3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『おれの眼を撃った男は死んだ』

シャネル・ベンツ著、高山真由美訳
 迎えに来た兄によって叔父夫婦の元から助け出されたラヴィーニアだが、更に過酷な運命が待ち受ける(「よくある西部の物語」)。ヒッチハイクで実父の元に向かう「わたし」にはある目的と過去があった(「思いがけない出来事」)。西部劇の舞台のような南北戦争後の町、16世紀イギリス、現代のアメリカ、未来とも異世界ともつかないとある遺跡等、舞台がバラエティに富んでいる短編集。
 収録された作品の舞台は場所も時代も様々。西部劇そのもののような作品から、時代劇やSFまで、さまざまなジャンルにわたっているとも言える。語り口調、小説としての構造の仕掛けもまちまちだ。しかし不思議と統一感がある。全ての作品の根底にはこの世で生きる苦しみ、暴力と欲望とが流れていてハッピーエンドには程遠い。どの作品も常に傷口が開いて血を流しているような、読んでいる側を切りつけてくるような容赦のなさ。ただ、同時に非常に美しい瞬間がある。O.ヘンリー賞を受賞したという「よくある西部の物語」(コーマック・マッカーシーぽいと思う)のラストのは残酷で救いがないのだが、彼女の人生全てがこの一瞬で立ち上がってくるような密度を感じた。
 社会の底辺、隅っこで生きる人たちの生が描かれるが、特に女性として生きる苦しさ、選択肢のなさが抉ってくる。女性はだれかの妻、姉妹、娘、母、恋人であり独立した存在として扱われない。「死を悼む人々」はまさにそういう話で、主人公に認められている価値は、誰に所属する女か、ということだ。また寓話的な「アデラ」は独立した存在である女性が、世間の価値観によって引きずりおろされる話とも読める。
 収録作はすべて必読だが、「オリンダ・トマスの人生における非凡な出来事の奇妙な記録」は、アメリカの現状を踏まえると正に今読むタイミングなのではと思う。1838年に黒人女性が書いた手記という体の作品なのだが、当時のアメリカ南部の「進歩的な」白人の欺瞞や差別の無自覚さが時にユーモラスに醜悪に描かれている。そして黒人であり女性であることの自由のなさも。

おれの眼を撃った男は死んだ
シャネル・ベンツ
東京創元社
2020-05-20


血と暴力の国 (扶桑社ミステリー)
コーマック・マッカーシー
扶桑社
2007-08-28





『オスロ警察殺人捜査課特別班 フクロウの囁き』

サムエル・ビョルク著、中谷友紀子訳
 敷き詰められた羽の上に奇妙な恰好で横たわる少女の死体が発見された。口には白いユリの花が押し込まれ、周囲にはろうそくが五芒星の形に並べられていた。加えて死ぬ前に虐待を受けていたことがわかった。捜査を始めた殺人捜査課特別班のムンクとミアは、ある養護院に着目するが。
 シリーズ2作目。相変わらず癖のない文章が読みやすく(これは翻訳の良さもあるのだろうが)、事件の展開の引きも強いのでするすると読めた。不気味な殺人現場という設定は前作同様だが、今回はミアもムンクも調子が悪そう。ミアは姉を失った喪失感・罪悪感から逃れられず酒と薬が手放せなくなっていく。前作で少し持ち直したと思っていたら、また逆戻りだ。刑事としての聡明さを知っているだけに、彼女が酒と薬でぼんやりとしている様は読者としてももどかしい。一方ムンクは妻への未練を断ち切れず、彼女とパートナーの姿を見て落ち込む。離婚して十数年たつのに未練を断ち切れないってなかなかのものですね…。彼らの不調をあざ笑うように、猟奇殺人の捜査は決め手を欠く。読者に対してはある程度情報が開示されているのでめぼしはつくのだが、ある妄執に基づいた価値観、そしてそれが提供するものに食いつく欲望がおぞましい。「普通の人」が安全圏から発している分、後者の方が恐ろしく思える。
 なお、ミアの身辺に異変の予兆があるので、自作が気になる。無事翻訳されるといいのだが…。

オスロ警察殺人捜査課特別班 フクロウの囁き (ディスカヴァー文庫)
サムエル・ビョルク
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2019-03-28



オスロ警察殺人捜査課特別班 アイム・トラベリング・アローン (ディスカヴァー文庫)
サムエル・ビョルク
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2019-03-28




