3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『映画は絵画のように 静止・運動・時間』

岡田温司著
19世紀末に誕生した映画は、絵画や彫刻からどのような影響を受けてきたのか、そして映画の中に絵画や彫刻はどのように取り込まれてきたのか。メディアを飛び越えて反響しあうイメージを考察する。
映画も絵画・彫刻も見る側の視線を捉える、そして映画/絵画側から見る側に対して向けられた視線がある。視線をどうコントロールするか、という点では映画も絵画・彫刻は共通していると言える。では何が大きく違うのかというと、本作のサブタイトルにもあるように運動と時間だろう。絵画も彫刻も当然運動しないが、映画は運動を映し出し、時間をコントロールするものだ。その差異は大きい。映画の中に絵画や彫刻が出てくると何となく目がいってしまうのは、(元々絵画や彫刻に興味があるからってのもあるが)それが運動しない、静止しているものだからという面もあるのだろう。映画は瞬間の連続だが、絵画も彫刻も瞬間のみを記録する。そもそも絵画や彫刻には時間という属性がないと言った方がいいのか。本作の題名は『映画は絵画のように』だが、読んでいるとむしろお互いのお互い「ではない」部分の方に目が行く。映画ファンとしては、第Ⅲ章「メランコリーの鏡」、第Ⅵ章「静と動のあわいの活人画」が面白かった。特にⅥ章は、なんだこのメタ構造!と笑っちゃうような映画監督の拘りを感じる。
 

『エジプト十字架の秘密』

エラリー・クイーン著、越前俊弥・佐藤桂訳
田舎町アロヨで、首なしで貼り付けにされた死体がT字路で発見されるという事件が起きた。“T”だらけの事件に興味を持ったエラリーは捜査を開始するが、めぼしい情報は得られなかった。そして半年後、再び”T”だらけの事件が起きる。クイーンの国名シリーズ5作目。
過去に一度読んだことがある作品なのだが、今回新訳で読んで、私は真犯人を別の人と勘違いしていたことに気づきましたね・・・!人間の記憶ってほんといいかげんだなー。そして記憶に残っている以上にやたらと長距離移動する話だった。エラリーが事件をあちこちを訪れる様は、かなりドタバタ劇っぽくて落ち着きがない。ここまで引っ張る必要あるのか?って気もするが、ひっぱりまわした上での、トリックを見破るきっかけが非常にシンプルだという所が、本格ミステリとしての醍醐味だろう。この部分は本当にすっきりしていて、あーっ!て思うんだよなー。ここまで絞り込めるものかと。この一点でそれまでのぐだぐだも納得させる力がある。ただそこに至るまでの引っ張り具合がな・・・。小説としてはアンバランスなんだけど、本格ミステリとしては確かに高評価になると思う。

『エンピツ戦記 誰も知らなかったスタジオジブリ』

舘野仁美著、平林享子構成
スタジオジブリのアニメーターとして、動画チェックとして27年間のキャリアを積んだ著者が語る、アニメーターという仕事、ジブリというスタジオの姿。スタジオジブリの広報誌『熱風』に連載された回顧録を書籍としてまとめたもの。巻末に構成者あとがきがついているのだが、それによると著者の言葉は当初はもっと鋭く率直だったそうだ。登場する人たちの殆どは現役なので、さすがに諸々配慮して柔らかい言い方に修正したらしい。とは言え、配慮が窺える言い回しではあるが、個人、組織に対する言葉はやはり鋭い。明瞭な否定の言葉はないものの、著者の中ではここはひっかかっていることなんだろうなとか、このあたりは問題だと思っているんだろうな、という意識が透けて見えるところが面白かった。動画チェックというポジションの板挟み感や細かな気の回し方等、これは本当にきつかったろうなと思う(基本的に「ダメ出し」する仕事なので社内でも煙たがられるし動画と仲良くなりすぎるとダメ出ししにくくなる)。著者は宮崎駿の側で長年働いてきたわけだが、アニメーターとしての姿とはまた違う、経営者としての宮崎、上司としての宮崎の姿が描かれている。昔気質の騎士精神みたいなものを持っているという指摘にはなるほどなと。そして高畑勲はやはり怖い人なのだった・・・。上の人たちが特定局面で超有能かつ癖のあるタイプだと部下は大変だよなー。勉強にはなるだろうけど、自分が食われないようにする距離感の取り方が難しい。

