3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『勝手にふるえてろ』

綿矢りさ著
 26歳の江藤良香は経理担当の会社員。中学校の同級生(だが卒業以来会ったことがない)イチに延々と片思いを続け、恋愛経験はない。会社の同僚に熱烈なアプローチをされて付き合い始めるが、イチのことが忘れられない。良香は理想の恋と現実の恋との間で右往左往する。
 映画化されたものがとても面白かったのだが、原作はこういう感じだったのか!「映像化するとこうなるのか!」じゃなくて「文字化するとこうなるのか!」という本来とは逆の面白さを味わってしまった。とは言え良香の一人称で、彼女の妄想と現実に読んでいる側も振り回されていく所は同じ。小説の方が映画よりも客観的な感じがするのは、映画を見るより小説を読むほうが没入感が薄い(私にとっては)からかな。題名でもある「勝手にふるえてろ」という言葉の使い方が映画とは全然違うところも面白かった。そしてニがニでなく呼ばれる瞬間にはっとする。2人の関係がはっきり変わったことがわかるのだ。

勝手にふるえてろ (文春文庫)
綿矢 りさ
文藝春秋
2012-08-03


勝手にふるえてろ [DVD]
松岡茉優
Sony Music Marketing inc. (JDS) = DVD =
2018-06-06


『回避性愛着障害 絆が希薄な人たち』

岡田尊司著
 人間関係、親密さや信頼の度合いは人によって異なる。その根底にあるのが愛着スタイルの違いと考えられている。近年、人間関係の希薄さを指向する人が増加しているが、その典型は回避性パーソナリティと呼ばれるもので、これも愛着スタイルの一つのケース。愛着スタイルにはどのような分類があり、個人の性格・行動にどのような影響を及ぼすのか、愛着障害による問題にどのように対応するのか解説する。
 愛着スタイルは幼少時の母親との関係で形成されるというのが定説で、母子関係に適切な密着が保たれないと、成長過程で他人との深い関係を避ける傾向、新しいものへの挑戦等を避ける傾向が出てくるとのこと。愛着スタイルの差異、パートナーとの愛着スタイルとの相性により補完できるケースがあるというのは、対人上の問題が対人の中で解消されていくケースとして面白いなと思った。
 ただ、母子密着の必要を強調しすぎな気がした。その重要さは事実としてあるのだが、現代社会でそれを要求するのは酷だと思う。逆に母親のメンタルに問題出てきそうだし・・・。また、近代以前は母子の密着期間がもっと長かったという指摘については、本当にそうかな?と。確かに同じ場にいる時間は長かっただろうけど、母親は母親で家事や農作業に奔走していたんじゃないの?と。著者は近代以前に回帰しろとか母親は就業せず育児に専念すべきと言っているわけではないが、愛着障害の原因を母子関係に帰結させすぎると、母親に対する不要なプレッシャーになりそう。そもそも、人間てそんなに情愛豊かな生物なんだろうかという疑問もある。元々絆指向が希薄な人は一定数いて、これまで集団生活の中で生存出来ず淘汰されていったのが生存出来るようになったという面もあるんじゃないかなー。




『彼女が家に帰るまで』

ローリー・ロイ著、田口俊樹・不二俊子訳
 1958年、デトロイトの小さなコミュニティで若い白人女性エリザベスが失踪した。コミュニティあげての捜索が行われるが、彼女は見つからない。同じころ若い黒人女性が撲殺される事件が起きていたが、殆どの白人はこれには無関心だった。ただ一人、マリーナを除いては。
 時代背景や土地の雰囲気が感じられとても面白い。舞台はデトロイトでそんなに田舎というわけではないが、舞台となるコミュニティはお互いが顔なじみのごく小さく緊密なもの。しかし、それぞれの家庭には外には出せない事情があり、表面上の和やかさとはうらはらに主婦たちには秘密がある。家の中のことが意外と外に漏れない、だからこそ密室状態で不穏さが膨らんでいく。マリーナにしろグレースにしろ、夫の影が濃くそれが彼女らの問題をどんどん悪化しているように思う。夫の機嫌を損ねてはいけない、夫を満足させなくてはいけないというプレッシャーが常にある。本作は妻たちの視点でほぼ描かれ夫らの内面はさほど見えてこないので、妻側が感じているギャップがより強く感じられる。しかしそのギャップは、人に言ってはいけないものとされているのだ。この「言えない」ことがある人にとってもあまりに重荷だったのではないか。唐突に明かされる真実はやりきれない。