『オスロ警察殺人捜査課特別班 アイム・トラベリング・アローン』

サムエル・ビョルク著、中谷友紀子訳
 オスロの森の中で、空中に吊られた6歳の少女の遺体が発見された。少女の首には「ひとり旅をしています」というタグがつけられていた。殺人捜査課特別班のリーダーに抜擢された刑事ホールゲン・ムルクは、有能だがある事件をきっかけに休職していたミア・クリューゲルを呼び戻し、捜査を開始する。
 猟奇的な連続児童殺人、過去の赤ん坊誘拐事件、不気味な新興宗教団体など、怪しい要素が次々と投入されていく。かなり盛りがいいのだが、特別捜査班の面々はチームワークと個々の力で乗り切っていき、展開はスピーディー。ムルクもミアも、プライベートでは色々と問題を抱えており、有能だが完璧なわけではない。しかし、頭の切れる者同士でフォローしあい、仲間を尊重している。警察官としての働き方がまともだ。何より、年齢や性別とは関係なく、ムンクとミアの間に仕事の仲間としての尊敬・尊重があるところにほっとした。同じ北欧ミステリでも先日読んだ『見習い警官殺し』(レイフ・GW. ペーション著)とは大違い(笑)!本作の方が事件がキャッチーでハリウッド映画的なケレンがあるのだが、そこをやりすぎない所がいい。翻訳も良いのか、リーダビリティは非常に高い。

オスロ警察殺人捜査課特別班 アイム・トラベリング・アローン (ディスカヴァー文庫)
サムエル・ビョルク
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2019-03-28


オスロ警察殺人捜査課特別班 フクロウの囁き (ディスカヴァー文庫)
サムエル・ビョルク
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2019-03-28


『女の子は本当にピンクが好きなのか』

堀越英美著
 女の子が好きな色、女の子らしい色といえばピンクが定番と思われてきたが、そもそもなぜ女の子=ピンクというイメージが定着したのか?いわゆる「ダサピンク」現象(ピンク=ダサいではなく、女性はピンクが好きな物、可愛いものがすきなものだという認識で商品が作られ残念な結果になる現象)も起きた昨今、ピンクが女らしさ・男らしさにもたらした功罪を国内外の事例を取り上げ掘り下げていく。
 女の子=ピンクというのはフランスが発祥だそうで、それほど歴史が長いわけではない(男の子=ピンクの国もあったし、そもそも昔は持ちのいい染料は高価だったので洗う頻度の高い子供服は白一択だったそうだ)。それが今やというかいまだにというか、女の子といえばピンク、女児玩具売り場はピンク水色ラベンダー色。親がキラキラファンシーを好まなくてもいつの間にか好むようになることが往々にしてあるというから不思議だ。幼い子供はピンクを好みやすいという統計もあるそうだが、社会的に「そういうもの」とされていることの根深さ、ピンクを好む女性が世の中では好まれるとされている影響がやはり強いのだろう。ピンクという色は単に色でしかないのだが、そこに加味される意味合いが女性に複雑な気持ちを抱かせ、男性をピンクから遠ざける。本来単なる色なんだから、男女とももっとフラットにピンクと付き合える世の中になるといいのに…。
 その一方で女児向け玩具の変化(バービーの職業や体形が多様化したり、理系実験キットが人気だったり)が著しかったり、男の子もピンクを着ていいじゃないかというムーブメントが海外では起きていたいるする。特に玩具業界における変化についての記述が面白かった。男らしさ女らしさという枠組みは昔よりはゆるやかになり、少しずつだが世界は変わっていくのだ。とは言え、日本は他国に比べて数周遅れているのが辛いが…。


『オーバーストーリー』

リチャード・パワーズ著、木原善彦訳
 南北戦争前のニューヨークから現代へ。四世代にわたって庭の栗の木の写真撮影を受け継ぐアーティスト、ベトナム戦争で空から落下しベンガルボダイジュに救われた空軍兵、感電死の後に蘇った大学生、植物に対する愛を父親から受け継ぎ樹木同士のコミュニケーションを発見する科学者。9人の人物の人生が樹木を媒介にパズルのように組み合わさり、アメリカ大陸最後の原生林を救う闘いに集約されていく。
 登場人物一覧表を作りながら読むべきだった…。最初は個々の人物のエピソードが並列されているのだが、2章目「幹」以降(根、幹、樹冠、種子と樹木の形状に合わせた章分け)、あのエピソードのあの人がこんなところに、という具合にどんどん増幅し絡み合っていく。大きな流れの中に、ごく身近にも感じられる個人の人生の悲喜こもごもが織り交ぜられていく。それこそ様々な植物が一つの共同体を成している雑木林みたいな具合だ。その広がり方や絡み合い方、相互作用の仕方が森林ぽい。肥沃な森林のように壮大な物語だが、その森林が刈り込まれていき、伐採に対する無謀な戦いが展開されるというのは皮肉だ。樹木の「声」を聞き樹木の生存権を訴える彼らは、人間の社会からは理解されない。人間とは異なる存在の仕方、異なる時間の流れを知ることで彼らの生は豊かになるが、それは周囲からは理解されないし、異なる世界を知れば知るほど「人類の英知」とは真逆のもの、人間社会という群れの一員としては異物なものとして扱われる。それが個人を、そして個々の繋がりを引き裂いていくのだ。こういったペシミズムが近年のパワーズ作品には散見されるように思う。
 ただ、樹木は人間よりも圧倒的にタフで息が長い。円環するようにまた1本の栗の木に集約され、ここからまた次の円環、また別の時間の流れが始まるのではと予感される。

