけの穴に放り込まれてしまったようなのだ。

傷を抱えて闇を走れ (ハヤカワ・ミステリ)
イーライ クレイナー
早川書房
2023-12-05


たとえ傾いた世界でも (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
フェンリイ,ベス・アン
早川書房
2014-08-08


 

『キャサリン・タイナン短篇集』

高橋歩編著
 1861年にダブリンに生まれ、20代で著名な詩人となり百編以上の小説や詩集を残したキャサリン・タイナン。そのほかにも回顧録やジャーナリストとしての仕事も手掛け、アイルランドで最も多作な作家のひとりと言われている。彼女の作品の中から幽霊譚や不思議な出来事を扱った9編を収録。
 アイルランドの中でも海沿いの地域の話が印象に残る。空気の塩っぽさや波の音が常に聞こえる感じが伝わってくる。『海の死』は他所から来た女性が海に魅入られた人のように捉えられていくのだが、実際のところはどうだかわからないだろう。よそ者を地元民がどうとらえるのかを物語化したような話だった。『先妻』はアイルランド版レベッカみたいだが、幽霊はもうちょっと優しいかもしれない。そういえば題名がそのものずばりの『幽霊』も、意外と優しい幽霊だった。幽霊譚ではないが『迷子の天使』みたいなストレートにいい話もあってほっとする。『聖人の厚意』はちょっとコメディぽさもあるいい話で、これを許す聖人はかなり寛容なのでは…。あっさりとした後を引かない書き方の作品が多く、そこが作家の持ち味でもあり多作にできた秘訣でもあった気がする。

キャサリン・タイナン短篇集
キャサリン・タイナン
未知谷
2023-12-08




『キリストと性 西洋美術の想像力と多様性』

岡田温司著
 性に対して厳格かつ保守的であると言われるキリスト教。しかし中世からルネサンスにかけて、ジェンダーを越えるような、時にクィアともとれるキリストや聖人たちの姿が表されていた。正統と異端の間合で生み出される図像から、信仰の中の豊かな想像力に迫る。
 キリスト教と言えばザ・家父長制!異性愛以外ありえん!的価値観というイメージがあるが、本著で取り上げられている図像を見ると、正典的位置づけではないにしろ意外とジェンダーがあいまいな図像も多い。またアガペーとエロスとの接近、性的なものを内包してしまうような表現等、こちらが思っているよりも表象の裾野が広い。本著のサブタイトルに「多様性」とあるが、正に多様なのだ。ヨハネの表象が中性的なケースが多いこと、ユダとキリストとの関係に抜き差しならぬものを感じさせる表現等、やはり昔の人も似たようなことを考えましたか…と大変面白かった。
 また、キリスト本人の表象がクィアなものに寄せられていることを紹介する章も興味深い。もしもキリストが女性だったらという発想が古い時代にも(直接的ではないにしろ)表象の中に見られるということ、聖人の異性装が意外とあるという所、特にそれが民衆伝承的な分野で見られる所には、そういった表象には女性からの支持があったのではということを思わせる。これらの表現、更にマリアの存在の大きさは、基本的に男性優位ではあるが、キリスト教の中の女性の位置づけを常に揺らがしてきたという面も垣間見える。キリスト教の一様でなさが美術から見えてくる一冊。




『キリング・ヒル』

クリス・オフット著、山本光伸訳
 ケンタッキー州山間の森の中で、女性の遺体が発見された。この土地で生まれ育った米陸軍犯罪捜査官のミックは、郡保安官である妹に捜査協力を依頼される。被害者は長年地元に暮らす女性で住民同士は顔なじみだが、同時に田舎特有の閉塞感があり皆口を閉ざす。
 ケンタッキーの森林や山々の描写に厚みがあり美しい。一方で過疎化し人の流入が途絶えている田舎町は、何代にもわたって住民がお互いに顔見知りだというかなり狭い(面積的には広いのだが)世界だ。開けた空間と閉じたコミュニティの対比が印象に残る。自分が誰の孫・ひ孫かということまで津々浦々に知れ渡っている社会というのは、人によってはかなり生き辛いだろう。その人間関係の濃さとしがらみが背景にある物語で、都会が舞台ではこれは成立しないだろう。
 ミックは有能な軍人であり捜査官だが、彼の造形はいわゆるマッチョさとは一線を画すところがある。彼は軍人としてあちこちの駐屯地を転々としてきたが、それは一か所に根を下ろすことによる面倒さから逃避しているのではという側面もあるのでは。ミックは妻ペギーとの間に深刻な問題を抱えるのだが、その問題は彼がペギーの心情と向き合うことから無意識に逃げ続けてきた結果であり、問題に直面してもなお直面を避けて迂回しようとする。ペギーの行為を責める人もいるだろうしおそらく彼らがいるコミュニティでは強く非難されるのだろうが、彼女の置かれた立場を考えるとあまり責める気にならなかった。ミックは一貫して逃げる人という描き方をされているように思う。それと捜査官としてタフさとのアンバランスさが彼の個性なのだ。本国では続編も出たそうなので、ぜひ翻訳出版してほしい。

