3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『書きたい生活』

僕のマリ著
 エッセイ集『常識のない喫茶店』でデビューした著者の第2作。前作の続編であり、著者が喫茶店勤務を卒業し文筆家として新しい生活に乗り出す様が綴られる。
 『常識のない喫茶店』で鮮烈なデビューをした著者とのことだが、申し訳ないが『常識のない~』私読んでいないんですよね…。ただ前作を読んでいなくても大丈夫だった。転職し、結婚もし、人生の新しいステージに移った人の不安、高揚感、そして喫茶店の仕事にもこの先本業となる文筆業にも真摯であろうとする姿勢が瑞々しい。やはり新生活を始めようとする人にお勧めしてみたくなる1冊だった。本著のような日記エッセイが近年すごく増えたなという印象があるが、じゃあ似たような日記本のうちでどういうものが面白く感じられるのかというと、基本的な文章のスキル高低はもちろんあるのだろうが、何より正直かどうかという所ではないかと思う。日記と言えど他者に向けての表現として出版するわけだから当然何らかの演出・編集はされているわけだが、自分自身のコアな部分に対して正直かどうか、変な装いをしていないかどうかで振り分けている気がする。

書きたい生活
僕のマリ
柏書房
2023-02-28


常識のない喫茶店
僕のマリ
柏書房
2021-09-15



『覚醒せよ、セイレーン』

ニナ・マグロクリン貯、小澤身和子訳
 アポロンを拒み月桂樹に姿を変えたダフネ、ユピテルに執着されたこと大熊座になったカリストや牛に変えられたイオ。オイディウスの『変身物語』を、何かに姿を変えざるをえなかった女性たちの声により語りなおす短篇集。
 私は子供の頃ギリシア・ローマ神話が好きで、オイディウスの『変身物語』も当然読んでいたのだが、どことなく不穏で悲しい、理不尽なものを感じていた。何しろ男神(主にゼウス=ユピテル)に執着されてそこから逃れるため、ないしは男神のパートナーの嫉妬により姿を変えざるを得ない女性がやたらと多い。前述のダフネの物語も、端的に言ってストーカー被害みたいな話なので読んだ当時も今も正直怖い。何が怖いのかを当事者である女性たちの声で語りなおしたのが本作になる。冒頭の「ダフネ」を読んだ時点ではあまりにもそのままというか、ひねりがなくて想像の範囲内だなと思ったのだが、短編を読み進めるにつれて段々引き込まれてきた。この社会で女性が味わう抑圧、あらゆる苦々しさや苦痛、怒りやくやしさが時に神話のように、時に現代の話として、様々な様相で描かれる。どれも嫌さが具体的でありありと感じられる。特に様々な悲劇の元凶となるユピテルが典型的なある種の男性として描かれており、腹立たしいやら笑ってしまうやら。
 同時に語り直しにより、声を封じられていた者たちの姿が力強く生き生きと立ち上がってくる。原典を踏まえつつ現代に引き付ける、同時にあの時代にもこのような押し殺された声があったはずと思えてくる語り口が素晴らしい。個々の短編同士特に関連はなく、いわゆる連作短編集という体ではない。しかし訳者あとがきでも言及されているように、個々の声が呼応し一つのハーモニー、女性同士の連帯を作っていくように思えた。この広がり方、声が重なっている様が素晴らしい。題名に使われているセイレーンは単体の名前ではなく海の魔物(に見えるのは男性にとってだけかもしれない)の総称。彼女らに覚醒せよ、連帯せよ、と呼びかけるのだ。

