3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本題名か行

『コックファイター』

チャールズ・ウィルフォード著、齋藤浩太訳
 闘鶏家として鶏の飼育と訓練をしているフランク・マンスフィールドの目標は、最優秀闘鶏家賞を獲得すること。それまでは誰とも口を利かないという沈黙の誓いを立てている。ある勝負に敗れて文無しになった彼は、次の試合の為に金策を図るが。
 モンテ・ヘルマン監督により映画化もされた作品(映画は珍作といえば珍作だが…)。闘鶏というニッチな題材と、その世界にのめりこむ男の生きざまを描く異色のノワール。いわゆる犯罪小説としてのノワールではないが、主人公が世間からは理解されない世界にのめりこんでいく、後戻りのできない勢いはノワール的だ。フランクの生き方は闘鶏ありきで、一般成人男性としては色々と難がある。世の中の風習、ルールに染まらず、お金の使い方、稼ぎ方も浮世離れしている。ギター演奏で元手を稼ぐというのはロマンティックすぎて笑ってしまうくらいだ(しかもプロ並みの腕前というからチートすぎやしないか)。愛する女性はいるが、彼女との暮らしを願っているかというとそういうわけでもなく、女性を尊重しているとは言い難い。彼女を愛していると思ってはいるが、彼女の人生に沿うことはできないのだ。闘鶏と言う自分の世界、自分の道でしか生きることができないフランクのありかたは傲慢でエゴイスティックではあるが、突き詰めすぎていっそストイックだし、不器用もいいところだ。いくところまで行ってくれ。
 なお闘鶏シーンや鶏の飼育はかなり詳しく描かれているのだが、動物愛護的には明らかにアウトなので、苦手な方はご注意を。

コックファイター (海外文庫)
チャールズ・ウィルフォード
扶桑社
2020-04-30



コックファイター HDニューマスター版 [Blu-ray]
ハリー・ディーン・スタントン
キングレコード
2018-08-08



『彼女の体とその他の断片』

カルメン・マリア・マチャド著、小澤英実・小澤身和子・岸本佐知子・松田青子訳
 私の首にはリボンが結ばれている。そのリボンに他人が触ってはいけない。でも夫はリボンが気になって仕方ないらしい…『夫の縫い目』。関係が破綻しそうな恋人が、突然私に赤ん坊を渡す…『母たち』。作家である私はアーチスト・イン・レジデンスで山の中のホテルを訪れる…『レジデンス』。女性の身体の変容、違和感、親密さとその破綻にまつわる作品集。
 快楽・苦痛を含む身体感覚は極めて個人的なものだが、それが社会的な関係性・価値観を背景に置いた時、違和感やひずみが生まれることがある。最愛のパートナーとの関係が段々不穏になっていく『母たち』、『本物の女には体がある』でドレスになっていく女性たち、摂食障害のイメージがつきまとう『八口食べる』、女性作家という存在に対する世間の先入観・イメージに対する皮肉と怒りを感じる『レジデンス』等、自分の在り方が他者・社会が一方的に持つイメージや暴力によって浸食されていく。特に『本物の女には体がある』は行くも地獄、戻るも地獄のような辛さがあった。ドレスになりきってしまえばいっそ楽なのかもしれないが。どの作品も不穏で、世界の終わりの予兆のようなものを感じさせる。特に『リスト』は世界の終わりに向かいセックスの相手をリスト化していく話なのだが、終末をもたらす要因がタイムリーすぎてぞわりとした。

彼女の体とその他の断片
カルメン・マリア・マチャド
2020-05-01



フラワーデモを記録する
フラワーデモ
エトセトラブックス
2020-04-11


『高原好日 20世紀の思い出から』

加藤周一著
 浅間山麓の追分村で夏を過ごしてきた著者が、避暑地で出会いしたしく交友するようになった文人、文化人たちとの交流を振り返る回想録。
 登場する人たちが大変豪華。軽井沢で文人と言えばこの人という堀辰雄・多恵子にはじまり、中野重治、野上弥生子、磯崎新、武満徹、辻邦生・佐保子らとそうそうたる面子。また実際に会ってはいないものの追分にゆかりの深い立原道造や島崎藤村、一茶にまつわる随筆なども。ご当地随筆(信濃毎日新聞に連載されていた)的な軽い読み物ではあるのだが、著者の交友範囲の広さと、言うまでもなく教養、知の豊かさが窺え、読んでいて気持ちがいい。知性と品性のある文章はやはり良いものだ…。そして、軽井沢、追分に土地勘がある読者には更に楽しいだろう。夏(だけではないのだが)の避暑地の雰囲気、空気感が伝わってくる。老舗の旅館であった油屋の思い出も記されている。避暑地の交友録というとどうせセレブでしょ?みたいな先入観を持たれそうだが、そういう華やかな雰囲気はない。知性による交友というある意味厳しさをはらんだ関係性だからか。