オーバーストーリー
リチャード パワーズ
新潮社
2019-10-30




『おばちゃんたちのいるところ』

松田青子著
 かわいくて、気が利いて、セクシーで、やさしい女を目指し脱毛に励む私の元に、おばちゃんがやってきた。おばちゃんは相変わらず図々しく不躾でパワフルだった。ただ、おばちゃんはもう死んだはずなんだけど。追い詰められた人たちの元に、幽霊のおばちゃんたちが助けにやってくる連作短編集。
 よく女の情念とか女の嫉妬とかマイナスイメージで言われるが、それをすべてプラスに反転していくパワフルなおばちゃんたち。女性だから(ひいては男性だから)、この年齢だから、この立場だからといったくくりを全部無効化し、あくまで「自分」である様は頼もしく清々しい。おばちゃん、私のところにも来てほしい。そしておばちゃんたちがスカウトされている「会社」に就職してみたい。怪談、幽霊話がモチーフとなっているので、古典落語や歌舞伎を多少知っているとより面白いのでは。あの女性にもこういう事情があってその後こんな風に生きてきたのか…と感慨深くなるかも。






問題だらけの女性たち
ジャッキー・フレミング
河出書房新社
2018-03-20



『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』

北村紗衣著
批評家は探偵に似ている。テクストを読み解き手掛かりを拾い集め、その作品の筋道を発見し理解の糸口を導き出す。映画と文学をフェミニスト批評から読みとくパンチのきいた批評集。サブタイトルに「フェミニスト批評入門」とあるように、本格的な批評というよりも、批評と言うのはこういうものだ、こういうアプローチの仕方があるのだという入口の案内のような1冊。読みやすくとても面白い。映画や小説を鑑賞していて、一応面白いし世評も高い、でも自分の中では何かひっかかる、もやもやするという時に、なぜひっかかるしもやもやするのか考える糸口になりそう。若い人に読んでほしい。特にファミニスト批評としてのアプローチなのでジェンダー由来の「もやもや」をひもとく糸口になりそう。批評は自分を知ることでもあるのだ。
キャッチーかつ個人的にも深く頷くところが大きかったのは『アナと雪の女王』批評。ディズニーアニメとしては確かに画期的だし技術的にはもちろん素晴らしく、中盤までは面白かったのが、私は終わり方に納得がいかないというか、なんでこんなつまらない終わり方なんだと思っていたので(他社作品だが『ヒックとドラゴン』にも同じことを感じたんだよな・・・)。ディズニー作品は「社会参加」の壁は多分越えられないんだろうな・・・。


『奥のほそ道』

リチャード・フラナガン著、渡辺佐智江訳
 太平洋戦争中の1943年、日本軍はビルマ戦線への物資輸送の為、タイ側のノンブラドッグとビルマ側のタンビュザヤまで、415キロの鉄道線路を建設していた。労働力として駆り出されていたのは連合国軍捕虜とアジア各国から徴用された労務者たち。捕虜の待遇は劣悪で死者が続出し、「死の鉄路」と呼ばれるほどだった。」オーストラリア陣捕虜で軍医のドリゴ・エヴァンズは地獄のような環境を生き延びようとするが、1通の手紙が彼の希望を砕く。
 捕虜としてなすすべもない日々、人妻であるエイミーとの激しい恋、そして戦争を生き延びたその後と、ドリゴの人生がランダムに語られていく。エイミーと過ごした日々はごくわずかなのだが、焼きつきそうに強烈に輝いている。全く助かりそうな目が見えない、どん詰まりなビルマの状況とあまりにも対照的で、双方の印象をより強めていく。エミリーとのロマンスも、捕虜としての悲惨な経験も、ドリゴにとってはそれを知らなかった頃には戻れない、深い楔を打つような体験だった。全く別種の体験ではあるのだが、どちらの体験も彼の上を過ぎ去らない、出来事としては終わってもじわじわとむしばんでいく。晩年の彼の姿からは、何が残って何が失われたのか見えてしまうところが何だか痛ましいのだ。全てがこぼれおちていくようなこころもとなさ、はかなさが増していくあたりは、芭蕉の句と呼応しているようにも思う。
 捕虜の境遇の劣悪さの描写がなまなましく、体の壊疽した部分を切断し続けざるを得ない所とか、特に肛門が飛び出ている(尻の肉が削げ落ち切ってしまっているということだろう)ところとか、かなりきつい。また、日本軍人たちの描写は戦犯を免れた人たちの典型とでもいうもの。戦犯になるのを恐れながら、経年するうちに当時の記憶を徐々に繭でくるんでごまかしていく、ごまかしたものが自分にとっての真実となってくナカムラや、自身の行いに全く疑いを持たないその部下。また在日朝鮮人として上官の指示に従い戦犯として処刑されるチェ・サンミンら。責任の度合いの大きい者たちは最終的に責任を問われず、処罰しやすい所から処罰されていくという本末転倒が、歴史として既に知っていることではあるが苦々しい。