覚醒せよ、セイレーン
小澤身和子
左右社*
2023-06-05


キルケ
マデリン・ミラー
作品社
2021-04-30




『案山子の村の殺人』

楠谷佑著
 従兄弟同士でコンビを組みミステリ作家「楠谷佑」をしている宇月理久と篠倉真舟。取材の為に大学の同級生の実家が旅館を営む山村を訪ねる。その土地では案山子に対する土着信仰があり、村の中は案山子だらけだった。しかしその案山子に毒矢が撃ち込まれ、別の案山子が消失し、ついに殺人事件が起きる。現場は“雪の密室”だった。
 久しぶりに堂々と直球勝負の犯人あてミステリを読んだ。読者への挑戦が2度に分けて設置されているが、今この形式を全うするのは結構勇気がいるのでは。正直な所1つ目の謎についてはちょっとトリックに難がある(跡残るのでは…)気がするのだが、2つ目の謎についてはなるほどそういうことだったのかと腑に落ちる。メイントリックよりもむしろそこに至るまでの補助線の設定の方が上手い気がするのだが、「家政婦くん」シリーズもそうだったので、そういう手癖なんだろうなぁ。本格ミステリとしてはこの補助線の方で割と満足してしまってメインの印象が薄い…。
 それはともあれ、主人公2人の設定はもちろんエラリイ・クイーンへのリスペクトだし、その他も色々とミステリ小説やドラマ、映画への愛情が感じられる。と言ってもペダンティックではなくライトな言及で、コアな本格ファン以外でも読みやすい所が良いのでは。ある人物が古畑任三郎シリーズで好きな話を挙げるが、本格ミステリ的にはやはりその話数だよなという所と、ちゃんと非情にメジャーな作品に言及するというバランスの良さがある。


雪密室 新装版 (講談社文庫)
法月綸太郎
講談社
2023-02-15




『渇きの地』

クリス・ハマー著、山中朝晶訳
 オーストラリアの田舎町リバーセンドの教会で、牧師が銃で5人を殺害する事件が起きた。地元警察に牧師は射殺され、犯行動機は曖昧なままだった。1年後、町に取材に来た記者のマーティンは、複数の住民が牧師を擁護する言動をとることを不思議に思う。住民から爪弾きにされているホームレスだけが、住民の言葉を信じるなと彼に警告する。そんな中、かつて行方不明になった観光客と見られる死体が発見され、牧師の犯行との疑いが浮上する。
 村人たちから敬愛されカリスマ的な魅力があった牧師が突然凶行に及ぶ、その動機や背景は?そもそも牧師でありながら優れた射撃の腕を持っていた彼は何者なのか?という強力なフックのある謎でスタートし、これは面白くなりそうと期待したのだが、中盤以降段々だれてきてしまった。主人公であるマーティンと共に読者も様々な謎に引っ張りまわされるのだが、謎と怪しい人物がてんこもりすぎ。ことの本質に対するカモフラージュとしてのてんこもりなのだが、あまりに盛りすぎで読者としては主線を見失ってストーリーに対する興味が遠のいてしまった。一つ一つの要素は伏線もちゃんと設定されてよくできているのだが、全部が合わさった時のトゥーマッチ感が強い。特にマーティンとマンディのロマンスはいきなり急接近するしいきなり破綻するな!という感じで、要素としてロマンスがない方がすっきりしたのではないかと思うくらい。終盤でいきなりダイジェスト的にまとめるのでびっくりした。

渇きの地 (ハヤカワ・ミステリ)
クリス ハマー
早川書房
2023-09-19


渇きと偽り (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジェイン ハーパー
早川書房
2018-07-19




『家政夫くんは名探偵 冬の謎解きと大掃除』

楠谷佑著
 連続放火事件の捜査で大忙しの恩海警察署刑事課。刑事の怜も泊まり込みが続いており疲労困憊だった。家政夫の光弥に仕事を依頼しようと思っていた所、隣家のシングルファーザーが出張の為に小学生の息子に留守番をさせないとならないと悩んでいると聞く。怜は隣家に光弥を紹介するが、光弥は隣家の息子・基の様子がおかしいと気付く。
 刑事&有能家政夫のバディミステリシリーズ2作目。光弥が名探偵役だが、怜が一方的にサポート役という印象はない。実際に調査をするのは刑事である怜だからというのもあるが、お互い別方向から事件にアプローチしていくような作り。今回収録されている3作はどれも決して後味がいい真相ではない(殺人事件だから当然なのだが)。特に「聖夜の殺意と友情の問題」では怜の傷を光弥がフォローするような、1作目と逆の立ち位置になっている。小説としては2作目の本著の方がこなれてきているなという印象。
 ミステリのトリックとしては「出現する屍の問題」のひねり方がいい。あっなるほど!という鮮やかさがあった。犯人が決して鋭敏というわけではないあたりもちょっと面白かった。


