3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本題名か行

『空白を満たしなさい(上、下)』

平野啓一郎著
 勤務先の会議室で目覚めた土屋徹生は、自分が3年前に社屋の屋上から転落死したことを知らされる。世間では「復生者」と呼ばれる死者の生き返り現象が起きていたのだ。徹生は自殺と見なされていたが、妻子を愛し新商品の開発にも成功していた自分が自殺するなど信じられず、死の直前の失われた記憶と死の真相を突き止めようとする。
 著者の小説を読んだのは本当に久しぶりなのだが、あれ?こんなに小説の下手な作家だったっけ・・・。いやいやそんなことないはずと思いつつ文庫の上巻を読み、巻き返しがないまま下巻に突入、最後まで上手くなかった。えっ平野先生に何が起きたの・・・。ちょっとびっくりするくらいの小説としての味わいのなさ、スカスカ感である。本作、著者の考案する「分人」という考え方(これ自体は悪くないが当たり前と言えば当たり前のことを言っているなと思った)を組み入れた作品なのだが、「分人」を説明しようとする側面が強すぎて、登場人物の行動と状況の説明文のようになっており、出来の悪い学習漫画みたいだ。小説には、作家の考えを表現するという側面はあるが、それだけでは貧しい小説になる。作家が予想できなかった部分が膨らんでくる、作家の意図を離れた部分が生じてくることにこそ豊かさがあると思う。




『ケモノの城』

誉田哲也著
 17歳の少女が、警察に自ら保護を求めてきた。彼女の体には多くの傷跡があり尋常ではない様子が窺えた。少女が監禁されていたというマンションには1人の女性がおり、浴室からは複数名の血痕が発見された。ここで一体何が起きたのか。2人の事情聴取が始まり、主犯と思しき1人の男性の存在が明らかになるが、2人の話は徐々に食い違っていく。
 実際にあった事件に想を得て書かれた作品だそうだが、最近だと黒沢清監督の映画『クリーピー 偽りの隣人』(原作は前川裕の小説『クリーピー』。私は原作小説未読なのでここでは映画の方を挙げる。)も同じネタだった。人間の不可解さ、薄気味悪さと恐ろしさが詰まった題材なので、ネタにしたくなるのはわかる。客観的に見ていると、なぜここで逃げられなかったのか、退けなかったのか、なぜどんどん取り込まれてしまうのか不思議なのだが、当事者になってみるとおそらくどうしようもないという、悪意の磁場みたいなものがある。一番怖いのは、その磁場に他人を引き込むことを何とも思わない、特に感情なく自然な行為としてそういうことをやる人間が存在するということだ。捜査を進める警察側と、ある青年側と、2方向から構成された小説だが、途中であっと驚かされる。構成の妙に唸るが、サプライズがなまじ上手くいっているので、事件の不可解さ、気味の悪さのインパクトが少々後退してしまったようにも思った。怖い、よりも上手い、の方が前面に出てくるように思った。

ケモノの城 (双葉文庫)
誉田 哲也
双葉社
2017-05-11


クリーピー 偽りの隣人[DVD]
西島秀俊
松竹
2016-11-02


『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』

佐々涼子著
 2011年3月11日の東日本大震災によって、日本製紙工場石巻工場は津波に飲み込まれ大きな被害を受けた。日本で出版される本の紙の供給に欠かせない工場だが、閉鎖が噂されるほどのダメージだった。しかし工場長は半年での復興を宣言、従業員たちの戦いが始まる。その戦いを丹念に取材したルポ。
大変な力作で、ベストセラーになったのも納得。いまだに電子書籍を使ったことがない読書好きとしては、製紙工場とのご縁は深いはずなのだが、製紙の過程がどういうもので、その機械がどういうものなのかは本作を読んで初めて知った。製紙会社はもちろんなのだが、出版社の熱意もひしひしと伝わってくる。本当に「本の紙を待っている」のだ。そのオーダーに応えることが製紙会社の誇りなんだなと。工場の再開は困難に困難が重なる(どういう部分が困難なのか、というところも面白い)が、被災して個人の生活もままならない中、かろうじて踏ん張っていたのはその誇りがよりどころになっていたという面も大きかったんだろうとわかるのだ。また、災害時のマニュアルが整備されていること、何より優れたリーダーがいることが、こういう時に企業の将来を左右するんだと痛感する。
 工場再開の為の過程も興味深いのだが、最も大きなインパクトがあったのは津波が襲ってきた後の様子だ。臭いや音等の描写が生々しい。読んでいても辛いが、これを語った人は(そして聞き取りをした著者も)本当に辛かっただろうと。また極限状態の中、人の善良さや強さと同時に、弱さ醜さも露呈していく所には、多分そうなるだろうとはわかっていても、切りつけられるような気持ちになる。

