3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『オトコのカラダはキモチいい』

二村ヒトシ・岡田育・金田淳子著
 AV監督の二村と、腐女子文化研究家の金田、そして進行役の文筆家で同じくBLに造詣が深い岡田の3人が、男性の肉体の官能について熱く語る。イベント内容の収録に描き下ろしを加えた対談集。
 第一章タイトルがいきなり「これからのアナルの話をしよう」なので結構なパンチの効き方だが、本文も主に岡田・金田のテンションの高さと語彙の豊富さによるパワーワード連打で大変面白かった。腐女子って大概言葉使いのスキル高いですね・・・。やはり妄想力の強い人は言葉の使いこなし度も高いのか。BLというファンタジーにおける男性の官能を語ると同時に、生身の男性の身体機能の仕組みから解説、また実際にゲイ男性への聞き取りを行う。男性にとって、ファルス以外の機能で官能を得るというのはかなり抵抗がある、自分が性的対象として見られるのも受け入れがたい、と二村は指摘する。自らが性的対象であることを否定したいという構図の非対称性に男性当人は割と無自覚っぽいのが不思議でもある。一方で、ファルス中心のあり方に息苦しさを感じる男性も少なくない。官能にこうでなければ、という枠はないはず、享受するもしないももっと自由でいい(まあ法律の範囲内でですが)。「こうであろう」とされている男性の官能は、一見主体的なようでいて「こうであろう」に振り回されるものだったと言える。BLは主に女性が享受するものとは言え、そこから逸脱しているからウケてる(一方で強い拒否感を持たれる)んだろうなぁ・・・。欲望の対象に自分自身は当事者として介在しないというBLの読み方は、男性にとってはなかなか習得しにくいもののようだ。しかしそのハードルを越えると新しい世界が!(という実例が本著中にもあって笑ってしまった)




『女の一生』

ギィ・ド モーパッサン著、永田千奈訳
 男爵家の一人娘ジャンヌは、両親から愛され何一つ不自由なく育った。17歳で預けられていた修道院から出て実家に戻ったジャンヌは、将来への希望に胸を膨らます。美青年のジュリアン子爵と結婚するが、人生はジャンヌの希望を裏切り始める。
 昨年、映画化作品(『女の一生』ステファヌ・ブリゼ監督)を見て原作も読んでみた。光文社古典新訳文庫版で読んだのだが、新訳のせいかとても読みやすくあっという間に読めた。話としては大変とっつきやすいので、古典文学だからと構えずもっと早くに読んでおけばよかったなー。しかし面白いのだがジャンヌの「人生」は転落の一途で読んでいて実に辛い。ハンサムだがケチで浮気性の夫ジュリアン、甘やかされ放題で金ばかりせびる息子ポールという家族の存在によって、どんどん不幸になっていくのだ。あーなんとなく流されるように結婚しちゃダメ!と地団太踏みたくなるが、この時代の女性には他の選択肢はさしてなかったはず。加えて、そもそも男女関係なく人生にはっきりとした選択肢はなく、多くの人間はほぼ流されるように生きるものではないかとも思えてくる。ジャンヌは自分に降りかかるものをただ受け入れていくように見えるが、それは読者の姿からそう遠いものではないだろう。不運・不幸に流されていく中でも美しくきらめく忘れられない瞬間があり、そこが人生の美しさでもあり厄介さでもあるように思う。

女の一生 (光文社古典新訳文庫)
モーパッサン
光文社
2013-12-20


脂肪のかたまり (岩波文庫)
ギー・ド・モーパッサン
岩波書店
2004-03-16


『オープン・シティ』

テジュ・コール著、小磯洋光訳
 若い精神科医である私は、マンハッタンを歩き回る。老いた恩師や偶然出会った幼馴染との交流、日々面談する患者たちとのやりとりと、アメリカ同時多発テロを経たマンハッタンという町、そして故郷であるナイジェリアの歴史と文化が交錯していく。
 散歩をしている時が一番考え事をしやすいという人は一定数いると思うが(私もだが)、「私」もそうした1人なのだろう。散歩小説とでも言いたくなる。もちろん恩師を見舞ったり、旅行に行ったりと色々なことをしているのだが、それらをリアルタイムで語るのではなく、後々散歩しながらつらつらと思い出していくようなスタイルだ。自分の体験やその時の思考の流れと、語り口とに一定の距離感があり、個人的な事柄も歴史的な事柄も並列され、繋がっている。観察者としての視点が強いのだ。しかし語り手が観察者に徹していられるほど、この世界はシンプルではない。突如として暴力にさらされ、また自身が加害者になり得る。「私」は被害者としての自分については客観的に言及するが、加害者としての自分には一切言及しない。この差が、観察者に徹する事が不可能であるということであり、その言及のなさはショッキングでもあった。それに言及していくことが歴史を学ぶということでもあるのだろうが、「私」はまだそこに至っていないのだ。