私にとっての20世紀
加藤 周一
岩波書店
2000-11-28


『危険なヴィジョン(完全版)3』

ハーラン・エリスン著、浅倉久志他訳
 ハーラン・エリスン編纂アンソロジーシリーズ第三弾にして完結編、完全版での邦訳。シオドア・スタージョン『男がみんな兄弟なら、そのひとりに妹を嫁がせるか?』、R・A・ラファティ『巨馬の国』、J・G・バラード『認識』など、ビッグネームの作品が並ぶ。
 相変わらずエリスン本人による序文がもってもわった癖の強さで、どうかすると本編よりも面白かったりする。作家によって序文のボリュームがまちまちすぎるのも、エリスンとの関係性が垣間見えて面白い(短いから疎遠というわけではなく、書きやすい人と言葉にしにくい関係の人がいたのだと思う)。更に、人と人との関係の在り方の方が、小説そのものよりも古びにくい(人間関係のあれこれ自体は数十年レベルではさして変わらない)からだろう。SF小説は、書かれた時代には時代の最先端だったが後の時代にそのとんがりが持続しうるのか、という問題をはらんでいると思うが、古さを感じる/感じないという分かれ目はどこにあるのかということを、このアンソロジーを読んでいてずっと考えていた。後の社会で変化が大きかった分野に深く関わった作品は、当然古びるだろう。特にセクシャリティ、マイノリティについての認識が大きく変わってきたことが今読むとわかる。ヘンリイ・スレッサー『代用品』は今だったら(内容をふまえると)題名の時点でアウトだ。時代を超えて魅力を感じられる小説って貴重なんだな…。

危険なヴィジョン〔完全版〕3 (ハヤカワ文庫SF)
ハーラン エリスン
早川書房
2019-08-06





愛なんてセックスの書き間違い (未来の文学)
ハーラン・エリスン
国書刊行会
2019-05-25


『ガラスの虎たち』

トニ・ヒル著、村岡直子訳
 1970年代末、バルセロナ郊外の貧困地区で育ったビクトルとフアンペ。聡明な両親の元で育ち学校でも人気があってビクトルに対し、いじめられっ子のフアンペと母親は常に父親の暴力にさらされていた。対称的な2人だがなぜかうまが合い、常に一緒に行動するほど仲良くなっていく。しかしある事件が起き2人は離れた。そして37年後、ビクトルはホテル経営者として成功し、フアンペは罪をかぶり日陰者の人生を送っていた。2人が再会したことで、過去が甦り始める。
 ビクトルとフアンペだけではなく様々な人物の立場から描かれる群像劇的な側面が強いことに加え、過去と現在の記憶がフラットに入り混じっていく構造で、これはいつ・誰のことを指しているのか曖昧な部分がある。なかなかするっと読ませてくれないのだが、文章(というか訳文がということになるのだろうが)に詩情がある。文脈があえて混乱する、あっちにいったりこっちに行ったりする方が、曖昧なものである「記憶」を巡る作品の文体としては合っているのかもしれない。
 子供時代のビクトルとフアンペはある事件に関わってしまうのだが、そこには当時の子供たちの社会の構図が関わっている。いじめっ子に対抗する手段がなく、親や教師に訴えることは恥であり「密告」だという意識(そもそも当時は大人側にいじめや差別、障害に対する認識が薄かった)が事態を悪化させてしまうのだ。直接事件に関わったのはビクトルとフアンペだが、そこに至るまでの見て見ぬふりをしていた子供たち、そして大人たちは果たして責任がないと言えるのか。この構図は現代のパートでも、ある高校生たちの間で反復される。いじめのターゲットになった者はそれを誰にも言えず、具体的にどう助けを求めていいのかわからず一人で追い詰められてしまう。読んでいるとそこまで一人で抱える必要はないのでは、こうすればいいのに等と思う所もあるだろうが、それは大人だから思えることだ。聡明であってもそれはあくまで子供の視野・知識量での聡明さで、その枠外で対処するのは難しい。そこをフォローするために大人がいるのだ。ただ、そのフォローが間に合うとは限らない。そこに悲劇がある。過去の事件と現在の事件の大きな違いは、現在は見て見ぬふりを「しない」人がいるということだろう。そこにささやかな救いがある。
 本作は大部分がある人物の語りのよるもので、その人物が過去に何をしたのかもわかってくる。過去にしたことに関しては個人的には責められないと思う。が、現代でしていることについてはうっすらとした邪悪さを感じた。それをなぜあなたがやるのか、何の為にやるのかという点でひっかかるのだ。記されたものはあくまでその人物にとっての物語であり、登場する人たちにとってのものではない。自分の物語に(関わった当事者とは言え)他人を巻き込んでいいのかと。しかも本当に重要なことは、おそらくその人物の語りの外で起きていたのだ。