キリング・ヒル (新潮文庫 オ 13-1)
クリス・オフット
新潮社
2023-07-28


捜索者 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
タナ フレンチ
早川書房
2022-04-20



『吸血鬼ハンターたちの読書会』

グレイディ・ヘンドリクス著、原島文世訳
 アメリカ南部の住宅地に暮らす主婦パトリシアは、夫と2人の子供の世話に加え痴呆が進む義母を引き取り多忙な毎日を送っていた。息抜きは近所の主婦仲間との読書会。ある夜、パトリシアは血まみれでアライグマの死骸にかぶりつく近所の老婦人に遭遇し襲われる。その後老婦人の甥だというジェイムズと知り合うが、彼はどこか謎めいていた。同じころ、町の低所得家庭の間では幼い子供や女性の失踪が相次いでいた。
 題名はその通りと言えばその通りなのだが、題名が成立するタイミングがかなり後で、これ本当にちゃんと終わるの?!と思ってしまった。更に、本作の中で最も恐ろしいのは吸血鬼そのものではないと思う。パトリシアは自分の懸念や恐怖を周囲に訴えるが、信じてもらえず追い詰められていく。特に夫が率先して彼女の言動の信憑性を落とすことに加担する、しかも悪意があるわけでもないという所が怖いのだ。女性の訴えは男性の訴えと比べると軽く扱われがちという残念ながら未だにあるやつだ。更に女性同士の連帯があるにはあるが、常を筆頭にボーイズクラブ的な繋がりが邪魔をする。女性の力を削いでいく典型的な社会構造がホラージャンルに組み込まれている所が二重にホラーだった。ただこの社会構造をストーリーに組み込む為に少々冗長・饒舌になりすぎている気はした。饒舌なのは作者の手癖なのかもしれないが。

吸血鬼ハンターたちの読書会
グレイディ ヘンドリクス
早川書房
2022-04-20


良妻の掟 (集英社文芸単行本)
カーマ・ブラウン
集英社
2022-12-15




『禁じられた館』

ミシェル・エルベール&ウジェーヌ・ヴィル著、小林晋訳
 事業に成功し富豪となったヴェルディナージュは、壮麗なマルシュノワール館を購入して移り住む。しかし館のこれまでの所有者には災いが降りかかる曰く付きの物件だった。ヴェルディナージュの元にも「この館から出て行け」という脅迫状が届く。そして雨の日の夜、謎の男が館を訪問してきた直後、ヴェルディナージュは遺体で発見された。警察の捜査が迷走する中、探偵トム・モロウが登場する。
 1932年に発表された本作。英米では本格ミステリの黄金期を迎えていたが、フランスでも本作のような王道本格ミステリが生まれていたのだ。近年、フランスミステリというとちょっと奇妙でいわゆるフェアプレイとは縁遠いというイメージが定着しているが、本作は堂々たるフェアプレイ志向の王道本格ミステリ。登場人物の造形がカリカチュアされ気味なきらいはあるが、謎の設定と手がかりの配置はかなり折り目正しい印象を受ける。ちゃんと謎解きするぞ!ロジカルにやるぞ!という意欲満々だ。最後の最後の方は若干後出しジャンケン的なのだが、なぜ犯人を特定できたのかという経路は理詰めなのでアンフェアな印象は受けない。更に、「探偵」は誰だったのかという謎解き、というかサプライズがおまけでついてくる。この終わり方は「名探偵」好きにはしびれるのでは。

禁じられた館 (扶桑社BOOKSミステリー)
ウジェーヌ・ヴィル
扶桑社
2023-03-02


黄色い部屋の謎【新訳版】 (創元推理文庫)
ガストン・ルルー
東京創元社
2020-06-30


『傷痕 老犬シリーズⅠ』

北方謙三著
 太平洋戦争直後、浮浪児として焼け跡で生き延びてきた13歳の良文と幸太は、ある商人がひそかに物資をため込んでいることを知る。その物資を盗み出そうと画策するが、成り行きでやくざの一家を巻き込むことになる。やがてそのやくざ・佐丸一家の元で品物を売る一方、密かに自分たちで入手した品物をさばき仲間と生きる為の資金を溜めるが。
 主人公の良文は後の警察官・高木義文。著者の『眠りなき夜』『檻』などに脇役として登場した人物だそうだ。その高木警部の過去を描くシリーズで、本作は少年時代篇。いわゆるスピンオフ作品だが本作単品読んでも大丈夫だししっかり面白い。戦争直後を舞台としたピカレスクロマン的な面と、10代の少年を主人公にしたビルドゥクスロマン的な側面、そしてバディものとしてのバランスが面白さの一因だろう。良文は理知的で先々のことまで考える、時に考えすぎてしまう。対して光太は血気盛んで衝動的。お互いにないものを補い合うような2人だが、それ故別れの予感も漂ってくるというバディものの一つの王道路線だろう。
 もう一つ、戦後すぐの日本の物資のなさや孤児の多さ、そして市場が急激に活性化していき波に乗ろうとする人たちがギラギラしている様が伝わってくる(どのくらい現実に近いのかはわからないが)様も面白かった。人の命が安いが濃い。これを体験している世代とそうでない世代とは当然のことながら相当メンタリティ違うだろうなと思った。体験しないにこしたことはないですが。