彼女が家に帰るまで (集英社文庫)
ローリー ロイ
集英社
2016-04-20



ベント・ロード (集英社文庫)
ローリー ロイ
集英社
2014-09-19


『海岸の女たち』

トーヴェ・アルステルダール著、久山葉子訳
 フリージャーナリストのパトリック・コーンウェルから連絡が途絶え、10日あまりが過ぎた。妻のアリーナは、夫が自宅に郵送してきた手帖と写真を手がかりに、彼を探す為にニューヨークからパリへ飛ぶ。パトリックは海を渡ってくる不法移民問題を取材していたらしい。彼の足跡を追うアリーナは、大きな闇と対峙していく。
 アリーナは舞台美術監督で、記者の仕事とは縁がなかった。そんな彼女が手さぐりで闇の中を進んでいく。彼女の道もまた、パトリック同様に引き返せないものになっていくのだ。パリで垣間見るのは安い労働力として使い捨てにされる不法移民たちの境遇と、それを食い物にする「奴隷商人」たちの姿だ。日本でも近年同じような問題が表面化しているが、本作のそれは更に大規模なもの。アリーナの身にも危険が迫りスリリングな展開で読ませる。
 社会問題を描く意図はあるものの、アリーナ個人の事情から軸足がぶれず、読みやすい。彼女の過去に関する情報の挿入の仕方など、読者からしたらちょっと反則的ではあるのだが当人からしてみたら当たり前のことだから、こういう書き方になるよなと納得はできる。彼女が過去に培ってきた(そして封印していた)ものがどんどん前面に出てい来る物語とも言える。そして書き方と言えば、一か所あっと思った所があった。これは著者が意図的に仕組んでいるのだろうが、自分の中の自覚のない先入観や偏見があぶりだされる。

海岸の女たち (創元推理文庫)
トーヴェ・アルステルダール
東京創元社
2017-04-28


リガの犬たち (創元推理文庫)
ヘニング マンケル
東京創元社
2003-04-12



『贋作』

パトリシア・ハイスミス著、上田公子訳
 妻とパリ郊外の屋敷で優雅な生活を送るトム・リプリーの元に、ロンドンの画廊から連絡が入る。天才画家ダーワットの個展開催を目前にして、収集家が贋作を掴まされたと騒いでいるというのだ。実はダーワットは数年前に亡くなっており、トムとその仲間が贋作を作り続けていたのだ。トムはダーワットに変装して収集家と面会することになる。
 リプリーシリーズ2作目だそうだが、いつの間に結婚を!案外普通の夫婦生活を楽しんでいるっぽい所が面白い。本作でも「なりすまし」癖は治っておらず、変装をして収集家と会うくだりではちょっと笑いそうになった。むしろ不自然だよ!ディッキーの事件の時もそうだったけど、上手いことやったつもりでやらなくていいことをどんどんやっている気がする。余計な手紙書いたり、余計な変装したりするから更に面倒くさいことになるんじゃ・・・。他にも、来客断れよ!とか電話出るなよ!とかいろいろと指摘したくなる(笑)ミステリとしては決して精緻な作品ではないのだ。しかしトムのつい色々やってしまう小物っぽさ、犯罪者としての不完全さが、このシリーズの面白さなのだろう。
 ダーワットの贋作を製作する画家のバーナードは、贋作を作り続けることに限界を感じている。彼はトムとは逆で、本来の自分から逃れることができない。「なりすまし」は苦痛なのだ。トムはバーナードに好意を持っているが、おそらく彼が本来の自分から逃げようとしない=核がある所に敬意のようなものを感じているのではないか。とは言え、そんな彼の苦しみは理解できず、徐々に疎ましく思うようになる(もちろん彼らの商売上も、バーナードは厄介な存在になりうる)。よく「自分をだますことは出来ない」とか言うけれど、トムに限ってはそういうことはなさそう。その時のシチュエーションに都合のいい「自分」が彼にとっての「自分」で、核らしきものは見当たらないのだ。

