3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『うたうおばけ』

くどうれいん著
 「おばけ」になって歌う岬、失恋の「葬式」のために喪服姿でやってきたミオ、暗号好きなスズキ、振られる為に東京に来た著者を迎えてくれたタムさんとのどか。さまざまな「ともだち」がぞろぞろ登場するエッセイ集。
 「工藤さんって友達多そうっすよね」と言われて、げ、と思ってしまうという著者。友達という言葉が苦手、友達の多さが人間の価値だなんて安易なものさしだ!というわけで大変共感できるのだが、しかし本著を読んでいると著者はばっちりと友達が多いし、その友達を非常に大切にしており誠実であるように思える。友達ではなく「ともだち」。世間でよかろう美しかろうとされている関係とはちょっと違う、しかし得難い関係性。情が深いというよりも、相手の個性、あり方に対する尊重がお互いにあるのだと思う。それは友人でも恋人でも家族でも同じだ。「仲良く」と「尊重」は必ずしも一致しない。「みんな仲良く」である必要はないんだよな。
 それにしても、著者が結構な頻度で振られており、その振られ方に対するエネルギーがなんだかすごい。えっこんな強烈に悲しむようなことだったっけ?これが若さか…。

うたうおばけ
くどうれいん
書肆侃侃房
2020-04-29





『嘘と魔法(上、下)』

エルサ・モランテ著、北代美和子訳
 両親を早くに亡くし、養母に育てられたエリーザ。養母も亡くなり一人きりになった今、彼女は一族の秘密、祖父母、そして両親の秘められたロマンスを語り始める。
 大人になったエリーザが語る一族のストーリーは、熱烈な恋、実らぬ愛、不実と嫉妬等、強烈な感情の嵐が吹き荒れている。登場人物の誰しも方向性は違うが利己的・自分本位だ。彼らの声の大きさが強烈。熱烈な恋が描かれたラブロマンス大河ドラマではあるものの、その思いは往々にして一方通行だ。彼らが見ている相手の姿は思い込みにより脚色されており、自分の頭の中にいる相手に対してずっと呼びかけ続けているようなものだ。相手がどういう人物で何を考えどう行動しているのかということは、あまり想像していないように思える。だから思いの交歓、ハーモニーがあるのではなく、それぞれの声が大音量でばらばらに響いているという感じなのだ。成就する恋愛がない恋愛小説と言える。熱烈に恋愛をしているように見えるアンナとエドアルドであっても、その思いと立場は対等ではなく、お互いへの思いやりがあるとは言い難い。またアンナとフランチェスコのように、何かしら成就したような気配があっても時既に遅し。
 本作、エリーザの語りという構造になっており、語られるのはあくまで「エリーザによる一族の歴史」で、いわゆる信用できない語り手と言える。そしてエリーザが語る歴史の元になっているものが更に、ある作為をもって書かれたものなのだ。語りに二重のフィクション性があり、それが更に小説というフィクションの形をとっているという入れ子構造。登場人物たちの恋と同じく、エリーザが語るのは彼女の頭の中にだけある作りものなのかもしれないのだ。だからこそ読者にとっては面白く次は、次はどうなるのとページをめくり続ける。まさに嘘と魔法。

嘘と魔法 上 (須賀敦子の本棚)
モランテ,エルサ
河出書房新社
2018-12-18


嘘と魔法 下 (須賀敦子の本棚)
モランテ,エルサ
河出書房新社
2018-12-18



 