『ゴーストマン 時限紙幣』

ロジャー・ホッブス著、田口俊樹訳
誰の記憶にも残らず、犯罪の痕跡を消し去る「ゴーストマン」と呼ばれる“私”。犯罪組織のトップから、2人の男が銀行強盗で手に入れた120万円の紙幣を手に入れろという依頼を受ける。紙幣は48時間後に「爆発」し、痕跡は消せなくなると言うのだ。
現在進行中の現金強奪事件と、“私”が依頼を断れない原因となった過去の銀行強盗事件、2つの犯罪が平行して描かれる。“私”がどういう人間かということよりも、仕事の手順、犯罪者としての思考方法やメンタリティという、どういう「犯罪者」であるかということに重点が置かれており、文字通りの犯罪小説。そもそも“私”がゴーストマンという仕事の都合上、人間としての自分の個性には重きを置いていない、むしろ(元々あまり個性の強い人ではないらしいが)排除していくものと考えている所が、主人公としてはユニークだ。それでも、プロの犯罪者としての振る舞いの隙間から、“私”個人が元々持ち合わせている価値観や資質が見え隠れする。そのバランスがいい。完璧な「犯罪者」だと、ここまで面白みは出なかったのではないか。様々な思惑がからむ事件の真相も気になり、一気に読まされた。

『これからお祈りにいきます』

津村記久子著
 人型の巨大なハリボテに、これだけは取られたくないもの(大抵体の一部)を模した物をそれぞれが入れるという、奇祭のある町で育ったシゲル。祭りをうとましく思いながらも祭りを主催する自治体でのアルバイトに励んでいる。弟はひきこもり、父は不倫中で家庭も憂鬱だ。幼馴染の同級生の少女も家庭の事情でアルバイトに励んでおり、シゲルは彼女のことがどこか気になっていた(「サイガイサマのウィッカーマン」)。他、「バイアブランカの地層と少女」の2編を収録。
 シゲルの住む町で昔からまつられている神様「サイガイサマ」は足りない神様だという。何かと引き換えにしか願いを叶えられない、その叶え方も中途半端だという、力不足の「足りなさ」なのだ。シゲルは自由研究としてサイガイサマの由来や特性を調べたことがあり、その知識が所々で披露されている。土着の信仰が変容していく様が垣間見えて面白いのだが、由来を知ってしまったからなおさら、シゲルにとってサイガイサマは胡散臭い神様になっている。そんな胡散臭いものが暮らしの中心にある地域の、はたから見たら奇妙だけどその中にいるとそれが普通、という感覚のとらえ方が上手い。シゲルは、自分の地元に対する視線がちょっとひいたものになっているので、その奇妙さが嫌なんだろうなぁ。とは言え、足りなくても、胡散臭くても、神様はやはり神様で、そこにいないと困るのかもしれない。土壇場で祈る対象があることに救われることもある。「バイアブランカの地層と少女」でも、やはり主人公は土壇場で祈ってしまう。どちらも自分の為の祈りではない。誰かの為にこそ、必死で祈りたくなるのかもしれない。どちらの主人公も、そのくらい優しい人たちということかもしれないが。

『クロコダイル路地Ⅰ』

皆川博子著
 民衆がバスティーユ監獄を襲撃し、フランス革命の口火となった1789年7月14日。パリで起きた争乱は徐々にフランス全土に広がっていき、農民が暴動を起こし貴族や領主を襲い始める。反革命軍に加わった貴族の嫡男フランソワと従者ピエール、裕福なブルジョアの嫡男ローラン、日雇い労働で食いつなぐ貧しい平民のジャン=マリと幼い妹コレット。身分も立場も違う彼らの運命は革命により大きく変わっていく。
 Ⅰ、Ⅱと2部構造の作品だそうで、本作はフランス編(舞台は主に貿易都市であったナント)。登場人物たちは「革命」の当事者となっていくわけだが、革命側にしろ反革命側にしろ、実際に自分達が何に加担していて、どういう経緯でこうなっているかわかっていた人など、当時はごく一部だったろう。この「わかっていない」部分の描き方が上手い。なりゆきでついていった側がどちらだったかで運命は大きく変わり、かつ自分が何に加担しているのかも理解しないまま事態は転がっていく。一口に革命といっても、それぞれ見えている景色は全然違うのだ。ばらばらで先の見えない群像劇として、スリリングで面白い。そして、事態に流されるうちそれぞれの中に徐々に鬱積していくものが、今後の展開に影を落としていくことが予想される。その人の表面化していなかった資質が、非日常的な状況の中で開花していくのだが、それが良き資質とは限らないのだ。