贋作 (河出文庫)
パトリシア ハイスミス
河出書房新社
2016-05-07


見知らぬ乗客 (河出文庫)
パトリシア・ハイスミス
河出書房新社
2017-10-05

『隠し部屋を査察して』

エリック・マコーマック著、増田まもる訳
 全体主義的な体制下で、隠し部屋に幽閉された人々を査察して回りその「罪」が語られる表題作、巨大な溝が出現し触れるものすべてを消失させていく「刈り跡」、古典本格ミステリと思いきや不可思議な領域に突入していく「窓辺のエックハート」等、奇妙な味わいの20編を収録した短編集。
 表題作である女性が「吐き出す」シーンのインパクトが絶大でそこばっかり思い出してしまう。この作品で隠し部屋に収監されている人たちは、非常にオリジナリティがあるというか、想像力が豊かで突出した人たち。作中世界ではその突出が罪とされるのだ。他の作品でも、過剰なオリジナリティ、やりすぎな妄想力を発揮する人たちが登場し、世界を奇妙な方向にねじまげていく。でも当人にとってはねじまげたのではなく、それがその人にとっての自然な状態なのだ。自然であろうとするとこの世の規範から見たら不気味なもの、許されないものになる。しかし、この世に合わせようとすると自分にとっては耐え難く不自然。このどうしようもない感じが全編に満ちているように思った。とは言え悲痛というわけではなく、不気味なものは不気味なまま、それはそれとして、という冷めたスタンス。そもそも世界は不可解で不気味なものであり、規範や常識の方が疑わしいのだ。

隠し部屋を査察して (創元推理文庫)
エリック・マコーマック
東京創元社
2006-05-20


パラダイス・モーテル (創元ライブラリ)
エリック・マコーマック
東京創元社
2011-11-30

『かつらの合っていない女』

レベッカ・ブラウン著、ナンシー・キーファー画、柴田元幸訳
 日本では小説家として知られているレベッカ・ブラウンと、強烈な色を使って様々なポートレートを描くナンシー・キーファーのコレボレート作品。テーマは設定せずに、キーファーの絵を見てブラウンが文章を書く、というスタイルで制作された作品だそうだ。
 ここにいることの痛みや違和感、生きることへの失意や諦念など、どちらかというとどす黒く、かつ突き刺さる作品が多い(「誰も」など痛切すぎて辛い)。しかし嘆きに溺れるのではなく、ブラックユーモアを交えて客観視する冷徹さをはらんでいる。感情を描くが情に流されないことで作品の強度が保たれているように思う。
 なお、本作の日本での出版に伴うレベッカ・ブラウンと柴田元幸のトークイベントに行ったのだが、大変面白かった。ブラウンが英語で、その翻訳を柴田が日本語での朗読があったのだが、先日見た映画『パターソン』の中で言及されていた「翻訳された詩はレインコートを着てシャワーをあびるようなもの」ということが、残念ながら実感できてしまった。どんなにいい翻訳も、原語とは違うんだよなぁと。詩の場合は韻や語感が大きく関わるので余計にそう感じられるのだろう。