『大鎌殺人と収穫の秋 中年警部クルティンガー』

フォルカー・クルプフル&ミハイル・コブル著、岡本朋子訳
 バイエルン地方の村で、悪質旅行業者、元医師の作家が相次いで殺された。どちらも死体の首が鎌で切られていたことから、警察は連続殺人とみなす。クルフティンガー警部は部下を率いて捜査に着手するが、奇妙な暗号に振り回され右往左往する。
 ドイツはドイツでも大分地方色が強いので、邦訳されているドイツミステリとはちょっと味わいが異なる。方言や地方独自の文化への言及も多く、ご当地ミステリ的な味わいも。クルフティンガーは偏屈な中年男だが警官としては結構真面目。とはいえ頭が切れるというタイプでもなく、勘違いも多い。ちょっと独特の鈍さ(まあ現実の人間はこんなもんかなと思うけど・・・)があって、捜査が遅々と進まず読んでいて少々いらっとした。クルフティンガーとしては不本意だが、妻の方が記憶力がいいし勘もいい。妻に捜査に協力してもらうものの、不満タラタラで険悪にもなる。とは言え、なんだかんだで円満な夫婦模様も楽しいクルフティンガーはちょっと鈍いしいわゆる切れ者ではないし頑固だけど、人間としては真っ当なのだ。ミステリとしては謎解きが唐突な感があり、また暗号が恣意的過ぎるんじゃないかと言う気もするが、登場人物の私生活のゴタゴタや地方色のディティールが楽しい作品。事件自体は陰惨なんだけど。






『音の糸』

堀江敏幸著
音楽、楽曲そのものだけでなく物としてのレコードやその音楽を聴いた状況、場所等、様々な音楽にまつわる記憶を綴る随筆集。掲載誌が『クラシックプレミアム』なので、当然クラシックの楽曲が中心なのだが、著者の聞き手としての傾向や振れ幅が窺える。音楽をテーマにした随筆だが、不思議と楽曲そのものよりも、それを取り巻く諸々の、直接楽曲とは関係ない部分の描写の方が多い。そして、楽曲そのものを表現する言葉よりも、それを聴いた状況やそこから芋弦状に思いだした物事の描写の方が、不思議とどういう音楽か、どういう演奏だったのかということを感じさせるのだ。音の記憶に色々なものが紐づけられている。だから題名が『音の糸』なんだろうな。

『おばあさん』

ボジェナ・ニェムツォヴォー著、栗栖継訳
美しい谷間で娘一家と暮らすようになったおばあさん。教育はないが、様々な知恵と温かい心と勇気を持ち、孫たちを愛し、家事に励む。おばあさんと家族、谷間の人々との交流を描く。19世紀チェコの有名な作家による、国民的文学作品だそうだ。あとがきによるとニェムツォヴォーは民族・社会解放運動の先駆者で、当時チェコを支配していたオーストリア政府から目をつけられていたそうだ。そのせいもあって非常に経済的には苦しい一生だったとか。本作にも民族主義的な要素は多く、チェコの国土への愛や、皇帝に対する素朴な敬愛等も描かれる。またおばあさんは敬虔なクリスチャンなので様々な宗教儀式、また冠婚葬祭の描写も多い。チェコの昔ながらの生活習慣や伝統、民話等を記録しておこうという意図もあったのかもしれない。教条的な部分も多いのだが、四季を通した自然の描写、生活のあれこれの描写が生き生きとしていてとても楽しい。おばあさんは自分は昔堅気だと自認しており昔のやり方であれこれやるが、若者にそれを押し付けるようなことはしない。人それぞれの生き方があると理解しており、個人を尊重しているところは意外と現代的でもあった。

『丘の上のバカ ぼくらの民主主義なんだぜ2』

高橋源一郎著
朝日新聞論壇時評を中心にまとめた『ぼくらの民主主義なんだぜ』の続編。2015年から2016年前半あたりまでの原稿をまとめたものだが、今現在に至るまでに、書かれた次期より更に、民主主義ってなんだ!と叫びたくなるような事態が次々に起こり、読んでいて若干空しさを感じることもあった。ただ、そこで空しく諦めてしまってはだめだよという姿勢が本作の根底にはある。丘の上のバカでいい、声を上げ続けなくてはならないのではないかと。なお、私は小説家としての高橋源一郎のイメージからは、新聞で(文学以外の)論評をするとは思っていなかった。なぜやるようになったのか不思議だったのだが、本著の中でそこに至るまでの経緯や覚悟が垣間見え、なるほどなと腑に落ちた。