『失われた女の子 ナポリの物語4』

エレナ・フェッランテ著、飯田亮介訳
 作家として成功し、夫ピエトロと別れ恋人ニーノとの生活を望むエレナは故郷ナポリに帰る。しかしニーノが妻と別れる気配はなく、エレナは不安に駆られていく。一方、距離を置いていた親友リラとの関係は、お互い妊娠したことでまた縮まっていく。そんな折、ある事件が起きる。
 2人の女性の大河ドラマ「ナポリの物語」完結編。終盤の方、かなりエピソードが詰め込まれているしシリーズスタート時の時代設定(ほぼ現代でエレナとリラは初老)に追いつかせる為に時間の飛躍が激しいように思った。エレナは作家として大成するが、それは本当に彼女自身が掴んだものだったのか、背後にリラがいたからこそで自分の中身はからっぽなのではと彼女が自身を疑い始める部分は少々そら恐ろしくもある。そんな疑問持ったら作家なんてやっていられないではないか。リラの存在はよかれあしかれ、エレナにとってはそれだけ大きいものだったのだ。少女時代のような片思いの友情ではなく、時に重荷のような存在としての親友。リラはなんでもできそうに見えたのに、何をしたいのか最後までわからないままだ。そのわからなさがエレナに呪いのように纏わりついており、また創作の源にもなっているように思えた。
 4巻目はエレナのニーノとの関係における葛藤、娘たちとの葛藤がインパクトあり読ませる。惚れた相手の難点や弱さに目をつぶり続けてしまうエレナの弱さというか、憧れの拗らせみたいなものが読者を苛立たせるだろうが、痛々しくもある。彼女は(のちに自覚するように)自分の小説の中では自立した女性、フェミニズム的な思想を描いているが、実生活では恋人の顔色を窺ってばかりで振り回されっぱなしだ。そこから自由になるには時間がかかるのだろう。エレナの場合は気付きのシチュエーションが最悪だけど…。本シリーズ、幸せな結婚生活というものが一切出てこず、その辺は結構シビアだ。別れた夫との関係が後年、子供たちが成長してくると好転する、ちゃんと「家族」になれるというあたりも面白い。ピエトロが親としてちゃんと成長しているっぽいのだ。

失われた女の子 (ナポリの物語 4)
フェッランテ,エレナ
早川書房
2019-12-19


逃れる者と留まる者 (ナポリの物語3)
エレナ フェッランテ
早川書房
2019-03-20


『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ(上下)』

A・J・フィン著、池田真紀子訳
 精神分析医のアナ・フォックスは広場恐怖症で自宅の外に出ることができない。暇つぶしは古いミステリ映画を見ることと、近所の人たちを望遠カメラで覗き見ること。毎日近所のある日、近所に住んでいるというジェーン・ラッセルが家を訪ねてくる。彼女は夫アリステアと息子イーサンと暮らしているというのだ。ジェーンに好感を持つアナだが、彼女が自宅でナイフで刺されるのを目撃する。パニックを起こしつつ警察に通報するが、ラッセル家では何も起きていないという。そして彼女の前に現れたジェーン・ラッセルは、アナが出あった女性とは全くの別人だった。
 引きこもりの目撃者、かつアルコール依存症の気があるアナは、信頼できる語り手とは言えない。どこまでが実際にあったことなのか、アナにもわからないし読者にもわからない。アナが出あったジェーンはどうなったのか?という謎に加え、そもそも何があったのか?そしてアナはなぜこういう状態になったのか?(これは割とすぐに見当つくが)という謎が並走しているサスペンス。ミステリとしては終盤にバタバタと風呂敷を畳む印象であまり精緻ではないのだが(ある人物が短時間で諸々手際よくやりすぎな気がするし・・・)、オチに向かってぐいぐい読ませる。アナが古いサスペンス映画好きで、ヒッチコック作品の題名やセリフが頻出するのだが、本編との絡みはあまり強くなく、出てくるだけという印象になっているのがちょっともったいなかった。絡んでいないわけではないけど、もっと謎の核心に触れる絡み方を期待しちゃったので。


ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ 上 (早川書房)
A.J. フィン
早川書房
2018-09-19
ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ 上 [単行本]





めまい [DVD]
ジェームズ・スチュワート
ジェネオン・ユニバーサル
2012-09-26

『生まれ変わり』

ケン・リュウ著、古沢嘉通他訳
 地球に到来した異の生物トウニン人と共生するようになった人類は、トウニン人の技術により悪しき記憶を切除して「生まれ変わる」ことが可能になった。トウニン人のパートナーを持つ「わたし」はトウニン人殺害テロの捜査にあたる。表題作を始め、衰退する人間の世界と発展するAIの世界を描く「神々は~」三部作、アジアの工場で働く少女の奇妙な運命を描く「ランニングシューズ」等、20編を収録した日本オリジナル短編集3作目。
 相変わらず安定して高品質な作品集。過去2作の短編集に比べると、より人間の身体と意識の問題、そして移民問題、経済格差問題が浮かび上がる面が濃くなっているように思う。前出の「ランニングシューズ」や介護ロボットのある生活を描く「介護士」や、は正に国家・地域間の経済格差、搾取の問題が背景にあるし、異なる種との接触が描かれた「悪疫」「ホモ・フローレシエンシス」は移民問題にも通じるものがある。人間は公平なつもりでいて見下しがちなのではないか、こちらの正しさとあちら の正しさとは違うのではないかという居心地の悪さを感じさせる。
また、意識と身体の問題がより際立ってきている。前述の「神は~」三部作では電子情報だけになった父親と生身の娘の変遷が描かれる。また「カルタゴの薔薇」でも老いていく肉体を持ち続ける姉と肉体を捨てようとする妹が描かれる。肉体をなくしたら人間性は失われるのか?肉体を捨てるところまではいかなくても、身体のバージョンアップについては多少現実味が増してきている中、答えが出せない問いが漂い続ける。また身体に関わる問題も経済格差と表裏一体なんだよなという辛さも。