『家政夫くんは名探偵!』

楠谷佑著
 父親亡き後一人暮らしをしている刑事の連城怜の家は、仕事が忙しいせいで荒れる一方。家事代行を頼むことにしたが、やってきたのは美形の青年・三上光弥だった。大学に通う傍らバイトで家事代行をしていると言う光弥は、黙々と仕事をこなし表情を顔に出さない。しかし怜が調査中の殺人事件には興味を示し、話を聞いただけで真相を言い当ててしまうのだった。
 実直な刑事とクールな大学生というコンビが殺人事件を解決、かつ家事の悩みも解決するという読み口はライトな連作短編集。普段は無口で塩対応だが時短料理や栄養素の話になると急に多弁になる光弥がかわいい。また光弥は探偵としては有能だが、年齢相応の至らなさがぽろっと出ることもある。そこを普段はワトソン役の怜が年長者としてフォローするという補い合いに温かみがある。
 一方で謎解きミステリとしては大ネタよりも小ネタ、補助的な仕掛けへの目配りの方が上手いなという印象。本格ミステリマインドが感じられそれなりに面白いのだが、ミステリのアイディアに小説の技術が追いついていない感じ。まだシリーズ1作目だからか。もうちょっと小説としてこなれていればもっと楽しめたのに、惜しい。




『陽炎の市(まち)』

ドン・ウィンズロウ著、田口俊樹訳
 1988年、イタリアンマフィアとの抗争に敗れたダニー・ライアンは数名の仲間と共に西へ逃亡する。マフィアとFBIの双方に追い詰められていくダニーに、麻薬取締局がある取引を持ち掛けてくる。ある危険な仕事をすれば自由になれるというのだ。ダニーは賭けに出てその取引に乗るが。
 『業火の市』に続く3部作2作目。物語の展開は更に加速する印象でぐいぐい読んだ。ただ前作からなんとなくそうじゃないかとは思っていたが、ダニー、実は頭が悪いというか相当愚かなのでは。商才も人心掌握術もあるのだが、ここぞという所で必ず間違った方を選択するという才能がある。殺すべき時に殺さず、関わってはいけない相手と深い中になってしまう。ハリウッドでの活躍には目立っちゃいけないのに何やってるんだ!と全読者が突っ込むだろう。ダニーは基本的に色々有能なのだがマフィアとしては致命的に欠点がある。自分がマフィアだと認めていない所だ。はたから見たらやっていることは立派なマフィアだしとっくに引き返せない所まで来ているのに…。煮え切らない優しさがダニーの良さでもあるのだろうが、自身の寿命を縮める資質にしかなっていないのでは。
 こういった傾向はダニーだけではなく、登場人物の誰もが多かれ少なかれ持っている。まだ大丈夫と思いたいが実際のところ大丈夫ではない、越えてはいけない一線だとわかっているのに越えてしまう。こういった人間の救い難さが物語の大きなモチーフになっているように思う。

陽炎の市 (ハーパーBOOKS)
ドン ウィンズロウ
ハーパーコリンズ・ジャパン
2023-06-15


業火の市 (ハーパーBOOKS)
ドン ウィンズロウ
ハーパーコリンズ・ジャパン
2022-05-18




『帰れない山』

パオロ・コニェッティ著、関口英子訳
 ミラノに住んでいる少年ピエトロは、夏の休暇になると両親に連れられ北イタリアの山岳地帯、グラーナ村に滞在していた。やがて村の少年ブルーノと友情を育むが、成長するにつれ疎遠になってしまう。2人の交流が再会したのはピエトロの父の急逝がきっかけだった。父親は山に土地を買っており、その土地をピエトロに残した。ピエトロはブルーノと共にその土地に山小屋を建て始める。
 本作を原作にした映画『帰れない山』がとても良かったので原作小説も読んでみた。原作も山の情景の描写や夏になるごとに山に焦がれる感じのみずみずしさがとても良いのだが、意外と映画よりも駆け足で進行される印象。そして、同じ一人称語りではあるがもっと詳しく説明している。映画を見た時、少年時代のピエトロと両親のブルーノに対する思い入れは少々傲慢ではないかと思ったのだが、小説だとはっきりとそれは傲慢なことだったと、大人になったピエトロの語りとして言及されている。映像だと「行間を読む」演出だったところが、小説だと行間がなくなっているというのはちょっと面白い。また父親との関係、父親がどういう人間だったのかという部分もより具体的だ。ただ、子供の頃は自分の親がどういう人間なのかわからない。大人になったピエトロの語りであるから、父親の人間像が浮かび上がるのだ。そして一個人としての彼らのことがわかってきたとしても、再度関係を結びなおすことは最早できない。全て過ぎ去ってしまったこととして、郷愁と後悔が漂う。ただ、ブルーノとの関係、そして山との関係は、遠く離れてしまってもずっと続いているように思う。こういう楔のような関係性もあるのだ。もはや会うことがなくても繋がりが続いてしまうことへの切なさを感じた。邦題の「帰れない」という言葉はこの部分をすくい上げるものではないかと思う。