『男という名の絶望 病としての夫・父・息子』

奥田祥子著
理不尽なリストラ、妻の不貞、実母の介護や子供との溝など、様々な問題と直面し苦しむ男性たち。その苦しみの背景には「男であること」の呪縛があることが、インタビューを通じて見えてくる。ジャーナリストである著者が当事者男性やその家族に取材、考察する。読めば読むほど女も辛いが男も辛い、つまり世間の大半の人が辛いということにぐったりとする。取材に応じた、問題を抱えている男性たちの殆どが、精神的にかなりぎりぎりな状態にある。多数の取材対象の中から、かなり端的な事例を選んでいるのだろうが、それにしてもこういう状態になる前に何か手立てがあったのでは、とも思う。抱えている問題は様々でそれぞれ深刻なのだが、彼らの殆どは自分の問題を誰かに相談することができない。男なのにこんなことを話すのは恥ずかしい、という意識があるだろうし、世間が認める「男らしい男」になれない自分を認められないという面もあるだろう。しかしその「男らしい男」として成功しているのは、かなり限られた人たちなのではないか。一握りの勝ち組の価値観に付き合う必要があるのだろうか。また殆どの取材対象が、妻や子等周囲の人たちと十分なコミュニケーションが取れていない。家庭内に「男」として頑張っているつもりが、家庭内での「男」としての居場所をなくすことになってしまっている。ただ、彼らの問題の更に背後には、雇用の不安定化や賃金の上がらなさ等の経済的要因、また画一的な「男性」の価値観しか認めない企業、社会の在り方など、個人レベルではどうにもならない問題がある。著者も言及しているが、一時期、男性の生き方も柔軟化する傾向が見られたが、不況に伴いまた硬直化しているように思う。そういう社会では女性も生き辛いはずだ。なお、著者も自覚しているようだが、男性という社会規範から自由であろうとしつつ、著者の文章にも「男性だから」というフィルターがかかっているように感じた部分がある。問題は根深い。

『踊る骸 エリカ&パトリック事件簿』

カミラ・レックバリ著、富山クラーソン陽子訳
長女が生まれ、育児に追われるエリカとパトリック。パトリックは育児休暇を取っているが、職場である警察署の様子が何かと気になり、エリカは執筆に専念できずにいた。自宅の屋根裏で母親の古い日記とナチスの勲章を見つけたエリカは、地元の歴史家エーリックに勲章を預けた。しかしエーリックは殺されてしまう。エリカは母の日記を読み始めるが、冷淡だった母が書いたとは思えない情感豊かなものだった。しかし日記には戦争の影が落ちるようになり、ある日を境に途切れてしまう。スウェーデンの人気ミステリシリーズ5作目。第二次世界大戦中の出来事が現在に影響する歴史ミステリとしての側面と、エリカ姉妹の母親はなぜ娘たちに冷淡だったのかという、家族のミステリとの2本柱だ。北欧のミステリを読んでいると、ネオナチや過激な右翼が度々登場するが、本作にも移民排斥を訴える右翼団体が登場する。労働問題や国の財政問題との関わりが深いのだろうが、この偏狭さ、違うものを排除したいという欲望は何なんだろうなと毎回考えてしまう。ただ、一方で新しい価値観に目を開く人物もいる。毎回厄介者扱いされていた警察署長メルバリに、まさかの転機が訪れる。これには、人間何歳になっても変われるのかも、捨てたもんじゃないなって気分に。そして愛は人を変えるのかと(笑)。語弊があるかもしれないが、ミステリ以外の部分にとても読み所がある。「育児あるある」「夫婦あるある」が満載で、夫婦間で感じる不公平感や親子のわだかまり等、細かいニュアンスがよく書けていて、恋人から夫婦へ、家族へ(あるいはその逆)と生活が変わるにつれて、登場人物たちどのように変わっていくのかという点で、とても楽しめるシリーズだと思う。

『奥の部屋』

ロバート・エイクマン著、今本渉訳
子供の頃「私」が買ってもらった人形の家には、外側からは見えない部屋があった。大人になった私はある日、あの人形の家そっくりな屋敷を見かける。表題作『奥の部屋』を始め、幼馴染の女性に起こった何事かを描く『学友』、森の魔を垣間見る『髪を束ねて』等7篇を収録した短篇集。私はホラーは苦手なのだが、本作の怖さ(ジャンルとしてはモダン・ホラーでくくられるようだが、著者自身はいわゆるホラーとしては書いていないのかなという気も)はすごく面白かった。はっきりと、こういう対象が、こういう事象が出現したから怖い、というのではなく、怖さはあるが対象が何者なのかよくわからない、今起きているのが一体どういう事象なのか説明されないという所に恐さがある。得体の知れなさを描いた作品群とも言える。特に『学友』の最後の1文の破壊力には唸った。いきなり観察者を当事者側に引き込むのだ。

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