『嘘の木』

フランシス・ハーディング著、児玉敦子訳
 高名な博物学者で牧師のサンダリー師は、ある大発見を発表し評判になる。しかしその発見がねつ造だという噂が流れ、新聞報道にもなった。好奇の目にさらされることを恐れたサンダリー一家は、発掘現場での誘いがあったヴェイン島へ移住。しかしそこでも既に噂は流れており、肩身の狭い生活が始まった。しかしサンダリー師が不審な死を遂げる。島の人々は自殺と見て教会での埋葬を拒むが、娘のフェイスは父が自殺するはずないと疑問を持つ。サンダリー師は生前、「嘘の木」と呼ばれる植物を密かに栽培していた。嘘を養分とし、その実を食べたものに得難い知識を授けるというのだ。フェイスは嘘の木を使って父の死の原因を探ろうとする。
 ダーウィンの進化論によってキリスト教的な世界観が大きく揺さぶられていた時代を背景にしている。この時代背景と登場人物の行動原理が直結しており、使い方が上手い。当時の自然科学の考え方や社会的な価値観が、フェイスが抱える問題と深く関わっている。彼女は自然科学に興味を持つ聡明な少女だが、当時の社会では女性には理論的に物事を考える能力はないと考えられていた。フェイスがどんなに勉強し知識を披露しても周囲から評価されることはなく、むしろ女性としてはふさわしくない存在として扱われる。フェイスは科学者である父から認められたくてたまらないが、彼女が女性である以上、それは叶わないのだ。このフェイスの満たされなさ、父親の愛への渇望が痛いほど伝わってきて辛い。彼女の渇望が、彼女が撒く「嘘」を加速されていくが、途中からよしもっとやれ!とエールを送りたくなるくらい。
 彼女には天分の才能があるが、それはないものとされる。しかしこれは彼女に限ったことではない。女性達については「女性」というひとくくりの概念しかなく、個々がどのような能力、特性を持ち何が出来るのかという部分は男性の目にはとまらない。そこにいるがいない、不可視の存在としての一面を持つ。これが本作のミステリ部分の鍵になっているが、こんな不可視ありがたくもなんともないよな・・・。彼女ら個々の顔がはっきり見えてくる終盤は、フェイスにとっての救いでもあるか。

嘘の木
フランシス・ハーディング
東京創元社
2017-10-21


カッコーの歌
フランシス・ハーディング
東京創元社
2019-01-21


『動く標的』

ロス・マクドナルド著、田口俊樹訳
 石油王の富豪サンプソンが失踪した。私立探偵のリュウ・アーチャーはイレイン・サンプソン夫人から夫捜索の依頼を受ける。アーチャーが犯罪組織の関与を疑い始めた折、サンプソン邸に10万ドルを送金しろというサンプソン氏直筆の手紙が届く。アーチャーは身代金を要求する手紙だと判断する。
 新訳版はやはり読みやすい。一度読んだ作品のはずなのにストーリーの流れや犯人を全く思い出せず、新作を読むのと同じように新鮮に読んでしまった・・・。これは損したのだろうか得したのだろうか。ただ、あるシチュエーション、情景はそういえばこんな感じだったなと思いだす。私が本作を原作にしたポール・ニューマン主演の映画『動く標的』(ジャック・スマイト監督、1966年)を見たことがあるから映像としての印象の方が強いというのもあるだろう。しかし何より、私にとってロスマク作品の魅力は、プロットではなく情景の描写や情感にあるのだろう。サンプソンの娘ミランダが車を飛ばすシーン、新興宗教施設でのドタバタ、中年弁護士がふと見せる哀愁など。なお、翻訳家の柿沼瑛子が解説を寄せているが、著者の来歴やそれが作品に与えたと思われる影響にもざっくり触れており、ロスマク入門編には良い。