かつらの合っていない女
レベッカ・ブラウン
思潮社
2017-09-11


犬たち
レベッカ・ブラウン
マガジンハウス
2009-04-23

『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』

佐々涼子著
 2011年3月11日の東日本大震災によって、日本製紙工場石巻工場は津波に飲み込まれ大きな被害を受けた。日本で出版される本の紙の供給に欠かせない工場だが、閉鎖が噂されるほどのダメージだった。しかし工場長は半年での復興を宣言、従業員たちの戦いが始まる。その戦いを丹念に取材したルポ。
大変な力作で、ベストセラーになったのも納得。いまだに電子書籍を使ったことがない読書好きとしては、製紙工場とのご縁は深いはずなのだが、製紙の過程がどういうもので、その機械がどういうものなのかは本作を読んで初めて知った。製紙会社はもちろんなのだが、出版社の熱意もひしひしと伝わってくる。本当に「本の紙を待っている」のだ。そのオーダーに応えることが製紙会社の誇りなんだなと。工場の再開は困難に困難が重なる(どういう部分が困難なのか、というところも面白い)が、被災して個人の生活もままならない中、かろうじて踏ん張っていたのはその誇りがよりどころになっていたという面も大きかったんだろうとわかるのだ。また、災害時のマニュアルが整備されていること、何より優れたリーダーがいることが、こういう時に企業の将来を左右するんだと痛感する。
 工場再開の為の過程も興味深いのだが、最も大きなインパクトがあったのは津波が襲ってきた後の様子だ。臭いや音等の描写が生々しい。読んでいても辛いが、これを語った人は(そして聞き取りをした著者も)本当に辛かっただろうと。また極限状態の中、人の善良さや強さと同時に、弱さ醜さも露呈していく所には、多分そうなるだろうとはわかっていても、切りつけられるような気持ちになる。

『彼女がエスパーだったころ』

宮内悠介著
かつてスプーン曲げで人気を博した「超能力者」及川千晴に取材を申し込んだ“私”は、彼女の実像、そして彼女の夫の死の真相を探る。表題作の他、5編を収録。
超能力、百匹目の猿、オーギトミー、代替医療等、科学とオカルトの間のグラデーション部分から題材を取った短篇集だが、理論的・科学的な説明をつけ、それでもなお曖昧な部分を残すというコンセプトの連作になっている。物理的なトリックは解明できるし、客観的な説明もできる。しかしそれが生み出された状況、人間の心理は時に非合理的で、当事者にしかわからない。あるいは当事者ですらわからない超越的な何かによって引き起こされることもある。本作で扱われるモチーフは一般的には胡散臭いとされるものだが、それはこの当事者にしかわからない、観察者を突き放さざるを得ないという性質によるのだろう。そこが本作の持ち味になっている。最初の作品と最後の作品で、ある閾値というモチーフがリンクしていくのもいい。著者は作品ごとに腕を上げている印象があり、本作も面白かった。

『狩人の悪夢』

有栖川有栖著
人気ホラー作家の白布施と雑誌の企画で対談した有栖川は、京都・亀岡にある彼の自宅を訪問することになった。しかし有栖川が泊まった翌日、白布施の亡きアシスタントが住んでいた家で、右手首のない女性の死体が発見される。
待ってましたよ!な火村&アリスシリーズ最新長編。作中、アリスのサラリーマン時代にインターネットが既に普及していたことにあっさりとなっていて(本シリーズは23年続いている。アリスはプロ作家になる前はサラリーマンだった設定)、長期にわたるシリーズを続けていく秘訣を垣間見ましたね・・・。1人の男の人生こそが最大の謎だった前作『鍵の掛かった男』と比べると、今回はオーソドックスな謎解きもの。仮説→反証、仮説→反証し推理の範囲を狭めていく。まどろっこしく感じられるような重複(というか反復か?)描写もあるのだが、終盤の推理の為にはこれが必要だったんだなと腑に落ちる。ただ今回は犯人特定に至るまでの推理過程はもちろんなのだが、最後の一手である、どうやって犯人に告白させるかという部分の方に目がいった。
(以下若干ネタバレになるかもしれないが)今回の推理には明確な物証がない。最後の推理はある人物の口から語られるのでシリーズ中でも珍しいパターンだと思うのだが、犯人にはこの人物によって追求されるのが一番堪えるということが、(「だから堪える」と文章上明記されるわけではないのだが)真相解明と共にわかってくる。この部分、動機を含めて二重の意味での謎解きになっているのだ。加えて、火村はこういうことをこの人物にさせるのかという、キャラクターの側面を垣間見た感もある。著者の近年の作品は、規定の枠の中でどういうマスの埋め方をしていくかという技巧的な(しかもすごーく地味かつ地道な)部分に特化している気がするが、今回はこう来たか・・・。しかしあとがき読むと「まだ新しいことがやれそうな気がする」的なことをさらっと言っているので恐ろしいかつ頭が下がります。

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