ガラスの虎たち (小学館文庫)
ヒル,トニ
小学館
2020-04-07



『啄木鳥探偵處』

伊井圭著
 明治42年9月。日本一高い建物と評判の浅草十二階で幽霊が目撃されたと、僕こと金田一京助の元に、親友の石川啄木が話を持ち込んできた。生活費を稼ぐ為、石川は探偵業を始めていたのだ。石川の才能にほれ込んでいる金田一は、探偵業の助手として現場に同行するが。実在の歌人と国文学者を探偵役にした連作ミステリ。
 石川啄木と言えば歌人にして希代の借金王、そして彼に多額の貸付(ほぼ返済されなかったとの話だが)をしていたのが友人で国文学者の金田一京助だったというのは、日本文学史に興味がある人にとってはお馴染みのエピソードだろう。よくまあそれだけ面倒見たなと感心するというかあきれるというか。その、つい面倒見てしまう様が本作の中でも存分に描かれている。広義の惚れた弱みっぽい、こいつの為なら仕方ないなという腹のくくり方(というほど器の大きいものでもないのだが)がコミカルでもあった。ミステリとしてはどの話もちょっと構成が似ているのが難、かつ犯人および関係者像が少々薄っぺらい(記号的すぎる)感はあるが、時代背景が色濃く見えて楽しい。石川の立ち居振る舞いがちょっとスマートすぎる気がするんだけど(笑)、彼の人生の短さを知っていると遊び人風振る舞いも何だか物悲しい。

啄木鳥探偵處 (創元推理文庫)
伊井 圭
東京創元社
2008-11-22


文豪たちの友情 (立東舎)
石井 千湖
立東舎
2018-04-13


『きのこのなぐさめ』

ロン・リット・ウーン著、枇谷玲子・中村冬美訳
 交換留学生としてノルウェーにやってきたマレーシア人の著者は、エイオルフと出会い恋に落ち結婚。しかしある日、エイオルフが急死してしまう。喪失感に苛まれる中、著者はふと参加したきのこ講座できのこの世界の魅力に出会い、魅了されていく。
 ちょっと風変わりとも言える随筆。題名の通り、スポットが当てられているのはきのこだ。北欧(ロシアもかな?)の小説を読んでいると頻繁に「きのこ狩り」が出てきて、子供の頃には随分と憧れたものだが、本著を読む限り、ノルウェーの人たちは頻繁にきのこ狩りをするしよくきのこを調理して食べている。気軽に参加でき奥の深いレジャーとして一つの定番になっているようだ。本著に登場するのは主に食べられるきのこ。きのこ狩りの醍醐味はやはり食べることにある。少々危険なきのこでも試しに食べてみるという好奇心を発揮したり、トガリアミカサダケの風味の絶品さ(ものすごくおいしいらしい…気になる…)に思いをはせたりと、きのこの世界が広がっていく。そして、きのこへの造詣が深まるうちに、夫を亡くした深い喪失感から回復していくのだ。きのこと喪の仕事に関連があるというより、きのこについて知る時間が、自分の感情や思い出と向き合う時間になっていくのだろう。作業として著者が置かれた状況にはまった、ちょうどよかったのかなと。喪失感がなくなることはないが、夫との記憶が収まるべきところに収まったように思えるのだ。