傷痕 老犬シリーズ I (集英社文庫)
北方 謙三
集英社
2023-03-17


眠りなき夜 (集英社文庫)
北方 謙三
集英社
1986-04-18


 

『急斜面』

アンドレアス・フェーア著、酒寄進一訳
 クロイトナー上級巡査は、ヴァルベルク山頂近くのカフェで1人の女性と出会う。一緒にスキーで下山することになったが、日が暮れてコースから外れてしまった。森に迷い込んでしまった2人が見つけたのは、ベンチに座った雪だるまだった。しかしクロイトナーはその雪だるまが異常であることに気付く。
 ミースバッハ刑事警察の警部ヴァルナーと巡査クロイトナーを主人公としたシリーズ4作目。私はシリーズ未読でいきなり4作目の本作を読んだのだが、過去作のネタバレ等もなさそうなので単品で読んでも大丈夫。クロイトナーの警官としては素行に大分問題あるが(ギャンブル&お酒大好き!冒頭でいきなり身ぐるみはがれている)事件に対して妙に引きが強く「持っている」体質と、優秀で真面目だがプライベートではちょっと抜けている、そして大の寒がりらしいヴァルナーのキャラクターの対比も、おそらくシリーズのお約束なのだろうが楽しい。クロイトナーのいい加減な行動が本人あずかり知らぬ所である人の身を救っているという展開は、最早反復ギャグのよう。
 クロイトナーが関わってしまったある出来事をはじめ、個々のエピソードが事件全体のどこに当てはまりどういう機能をしていたのかという、全体像をじっくりと見せていく構成が上手い。殺人そのものの描写はあまりせずに、その前後の描写で誰に何が起きたのか示唆する見せ方には作家のテクニックを感じた(読みにくいという読者もいるかもしれないが)。一方で、事件自体は結構陰惨なのにクロイトナーがてんでお気楽だったり、その他の人たちの言動も深刻な状況下でもどこかとぼけていたりする。ユーモアはあるのだが、軽やかなものではなくて鈍重というかもったりしているというか。真顔で言っているからギャグなのか本気なのかわからない、みたいな味わいがある。このあたり、読者の好みが分かれそう。

急斜面 (小学館文庫 フ 8-4)
アンドレアス・フェーア
小学館
2023-02-07


聖週間 (小学館文庫 フ 8-3)
アンドレアス・フェーア
小学館
2022-08-05






『疑惑の入会者 ロンドン謎解き結婚相談所』

アリスン・モントクレア著、山田久美子訳
 ロンドンで結婚相談所を営むアイリスとグウェンの元に、開業以来初のアフリカ出身の入会希望者が現れる。前例がないことに戸惑いつつも彼の力になろうと決める2人だが、グウェンは彼が嘘をついていると感じる。更にグウェンは自宅の近くで“偶然”彼に出会い、尾行されているのではと疑いを持つ。
 戦後ロンドンを舞台としたシリーズ3作目。元スパイのアイリスと上流階級の未亡人であるグウェンという対称的な2人のバディ小説、シスターフッド小説としてどんどんこなれてきて楽しい。アイリスもグウェンも当時の人としては色々な偏見が薄い方だろうが、今回はアフリカ系青年への接し方や彼のパートナーはどう選ぶべきなのか迷う。現代だったら当たり前のことが、彼女たちを含め、当時の英国の白人たちにとって想定外だったんだなと改めて感じた。そして英国が植民地を広げることで多大な利益を得てきた歴史が本作の背景にある。グウェンが自分の直観は偏見によるものではと思い悩む姿には、彼女の真面目さが垣間見られて印象に残った。
 一方で、シスターフッド的な側面も広がる。アイリスとグウェンだけでなく、その周囲の女性たち、とくにグウェンの周囲の女性たちとの連帯が生まれてくる様に元気が出てくる。ある人の厳格さ・かたくなさにはそこに至るまでの背景がある、でも人間はそこからまた変わることができるんだと思わせてくれる。困難を抱えるグウェンの環境が変わってきそうな兆しがあるのだ。そしてアイリスもある人との関係で一歩踏み出す。2人の人生の変化は次回作で更に読めるのではと楽しみ。無事翻訳されることを祈る。

疑惑の入会者 ロンドン謎解き結婚相談所 (創元推理文庫)
アリスン・モントクレア
東京創元社
2022-11-30


王女に捧ぐ身辺調査 ロンドン謎解き結婚相談所 (創元推理文庫)
アリスン・モントクレア
東京創元社
2021-11-11




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