『エピローグ』

円城塔著
オーバー・チューリング・システム(OTC)が現実世界の解像度を上げ続け、人類が“こちら側”へと退転した世界。特化採掘大隊の朝戸と支援ロボット・アラクネは、OTCの構成物質(スマート・マテリアル)を入手するため、現実宇宙へ向かう。一方、ふたつの宇宙で起こった連続殺人事件を刑事クラビトは捜査していた。
著者の『プロローグ』で発生したシステムの行き着く果てを描いたような本作。物語とは何か、文字による記述というシステムはどこへ行くのか?書けば「そうこうこと」になり延々と書換えられるという文章の性質そのものを小説内の設定として組み込むという試みなのかなと思ったが、これは意外と落としどころが難しい設定なんだなとも。何しろ何度でも書換えられるので、様々な方向から様々な都合で世界が改変されてしまう。そもそも小説とはそういうものだが、それをいかにして「小説」というフォーマットに落とし込んでいくのか。はたまた、フォーマットに落とし込むことにどういう意義があるのか、という小説と言う形態の広がり方について考えさせられる。読む側以上に、書く側にとって、なぜ小説と言う形態なのか、という課題は重いのだろう。

『映画なしでは生きられない』

真魚八重子著
洋画も邦画も、過去の名作も最近の作品も、広く扱う映画コラム。前作『映画系女子がゆく!』は題名の通り女性の生き方を映画の中に見るというものだったが、本作はもっと広く、男女関係なく人生のある局面と映画のシーンとをリンクさせていく。『マッドマックス 怒りのデスロード』から始まることに早くもぐっとくるし、その中で言及されているのが「鉄馬の女たち」だというのにもぐっとくる。早くも1章から目頭熱くなってしまった。自分語りにならず、あくまで映画を「見る」行為が主体(なので、映画のストーリーの説明分量が結構多いし、出演している俳優や監督等スタッフに関する言及は意外と少なめ)であるところに、映画に対する折り目正しさみたいなものを感じる。私が映画を見る時のスタンスも、本作に割と近いかな。何より最終章の最後の段落、なぜ映画を見ずにはいられないのか、そうだよそうなんだよ!私だけじゃなかった!と本当に泣きそうに。映画を見るからかろうじて生きてけるのだ。

『エラリイ・クイーンの世界』

フランシス M.ネヴィンズ.Jr著、秋津知子訳
著名なミステリー作家であり、『エラリー・クイーンズ・ミステリマガジン』の創刊者でもあるエラリイ・クイーンの、数少ない評伝。エラリイ・クイーンはフレデリック・ダネイとマンフレッド・ベニントン・リーの従弟による共作のペンネームだが、具体的にどのように作品を作っていたのかは殆ど伏せられており、評伝の類もわずか。本作はリーの死後に発行されており、晩年のダネイには取材できたようだ。それでも、評伝と言うにふさわしいかというと何とも言えない。生い立ちや作家を志したきっかけについては具体的なエピソードが得られているものの、クイーン名義で活躍してからの2人の人物像には今一つ迫れていないように思う。一方で、クイーンが手がけた長編、短編、アンソロジー、ラジオドラマ・テレビドラマ・映画脚本についてはほぼ網羅しコメントをしているところは力作と言えるだろう。特にラジオドラマについては、本作が執筆された当時ですら資料が乏しかっただろうところ、貴重な資料になっていると思う。個々の作品に対する著者の評論が妥当かどうかはよくわからない(私は一部のクイーン作品しか読んでいないので。ただ、既読の作品に限ってだが、そうかな?と首をひねった部分は結構ある)のだが。そしていまいちな作品に対してはかなり辛辣だ。辛辣な方向に冗長な文体なので、批評としてはちょっと感情的だなと思ったところも。また、作品の中でしばしば政府のプロパガンダ的な要素が発揮されている(政府に協力的というよりも、政治的な主義主張に関して無頓着に時代の空気に乗っかっていく傾向があるということでは)という指摘にはなるほどと思った。当時の感覚がわからないと、何を意味しているのか読んでいてぴんとこないところがあるので。