『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』

ケン・リュウ編、中原尚哉他訳
 巨大都市・北京は貧富の差により三層に分割されている。24時間ごとに世界が回転・交替し、建物は空間に折りたたまれるのだ。各層間の行き来は厳しく規制されているが、第三スペースに暮らす労働者・老刀(ラオ・ダオ)は第二スペースから第一スペースへ密かに届け物をするという仕事を請け負う。郝景芳による表題作を含む、7人の作家による13作品を収録したアンソロジー。ケン・リュウが選出・英訳した。
 中国SF、幅広いし奥深いな!俄然興味がわいてきました。収録されている作家のうち6人が1980年代生まれという若さなのだが、巻末に収録されたエッセイを読むと、「中国の」という独自性に囚われない若いSF読者・作家層が育ってきたことで一気にSFの土壌が豊かになった様子。収録作はハードSFから幻想譚寄りのものまで、バラエティに富んでいる。収録作は社会階層が固定化されたディストピアものとしての息苦しさを感じさせつつ、「折りたたみ都市」という奇想が鮮やか。同じディストピアものでも、オーウェル『1984』へのオマージュである馬伯庸『沈黙都市』はもっと救いがない。異界ファンタジー風で美しいが寂寥感漂う夏笳『百鬼夜行街』、一見王道SFかと見せかけ途中からバカミスならぬバカSFか?と思い始めた所、ある人物の血みどろの戦いでもあり、そういう面では中国戦国ドラマ感ある劉慈欣『円』も面白かった。


『おばあちゃんのごめんねリスト』

フレドリック・バックマン著、坂本あおい訳
 7歳の少女エルサは大好きなおばあちゃんを亡くす。おばあちゃんは、変わり者で学校でも浮いているエルザの絶対的な味方だった。エルザはおばあちゃんの遺言に従い、様々な人に手紙を配達する。手紙の内容はおばあちゃんからの謝罪だった。
 もうすぐ8歳になるエルサは頭がよく好奇心旺盛だが、その好奇心と様々な疑問への自制がきかず、拘りが強い、大人から見たらやっかいな子、同級生から見たら「ウザい」子と言えるだろう。そんな彼女にとって、彼女同様やっかいな人であったおばあちゃんはヒーローだった。そのヒーローを失ったことでエルサは傷つく。更に、おばあちゃんのヒーローではない顔、自分のおばあちゃんではない顔を手紙を届ける過程で垣間見ていくことで、複雑な気持ちになり怒りさえ覚える。大好きな人の見たことがない、おそらく本人が見せたくなかった面や好ましくない面を見るのは大人でもちょっと気が重いから、子供だとなおさらだろう。エルサは年齢のわりには大人だが、こういった人間の複雑さを呑みこめるほどには大人ではないのだ。おばあちゃんがエルサにファンタジー物語を語るが、それが何を意味していたのかわかっていく過程は、少々苦くもある。それでも、エルサはおばあちゃん(以外の人たちも)はこういう風に語らざるを得なかったし、そういう生き方をせざるをえない人だったと納得していくのだ。そもそもおばあちゃんの物語が誰の為だったかということが明らかになると、この人たちの不器用さとままならなさがやるせない。起こってしまったことはやりなおせないが、エルサの奮闘により補修は出来たのかなと思えるのだ。


おばあちゃんのごめんねリスト
フレドリック バックマン
早川書房
2018-03-20


幸せなひとりぼっち (ハヤカワ文庫NV)
フレドリック バックマン
早川書房
2016-10-21



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