動く標的【新訳版】 (創元推理文庫)
ロス・マクドナルド
東京創元社
2018-03-22


動く標的 [DVD]
ポール・ニューマン
復刻シネマライブラリー
2011-12-26

『運命と復讐』

ローレン・グロフ著、光野多惠子訳
 劇的な出会いにより一目でお互い恋に落ち、スピード結婚したロットとマチルド。売れない俳優のロットをマチルドは支え続け、やがてロットは劇作家として大成功する。2人の恋と結婚は運命、のはずだった。
 結構な長さなのだがリーダビリティが高く、一気に読んだ。本作はいわば前半戦=運命、後半戦=復讐にわかれた構成で、裏表のような関係にある。ロットは自分とマチルドの関係は運命的なものと信じており、彼女は聖女のように純真で献身的だと言う。しかしこれはあくまでロット側の意見。ロットの思い込みの強さと天然の人の良さ、愛されることに慣れている人特有のある種の無神経さが、彼のマチルド像を作り上げている。前半、マチルドは理想的な妻として家庭をきりもりし、パーティー客をもてなし、ロットを励まし続け彼とのセックスにも没頭する。しかし、その為に彼女が払った努力や犠牲には、ロットは本当には気付かないし無頓着だ。中盤、彼が女性を賛美するつもりで典型的な女性蔑視に繋がるスピーチをする。彼はマチルドを深く愛し続けるが、そういう部分は刷新されないままなのだ。ではマチルドは実際のところどういう女性なのか、というのが後半で、誰に対する「復讐」なのかも明らかになっていく。
 夫婦は所詮他人で、相手について知っている部分などごくわずかなのかもしれないと本作は迫ってくる。そして、そういう状況であっても愛は成立していると言えるのか、いや成立しているはずだというゆらぎが特に後半では前面に出てくる。言葉で具体的に嘘をつくだけでなく、真実を話さないことも嘘になるのかもしれないが、それは不誠実とはまた別のものだ。誠実だからこそ話さないということもある。相手の強さを正確に計測した結果とも言えるのだ。耐えられない事実よりは嘘や沈黙の方がいい場合もあるのでは。
 しかし本作のような設定の場合、あれこれ画策するのは大抵女性の方な気がするのはなぜだろう。




『ウインドアイ』

ブライアン・エヴンソン著、柴田元幸訳
「彼」は子供の頃、自宅の窓のうち1つだけ、外側からはそこにあるのが見えているが、家の中からはどこにあるのかどうしてもわからないものがあると気付く。その窓に近づこうとした妹は姿を消したが、母親は「彼」に妹などいないと言う。妹の存在も窓の存在も、自分にはわかっているのに周囲からは否定されるという表題作を始め、軒並み不吉で禍々しい短篇集。表題作のように、自分の認識しているものを他人は認識していない、ないことにされるという恐怖がしばしば描かれる。また、自分の意識や体が何者かに乗っ取られていく、むしろ明け渡してしまった方が楽なのではという、自我も身体の輪郭もあやふやになっていくというパターンも度々現れる。人間の意識、感覚の曖昧さ、不確かさが一貫して描かれており、読んでいると自分の足元がゆらぐような気分になった。確たる自分などというものはなく、何か別のものと置き換えられても何も変わらない、自覚も起きないのではないかと。あからさまではないが、じわじわと嫌な感じがしのびよってくる。1編1編は短いのだが、よくこれだけトーンの揃った嫌な話を書くな!と感心する。

『有頂天家族 二代目の帰朝』

森見登美彦著
天狗の赤玉先生の跡継ぎである“二代目”がイギリスから帰国し、天狗の世界も狸の世界もざわつき始めた。赤玉先生と二代目とは犬猿の仲、かつ赤玉先生の愛弟子である弁天と二代目の間も険悪だった。赤玉先生のお世話係である狸の矢三郎は天狗同士の騒動をなんとかやりすごそうとするが、狸の世界でも覇権争いが起こっていた。
アニメ化に伴い読んでおくかと手に取ったが、1作目より更に読みやすい。基本的な設定が既にわかっているからというのもあるが、構成、文章の技術が上がっていると同時に、いい意味で入れ込み過ぎない(ように見える。実際はまあ大変だったんでしょうが・・・)スタイルに収まっている。スペクタクル的な見せ場が減っている(今回は前回ほど狸が化けない)と同時に、家族の情愛がよりするっと自然な形で表れているように思う。日和見な狸たちの騒動は愉快でおかしいが、血のしがらみや恨みつらみから逃れられない姿はどこかもの悲しくもある。矢三郎たち一家の「仇」にも、そこまでこじらせることなかったのに・・・という哀れさがあるのだ。それはともかく、二代目と弁天が出そろった所で、そもそもの元凶は赤玉先生じゃないのか?!という気がしてならない(笑)。

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