『槐(エンジュ)』

月村了衛著
水楢中学校野外活動部は、恒例のキャンプ合宿に出かけた。しかし合宿1日目、キャンプ場は武装した半グレ集団・関帝連合に占拠されキャンプ場の客は皆殺しにされた。彼らの狙いは40億円。振り込め詐欺で集めた金を裏切り者が持ち逃げし、キャンプ場のどこかに隠したというのだ。関帝連合に捕えられた野外活動部員たちだが、何者かが関帝連合に反逆を始める。冒頭、これは何か怖いことが起きるぞ・・・という前フリたっぷりの後、ノンストップで一気に駆け抜けるエンターテイメントど直球の小説。著者の小説よりはむしろ、アニメ脚本のお仕事の雰囲気でベテラン仕事の安定感を感じた。中学生たち個々のキャラクターにしろ教師にしろ「何者か」にしろ、ある種の定番ではあるが、その枠の中でキャラがくっきりと立ち上がってくる。特にある人とある人に関しては、「待ってましたー!」と喝采したくなるような見得の切り方だ。中学生たちが知恵と勇気を振り絞り、必死でサバイブしようとする様にもぐっときた。その年齢として等身大、かつ最大限の知恵と勇気なところがいい。ところで、立派に見えた先生って最初から立派に先生というわけじゃなくて、先生をやろうとしながら先生になってくれてたんだなぁと、当たり前と言えば当たり前のことにしみじみした。

『映画系女子がゆく!』

真魚八重子著
青弓社の公式サイトでの連載に大幅な加筆修正をした、映画の中の女性達を撮り上げるエッセイ集。連載時からとても楽しみにしていたので、書籍として発行されて本当にうれしい!映画を取り上げたエッセイで、映画評論としての側面はもちろんあるのだが、映画に登場する女性の姿から、女性の生き方、生きていく上での葛藤や苦しさ、面白さをすくい上げていく。そのすくい上げ方の丁寧さというか、いわゆる「王道」に乗り切れない人のありかたに対するフェアさ、誠実さに読んでいて目がしら熱くなった。(多分女性だけでなく男性もだと思うけど)そうだよねー、そういうことあるよねー、と共感するところ、また共感するほどではないけどそうだろうなと理解するところ多々。特に、自分の身体も心も自分のものであり、他人に好きに扱わせてはいけないという一貫した姿勢(当然のことなんだけど意外と言及されないだけに)にほっとする。
 

『SFマガジン700【国内篇】』

大森望編
国内随一のSF小説専門誌であるSFマガジンの創刊700号を記念したアンソロジーの、国内篇。筒井康隆の文庫未収録作品や、貴志裕介のデビュー作、そして手塚治虫、松本零士、吾妻ひでおという漫画勢まで、13作家の作品を収録。作風や年代に偏りがないように配慮されていると思う。漫画作品をちゃんと押さえているところも嬉しい。手塚治虫はやっぱりSFマインド満ち満ちだよな!とあらためて納得した。収録作の傾向はかなり多方向なので、えっこれもSF?と思うような作品(桜坂洋『さいたまチェーンソー少女』はSFがおまけみたいだよ・・・)もあったが、いろいろ味わえてお得感はある。個人的なお勧めは、80年代を思い出させる女の子の言葉づかいが懐かしいが、不思議と今読んでも古びていない鈴木いづみ『カラッポがいっぱいの世界』、『新世界より』への志向がうかがえる貴志裕介『夜の記憶』。あと大森望による作者紹介が所々余計なことをぶっ込んでいて吹き出しそうに(野尻抱介の近状とか・・・まあいいたくなるのはわかるが・・・)。
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