きのこのなぐさめ
ロン・リット・ウーン
みすず書房
2019-08-20


『ガルヴェイアスの犬』

ジョゼ・ルイス・ペイショット著、木下眞穂訳
 ポルトガルの小さな村、ガルヴェイアス。ある日、空から巨大な物体が落ちてくる。物体は硫黄のような異様な臭いを村中に撒き散らし、パンを苦くすっぱいひどい味にする。村人たちは右往左往するが、やがて物体の存在を忘れていった。
 小さな村の群像劇。浮気に不倫といった色恋沙汰のいざこざ、長年にわたる兄弟の不和、よそ者が感じる疎外感、死と新たな生。この村だけで一つの世界が形成されており、小さいのに狭さを感じない。同時に、1人1人がそれぞれ一つの世界であり、時に他の人と交わるがあくまで別々で理解はし合わない。犬ですらそうなのだ。様々な人たちが登場し交錯しているので、この人はあの人と夫婦で、あるいは兄弟で、なるほど過去にこういうことがあったのか等という人間関係も徐々に見えてくる。人物一覧と関係図を作りながら読んでも面白い(というかその方がいちいち前に戻って確認しなくてすむ)かもしれない。
 人間関係の面倒くささや感情のこじれ、そこから生じる喜悲劇には横溝正史かよ!と思わず突っこみたくなった。要するに一つの典型的な田舎の社会ということなのかもしれないけど。ただ、人々の(そして犬の)行動が結構パンチ利いていて、村社会だけどお互いにそんなに空気読まないし他人の迷惑顧みないところが日本とはだいぶ雰囲気が違っていっそ清々しい。そして「物体」は物体としてそこにあるだけなまま、人間は関与できないという所が


ガルヴェイアスの犬 (新潮クレスト・ブックス)
ジョゼ・ルイス ペイショット
新潮社
2018-07-31


溶岩の家 [DVD]
イネス・デ・メディロス
紀伊國屋書店
2010-05-29



 

『黒と白のはざま』

ロバート・ベイリー著、吉野弘人訳
 幼いころに父親をクー・クラックス・クランに殺されたボーは、彼らに制裁を加えることを目標に、町で唯一の黒人弁護士として故郷のテネシー州ブラスキに留まり続けてきた。しかし父親の45年後の命日、報復殺人の容疑で逮捕されてしまう。ボーは恩師である元ロースクール教授のトムとその元教え子リックを頼る。
 『ザ・プロフェッサー』に続くトーマス・ジャクソン・マクマートリーシリーズ第2弾。前作の展開を踏まえているので、本作を先に読むと一作目がどういう展開だったのか多少わかってしまうので注意。法廷ジェットコースターサスペンスだった前作と比べると、本作では真犯人は誰なのか、なぜ事件が起きたのかという謎が中心にある。そして前作以上にアメリカ南部のが舞台であることを意識させる。何しろプロローグでKKK登場、その後もずっと影を落とす。この土地にボーが留まり続けることがどういうことなのか、そうせざるをえない思いの強さと合わせて染みてくる。前作でもトムへの思慕の深さが垣間見えたボーだが、本作を読むと彼がなぜ「あなたしかいないんです」と言うのかわかってくる。そこまで言われてはトムも奔走せざるを得ない。
 トムが法曹界、またフットボール界での功績により尊敬されている様、OBの絆が前作では色濃く、そういった文化になじみがない読者としては違和感・若干の気持ち悪さがあった。しかし本作で登場する検事ヘレンは、法曹界での功績はともかく、トムのフットボール界における功績や知名度には全く敬意を示さない。外の世界の人からしたらそんなものだという距離感が生まれている。前作でちょっと鼻についた部分が是正sれているように思う。また、小説の構成も前作よりすっきりと読みやすくなっている(リーダビリティは相当上がっている)。難点をちゃんと直してくる作家なのかな。だとすると次作はもっと面白いはず。

黒と白のはざま (小学館文庫 ヘ 2-2)
ロバート・ベイリー
小学館
2020-01-07


ザ・プロフェッサー (小学館文庫)
ロバート ベイリー
小学館
2019-03-06


『絞首台の黙示録』

神林長平著
 松本市で暮らす作家の「ぼく」は、父と連絡が取れないという冠婚葬祭互助会からの知らせを受け、新潟の実家へ戻る。実家で父の不在を確認したものの、そこで出会ったのは自分と同じ名前「タクミ」と名乗る自分そっくりの男だった。彼は育ての親を殺して死刑に「なってから」ここに来たというのだ。一方、父は生後3か月で亡くなった双子の兄と「ぼく」にそれぞれ「文」「工」と書いて同じ「タクミ」と読ませる名前を付けていた。
 SFでもありミステリでもあり哲学でもある。ほぼ「ぼく」と「おれ」の一人称と対話で進む「ぼく/おれ」は何者なのか、「タクミ」とはどういう存在なのかという思索。自分という存在が単一ではなくいくつものレイヤーに存在している、またある分岐から自分という存在のルートがいくつも分岐しているのではという「自分」の在り方、不確かさを辿る。宗教・哲学の領域に入っていく過程を力業で読ませる。その在り方に気付く過程が対話によるものだというのは哲学の基本なのかも。


レームダックの村
神林 長平
朝日新聞出版
2019-11-07


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