帰れない山 (新潮クレスト・ブックス)
コニェッティ,パオロ
新潮社
2018-10-31


フォンターネ 山小屋の生活 (新潮クレスト・ブックス)
パオロ・コニェッティ
新潮社
2022-02-28


『かか』

宇佐見りん著
 19歳の浪人生うーちゃんは、母親=かかのことで深く悩んでいる。かかは少しずつ心を病み、お酒を飲んでは荒れていた。うーちゃんはかかを救おうとある祈りを胸に熊野へ向かう。
 方言と子供の言葉とがごちゃまぜになったような独自の語り。この語りはうーちゃんが「おまい」=弟に語り掛けているものなのだが、主語は「私」ではなく「うーちゃん」だ。うーちゃんが自分を客観視して自分とかかとの関係を物語化しているとも言えるのだが、一方で語り口はいわゆる「おうちことば」的な、ごくごく親密な間柄でのみ通じる単語や話法が駆使されている。外部が想定されていない、開いているようで閉じているという絶妙なバランスなのだ。更にうーちゃんの家庭内の「おうちことば」と、彼女が所属しているSNSのグループ内での内輪ノリとが対比になっている。この語りでないとこの小説は成立しないと言ってもいいと思う。
 うーちゃんには同居している祖父母も弟も従姉もいるが、その生活はヤングケアラーと言ってもいい。彼女をそうさせるのはかかだ。かかの不安定さは自身の母親が姉ばかりを愛し自分を愛さず、夫もまた自分を愛さなくなり去っていったことによると思われる。かかは不足している愛情をすべてうーちゃんに求め、うーちゃんもまたそれに応えようとしてしまう。不完全な母親を疎み憎みつつも愛し続けるうーちゃんの姿は、一途を通り越して痛ましい。うーちゃんは自分がかかを産んでもう一度育てなおしてあげたいと祈るのだが、そこまで思い詰める愛とは何だろう。母娘関係の葛藤を描く文学は多々あるが、本作は2者の密着と救いのなさがちょっと突き抜けている。

かか (河出文庫)
宇佐見りん
河出書房新社
2022-04-26


ホットミルク (新潮クレスト・ブックス)
デボラ・レヴィ
新潮社
2022-07-27




『P分署捜査班 寒波』

マウリツィオ・デ・ジョバンニ著、直良和美訳
 寒さも厳しくなってきたある朝、ナポリのP分署に殺人事件の通報が入る。アパートで同居していた兄妹が殺されたのだ。兄は化学者、妹はモデルで父親との関係は険悪だった。一方、中学校教師が生徒の家庭のことで署に相談に来た。1人の女生徒が親から虐待されているかもしれないというのだ。P分署の刑事たちは決め手となる手がかりが乏しいまま捜査に奔走する。
 シリーズ3作目が無事翻訳されてほっとした。単品でもちゃんと面白いが、周囲からは落ちこぼれ扱いされている型から外れた刑事たち、徐々に本来の能力を発揮しお互いへの信頼を築いていく過程は、やはりシリーズを追って読んでいく醍醐味だろう。組織にはまりきらないピースばかりを集めたら逆に力強い絵が出来てくるという所がいい。仕事に奮闘する一方で刑事たちのプライベートの悩みや葛藤が描かれていくのも本シリーズの持ち味。本作では随所に「家」をモチーフにした散文的なパートが配置されており、事件そのものもそれに関わる刑事たちの事情にも、「家」が関わってくる。家は安らぐ場所、帰るべき場所である一方で、檻や密室、忌避すべきものにもなり得る。また「家」の幻想を見続けてしまう人の危うさも垣間見えた。この人は果たして「家」の呪縛から逃げられるのだろうかと、シリーズの続きがとても気になる。

寒波 P分署捜査班 (創元推理文庫)
マウリツィオ・デ・ジョバンニ
東京創元社
2023-02-20


誘拐 P分署捜査班 (創元推理文庫)
マウリツィオ・デ・ジョバンニ
東京創元社
2021-05-10


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