『彼女がエスパーだったころ』

宮内悠介著
かつてスプーン曲げで人気を博した「超能力者」及川千晴に取材を申し込んだ“私”は、彼女の実像、そして彼女の夫の死の真相を探る。表題作の他、5編を収録。
超能力、百匹目の猿、オーギトミー、代替医療等、科学とオカルトの間のグラデーション部分から題材を取った短篇集だが、理論的・科学的な説明をつけ、それでもなお曖昧な部分を残すというコンセプトの連作になっている。物理的なトリックは解明できるし、客観的な説明もできる。しかしそれが生み出された状況、人間の心理は時に非合理的で、当事者にしかわからない。あるいは当事者ですらわからない超越的な何かによって引き起こされることもある。本作で扱われるモチーフは一般的には胡散臭いとされるものだが、それはこの当事者にしかわからない、観察者を突き放さざるを得ないという性質によるのだろう。そこが本作の持ち味になっている。最初の作品と最後の作品で、ある閾値というモチーフがリンクしていくのもいい。著者は作品ごとに腕を上げている印象があり、本作も面白かった。

『きつねの遠足 石田千作文集』

石田千著
様々な本や人、物事に関わる短い文章を67編収録した「作文」集。内容は、本の解説として書かれたものであったり、誰かとの思い出や日常のこまごま、また著者の文章の中では外せない食べ物に関するものまで多岐に渡り、長さがごくごく短く中途半端なものもあるから、随筆ではなく「作文」ということなのだろう。独特のぽつりぽつりと文字を置いていくような、しかし寡黙というわけではなく、むしろコンパクトだが饒舌さを感じさせるところがユニーク。他の文章よりもボリュームがある「選句の神殿」が面白い。朝日俳壇の選句会に同席した記録なのだが、選句ってこんなに鬼気迫る瞬間があるのか・・・。大量のはがきをどんどんさばいていく(もちろんちゃんと読んでいる)選者の生き生きとした動きや、人柄、選者同士の関係性など、控えめな文なのに鮮やか。俳句に興味がなくても引き込まれた。

『狩人の悪夢』

有栖川有栖著
人気ホラー作家の白布施と雑誌の企画で対談した有栖川は、京都・亀岡にある彼の自宅を訪問することになった。しかし有栖川が泊まった翌日、白布施の亡きアシスタントが住んでいた家で、右手首のない女性の死体が発見される。
待ってましたよ!な火村&アリスシリーズ最新長編。作中、アリスのサラリーマン時代にインターネットが既に普及していたことにあっさりとなっていて(本シリーズは23年続いている。アリスはプロ作家になる前はサラリーマンだった設定)、長期にわたるシリーズを続けていく秘訣を垣間見ましたね・・・。1人の男の人生こそが最大の謎だった前作『鍵の掛かった男』と比べると、今回はオーソドックスな謎解きもの。仮説→反証、仮説→反証し推理の範囲を狭めていく。まどろっこしく感じられるような重複(というか反復か?)描写もあるのだが、終盤の推理の為にはこれが必要だったんだなと腑に落ちる。ただ今回は犯人特定に至るまでの推理過程はもちろんなのだが、最後の一手である、どうやって犯人に告白させるかという部分の方に目がいった。
(以下若干ネタバレになるかもしれないが)今回の推理には明確な物証がない。最後の推理はある人物の口から語られるのでシリーズ中でも珍しいパターンだと思うのだが、犯人にはこの人物によって追求されるのが一番堪えるということが、(「だから堪える」と文章上明記されるわけではないのだが)真相解明と共にわかってくる。この部分、動機を含めて二重の意味での謎解きになっているのだ。加えて、火村はこういうことをこの人物にさせるのかという、キャラクターの側面を垣間見た感もある。著者の近年の作品は、規定の枠の中でどういうマスの埋め方をしていくかという技巧的な(しかもすごーく地味かつ地道な)部分に特化している気がするが、今回はこう来たか・・・。しかしあとがき読むと「まだ新しいことがやれそうな気がする」的なことをさらっと言っているので恐ろしいかつ頭が下がります。

『現代世界の十大小説』

池澤夏樹著
モームの名エッセイ「世界の十大小説」から60年。彼のセレクションはもちろん名作ばかりで現代でも広く読まれている。しかし、モームが選んだ小説は18世紀~19世紀、国はイギリス、ロシア、フランス、アメリカのもの。世界が大きく変化した現代には現代なりの十大小説が必要なのではないか。著者が選んだ10作品を、その背景と合わせて解説する新書。著者による「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」および同「日本文学全集」の副読本として読むと(本作で紹介されている作品のすべてが個人全集に含まれているわけではないが)、著者がどういう指針で作品選出したのか、文学にはどのような役割があると考えているのか、よりわかるのではないだろうか。その小説が誰によって語られているものなのか、何がそれを語らせるのかということが、その時代や国、世界の形を雄弁に伝える。一つの作品の中に様々な声がある、多数の視点から語りうるという所が、小説の強みではないかと思う。また、モームの時代は、まだ世界が(地理的に)限定されていたのだなともつくづく。よりさまざまな国、文化圏の小説が読めるようになったことは素晴らしいが、今の文学はそれが(自分が属している文化圏の)外部からどう見えるか、どういう関係か常に考えざるを得ないのかとも。

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